(今日の花はシソ科オドリコソウ属の多年草「オドリコソウ(踊り子草)」だ。花名の由来は花の形が編み笠をかぶった着物姿の踊り子に似ていることである。
北海道から九州に分布し、地下茎で広がり、路傍や山裾、河川の岸などに群生する。春に、葉腋に輪状に花を咲かせる。花の色は白から薄い桃色まである。
…私の場合、岩木山に行くとか登るという時、その九割五分までは山頂まで行って帰ってくることを指す。ところがその日は、残り五分に属する岩木山行きだった。
数日前に市内の茂森新町から樹木へ抜ける路傍で見かけたある花、それとの邂逅はまだ岩木山ではなかったので、出会いを求めて出かけたのだった。
五月の末である。高照神社前でバスを降りた私は、初夏のまぶしい光と柔らかい風の中を弥生方向に歩いていた。間もなく左に逸れて宮様道路に連なる間道に入った。
まぶしい輝きと柔らかい風を少しだけ避けるように林辺や路傍に、草丈二十から三十センチのその花はまばらな群れで咲いていた。
葉上の段々舞台で輪舞する淡紅衣装の群れ花、華やかなオドリコソウである。岩木山にもやはり生育していた。
岩木山の中腹部では見かけないが、山麓の人家近くの路傍ではよく見かけるし、旧弘前市内の坂道や切り通しの藪では目にすることの出来る花だ。また、久渡寺山のライオン岩付近の稜線で突然現われてびっくりしたこともある。
花が踊り子に似ているのでこの名がついたのだが、花は葉に隠れて上からは見えにくい。屈んで見ると、たしかに踊り子のように、花笠をかぶった娘たちが輪になって踊っているように見える。
命名者のすばらしい観察力には拍手だが、所詮、人がつける名前など我田引水の何ものでもない。
人の目には踊り子の花笠に見える「花」も、花粉が濡れないための「装置」であり、立姿のような花の筒も昆虫を潜りこませてたっぷり花粉を運んでもらうための「罠」であることを知ると、名付ける人の浅知恵を超えて、植物の持つ「知恵」に驚き感心するのである。
■■ 弥生登山口周辺でNHK弘前文化センター自然観察講座を実施(1) ■■
昨日、NHK弘前文化センター講座「津軽富士・岩木山」で、第36回目の「岩木山の雪上自然観察・アニマルトラッキング(野外実習と観察)」を「岩木山弥生登山道入り口付近」で実施した。
28、29日と「平年」なみの寒さをともなう「三月の陽気」であったので、「ああ、本物の三月だ」と、ほっとしていたが、一方で「30日の自然観察講座、このまま寒ければ受講者には気の毒だなあ」と相反する気持ちが入り乱れて心穏やかではなかった。
だが、暖かい陽気が続く今年の三月はやはり、「異常」なのである。幸い、北風は冷たかったものの「弱く」、日射しに恵まれたので、暖かく明るい陽気の中で、「楽しい」自然観察が出来たのだ。
マルバマンサクやニシキマンサクの咲き誇る雪上に腰を降ろして、食べた「お弁当」はとりわけ美味しく、心弾むものであった。
ただ、いつもの「三月」が私たちに与えてくれる「自然が織りなすめりはり」を体感出来なかったことは残念なことであった。
さて、いつもの「三月」とは…、
…三月は混沌とした季節だ。真冬と早春がしのぎを削る。寒気の南下で気温は氷点下まで下がり、西高東低の等圧線がこみ合うと風は台風なみに発達する。また、一晩で数十センチの積雪を見ることもある。
そんな日の後に、明るい日ざしの春が、遅い朝から始まることがある。しかし、冬の装いをまったく捨てているわけではない。早朝の凍てつく放射冷却に始まり、青空は抜けるように高く、陽光は暑いほどだ。だが、時折雪しぐれが通り路上にうっすらと綿雪を残す。
そして、また次の日ざしが瞬く間にそれを消してしまう。三寒四温に似ているこのような繰り返しが三月である。
三月に入ると、日照時間が長くなり気温も高くなる。当然、上昇気流も発生する。ところが上空には寒気が流れ込んでいる。
だから、天気図に現われない小さな前線が一日に何回も通過して、その都度、雪しぐれを降らせるのだ。
しぐれと無縁のポカポカ陽気の日もある。そんな日は「いきいきと」した風情が消えて、ぼんやりと気の抜けた春を感ずる。
ところが、三月はちゃんとめりはりをつけてくれる。晴れた朝の氷点下、曇天の寒雲、雪しぐれなど、子規の句に「毎年よ彼岸の入りに寒いのは」というのがあるくらいだ。寒さの後には膝小僧を出したくなるほどの日和が続く。
飯田龍太の俳句に「いきいきと三月生まる雲の奥」というのがある。龍太は甲斐の山奥に住んでいたというから、感動は「雲の奥」にあると見たい。
この雲は青空に見られる身動きしない凍て雲だろうか。それとも曇り空に現れて動かない寒雲と呼ばれるものだろうか。やはりこれは雪しぐれを降らせる雲の塊だろう。
「いきいき」と「生まれる」ためには動きが欲しいところだ。この句には・・青空、輝く太陽。その下にはむくむくと湧き出し、底を低くし、周囲の山々を舞う雪に透かして進んでくる大きな雲の塊がある。その塊の上空は抜けるように明るく、キラキラした三月が雪しぐれの奥にいて、それらを押し出し天上の主にとって変わろうとしているようだ。
見ていると、いつのまにか横殴りの淡雪に誘い込まれるが、それも一時のこと、天上すべてが青空に変わる。・・という情景がふさわしい。
山本健吉は飯田の句の「三月」は、月でなく「季節」であると指摘している。なるほど、言い得て妙だ。(続く)
北海道から九州に分布し、地下茎で広がり、路傍や山裾、河川の岸などに群生する。春に、葉腋に輪状に花を咲かせる。花の色は白から薄い桃色まである。
…私の場合、岩木山に行くとか登るという時、その九割五分までは山頂まで行って帰ってくることを指す。ところがその日は、残り五分に属する岩木山行きだった。
数日前に市内の茂森新町から樹木へ抜ける路傍で見かけたある花、それとの邂逅はまだ岩木山ではなかったので、出会いを求めて出かけたのだった。
五月の末である。高照神社前でバスを降りた私は、初夏のまぶしい光と柔らかい風の中を弥生方向に歩いていた。間もなく左に逸れて宮様道路に連なる間道に入った。
まぶしい輝きと柔らかい風を少しだけ避けるように林辺や路傍に、草丈二十から三十センチのその花はまばらな群れで咲いていた。
葉上の段々舞台で輪舞する淡紅衣装の群れ花、華やかなオドリコソウである。岩木山にもやはり生育していた。
岩木山の中腹部では見かけないが、山麓の人家近くの路傍ではよく見かけるし、旧弘前市内の坂道や切り通しの藪では目にすることの出来る花だ。また、久渡寺山のライオン岩付近の稜線で突然現われてびっくりしたこともある。
花が踊り子に似ているのでこの名がついたのだが、花は葉に隠れて上からは見えにくい。屈んで見ると、たしかに踊り子のように、花笠をかぶった娘たちが輪になって踊っているように見える。
命名者のすばらしい観察力には拍手だが、所詮、人がつける名前など我田引水の何ものでもない。
人の目には踊り子の花笠に見える「花」も、花粉が濡れないための「装置」であり、立姿のような花の筒も昆虫を潜りこませてたっぷり花粉を運んでもらうための「罠」であることを知ると、名付ける人の浅知恵を超えて、植物の持つ「知恵」に驚き感心するのである。
■■ 弥生登山口周辺でNHK弘前文化センター自然観察講座を実施(1) ■■
昨日、NHK弘前文化センター講座「津軽富士・岩木山」で、第36回目の「岩木山の雪上自然観察・アニマルトラッキング(野外実習と観察)」を「岩木山弥生登山道入り口付近」で実施した。
28、29日と「平年」なみの寒さをともなう「三月の陽気」であったので、「ああ、本物の三月だ」と、ほっとしていたが、一方で「30日の自然観察講座、このまま寒ければ受講者には気の毒だなあ」と相反する気持ちが入り乱れて心穏やかではなかった。
だが、暖かい陽気が続く今年の三月はやはり、「異常」なのである。幸い、北風は冷たかったものの「弱く」、日射しに恵まれたので、暖かく明るい陽気の中で、「楽しい」自然観察が出来たのだ。
マルバマンサクやニシキマンサクの咲き誇る雪上に腰を降ろして、食べた「お弁当」はとりわけ美味しく、心弾むものであった。
ただ、いつもの「三月」が私たちに与えてくれる「自然が織りなすめりはり」を体感出来なかったことは残念なことであった。
さて、いつもの「三月」とは…、
…三月は混沌とした季節だ。真冬と早春がしのぎを削る。寒気の南下で気温は氷点下まで下がり、西高東低の等圧線がこみ合うと風は台風なみに発達する。また、一晩で数十センチの積雪を見ることもある。
そんな日の後に、明るい日ざしの春が、遅い朝から始まることがある。しかし、冬の装いをまったく捨てているわけではない。早朝の凍てつく放射冷却に始まり、青空は抜けるように高く、陽光は暑いほどだ。だが、時折雪しぐれが通り路上にうっすらと綿雪を残す。
そして、また次の日ざしが瞬く間にそれを消してしまう。三寒四温に似ているこのような繰り返しが三月である。
三月に入ると、日照時間が長くなり気温も高くなる。当然、上昇気流も発生する。ところが上空には寒気が流れ込んでいる。
だから、天気図に現われない小さな前線が一日に何回も通過して、その都度、雪しぐれを降らせるのだ。
しぐれと無縁のポカポカ陽気の日もある。そんな日は「いきいきと」した風情が消えて、ぼんやりと気の抜けた春を感ずる。
ところが、三月はちゃんとめりはりをつけてくれる。晴れた朝の氷点下、曇天の寒雲、雪しぐれなど、子規の句に「毎年よ彼岸の入りに寒いのは」というのがあるくらいだ。寒さの後には膝小僧を出したくなるほどの日和が続く。
飯田龍太の俳句に「いきいきと三月生まる雲の奥」というのがある。龍太は甲斐の山奥に住んでいたというから、感動は「雲の奥」にあると見たい。
この雲は青空に見られる身動きしない凍て雲だろうか。それとも曇り空に現れて動かない寒雲と呼ばれるものだろうか。やはりこれは雪しぐれを降らせる雲の塊だろう。
「いきいき」と「生まれる」ためには動きが欲しいところだ。この句には・・青空、輝く太陽。その下にはむくむくと湧き出し、底を低くし、周囲の山々を舞う雪に透かして進んでくる大きな雲の塊がある。その塊の上空は抜けるように明るく、キラキラした三月が雪しぐれの奥にいて、それらを押し出し天上の主にとって変わろうとしているようだ。
見ていると、いつのまにか横殴りの淡雪に誘い込まれるが、それも一時のこと、天上すべてが青空に変わる。・・という情景がふさわしい。
山本健吉は飯田の句の「三月」は、月でなく「季節」であると指摘している。なるほど、言い得て妙だ。(続く)