(今日の写真はバラ科オランダイチゴ属の多年草「ノウゴウイチゴ(能郷苺)」だ。14日に赤倉登山道の「大開」少し手前で出会った。)
このノウゴウイチゴに混じってイネ科以外の草本が2種類見えるが何だろう。一種類の方はすでに黄色っぽい花をつけているものもある。
これはミズキ科の多年草であり、本州中部以北と北海道に分布し、奈良県と愛媛県などに隔離分布しているといわれているものだ。
葉には明瞭な脈が見られることも「ミズキ」の葉と共通性がある。花弁のように見えるのは、「ミズキ科」の「ヤマボウシ」と同じように「総苞片」であり、中心に小さな花が集まって付いているのだ。この写真からは分からないが、直近で見ると、花弁は4枚、雄しべは4本、雌しべは黒紫色であることが分かる。
亜高山帯の樹林下に、特に針葉樹林内に、赤倉登山道では「コメツガ」林内に生育し、登山道沿いでもよく目につく植物の一つでもある。
茎の高さは通常は5cm程度である。その所為なのか上から見ると、「敷き詰められている」ように見える。
花の咲く時季は岩木山では6月から8月にかけてである。雪渓の消え方次第なのだ。花は葉が6枚に成った株だけに咲く。2枚や4枚のものには咲かない。輪生している6枚の葉の中心から花茎を直立させて、白い花序をつける。白い花弁に見える部分は「萼片」で、花は中心に20個ほど集まっている。
葉は先の尖った楕円形であり、花が終わった後には、直径5mm程の実を多数つけて、熟すと赤くなる。
この「ミズキ科」の草花の和名には、何故かしら日本特産種である「ミカン科の常緑小高木」の名前が付けられているのだ。この「ミカン科」の果実は扁球形で直径2~3cmで果皮は黄色く熟するが、酸味が強く生食には適さないといわれている。
私は最初にこの花に出会った時に、低い背丈で敷き詰められたように咲いているので、上から見たのだが、ある「紋所」と「その名」をイメージしたのだ。それは古典などに出てくる花であり、高貴な「家紋」でもあった。だが、私のこのイメージは、この花名の由来とはまったく関係がなかった。
ところで、この草花の名前の由来は、花や葉とは無縁である。「発見された地名」と「果実の形状と色が似ているミカン科の植物名」という二部構成で成り立っている。「ミカン科」のものを「ミズキ科」の植物に付けてしまうのだから、本当におかしな話しだし、いい加減と言えばいい加減な話しだ。
まず、地名だが「加賀白山の最高峰」の名前が当てられている。次に果実が「ヤブコウジ」などミカン科のものに似ているということで付けられている。
「ヤブコウジ」は古名で「ヤマタチバナ(山橘)」という。さて、この草花の名前は何であろうか。
もう一種は、ユリ科の多年草で、高山植物の図鑑にも載っているが、北海道から九州まで、低山帯の林地から亜高山帯の針葉樹林の中まで、広範な場所でごく普通に生えている。決して「高山に行かなければ会えない花」ではない。しかも、花が小さく地味だから、興味のない人には見えないかも知れない。
この赤倉登山道でも、ずっと低い石仏1番辺りから生えていて花も終わったり、まだ咲いていたりと生息範囲が垂直分布でも水平分布でも実に広いものだ。それだけ適応力と繁殖力が強いのだろう。
花名にはこの葉の様子と格好のイメージが取り入れられている。この葉の格好が、「ある鳥が羽を広げている」のに似ていることからつけられている。
だから、茎を真っ直ぐに伸ばして、大きな4本の雄しべと1個の雌しべ、それに反り返った4枚の花被片をつけた白くて小さい花のイメージは「花名」には決して結びつかない。しかも、花は総状で1本の茎に20個ほどつけるのだ。よって、花は小さいが「よく目立つ」のである。
「こんなのないよ」と言いたくなるが、「花名」を命名するには、少なくとも和名にあっては「ルール」などない。それでいいのだ。花など植物をはじめ自然は「みんなのもの」だから、それぞれ「自由勝手」に付ければいいのである。
吾こそは「専門家という意味合い」がありありな花名ほど、花は嫌らしくないが、嫌らしいものはない。
これは前述したように全国に分布しているが、地方によって、この「葉の大きさ」が違うというのだ。北海道のものの葉は長さが10cmほどと大きいそうだが、南に行くほど小さくなり、「屋久島のもの」は1cmに満たないといわれている。
このように、花も葉も美しいのだが、果実もまた美しい。この果実は最初は「まだら模様」を見せているが、季節が秋へと進むにつれて、赤く熟して美しく、可愛らしくなる。
花の小ささとはうって変わって、径が6mmほどと果実は大きめなので、特にきれいでよく目立つのだ。これを「ルビー」に譬える人もいるが、当を得て妙と言うしかない。
秋が深まっても、枯れた茎の上に、この赤い宝石、「ルビー」は残り、「漿果」のような透明な紅い輝きを見せるのである。それは過ぎ行く秋の「はかなさ」や生命の最後の輝きを体現しているかのように見えるのだ。しかも、雪が積もり出した頃、その雪上に輝く「ルビーの残照」は帰り来る春の息吹を迎えるための灯火のように見えるのである。
この草花の名前には、このように可愛らしく美しい白い小花も、その果実もまったく関係がないのだ。ただ、葉の開き具合や付き方が、ある「鳥の舞う姿」に似ているとか、それを連想させるということで付けられたのだ。
だが、私には、どうしても「ある鳥」が舞をしているように見えない。さて、この草は何だろう。
このノウゴウイチゴに混じってイネ科以外の草本が2種類見えるが何だろう。一種類の方はすでに黄色っぽい花をつけているものもある。
これはミズキ科の多年草であり、本州中部以北と北海道に分布し、奈良県と愛媛県などに隔離分布しているといわれているものだ。
葉には明瞭な脈が見られることも「ミズキ」の葉と共通性がある。花弁のように見えるのは、「ミズキ科」の「ヤマボウシ」と同じように「総苞片」であり、中心に小さな花が集まって付いているのだ。この写真からは分からないが、直近で見ると、花弁は4枚、雄しべは4本、雌しべは黒紫色であることが分かる。
亜高山帯の樹林下に、特に針葉樹林内に、赤倉登山道では「コメツガ」林内に生育し、登山道沿いでもよく目につく植物の一つでもある。
茎の高さは通常は5cm程度である。その所為なのか上から見ると、「敷き詰められている」ように見える。
花の咲く時季は岩木山では6月から8月にかけてである。雪渓の消え方次第なのだ。花は葉が6枚に成った株だけに咲く。2枚や4枚のものには咲かない。輪生している6枚の葉の中心から花茎を直立させて、白い花序をつける。白い花弁に見える部分は「萼片」で、花は中心に20個ほど集まっている。
葉は先の尖った楕円形であり、花が終わった後には、直径5mm程の実を多数つけて、熟すと赤くなる。
この「ミズキ科」の草花の和名には、何故かしら日本特産種である「ミカン科の常緑小高木」の名前が付けられているのだ。この「ミカン科」の果実は扁球形で直径2~3cmで果皮は黄色く熟するが、酸味が強く生食には適さないといわれている。
私は最初にこの花に出会った時に、低い背丈で敷き詰められたように咲いているので、上から見たのだが、ある「紋所」と「その名」をイメージしたのだ。それは古典などに出てくる花であり、高貴な「家紋」でもあった。だが、私のこのイメージは、この花名の由来とはまったく関係がなかった。
ところで、この草花の名前の由来は、花や葉とは無縁である。「発見された地名」と「果実の形状と色が似ているミカン科の植物名」という二部構成で成り立っている。「ミカン科」のものを「ミズキ科」の植物に付けてしまうのだから、本当におかしな話しだし、いい加減と言えばいい加減な話しだ。
まず、地名だが「加賀白山の最高峰」の名前が当てられている。次に果実が「ヤブコウジ」などミカン科のものに似ているということで付けられている。
「ヤブコウジ」は古名で「ヤマタチバナ(山橘)」という。さて、この草花の名前は何であろうか。
もう一種は、ユリ科の多年草で、高山植物の図鑑にも載っているが、北海道から九州まで、低山帯の林地から亜高山帯の針葉樹林の中まで、広範な場所でごく普通に生えている。決して「高山に行かなければ会えない花」ではない。しかも、花が小さく地味だから、興味のない人には見えないかも知れない。
この赤倉登山道でも、ずっと低い石仏1番辺りから生えていて花も終わったり、まだ咲いていたりと生息範囲が垂直分布でも水平分布でも実に広いものだ。それだけ適応力と繁殖力が強いのだろう。
花名にはこの葉の様子と格好のイメージが取り入れられている。この葉の格好が、「ある鳥が羽を広げている」のに似ていることからつけられている。
だから、茎を真っ直ぐに伸ばして、大きな4本の雄しべと1個の雌しべ、それに反り返った4枚の花被片をつけた白くて小さい花のイメージは「花名」には決して結びつかない。しかも、花は総状で1本の茎に20個ほどつけるのだ。よって、花は小さいが「よく目立つ」のである。
「こんなのないよ」と言いたくなるが、「花名」を命名するには、少なくとも和名にあっては「ルール」などない。それでいいのだ。花など植物をはじめ自然は「みんなのもの」だから、それぞれ「自由勝手」に付ければいいのである。
吾こそは「専門家という意味合い」がありありな花名ほど、花は嫌らしくないが、嫌らしいものはない。
これは前述したように全国に分布しているが、地方によって、この「葉の大きさ」が違うというのだ。北海道のものの葉は長さが10cmほどと大きいそうだが、南に行くほど小さくなり、「屋久島のもの」は1cmに満たないといわれている。
このように、花も葉も美しいのだが、果実もまた美しい。この果実は最初は「まだら模様」を見せているが、季節が秋へと進むにつれて、赤く熟して美しく、可愛らしくなる。
花の小ささとはうって変わって、径が6mmほどと果実は大きめなので、特にきれいでよく目立つのだ。これを「ルビー」に譬える人もいるが、当を得て妙と言うしかない。
秋が深まっても、枯れた茎の上に、この赤い宝石、「ルビー」は残り、「漿果」のような透明な紅い輝きを見せるのである。それは過ぎ行く秋の「はかなさ」や生命の最後の輝きを体現しているかのように見えるのだ。しかも、雪が積もり出した頃、その雪上に輝く「ルビーの残照」は帰り来る春の息吹を迎えるための灯火のように見えるのである。
この草花の名前には、このように可愛らしく美しい白い小花も、その果実もまったく関係がないのだ。ただ、葉の開き具合や付き方が、ある「鳥の舞う姿」に似ているとか、それを連想させるということで付けられたのだ。
だが、私には、どうしても「ある鳥」が舞をしているように見えない。さて、この草は何だろう。