岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

「今年の大沢の雪渓」/ 25日放映NHK「赤倉登山道」への感想など(その3)

2009-06-30 05:27:47 | Weblog
 (今日の写真は1999年4月に大沢上部で発生した底雪崩の残骸である。この年の「底雪崩(全層雪崩)」はこれまで類を見ないほどに「大規模」なもので、その破壊力とエネルギーの大きさは並のものではなかった。これはその年の6月中旬に撮影したものだ。昨年も底雪崩は発生した。
 しかし、今年は「少雪」の所為で「底雪崩」の発生はなかった。「少雪」と書いたが、今年は雪崩発生の起点となる場所、つまり、亀裂が入って崩落する場所が少雪だったということであって、大沢の雪渓はいまだに、写真のような汚い「デブリ」のないまま、美しく、厚く長く急峻で、厳然として存在している。)

         ◇◇「今年の大沢の雪渓」◇◇

 27日にNHK弘前文化センター講座「岩木山の花をたずねて」の受講者Iさんたちと百沢登山道を登った。そして、赤倉登山道を下山した。
 色々なことがあった。色々な人と出会った。多くの花々にも会うことが出来た。時系列で、順を追って書くことが順当な書き方なのだろうが、それを抑えようとする力が私を捉えている。最も書きたいことが決まっているのに、時系列でいくといつ、その書きたいことが登場するのか分からないからだ。
 そのような逡巡も、簡単に表現してしまうと「何から書けばいいのか迷っている」ということになる。だが、「迷い」は捨てた。
 登り始めて2時間を過ぎた場所である「大沢」のこと、「大沢の雪渓」のことから、いきなり、書き出すことにする。

 「山」とは不思議なところだ。同じ場所、同じ時季でも毎年違う。特に「雪渓」はそうだ。
 昨年は4月に中央火口丘外輪南面で「底雪崩」が発生した。それが錫杖清水の下部から大沢に流れ込んで、沢の途中に何カ所も大きな「デブリ」を造り、それを避けながら登らなければいけなかった。何故ならば、雪解けに合わせて、それら「デブリ」はいつ流下し始めるか分からず、巻き込まれたら大怪我か最悪の場合は「圧死」に至るからである。
 また、流れ込んだ部分は「根曲がり竹の藪」が剥離して、そこがあたかも、「登山ルート」のように見えるところから、霧に巻かれた多くの登山者が「そこ」を辿って、藪こぎの果て、火口丘外輪の岩壁の阻まれて、「登頂」断念に追い込まれていた。
 この人たちに共通することは「地図も磁石」も持っていないことであり、「持っていても使えない」ことである。
 「デブリ」はあったが「昨年」は積雪量は少なかった。今季は積雪量が昨年よりさらに少なかったし、さらに「暖かい冬」だった。底雪崩を発生させる場所には「積雪」が少なく、亀裂が入ってそこから崩落していくという物理的なメカニズムが生じない前の消えてしまった。だから、「底雪崩」の発生はなかったのである。
 ところが、今季の大沢にはまだ大量の積雪があり、それが長大な雪渓を造っている。幅には沢の広狭のそった違いはあるが、雪渓は長い。
 「大沢」に入り直登して、次に右折して、さらに直登、右岸に沿って滝を巻く。その上部から雪渓は始まっている。そして、「坊主ころばし」と呼ばれている急登付近では、厚さと固さを増して、延々と「種蒔苗代」の直ぐ下まで続いているのだ。
 もちろん、「錫杖清水」は雪渓の下に埋まっていて「美味しい水」を飲むことは出来ない。

 暖冬であり、少雪だったのにどうして、今季はこのように「完全な形」で雪渓が残っているのだろう。雪が解けずに残っている現象は、何も岩木山だけではなさそうである。

 6月29日の朝日新聞電子版には「富士山への道、残雪との闘い / 登山規制の恐れも」という見出しで次のような写真付きの記事があった。
 写真は「富士山(山梨県側)の登山道、本8合目付近で雪かきをする人たち」であった。
 …富士山が例年にない残雪に覆われている。7月1日の山開きを控え、山小屋の従業員ら約100人が28日も、登山道の雪かき作業に追われた。
 作業は22日から始まり、山頂まで終わった。標高約3400メートルの本8合目付近でさえ、多いところで約2メートルの積雪があり難航した。「登山道以外、山頂は同じくらいの残雪がある」と山小屋関係者。
 登山道を管理する山梨県は29日に現地調査の予定。場合によっては、登山規制の可能性もある。…
 ところで、昨晩の民放ニュースでは「富士山登山は8合目より上はアイスバーンで一般登山者は登ることが出来ないので、8合目までしか登ることが出来ない」と規制したというのテロップを流していた。(明日に続く)

  ◇◇ 25日放映NHK「赤倉登山道」を見た人の感想など(その3)◇◇

 今日、紹介するものは「感想」というよりも「質問や意見」である。Mさんは森林の生態に詳しい方であり、ブナの生態を研究しておられる方でもある。私のようなど素人の軽口や思い込み的な見解に対して「これは少し変だな」と思われたところもあるのだろう。
 このMさんの質問や意見には、私個人というよりも「岩木山を考える会」として、回答や意見を別な機会にしたいと考えている。
 だから、今日はMさんの「メール」をちょっとだけ字句に訂正を加えた形(ただし、文意は変更していない)で紹介するに留めたい。このような視点で、今回の放映を視聴された方は少ないだろうし、また、非常に少ない例ではないかと思う。それ故に「感謝」の気持ちは大きい。

 …あっぷるワイド「岩木山赤倉登山道を登る」を見ました。米山カメラマンとは、昨年の紅葉に続いて二回目ですね。興味深く拝見いたしました。
 種々の解説の中で、「ブナ」更新については、「実生・萌芽」の二種類をあげておられ注目いたしました。70年?前の伐採とあり、戦後の拡大造林の伐採より早くこの点でも興味深く感じましたが、伯母石下部のブナ林も代々伐採を繰り返された林分ではないかと想像したのですが実際はどうなのでしょう。
 ブナは本来ミズナラ等に較べると萌芽力が弱く、小径木を除いては萌芽は期待できないとされてきましたが、案内の地区ではどの様な伐採が行われ二次林再生として萌芽更新がなされたのでしょうか。
 「岩木山を考える会」としていろいろ調査されての結果と思いますがご教示頂ければ幸甚です。…(M)(明日に続く)