岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

秋のヤブ山と雑木林(12) / スズメバチに「襲われる」ということ

2008-10-31 05:45:49 | Weblog
(今日の写真はシソ科メハジキ属の越年性の一年草「メハジキ(目弾き)」である。本州、九州、四国の日当たりのよい野原や原野、道端、河原などに自生する。

 26日の観察会で「発見」した。「発見」したが、「新発見」つまり、「初めての出会い」ではない。すでに出会い、写真にも撮ってある。この写真はその時のものだ。
 だが、8月に出版した拙著「カラーガイド 岩木山・花の山旅」には収録されていない。それはページ数を増やせないということと「撮影した場所」が何処だったのか私の記憶になかったことに因る。そのようなことを含めて「今日の写真」として紹介したい。
 10月26日に出会ったものの花はすでに散っていた。10月26日というと「花期」は既に終わっていて当然なのである。
 花は7~9月ころ、茎頂部の葉のわきに数個ずつつく。萼は筒状で長さ6~7mmで、先は5つに浅く裂けて、裂片の先は刺のようになっている。花冠は唇形で色は淡紅色なのだ。花全体としては「紅紫色」といってもいい。 
 葉は根出葉(こんしゅつよう)と茎生葉(けいせいよう)の形が大きく異なる。秋の芽生え時に出る葉には長い柄があり、丸く深い鋸歯がある。切れ込みは次第に深くなり、掌状葉となる。
 茎葉は実に変化に富むのだ。細長いのだが、下部では3つに分かれ、中部では3つに深く裂けた葉となり、茎の先端部では1枚の鋸歯のある葉となる。
 葉の裏面には白色の短毛があり、灰白色である。しかも、茎が発達すると根出葉は枯れてなくなる。
 その日は講師として、阿部会長の他に幹事のTさんも参加していた。私を加えた3人で鳩首会談(?)して「これは何か」を同定した時も、決め手はこの「葉」であり、「葉の付き方」であった。
 花名の由来は「子供がこの茎を瞼に貼って目を開かせて遊んだこと」つまり、「目弾き(目をパチパチやる)」によるとされているが、茎には弾くほどの弾力はない。しかし、「茎を短く切って瞼にはめ、目を開かせて遊ぶこと」は危険なことである。
 この草の横葉は水平に飛び出しているので、子供たちがその傍を通った場合、前の子のすぐ後に続くとその横葉が目を弾くことが多いのだろう。そのことからの命名が事実に即しているように思われる。この系統から、別にメッパリ、ツッパリ、メッパジキなどとも呼ばれるのであろう。
 また、正式な(?)別名を生薬では益母草(ヤクモソウ)と言う。これは、「母体に益(役)立つ草」という意味だ。全草を乾かし、打撲症や腹痛、月経不順、産後の出血などに煎(せん)じて用いられたことからによる。
「本草綱目(ほんぞうこうもく)」には「産前産後の諸病を治すには、茎、葉を併用するとよい」、また「久しく服すれば子をもうけしめる」とあるそうだ。子宝の薬草として用いられていたのだ。

 日本では、一般的によく知られ、親しまれている「花」のようで、俳句にも吟じられている。

 ・めはじきの瞼ふさげば母がある(長谷川かな女)
 メハジキの咲いているところで遊んでいた。その横葉で目を衝かないように瞼を塞いで…そして開けてみたら母が…。子供のころの懐かしい思い出と、母の優しさを詠んだものだろうか。

 ・めはじきや夕日の色の薄瞼(森川和江)
 夕日色に輝いている瞼を想わせるようなメハジキの花であるなあ。淡い色彩感と長閑さが詠み込まれている秀句ではないか。

■ スズメバチに「襲われる」ということから何を学ぶべきなのだろう ■

(承前)

 子供たちは自然の中で生きている生物をそのままの姿でとらえてほしいと思う。自分を含めて互いを独立した生き物同士なのだと見てほしいのである。子供だからこそ偏見のない感じ方が出来るのである。
 先生方も父母も、「危険なことはもう懲りごりだ」などと言うべきではない。危険を避けることにのみ重点が置かれるあまり、自然いっぱいの野外での活動を縮小するようであってはいけない。

 多様性に満ちた自然、絡み合った数々の生命を育てる自然、無駄でごみとなるようなものがなに一つない自然、必ず何かの役割を担って生きているものたちがいる自然界を学ぶところが野外である。
 見せる、聞かせる、歩かせる、探させる、触れさせる、捕まえさせるが具体的な項目になるだろう。
 ところが遠足も最近はすっかり歩かなくなった。バスに乗って出かけ、またバスで帰って来る。自然の中にいる時間がバスに乗っている時間の数分の一ということもある。これでは具体的な体験はないに等しい。
 「スズメバチ」たちが刺したことは「スズメバチ」の自己主張の現われである。しかも、彼等からすれば、当然のことを主張したに過ぎない。
 自己主張は主体性の体現である。これは教育活動の中で、重要な行動と精神のあり方として位置づけられるものである。悪いことではない。
 さらに、「スズメバチ」たちの自己主張を他の生き物と共存するための基本的な認識として教育に生かすようにするべきでもある。
 神の摂理という時、神は絶対で特別なものになるが、自然の摂理にあっては、人だけが特別な生き物であるわけではない。
 「共存」という世界的な課題を戴く21世紀にあって、ただ危険なことだという理由で「自然の中での体験的・観察的な行事を避けさせる」ような指導を、教育の行政サイドや父母たちはしていないだろうか。(明日に続く。)

秋のヤブ山と雑木林(11) / 自然観察会で出会ったキイロスズメバチの話し

2008-10-30 05:42:58 | Weblog
(今日の写真はキイロスズメバチの仲間のスズメバチ科スズメバチ属の「クロスズメバチ(黒雀蜂)」だ。
 オオスズメバチ、コガタスズメバチ、キイロスズメバチに比べると小さくて可愛い。大きさは2cmを越えることはないだろう。一昨日登場したコガタスズメバチは「小型」とは言うが、この「クロスズメバチ」よりは遙かに大きいのだ。クロスズメバチは主に土の中に巣を造り、昆虫の幼虫や蜘蛛などを補食する。日本全国に生息している。)

 私は蜂の仲間ではこの「クロスズメバチ」が大好きである。黒い体色に白い帯模様が何とも言えない魅力だ。それに小さいというのもいい。
 温和しいという性向はミツバチと似ているが、ミツバチに比べると何ともその姿がスマートなのである。
 よく、登山道脇の低い法面の草付き部分に巣を造っていることがあり、花の撮影で不用意に近づくこともあるが、まだ威嚇されたり、襲われたことは一度もない。
 かなりの回数で出会っているのだが、その写真は1枚もなかった。そういう訳で、今日の写真はWeb「昆虫エクスプローラ」http://www.insects.jp/ からの借用である。

    ●● 自然観察会で出会ったキイロスズメバチの女王蜂 ●●
(承前)

 雨の少ない暑い夏、雨の少ない暖かい秋にはスズメバチは大量発生するそうだ。今年はそれに当ってはいないだろうか。スズメバチの「巣や生活」に触れたが、その危険とそれからの退避法についてまだ、触れていなかったのでそのことについて書いてみよう。

 まずは、危険な「ハチ」もいるし、攻撃性の弱い「益虫」もいるから識別することが肝要である。特に、攻撃的で毒性が強いのはスズメバチのメスだ。アシナガバチ(体長2cm程度)のメスはこちらが「巣」を攻撃したりしない限り、普通は攻撃してこない。
 不用意に巣に近づくと「偵察バチ」が顔前でホバリングし、アゴをかみ合わせて「キチッ、キチッ」と音を出しながら威嚇(いかく)してくる。
 この時、1匹が攻撃を始めると集団で襲ってくるのだ。それは、1匹のハチが攻撃を始めると、「警戒フェロモン」が発生し、周りにいる他の「キイロスズメバチ」も攻撃に参加し始めるということである。
 また、「キイロスズメバチ」は、一度針を刺しても針が抜け落ちることがない。だから、生きている限り何度でも攻撃してくるのだ。「キイロスズメバチ」の「カチカチ・キチッ、キチッ音」は威嚇警報である。「カチカチ・キチッ、キチッ音」は、私たちが「その場から逃げ出すサイン」である。
 スズメバチの針は産卵管が変化したものだから、刺すのは「メス(女王蜂と働き蜂)」だけなのだが、何と、最も多い「働きバチ」は皆「メス」なのである。
 だから、「大多数のハチは刺すものだ」と理解すべきである。オスは刺さないし、数も少ない。
 8月から9月にかけてが、岩木山では蜂が攻撃的になる危険期間である。蜂の巣に近づかないことだ。巣から10m以内には近づかないほうが無難である。5m以内は特に危険だ。
 この時季が巣の拡張期で、ハチは巣を守るため外敵に攻撃を加え、「警戒」→「威嚇」(カチカチ・キチッ、キチッ音)→「興奮」→「攻撃」という手順を踏むのだ。
 スズメバチの毒は、毒蛇「マムシ」の毒より遙かに強いとされている。スズメバチとアシナガバチの巣は一般的には一年限りで放棄されるので10月の後半にはいなくなる。

 ところで、私たちは「襲われる」危険にどのように対処するべきなのだろう。次に掲げてみよう。

1.(黒いものに強く反応するので)白い帽子、白い衣服を着る。襲われたら黒い衣服や黒髪を白いハンカチ、手ぬぐい、タオルなどで覆う。
2.整髪料、香水を付けない。香水やジュースなどの飲み物の「香り」に寄ってくるので狙い撃ちされる。
3.蜂の巣に近づかない。巣や巣のある枝や木を揺すらない。
4.蜂に遭遇したら、後ろにゆっくり下がりながら逃げる。
5.蜂が近づいても手で払ったりしない。姿勢を低くして静かに離れる。頭の黒髪や目を手のひらで覆う。
 大声を出したり手で払うと、蜂が興奮して仲間を呼び寄せる。蜂の眼は地表近くの低い位置は見えないので、姿勢を低くすると蜂の視界から逃がれることが出来る。

   ■ スズメバチに「襲われる」ということから何を学ぶべきなのだろう ■
(承前)

 この地球に人が生きているのが「許される」ならば、他のすべての動物がここに生きていることも「許される」ことだろう。明快なことだ。
 子供にはこれがよく解るのだ。そして、子供は、「何でもやたらに食べ、どこでも人工的に造りかえてしまう人」という動物がもっとも悪いということも単刀直入に理解出来る者でもある。
 「人」とは他の生命を奪うだけだと考える子供だっているかも知れない。

 確かに、アリマキはテントウムシの餌になり、木の葉を食べる蛾や蝶の幼虫はハチ類の餌になっている。害虫がいないと益虫は死んでしまうのだ。害虫といえども、生命のバランスの中ではその役割を確実に担っている。
「害虫は益虫の餌である。稲を食い荒すウンカを蜘蛛が食べる。1a当たり、蜘蛛は6~7万匹いて、一日に20万匹の虫を食べる。」というデ-タもあるくらいだ。  

 ところで、この「スズメバチに小学生が襲われた」という事件への対処は、実に知恵のない方法と結末で終わった。
 人間の大人とは、この程度のものかと虫たちが笑っているかも知れない。いや本当に悲しくて、失望の笑いをしているのは子供たちかも知れない。
 その意味からも、これは終わったのではなく、私たちに「将来的現実としての課題」を与えてくれたと考えるべきだろう。(明日に続く。)

秋のヤブ山と雑木林(10) / 自然観察会で出会ったキイロスズメバチの女王蜂

2008-10-29 05:34:34 | Weblog
(今日の写真はハチ目スズメバチ科スズメバチ属の「キイロスズメバチ(黄色雀蜂)」の「新しい」女王蜂だ。先日26日に実施したNHK弘前文化センター講座「津軽富士・岩木山」の野外観察時に阿部会長が朽ち木で発見したものを、写したのだ。
 当日は11時頃から雨となった。それまでは曇り空だった。気温も低く、7℃程度だと思われる。
 その所為だろう。動くのだがとても緩慢で、出て来る気配は全くなかった。阿部会長が朽ち木で樹皮の剥がれたものに近寄り、目敏く見つけたものだ。
 この「女王蜂」が潜り込んだ時は「樹皮」はあったのだろうが、前日かその日の朝辺りに偶然、はげ落ちたものだろう。)

     ●● 自然観察会で出会ったキイロスズメバチの女王蜂 ●●

 9月に入ると、「キイロスズメバチ」の巣は「巨大化」して「働き蜂」も一つの巣で500匹を越える数になる。この頃が一番「私たち」にとっては危険な時期なのだ。
 新聞やテレビで、幼稚園や小学生の児童たちが「スズメバチに襲われた」と報道されるのは、ほとんどこの「キイロスズメバチ」のことだ。
 9月頃が「キイロスズメバチ」はもっとも沢山の幼虫を育てている時期なのである。それを知って同属でもっとも体の大きい「オオスズメバチ」がキイロスズメバチの「巣」を襲うのだ。
 このため「キイロスズメバチ」は「周囲の刺激に対して過敏な反応」をするようになるらしいのである。
 9月は「キノコ採り」のシーズンであり、紅葉などの行楽のシーズンである。山に入ることが多くなり、園児や小学生、中学生たちにとっては「遠足」のシーズンでもある。
 そういう機会に、「不用意」に「巣」に近づくことがあるのだ。そして、「キイロスズメバチ」の巣に近づいただけで攻撃を受けてしまうのである。

 今日の写真は新しい「女王蜂」だ。「女王蜂」は普通10月中旬頃までに死亡してしまうのだ。もちろんこれは「古い女王蜂」であり、その巣に君臨していた女王である。この「女王蜂」の下にオスバチ、働きバチ、「新女王蜂」が総計で500匹以上が暮らしているのだ。

 秋の気配が漂う頃、次の年の「王国」を築く「新女王蜂」は雄と交尾して、それから朽ち木などにもぐって、長い「越冬」する。
 しかし、交尾を終えた「雄」は寒さの厳しくなってくるころに、自分の生命を終えて死んでしまう。働きバチも同じである。
 秋の紅葉が次第に濃くなってくる林縁や登山道で、横たわり蠢いていたり、完全に死んでいる「キイロスズメバチ」をよく見かけることがある。あれである。
 やがて、越冬から目覚めた「キイロスズメバチの女王蜂」は、5月になると「椎茸のほだ木」や朽ち木から集めた材を練り合わせて、壷型で「縦型の巣」を造る。そして、卵を産み、卵からかえった幼虫に、羽化した蝉、蝿、他の蜂などの「昆虫」を捕えて、よく噛み砕いて、与えながら幼虫を育てるのだ。
 だが、その幼虫から「働きバチ」が産まれてくると、育児や巣造りはその「働きバチ」に任せてしまう。そして、「女王蜂」は、ひたすら産卵するのだ。

   ■ スズメバチに「襲われる」ということは何を語っているのだろう ■
(承前)
 十和田市の史跡、「稲生川幻の穴堰」へ続く山道で「スズメバチに襲われた」というニュ-ス報道で、テレビ画面に映し出されていたものは、半ば壊された巣であり、殺虫剤を噴霧され断末魔にあえぎながら、蠢いている無数のスズメバチであった。
 子供たちの目にはどう映っていたのだろう。こちら側に誘発させる最初の行動があったにせよ、人を襲うことは悪であり襲わなければ善という二者択一的な基準で見ていなければいいなあ、とひそかに願わずにはいられなかった。 
 それにしても、大人にとっては、いったん攻撃されたら、どんな理由があれ、相手は敵であるらしい。そして敵ならば抹殺するか、敵の勢力範囲外に逃げ去るか、どちらかを選ぶようだ。
 今回は大人がスズメバチを敵として、抹殺する方を採った。子供たちから「なぜ殺してしまったの」と問われたら、自分の側に主観的な「人が襲われることは危険だ。それを避けるためだ」と答えるつもりだろうか。
 ここに私たち大人の、子供たちに対する課題があるような気がするのである。
子供とは単純なものだ。さらに大人のように人間社会の仕組みや通念に馴れていない。だからこそ、「自然を丸ごと受け止めること」が出来るのだ。
 山野を舞台とした生命のバランスはゼロに近いものであると言われている。自然の摂理の中で、人を含めたすべての生物は、人も鳥も虫もカエルも獣も、対等な立場で生きている。その意味から、自然界には価値の序列はないのだとも言える。
 そして、その対等であり価値の序列のない場所が、わたしたちの住む自然界としての地球だろう。それなのに、人間に役立つところだけを、つまり、「人間にとって価値のあるところだけを取ろうとする」のが、人間の大人の論理なのだ。

 地球上には現在150万種を越える動物がいるという。そして、その75%以上が虫だそうである。
 そして、地球上のあらゆるところに、虫のどれかが生活している。これだけ各地域に生活する場所を見つけている動物は、虫以外では人だけだそうだ。だから人と虫がぶつかる確率は高いのだという。
 人は道具を発明して、その利用によって発展した。ところが虫はなんの道具も使わないで、生まれつきの能力に従い成功した。そして自分のほうから自然の環境にみあう能力をつけてきた。
 そのずっと後を追っかけて登場した「人」が道具(科学)に頼り、生活の場所を広げてきた。当然、虫の生活とぶつかるのである。
 このぶつかりあいが、いい虫だ、悪い虫だと判定されてきた所以である。虫たちにとっては、特に農薬が多量に散布されるようになった近・現代には、受難の時が続いている。
 だが、それでも虫はめげない。たいがいの虫たちは、自然のやり方で自分の立場を主張する。駆除されたスズメバチも自分の立場を主張したのである。
 人間にとって都合がよければミツバチやマメコバチのように「良虫」とされ、都合が悪ければ「穴堰」のスズメバチのように害虫とされる。そして「住みかを奪ったうえに皆殺し」にしたのだ。           

秋のヤブ山(9) / 自然観察会で出会ったコガタスズメバチの巣

2008-10-28 05:36:40 | Weblog
(今日の写真はハチ目スズメバチ科スズメバチ属の「コガタスズメバチ(小型雀蜂)」の巣だ。ヤブ山を潜って歩いているとよくこのような「危険物」に出会う。山菜探しで足下だけに目を奪われていると、大変なことになる。時には「命を奪われる」こともあるのだ。)

   ●● 自然観察会:「この実の花は…どんな花」(8)●●
(承前)
 今朝は「実」でないが、「実探し」をしていて出会ったスズメバチの巣について語ろう。
 スズメバチは、ハチの中でも比較的大型の種が多く、性格は概ね獰猛。1匹の女王蜂を中心とした大きな社会を形成し、その防衛のために大型動物をも襲撃する。4属67種が知られ、日本にはスズメバチ属、クロスズメバチ属、ホオナガスズメバチ属の3属16種が生息するとされている。
 このスズメバチ科の「蜂」は、日本で最も危険な野生動物であり、熊や毒蛇の咬害よりも、スズメバチによる刺害の死亡例の方が遥かに多いのだそうだ。
 葉が茂っている時季だと、それに覆われてよく見えないし、また秋になり葉が色づいてくると、その葉の色に紛れて気をつけて見ないと見えない。上手く「保護色」になっているのだろうか。
 「スズメバチの巣」は何段にもなった巣盤とボール状の外皮によって構成されている。外皮は、朽ち木の木質部や生きた樹木の樹皮をかじり取ったものを、だ液と混ぜて作られている。
 「働きバチ」が羽化するとあちこちから巣材を集めてくるので、材料の違いから外皮の表面には貝殻状の模様が出来るのだ。巣の形や外皮の模様は、ハチの種類によって特徴があり、ハチの種類を判別するのに役に立つ。
 「コガタスズメバチ」と「キイロスズメバチ」の巣は、今日の写真のように、外皮に覆われたボール状であり、巣が大きくなると縦に長くなる。
 外皮の模様は、どちらも貝殻状だが、キイロスズメバチの方が淡い色彩をしているといわれている。巣の側面に開いた丸い穴が出入り口だ。
 働きバチは巣の内側から外皮を削り取って細かく噛み砕いて巣盤や支柱の材料に利用するので巣は丸いままで次第に大きくなっていくのだ。
 今日の写真の巣の大きさは直径が15cmほどだ。まあ、可愛らしいものだが、同じ属の「キイロスズメバチ」の巣はもっと大きい。時にはこの巣の数倍にもなる。
 生息場所も「コガタスズメバチ」と同じで山間地でよく見られる。崖の窪みや大木の枝など、雨風の当たらない場所にこの写真と似た「ウロコ模様」のある巨大な巣を作る。
 一昨年、岩木山百沢登山道標高600m付近にある古い「山火事監視塔」の屋根裏に大きな巣を構えたのが、このハチである。防衛本能が強く攻撃的なハチと言われている。巣が大きい分、働きバチの数も多いので「怒らせる」と怖いハチである。
 秋になると生活行動が特別活発になり、「気性」も激しくなるようだ。秋咲きの花などにも来るが、花の蜜をなめている他のスズメバチとは違って、ハナアブなどの昆虫を襲うのである。
 この「山火事監視塔」の屋根裏の巣は「行政」が「登山者の安全」を配慮して「業者」に依頼して「撤去」した。
 ただ、「巣があること」を報告した私は、「撤去」は考えていなかった。「巣があることを登山者等に明らかにして、巣に近づかない・注意することなど、人間が守ることを喚起すればいい」と考えていたのだ。
 時季は9月であった。確かにその気性から「攻撃性」が強くなっている。しかし、10月に入ると「活動」は終息する。詳しいことは分からないが、この「巣」に籠もって越冬することはないのだそうだ。そのような実態を考えると「撤去・駆除」という「皆殺し」は避けてもよかったと思うのだ。

 山登りをする者にとって、「スズメバチ」は厄介な存在になることがある。でも、それはかれら流の「生き方・やり方」によることなのだから、どうしようもないことなのである。
 かなり前になるが、岩木山の柴柄沢に取りつく道筋に、キイロスズメバチが大きな巣を作った。そのため、そのシーズン、私はその道を通ることを断念しなければならなかった。
 スズメバチは「昆虫とその幼虫や樹液」を好んで食べるのだそうだ。時にはミツバチの巣を襲って幼虫や蜜を奪うこともある。
 怒らせると人畜や獣さえも攻撃するという。毎年のようにスズメバチに刺されたという「事件」が報道されているのは、人がかれらを怒らせることをやめないからであろう。
 私は登山道の近くにスズメバチが巣作りをしている時は、気の荒くなる秋の初めから中秋にかけての時期を避けて、そこを通らないことにしている。
 もし、どうしても通らなければいけない時は、ハチの体温が上がらない、たとえば早朝など時間を考えて、しかも静かに腫れ物にさわるかのように行動する。昆虫類は日光を浴びて、体温が上昇しないと行動が鈍いからその時間を狙うのである。
 どうしてもそのような時間帯でない時にそこを通る場合は、やぶこぎなどをしてでも、離れた別ルートを採る。
 スズメバチが秋には「巣」を放棄するという実態を知らなかったが故にまったく「バカ」なことをしたこともある。それは、秋遅くか、冬に巣を道ぞいから離れたところに移し変えたりしたことだ。「無知」とは徒労を強いるものだ。

 さて、古い話しになるが1997年9月5日、校外学習のため十和田市の史跡、「稲生川幻の穴堰」へ続く山道を歩いていた根城小学校の4年生ら14名が、スズメバチに「襲われる」という事件があった。
「襲われた」以上みな被害者であろうが、蜂に刺された根城小学校の児童の中に「蜂が怒って刺した」のだとする者はきっといたであろう。
 刺されていない児童の中にも、もちろん、いたと思われる。こういうふうな「蜂を怒らせた」加害者としての認識は、蜂の立場を理解しなければ絶対に出てこないはずのものである。
 つまり被害者であるのに、相手に主観的な見方ができるのは、多様性に満ちた自然を丸ごと受け止めているからであり、純粋に子供であるということを意味している。それは蜂の世界のあり方を、蜂の論理を認めていることでもある。「蜂が怒って、侵入者を刺した」とする結論は、蜂の論理からは当然であり、偏見のない感じ方からしても当然のことであろう。
 私が登山道沿いのスズメバチの巣に出くわした時に抱く、「厄介だがどうしようもない」という思いは、基本的にはこの感じ方と同質であると言える。(明日に続く。)

秋のヤブ山(8) / 自然観察会「この実の花は…どんな花」(7)

2008-10-27 05:52:49 | Weblog
(今日の写真はカバノキ科ハシバミ属の落葉低木「ツノハシバミ(角榛)」の実「堅果」である。)

 「ツノハシバミ」は北海道、本州、四国、九州に分布している。夏緑広葉樹林やアカマツ林などの「明るい二次林の林床や林縁」や通称「ヤブ山」の日当たりのいい場所に生育している。観察場所の数ヶ所でこれらの「堅果」と出会っている。
 葉は互生し、縁は細かい鋸歯があり、基部は円形から浅い心形となっている。
上部は急に狭まって鋭くなるが、その傾向には幅があり、変異が大きいとされている。たまに、葉の中央部に紫色の斑が出来ることもある。
 雌花は4月、残雪がところどころにある時季に、葉が出る前に開く。雌花序は、鱗片の間から「濃い紅色の柱頭」だけが出ていて鮮やかだが可憐である。
 それとは対照的なのが雄花や雄花序であり、まったく地味な褐色をしている。しかも、雄花序は葉腋に数個が集まり「前年の秋」には3~5cmと大きくなっており、そのままで冬を越して、春に長く伸びて13~15cmほどになり、垂れ下がる。
 果実は10月に熟し、1個のものもあれば4個以上がが集まってついている場合もある。
 「くちばし状」に長く伸びた特徴ある形であり、これが名前の由来にもなっている。殻には全体に刺毛が密生しているので、素手で採取すると「チカチカ」と刺さる痛みを覚えるが大したことはない。私が子供の頃は「幼児」ですら、その殻を素手でむき取り、中の堅果を割って実を食べたのである。

 少年の頃、食べた記憶にはもう一種の「ハシバミ」がある。これはカバノキ科ハシバミ属の落葉低木「榛」である。残念ながら「岩木山」ではまだ出会っていない。決して「自生」していないわけではないのだ。ただ単純に「出会う」機会がないだけだろう。
 私は小学校の高学年や中学生の頃に、よく「野遊び」に出かけたものだ。その行き先は久渡寺山の北東麓や旧陸軍が使用していた「水源地」周辺のヤブ山だった。そこには、高さが2~3mほどで、ほぼ円形で先端が急にとがって、紫色の斑(ふ)が入った葉をつけた雌雄同株の「ハシバミ」が沢山自生していたのである。
 春になると小花が穂状につき、雄花は黄褐色、雌花は紅色だった。秋が待ち遠しかった。そして、秋になると勇んで出かけたものである。お目当ては「ハシバミ」の実である。ツノハシバミと同じように堅い果実であった。だが、ハシバミの堅果は「葉のような総苞(そうほう)」で下部が包まれていた。そして3cmほどと大きく、形も扁平であり、円錐形の小さな栗を思わせるようなツノハシバミの実とは違っていた。
 とにかく食べると美味しかった。この美味しさは今でも、記憶の底に残っていて、いつでも思い出すことが出来るのだ。
 じつは、何ということはない。ハシバミは、ヘーゼルナッツの近縁で堅果は食用となるのだ。同属の「セイヨウハシバミ」の実を、今では「ヘーゼル・ナッツ」と呼んでいるが、この「味」なのである。
 ある本には『ハシバミは、へーゼルナッツの和名であり、お菓子の材料には欠かせない栄養豊富な木の実』とある。
 生のまま食べても美味しいし、煎って食べても美味しい。だが、特に煎って食べると香ばしさが際だつのだ。まさに、「最高のナッツ」となり、アイスクリームの香として使われたり、パンやクッキーに入れられたりもする。
 
 別名を「オオハシバミ」または、葉が「オヒョウ」に似ていることから「オヒョウハシバミ」という。北海道から本州、九州に分布している。「オヒョウ」はニレ科ニレ属の落葉高木で、日本列島から東北アジアの山地に分布する。北海道に多いと言われている。

 西洋では、「ヘーゼルナッツ」というと童話や物語に出てくる懐かしい素材だ。また、20世紀になるまで「ハシバミ」は愛と豊穣のシンボルであったそうだ。イギリスでは「ハシバミ」の実を使った恋占いが知られているという。
 ヨーロッパでは「ハシバミ」の枝は「占い棒に適している」と考えられてきたそうだ。この棒は水脈や鉱脈を探したり、泥棒や殺人犯、逃げた家畜、旅人が道に迷った時に道を探すことなどに使われたのである。そして、「ハシバミ」は「魔法の杖」として昇華したのである。
 ギリシャ神話ではヘルメスがアポロから授かった「ハシバミの杖」で人々の心や体の病を癒やしたのである。医学の象徴が「ハシバミの魔法の杖と2匹の蛇」からなっているのはそのことに因るのである。
 なお、グリム童話の「灰かぶり」では、この「ハシバミの若枝」が不幸な末娘の運命を変える。しかし、このグリム童話の「灰かぶり」は「シンデレラ姫」の原型とされているが、誰でも知っているペローの「シンデレラ」とはその結末がまったく違がう。ペロー版は知っての通りハッピーエンドだが、「灰かぶり」では、二人の姉は失明してしまう。シンデレラは邪眼を持つ魔女として描かれているのである。
 話しが「西洋」に偏重したので日本のものをちょっとだけ。小林一茶の俳句に 「はんの木のそれでも花のつもり哉」というのがある。ここでいう「はんの木」とは「榛の木」つまり、ハシバミのことだ。
 
 さて、その昔、私が少年の頃にあれほどあった「ハシバミ」がどうしてなくなってしまったのだろう。その理由は簡単だ。それは「ハシバミ」の木がなくなったことだ。ハシバミの生えていた場所があるものに「奪われ」てしまったからである。
 「奪った」ものは「リンゴ」である。かつてのヤブ山や里山は、すっかり「リンゴ園地」となってしまった。私が少年期に通い続けた里山はすべて「リンゴ園地」となってしまった。

 西洋では「ハシバミ」は愛と豊穣のシンボルであり、医学の象徴として「ハシバミの魔法の杖と2匹の蛇」を形取る。
 「愛と豊穣、医学」を示す「ハシバミ」を伐採し尽くして、リンゴ園に変えてしまうことが、どれほど罰当たりなことなのかと考えた人たちが一人もいなかったとすれば、それはやはり、民度として文化や精神風土的に貧しい地域と言わざるを得ない。
 また、「ハシバミ」の人為的な絶滅は「精神風土」の消滅の一形態でもあろう。最近では、住宅地の拡大による里山の減少も、「ハシバミ」絶滅に拍車をかけている。
 「何を、ほんじねことしゃべってるんだば。こごは津軽だでば。西洋でねね」と言う人もいよう。そんな人には逆らえないから「反論」はしない。

  ●● 自然観察会:「この実の花は…どんな花」(7)●●
(この稿は字数の関係で今日は掲載しない。明日に続く。)

秋のミズナラ林 / 自然観察会「この実の花は…どんな花」(6)

2008-10-26 05:45:10 | Weblog
(今日の写真はブナ科コナラ属の落葉高木「ミズナラ(水楢)」だ。22日に百沢登山道七曲がり近くで撮影したものだ。ミズナラはブナとともに冷温帯を代表する落葉高木だ。成長すると、大きいものは樹高が30mに達するものもあるそうだ。南樺太、南千島から九州の冷温帯に分布し、ブナと混生したり、または純群落を形成する。)

         ● 秋のミズナラ林 ●

 ミズナラはブナよりも低い標高の場所に生育し、やや分布域は広い。ブナは「遅霜」に弱いので、霜の被害が発生しやすい尾根筋、特に朝日が当たる東側はミズナラが優勢となりやすい。この場所もそのような地形条件にあったところだが、何よりも標高が300m足らずなのでブナは生育していない。
 ブナとミズナラを比較してみると、どちらかといえば、立地条件の良い場所をブナが占領し、物理的環境の厳しい場所でミズナラが優勢になる傾向がある。
 若枝には、はじめ淡褐色の毛があるが、後に無毛となる。新葉は5月の初めに出る。芽だしの幼い葉は意外にしっかりしており、勢いがある。開き始めの頃は葉脈の凹凸が目立ち、主脈の表側は白長毛に覆われている。若葉は裏表ともに有毛だが、やがて裏面のみ短毛と絹毛が残る。
 葉の形はコナラと似て区別しにくいものもあるが、ミズナラの方は葉柄がほとんどないこと、きょ歯が荒くて鋭いなどの点で区別できる。
 樹皮は淡い灰褐色で薄く剥がれ、不規則に割れ目が出来るが、コナラのように厚い樹皮は形成しないし、深い割れ目は出来ない。割れ目の面積が狭く、表皮全体にペラペラとした薄い感じがある。
 だが、巨木では割れ目が目立たなくなり、全体的に灰褐色に覆われた印象となる。日常、見慣れたミズナラ特有の樹皮とは異なって見えるので一瞬、「何の木だろう」と迷うことがある。岩木山では南面の滝ノ沢尾根沿いで見られる。

 ミズナラの花は新葉の展開と同時に、5月頃に咲く。雄花序は尾状で新枝から数個垂れ下がり、6~8cmである。雌花は新枝の上部の葉腋にでき、目立たない。この樹木の仲間の雌花はみんな目立たない。
 どんぐり「堅い果実」の殻斗(帽子のように見える部分)の総苞片は、瓦状に圧着しており、灰褐色の微毛を密生させる。「堅果(どんぐり)」は長さが2~3cmで、年内に熟す。クマやリスの餌になるし、リスは冬季の餌として地中に埋めて蓄える習性を持っているので、これが「芽を出す範囲」の拡大に一役を担っている。

 「材木」は良質であり、家具材などとして大切に使われてきた。
戦前は、深山に残っていた巨木が「インチ規格」に製材され、海外に輸出されたこともあるというのだ。
 現在の日本は「木材輸入大国」で、ボルネオやアマゾンの熱帯雨林の伐採に手を貸しているが、「機械工業偏重という経済」がそれほどでもない頃には、日本も木材を輸出して外貨を稼いでいた時代があったのである。日本は基本的に山国、山林の国だ。それを忘れてはいけない。
 ミズナラに似ているものにブナ科コナラ属「コナラ(小楢)」がある。北海道から九州に分布する落葉性の高木で、冷温帯下部から暖温帯にかけて生育する。コナラというが「高木」となる。
 名前の由来は「小さい葉の楢(なら)」ということによる。これと対比させて「ミズナラ」のことを「オオナラ(大楢)」とも言う。
 コナラは伐採されても切り株から「ひこばえ」(萌芽)を形成して再生する。萌芽再生能力が高いために薪炭林の主要樹種となっており、二次林を構成する代表的な樹種である。
 葉は水分調節能力が低く、その代わりに根をよく発達させている。「ドングリ」から芽生えた稚樹は太い根を発達させる。地上部は爪楊枝ほどの太さであるが、地下部は割り箸サイズだという。直径20cmほどの幼樹を引き抜こうとしたが、簡単には引き抜けなかった。これは直根をよく発達させているからであろう。コナラなどは、その根で「土砂崩れなどの防止」に大きく貢献しているのである。

 さて、写真に戻ろう。幹中央部にある丸い「穴」に注目してほしい。これは「枝」が何かの原因で「抜け落ちた」痕である。
 そして、そこは「穴」になるのだ。このような穴を「うろ」という。「うろ」は「空」「洞」「虚」などと漢字表記され、「空っぽ」の状態を指す。この意味を表す「語句」には「うろ覚え」がある。
 このような「うろ」は「ほ乳動物や野鳥」の「住みか」になることが多い。
 おそらく、ほ乳類ではニホンリス、ホンシュウモモンガ、ニッコウムササビなどが棲んでいるかも知れないし、これから棲むことになるかも知れない。
 野鳥ではキツツキ科のアカゲラ、アオゲラ、コゲラ、それにゴジュウカラ科のゴジュウカラなども同じであろう。

   ●● 自然観察会:「この実の花は…どんな花」(6)●●
(承前)

 …質問があった。「オオウバユリは種子だけで増えるのですか」。
 「種子でも増えますが、これはユリの仲間ですから、鱗茎からも増えます。ただし、鱗茎が成長して7、8年後でないと花を咲かせません」

 黒石市のTさんがその枯れたオオウバユリの根元を掘り出したのだ。鱗茎から来春の「芽出し」を探し始めたのだ。なかなか掘り起こしても見つからない。3分後にようやく小さな白い「芽」を発見したのだ。
 その一部始終を見ていた参加者全員が納得である。これぞ、「生きた観察」である。だが、誰もその「食用」になる「鱗茎」を採取しようとは言わなかったのである。
 私たちはその場を離れて進んで、今度は「空中」に視線を移していた。高木「アズキナシ(小豆梨)」の「実」を探し始めたのである。 (明日に続く。)

 …今朝は雨である。今日のNHK講座・野外観察はどうなることやら…せめて9時半ごろから13時までは曇天でいいから雨はあがってほしい。
 ただ、祈るばかりだ。……

秋のヤブ山(7) / 自然観察会「この実の花は…どんな花」(5)

2008-10-25 05:32:59 | Weblog
(今日の写真はミズナラ林下に生えているイチヤクソウ科イチヤクソウ属の多年草「ジンヨウイチヤクソウ(腎葉一薬草):多年生の腐性植物」の葉である。北海道と中部地方以北に自生している常緑の多年草だ。)
 
     ● 秋のヤブ山はカラカラに乾いている ●

 ジンヨウイチヤクソウはこの時季になっても枯れることがなく、このままの「常緑」で「雪の下」で冬を越すのである。すでに枯れ葉の時である。敷き詰められた林床の枯れ葉の上で生き生きとした輝きを放っている葉を見ると何かしら元気になる。
 「時の流れに身を任せない」ということは「異様」であるに違いないが、これが彼女たちの生き方の流儀なのだ。何故、冷たく押しつぶされるほどの「圧雪」の下で「緑の葉」で生き続けるのか。いっそうのこと、枯れ果てて「根」だけで冬を越して春を待つという方法をとった方が楽だろうと思ってしまう。
 しかし、これが、彼女たちが「種や属」を起源とした時からの方法であり、進化なのだ。私たちにはそれに対して「何ら口出し」する権限も思い入れを持つことは出来ない。
 健気にひたむきにその生き方を守っていることに畏敬を持つべきではあるが、他の草や樹木との「違い」を論(あげつら)って揶揄などしてはいけない。「違い」は個性である。
 葉は長さが2~3 cm程度であり、幅は2~4 cmである。先が窪んだ「腎円形」をして、葉脈に沿って白い斑紋がある。
 イチヤクソウは初夏の林床で見られる代表的な花である。その仲間には多種あるが、本種は白い斑紋がある腎臓形の葉が特徴的なので、この写真のように「花が咲いていない時」でも見分けられるのである。この時季の観察会には打って付けの「植物」かも知れない。
 花名の由来も、この葉の形と白く浮き出た葉脈の模様が、ほ乳類の臓器の一つである「腎臓」に似ていることによる。つまり腎臓のような葉を持った「イチヤクソウ」ということだ。
 私はこの「花名の付け方」に違和感を持っている。それはあまりにも「一般的」でないということ、つまり「専門的な知識」によって発案された命名であるということだ。医者か解剖学者が名付けたのであろうか。
 「一薬」とは「この薬草一つですべてに薬効がある」という意味だという。「一薬草」は全草が薬用として用いられるらしい。
 岩木山には、他に仲間として「イチヤクソウ」「コバノイチヤクソウ」「ベニバナイチヤクソウ」が自生している。
 また、花茎や花が赤味を帯びた「マルバノイチヤクソウ」もあるという人もいるが、私はまだ出会ったことがない。
 花についての詳細と画像は、拙著宇「カラーガイド 岩木山・花の山旅」81ページを参照されたい。
 花は花茎の上部に緑白色のものをまばらに2~6個下向きにつける。花の直径は10~12 mmである。雌しべは花から突き出して外側に曲がるという特徴を示す。

 明日はNHK弘前文化センター講座「津軽富士・岩木山」の野外観察の日だ。天気が心配だ。観察会における最高の贈りものは「いい天気」だ。天気に恵まれると、その「内容」が多少稚拙であっても、体裁は整うものだ。 
 昨年の同時期に、このジンヨウイチヤクソウの生えているミズナラ林より低地の標高200m前後のヤブ山で、野外観察を実施している。
 今年はステージを変えたのだ。標高がその場所よりも150mから200m高くなるとどのような変化が「植生」上あるのか、それを「視認するという観察」にしようと考えて、このミズナラ林に至る道とミズナラ林内を観察場所に選定したのである。
 カラカラに乾いている山にとっては、昨日からの雨は「恵み」である。キノコ、とりわけ「ナメコ」などは出てくるかも知れない。
 しかし、明日の10時頃から13時までは「雨天」であってほしくない。 

    ●● 自然観察会:「この実の花は…どんな花」(5)●●

 今回の観察会参加者は「プロ紛い」の人が多い。「ウオッチング青森」に所属して熱心に活動している人が大半である。今回のフィルドが「岩木山」ということで、日常的な活動の対象となっている「フィルド」とは違うので「参加」した人が、弘前の会員以外では殆どであるかもしれない。
 だから、私の解説や案内などはすでに「理解済み」のことが多いのである。そこで、私はすべて「大雑把」に解説することにしたのだ。

 枯れて、天を仰ぐ「オオウバユリ」の登場である。私の質問「これはパンフレットのどの花でしょうか」知らない人は誰もいない。
 今度はその写真を指して「どうして花は横向きなのでしょうか」。しばらく沈黙の後で「花粉を媒介する虫が花中に入りやすくするため」との答えを数人がぽつりぽつりと言う。大方の人は知っている事柄なのである。だから、「遠慮がち」の答え方になるのだろう。
 「それでは、どうして横向きの花が受粉して果実になった後で上を、天を向くのでしょう」「…」しばらく答えがない。答えは「出来るだけ遠くに種子を飛ばすため」である。
 私はその「種子」を収めた「殻」を1つ採取した。この「殻」は縦型の格納庫である。しかも、1つの「殻」には縦に3つの格納庫がある。そして、この格納庫に薄い羽をつけた種子が横(水平)にびっしりと詰まっている。
 ここが大事なのだ。花のように「横向き」のままで「殻」をつけていると中に入っている「薄い」種は垂直になり、殻から飛び出した時に風を受ける面が狭くなり「浮力や揚力」が少なくなり、垂直に落下し「飛翔」は出来ない。「縦」になり「水平」に並んでいる種子は「浮力や揚力」を受けやすく、遠くまで種子をとばすことが可能なのである。何という長い時間をかけた進化と工夫、植物の工夫ととその実現のための努力には頭が下がるのである。
 「さて、この1つの格納庫には何個の種子が入っているでしょう」Tさんが即座に「168枚」と答える。実際に数えてみたのだという。
 一般的には150から200枚の種子が入っていると言われている。要するにオオウバユリの花が作った「殻」には最高数で600枚の種子が詰まっているのだ。
 質問があった。「オオウバユリは種子だけで増えるのですか」 (明日に続く)

秋のヤブ山(6) / 自然観察会「この実の花は…どんな花」(4)

2008-10-24 05:24:26 | Weblog
(今日の写真はサトイモ科テンナンショウ属の多年草「コウライテンナンショウ(高麗天南星)」とその実だ。まるで、「赤い」トウモロコシである。)

    ● 秋のヤブ山はカラカラに乾いている ●

 一昨日、26日に開催されるNHK弘前文化センター講座「津軽富士・岩木山」野外観察会の下見に行ってきた。
 場所は岩木山の石切沢林道から百沢登山道にかけての範囲である。昨日午後からの少しの「降雨」で少しは湿り気を取り戻したかも知れないが、ここ2週間ほどの好天から「山はすっかり乾いて」いた。
 その日は、自転車で石切沢林道の入り口まで行った。高岡の近くのアスファルト舗装の農道を通って、宮様道路に入った。宮様道路もすっかり乾いていて、砂利に揉まれると自転車でも凄い土煙が立った。自動車と行き違う時には、目を開けていられないほどの「土煙」だ。
林道の入り口に着いて、私の自転車を見たら、黒いタイヤが真っ白になっていた。
 林道の赤土も「煉瓦」ほどではないが乾いて固かった。登山道近くの「ミズナラ林内」をかなり、歩いたが「キノコ」の類にはまったく出会わなかった。目立つのは濃い緑の「ジンヨウイチヤクソウ」の葉だけだった。
 宮地から新しく開通した「高岡」までの道を行った。その途中に、すばらしい岩木山の眺望スポットを発見した。26日にはここからの眺望で、「岩木山のブナ」についての学習をしようかとも思っている。
 向かって右側の弥生尾根や水無沢沿いの尾根の色具合と百沢スキー場尾根から左側の登山道尾根の色具合が違う。ブナの森とそうでない森の違いだ。ここからはそれがよく分かる。この違いはブナの芽出しの時季、早春の梢の赤い時季にとりわけ分かるだろう。

  ●● 自然観察会:「この実の花は…どんな花」(4)●●

 自然観察会で「今日の写真」の植物を参加者は全員が目にしているはずである。だが、誰からも、それを「話題」にすることはなかったのだ。何故だろう。たとえ全員がこの「植物」コウライテンナンショウについて知っていたとしても話題に上らないことはおかしい。
 そこで、今朝は「コウライテンナンショウ」について書くことにしよう。
これは山地のやや暗い林内や林縁などに生え、茎の高さは40~80cm。雌雄異株である。茎は緑で紫褐色のまだら模様がある。
 茎先に、筒状の仏炎苞(苞葉)をつけ、緑色に白色のすじがついた縞模様がある。筒の中には、面白いことに、こん棒状の付属体がある。葉は鳥足状の複葉で、小葉は長楕円形だ。花は葉より高い位置で咲く。
 果実は、今日の写真からも分かるように「赤く」熟し、全体が「トウモロコシ」状になる。
 和名の由来は、「高麗」の国のものであり、この根から漢方薬の「天南星」を採取したことによる。
 別名を「マムシグサ」ともいうが、これは茎にヘビのマムシの肌に似て紫がかった褐色のまだら模様が見られるからとする説とマムシが首をもたげ舌を出したような花のつけかたをするからとする説がある。
 このため一般にはマムシグサと呼ばれ、植物の分類上も「広義のマムシグサ」として扱われているという。その他に「ホソバテンナンショウ」とも呼ばれるらしい。
 5月の半ば頃から観察会などで「出会う」植物だが、これに出会った人たちの反応はほぼ共通している。それは「怪訝」であり、口にする言葉は「異様な姿」という意味合いを含んだものだ。
 このように「不思議さ」と「異様さ」を与える植物であり、花である。しかし、いや、それゆえにとでも言えばいいのだろうか…、「芽生えから果実が熟すまで」いろいろと姿を変えてくれるので、その変化を追うと楽しい花ということにもなるのである。
 春先に林内を歩くと、タケノコのように見える芽に出会う。蛇のウロコ模様の茎に見えるのは、本当は葉の莢(さや)が茎状になった偽茎であるそうだ。
 5月の中旬頃に、その偽茎から2枚の葉と花茎が出て展開する。そして、まさに首をもたげたマムシのような花をつける。花の本体は茎先についたこん棒状のもので、それを緑色で白い縞のある苞葉(仏炎苞)が取り囲むという具合だ。
 トウモロコシ状の果実もまた、不思議だ。最初は緑色だが、次第に熟すと丹塗りの朱色から、橙に変化して、秋遅くには「鮮やか」過ぎる「赤色」となる。
 枯れ葉の落ちた林縁や林内に立ちつくしているその姿はよく目立つだけではなく、やはり「異様」に映るのである。
 「異様さ」は、その「風姿」だけではない。植物という生命体としてもとてつもない「異様さ」を示すのである。
 それは、「テンナンショウ属の植物」は個体の大きさに伴って、可逆的な性転換を行なうことである。
 全草的に小さい時には「雄」として、そして、全草的なサイズが大きくなると「雌」となるのである。「雌」は果実を作るために、多量の栄養が必要なので、栄養が得やすい、つまり栄養がよくて全草的に大きい場合には「雌」として「活動する」のではないかと考えられている。
 「進化」ということを、また「種の保存」ということを考えた場合、これは「ほ乳類」よりも柔軟性のある「能力」のように思えるがどうだろう。「固定化」された物事には発展性はないのである。
 最後に、「マムシグサ」ゆえの「蛇足」として…、この植物の塊茎に鎮静作用や去痰作用があって薬草としても利用される。しかし、全草に蓚(シュウ)酸などの有毒成分が含まれている。だから、あまり「丁寧」な触り方はしない方がいいだろう。
 注:蓚酸 テンナンショウやカタバミ、スカンポなどの植物中に酸性カリウム塩・カルシウム塩などとして存在する。水やアルコールで溶ける。染色・鞣革(なめしがわ)・漂白などに使用する。(明日に続く。)

秋のヤブ山(5) / 自然観察会「この実の花は…どんな花」(3)

2008-10-23 05:30:42 | Weblog
(今日の写真も「紅葉」だ。これが文字通りの「紅葉」、モミジである。カエデ科カエデ属の落葉高木の「ヤマモミジ(山紅葉)」である。この写真は昨年の10月21日に写したものだが、今年の10月19日には散り始めていた。)


   ●● 自然観察会:「この実の花は…どんな花」(3)●●

 果たしてこの黒くて丸い実(球形)をつけた草本は何だろう。チゴユリでないのだから、アマドコロかナルコユリかホウチャクソウのいずれかである。
 実は、この「実」を、私は下見の時にすでに確認しておいたのである。これには茎に「稜」がなかったし、ナルコユリよりは背丈があり、しかも大柄であった。それから判断して、ホウチャクソウの実であると確信していたものだ。

 アマドコロの茎には「角張った稜」があり、触ってみると「角張った」感触だ。ナルコユリの茎にはそれがない。だから「丸い」感触なのだ。
 この違いを簡単に覚える言葉ある。「角ドコロに丸コユリ」と覚えると忘れることはない。茎の断面が角張っていればアマドコロ、丸ければナルコユリと覚えるための「フレーズ」である。

 因みに、ユリ科アマドコロ属の多年草「アマドコロ(甘野老)」の名前の由来は根茎に甘味のあること、根茎の形がヤマイモ科のトコロ(オニドコロ)に良く似ていることによる。
 草丈は大きく70cm以上になる。地下茎の先から、1本の茎を出し、すでに書いたが、茎には稜がある。葉は互生で長楕円形。表面がやや堅く、少し厚みがあり、裏面が白緑色である。
 花は筒状で葉腋から下に垂れ下がる。大きさは2cmくらいだ。緑白色で、先端は緑色を帯びている。

 観察会では「アマドコロ」には会えなかったがヤマノイモ科ヤマノイモ属 の多年草「オニドコロ」には出会ったし、仲間の「ヤマノイモ(山の薯・自然薯:じねんじょ)」にも出会った。
 このヤマノイモはすでにかわいい馬鈴薯状の「むかご」をつけていた。
参加者の数名が、その「むかご」を採取した。そして、ほぼ全員に配った。それから、口に含んで「味見」である。
 「芋の味がする」「馬鈴薯に似ている」「これをこのままサラダにしても美味しいそうだ」などなどの感想や意見、それに「知識」が飛び出す。
 「観察」は見るだけではない。五感プラス、もう「一感」を加えた六感すべてを使うことが重要だろう。私はそれを「感性的な観察」と呼んでいる。

 そして、直ぐその傍に「オニドコロ」も生えていたのである。同じ仲間だけあって、何とよく似ていることか。
 「トコロ」には「野老」という漢字をあてる。この由来は「ヒゲ根を野の老人に見立た」ことによる。海に棲む甲殻類「エビ」にも「ヒゲ」があるから、漢字で書くと「海老」となるのと同じ発想からのものだ。
 「トコロ(野老)」という読みは「根に塊ができる」ことから、それを「凝(とこり)」といっていたものが、「トコロ」に転訛したとされている。
 「オニドコロ」は雌雄異株で、秋になるとヤマノイモのようなきれいな「むかご」ではないけれども、「むかご」らしきものも出来るのである。

 オニドコロは葉が大きいので「オニドコロ(鬼野老)」と呼ばれ、同じ科のヤマノイモと同じように、根が食料とされてきた。
 ヤマノイモは説明するまでもなく、美味しい「芋」であるが、オニドコロは灰汁(あく)で煮て水にさらして調理しないと食べられない。
 それどころか、この根を細かく砕いて渓流に流し、魚を麻痺させて捕らえるための「魚毒」として使ってきたそうである。
 私は観察会参加者を前にして「これは毒です」と説明したが、その根拠は以上のことを受けてのことと毒草「ハシリドコロ」との混同もあったようだ。ただ説明が不足であった。「苦みを灰汁でとり、水に晒すと食べられる」ということを補足しよう。

 芭蕉の俳句に 「この山のかなしさ告げよ野老堀り」というのがある。このように
昔は、よく掘られていたようで、「灰汁で煮て水に晒し」て食べられていたのである。
 また、「トコロ」は万葉集では「ところずら」という名で呼ばれている。次の歌にも詠み込まれている。
「皇祖神(すめらき)の神の宮人ところずらいや常重(とこしえ)にわれかえり見む」
 「堀取ったり」「食べたり」「俳句や和歌に詠み込んだり」して日本人は、この「トコロ」と親密な付き合い方をしてきたのである。その証になるであろうか、日本には、古来からこの「ヒゲ根」を正月の床に飾って長寿を願う風習があったそうだ。
 この津軽地方に、それがあったかはまだ確認していないが、地域に根付いた自然観察会を継続していこうと「青森ウオッチング」が考えているのであれば、その辺りの「学習や研究」も必要なことではないだろうか。
 なお、「野老飾る」は俳句の季語にもなっている。
最後に、「野老」にまつわるエピソードを紹介しよう。埼玉県所沢市の「所沢」という地名の由来は、在原業平が「野老(トコロ)が多く生えている場所を見て「ここは野老(トコロ)の沢か」と言ったことだとされているそうだ。かなり、眉唾物ではあるが、「野老(トコロ)」と人との関わりの深さを示している逸話ではないだろうか。
(明日に続く。)

秋のヤブ山(4) / 自然観察会「この実の花は…どんな花」(2)

2008-10-22 05:29:24 | Weblog
(今日の写真はバラ科ナナカマド属の落葉小高木「ナナカマド」である。北海道から九州、朝鮮・樺太・南千島に分布する。)

 それにしても見事な実の付き方であり、鮮やかな色彩だ。それにひき換え、葉の色は今ひとつである。紅葉が進むと葉はもっと臙脂の濃い赤に変わる。だから、この写真はまだ、ナナカマドにとっては「紅葉」の時季ではない。これは昨年の10月21日に撮影したものだ。
 だが、今年の10月19日「観察会」では「実」は落ちかかり、葉は「臙脂色」を増すどころか散り始めていた。この違いは何なのだろう。日時はほぼ同じ、しかも同じナナカマドなのである。
 植物と季節の関係は微妙なものらしい。けっして「昨年」と同じということはないのかも知れない。また、人間の思い込みとは全く次元の違うところで、季節の襞を感じ取って「移ろい」は進んでいくのだろうか。
 今年の春は「暖かく」しかも「早く」里にはやって来た。岩木山のある登山道の標高1400m付近では、例年5月の上旬にミチノクコザクラが咲き出す。その経験から、すでに咲き出しているだろうと考えて5月4日に訪ねたところ、まだ「固くて、小さいつぼみ」だった。「暖かく早い」季節でも開花は遅くなったのである。結局、開花は5月20日を過ぎてからであった。
 自然は一筋縄ではいかない。微妙な変化が「具体的な大変化」になる時は、すでに、自然は元に戻れない状況にあるということだろうか。
 どうもそれに拍車がかかっているように思えてならないのである。

      ●● 自然観察会:「この実の花は…どんな花」(2)●●

 …昨日のブログに『足下に、春を思わせるような「みずみずしいハコベ」の群落が現れた。何というハコベなのだろう。ひとしきり「議論」が続く。』と書いた。
 参加者にとって、まずこれは「ハコベ」なのか、それとも「ミミナグサ」なのかが問題になった。小さくて白い花弁が細く深く切れ込んでいて、「花弁」は10枚に見えるので「ハコベ」であることは間違いがない、というとろまでいったが、さて、「何というハコベ」なのかがなかなか出てこないのだ。
 その議論の結末から今日は始めよう。

 この「みずみずしいハコベ」とは、ナデシコ科ハコベ属の二年草または、時として多年草にもなるという「ウシハコベ」であった。
 路傍や林縁、畑のあぜ道、空き地などに普通に見られるものだ。何と、麦の栽培とともに伝来した史前帰化植物の1つとされているのだ。
 普通に見られるミドリハコベより一回り大きい。節部のあたりが暗紫色になっている。
 花期は4月から10月といわれているからあっている。雪の降らない暖地では年中生育しており、花も見られるそうだ。
 発芽も通年であるとされるが、やはり秋に多い。小さな個体では全体に小さく、葉に長い柄があって、他のハコベの仲間と非常に区別しにくい。だから、参加者は悩んでいるのである。
 しかし、「葉」に注目しよう。成長した葉は「大きくなって葉柄がなくなる」のだ。これが「ウシハコベ」という名前の由来である「大型であることを意味するウシ」にあたるのである。
 次は花に注目しよう。花は年中見られ、5枚の花弁が深く2つに分かれているので、10枚のように見える。このような花はハコベ属に共通したものである。これが「ハコベ属」であることの同定基準だ。
 学者の中には「この点からハコベ属に分類する意見」もあるが、ハコベ属は「雌しべの柱頭が3本」に分かれているのに対して、「ウシハコベ」は5本に分かれている点を重視して、「ハコベ属」ではなく「ウシハコベ属」とする意見もあるそうだ。
 私たちは最終的に「雌しべの柱頭が5本」であることを観察して、これは「ウシハコベ」であると結論ずけたのである。
 私は「ルーペ」を持っていなかったので「柱頭が3本か5本」かを見分けられなかったが、参加者の一人が「ルーペ」で観察をして教えてくれたのである。
 このような参加者がいることは、「講師」に取っては助かるだけでなく、有り難いことでもあった。また、このようなことは「質の高い」観察要素と言えるかも知れない。
 因みに、雄しべの柱頭は10本だ。「種子」もすでについているので、それも観察してみるといいかも知れない。大きさは1mmで「低い突起」がある。

 アブラチャンの観察をひととおり終わってから、私は「この花の写真の中に、アブラチャンと同じクスノキ科のものがあります。花はじつによく似ています。今度はその実を探しましょう」と言った。
 それはクスノキ科クロモジ属の「オオバクロモジ」だった。だが、言い終わって「ああ、失敗だ。育っている場所が違うから、直ぐに出会えるわけがないなあ」と内心で反省すること、しきりであった。
 そうしながら「観察路」を進んでいると、参加者が「葉を保持したまま黒い実をつけたもの」を持ってきた。これは何ですかというのだ。
 その「葉」の形状と「黒い実」からユリ科のものであることは分かるのだが、それ以上は分からない。「黒い実」はユリ科のアマドコロ、ナルコユリ、チゴユリ、ホウチャクソウなどに共通するものだ。ただ、背丈と葉の大きさからは「チゴユリ」でないことは明らかであった。
                           (明日に続く。)

秋のヤブ山(3) / 自然観察会「この実の花は…どんな花」

2008-10-21 05:38:49 | Weblog
(日曜日の19日に青森県自然観察指導員連絡会(ウォッチング青森)弘前支部主催の「自然観察会」が岩木山神社東面の藪山と宮様道路下部から高照神社南側の範囲で開かれた。内容は「岩木山・草木の実観察会」である。主題は「この実の花は…どんな花」であった。大体の歩行距離は4km弱なのだが、10時から始まって昼食時間の30分を含めて14時過ぎまでかかってしまった。

今日の写真は昨年10月21日に撮影した観察地の一コマである。すばらしい紅葉、ここだけではない。あちこちのヤマモミジが燃えるように藪山を染め上げていた。
 だが、今年の10月19日のこの場所はすっかり色あせていた。昨年は同時季に「みずみずしかった」ヤマブドウはすでに、しなびていた。
 
 観察会には12名が参加した。私としては「地元」弘前からの参加者を期待していたのだが、弘前支部の会員以外は青森の会員だという。青森からの参加者のほうが多いのである。
 せっかく、コースとして「岩木山神社」境内を通るのだから「神社」の観察も少しはしてもらおうと考えた。晴れていたので「社務所」の前辺りから山頂の奥宮を確認してもらう。この神社本体の位置と山頂奥宮とは「一直線」で結ばれている。神社は大体南に向かって開いて事を確認してもらう。
 山門をくぐり、拝殿で一拝してから龍神様や稲荷様の前を通り、湧水で「身」を浄めてから、明治政府の「暴挙」である「廃仏毀釈」が行われる前は「百沢(ひゃくたく)寺」と呼ばれていた茅葺き家屋の庭を通って観察地に向かった。この「茅葺き家屋」は現在、社務所になっている。
 「蔵助沢」に出た。この沢の土石流で1975年8月、直ぐ下のが埋め尽くされて22名が死亡した。大半が「圧死」であった。ところが右岸に位置する「岩木山神社」は全くの無傷だった。
 「蔵助沢」の橋を渡った。いよいよ、「草の実、木の実」の観察を開始する。
 主題の「この実の花は…どんな花」にそって、これから出会えると予想される「実」が、まだ花である時は「どんな花」なのかを示す「花の写真」を掲示したパンフレットを配布した。それは次に示す18種であった。

 …オオバクロモジ、コマユミ、ミツバアケビ、ムラサキシキブ、ガマズミ、ツノハシバミ、ノイバラ、ウワミズザクラ、アブラチャン、カンボク、オオウバユリ、ツルウメモドキ、アズキナシ、マルバマンサク、シオデ、ヤマブドウ、ナナカマド、サナシ(ミツバカイドウ)…である。
 これら花の「実」も写真で掲示した「解答用」のパンフレットも用意してあった。観察がすべて終了してから「今日の答えの確認です」として配布した。
 ただ、残念ながら、どちらも参加者全員には配布することが出来なかったのである。それは、事前に私の所に、はっきりした「参加者数」が知らされていなかったことによる。
 今回の観察会を担当する「弘前支部」の関係者4名はそのカラー版「パンフレット」のないままでの「観察」になってしまった。
 この最初に「花」の写真を提示してから、その「実」を探して確認しながら、ことを進めるという「方法」は参加者にとっては「初めて」のことであるらしく、観察会最後の「感想」でも何人かの人が「初めてのことで、ユニークな方法、大変よかった」と言っていた。
 
 足下に、春を思わせるような「みずみずしいハコベ」の群落が現れた。何というハコベなのだろう。ひとしきり「議論」が続く。
 カラハナソウやミヤマニガウリの実があちこちに見える。カラハナソウは、まるで「汚れた」褐色模様をつけているし、ミヤマニガウリは扁平な緑色の実をぶら下げている。大きな「里山の怪人」、オオウバユリが「花期」とは似ても似つかない姿で天を伺っている。

 ある人が何か「実」を見つけたらしい。「これなあに?」みんながそれを見る。灰色がかった黄色の実が、斑模様をつけて沢山なっている。まるで鈴なりだ。
 「ここにもある」「ほれそこにもあるでしょう」と大騒ぎになる。「パンフレットにありますよ」と私が言う。
 「これ、アブラチャンですよね」と誰かが言う。「そうです。クスノキ科シロモジ属の落葉低木のアブラチャンです。」「アブラチャンとはどのような意味ですか」「それでは名前の漢字表記からいきましょう」と言って私は、拙著「岩木山・花の山旅」を取り出す。春早くまだ残雪のある時季に咲き出す花だ。この本は季節順に構成してあるからページも早いほうにある。それは23ページにあった。
 漢字では「油瀝青」を当てる。広辞苑によるとチャン「瀝青」とは(chian turpentine )の略であるという。また、「タールを蒸留して得る残滓、または油田地帯などに天然に流出固化する黒色ないし濃褐色の粘質または固体の有機物質。道路舗装や塗料などに用いる。ピッチ。」とも記載されている。 
 日本ではこの樹皮などから採取される「油成分」を灯火などに利用していたのだ。これが名前の由来にもなっている。 
 「さあ、みんなで実をつけている木の隣の木を見てみましょう。葉に注意して下さい」…「葉が同じだ」「幹や枝も同じです」などと声が上がる。
 そこで、全員で「アブラチャン」は「雌雄異株」の樹木であることを確認することが出来たのである。

 「じつは、この花の写真の中に、アブラチャンと同じクスノキ科のものがあります。花はじつによく似ています。こんどはその実を探しましょう」
                           (明日に続く。)

秋のヤブ山(2) 今年は本当に「紅葉」は遅いのか? 

2008-10-20 05:02:26 | Weblog
(今日の写真は昨年10月21日に写した「カンボク(肝木)」の実である。
 実に色が鮮やかで、漿果のみずみずしさがはち切れんばかりの成熟感を漂わせているではないか。秋の到達度がピークに達した「まさに秋ど真ん中」という季節感を絵に描いたような風情だろう。
 同じ場所を一昨日、昨日と2日続けて訪れた。一昨日は「青森県自然観察指導員連絡会(ウォッチング青森)」の弘前支部が開催する「岩木山・草木の実・観察会/この実の花は…どんな花」の下見であり、昨日はその「本番」であった。10月18日と19日、昨年との日時的なずれはわずかに2日早いということだけである。
 しかし、「カンボク(肝木)の実」の様相はすっかり違っていた。今年はすでに完熟期を過ぎていた。多くのものは「黒変」し、わずかに残っている赤い実からは
漿果のみずみずしさが失われ、枯れかけていたのだ。
 「実」だけではない。この写真に見える「透明感」あふれるみずみずしい「葉」からも、それらはすっかりと抜け落ち、穴のあいた汚いぼろ切れのようになり、色は黄変して、散り始めていた。
 私たちは普通、これらの「実は秋に完熟して、冬になる前に落下」すると理解している。また「葉」も同じように実を残しながら緑色を失いながら黄変しては散り果てると理解している。しかし、今年の秋はことごとく、この理解を覆してしまうのである。
 秋を代表する「紅葉」と「赤い」実は「ナナカマド」だろう。昨年10月21日に見た「ナナカマド」もこの観察場所にある。これも、「カンボク」と同じように、昨年の「秋真っ盛りのナナカマド」ではなかった。
 「赤い葉」は千切れ変形し、あるものは散り、「実」も落下しているものが多いのだった。
 昨年10月14日は標高1200~1300mから上部の岩木山は「紅葉真っ盛り」だった。そして、それから1週間後の山麓の木々は「紅葉の最盛期」を迎えていた。
 ところが、今年は10月14日には 標高1200~1300mから上部の岩木山は「紅葉がすでに終了」だった。そして、その後、1週間山麓の樹木も「紅葉の時季」を終える態勢に入っていたのである。
 「紅葉」の代名詞である「カエデ」や「モミジ」もこの観察地にあるが、これらも、すでに「終わりかけて」いたのである。去年に比べたこの「異常」や「異変」は何なのだろう。岩木山の「紅葉」は早く進んでいるのだ。
 ところが、全国的にみると「紅葉」は遅れているというのだ。私にはにわかに信ずることは出来ない。

 毎日新聞電子版「余録」に「冬にずれ込む?紅葉狩り」という文章が18日に載った。(文意が損ねられない範囲で改変してある。)

 『季節の移り変わりを動物や草木、天気などの変化で示す暦の七十二候では、きょう(10月18日)は「蟋蟀(きりぎりす)戸にあり」だ。だんだん寒くなって秋の虫が家の戸のあたりで鳴くようになり、やがて姿を消してしまう時期という意味だ。
▲もともと中国から伝わった二十四節気・七十二候だが、日本の季節に合うようーに改変され、今は明治初めの暦に書かれていたものが使われている。百何十年も前の話だから、現在の季節感とのずれの中には地球温暖化の影響も潜んでいよう。
▲「クマゼミの声しか聞こえない」「東京でナガサキアゲハを見た」「入学式が桜の散った後になった」「月見のススキの穂がない」「冬にヘビを見た」ーこれみな環境省に寄せられた温暖化の影響を疑わせる生き物の異常情報だ。もっと集めれば本朝平成七十二候が編めそうだ。

 …確かに、おかしいことはこの数年、顕著である。
 昨年の11月23日は岩木山では大雪が降った。その雪上に多くの「セミ」の死骸が散らばっていた。40数年間、「11月中~下旬」に、岩木山登山をしている私にとっては初めて見る光景だった。
 4月に入ってから発生する「全層雪崩(底雪崩ともいう)」が頻発するようになり、しかも、それは岩木山の南面の尾根に集中している。
 この「全層雪崩」は上から下へと巻き込みながら「滑る」ので「積雪底面」の「根曲がり竹」や「低木ダケカンバ」などをすべて剥ぎ取ってしまう。その「痕跡」が大沢の両岸尾根に顕著に見られるようになっている。… 

 私が問題にしているのは次の部分だ。

『異変はちょうど列島を南下する紅葉前線にも及んでいる。民間気象会社の情報によると今秋の関東や関西の紅葉は例年より約1週間遅くなる見通しだが、目をむくのはより長期の変化だ。気象庁の観測ではこの約50年間でカエデの紅葉は全国平均で15日以上遅くなっているという。』
 そして、『秋の関東や関西の紅葉は例年より約1週間遅くなる気象庁』というのだ。

 …ところがだ。岩木山の「紅葉」は遅くはなっていない。むしろ早く進んで、すでに、終わっているのである。これまで述べた「観察地」界隈は標高200m前後である。ほぼ平地といっていい場所である。
 どうも、この「民間気象会社や気象庁」の情報は、岩木山に関しては当たらないのだ。…

▲天保年間の「東都歳時記」によると江戸の名所、滝野川の紅葉の見ごろは立冬の7~8日後だった。現在の暦では11月中旬にあたる。
 今の東京の紅葉の盛期は12月に入ってからだけに「カエデの紅葉は全国平均で15日以上遅くなっている」という気象庁のデータに納得がいく。

▲ちなみに七十二候の「紅葉蔦(つた)黄ばむ」は11月2日で、紅葉前線がようやく北日本や東北で平地に降りるころだ。このままではどんどん冬にずれ込みそうな平成七十二候の紅葉狩りである。

 …と言うが、すでに10月の中旬だというのに岩木山山麓では紅葉の終わっている場所もある。私は、「冬にずれ込む紅葉」はあり得ないと考えている。
 しかし、風景として「雪をいただく紅葉や黄葉」を見たいという思いはないわけではない。

秋のヤブ山(1) / 自己中心「子供のまま」のバカ親たち(その10)

2008-10-19 05:51:29 | Weblog
(小さくてはっきりしないが、今日の写真には「秋の木の実」が3種類写っている。
 左斜め下を埋めている赤いものが、イチイ科イチイ属の常緑針葉樹「イチイ」の実だ。大きくなると高さ20mを越えるという。
 北海道から九州まで分布し、自生地も見られるが、本州中部以北から北海道にかけては庭木や生け垣として利用されていることが多い。
 別名を「アララギ」、アイヌ語では「オンコ」というそうだ。木目がまっすぐ通り緻密で光沢があるため、彫刻材、床柱などに用いられ、古くは高官の笏に用いられたため、「一位(イチイ)」の名が付いたと言われている。
 学名の Taxusはギリシャ語の弓(taxos)に由来し、アイヌもイチイを弓に使っていたという。
 赤い実のように見えるものは「仮種皮」と呼ばれる。これは種子を包んだ赤い肉質のもので、甘くておいしい。

 写真の中央に見える「黒っぽい」ものがブドウ科ブドウ属の「ヤマブドウ(山葡萄)」だ。北海道、本州、四国、朝鮮(鬱陵島)、南千島、サハリンなどに分布しているとされている。
 これは落葉蔓性の雌雄異株の木本で、葉と対生して巻きひげを出し、ほかの木に絡みついて伸びる。葉は互生し、5角状の心円形。春には葉と対生して円錐花序を出し、黄緑色の小さな花を多数つける。
 果実は直径8㎜ほどの紫黒色で球形の液果で、生で食べることが出来る。完熟すると甘酸っぱくて美味しい。
 名前の由来は「山に生えるブドウの意」による。別名は、古名であるが「エビカヅラ」という。「ブドウ」の由来は、栽培品種の原産地(ペルシャ)の名が、中国に伝わり「葡萄」と表記されたことによるとされている。

 そのヤマブドウのすぐ上から「ヤマブドウとイチイ」を取り囲むように点在している黄色の実がニシキギ科ツルウメモドキ属の落葉性の蔓性植物「ツルウメモドキ(蔓梅擬き)」だ。
 日本全国、朝鮮や中国に分布する。蔓性植物といわれる「ツルウメモドキ」だが、若い時は地中から数mもまっすぐな茎を伸ばす。だから、この段階では蔓性植物とは思えない。しかし、伸びた茎が上の枝などに達すると、茎は細く柔軟になって、枝に巻きつき始める。この段階から蔓性植物の特徴を見せるのである。
 名前の由来は「葉の形や若枝がウメに似ていること」によるとされている。
雌雄異株で、雌花の花弁は淡緑色、長さ約2.5mm。雌しべの柱頭は3つに分かれ、下部は花盤となって、周辺に退化した雄しべがある。雄花は雌花に比べて大きく、花弁の長さは4mm。5本の雄しべがあり、中心に退化した雌しべがある。
 果実は淡い黄色で直径7~8mmだが、割れると緋色と黄色の絶妙なコントラストで美しい。生け花材料として重宝される。)

      ●自己中心「子供のまま」のバカ親たち●

(承前) 牧太郎の大きな声では言えないが…:亡国の親バカ

…牧太郎氏は『指導者の「自己中(心)」が日本を劣化させる。』と言い切るのである。
 「自己中(心)」は何も小学生や中学生の40代の親たちだけではない。それは「政治的な指導者」たちにまで及んでいるというのだ。

 次に言う…

 『世の指導者たちまで「自らの自己中」に気づかない。「私が初挑戦した27歳のころよりしっかりしている」と引退する元首相がせがれを褒めたたえる。
 日本国がまともな時代には、これは「恥じるべき言葉」だった。「まだ半人前だが」と謙遜(けんそん)するのがマトモである。
 「政治家になる気はあるのか?と聞いたら『なりたい』と言った」。だからせがれを応援してほしい、とヌケヌケと言う。
 「酒屋の跡取り」とは訳が違う。国の命運を決める公職を私有財産のように「相続」させる愚行。モンスターペアレント並みの知的水準ではないか。』

 この人間が数年間も日本国の総理大臣を務めたのだ。しかも、高率の支持を得て、「規制緩和」を断行し、貧富の格差を、大都市と地方の格差を増大させたのである。
 「自民党をぶっ壊す」と言ったが、自民党という船は「穴」すらあかず、衆議院では議員数を大幅に増やしてしまった。結局は「ぶっ壊れなかった自民党」という船に最後まで「乗り続けた」のである。
 これを選んだのも、この総理大臣と同等の「知的水準」である多くの国民だ。

 『指導者の「自己中」が日本を劣化させる。05年の総選挙で当選し、「これで料亭に行ける」と言った若造がいたが、それと同じレベルの2世、3世がうじゃうじゃ。その世襲議員がそろって出世する。』

 「小泉チルドレン」とは、呼称した方も呼称された方も、知ってか知らずか「当を得ている」と私は思っていた。
 それは、「小泉もチルドレン並の知的水準、その小泉の声がかりや応援で当選した議員もチルドレン並の知的水準」という意味である。
 事実はそうだっただろう。マスコミの誰かが、私が思ったようなことを言っていたということは聞いていない。
 マスコミまでが「チルドレン」となっていたのだろう。チルドレンとは「幼児」ということだ。

 『平成になってから13人の首相が誕生したが、そのうち9人が世襲議員である。岸信介から竹下登までの昭和後半の10人の首相に、世襲は1人もいなかった。
 その世襲の9人のうち、「政権を投げ出した」のが6人。世界から冷笑される「1年持たない政権」は努力しないでトップになった者が持つ「淡泊」「投げやり」の気質に遠因がある。
 麻生内閣の閣僚は発足時、18人中11人世襲。困ったことに、衆院選は3世の麻生太郎首相VS2世の小沢一郎代表。』

 牧太郎氏は最後にこう言った。
『ローマ帝国の昔から、世襲は国を滅ぼす。世襲は万人から「やる気」を奪うからだ。』

 選挙も近いらしい。少し賢くなって「世襲の立候補者」を選ばない視点で、政治を考えようではないか。(この稿は今日で終了する。)

NHK紅葉取材同行記その4 / 自己中心「子供のまま」のバカ親たち(その9)

2008-10-18 05:19:19 | Weblog
(今日の写真はリンドウ科リンドウ属の多年草「エゾリンドウ」である。今月14日のNHK青森放送局紅葉シリーズ取材同行の時、下山してきた岩木山南面の山麓、標高500mほどのところで、偶然出会ったものだ。
 秋の風情としては昔からなくてはならない花として日本人に親しまれてきたものの一つである。)
 これは本州中部以北、北海道、千島、樺太の山地から湿地に自生するものだ。岩木山には同じリンドウ科リンドウ属の「エゾオヤマノリンドウ」も自生しているが、これは非常に数が少なくて「岩木山の絶滅危惧種」になっている。
 リンドウ属はアフリカを除く世界の温帯と熱帯に約500種が自生していると言われている。
 本州から四国、九州の山野で広く見られる「リンドウ」に比べると「エゾリンドウ」はもっとも花が大きくまた花付きもいいので、「切り花用」として広く栽培され「リンドウ」の名前で売られている。これらはすべて「元」を質せば「エゾリンドウ」なのである。
 この写真からも分かるであろうが、「栽培品」に決して「見劣り」のしない「華麗」「豪華」であろう。
 『岩木山の「エゾオヤマノリンドウ」は非常に数が少なくて「岩木山の絶滅危惧種」になっている』と書いたが、これは、この種類が「根」を「薬用」として採取され続けてきたことによるのだ。
 「エゾオヤマノリンドウ」や「エゾリンドウ」の根には、花の優しい美しさからは想像も出来ないほどに強い苦味成分がある。この成分が「唾液と胃液の分泌を促す」ことから昔から健胃剤として用いられてきたのである。
 ところが、「エゾオヤマノリンドウ」に比べて「エゾリンドウ」の根に含まれる苦味が少ない。そのため、「採取」から免れて、山麓に咲くエゾリンドウはまだ「健在」という訳なのである。
 現在は、関東以西に自生する「リンドウ」をもっぱら、「薬用」としているそうである。生薬品は「竜胆(りゅうたん)」と呼ばれている。
 リンドウ属の多くの花は、天気の悪いときや夜には閉じて、晴れた日の日中になると開くのだが、その開き方が微妙なのである。この写真のものはこれでも「開いて」いるのである。
 なお、花名の由来や草丈、葉の付き方、葉の色、花の付き方などは拙著「カラーガイド 岩木山・花の山旅」306ページを参照されたい。

 報道取材カメラマンYさんがナナカマドなど、紅葉の撮影に取りかかっている時に、アシスタントのM君が発見したのだった。その、「エゾリンドウ」は16日放映された「導入部」を飾っていた。
 今日の写真は、私が数年前に「平沢」の下流部で撮影したものである。思っていたより遙かに少なかった長平登山道沿いの「紅葉」だったが、その少なさを「埋め合わせて」くれるような一株のエゾリンドウであった。
 しかも、赤や黄色という「秋色」の中で、ライトブルーに輝く秋の花は何だか、「神の恵み」であるかのように思えた。私はすごくほっとした。いわゆる、本物の「紅葉」と出会えなかったという「喪失感」が一気にこの一株で消えてしまったのである。
 冬枯れ近い標高1300mよりも高い「岩木山」では見られなかった「小さい秋」をここに見たのであった。
 Yさんは「これ」を見逃さなかった。ちゃんと、番組の導入部の映像として活用したのである。)

       ●自己中心「子供のまま」のバカ親たち●

(承前) 牧太郎の大きな声では言えないが…:亡国の親バカ

 さらに、…モンスターペアレントとか言われる「親バカ」の対応に、教師はきゅうきゅうとして「まともな授業ができない」と漏らす先生もいる。…とも言う。
 酷な言い方だが「まともな授業ができない」のなら、「辞める」しかないだろう。「責任からの解除」を続けて「給料」をもらうことは許されない。しかし、「辞めない」。「辞める」ことの出来ない教員は「病気」になる。

 自分たちの一言が、その相手に対して「どのような思い」をもたらすのかということを「自己中(心)」の「もの」たちは分からない。理屈は簡単だ。「自己中心」なのだから「中心から廻りを見るのではなく、廻りがすべて中心の自己に収斂される」ものと考えているからである。
 「ものごころ」がつき始めると小学生でも、教えてくれる教員に対して直裁的な批判は避けるものだそうだ。ましてや、高校生にもなると「教員の授業中の間違い」に気づいても、…気づく生徒は多くはないが…そのことを他の生徒がいる授業中には指摘しない。授業が終わった後で、「質問」という形で「そっと」指摘してくれる。これは私の体験である。
 私はその間違いを正し、その生徒に感謝して、次の授業の時に、生徒全員に謬りながら「その間違い」をピックアップし「訂正」した。
 民主主義とは常に「他人に目を注ぐことである」。自動車を停める。ここに停めて通行人に迷惑はかからないだろうか。他の自動車の通行の妨げにならないだろうか。その場所の草木の毀損などしないだろうか。…などを常に考えることなのだ。
 「自己中(心)」のものが口にする「民主」の「民」は常に「自分」だけなのである。その「民」には「自分以外の他人」は入っていない。
 戦後アメリカから入ってきた「民主主義」思想は、国民的、民度的に「内実」を相互に揉み合いながら、行動的な内実の確立を図るというプロセスを避けてきたのだ。戦後の日本は「形式として多数決」だけを「民主主義」として受け入れて、それだけで60数年を突き走ってきた。
 本物の「民主主義」の実践には「時間」がかかる。効率的な経済というものは「短時間」ということが常に求められる。時間のかかることは「無駄」なものとして「脇」に追いやられて、「相手のことを慮り事を進める」という民主主義の根本は形骸化してしまった。
 「自己中(心)」はそのような政治的、経済的な社会風土が生み出した「鬼っ子」である。

 牧太郎氏は『この「自己中(心)」が日本を劣化させる。』と言い切るのである。(明日に続く。)

NHK紅葉取材同行記その3 / 自己中心「子供のまま」のバカ親たち(その8)

2008-10-17 05:50:45 | Weblog
(今日の写真は長平登山道の標高約1300m地点、西法寺森東面から見た「大鳴沢」を挟んだ両斜面である。)
 写真中央部を右から斜めに下降しているのが「大鳴沢」である。その手前が山頂から直接続いている斜面であり、その奥の広い「壁」のような斜面が「大鳴沢」右岸尾根であり、この稜線は赤倉キレットを経て赤倉御殿、巌鬼山へと続いているのである。
 写真下部は登山道に覆い被さっている根曲がり竹(チシマザサ)だ。ここで少し、「色彩」と「樹種」について説明をしよう。平面的に凹凸のない緑に見えるものは「チシマザサ」だ。手前の凹凸のある細かい葉の緑の集合は「イヌツゲ」だ。同じ凹凸のある緑でも対岸株に見えるものは「ミヤマハンノキ」である。さらに、対岸上部の濃緑は「コメツガ」である。
 「赤いもの」は「ナナカマド」だ。所々に「ミネカエデ」も混じっているが大半は「ナナカマド」である。
 この写真の「大鳴沢」下部に見える「褐色がかった色彩」は「ブナ」である。
 淡い「黄色」はすべて「ダケカンバ」である。これらが総合的に「紅葉」という景観を演出するのだ。
 私はこのような景観を「NHKテレビ紅葉取材」をとおして多くの人に見てもらいたかったのだ。
 だが、残念ながら10月14日の取材当日には「紅葉」の時季はすでに終わっていた。「ダケカンバ」の黄色い葉はすでに散り果てて、この写真の右側下部が「ダケカンバ」なのだが、これからも分かるように「白い枝や幹」だけを残していた。だから、対岸の淡い黄色はすべて「白い幹」の林立に変わり、寒々とした冬枯れを思わせる景観となっていたのである。
 …この写真は昨年10月14日に写したものだ。すでに書いたが当日は1枚も写真を写していない。

 案内をしたように、昨日18時28分頃から「シリーズ紅葉3・岩木山」が放映された。その1時間ぐらい前に「映像取材」カメラマンYさんから電話があり、その頃に放映されるということを知らされていた。
 確かに、当日はこの写真と同じ場所のものを撮影したはずなのに、放映された「映像」の中には、この「景観」はなかった。
 秋を演出する色彩に欠けた「」では「紅葉」という主題にはそぐわないのだろう。「外されて」もしようがない。
 そう思いながらも、この写真を見ると、またまた残念な思いがこみ上げてきて、それはいつしか「悔しい」思いに変わっていったのである。

 昨年の10月14日、寒い日だった。標高1300mから上は「霧氷」に覆われていた。「霧氷」とは低温で「雲」の水滴が木々の枝や岩肌に付着しながら「凍結」したものである。
 寒かったが、大ノ平登山道分岐点から上の登山道沿いには「ツルツゲ」の花が一輪だけだったが咲いていた(もちろん、これは季節外れの特殊なもの)し、「ハリブキ」の赤い実もまだ残っていた。すなわち、まだ、秋の残滓を見せていたのであった。
 だが、今年の10月14日は…「暖かい」日だった。山麓環状線を登山口に向けて移動する時に、路傍の「温度計」は9℃であった。お天気は快晴、朝方の放射冷却があっただろうが、それでも「9℃」である。天気予報は晴れであり、最高気温は20℃であるとアナウンスされていた。
 「霧氷」は全く見られず、登りにしたがい、汗をかなり発散させていた。

 「紅葉」の時季にかかわる「メカニズム」の不思議、自然というものに私たちは「永遠性と不変性」を見る。「いつまでも同じであってほしい」、そして、「いつも同じであってほしい」と願うのである。
 だから、「紅葉」も去年と同じ時季に「見られる」と考えてしまう。しかし、木々にとっての「季節」は私たちとは別世界のことなのである。
 人の思惑などとは、所詮次元の違う「メカニズム」で推移していくのだろう。

 今年の紅葉は昨年の「時季」よりも早く進んだというのが事実であるようだ。果たしてそれは「岩木山」に限られたことだろうか。
 昨日、誘われて「北八甲田山」を「酸ヶ湯、仙人岱、大岳、毛無岱」と登ってきた。酸ヶ湯付近では、いくらか「紅葉的な色彩」としてナナカマドやハウチワカエデを見たが、仙人岱から上部、それに「上毛無岱」では、やはり、「紅葉」は終わっていた。
 岩木山だけではなかったのである。今年の「紅葉シーズン」は10日から2週間ほど早くやって来たのだ。そして、今週はすでに、「去りつつあった」時季になっていたのである。
 残念ながら、NHK青森放送局の「シリーズ紅葉」という企画は、時季選定に欠ける面があったのだ。いや、そうは言うまい。それほど「自然」というものは人間にとってよく分からないということなのである。季節の移り変わりは自然に任せるしかないのだ。

         ●自己中心「子供のまま」のバカ親たち●

(承前) 

 牧太郎氏は言う。
 …そんな自己中の親バカが「誰でも良いから殺したかった」と平気で言える人間を作ってしまう。…のだと。

 それはそうだろう。「自分しかいない」「自分の家庭しかない」という中で「育つ」子供は大人になれない。幼児的な「成人」大人親が育てる子供は「幼児世界」から抜け出ることは出来ないのだ。
 子供は「虫(昆虫)」が好きだ。とりわけ、幼児は「蠢(うごめ)く」に興味を示す。いや、「興味」というものは感性や思考によって引き起こされるものだから「興味」を示すという表現は当を得ない。
 単純に幼児という目線で「生き物」として見ているのだ。つまり、幼児はまだ「生き物」なのである。昆虫も犬も猫も、そして人も皆同じ生き物に過ぎないのである。生き物は「動く」存在であるという認知である。
 幼児の昆虫の捕らえ方は、摘むということよりも「手で覆い」「握る」ということに近い。その延長線上に「潰したり」「足をむしったり」「羽を取ったり」することがある。
 幼児として、耳を引っ張られたり、頬を打たれたり、指を折られたりという「痛み」を伴う体験がないので、そこには「相手」を思いやる感情はないのだ。
 だから、あっさりと「トンボの羽」をむしり取る。「誰でも良いから殺したかった」というのは「体」は大人だが「精神」は幼児の戯言だ。
 自己中心は幼児期の「特性」だ。そのまま「親」になり、その親に「生み育てられ」た幼児性大人が沢山いる。(この稿続く。)