岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

「巨木の森」への道を歩く(5) / 6月18日東奥日報「弥生跡地」観察会取材記事(10)

2010-06-30 04:52:08 | Weblog
 (今日の写真は、ラン科ツレサギソウ属の多年草である「キソチドリ(木曽千鳥)」だ。
北海道、本州(中部以北)に分布し、亜高山帯の暗い林下に生える。特に針葉樹林下に多いと言われるが、見る限りではそういうこともないようだ。27日の野外観察の日に「巨木の道」からの踏み跡道で出会ったものだ。
 だが、写真は違う。出会ったものはまだ、花を開いていなかったので、数年前に岩木山で撮ったものここで提示してある。
 茎長は15~30㎝になる。茎頂に淡黄緑色の花を10個前後総状につける。だが、あまり目立たない。唇弁は長さが約1cmで線状披針形、側花弁は斜めに立ち上る。側萼片は線形で左右に開き、背萼片は広卵形だ。距は長さ約1cmで、前方に湾曲している。
 葉は茎の下部に1枚つき、楕円形で、光沢がある。基部はやや茎を抱き、茎の中部に鱗片状の葉を1~2枚つける。。
 「ツレサギソウ」属には、「コバノトンボソウ」や「ミズチドリ」のように明るい湿原や草地を好むものもある。だが、「今日の花」の「キソチドリ」は代表的なうす暗い樹林下に生育するもので、苔むすような林床の湿地が主な生育場所である。
 名前の由来は、木曽地方で初めて採集されたことと花の姿を千鳥に譬えたことによる。「千鳥」は干潟や河原に住むチドリのことだ。)

◇◇「巨木の森」から岳登山道までの道を歩く、「キソチドリ」が咲き始めていていた…(5) ◇◇
(承前)…
 …ようやく1人が竹藪にくびれの出来ている場所に気がついた。26番カーブにある「湯段沢」に下降していく細い道に入ったのだ。
 入って間もなく竹藪に少しだけ広い空間が出て来ると「下り」が始まる。その広い空間で日の当たるところには「イワナシ」が生えていて、すでに「実」をつけている。だが、「実」は葉に覆われて、葉を持ち上げて見ない限り見えないのだ。
 先頭の私が言う。「イワナシの実がなっていますよ」と。「どこにどこに」と後で声が喧しい。そうしているうちに誰かが見つけたようだ。「あった、あった」とか「小さなナシみたい」という嬉しそうな声が聞こえてきた。
 これから秋になるとまだ白ぽっい薄緑の実も、「赤梨」と称される「長十郎」梨のような色に変わる。大きさこそ違うが、形といい色具合といい、将に日本在来種の梨と相似形なのだ。それだけではない。口に含むと、しっかりした「梨味」だし、梨特有の果肉のじゃりじゃり感まで持ち合わせているのである。
  今度は「オオバスノキ」が出てきた。だが、「ルビー」のような釣り鐘花は終わっていた。花が咲いていたならば誰にも、気がつくだろう。また、秋になって黒く熟した果実をつける頃になると、その実と紅く色づいた葉が「一目瞭然」で、その存在を教えてくれるだろう。しかし、花は薄緑色の若い果実となり、大葉の裏に隠れているので、誰も気がつかないのだ。
 私は足を止めて、みんながその場に集まることを待った。そして、揃ったところで、葉裏にひっそりなっている薄緑の「果実」をを指しながら、その日に用意した「パンフレット」に印刷されている「オオバスノキ」のカラー写真を示しながら…「赤い花がこの実になったのです。花の格好と実の形が似ていますよね」と言ったのだ。
 そして、今度は名前の由来の説明である。「現場で、現物を観察している」のだから、現物に即して「観察」することが大事なのである。
 「さあ、若い葉っぱを1枚採って下さい。そして、それを囓って下さい。」…中には「苦い」と言った人もいたが、殆どの人は「酸っぱい」と答えた。
 「そうです。これは酸っぱい木という名前の木です。酢の木と言います。関西以西に生える酢の木よりも、葉が大きいので『オオバノスノキ』といいます」…。私も序でに囓ってみた。爽やかな酸味が口いっぱいに広がった。いい気分である。
 しばらくは、足場の硬いしっかりした道が続く。ジグザグを数回続けると足場の軟弱な湿地帯が出てくる。
 山側から多くはないが水が湧き出しているらしい。それが、染み出して狭いが「湿地」を形成しているのだ。ひょっとすると「底雪崩」の崩落跡かも知れない。そこは背丈は低いが「陽樹」が覆い茂る薄暗い樹林帯の林下なのであった。
 その湿地にはイネ科の草が生えていた。そして、それに混じって数本の「ツレサギソウ属」の植物も生えていた。だが、残念ながらまだ「花」を開いてはいない。
 「これは何ですか」と訊かれたが、花の咲いていない状態では、はっきりと「名前」を特定することは出来ない。申し訳ないが、その場しのぎで「トンボソウ」の仲間でしょうと答えることしか出来なかったのである。(明日に続く)

◇◇ 6月18日付東奥日報紙 「弥生跡地」観察会同行取材記事掲載(10) ◇◇
 (承前)…
 …3. 森林伐採、自然遷移でない植林や植樹は「自然保護」とは相容れないことである。「森林伐採」は「自然破壊」であると理解している人は多いだろう。しかし、まだまだ、「伐採」を「人間の都合」を優先させて行う人や企業、自治体、政府機関は多い。
 ところで、「自然遷移でない植林や植樹」に対しては、どうしてこれが「自然破壊」なのだと疑義を挟む人が大半ではないだろうか。「ブナ」の植樹が何故悪いのだ、「オオヤマザクラ」の植栽がどうして自然破壊なのだと考える人は多いだろう。
 「ブナ」の植林を考えてみよう。岩木山東麓の「弥生いこいの広場」敷地内に植栽された「ブナ」を一例して挙げる。
 いわゆる「弥生跡地」よりも早い時期に「弥生いこいの広場」は整備され、開業した。今から、20数年前のことだと思う。その敷地と「」の境界線付近に「ブナ」が植栽されている。かなりの数である。だが、一様に樹高が低い。大きく見積もっても4mはない。ブナは幼木時の成長が遅い。遅いのは大木の下で、「陽光」の当たるのを待っているからである。だが、この場所は周りに樹木は生えていない。「陽光」を思う存分浴びることが出来るのだ。だが、ものすごく成長が遅い。
 岩木山の、とあるブナ林に、元の営林署が、ブナを伐採して「カラマツ」を植えた。30数年前のことだ。そこは果たして現在どうなっているか。
 …「カラマツ」は育たず、ブナの切り株からのひこばえや実生からのものが、元気に育っているのだ。樹高も15m以上のものもある。(明日に続く)

「ササバギンラン(笹葉銀蘭)」からランを想う / 6月18日東奥日報「弥生跡地」観察会取材記事(9)

2010-06-29 04:34:29 | Weblog
 (今日の写真は、ラン科キンラン属の多年草である「ササバギンラン(笹葉銀蘭)」だ。6月15日の事前調査の時に、岳温泉に間もなく着くというミズナラ林の縁で撮ったものだ。
 「ササバギンラン」は、北海道、本州、四国、九州に分布し、山地の林内や林縁に生える。茎の高さは30~50cmほどだ。茎頂の花序に、長さ約1cmの白色の花をまばらにつける。唇弁の基部は筒状で、距は短い。先は三つに裂け、中裂片は舌状であり、淡黄褐色の隆起線がある。花期は5~6月である。 
 葉は長楕円状披針形か線状披針形で、はっきりした脈がある。茎上部の葉は花序より長い。「ササバ」という名称はこの葉の形に由来する。
 「ササバギンラン」は「ギンラン」に似ているが、花の下にある苞が花序よりも高くなること、葉の裏面や縁、茎の稜上に毛があること、花は「ギンラン」より大きめで、花被片がいくらか開きぎみになることなどから「ギンラン」と区別する。目視による簡便な見分け方は「下部の苞葉が花序と同長以上となる」ことである。名前の由来は「ギンランに似て葉が長く笹の葉を思わせること」による。
 岩木山では、この「ササバギンラン」の他に仲間として「ギンラン」や「ユウシュンラン」 が見られるが、数は少ない。)

◇◇「ササバギンラン(笹葉銀蘭)」からランを想う ◇◇

 …27日の野外観察の時に、是非参加者に鑑賞して貰いたいと考え、登山道から外れて、別の道に入り、咲いていた「ミズナラ林の縁」を歩いた。
 かなり注意しながら「探した」のだが、すでに、花期は終わっていたのだろう、ただの1本にも出会うことが出来なかった。
 つくづく思う。花はすべて自分の流儀で咲く。咲いている時季も、そこには人間の思惑など這い入る余地はないのである。いついつまで散らないで待っていてほしいというのは人の都合である。植物はすべて自然任せの流儀なのである。「自然」にそって「自然」に任せて健気に生きる。それが植物である。
 だが、最近の「ラン」ブームを見ていると私は悲しくなる。人間たちは「自分たちの好み」に合わせて、どんどん「改変」しているのである。「ラン」本来の生きざまを奪い、自分好みに変えているのである。「生物多様性」から大きく逸脱した行為であろう。「生物多様性」を考えると、人間には「植物の生きざまをコントロールする」権限はないはずなのだ。
 この「ササバギンラン」は本来の自分を生ききったのだ。だから、心から「おめでとう」と言おうではないか。
 これは「ラン科」の花だ。人間はとりわけ、この花が好きらしいと見えて、自然に咲く「ラン」は受難の歴史を辿っている。人に見つかるや最後、「掘り採られ」てしまうのである。
 岩木山では、「クマガイソウ」やこのギンランの仲間である「キンラン」は完全に姿を消してしまった。「サルメンエビネ」なども絶滅するのは時間の問題だろう。
 この「ラン科」の花の「掘り採り」は別に最近のことではない。日本人には自然を自宅の庭に持ち込むという「箱庭文化」がある。その「文化」に取り憑かれた人たちが盛んに掘り採っては自分の庭に運ぶのである。
 そのような文化を示す次のような俳句がある。…「ひたひたときてすれちがふえびね掘」(飴山實)…
 「エビネ」も「ラン科」の花である。そのエビネを足音を忍ばせながら掘り採っている人とすれ違ったという句意だろう。
 個人的なその行為だけならばまだいいが、最近の山野草ブームは、これを商売という「流通経済」にまで押し上げてしまった。「個人の庭」に運ぶのではなく、それらを「売るために」、「山野草店」に卸すために掘り採る人がやたらに増えたのである。希少種ほど値が張る。だから、「クマガイソウ」や「キンラン」などは真っ先に消滅してしまったのだ。

◇◇ 6月18日付東奥日報紙 「弥生跡地」観察会同行取材記事掲載(8) ◇◇

(承前)…2. 林道、里道(自治体管理の登山道)、遊歩道、ダム等の工事用道路、観光道路も、深い、浅い、広い、狭い、長い、短い、コンクリートやアスファルトなどの異物がある、異物がないの違いこそあれ、それらは「地表」につけた爪痕である。これも、「自然破壊」の一形態である。
 「自然破壊」を最小に食い止めようという配慮があれば、これらは、「最小」で「最少」の数での「敷設」を考えるべきだろう。

 「小森山」の北側に、昨年から「堰堤工事用」の道路敷設が始まった。この道路は、県道30号線(環状線)から毒蛇沢に入るところからの600mほどを整備修復し、そこから、右折(東側)して姥人沢右岸にいたる約560mはミズナラ林を開鑿して、まったく「新しい」ものを「砕石」を敷いて敷設したものである。
 全長は約1.16kmになり、道路幅員は路肩部分を入れると4mとなり、「普通車」の走行が可能である。途中には4ヶ所の「待避所」も設けられている。この「道路」は21年度の予算で敷設されたものだから今冬も継続され、今年の3月の段階で工事は完了している。
 ところが、この「石切沢4号砂防ダム」敷設の工事現場までは、既存の道路が2本あるのだ。「そのまま」では使えないかも知れないが「整備補修」すれば、「自然を破壊する開鑿」は必要なかったのではないかと考えるのだ。
 その「既存道路」の1つは「小森山」からの道である。一部コンクリート舗装の立派な道だ。工事現場の直ぐ傍まで通っているのだ。
もう1つはスキー場駐車場または、国民宿舎岩木荘近くの林道を辿って、昨年完成した「石切沢5号砂防ダム」の傍を通って石切沢を渡って姥人沢に向かう林道である。
 この「石切沢5号砂防ダム」を敷設した時に使った工事用の道路も姥人沢までの林道とつなげば、使用が可能なのではとも考えるのである。

 「自然に優しい」という言い方は、私は嫌悪する。「自然に優しい」という時ほど、実際は「優しくない」からだ。「優しくないことを隠蔽する」ために使っているとしか言えない。使える既存の道があるにも拘わらず「新しく道」を敷設するということの自然破壊、これはもはや、優しいとか優しくないという次元を越えた問題だろう。
 それかかる費用も莫大だ。個人的に資金を出して敷設するのであれば出来るだけ「金」をかけないということが普通ではないか。どうして、「普通に考えられること」を青森県はしないのだろう。(明日に続く)

「巨木の森」から岳登山道までの道を歩く、「キソチドリ」が咲き始めていていた…(5)は明日掲載する。

「巨木の森」への道を歩く(4) / 6月18日東奥日報「弥生跡地」観察会取材記事(8)

2010-06-28 05:05:43 | Weblog
 (今日の写真は、ツツジ科スノキ属の落葉低木である「ウスノキ(臼の木)」の花だ。
 名前の由来は、果実の形を臼に見立てたものだが、詳しく言うと「果実の先端がへこむのを臼に見立てたこと」による。
 また、別名を「カクミノスノキ(角実の酢の木)」といい、これは「果実の形が角張っていてスノキに似ているし果実は酸っぱいこと」による。林や岩場、山道の周辺などの明るい場所に生育している。これも、正にそのような場所に生えていた。
 北海道から四国と九州の北部に分布している。別に珍しいツツジの仲間ではない。久渡寺山などにも生えている。高さ1m近くになることもあるが、殆ど 50cm以下で地表付近に生えていることが多い。久渡寺山のものはいくらか樹高があるように思える。
 「ウスノキ」には変異が多い。若い枝には短毛があるものから、あまり毛が目立たないものもある。あるいは、葉の裏面には主脈の両側に毛が密生するものからほとんど無毛のものまであるという具合だ。
 枝先に、緑白色に淡紅色の筋の入った「釣り鐘状の花」を数個つける。先端は5裂し、反り返る。果実には「角張った」5稜がある。そして、それが美しい紅色に熟すのだ。酸味があり、食べられる。花よりも「果実」の方がより美しい色合いになることが魅力的だ。
 これと、似ているものに昨日の「今日の写真」ツツジ科スノキ属の「スノキ(酢の木)」がある。見分けるには「葉」を囓ってみるといい。「スノキ」の葉は酸っぱいが、ウスノキは酸っぱくないのである。)

◇◇「巨木の森」から岳登山道までの道を歩く、「キソチドリ」が咲き始めていていた…(4) ◇◇

(承前)…
昨日は、NHK弘前文化センター講座の野外活動で「巨木の森」に出かけ、その後湯段沢を渡って岳登山道に抜けて岳温泉に下山した。
 昨日は「スカイライン」を使って「クライミングヒル」という自転車競技が午前中あったので、遅い出発となった。
 昼過ぎに「スカイライン」のゲートをくぐって、27番カーブの「巨木の森」入り口に着いたのは12時30分ぐらいだったろうか。
 早速、左回りに「巨木の森」を進み、採石道路の終点からブナ林内に入った。途中にあった「危険木2番」と表示されていた「ブナ」が倒伏して道を塞いでいた。これは、立派な葉や枝をつけて、完全に生きているものだったが、幹の片側に腐食があり、そこから折れて倒れたものである。今月15日の事前調査の時には完全に「立っていた」のである。
 これは「観察対象」としては素晴らしい「教材」だと思い、ひとしきり、「何故折れて倒伏したのか」や「この倒伏したブナはこれからこの森でどのような役割を担うのか」などを参加者に考えて貰い、その後で解説を加えた。
 「巨木の森」には「舞台」がある。ここで、これまで数次にわたって「ジャズフェステバル」のような催事を開いている。その舞台を見下ろせる場所で昼食を摂ることにした。
 誰かが言った。「腰を降ろす時は気をつけて、ギンリョウソウを踏みつぶしたり押しつぶしたりしないでね」と。
 ブナの森では今、森の幽霊花と称される「ギンリョウソウ」の開花が真っ盛りである。春と夏の端境期で、花の少ない褐色のブナ林下を透きとおった「白銀」が染め上げるのだ。
 昼食を摂っている私たちを「白銀」の彼女たちは、ひっそりと俯きながら、黙って見守ってくれていた。
 ブナ林内は涼しい。日射しのあるところよりは常時3℃から4℃は低い。標高が800m近いから、平地に比べると5℃は低い計算になる。合わせると9℃近く低くなる。それに風が吹き込むのでより、「涼味」が勝る。このくらい体感温度と実際の気温が低くなると「蚋(ブヨ)」などの活動も鈍くなり、刺されることを心配することもない。
 快適な「環境」の下で、昼食は終わった。気になってはいた「雨」にも帰ってくるまで、一滴にも遭わなかったのだ。
 だが、少々の雨のことは最初から、それほど心配していたわけではない。ブナ林の中だと、土砂降りでもない限り、1時間程度の降雨を気にすることはない。ブナの葉が雨を受け止めて、樹木全体が大きな傘の役目をしてくれるからだ。
 「巨木の森」の入り口付近で木苺の「モミジイチゴ」の白い花に別れを告げて、26番カーブにある「湯段沢」に下降していく細い道に入った。事前調査の時に「チシマザサ」を簡単に刈り払いをしておいた。
 スカイライン道路の脇に立って、参加者に訊く。「さあ、どこから入っていくのでしょう」と。だが、殆どの人は刈り払いされて竹藪にくびれが出来ているのに気がつかない。(明日に続く)

◇◇ 6月18日付東奥日報紙 「弥生跡地」観察会同行取材記事掲載(8) ◇◇

(承前)…
2. 林道、里道(自治体管理の登山道)、遊歩道、ダム等の工事用道路、観光道路も、深い、浅い、広い、狭い、長い、短い、コンクリートやアスファルトなどの異物がある、異物がないの違いこそあれ、それらは「地表」につけた爪痕である。これも、「自然破壊」の一形態である。

 「自然破壊」を最小に食い止めようという配慮があれば、これらは、「最小」で「最少」の数での「敷設」を考えるべきだろう。
 だが、事実はその逆である。あっちにもこっちにも「林道」を造り、しかも、それらの林道は保守点検も補修もされないで放置されている。使える「林道」を使わないで新しいものを造る。最近の林道は伐採して、その木材を運び出すと「それで終わり」という重機を使った自然に対して実に「荒々しい」林道造りが横行している。皆伐と等しい「伐採」という自然破壊に加えて、重機による表土の改変という「二重の自然破壊」が横行しているのだ。
 刈り払いをしただけの、人が一人歩ける程度の「遊歩道」ならば、まだ破壊の度合いは知れている。だが、最近はその道を拡幅して複数名が横並びで歩けるように、車椅子の通行が可能なように、砕石を敷いたり、その表面に「簡易コンクリート舗装」までする「遊歩道」が現れている。しかも、安全な空間確保と称して「遊歩道」沿いの樹木を伐採することもするようになっている。(明日に続く)

「巨木の森」への道を歩く(3) / 6月18日東奥日報「弥生跡地」観察会取材記事(7)

2010-06-27 05:11:28 | Weblog
 (今日の写真は、ツツジ科スノキ属の落葉低木である「オオバスノキ(大葉酢の木)の花だ。「巨木の森」へ行く途中の道、湯段沢左岸で出会った。これは、まさに枝先にぶら下がる小さな赤い「ベル」である。
 「酢の木」という名前の由来は、葉や果実を噛むと酸っぱいことによる。葉は細長い楕円形で、細かい鋸歯の部分が赤く縁取りされている。これが、赤味を帯びた花と非常によくマッチしていて美しい。
 花は、鐘型で、地色に赤紫色が縦方向に入るが次第に紅色に変わる。萼には稜がなく、丸みがある。先端は三角形に尖っていて小さく反り返る。そして、その部分が濃い赤紫色に染まるのである。
 花の時もいいが、紅葉の時季もいい。葉が先端から淡くて明るい紅色に染まっていく様子は、見事で秋の低木が生えている尾根を飾るのである。
 葉がこのようにきれいな色に染まる頃、果実も赤に染まり始めて、やがては黒く熟すのである。実は甘酢ぱくて美味しいのだ。)

◇◇「巨木の森」への道を歩く、枝打ちされた枝の片付けと送りの赤布付け…(3) ◇◇ 
(承前)…
 定かではないが、この「巨木の森」への道を管理しているのは「津軽森林管理署」であるらしい。そのように考えられる理由は、先ず、「巨木の森」が国有林内にあり、「巨木の森」を管理しているのが「津軽森林管理署」であるからだ。
 そして、この「巨木の森」への道も国有林内にあり、「巨木の森」への「徒歩による」アクセス道であるから、当然、管理主体は「津軽森林管理署」であると思えるからである。

 このアクセス道はこれまで数回通ってはいるが、野外観察として「人を数名」引率するとなると、必ず事前に出かけて、現場の確認と、もし必要があれば、通路の簡易な補修などはするのである。
 その日は、この「確認」の他に通路に見出し標になる「赤布」をつけることと通路に散らばっている「枝打ちされた枝」と「刈り払いされた竹や低木」を片づけることが、私の仕事になった。
「確認」の中には「観察ポイント」や「ビューポイント」の設定もある。事前調査は、これだけでも大変に難しいものなのである。それに加えて「赤布付け」と「通路の片付け」だ。
「赤布」は持ち分が30本ほどだからそれほどではないが、「枝打ちされた枝」と「刈り払いされた竹や低木」を片づけることがこの上なく、難儀であった。
 私一人で歩く分には「枝打ちされた枝」と「刈り払いされた竹や低木」は別に邪魔になるようなものではない。
 だが、「歩き馴れていない」人を、そのままの状態で歩かせることは出来ない。足に絡ませて、転倒や滑落ということもある。だから、片づけたのである。
(明日に続く)

◇◇ 6月18日付東奥日報紙 「弥生跡地」観察会同行取材記事掲載(7) ◇◇

(承前)…
1. ダム(堰堤・床固め)「治山ダム」や「砂防ダム」は決して自然を保護しない。それは自然破壊の極みである。

 これらはあまり人目につかないが、ダム等の工事用道路敷設と相俟って、とんでもない「自然破壊」をしているのだ。堰堤(ダム)は自然破壊の典型だ。
 堰堤は、打ち込む「コンクリート部分」だけでなく、その法面上部や沢の底面の土石を掘り出し削り取るのである。
 これは、明らかに「その場の土石を掘り取り、形状を変えること」から「自然破壊」である。堰堤工事では、このような「自然破壊」は日常茶飯事、当たり前のことであって、関わる人たちにとって、気にならないことなのである。
 しかも、このような事実を誰も見ていない。誰もいない深山が現場であり、誰も見ていない場所である。だから、「自然保護」という概念に無関心であれば、いくらでも、破壊は出来るし、破壊の限りを尽くすことも出来るのである。

 …岩木山の沢には見えないところに多くの「砂防ダム」と「治山ダム」がある。「山菜採り」や私のように「ダムや堰堤」の実態を調べるために、その場に出かけて行く人以外は見ることはない。

 私たちにとって距離的に近いところでは、県が関わる「砂防堰堤(ダム)」や「床固め」として「蔵助沢」(岩木山神社横を流れる沢)の右にある「頭無(かしらなし)沢」には、19年度までに3基、20、21年度に各1基の5基がある。なお、将来計画されているものが、最上部の「2号砂防堰堤」である。
 当然、この蔵助沢にも堰堤は数基ある。1985年の土石流は、この沢で起きて、22名の命を奪った。
 また、岳温泉の近くを流れる「湯ノ沢」にも、この砂防堰堤に類似する構造物が数基、最近建設されている。
 「石切沢」水系には既設のものとして「治山砂防堰堤」が1基、それに「1号砂防堰堤」と「2号砂防堰堤」の2基がある。これらに21年度に完成した「5号砂防堰堤」を加えた4基がある。
 「石切沢流域」に将来的に敷設が計画されているものは「1号床固」、「3号砂防堰堤」、「4号砂防堰堤」、「6号砂防堰堤」、「7号砂防堰堤」、「8号号砂防堰堤」の6基である。
 「後長根沢」には古いタイプの大きな砂防堰堤が3基ある。これは、ダム式で土石を貯めるタイプだから、魚の通行を妨げる。おそらく、水が透過出来るタイプのものに往くいくは新しく造営するのだろう。将来を見通せない無駄な工事である。このようなことを以て「ダム」は「無駄」だと言われるのだ。

 また、林野庁が監督官庁である「治山ダム」は、「柴柄沢」には22基、その隣の「平沢」には33基、「滝ノ沢」には19基、「毒蛇沢」には20基というふうにいくらでもあるのだ。 県立公園「岩木高原」の上部にはこの「治山ダム」だけで94基も敷設されているのである。
 さらに、岩木山北東面の「赤倉神社」の神域である「赤倉沢」には15基もの「治山ダム」があり、最上部のものは「最神域」の「結界」を越えて、深く高く「侵入」して、神域を侵しているのだ。(明日に続く)

「巨木の森」への道を歩く(2) / 6月18日東奥日報「弥生跡地」観察会取材記事(6)

2010-06-26 05:19:27 | Weblog
 (今日の写真は、湯段沢の標高750m付近にある滝である。自動車道路スカイラインはこの湯段沢と赤沢に挟まれた広い尾根を蛇行しながら続いている。この広い尾根の北側には標高887mの側火山「黒森山」が聳えている。岳から行くと標高800m付近から沢へ降りることになる。そこまでの登り道が結構長い。歩き馴れていない人にとっては約1時間の登りとなる。
 明日、NHK弘前文化センター講座「津軽富士・岩木山」の野外観察で、この湯段沢を渡る道を「スカイライン」側から入ることにしている。27番カーブで下車して「巨木の森」を散策した後で、この道に入り、岳登山道に出て、岳温泉に降りるというコースを採る。 何故かというと、受講者の中には「山歩きの馴れていない人」も多いので岳温泉からの登りはきついだろうと判断したからである。

 標高750m付近の湯段沢は、深い谷を形成している澄み切った渓流である。山麓の「津軽羽黒」一帯を流れて、湯段の北西から黒沢に注いでいる。その途中には「黒滝」という美しい滝があり、祠などもある。そこから下流も、素晴らしい渓流をなして、中村川に流れ込んで最後は日本海に出るのである。)

◇◇「巨木の森」への道を歩く、現在の「巨木の森」は名前に偽りあり…(2) ◇◇
 (承前)…

 現在の「巨木の森」は名前に偽りありだと私は常々思っている。何をもって「巨木」とするのか、その意味ははっきりしないが、「大木」指して言うのであれば、現在の「巨木の森」と指定された場所の近くに、そこよりも遙かに立派で、大きく太く、しかも、幹を数本束にしているようなブナが存在する場所があるのである。
 それはどこか。現在の「巨木の森」は27番カーブのところから入るが、そこはさらにカーブを10ほど登った「スカイライン」の35番カーブから入る場所だ。
 西には黒森山が聳え、緩やかな黒森山山麓一帯である。そこは広くてゆったりとした森である。それこそブナの「巨木」が林立している。そこから「黒森山山頂」まで散策路を敷設すればいいだろう。だが、現在の「巨木の森」のように土石を開鑿して造る砕石を敷いた道は必要はない。
 人が1人通れる幅でいい。刈り払いをして順路標識を設置する程度で十分である。ブナ林内というものは樹下の藪は殆ど発達しない。ギャップが存在しない限り下草や低木は生長しない。数年に一度の刈り払いで十分「散策路」は確保されるはずである。
 標高887mである「黒森山山頂」からの眺めもいい。東に聳える岩木山とどっしりと対峙して揺るぎがないのだ。このような岩木山を眺めることが出来る場所は他にはない。
 まさに「ビューポイント」である。岳登山道から湯段沢を渡ってやって来る者にも、当然、この散策路は解放すべきだろう。
 新しく「巨木の森」散策路を造るという噂も聞こえてきている。その時にはこの場所を推薦したいと考えている。もちろん、気持ちとしては「私も参加しながら散策路の策定にあたりたい」のである。(明日に続く)

◇ ◇ "Giant Forest" walk the path to the current "Giant Forest" is a false name in ... (2) ◇ ◇
(Continued) ...

Current "Giant Forest," but I think that there lies always the name. With what "big tree" or that their meaning is unclear, "Taiboku" If you say it points to the current "forest of giant trees" near the specified location and in good to much more than it big, thick, yet, there is a place that exists as a bundle beech trunk a few.
That somewhere. Current "Giant Forest" is entered from 27th place of the curve, which climbed more than 10 curves, "Skyline" is where we turn from the curve 35.
Kuromoriyama rises to the west, the foothills area Kuromoriyama loose. There is a large and spacious forest. Beech exactly "big tree" has been a forest. From there, "Kuromoriyama summit," but if you're laying a path to walk. But the current "big tree forest" path paved with crushed stone and digging the clay to build is not needed.
I pass through one person wide. Is sufficient to establish a route sign mowed. Thickets of beech forest are not developed much underplanting. Undergrowth and shrubs will not grow unless there is a gap. Enough mowed once a few years "promenade" is supposed to be secure.
Is 887m above sea level "summit Kuromoriyama" Can I view from. I do not have to confront the massive firm rising in the east, and Mt. Mt place where you can watch others do not like this.
Just "Viewpoint" is. Who also come across the water from the swamp stage mountain trails, walking paths, this course will be freed.
New "forest of giant trees," has also been hearing rumors of building a promenade. At that time we have to recommend this place. Of course, you want to participate in the development of walking paths, too. (Continued tomorrow)

◇◇ 6月18日付東奥日報紙 「弥生跡地」観察会同行取材記事掲載(6) ◇◇

(承前)…
 「山でゴミを拾う」ことだけをして私は「自然保護活動」をしているという人も、しない人よりは「活動」しているのだから、もちろん、それはそれでいい。
 だが、「自然保護活動」はそれだけではないのである。それだけで満足しては「ある部分だけをとらえるのではなく、自然を普遍で多様な世界と全体的にとらえ、そのバランスを大切に維持しようとする」自然保護からは離れてしまうだろう。この「乖離」性をもって単なる「自己満足」だといわれることもあるのである。
 自然保護とは何かについてを踏まえて、「自然を普遍で多様な世界と全体的にとらえ」ながら、岩木山に見られる「山岳自然の保護」と相容れない事象、つまり「岩木山の山岳自然の破壊」を挙げてみよう。先ずはたくさんあることに驚くだろう。
        
1. ダム(堰堤・床固め)「治山ダム」や「砂防ダム」
2. 林道、里道(自治体管理の登山道)、遊歩道、ダム等の工事用道路、観光道路
3. 森林伐採、自然遷移でない植林や植樹(ブナ・オオヤマザクラ)
4. スキー場、ゴンドラ、リフト、ゲレンデの改変
5. スノーモービル、オフロード車両の侵入
6. 土取、岩や石取り
7. 不燃物、不腐敗物の投棄
8. 過度な山菜採りや釣り人と彼らによるゴミ
9. 自動車侵入による林縁の損壊
10.過度な数のトイレや建造物
11.標識板や見出し標の設置
12.山麓別荘地などの植樹、植生破壊
13.沢や湖沼に外来魚を持ち込む(ブラックバス)
14.外来種の持ち込み在来種の激減
15.在来種の生えている場所の移動 (地球温暖化)
16.遊歩道沿いの枯れ木の伐採や撤去
17.花などの咲く時季の変遷 (地球温暖化)
18.雪解けの時季、雪庇の付き方、雪渓の厚さと長さ、生じる場所の異同(地球温暖化)
19.雪質、酸性雪や酸性雨
20.ペット動物の持ち込み
21.高山植物の盗掘
22.パラグライダー、ハンググライダー、モーターパラグライダーなどの飛行物体

 明日からは、この22項目の1つずつについて詳しく書くことにしている。(明日に続く)

「巨木の森」への道を歩く(1) / 6月18日東奥日報「弥生跡地」観察会取材記事(5)

2010-06-25 05:06:57 | Weblog
 (今日の写真は、湯段沢の滝付近で出会った「トンボ」の羽化である。私は昆虫の中でも「トンボ」はとりわけ好きである。何故かというと、人間が造りだした飛翔物の中で、「空気抵抗」を無視した「ロケットなど宇宙移動」用の道具を除いたすべての飛行体の中で、「トンボ」ほどに華麗で、効率よく飛ぶものがないからである。
 いくら人間が文明を駆使しても「トンボ」を超える「飛翔」は出来ないと私は考えている。
 そのような私だが、別に「トンボ」について詳しいわけではない。今日の写真の「トンボ」も何というものか分からない。そこで、「青森県トンボ研究会」発行の「青森県のトンボ」を開いてみた。そして、これは「コオニヤンマの羽化」だろうと推定した。だから正しいかどうかは分からない。詳しい人がいたら、教示を乞いたいところだ。)

◇◇「巨木の森」への道を歩く、これは「ムカシトンボ」か…(1)◇◇

 …先日、岳温泉から登り、「巨木の森」への道に入って湯段沢を渡り、「巨木の森」を見てから同じ道を辿って戻ってきた。その時に「今日の写真」に出会ったのだ。
 道なき踏み跡探しで、沢すじを歩いたり、沢を渡ったりする時に、手がかりを探して「視線」を前方の「目の高さ」に置く時によくこのような「情景」に出会うのである。
 そのような時は大体、カメラはザックの中なので、「撮りたいなあ」という気持ちを飲み込んで、通り過ぎてしまうことが多いのだ。
 ところが、その日はカメラを首から肩にかけて横様に背負った感じで登っていた。自ずから、両手は空いていた。カメラを引き寄せ、体を屈めて、立て続けに3枚も撮ってしまった。
 何故、3枚も撮ったのか。ある思いがあった。それは場所に由来していた。そこは湯段沢の中流部の上部であった。大きくはないが滝が連続してあり、ゴウゴウという音を立てて、澄み切った水が流れている。しかも、この上部には治山ダムも砂防堰堤もない。
 そのような、山間部の水のきれいな流れの速い渓流に生息している「トンボ」いえば、
それは「ムカシトンボ」と呼ばれるものなのだ。成熟した成虫は、おもに山地渓流で見られるといわれている。
 私はこの「ムカシトンボ」という名前にずっと惹かれていた。むしろ憧れていたといってもいいくらいだ。この「トンボ」ほど「悠久の自然」を体現している「トンボ」はいないように思えるからである。
 「トンボ目ムカシトンボ科」のこの「トンボ」は「生きた化石」といわれ、世界的に有名な「日本特産種のトンボ」だ。
 1億5千万年前に生息していた「トンボ」の仲間に近い形態をしていることが「名前の由来」で、「ムカシトンボ」という名前がついたのである。近い仲間は遠くヒマラヤでだけ発見されている「トンボ」で、きわめて原始的な形態をしている貴重な種類なのだ。
 私の思いは、時空を超えて1億5千万年前に飛び、遠く「ヒマラヤ」山脈に飛んだ。その挙げ句が「3枚連写」となってしまったのだ。
 この「トンボ」は7月頃までが羽化の期間である。腹の長さは大体4.0cmだ。北海道から九州南部にかけて分布しているとされている。幼虫が成長して、成虫になるのに7年もかかるといわれ、ヤゴの時も水中で何回も脱皮を繰り返すらしい。
 「山地の沢」など、水のきれいな渓流に棲むことから、環境変化には非常に敏感で、「砂防ダム」や「治山ダム」の工事、また林道工事などにより土砂が流れ込んだりすると、まったく見られなくなってしまうのだ。
 この「湯段沢」中流上部には幸い「ダムや堰堤」もないし、取り立てて林道というほどの「道」もない。「ムカシトンボ」の生息域がかろうじて保たれているのだろう。
 私は、これを「ムカシトンボ」として、そのように思いたいのである。(明日に続く)

◇◇ 6月18日付東奥日報紙 「弥生跡地」観察会同行取材記事掲載(5) ◇◇

(承前)…
 少し、ここで「自然保護とは何か、どのようなことを含み、私たちは何をすればいいのか」について考えてみることにし、それを箇条書きにしてみた。

●「生物多様性」と「生物文化多様性」を護ることである。
● 自然開発(スケールメリットを求める)とは対義的な概念である。
● 自然開発(スケールメリットを求める)をともなう観光開発は相容れないものである。
●「悠久の自然」を維持することである。
● すべての破壊行為を許さないというスタンスに立つ。その意味では平和主義である。
● 生命主義であり、共生主義でもある。共生は生き物のルール。すべての命を大切にして互生することを願う。よって、生命を基本に据える社会を目指すものである。
● 現在世代の満足を越えて未来世代の幸福を考える。
● ある部分だけをとらえるのではなく、自然を普遍で多様な世界と全体的にとらえ、そのバランスを大切に維持しようとすることである。
●「機械と火力」の時代から「生命と水」の時代を望むものである。
● 生き物の感覚を、生活者の視点として取り入れて自然を見つめることである。
 「レイチェル・カーソン」と環境ホルモンを指摘した「シーア・コルボーン」が参考になる。2人とも女性。

 このように掲げてみると「自然保護」とは決して一語で片付けられるものではないことが分かるはずだ。とにかく、広く深く学習して、つながりを埋めていかない限りは理解出来ない「難物」であることが分かる。
 一つの事象にだけ関わり、私は自然保護活動にとり組んでいるということは言えないのである。
 「山でゴミを拾う」ということも「自然保護活動」の一つであるに違いないが、それだけをもって満足してしまうことは片手落ちなのである。自己満足だといわれてもしようがないだろう。(明日に続く)

6月18日東奥日報「弥生跡地」観察会取材記事(4)/「岩木山」津軽国定公園ものしりマップ(10)

2010-06-24 04:50:36 | Weblog
(今日の写真は、「『岩木山』津軽国定公園 岩木山 ものしりマップ」の「岩木山の動物:蝶類」に使われた写真である。
 これは、鱗翅目タテハチョウ科の「クジャクチョウ(孔雀蝶)」だ。北海道と本州の中部地方以北に生息する。大きさは25~35mmである。
 時は9月だった。晴れてはいるがなかなか気温が上がらなかった。そんな中、標高1000m付近の岩に停まって暖をとっていた。陽光を浴びた岩肌は結構「暖かく」なっているのだろう。羽を広げたままで殆ど動かない。まるで、「写真に撮ってちょうだい」といっているようなのだ。感謝しながら写したものだ。

 タテハチョウだから羽を立てる。羽を立てると羽の表面は閉じてしまい、この美しい「名前の由来」にもなっている「クジャクの羽にみられるような目玉様の眼状紋」は見えないのだ。裏面は地味な黒褐色でまったく目立たない。
 食草のイラクサ科、アサ科のカラハナソウ(唐花草)などに集まる幼虫は、「黒い体に黒い棘」であり、成虫の羽の裏面をそれとなく予想させる。
 とにかく、「今日の写真」のように大変美しい蝶で、学名には「ギリシャ神話に登場する美しい女神」という意味があるそうだ。
 アザミなどの花を訪れ、9月初めに、数を増やして、成虫のままで越冬をする。「クジャクチョウ」や「ルリタテハ」などタテハチョウ科の蝶が成虫で越冬するようになったのは、野鳥の繁殖が終わる頃に幼虫を出現させ、幼虫が野鳥の被害に遭わないようにする為だと考えられている殆ど動かない。

◇◇ 6月18日付東奥日報紙 「弥生跡地」観察会同行取材記事掲載(4) ◇◇

 (承前)…この小論を続ける前にお知らせがある。「6月18日付東奥日報紙」の「交差点」と「陸奥新報紙」をまだご覧になっていない人にとっては、この論に書かれていることがよく分からないかも知れないと私は懸念していたのである。そこで、管理人の葛西さんにこの2紙の記事を本HPに掲載してくれることを依頼したのだ。葛西さんは多忙ながら早速掲載してくれた。
 本ホームページ左欄の「・自然破壊や災害について」の「・弥生スキー場」 をクリックして、開くと、その一番の上段に「・ 岩木山弥生リゾート跡地に外来のシラカバ 正常な植生阻害か、沢にニホンザリガニ戻る(2010年3月~6月)New!」という項目がある。
 それをクリックすると「6月18日付東奥日報紙」の記事と「月日付陸奥新報紙」の記事が掲載されている。東奥日報は切り抜きであり、陸奥新報の方は「Web」からのコピーである。この記事を実際に読んで、もう一度最初からこの小論に目をとおしてもらえると嬉しい。

 この「・自然破壊や災害について」の「・弥生スキー場」というページの主題は「弥生スキー場跡地の再開発問題について」であり、サブテーマは「あるがままの岩木山を守るために、この広大で大きな建造物の建設を止めさせ、森林の回復事業を優先させましょう!」である。
 本会の活動目的がここにある。端的に言うと「あるがままの岩木山を守る」ことなのである。その意味からも本会は純粋に「自然保護」団体なのである。
(明日に続く)

◇◇「岩木山」津軽国定公園 岩木山 ものしりマップ(10:最終回) ◇◇
(承前)…

「岩木山山頂からの360°」という1ページの図版があります。眺望される方位を明らかにして、眺めることの出来る県内の山の大半や遠く秋田・山形県境に位置する鳥海山、岩手県の岩手山、秋田県の森吉山、秋田駒ヶ岳、北海道の大千軒岳なども掲載されています。

「津軽国定公園岩木山登山マップ」という見開き2ページにわたる図版があります。その次のページには「各登山道紹介」が岳登山道、百沢登山道、弥生登山道、赤倉登山道、長平登山道の順で「地図」上に案内を付記した図解入りのものが掲示されています。
 「津軽国定公園岩木山登山マップ」とこれら各登山道地図は、本ホームページ左欄の「・登山道情報」をクリックして、開くと、「岩木山登山マップ」印刷してご利用ください pdfファイル 約2.7MB A4-3枚」がありますから、どうぞご利用下さい。

 最後の図版は「岩木山スキーコース案内」です。これも、見開き2ページです。各尾根ごとの詳しいスキーコースがきれいな図解で説明されています。
(この項で使われている写真はエゾノツガザクラ、ガクウラジロヨウラク、コミヤマカタバミである。)

 いよいよ最後です。「編集後記」を紹介しましょう。
 …岩木山は数十年前までは、近くにありながらも、登ることが大変難しく、その意味では遠い山でした。しかし、津軽岩木スカイラインという自動車道の開通によって、とても手軽に登ることの出来る身近な山になりました。入山者も年間に5万人を越えほどになり、それに比例して、岩木山の荒廃はどんどん進んできました。
 それは、高山植物を含む草花の乱獲と入山者が捨てていくゴミによるものです。このように、一部の「心ない者」によって自然が壊されていくことには、本当に心が痛みます。
 21世紀は「自然との共生」の世紀と言われています。最近は自然に対する保護活動が岩木山でも進んで、自然環境も年々いい状態に復しています。これからも、みなさんと一緒に岩木山の自然を守っていきたいと考えます。…(この稿は今日で終わる)

6月18日東奥日報「弥生跡地」観察会取材記事(3)/「岩木山」津軽国定公園ものしりマップ(9)

2010-06-23 04:13:10 | Weblog
 (今日の写真は、「『岩木山』津軽国定公園 岩木山 ものしりマップ」の「岩木山の特異的な自然」の項で使われた写真である。
 これは、「八甲田山山系」ではどこでも見られる「アオモリトドマツ」である。岩木山には生えていないとされていたが、自動車道路「スカイライン」敷設中に発見されたものだ。だが、その後「保護されることもなく」次第に数が減って最後の1本になってしまったのである。
 現在はスカイラインターミナルの南面に生えている。「最後の1本」ということは、これが枯れてしまうと岩木山から「アオモリトドマツ」が無くなってしまうということであり、「岩木山の超絶滅危惧種」ということなのである。
 少なくとも7、8年前までは3本が生育していたことを確認していた。だが、いつの間にか今日の写真の1本になってしまったのである。非常に残念である。植物はある程度の集団で生えていないと絶滅の度合いは増すのである。しかも、現場は標高1280mという高地である。「最後の1本」となり、果たして、数が増えていくものかどうか、非常に悲観的な展望しかない。
 何故「最後の1本」となったのかその理由は知っている。人為的なものである。だが、ここではその詳しい理由は述べないことにする。
 知らずに「最後の1本」にしてしまったものが「最後の1本」であるということを知って、保護に本腰を入れるというからである。)
 
◇◇ 6月18日付東奥日報紙 「弥生跡地」観察会同行取材記事掲載(3) ◇◇

 (承前)…私たちの「弥生跡地」への取り組みは、他の自然保護団体やそれに類する組織の目的や活動とはかなり違う。「交差点」では多くの人が行き交い、その人たちは顔貌がすべて違うように「考え方」や「意見」がみな違う。それと同じように「本会」のそれも明らかに違う。
 荒れ地に「森を育てる」という時に、多くの「自然保護団体やそれに類する組織」は植樹を唱える。だが、本会は「植樹や植林」を唱えない。
 「自然の摂理にそった遷移」を待つ。自然の回復力と治癒力に任せるのだ。だが、何もしない訳ではない。
 その遷移のプロセスを調査、観察しながら、異変があれば、その原因理由を探り、正常な遷移ならばそっと見守る。しかも、この「調査と観察、見守る行為」を多くの市民と共同で実践して、いつの日か、市民の森となっていくことを願うのである。

 このような考え方の私たちにとって「植樹」ということには違和感があるのだ。時々、新聞やテレビにも「植樹」行事のことが出る。
 何と、「生物多様性条約事務局」が、世界各国の子どもたちに、それぞれの国の5月22日午前10時に植樹するよう呼びかけていたのだ。そして、地球の東から西へ、樹木が立ち上がっていく様子を「グリーンウェイブ」(緑の波)と名づけた。
 …世界をめぐれ「緑の波」…ということであるらしい。5月22日は「国際生物多様性の日」なんだそうだ。日本では、東京湾の人工島にある「海の森」(東京都江東区)で、親子300人がクロマツやオオシマザクラ、ヤマモモなど19種の苗木計1千本を植えたと報道された。
 「グリーンウェイブ2010~親子で学ぼう生物多様性」の植樹イベントである。天下り役人のいる国土緑化推進機構や森林文化協会主催という紐付き行事である。市民が中心に主体的に行動した行事ではない。
 その日は、「公募で集まった親子」がカウントダウンし、10時になると一斉に苗木を植えた。父親と参加した小学6年生は、「土がちょっと硬かったけど、頑張って植えました。ここが何十年後かに森になると思うと楽しみ」と話したと伝えられている。
 この小学6年生は可哀想である。この子は「遷移」ということを知らない。「土の硬い」荒れ地がどのような遷移のプロセスを辿って森になっていくのか知ることが出来ないのである。大勢の大人たちが子供に「真実」を教えない。これは許されることではない。「生物多様性」ということと「植樹」という行為は、決して結びつかないのである。

◇◇「岩木山」津軽国定公園 岩木山 ものしりマップ(9) ◇◇

(承前)…10 登山道の紹介
百沢登山道:
 もっとも歴史的で一般的な登山道は岩木山神社からの登拝道です。温泉宿を門前にした岩木山神社から桜林、スキー場、姥石、焼止り小屋、錫杖清水(標高1300m付近の湧水)、鳳鳴小屋、急登の二のみ坂、一のみ坂を登り山頂へ( 登山口から約4時間です)

岳登山道:
 300年の歴史を持つ岳温泉からのこの道は、標高から最短の距離であり、急斜面もなく快適なブナ帯を2時間でスカイラインターミナル。鳳鳴小屋で百沢道と合流して山頂へ(登山口から3時間です)

松代(大ノ平)登山道:
 松代石倉(大ノ平)からブナ帯を抜け、コメツガに覆われた追子森を経て、長平登山道分岐から山頂へ。現在、追子森から先は、ほぼ廃道状態です。猛烈な藪こぎを強いられます。(登山口から強健な者で約7~8時間です)

長平登山道:
 岩木山北面の林道とスキー場敷設で登山口が標高560mまで押し上げられました。羽黒清水、石神神社、スキー場ゲレンデ、大館鳳鳴高校遭難慰霊碑、長平清水、松代分岐(藪こぎの部分あり)、山の神石、一のみ坂を登り山頂へ(登山口から4時間30分です)

赤倉登山道:
 石仏を辿る信仰の道です。ブナ林内の赤倉神社屋群を抜けた尾根の「石仏一番」から伯母石、鬼の土俵、コメツガ林、大開を経て標高約1400mの巌鬼山直下の「石仏三十三番」に着き、大鳴沢源頭をまたいで山頂へ(登山口から4時間30分です)

弥生登山道:
 標高120m地点から登るので長い登山道となります。リンゴ園、ミズナラ林、大長峰、拡幅の少ない原生に近いブナ帯の道を抜け、森林限界からは踏み跡を丹念に辿って耳成岩下部から山頂へ。登山道沿いにヒノキ丸太による合目標識があります。(登山口から4時間です)(明日に続く)

岩木山神社拝殿の美しさに思う / 「岩木山」津軽国定公園 ものしりマップ(8)

2010-06-22 04:58:44 | Weblog
(今日の写真は、「『岩木山』津軽国定公園 岩木山 ものしりマップ」の「岩木山の伝統的な山岳信仰」の項で使われた写真である。
これは、岩木山神社の拝殿である。私たちは普通に「岩木山」を「イワキサン」と呼んでいるが、岩木山神社のことは、何故かしら「イワキヤマジンジャ」と言い慣わしてきた。ひょっとすると昔の人は、みんなが「岩木山」を「イワキヤマ」と呼び慣わしていたのではないだろうか。
 建築の様式は分からないが、何という艶やかな色彩、破格を感じさせない配色の妙、それに、色種の多さには驚いてしまう。
 色彩の世界に「光の三原色」という概念が入って来てから、「自然に見える三原色」の世界は遠のいた…と思っているのだが、この拝殿の色調はまさに、「自然に見える三原色」から成り立っている。)

◇◇ 岩木山神社拝殿の美しさに思う ◇◇

 「赤・緑・青」の「三原色」の他に、「光の三原色」というものもある。光の三原色は「赤」、「青」、「緑」のことをいうからこれも「三原色」であるが、この英語の頭文字を組み合わせて、「RBG」と呼ぶ。色の「三原色」や光の「三原色」ということを知らない人でも、この「RBG」という記号には馴染みがあるだろう。
 カラーテレビやコンピュータのカラーディスプレイの発光体には、この「光の三原色」が使われているからだ。光の場合には、この三色を使うと、ほぼすべての色が再現出来ると言われている。最近のディスプレイ技術は進歩してきているが、まだまだ「自然の微妙な色彩」を再現するところまではいっていない。
 この「光の三原色」の場合、色を混ぜ合わせていくと、色が明るくなる。この混色方法を「加法混色」といい、原理的には「光のエネルギーを加算する」ことである。
 因みに、三色の色を互いに、加えていくと、最後は「白」になってしまう。「ディスプレイ」の「真っ白画面」は電気的に光のエネルギーを加えていった結果なのである。

 各家庭に、「テレビもない、コンピュータもない、カラープリンターもない」時代では「赤・緑・青」の三原色でことが足りた。
 しかし、「テレビ、コンピュータ」の登場で「光の三原色」が加わった。「光の三原色」についての知識がないと、テレビ等の画面における色調整もままならないことになった。
 ところがそれだけではなかった。各家庭で「カラープリンター」を持つようになった。そうなると「色材の三原色」というものが、知識として必要視され始めた。具体的には「プリンターのインク」に関してである。
 「色材の三原色」とは「黄色(イエロー)」、「赤紫(マゼンダ)」、「青緑(シアン)」のことだ。
 これは、「光の三原色」と違い色を混ぜ合わせていくと、色が暗くなるので、「減法混色」といわれている。この三色を加えていくと黒になる。だが、不思議なことに「黒インク」がないと「カラー印刷」は出来ないのだ。
 これには「反射特性」というものが関わっているという。理論上は、三色を混ぜ合わせると「黒」になるのだが、実際、使用される「インク」は、望ましい「反射特性」を持っていないので、混ぜ合わせても黒にはならず、「暗い茶色」のような色になるので、「黒」のインクを加えて実用化しているというわけである。

 コンピュータのモニターを見ては思う。カラー写真を印刷しては思う。…どうして、現場で見た情景や「色彩」とこんなに違うのかと…
 今日の写真も所詮は「写真」である。この拝殿は、自分の目で見るともっと艶やかで美しいのである。

◇◇「岩木山」津軽国定公園 岩木山 ものしりマップ(8) ◇◇

(承前)…9 岩木山の特異的な自然

①岩木山の生物における特徴的な現象
1)過去30年ほどの間に絶滅したと考えれるもの:オオルシシジミ・キバナシャクナゲ。
2)過去30年ほどの間に絶滅しているかしつつあるもの:コナラ林のゴマシジミ・ウラゴマダラシジミなどのシジミチョウ類・アオモリトドマツ、キタゴヨウマツ、ヒノキアスナロ
②岩木山の自然の具体的な特性
1)岩木山の自然は孤立化している
 岩木山は「陸上の小さな離れ小島」です。離れ小島に棲む生物の種類数は面積に比例するといわれています。麓の生物も開発により周囲から切り離され孤立し、高山部に棲む生物ほど孤立化は深刻です。
 岩木山を一周する環状道路は60km弱ですが、この道を境に、岩木山とより外側の地域と連なる自然はないに等しい状態です。そのため移動力のある大型動物以外は交流が難しくなっています。東から南斜面はリンゴ園で、そのための薬剤散布により都市住宅地よりも貧しい生態系であり、岩木山の生態系と共通するものはありません。

2)岩木山は新しい火山
 岩木山の高山植物の殆どが八甲田山と同じであることから、古岩木山にも八甲田山と同じ氷河期の植物が遺存していたものと思われます。岩木山の生物は火山活動により大がかりな攪乱(生息地の破壊による数の減少)を受け、その後300年程(最後の噴火1863-文久3年)しか経ていないのです。

3)コニーデ型単独峰の単調な生物相に多様性を与えるのは寄生火山や山麓草原(湿原)
 笹森山、森山など麓にある寄生火山はなだらかな岩木の麓の地形に変化を与え、地下水や水の流れに変化を与え、草原や湿原など自然景観のハーモニーを作り出してきました。草原(採草地)は村落から遠いところは放置され、ミズナラ林など雑木林になりました。 山麓の「オオルリシジミ」が棲む本来の草原は、いち早くリンゴ園となってしまい、「オオルリシジミ」は絶滅したのです。
 現在、青森県では「オオルリシジミ」などの「草原の蝶」は再発見されていません。
(この項で使われている写真はゴマシジミ、アオモリトドマツである。)
6月18日付東奥日報紙 「弥生跡地」観察会同行取材記事掲載(3)は明日掲載する。(明日に続く)

6月18日東奥日報「弥生跡地」観察会取材記事(2) / 「岩木山」津軽国定公園 ものしりマップ(7)

2010-06-21 04:15:16 | Weblog
 (今日の写真は、「『岩木山』津軽国定公園 岩木山 ものしりマップ」の「岩木山の植物」に使われた写真である。
 これはツツジ科ツガザクラ属の常緑小低木である「エゾノツガザクラ(蝦夷栂桜)」だ。森林限界よりも高所に生育することが多く、北海道の他には、東北地方北部に分布する。高さ5~30cmしかない。これも、「ナガバツガザクラ」同様に一見すると「草本」である。

…「エゾノツガザクラ(蝦夷栂桜)」それは透かし紫模様の汗杉を着た童女たちだ…

 夏の盛りである。まだ雪渓があることを幸いに、いや雪田というべきだろう、その上を辿って北に少しだけ足を運んでみた。そこには、まだまだ大きな雪田があり早春の風情をなしていた。その近くは春真っ盛りで、大岩の先っちょではカヤクグリがさえずって縄張り宣言をしている。
 雪田から離れたところには夏の花の「ミチノクコザクラ、ミヤマキンバイ、ミツバオウレン」などが、満を持して咲き出していた。赤倉方向に行ったところの道端では既に、秋の花「ミヤマアキノキリンソウ」や「シラネニンジン」が咲きかかっていた。
 それらが取り巻く中心には、透かし薄むらさき模様の汗杉(かざみ)に身を包んだ童女たちがちょっとはしゃぎながらもはにかみを添えて踊っていた。「エゾノツガザクラ」が咲き乱れているのである。
 本州では早池峰山、月山、それに岩木山にしか咲かない花である。
 彼女たちが恥じらいながら仰ぐ青空には、白い雲の峰が盛り上がって頂部を鉄床雲(かなとこぐも)とし雄大な積乱雲になりかかっていた。これは夏空の雲だ。
 その雲が影を落とし、時には黒っぽく、時には白っぽく染める岩や礫は、太陽を浴びて暖まっていて、その表面には秋のとんぼアキアカネが羽を休め、岩の熱を体に取り入れてエネルギーを蓄えていた。
 何と多くの色彩を越えた豊かな生命ではないか。絵画や写真ではそれまでは描けまい。そこは三つの季節の風物に彩られていたのだ。山とは神秘で「あやしき」ところである。)

◇◇ 6月18日付東奥日報紙 「弥生跡地」観察会同行取材記事掲載(2) ◇◇

(承前)…しかし、「スキー場開設」が不発の終わってからも、「自然体験型拠点施設」の建設とか「大型児童館」の建設と立て続けに弘前市は市税を投入して、この場所に「箱物」を造ろうとしたのである。
 弘前市はすでに、この「場所」のために、数億円という市税を「無駄」に使っていた。国のリゾート法は見直されて、「開発」による自然破壊に対しては批判的な意見が大勢を占めるほどになっていた。だが、弘前市は「箱物」建設に意を燃やし続けた。
 市民はいい加減、この「箱物」建設には嫌気がさしていた。「弥生スキー場」に関わる訴訟も起きた。
 そのような意味で、「弥生跡地」は多くの市民が注目する事柄だったのである。つまり、「交差点」を行き交う人たちが、誰でも話題にすることが「弥生跡地」であったのだ。(明日に続く)

◇◇「岩木山」津軽国定公園 岩木山 ものしりマップ(7) ◇◇

(承前)…8 岩木山の野鳥

特別天然記念物の「イヌワシ」や「クマゲラ」を含む90数種類が確認されています。
*アトリ科 (ウソ・マヒワ・シメ・ハギマシコ・ベニマシコ・カワラヒワ・オオマシコ)
*アマツバメ科(ハリオアマツバメ)
*イワヒバリ科(カヤクグリ)
*ウグイス科(ウグイス・キクイタダキ・コヨシキリ)
*エナガ科(エナガ)
*カイツブリ科(カイツブリ)
*カケス科(カケス)
*カッコウ科(カッコウ)
*カモ科(オシドリ・コガモ・コハクチョウ)
*カラス科(ホシガラス)
*カワガラス科(カワガラス)
*カワセミ科(カワセミ・ヤマセミ)
*キジ科(キジ・ヤマドリ・ウズラ)
*キバシリ科(キバシリ)
*キツツキ科(アカゲラ・アオゲラ・アリスイ・オオアカゲラ・コゲラ・クマゲラ)注:クマゲラのねぐら木、採餌木、採餌痕、鳴き声は確認されています)
*ゴジュウカラ科(ゴジュウカラ)
*シギ科(オオジシギ・ヤマシギ)
*シジュウカラ科(コガラ・シジュウカラ・ヒガラ・ヤマガラ)
*セキレイ科(キセキレイ・ビンズイ)
*タカ科(イヌワシ・ハイタカ・クマタカ・チョウゲンボウ・オオタカ・ハチクマ・ノスリ・トビ)
*ツグミ科(ツグミ・ノビタキ・ジョウビタキ・トラツグミ・ルリビタキ・ノビタキ・コルリ・アカハラ・クロツグミ)
*ツバメ科(ツバメ・イワツバメ)
*ハタオリドリ科(ニュウナイスズメ)
*ハト科(アオバト・キジバト)
*ヒタキ科(オオルリ・キビタキ・コサメビタキ・メボソムシクイ・センダイムシクイ・エゾムシクイ・ヤブサメ・コマドリ・オオヨシキリ)
*ヒヨドリ科(ヒヨドリ)
*フクロウ科(フクロウ・トラフズク)
*ホオジロ科(ホオジロ・ミヤマホオジロ・ノジコ・クロジ・アオジ・ホオアカ)
*ホトトギス科(ホトトギス・ツツドリ・ジュウイチ)
*ミソサザイ科(ミソサザイ)
*メジロ科(メジロ)
*モズ科(モズ)
*ヤツガシラ科(ヤツガシラ)
*ヨタカ科(ヨタカ)
*レンジャク科(キレンジャク・ヒレンジャク)
                  
 この他に、岩木山の野鳥分布図として「山麓から山頂までを垂直」図形で表示し、標高ごとに区切って生息している野鳥名を記載したものが表示されています。(この項で使われている写真はイヌワシ、オオタカ、キレンジャクである。)(明日に続く)

6月18日東奥日報「弥生跡地」観察会取材記事(1) / 「岩木山」津軽国定公園 ものしりマップ(6)

2010-06-20 03:10:39 | Weblog
 (今日の写真は、「『岩木山』津軽国定公園 岩木山 ものしりマップ」の「岩木山の植物」に使われた写真である。
 これは、ツツジ科ツガザクラ属の高山の礫地や草地に生える常緑の小低木である「ナガバツガザクラ(長葉栂桜)」だ。樹木とはいうものの「ちょっと見」では「樹木」には見えない。まさに草本の風情である。樹高は10~30cm。葉は線形で長さ8~12mm、枝にびっしりとつく。
 名前の由来の「ツガ」はこの葉が針葉樹の「栂」に似ていること、それに、「ツガザクラ」の葉よりも長いということによる。学名には「nipponica」という語が使われているから日本の特産種なのかも知れない。
 釣鐘状の花冠はうっすらとピンク色を帯びて下向きについて浅く5裂し、萼は紅紫色だ。 「ナガバツガザクラ」はツガザクラの変種である。東北北部から北海道の高山の岩場に生育するのだが、岩木山の場合は「岩礫雪田」付近に生えている「エゾノツガザクラ」とは棲み場所がかなり違う。
 岩木山で見られるツガザクラは「エゾ(ノ)ツガザクラ」と「ナガバツガザクラ」だけであって、「ツガザクラ」そのものは生育していない。
 その代わりに亜種である「ナガバツガザクラ」が見られ、葉や花柄がツガザクラより長いのが特徴である。花の形は他のツガザクラの類よりも、イワヒゲやアカモノに似ているようにも見える。

 …まさにその花は、乳白色に輝き透る丹念な造りのランプ傘だ…
 花の終わったイワウメの群れ葉から、たった一輪だけピョコンと首を出して咲く精緻な花、乳白色に透き通るランプ傘のような「ツガザクラ」が目についた。
 その下の小さな窪みにはまとまった一群が咲いている。葉が太く長いことが特徴であるナガバツガザクラだ。
 そのすぐ傍には枯れた萼片をつけて垂直に立っているイワウメ、淡いランプの下で寝具にくるまって眠る赤子を見守る乳母の風情である。さらに、ハイマツの茂みから顔を出して、上から覆うタカネスゲはまさに揺り籠に掛けられた紗(うすぎぬ)であろう。山ではみんなが保ち合いながら生きているのだ。)

◇◇ 6月18日付東奥日報紙 「弥生跡地」観察会同行取材記事掲載(1) ◇◇

 大きく取り上げてもらった。紙面上段に4段抜きでの掲載だった。しかも、カラー写真を2枚も掲示してくれた。
 この掲載欄は「交差点」というものである。「交差点」という欄である以上、何か特別な意図があるのだろう。この「観察会」記事は、その特別な企図にマッチしたものなのであろう。
 「交差点」とは、道路などが交叉している地点のことだ。だからこれを象徴的に捉えると「多くの人が行き交う場所」とか社会性を持たせると「社会的に色々な意見が飛び交う」という意味にもなってくるだろう。
 この「弥生跡地」は「スキー場を開設しよう」に始まり、許可を得ないうちに自然破壊を繰り返してゲレンデの造成と管理棟や機械棟の建設までしてしまった場所である。
 その後、高い市費を払って、この「管理棟や機械棟」などを撤去したのである。だが、その打ち砕かれたコンクリートや鉄筋の残骸は今でもその場所にあるのであるし、「ゲレンデ」は撤去出来ないので、そのまま放置されているのだ。(明日に続く)

◇◇「岩木山」津軽国定公園 岩木山 ものしりマップ(6) ◇◇

(承前)昆虫類:
トンボ類:
・アオイトトンボ科(アオイトトンボ)
・イトトンボ科(オオイトトンボ・オゼイトトンボ・エゾイトトンボ)
・サナエトンボ科(ミヤマサナエ・クロサナエ・コサナエ・オナガサナエ)
・オニヤンマ科(オニヤンマ)
・ヤンマ科(ヤブヤンマ・マダラヤンマ・.ギンヤンマ)
・エゾトンボ科(カラカネトンボ・タカネトンボ・エゾトンボ・ヨツボシトンボ・シオカラトンボ・ハッチョウトンボ・ミヤマアカネ・ナツアカネ・アキアカネ・ヒメアカネ・キトンボ・カオジロトンボ)
(この項で使われている写真はエゾイトトンボである。)

蝶類:
 これまで、多くの蝶類が確認されています。しかし、山麓の里山がなくなりつつあることによって、岩木山では非常に少なくなってきています。これらの主な種は草原の種です。

※見られなくなった蝶をあげる:
ウラゴマダラシジミ・ミヤマカラスシジミ・スジボソヤマキチョウ・ヒメシロチョウ・オオルリシジミ・オオウラギンヒョウモン・チャマダラセセリ

※近年少なくなって心配されているもの:
ゴマシジミ・ナミヒョウモン・ミヤマチャバネセセリ・ギンイチモンジセセリ
(この項で使われている写真はクジャクチョウである。)

岩木山で発見されたりした特殊な昆虫類:

*メススジゲンゴロウ(氷河期から生き残っている昆虫の1つです)

*ツガルアカコメツキ・イワキメナシチビゴミムシ(岩木山の固有種です)

*ハヤチネベニコメツキ(早池峰山と岩木山の標本をもとに記載されました。本県では岩木山のみです)

*ハナウドゾウムシ(北海道と本州では青森のみに分布し、岩木山のものは金緑色をしていて特異です)(明日に続く)

北八甲田山で「ヒメアカバナ」を確認 / 「岩木山」津軽国定公園 岩木山 ものしりマップ(5)

2010-06-19 04:12:45 | Weblog
 (今日の写真は、「『岩木山』津軽国定公園 岩木山 ものしりマップ」の「岩木山の植物」に使われた写真である。
 これは山頂部で出会ったアカバナ科アカバナ属の多年草「ヒメアカバナ(姫赤花)」だ。 写真には「県内では岩木山にのみ見られるヒメアカバナ」とのキャプションがついている。)

◇◇ 北八甲田山で「ヒメアカバナ」を確認 ◇◇            

 …数年前のことだ。「嘘だ」と思った。岩木山お宅である私にとっては「岩木山にあるが八甲田山にはない花」の一つとして「ヒメアカバナ」は「岩木山の希少種」として特別なものなのだ。それが確認されたと聞いて驚き、必死になって否定した。
 青森県レッドデータブックによると「ヒメアカバナ」は岩木山一帯の砂礫地に生える多年草とある。県内では岩木山にしか生育していないということだろう。岩木山一帯の砂礫地とあるが「ヒメアカバナ」は私の調査によると非常に限られた場所で、しかも高度のある狭い範囲にしか生息していない。
 その数も決して多いもの(少ないと言うべきだろう)ではない。そのような事情から、いまここで具体的な生息現況を述べることは差し控える。

 特定の限られた場所で、数も少ないということから『「東北大学付属植物園八甲田山分園の米倉浩司助手は「…八甲田での発見例としては非常に珍しい。数年前に種子が入り込んだと思われるが、どのようにして入ってきたのか関心がある」と話している。』(デーリー東北紙の記事)ことに興味を持った。
 そこで「どのようにして入ってきたか」を「①岩木山から持ち込まれたのであろう。②持ち込んだのは登山客であろう。」との仮説にたって、類推してみた。

仮説①・②の根拠
 1、北八甲田山で発見された場所が「登山道沿い」であることと岩木山の「ヒメアカバナ生息地」も年間5万人を越える「登山客が訪れる狭い場所」であることとの整合性。
 2、日本百名山ブームの中にあって「岩木山に登ってから北八甲田山に登る」ために、貸し切りバス等で連続登山する客が非常に多くなっている。その者たちの靴や衣類に種子がついて運ばれたということ。
 3、「ヒメアカバナ」は名前が示すようにその草丈も花も非常に小さいものである。特別に高山帯の植物等に関心を持っている人の目には見えるが、一般的な登山客の目に留まることは少ない。山岳会会員でもこのの存在に気づいていない者が大半である。このために岩木山の「ヒメアカバナ」は多くの登山客に踏みつけられながらも気づかれず生息している。この逆を考えると「ヒメアカバナ」は容易に種子を靴等に付着させる機会を得ていることになる。

 私は、「あるがままの自然をそのままにしておきたい」と願っているのだが、このように登山者が規制もなく大挙移動できるようになっていてはどだい無理かも知れない。
 このような現実を前に「あるがままの自然」は幻想の世界でしかないと思うと空しくなってしまう。自然保護活動の限界を意識せざるを得ないのである。

 踏みつけられている事例を目にするが注意することが、「踏みつけてはいけないことの理由説明が岩木山ではこの場所にしか生息していない希少な植物であることが多くの人に知られることで、盗掘等の行為を増大させ、果てはこの場所からの絶滅を招くことになる。」という理由からはばかられる場合が多い。これは「自然公園指導員」としてのジレンマだ。

『ヒメアカバナ(姫赤花)は「岩陰を宇宙とし人知れず立つ桃色四弁の小姫」にも喩えられる奥ゆかしく静かな花である。また、「鐘」の音が響いた。小花たちは微かに消え残っていた花頭の露をか細く震わした。登降する登山客の流れが少し途絶えた礫地のような岩場に腰を降ろして、私の股脇で人目を避けて静かに目立たず咲いているヒメアカバナと向きあっていた。ひっきりなしに「鐘」が聞こえる。その連打される音にヒメアカバナはますますピンクの小さな花を、そして鋸歯の少ない線形の小葉までを震わせては、すぼめるのであった。静かな世界を「山」に求めている人は意外と多いものだ。「鐘」の意味も知らずに鳴らしているのでは騒音でしかないだろう。』
 …ヒメアカバナはまさにこのような花なのである。

◇◇「岩木山」津軽国定公園 岩木山 ものしりマップ(5) ◇◇

(承前)…7 岩木山の動物(ほ乳類・両生類・は虫類・魚類・甲殻類・昆虫)

ほ乳類:
・クマ科(ニホンツキノワグマ)・ウシ科(ニホンカモシカ)オナガザル科(ニホンザル)・イヌ科(ホンドタヌキ)・ホンドキツネ・イタチ科(ホンドテン・ホンドイタチ・ニホンイイズナ・ホンドオコジョ・ニホンアナグマ)・トガリネズミ科(ホンシュウトガリネズミ・ホンシュウジネズミ)モグラ科(ホンシュウヒミズ・ミズラモグラ・コモグラ)・ナキウサギ科(トウホクノウサギ)・リス科(ニホンリス・ホンシュウモモンガ・ニッコウムササビ・ヤマネ)・ネズミ科(トウホクヤチネズミ・ホンドハタネズミ・ホンドアカネズミ・ホンドヒメネズミ)
・コウモリ科(キクガシラコウモリ・フジホオヒゲコウモリ・カグヤコウモリ・ユビナガコウモリ・コテングコウモリ・テングコウモリ)
(この項で使われている写真はトウホクノウサギ、ニホンテン、イイズナ「撮影者向山満」、トガリネズミ「撮影者向山満」である。)
両生類:
・ヒキガエル科(アズマヒキガエル)・アカガエル科(タゴガエル・ヤマアカガエル)・アオガエル科(モリアオガエル)
・サンショウウオ科(クロサンショウウオ・トウホクサンショウウオ・ハコネサンショウウオ)

は虫類:
・ナミヘビ科(アオダイショウ・ヤマカガシ・シマヘビ・ジムグリ)クサリヘビ科(ニホンマムシ)・カナヘビ科(ニホンカナヘビ)
魚類:(イワナ・ヤマメ)甲殻類:(ニホンザリガニ・サワガニ)(明日に続く)

大しめ縄と堰堤 / 「岩木山」津軽国定公園 岩木山 ものしりマップ(4)

2010-06-18 05:11:47 | Weblog
 (今日の写真は、「『岩木山』津軽国定公園 岩木山 ものしりマップ」の「岩木山の伝統的な山岳信仰」に使われた写真である。
 これは、赤倉沢を跨いで架けられている大きな「しめ縄」である。全長が30mほどある。「しめ縄」は結界を示している。そもそもこの「しめ縄の原型」は「神の使い」である蛇が2匹絡み合った姿だとされている。神域の入り口で、異界からの「侵入者」を厳しく見張っていたのだ。
 それが仏教用語の「結界」の象徴として使われているのだ。「結界」とは、修行や修法のために一定区域を限ることであり、また、その区域に仏道修行の障害となるものの入ることを許さないことである。「女人結界」というと、この「しめ縄」より上部に「女性は入れない」ことを意味する。

◇◇ 大しめ縄と堰堤 ◇◇ 

 赤倉沢は全体が「ご神域」であるが、このしめ縄のある辺りまでは誰でも入ることが出来る。この「しめ縄」の手前の右岸には「鬼の土俵」へと繋がっている急峻な山道が続いている。これは、一般登山者のものではない。赤倉講の信者、特に「修行する心」を持った人たちの登る道である。
 また、「しめ縄」の手前の左岸には「赤倉御殿」に繋がっている険阻で急峻な峙(そばだ)つ山道がある。これもまた、一般登山者のものではない。もちろん、普通の赤倉講の信者が登る道でもない。これは、もっぱら「修験者(山伏)」が登った道なき道である。

 元来が、鉈目(鉈で立木などに記しを刻み、目印にすること)程度の「道標」しかない上に、「踏み跡」も殆どない「道なき道」なのだから、一般信者は登ることが出来ない。ましてや、普通の登山者であったら、その「取り付き場所」すら分からないだろう。
 しかも、十数年前から「赤倉沢」から「修験者」の姿が消えた。山形県の羽黒山、湯殿山などでは今でも修行する山伏たちはいるが、ここ「岩木山赤倉権現」を参り、修行する山伏はもはやいない。その理由は確かめようはないが、私は密かに次のことをその理由だろうと推測している。
 それは、赤倉沢から「神聖」が消滅したということである。それでは、「神聖を消滅」させたものは何か。それは「巨大なコンクリート堰堤」、林野庁が敷設した「治山ダム」である。
 赤倉沢の「堰堤」は赤倉神社の社群の近くから敷設されている。大きなものは長さが200m近くあるだろう。それが、15基もあるのである。最も標高の高いところものが、この「しめ縄」の直下だ。
 この「堰堤」の敷設によって赤倉沢の流れは変わり、植生は変化し、景観からは「神域」を想起させる「鬱蒼とした緑」や「深山幽谷」、さらには人を近づかせない、人の侵入を拒む「荒々しさ」や「恐怖を育む異界性」が消えてしまったのだ。もはや、赤倉沢には「権現様」はいないのである。
 堰堤の建設のために使われた工事用の道路は沢下端のブナ林を削り、古い堰堤を跨いで蛇行しながら上を目指したまま「今」でも残っている。そして、それを伝って「自動車」が今でも、通行している。何と、最高部にある「堰堤」の直ぐ下まで、つまり、この「しめ縄」の直近まで自動車で入ることが可能なのだ。
 赤倉様への信仰心、それにまつわる色々な行事や人事は「文化」である。無形な伝統的文化財である。これを、治山ダムは破壊したのだ。「林野庁」の「堰堤敷設」が壊してしまったのだ。素朴な土着信仰も、これで潰えた。
 堰堤敷設を告知する立て看板に「堰堤敷設の目的」として「赤倉神社を土石流災害から護るため」という一言がある。よくもまあ、ぬけぬけと、しゃあしゃあと…何をかいわんやである。)

◇◇「岩木山」津軽国定公園 岩木山 ものしりマップ(4) ◇◇

(承前)…6 岩木山の植物

 …樹木は山麓下部にミズナラ、イタヤカエデ、ウダイカンバ等の混生林が広がり、次第にブナ、矮小なブナ林帯、ダケカンバ、ミヤマハンノキ、ハイマツ帯と続いています。アオモリトドマツは生育していないことになっていますが、スカイラインターミナル付近にわずかに生えています。
 また、北と北西面の高所尾根にはコメツガが生育していますが南面の尾根には全くありません。北に延びる尾根中腹だけにヒバも見られます。このような違いは岩木山の生成時期の違い(古い時代からの岩木山域と比較的新しい山域)によるものであるといわれています。

 その他、この項には「岩木山植物垂直分布図」、「高山植物カレンダー」、「岩木山の高山植物分布図」が掲載されています。

「岩木山植物垂直分布図」
 これは、山麓から山頂まで標高に従い、スイカズラにはじまり、ミズナラ、ブナ、ミネザクラ、ダケカンバ、ミヤマハンノキ、ハイマツなどが記載されています。また、「岩木山は標高1625mの山に過ぎないが、その垂直分布は2500~2900mクラスの山に相当する」という表記もあります。
「高山植物カレンダー」
 これは、5月から9月までの、開花する花々で主なものの名前が紹介されています。
「岩木山の高山植物分布図」
 これは1ページ全部を使って、スカイラインターミナルから山頂までの登山道沿いに見られる高山植物を、地図上で示したものです。
 この「登山道」を中心にして、派生的に他の登山道で見られるものも若干記載してあります。
 ただ、これはかなり、デフォルメされた「地図」なので、「記載」どおりではありません。また、これだけを頼りに「歩いて」も目指す花に会えるとは限らないので注意すべきでしょう。

(この項で使われている写真はナガバツガザクラ、県内では岩木山にのみ見られるヒメアカバナ、県内では岩木山にのみ見られるウコンウツギである。)(明日に続く)

「岩木山」津軽国定公園 岩木山 ものしりマップ(3)

2010-06-17 05:13:13 | Weblog
(今日の写真は、「『岩木山』津軽国定公園 岩木山 ものしりマップ」の「岩木山の気象」に使われた写真である。
場所は、鳥ノ海爆裂火口の北壁である。時季は1月の初めだ。厳しい岩木山の気象を象徴するにはうってつけだろうと思ってこの写真を使った。
 それから、この場所は夏場に岩木山に来る人の98%が対岸から見ている場所である。リフトの終点で降りて、30mほど歩くと、この北壁が眼前に迫ってくるのだ。夏場に見慣れた景観が、厳冬になるとこのように変貌することを知って貰いたかったのだ。

 大寒の続く1月中旬、岩木山は標高1500mを越えると凍えと氷の世界だ。鳥の海噴火口の東に屹立する溶岩性の黒い岩稜は浅かったり深かったりとさまざまな襞を見せる白衣をまとう。
 噴火口の底には乾いた雪が吹き溜まり、そこと垂直に立つ岩の壁に張りつく雪は硬く氷壁に近い。
 噴火の高熱で焼けただれた崖はもろくて、ハーケンなぞは打つことは出来ない。もちろん、落石もあるし、フリーで岸壁登りは出来ないし、人工登攀も出来ないところだ。
 だが、厳冬期は違う。極寒と北西の強風に曝された壁は固い氷壁となっている。そうなると、その「アイスウオール」を12本爪の「出っ歯アイゼン」をつけて、アイスバイルを頼りにすると簡単に登ってしまうことが出来るのである。
 だが、私はそんなことはしない。吹きつける強風と寒気のなせるわざであることは知っているが、それを越えた何ものかへの冒涜であるような気がするからである。
 このあたりから山頂までは、人の手では絶対作れない造物主の作品が並ぶのである。)

◇◇「岩木山」津軽国定公園 岩木山 ものしりマップ(3) ◇◇

(承前)…5 岩木山と農耕

 岩木山は農業、漁業の豊穣を司る神であり、雪形による農業カレンダーの役割までするのです。津軽の人たち(農家の人たち)にとって岩木山は、先祖の霊が暮らし(居て)、春になると田の神や水神として里に降り、収穫が終わるとまた帰る(往来する)という「お居往来山(おいゆきやま)」であるとされてきました。
 畏敬の念を込めて「お山」とか「お岩木山」と呼び、成人式の通過儀礼登山を含めた「お山参詣」が千年以上も前から続けられています。                   白装束に精進潔斎した人々が「懺悔懺悔…南無帰命頂礼」と唱和しながら旧暦8月の「ついたち山」に近郷の村々から山頂をめざし、五穀豊穣、家内安全を祈願してカンナガラの大きな御幣をかざして集団で登拝します。
 最近は登山形態や民間信仰の衰退で廃れていますが、岩木山山岳信仰の一大行事であることは間違いありません。
(この項で使われている写真はお山参詣である。)

6 岩木山の植物

 高山植物では、特産種のミチノクコザクラ(安寿姫の簪と呼称されています。)は6月中旬頃が見ごろですが、残雪の消える時期をたどると8月の中旬まで見ることが出来ます。他にナガバツガザクラ、ガクウラジロヨウラクなどがあります。その中で本州では早池峰山、月山と岩木山にしか咲かないエゾノツガザクラは激減しています。緊急に保護策をとる必要があります。
 岩木山は広い山ではありません。近年ますますその自然的な面積は減少しています。しかし、幸いにも確認された花は470種を越えました。
 ところが、シラタマノキ、エゾシオガマ、エゾノツガザクラ、ナガバツガザクラ、エゾオヤマノリンドウ、センブリ、キキョウ、アズマギク、ヤマジノホトトギス、エゾフウロ、ヤマシャクヤク、それにランの仲間(イイヌマトンボ、ヒトツボクロ、アケボノシュスラン)などは極端に生息場所が限られ、数の少ないことが解りました。これらはその場所から消えると岩木山からなくなってしまう「岩木山の絶滅危惧種」なのです。悠久の岩木山を残すために、掘り抜き等は絶対にやめてほしいものです。(明日に続く)

「岩木山」津軽国定公園 岩木山 ものしりマップ(2)

2010-06-16 05:15:19 | Weblog
 (今日の写真は、「『岩木山』津軽国定公園 岩木山 ものしりマップ」の表紙に使われた写真である。
 これまで、ミチノクコザクラのことはこのブログでも何回か書いている。だが、この写真を説明するには、咲く時季のことに触れねばならない。
「ミチノクコザクラ」の開花は6月中旬頃とされて、そのような理解で長いことやってきた。だが、ミチノクコザクラの開花は「雪解け」に左右される。雪渓や雪田の傍に咲くものは、それらが消えない限り咲くことは出来ないのである。
 岩木山で一番早く咲き出すものは、雪の殆ど積もらない「風衝地」のものである。これらは、5月の上旬から咲き出す。百沢登山道の頂上近くも一応「風衝地」と呼んでもいいが、あそこは「登山客」の踏みつけや抜き取りによって「ミチノクコザクラ」はすでになくなってしまっている。
 その後、順次積雪の消える「種蒔苗代」の周囲や「大沢」の上部から下部の両岸に咲き出す。それ以外の場所で「ミチノクコザクラ」に出会いたいと考える人は、とにかく、遅くまで残っている「雪渓」を探して、そこに行くと8月上旬までは「ミチノクコザクラ」に出会える。
 今年は積雪量が極端に少ない。6月に入ってから好天が続いている。雪解けが早いから、例年8月上旬に「咲く場所」のものも、もっと早くなるに違いない。)

◇◇「岩木山」津軽国定公園 岩木山 ものしりマップ(2) ◇◇

(承前)… 一番大きな赤倉火口は長径600mの馬蹄形、深さは100mもあります。それらは開析谷を形成し、12の大きな沢を発達させ谷頭を絶壁としながら、日本海に、あるものは岩木川や中村川等に注いでいます。
 鳥の海噴火口跡や溶岩ドームは約3000年前のもので、山頂部がその中央火口丘です。山麓には百沢、三本柳、岳と温泉地があります。
 このような開析谷の発達によって、岩木山には貧弱な高層湿原が北面に一か所しかありません。高層湿原のないことが八甲田山との大きな違いで、これによって植物相にも違いがあります。
 岩木山は、火山本体が成長するにつれてその山腹に噴出した寄生火山を多く持っています。地図で「…森、または…森山」と称されているものです。この寄生火山の列の配置により、見事な円錐形のはずの津軽富士・岩木山も実は歪んだ円錐形なのです。
 寄生火山の多くが岩木山の西側に偏在していることよって東南の方角からの岩木山はコニーデ型の秀麗さを見せるのです。
(この項で使われている写真は「松代」地区から写した岩木山である。)

2 岩木山の気象  
 本州北端の独立峰という特殊性から、厳冬期は山頂部で体感温度は氷点下40度以下、風速も50mを超えるなど気象条件は極めて厳しいものです。このため、厳冬期の登山では「凍傷」になることを覚悟しなければいけません。また、積雪も谷筋では15m以上となります。雪消えの遅い年は9月の上旬まで残雪があります。
 もし、岩木山があと標高300m高ければきっと「万年雪のある山」となっていたでしょう。
(この項で使われている写真は、厳冬期の岩木山「鳥ノ海噴火口岩稜」)

3 岩木山という「山名」の由来
「岩木」の謂われには諸説がありますが、その山容から「天然または人工の石の城」という意味を持つ岩城山という文字に「岩木」をあてて、江戸時代頃から使われていたらしく、これが一般的でしょう。また、岩の多い所を「イワーケ」、神のすむ所を「カムイ」というアイヌ語から「カムイ・イワキ」と呼ばれていたものが「イワキ」になったとするアイヌ語説を採る者もありますが、いずれも定かではないようです。

4 岩木山の伝統的な山岳信仰
 岩木山はその端麗な山容、神霊の寄りつくもの、繁茂する樹木、噴火などすべてが神性を兼備した特別な山です。その昔、岩木山信仰の発祥地は、北麓の十腰内にある巖鬼山神社でした。下居宮と呼ばれる遥拝所から登る人たちがよく遭難するので、後にこれが百沢の岩木山神社に移され、そこが遥拝登山の中心となったといわれています。山頂奥宮は宝亀十一年(780)に建立されたと記されています。
 岩木山の三峰は、人型座像となっているため、祖先の姿とみられ、祖霊の帰り着く神人交流の聖地(おいゆきやま「居往来山」)となったとされています。しかも、岩木山は天に接する最高位にあるので、そこに宿った神霊が津軽全土を見下ろして、安らかに治める信仰へと発展していったのです。古代の中国思想は天、地、人の「三」を万物の象徴とし、繁栄と調和を図る聖数とみます。この観念によって岩木山の鳥海山・岩木山・巌鬼(赤倉)山三山が三所大権現「薬師如来-弥陀如来-観世音」とみなされたのでした。
 岩木山神社は神として国常立命(くにとこたちのみこと)や顕国魂神(うつしくにたまのかみ)他四神を祀っており、その神事は南麓百沢の岩木山神社が司っています。お山参詣の時に奥宮に祀られるのが顕国魂神です。津軽地方の「表」の信仰として、百澤寺(岩木山神社)が、代々の支配者による崇敬、公的鎮守を司ってきました。
 また北東麓には坂上田村麿の蝦夷征伐に因んだ赤倉神社があります。つい先年まで山伏が修行していましたが、赤倉大権現を祀っているものです。赤倉沢は神域で沢をまたいで大きなしめ縄が今でも張られています。こちらは津軽地方の「裏」の信仰として赤倉神社が個人救済(蝦夷征伐に因んだ坂上田村麿を祀る)を司ってきました。
 他に岩木山には、土着性の巨石(大岩)信仰があります。代表的なものとして大石神社と長平登山道沿いにある「石神様」ですが、登山道沿いに見られる「姥石や伯母石」などもその巨石信仰の現れです。
 巨石は磐座(いわくら)と呼ばれ信仰の対象であり、日本人の巨石信仰を考えると、「天の磐船」は古代の人々にとって天から神様の降臨される乗り物であり、その磐船のある場所は神様の降臨される聖域であったのです。岩木山北東麓にある大石神社は、その名が示すようにご神体が大きな岩です。神が宿る巨石崇拝であることは疑いがありません。
(この項で使われている写真は、岩木山神社本殿、「石神様」のご神体である大岩、赤倉沢上流の大しめ縄)              …明日に続く…