(今日の写真は1997年9月23日に撮ったものだ。余りにも「美しい紅葉」だったので写したものだが、それ以降毎年同じ時期に出かけてもこれほど「色鮮やかで色彩豊かな」紅葉を見たことはないのである。
だから、この「風景」はいつまでも忘れることの出来ないものとなり、この写真は大事に保管され、この「錦秋」の時季になると、取り出しては眺めるということを続けている。)
◇◇ 岩木山・映える錦秋…(その1)◇◇
温暖化が叫ばれて以来、岩木山の紅葉は「美しさ」に欠けるようになっているようだ。冷夏や梅雨明け宣言のない夏、夏を意識させることなく、いつの間にか「秋」になっている。
こういう「年」が、ここ数年続いている。このような年の「岩木山の紅葉」はメリハリに欠ける。別な言い方をすると、「色彩的に鮮やかさがなく」全体的にくすんでいる。または、異種の樹木一本一本が、草々の一本一本が、「己」の個性を出し切っていないということでもある。
何かがおかしく、気象の何かが「植物界」に変化をもたらしているのだ。だが、この変化に気づく者は少ない。または、自然植生にあっても、これは「小さい変化」といえるのかも知れない。だが、この小さな「予兆」が突然の大変化をもたらさないとは、誰にも言えないことなのである。
この美しい「錦秋」は今から、12年も前のものだ。これは、頂上から弥生登山道を降りて、耳成岩を巻いて出るところから、その下部を写したものである。
この辺りの下部は急峻な「開析谷」の源頭部になっていて、後長根沢や一本木沢、それに、「弥生いこいの広場」や「弥生スキー場跡地」が左岸にある「壁倉沢」が流れ落ちているのだ。
私は、あるものに…
「岩木山は津軽の人々にとって『西方浄土』でなければならない。鬼門としてはいけない。
春から夏。麓から草原の緑と花々に、高みは木々の緑に、その上部から山頂までは高山植物の彩りにしっとりと包まれる。その頃、千年以上も前から続けられている成人式の通過儀礼を含めたお山参詣の集団が、五穀豊穣を祈願して大きな御幣をかざして山頂に登拝する。
秋から冬。駆け下りる錦秋に、清澄な冷気と純白な綾絹に静かに包まれる。岩木山は潔く孤高であり、不変にして不動、誰に対しても公平な大地の母だ。いつでも平等に慰め勇気づけてくれる山。差別や蔑みのない強くて優しい個性を持った山」
…と書いたことがある。
「五穀豊穣を祈願して大きな御幣をかざして山頂に登拝」するお山参詣が終わる頃から、岩木山は清澄な空気の中で美しい綾絹をまとい始める。錦秋の時季到来なのだ。
本日から「岩木山・映える錦秋」という主題でシリーズを始めたいと思う。まさに、「錦秋」の時季到来の、この「9月末日」にとっては相応しいものではなかろうか。
◇◇またまた残虐、車で轢いて、その上で「クマ」射殺・深浦(4)◇◇
この自動車を運転していた「24歳の男性」にとって、その時の最大で最重要な「関心事」は、「自動車走行不能」ということだった。
どこかに、行くための走行だったろうから、その「目的」が達成されなくなる。それでは、歩くか走るかして、その「目的地」に行けばいいようなものだが、それもしたくない。
自動車はもはや生活の一部であり、「脚」であり、「自動車のない生活」は考えられないのである。
そこで、「家人」に「脚代わり」の救いを求めた。そこで、「家人」は「運転・走行不能」になった理由を訊く。恐らく、「24歳の男性」は「クマがぶつかってきた」と答えただろう。
これには「クマが一方的にぶつかってきた」ものであり、「私の方からクマにぶつかった」のではないという「自己防衛的な弁明」的ニュアンスが含まれている。
言い換えると、「私は加害者ではない。むしろ、被害者なのだ」という心情の吐露に他ならない。
だが、事実は猛スピードで走行していて、「道に出てきたクマ」に気がつかず「轢いて撥ね上げて、フロントガラスに激突させた」加害者なのである。
クマは敏捷で強靱な動物である。バランス感覚もいい。真っ直ぐな木に登り、ブナの実を食いあさる。そして、それをいとも簡単に降りる。枝をから枝へと移動することもある。そして、その高さから落ちても、「身を翻して」しっかりと着地する。動きにスピードがあり、しかも「反射行動」もすばやい。
さらに、「嗅覚と聴覚」は人間の比ではない。「自動車」の走行音から、「自動車」が近づいている、直ぐ傍に自動車が動いていることは、先刻承知していただろう。
だが、それでも、その「クマ」は自動車を避けることが出来なかった。恐らく、「24歳の男性」は猛スピードの二乗くらいのスピードで走行していたのだろう。
加害者は「24歳の男性」である。自己防衛や自己弁護、甘えてはいけない。事実をしっかり捉える客観性を持てない者は「子ども」である。「クマ」は被害者の何者でもないのだ。
交通事故を起こした運転者の言い分に、「人が突然飛び出してきた」「自転車が急に角から出てきた」ので、それを避けることが出来なくて「轢いて」、「撥ねて」しまったというものがある。
これには「飛び出してきた者」にも「轢かれ撥ねられ」た責任があるのだと暗に主張して、「自己の責任」を軽微なものにしようとする意志が感じられる。何ということはない。「自己責任からの解放」、つまり、「エゴ」である。
「人」でなく、街路灯の柱や電柱にぶつかって、それを折っても、「そこに街路灯があったから」として片付けたがる運転者はあとを絶たない。「私は悪くない、街路灯のあることとあった場所が悪いのだ。私は不幸にもそれにぶつかっただけだ」と言っているのに等しい。(明日に続く)
[連続1000回ブログ書き達成まであと、37回・連続1000日達成まではあと、46日]
だから、この「風景」はいつまでも忘れることの出来ないものとなり、この写真は大事に保管され、この「錦秋」の時季になると、取り出しては眺めるということを続けている。)
◇◇ 岩木山・映える錦秋…(その1)◇◇
温暖化が叫ばれて以来、岩木山の紅葉は「美しさ」に欠けるようになっているようだ。冷夏や梅雨明け宣言のない夏、夏を意識させることなく、いつの間にか「秋」になっている。
こういう「年」が、ここ数年続いている。このような年の「岩木山の紅葉」はメリハリに欠ける。別な言い方をすると、「色彩的に鮮やかさがなく」全体的にくすんでいる。または、異種の樹木一本一本が、草々の一本一本が、「己」の個性を出し切っていないということでもある。
何かがおかしく、気象の何かが「植物界」に変化をもたらしているのだ。だが、この変化に気づく者は少ない。または、自然植生にあっても、これは「小さい変化」といえるのかも知れない。だが、この小さな「予兆」が突然の大変化をもたらさないとは、誰にも言えないことなのである。
この美しい「錦秋」は今から、12年も前のものだ。これは、頂上から弥生登山道を降りて、耳成岩を巻いて出るところから、その下部を写したものである。
この辺りの下部は急峻な「開析谷」の源頭部になっていて、後長根沢や一本木沢、それに、「弥生いこいの広場」や「弥生スキー場跡地」が左岸にある「壁倉沢」が流れ落ちているのだ。
私は、あるものに…
「岩木山は津軽の人々にとって『西方浄土』でなければならない。鬼門としてはいけない。
春から夏。麓から草原の緑と花々に、高みは木々の緑に、その上部から山頂までは高山植物の彩りにしっとりと包まれる。その頃、千年以上も前から続けられている成人式の通過儀礼を含めたお山参詣の集団が、五穀豊穣を祈願して大きな御幣をかざして山頂に登拝する。
秋から冬。駆け下りる錦秋に、清澄な冷気と純白な綾絹に静かに包まれる。岩木山は潔く孤高であり、不変にして不動、誰に対しても公平な大地の母だ。いつでも平等に慰め勇気づけてくれる山。差別や蔑みのない強くて優しい個性を持った山」
…と書いたことがある。
「五穀豊穣を祈願して大きな御幣をかざして山頂に登拝」するお山参詣が終わる頃から、岩木山は清澄な空気の中で美しい綾絹をまとい始める。錦秋の時季到来なのだ。
本日から「岩木山・映える錦秋」という主題でシリーズを始めたいと思う。まさに、「錦秋」の時季到来の、この「9月末日」にとっては相応しいものではなかろうか。
◇◇またまた残虐、車で轢いて、その上で「クマ」射殺・深浦(4)◇◇
この自動車を運転していた「24歳の男性」にとって、その時の最大で最重要な「関心事」は、「自動車走行不能」ということだった。
どこかに、行くための走行だったろうから、その「目的」が達成されなくなる。それでは、歩くか走るかして、その「目的地」に行けばいいようなものだが、それもしたくない。
自動車はもはや生活の一部であり、「脚」であり、「自動車のない生活」は考えられないのである。
そこで、「家人」に「脚代わり」の救いを求めた。そこで、「家人」は「運転・走行不能」になった理由を訊く。恐らく、「24歳の男性」は「クマがぶつかってきた」と答えただろう。
これには「クマが一方的にぶつかってきた」ものであり、「私の方からクマにぶつかった」のではないという「自己防衛的な弁明」的ニュアンスが含まれている。
言い換えると、「私は加害者ではない。むしろ、被害者なのだ」という心情の吐露に他ならない。
だが、事実は猛スピードで走行していて、「道に出てきたクマ」に気がつかず「轢いて撥ね上げて、フロントガラスに激突させた」加害者なのである。
クマは敏捷で強靱な動物である。バランス感覚もいい。真っ直ぐな木に登り、ブナの実を食いあさる。そして、それをいとも簡単に降りる。枝をから枝へと移動することもある。そして、その高さから落ちても、「身を翻して」しっかりと着地する。動きにスピードがあり、しかも「反射行動」もすばやい。
さらに、「嗅覚と聴覚」は人間の比ではない。「自動車」の走行音から、「自動車」が近づいている、直ぐ傍に自動車が動いていることは、先刻承知していただろう。
だが、それでも、その「クマ」は自動車を避けることが出来なかった。恐らく、「24歳の男性」は猛スピードの二乗くらいのスピードで走行していたのだろう。
加害者は「24歳の男性」である。自己防衛や自己弁護、甘えてはいけない。事実をしっかり捉える客観性を持てない者は「子ども」である。「クマ」は被害者の何者でもないのだ。
交通事故を起こした運転者の言い分に、「人が突然飛び出してきた」「自転車が急に角から出てきた」ので、それを避けることが出来なくて「轢いて」、「撥ねて」しまったというものがある。
これには「飛び出してきた者」にも「轢かれ撥ねられ」た責任があるのだと暗に主張して、「自己の責任」を軽微なものにしようとする意志が感じられる。何ということはない。「自己責任からの解放」、つまり、「エゴ」である。
「人」でなく、街路灯の柱や電柱にぶつかって、それを折っても、「そこに街路灯があったから」として片付けたがる運転者はあとを絶たない。「私は悪くない、街路灯のあることとあった場所が悪いのだ。私は不幸にもそれにぶつかっただけだ」と言っているのに等しい。(明日に続く)
[連続1000回ブログ書き達成まであと、37回・連続1000日達成まではあと、46日]