岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

岩木山・映える錦秋… (その1) / またまた残虐、車で轢いて、その上で「クマ」射殺・深浦(4)

2009-09-30 05:20:43 | Weblog
 (今日の写真は1997年9月23日に撮ったものだ。余りにも「美しい紅葉」だったので写したものだが、それ以降毎年同じ時期に出かけてもこれほど「色鮮やかで色彩豊かな」紅葉を見たことはないのである。
 だから、この「風景」はいつまでも忘れることの出来ないものとなり、この写真は大事に保管され、この「錦秋」の時季になると、取り出しては眺めるということを続けている。)

◇◇ 岩木山・映える錦秋…(その1)◇◇ 

 温暖化が叫ばれて以来、岩木山の紅葉は「美しさ」に欠けるようになっているようだ。冷夏や梅雨明け宣言のない夏、夏を意識させることなく、いつの間にか「秋」になっている。
 こういう「年」が、ここ数年続いている。このような年の「岩木山の紅葉」はメリハリに欠ける。別な言い方をすると、「色彩的に鮮やかさがなく」全体的にくすんでいる。または、異種の樹木一本一本が、草々の一本一本が、「己」の個性を出し切っていないということでもある。
 何かがおかしく、気象の何かが「植物界」に変化をもたらしているのだ。だが、この変化に気づく者は少ない。または、自然植生にあっても、これは「小さい変化」といえるのかも知れない。だが、この小さな「予兆」が突然の大変化をもたらさないとは、誰にも言えないことなのである。

 この美しい「錦秋」は今から、12年も前のものだ。これは、頂上から弥生登山道を降りて、耳成岩を巻いて出るところから、その下部を写したものである。
 この辺りの下部は急峻な「開析谷」の源頭部になっていて、後長根沢や一本木沢、それに、「弥生いこいの広場」や「弥生スキー場跡地」が左岸にある「壁倉沢」が流れ落ちているのだ。
私は、あるものに…
 「岩木山は津軽の人々にとって『西方浄土』でなければならない。鬼門としてはいけない。
 春から夏。麓から草原の緑と花々に、高みは木々の緑に、その上部から山頂までは高山植物の彩りにしっとりと包まれる。その頃、千年以上も前から続けられている成人式の通過儀礼を含めたお山参詣の集団が、五穀豊穣を祈願して大きな御幣をかざして山頂に登拝する。
 秋から冬。駆け下りる錦秋に、清澄な冷気と純白な綾絹に静かに包まれる。岩木山は潔く孤高であり、不変にして不動、誰に対しても公平な大地の母だ。いつでも平等に慰め勇気づけてくれる山。差別や蔑みのない強くて優しい個性を持った山」
 …と書いたことがある。
 「五穀豊穣を祈願して大きな御幣をかざして山頂に登拝」するお山参詣が終わる頃から、岩木山は清澄な空気の中で美しい綾絹をまとい始める。錦秋の時季到来なのだ。

 本日から「岩木山・映える錦秋」という主題でシリーズを始めたいと思う。まさに、「錦秋」の時季到来の、この「9月末日」にとっては相応しいものではなかろうか。

◇◇またまた残虐、車で轢いて、その上で「クマ」射殺・深浦(4)◇◇

 この自動車を運転していた「24歳の男性」にとって、その時の最大で最重要な「関心事」は、「自動車走行不能」ということだった。
 どこかに、行くための走行だったろうから、その「目的」が達成されなくなる。それでは、歩くか走るかして、その「目的地」に行けばいいようなものだが、それもしたくない。
 自動車はもはや生活の一部であり、「脚」であり、「自動車のない生活」は考えられないのである。
 そこで、「家人」に「脚代わり」の救いを求めた。そこで、「家人」は「運転・走行不能」になった理由を訊く。恐らく、「24歳の男性」は「クマがぶつかってきた」と答えただろう。
 これには「クマが一方的にぶつかってきた」ものであり、「私の方からクマにぶつかった」のではないという「自己防衛的な弁明」的ニュアンスが含まれている。
 言い換えると、「私は加害者ではない。むしろ、被害者なのだ」という心情の吐露に他ならない。
 だが、事実は猛スピードで走行していて、「道に出てきたクマ」に気がつかず「轢いて撥ね上げて、フロントガラスに激突させた」加害者なのである。
 クマは敏捷で強靱な動物である。バランス感覚もいい。真っ直ぐな木に登り、ブナの実を食いあさる。そして、それをいとも簡単に降りる。枝をから枝へと移動することもある。そして、その高さから落ちても、「身を翻して」しっかりと着地する。動きにスピードがあり、しかも「反射行動」もすばやい。
 さらに、「嗅覚と聴覚」は人間の比ではない。「自動車」の走行音から、「自動車」が近づいている、直ぐ傍に自動車が動いていることは、先刻承知していただろう。
 だが、それでも、その「クマ」は自動車を避けることが出来なかった。恐らく、「24歳の男性」は猛スピードの二乗くらいのスピードで走行していたのだろう。
 加害者は「24歳の男性」である。自己防衛や自己弁護、甘えてはいけない。事実をしっかり捉える客観性を持てない者は「子ども」である。「クマ」は被害者の何者でもないのだ。
 交通事故を起こした運転者の言い分に、「人が突然飛び出してきた」「自転車が急に角から出てきた」ので、それを避けることが出来なくて「轢いて」、「撥ねて」しまったというものがある。
 これには「飛び出してきた者」にも「轢かれ撥ねられ」た責任があるのだと暗に主張して、「自己の責任」を軽微なものにしようとする意志が感じられる。何ということはない。「自己責任からの解放」、つまり、「エゴ」である。
 「人」でなく、街路灯の柱や電柱にぶつかって、それを折っても、「そこに街路灯があったから」として片付けたがる運転者はあとを絶たない。「私は悪くない、街路灯のあることとあった場所が悪いのだ。私は不幸にもそれにぶつかっただけだ」と言っているのに等しい。(明日に続く)

[連続1000回ブログ書き達成まであと、37回・連続1000日達成まではあと、46日]

草紅葉の中を覗いて見ると… / またまた残虐、車で轢いて、その上で「クマ」射殺・深浦(3)

2009-09-29 05:06:13 | Weblog
 (今日の写真はある年の10月中旬に撮ったモチノキ科モチノキ属の常緑低木「イヌツゲ(犬黄楊)」とその実である。イヌツゲは常緑だから、この写真のように草紅葉の中でもよく目立つのだ。
 草紅葉という海の中に、ぽっかりと浮かんだ「緑の島」である。そして、この小さな島を「宇宙」としている虫などの生き物が、ここで「生きて」いる。
 余り、ハッキリしないが、葉腋に「黒い」実がなっているのが見えるだろう。やがて、この場所は降雪に埋まってしまう。しかし、常緑樹であるから「枯れる」こともない。 雪に覆われた気温変化の少ない。この「小宇宙」では、虫たちが、この「大木」を揺りかごとして冬を越すのである。枯れた「草々」も「虫たち」の茵(しとね)となるだろう。自然は連環である。すべてのものがどこかで繋がって、それぞれの役割を果たしているのだ。そうすることで、悠久の自然を造り上げてきたのである。
 枯れた草々の中の「イヌツゲ」は、緑という変化を与えるだけの色彩的な植え込みではないのだ。)

◇◇ 草紅葉の中を覗いて見ると…(2)岩木山で「イヌツゲ」に出会ったのは最近のこと ◇◇

 「イヌツゲ」は、本州、四国、九州と朝鮮半島の南部に分布している。通常は低木だが、5mを越えるものもあるという。生育範囲は広く「乾燥した痩せ尾根から湿原の周辺」までである。 樹の形も立ち上がって一本の幹となるものから、地表を這うものまである。細かく枝分かれし、小さな葉が枝に密につく。日本海側に生育するものは多雪に適応して、這うものがあり、「ハイイヌツゲ」とよばれている。
 葉は互生し、長さは1~3cmで、少し厚みと光沢がある。縁にはゆるいギザギザがあり、裏には「腺点」と呼ばれる点々が見られる。花は5月~6月に咲き、雌雄異株であり、果実は秋に黒く熟す。
 それから、「果実」が熟しても「黒く」ならないものがある。これを「アカミノイヌツゲ(赤実の犬黄楊)」という。実は岩木山では圧倒的に「アカミノイヌツゲ」の方が多いのである。
 私は、つい最近まで、「岩木山には『イヌツゲ』は生育していないものだ」としていたくらいなのだ。だが、数は少ないが確実に「生育」していることを発見したので、どこかで、「ああ、よかった」と、ほっとしている。
 モチノキ科モチノキ属の「アカミノイヌツゲ」は北海道、本州中部以北に分布する常緑の低木だ。樹高は2mほどで、草地や岩場、湿原の縁などに生える。枝はよく分岐する。
 葉は長さが3cmほどの「革質」状で、上方に低い鋸歯がある。雌雄異株で白い小さな花は初夏に咲く。果実は直径が7mmぐらいで秋に「赤く」熟す。
 名前の由来は、葉が「櫛」を作る「柘植(つげ)」に似ていることによる。「イヌツゲ」の「イヌ」というのは「劣る・下等」という意味だ。つまり、「ツゲに似ているが材としては『柘植』に劣る、用を足さない」ということだ。

 因みに「ツゲ(柘植)」はツゲ科ツゲ属の常緑広葉樹の小高木で、本州中南部、四国、九州、琉球列島に自生し、石灰岩地帯に好んで生育する。よって、青森県の私たちとは縁のない植物であり、「イヌツゲ」とはまったく縁がない。ただ、「柘植櫛」で髪を梳く人にとっては縁はなくはない。
 「ツゲ」は、成長が大変遅いという。胸高の直径が12cmになるのに80年が必要だという。そのために、材質が緻密で、堅く印鑑や木櫛の材として利用されるのだ。加えて「油脂」が含まれ、弾力があるので、「櫛」としては最適なのだ。

 昔から、この櫛が使われていたことは…
万葉集の「をとめらが 後の表(しるし)と 黄楊小櫛 生ひ更り生ひて 靡きけらしも(大伴家持)」などの歌からも、よく分かるのである。

◇◇またまた残虐、車で轢いて、その上で「クマ」射殺・深浦(3)◇◇

 運転不能となった自動車を前にして、その24歳の男性は、家人に「携帯電話」をしている。「クマ」を撥ねてフロントガラスが壊れた時に、よくもまあ、「携帯電話」が壊れなかったものだ。「便利なもの」はあくまでも、当該・当事者に都合よく使われて、その働きを「どうしようもない当事者」に提供するものらしい。
 雪山にスキーツアーに行って「吹雪かれて」方向を失い「自分」がどこにいるのか分からなくなったスキーヤーが「私は今どこにいるのだろう」と「携帯」で電話をする。
 これは、明らかに「自助努力」の放棄であり、「自己責任からの解除」でもある。このように「自助努力を放棄し、自己責任からの解除された」者からの「連絡」を受けて「すわ、遭難」と「捜索隊や救助隊」を組んで、動き出す「組織」も、昨今は多い。
 「電話」をする方も社会的には「幼稚」だし、「捜索・救助」と動き出す方も甘い。雪山で方向を失い動けなくなるような人は、最初から「スキーツアー」に出かける資格も技量もないのだ。
 言ってみれば、この「24歳の男性」は自動車運転免許は持っているが、「道脇から出てきたクマ」を避けるという運転技術のない者であり、その点では、この「スキーツアー」者と同質であり、直ぐ「携帯」で電話をするということも、また同質であるように思う。

 これは「交通事故」、しかも「他損」でもあり、自損事故でもある。当然、連絡すべき相手は「家人」でなく「警察」であろう。
 だから、その「24歳の男性」に少なくとも「社会性」と「常識」があれば、当然「警察」に第一報を入れたはずである。それとも、「警察への通報」を恣意的に避けたのだろうか。
 それでは、何故、警察を措いて「携帯電話」で、先に家人に「連絡」したのだろう。
 それは、家人の協力を得て、「クマ」を獣医か動物病院に運ぶためではない。クマは死んではいないが重傷である。瀕死のクマだ。自分が轢き、撥ねて殺しかけているクマが目の前に横たわっている。「助けたい」という気持ちがあるのならば、何とかして「動物病院」に搬送しようとするのではないか。だが、記事からはそのような「気持ち」は微塵も読み取れない。(明日に続く)

[連続1000回ブログ書き達成まであと、38回・連続1000日達成まではあと、47日]

草紅葉の中を覗いて見ると… / またまた残虐、車で轢いて、その上で「クマ」射殺・深浦(2)

2009-09-28 05:06:21 | Weblog
(今日の写真はある年の10月中旬に撮ったモチノキ科モチノキ属の常緑低木「ヒメモチ」の実だ。「モチノキ」は常緑高木で樹皮から「鳥もち」を採るのだが、これは「ヒメ(姫)」であるが故に「低木」だ。
 草紅葉がまだ残り、間もなく積雪を見るであろう標高1400m付近の風衝地に隣接している「草付き」に生えていたものだ。
 岩木山ではヒメモチの生えている場所はかなり、広範囲である。標高にも広がりがある。500m付近から1400mほどの間で、見られる。しかし、その数は多いとはいえない。
 雌雄異株なので、目立たない白くて小さい花も雌花と雄花があり、今日の写真のように「綺麗」な実をつける「雌株」はさらに少ない。
 少ないだけではない。雌株には、生えている場所によって「個体」に違いがある。私は毎年、この「ヒメモチ」に会いに行っているが、9月19日には、この個体を目にすることが出来なかった。時季が早過ぎたのであろうとは思っているが、少し心配だ。
 この写真の「ヒメモチ」はかなり、個性的である。普通に見られるものと、葉の形、縁、葉脈、茎の色具合、実の色、背丈などに、それが現れている。
 それよりも何よりも、イネ科の草と一緒の場所に生えているということが面白い。枯れた「草紅葉」の中で、ひっそりと静かに、草の語りに耳を傾け、しかも草の「最期」を見届けながら、極めて自然に、何の衒(てら)いもなく、「ありったけの『自己主張』」をしている。
 それを見ることで、私は毎年励まされているのだ。来月はきっと会えるだろう。)

◇◇ 枯れた草々の中で実をつけるヒメモチは個性的だ…◇◇

 雌株も雄株も、大きいものでも高さが1m程度だ。花や枝などにも、余り特徴もなく、非常に地味な木本植物である。北海道南西部から本州の山陰地方に至る日本海側に分布している。多雪地帯の林床に生育する樹木で、株立ちする。
 葉は互生し、厚くて長さ10cmくらいだ。花は白色で小さい。葉腋に集まって咲き、開花中に新しい茎が伸びる。茎や幹の色は「緑」だったり「褐色」だったりする。
 花とその姿全体が似ている「ツルシキミ」や「ヒメアオキ」などと生育場所を同じくしている「多雪植物」である。
 そのため姿は似ているが、「ヒメモチ」は葉腋に花をつけるが、「ツルシキミ」や「ヒメアオキ」は茎頂に花をつける。当然、果実にも、その付き方の違いが出てくる。果実は球形で、熟すと赤くなる。
 さて、今日の写真の「ヒメモチ」だが、まず、茎の色が「ダケカンバ」のような艶のある灰色だ。果実の色も「赤い」というよりは「明るい臙脂」である。果実をぶら下げている「果柄」も長い。
 また、葉にも特徴がある。「臙脂」の縁取り、葉脈も「臙脂」だ。普通のものは緑一色である。葉柄も長い。葉の形は細長い。これは、「この場所」では「陽光が強い」ことを示している。
 標高1400m付近の風衝地の近く、しかも周囲には「ヒメモチ」よりも高い樹木はないという環境、しかも、背丈が同じ程度のイネ科の草に囲まれた場所で…
 この「ヒメモチ」は独自の特徴に進化して、それを保持し続けているのだ。これを植物の知恵と言おう。命といおう。
 「変異」は同種同属の絶滅を防ぐための「生命装置」だ。みんなが同じになると、「異変」を乗り切ることが難しくなる。これが、「命あるもの」の定めなのである。

◇◇またまた残虐、車で轢いて、その上で「クマ」射殺・深浦(2)◇◇

 …何という惨い仕打ち、自動車で轢き、跳ね飛ばして、瀕死の重傷を負わせて、まだ生きているからといって、最後は射殺したのである。…

 この一連の人間の所業には、「クマ」を「人」と同じ命を持つ生命体だという考え方が全くない。
 乗用車運転の24歳の男性にも、その家族にも、また「射殺した」60歳の猟友会の男性にも「生命の尊厳さ」ということに、思いを致すということがまったくないのである。
 私は、このことをハッキリさせるために、「クマ」を「人」に置き換えて、この事件の顛末をイメージしてみたい。

 場所は農道である。昔は農道というと「砂埃をあげて、自動車が走行する砂利道かでこぼこ道」であったが、現在はたいがい農道というと「立派なアスファルト舗装道路」である。これは、地方に行くほど多いし、立派だ。農民のためにならない農林行政の無駄な事業の証みたいなものだ。
 その立派な「アスファルト舗装道路」を24歳の男性は走行していた。午後8時45分ごろのことだ。日暮れは早い。この時間だと、宵の時間でなく、夜の帳がすっかりと落ちて真っ暗である。
 「クマ」は「黒い」生き物だ。真っ暗な中で、いくらライトを浴びても、それほど目立つものではない。クマと衝突して轢き跳ねたのは一瞬のことだっただろう。「クマ」は道路に倒れて、動かなかった。一方、乗用車はフロントガラスが割れるなどし、走行不能になった。
 これは何を意味するのか。「道路脇から出てきたクマ」を避けることが出来なかったということだ。その上、バンパーで跳ねて、ボンネットに載せ上げて、フロントガラスに衝突させたということである。
 つまり、「急ブレーキ」をかけても「停止」出来ない猛スピードで走行していたのである。制限時速オーバー、法令違反の走行をしていたのである。スピード違反の無謀運転をしていたのであり、明らかに「安全運転義務違反」でもある。
 どうして、「クマ」を放置して、そのまま立ち去らなかったのだろう。いや「立ち去ること」が出来なかったのである。「フロントガラス」が割れるなどして「運転」が出来なくなったからだ。
 一昨年、次のような問い合わせが私のところにあった。
…岩木山の山麓道路を走行中に、鳥と接触した。鳥はまだ生きていたので、何とか助けたいと考えている。どうすればいいか。」…というものだった。
 その野鳥は巣立ちしたばかりの「ヨタカ(夜鷹)」であった。私は「野鳥の会」に連絡して、指示を仰ぎ、それを伝えた。その人は「助けたい一心」で最終的に鳥獣保護センターに「ヨタカ」を運びこんだのである。
 しかし、24歳の男性には、そのような意志もなければ気持ちもない。「自動車が動かなくなった」から、その場所にいたのである。「瀕死のクマ」を救いたい、本当に申しわけのないことをしたなどなど、謝罪や後悔の気持ちは皆無なのだ。
 恐らく、「走行可能」であれば、そのまま立ち去ったであろう。いわゆる、「轢き逃げ」である。(明日に続く)

[連続1000回ブログ書き達成まであと、39回・連続1000日達成まではあと、48日]

草紅葉も始まった(その6)/ またまた残虐、車で轢いて、その上で「クマ」射殺・深浦(1)

2009-09-27 05:10:32 | Weblog
(今日の写真はある年の11月上旬に撮った「草紅葉」であるが、昨日までのものとは、標高と地質や地勢がまったく違う場所のものだ。
 ここは岩木山では唯一の「高層湿原」と、しかも「貧弱な」という「すばらしい」修飾語付きで呼ばれる場所である。
 岩木山の北麓集落に住む人々が「長平の種蒔苗代」と呼んできた場所でもある。
苗代と呼ぶからは「苗代」状のものがなければいけない。夏にはそれがハッキリと見えるのだが、この時季になると周囲の枯れ草色を水面に取り込んでしまい、その陰影がよく見えない。
 写真の左側に池塘があるのだ。それを指して「苗代」と呼んでいる。北麓の集落に住む人も多くがこの「高層湿原」のことを知っているわけではない。だから、春夏秋冬、この場所は、人の影はまずない。何時、行ってもひっそりと湿原全体が、周囲の樹木に囲まれて「池塘」を中心にして、佇んでいる。
 私は、1年に出来るだけ、春、夏、秋の三季には、ここを訪れることにしている。冬はただなだらかで広いだけの場所となり、「植生や動物の多様性」が、視覚的には一時的に「見えなく」なるので、行くことはない。
 しかし、偶に、山頂や西法寺森から降りる時にここを通ることはある。それは、下山の「ルート採り」が正しいかを確認するためである。ここを通過してほぼまっすぐに下ると、今では「鰺ヶ沢スキー場」の最上端に出る。実に「詰まらない」。
 昔は、その後はひたすら「ブナ」の森を下って、ミズナラが出てきた辺りで東にルートを変更して、現在、ゴルフ場になっている「草原」を抜けて「長平」に出たものである。

 これは、上部、つまり、この「湿原」の上端から少し降りた山側から写している。だから、湿原の「全景」ではない。広く感ずるのは「枯れ野」の所為だ。湿原の淵をミズバショウの大きな葉が覆っている夏には、もっと狭く見える。)

◇◇ 草紅葉(くさこうよう)も始まった(その5) ◇◇

 「草紅葉」で美しいものは、何も「ノガリヤス」だけではない。「アシ」の「黃葉」も美しい。
 「長平の種蒔苗代」、その「草紅葉」にも、「紅い色」はない。「紅葉」を「黃葉」と代えて、「草黃葉」とすれば、より事実に近い表現になるとは思うが、「黄色」というのもまた変である。褐色ではあるが、一般的に言うところの「黄色」ではない。
 色は微妙だ。だから、その表現にあっては、日本語が持つ「ファジー」な性質が合っているのかも知れない。恐らく人間の生来的な視覚能力では、「何十万画素」という世界を見ることなぞ出来ないはずだから、それでいいのだろう。
 だが、私は、この「褐色」に輝く世界を、どうしても、「草紅葉」とは呼びたくない。「晩秋の枯れ野、高層湿原」というキャプションの方が、私の感性には、より馴染むのだ。

 この湿原の中を「ずかずか」と歩くことは憚られる。だから、眺めて終わりだ。それ故に「枯れているもの」が「イネ科」の何であるかは、よく分からない。
 分かるのは、写真左手前に見えるイネ科ヨシ属の多年草「アシ(葦)」だけだ。それが、林縁の池畔沿いにずっと生えていることが分かるだろう。
 これを見ると「アシ」の学名に、ギリシャ語の「垣根(phragma)」が使われているということが納得がいく。「ぐるりと取り囲んで『垣根状』に生える」ことによるらしい。
 花の咲く時季は遅い。9月から10月頃にかけて花穂を出すものだから、11月の上旬でも、枯れた「花穂」が残っているのだ。
 茎の中が空洞になっているので、通気性と保温性に優れているから、「葦茅」として「茅葺き屋根」の材料として使われてきたものである。
 名前の由来であるが、水の浅いところに生えることから、「浅(アサ)」の転訛であろうとされている。
 漢字では「蘆」や「葭」と書く場合もある。別名を「ヨシ」という。これは、こじつけとも縁起担ぎとも考えられるが、「アシ」が「悪(あ)し」に通ずるため、忌んで(忌み言葉)として、「善(よ)し」と呼び代えたものだ。
 関東では「アシ」、関西では「ヨシ」と呼ぶそうだが、津軽ではどちらだろう。私は「アシ」と呼んできた。
 この「アシ」に似ているものに「ススキ」や「オギ」がある。

 花穂が揺れる初秋にここに来て「人間は考える葦である」と言った「パスカル」の心情を味わうこともいいだろう。
 或るいは、高校の古典の教科書に出ている「和歌の浦に潮みち来れば潟をなみ葦べをさして鶴(たづ)鳴きわたる」という「山部赤人」の歌や「志貴皇子(しきのみこ)」の歌に思いを馳せるのもいいだろう。

◇◇ またまた残虐、車で轢いて、その上で「クマ」射殺・深浦 ◇◇(1)

2009年9月23日付朝日新聞青森版に…『深浦の農道でクマと車衝突 猟友会員が射殺』という見出しで次のような記事が載っていた。

 『21日午後8時45分ごろ、深浦町轟木の農道で、町内の男性(24)運転の乗用車が走行中、道路わきから出てきたクマとぶつかった。車はフロントガラスが割れるなどし、走行不能になった。
男性は携帯電話で家族らに通報、連絡を受けた町内に住む県猟友会支部員の男性(60)が、路上にいたクマを散弾銃で射殺した。車の男性にけがはなかった。
 鯵ケ沢署によると、クマはオスで体長約140センチ。猟友会の男性は、道路に倒れていたクマが起きあがろうとしたため射殺したと話しているという。この男性は、散弾銃の所持許可を持っているが、鳥獣保護法では、日没後の夜間に銃でクマなどを撃つことは禁じられている。同署は、同法違反の疑いもあるとみて事情を聴いている。』

 …何という惨い仕打ち、自動車で轢き、跳ね飛ばして、瀕死の重傷を負わせて、まだ生きているからといって、最後は射殺したのである。
 明日はこの事件について、「クマ」を人と同じ命を持つ生命体という視点で書きたいと思う。それは、生命の尊厳ということでもある。(明日に続く)

[連続1000回ブログ書き達成まであと、40回・連続1000日達成まではあと、49日]

草紅葉も始まった(その5)/ クマ「岐阜・乗鞍岳、9人重軽傷」ということ(その6)

2009-09-26 05:07:23 | Weblog
 (今日の写真はある年の10月中旬に撮った「草紅葉」である。右側に見える斜めに走っている「帯状」のものは、「踏み跡」である。
 弥生登山道を数年前に整備した時に、この「踏み跡」には「進入禁止」の標識を立てて貰った。
 それまでは、頂上から登山客等が降りてきて、そこから「耳成岩」に勝手に登っていたのである。それが、写真からも分かるように深く穿たれてしまったのだ。頂上直下という環境は「人の圧力」に弱い。草は直ぐに踏みしだかれ、その草によって支えられていた薄い表土は直ぐに剥がれてしまう。
 一箇所が剥がれ始めると、そこからどんどんと「剥離」は広がっていく。これ以上広がったら、この美しい「ノガリヤス」の草原はなくなってしまい、荒涼とした「岩だらけ」の「爆裂火口跡」になってしまうのだ。それを防ぐための「処置」であった。)

◇◇ 草紅葉(くさこうよう)も始まった(その5) ◇◇

 この「ノガリヤス」の黄金色ともつかない、そうかといって「褐色」とも言い切れない微妙な色彩を「草紅葉」という。だが、この色彩を一般的には「紅い」とは言わないだろう。
 このシリーズでずっと「草紅葉」という言葉を使ってきたが、私は「草紅葉」と呼ばれる現場を見るたびに「草紅葉(くさこうよう)」という言葉が持つ矛盾を感じて、腹立たしい思いに駆られるのだ。
 この思いは「春紅葉(はるもみじ)」という語句が持つ矛盾、つまり、季題的いうと「季語の分裂」に対する腹立たしさと、その根を同じにしている。
 「草紅葉」と呼ばれる色彩には、絶対に「紅」はない。
 この写真の場所はどこか。昨日の写真を撮ったところと同じなのだが、カメラアングルを少し右にして、「耳成岩」とその前に広がる、褐色に枯れて穂先だけを白く輝かせている「ノガリヤス」の草原を主題にしたものだ。
岩のない「草」だけの秋の風情もいいが、「岩」が点在している場所もいいだろう。

◇◇ クマ「岐阜・乗鞍岳、9人重軽傷」ということ(その6)◇◇
(承前)

 …この時季のクマの餌探しは、標高500mから1000mのミズナラやコナラ、またはブナの森林地帯となる。そこで、ブナの実やミズナラやコナラの「ドングリ」を食べるのである。だが、全国的に、昨年も今季も、ブナの実やドングリは不作なのである。「クマ」たちにとって、今季の餌の状態は最悪なのだ。
 「クマ」が、「乗鞍岳」山頂付近まで登ってきたのは、その所為かも知れない。
そして、この「クマ」は、その森林地帯の遙かに上部の「バスターミナル」に現れたのであろう。
 だが、これだけが、「バスターミナル」に「クマ」が現れた理由にはならない。普通に考えて、この時季に、標高「2700m」を越える高地にまで「クマ」が現れることは「一般的」でないからである。
 「クマ」は、下部の森林地帯から登ってきた。恐らく「乗鞍スカイライン」沿いにやって来たものと考えられる。しかも、最初から「餌」がその「バスターミナル」にあることを学習していたのだろう。
 すでに、何回もやって来ていて「残飯漁り」をしていたのではないか。「バスターミナル」の「残飯処理の不備」が餌付け効果となり、「クマ」は学習と経験から、スカイラインの終点である「バスターミナル」を自分の餌場(テリトリー)としていたのではないか。
 その自分の「餌場」(テリトリー)にやって来たところ、そこには「人」がいた。自動車も多数停車していた。情報によると「100人を超える行楽客らでにぎわっていた」そうだ。
 人、つまり、行楽客の方が、先にクマを発見した。大騒ぎとなった。普通車の通行が禁じられているのだから、おそらく、バスやタクシーの運転手たちが「クラクション」を鳴らしたのだろう。そして、追い払おうとした。

 これを考えると、「クマ」を見た時、クマに遭った時、遭った人がどのような対応をすればいいのかということの学習が、まったくなされていないことが分かる。余りにも、「クマとの対処」の仕方について無知なのである。
 標高2702mという「非日常の世界」は、いってみれば獣が生息する世界だ。
 その「世界」に入る時に、何の知的、及び物理的な防備、つまり、レデネスもないままで、日常的都市生活者の「思考と感覚」で「クマ」を捉えている。まさに、異次元の世界にいるのだから、思考と行動を根本的に変えて、「クマ」に対処しなければいけないにもかかわらず、まるで、「街角」や「町並み」で「クマに出会った」のと同じ対し方なのである。
 これでは、クマのほうが「興奮」するのは当たり前だ。だから、人が望んだことと「逆効果」だった。「クマ」はますます、「パニック」を起こして「躁状」、「狂乱」、「逆上」して「暴れ」た。
 その結果が「襲われた」と表現されているのである。怪我をした人のことは気の毒だと思う。だが、「クマ」を暴れさせて「人を襲うように仕向けた」のは、その場、「乗鞍スカイラインバスターミナル」にいた人と「バスターミナル」であることは間違いがない。

 ある新聞には…
 「乗鞍スカイラインは全長14.4km、03年から環境保護のためにマイカーの乗り入れを規制し、5月中旬から10月末まではシャトルバスやタクシーで景色を楽しめる。この日は連休初日で、当時は100人を超える行楽客らでにぎわっていた。」…とあった。

 せっかく、「自然環境の保護」ために、自動車の乗り入れ規制をしても、「クマ」など「野生動物の保護」にはなっていないではないか。
 もっと総合的に、網の目のように連関する方策で、「自然の保護」に対処することが大切であろう。
 余りにも単発的、局地的、分散的な、しかも縦割りの行政による「施策・方策」に過ぎるから、このような事故が起きるのである。
 「生物の多様性」ということを「国民的な課題」として学ぶ必要性を、この「事故」は私たちに教えてくれている。
(この稿は今日で終わります)
[連続1000回ブログ書き達成まであと、41回・連続1000日達成まではあと、50日]

草紅葉も始まった(その4 )/ クマ「岐阜・乗鞍岳、9人重軽傷」ということ(その5)

2009-09-25 05:05:51 | Weblog
 (今日の写真はある年の10月中旬に撮った「草紅葉」である。もちろん、「ムツノガリヤス」だ。
 場所は頂上南面の直下だ。現在は、山頂から見ると「9合目」という標柱のある辺りから東を写したのだ。右に見える岩稜が「耳成岩」、奥に見える山稜は、弘前から見ると山頂の右肩に見える部分である。
 この岩混じりの草原は「噴火口跡」である。山頂はこの左にほぼ直立している。秋早くは「ムツノガリヤス」と一緒にユリ科の「ネバリノギラン」が咲き、まだ「ムツノガリヤス」が芽生えたばかりの春には「ハクサンチドリ」や「ナガバツガザクラ」などが咲き誇る場所でもある。)

◇◇ 草紅葉(くさこうよう)も始まった(その4) ◇◇

 一昨日のブログと写真を見たMさんから、また昨日メールが届いた。一昨日の「風景」はMさんと一緒に見たものだが、昨日のものや今日のものはMさんにとっては「初めてのノガリヤス」の草紅葉である。
 その「初めてのノガリヤスの草紅葉」をMさんはどのような思いで眺めたのだろう。
その思いに少しでも辿り着きたいと思い、また、Mさんからのメールを紹介したいと思う。

 …さて、今朝のブログは、ノガリヤス、でした。
わたしは、あの風景がまだ目に焼きついています。なんという美しい、寂しい景色だったでしょう。
あんな景色は、神々にしか見ることは許されていないものではないかとわたしは思う。あの、ノガリヤス、が、午後のやさしい陽射しを浴びて、通り過ぎる風に揺らぐ様は、本当にこの世のものとも思われぬ。わたしは、生まれてこのかた、あんなきれいなものを見たことがない、と思っております。
鳴沢源頭の景色も本当にきれいで、何度行ってもあの場所は心洗われるものですが、わたしにとっては比較になりません。
わたしは、もともとススキが陽の光に輝く様が好きだ。あの、なにもかも達観したような、わかっていてもあきらめない、というか、淡々と生きていく力を彷彿とさせるような、ああいう姿がとても好きです。ノガリヤス、が、輝きながら風に揺れる様は、わたしには、そういう、淡々と生きていけ、という語りかけのように思える。
苦しいのも、楽しいのも、みんな自分の中にすっと自然に取り込んで、淡々と生きていけ、と、そう言っているように思われる。
ノガリヤス、が、比叡山にも生えていたとは知りませんでした。極楽浄土には蓮が生えているらしいと言いますが、わたしの浄土にはきっとノガリヤス、が、生えているでしょう。一面に。あの場所は忘れがたい。本当に岩木山というのは、広く、大きい。多くの人の心のふるさとになるというのもわかりますね。…(この文はMさんの書いたままを掲載しています)

◇◇ クマ「岐阜・乗鞍岳、9人重軽傷」ということ(その5)◇◇
(承前)

 …この「端緒や契機」を「クマ」に与えた人は「知らぬ顔」を決め込んでいてはいけない。怪我をした人たちと射殺されたクマに謝罪すべきだ。
 もし、いたならば、その人は知らない顔をして、すましているべきではない。「事故の張本人」なのだから、名乗り出るべきだ。警察もその点からも捜査すべきである。
 不用意に近づいたとか、驚いて背中を見せて走り出したとか、大声を出したとか、石をぶっつけたとか、棒のようなもので殴ったとか、自動車内にいてクラクションを鳴らしたとか、ちょっとからかってみようとしたとか、これらの行為は「クマ」にとっては恐怖の何ものでもないのだ。
 ことの顛末から見えることは、明らかに「恐怖」から「パニック状態」に陥っている「クマ」であり、恐怖から「狂乱」状態にある「クマ」である。
 体長が約1.3m、体高が約80cmで、推定年齢が4~5歳の雄というから、まだ「若いクマ」である。経験の少ない「クマ」ほどパニックに陥りやすいのである。
 近くのバスターミナルに「逃げる人を追うように入り込んだ」という目撃情報も寄せられているという。
 このように見てくると、「クマ」も被害者に見えてくるだろう。
 「新聞」も「テレビ放映」もこのことについてはまったく触れていない。これから、クマと仲良く対峙していくには、「この点を重視する」ことが肝要なのである。

 何故、「山岳有料道路・乗鞍スカイライン終点の『ひだ丹生川乗鞍バスターミナル』」
に「クマ」が現れたのだろうか。
 物理的には「その場所に『バスターミナル』や『駐車場』を造った」からであるが、それを、今更論じても、今回の「事件」の即答的な「解答」にはならないので、そのことは措いておく。

 「クマ」が移動するのは「餌」を探すためだ。繁殖期には「相手」を探すことも移動の目的にはなる。だが、移動目的の基本は「採餌」である。特に、「冬眠前」のこの時季の「クマ」は、「餌」を求めて移動する。
 新聞記事には「山から下りてきた野生のツキノワグマ」という表記があった。乗鞍岳は標高3026mであり、「ひだ丹生川乗鞍バスターミナル」は標高2702mである。「山から下りてきた」ということが事実ならば、そこよりも高い頂上付近で「木イチゴ」や「スノキ属の果実」を探して、「バスターミナル」にやって来たのかも知れない。
 だが、「木イチゴ」や「スノキ属の果実」の時季も終わりに近づいている。多くを食べることは出来ない。仮に、高山帯で実を探しても、それは徒労に終わったに違いない。
 この時季は「食べ物の端境期」である。「何を食べていたのか、空腹だったのか、飢えていたのか」などを解剖をして、胃の中を調べる必要がある。これも射殺した「人」の責任である。
 それもしないで、「クマ」の肉や「胆嚢」を欲しがる業者に「売り飛ばすなど」もってのほかだ。「クマ」は「全身」が商品になるという話しだ。だから、商品化するために「害獣」に仕立て上げて「殺し」、金を稼ごうとするものが、あとを絶たない。(明日に続く)

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草紅葉も始まった(その3) / クマ「岐阜・乗鞍岳、9人重軽傷」ということ(その4)

2009-09-24 05:08:19 | Weblog
 (今日の写真は来月に入ると、昨日の写真を撮った場所から見ることが出来る「草紅葉」である。登山道は風になびく「ムツノガリヤス」の奥、写真の中央部分を通っている。
 写真、左の岩稜が「耳成岩」の南端だ。その下にも「草付き」が広がっている。かなり、赤みがかった「草紅葉」だが、草の種類は同じ「ムツノガリヤス」だ。
 つくづく思う。「写真は光の芸術」だということがよく分かる。
 この場所の「ムツノガリヤス」は頭上から秋の太陽を斜めに受けている。斜めに受けても、「直射」であることには変わりはない。
 ところが、手前の「ムツノガリヤス」は山頂本体に遮られて、「穂先き」の部分だけが日を、辛うじて浴びているのだ。だから、その部分しか見えない。全体としては「逆光」になっている。
 しかも、風が茎を含めた全体を小刻みに動かすものだから、その受ける光が乱反射したり、屈折したりで、「焦点」が定まらない。
 だから、「細かく」ブレていて、じっと見ると目が「クルクルしてくる」という大変な「写真」になっている。
 それにしても、この写真を撮った日はいい天気だった。出来るものなら、この「斜面草原」が日射しの下にある時に写したかったのだ。だが、日が短い秋である。この場所に至るには、どうしても午後になることは免れないのだ。

 風の向きは小刻みに変わる。南の耳成岩との鞍部から吹き込んでくるかと思うと、今度は背後の北東から吹き付ける。
 そうこうしているうちに、山頂から吹き下ってくる。そして、縦に、横にと、まさに「縦横無尽」だ。
 「か細く柔らかい」穂は、ただ翻弄されるに任せている。これが、やがて枯れて、吹き飛ぶであろう「ノガリヤス」秋の一日である。)

◇◇ 草紅葉(くさこうよう)も始まった(その3) ◇◇

 先日、岩木山登山に同行した「Mさん」が、昨日の写真の「ノガリヤス」の生える斜面草原と出会った感激をメールで知らせてくれた。皆さんと感激や感動を共有したいので、紹介したい。

 …わたしは、ノガリヤス、の、あの黄金の穂波が忘れられませんでした。寂しさと美しさが合体すればああいう風景になるんだとでも言えばいいのでしょうか。あの風景をどうやって言葉で表現すればいいのでしょうか。
 今も、厳然と目の前に広がる、あの景色です。忘れられません。ああいう風景の中で死ねるなら、もう死んでも構わん、と、心から思えるような、本当に形容しがたい美しさでした。今回の山行のトピックスです。
 大鳴沢源頭もいいですが、わたしには、ノガリヤスが一番でした。
本当に、本当にきれいだった。寂しく、孤独で、美しかった。静かだった。風の音が聞えた。
 風のささやきが本当に聞えるようでした。風は、ノガリヤス、を愛している。わたしにはわかりました。彼らは相思相愛だ。わたしは、あの中で、ずっと、何時間でもだまって座っていたかったです。
 大鳴沢源頭を最初に見たときにも、かなり感動しました。あの場所の静けさと厳しさが、わたしは好きです。でも、ノガリヤスだ。どうしてもノガリヤスでした。
 ノガリヤスは、人間は、死ぬときはひとりだと知っています。あの雰囲気は、そうとしか思えん。そして、どんな逆境にあっても、知る人ぞ知るというか、温かい目でじっとあなたを見ている人がいる、ということも知っています。
 しかし、最後は、人はひとりだ、ということを知っている、そういう雰囲気でした。美しく、静かで、温かい。しかし、孤独な。
 わたしは、本当に、あの風景を忘れられません。岩木山というのは、なんとすばらしい、奥深い山なのでしょう。…(この文はMさんの書いたままを掲載しています)

 Mさんの感動とは少し趣を変えて俳句を作ってみた。これが、いつもの私である。
                   
  ・草紅葉白き山道一人行く   (三浦奨)

◇◇ クマ「岐阜・乗鞍岳、9人重軽傷」ということ(その4)◇◇
(承前)

 「『クマ』が人を襲う」と書くと、「クマ」の行動目的が「人を襲う」ことにあるように受け取られかねない。
 「クマ」は最初から人を襲うために、「ひだ丹生川乗鞍バスターミナル」にやってきたのではない。もちろん、「人を餌にするため」に来たのでもない。「餌」にするのであれば、倒したらとどめを刺して「食えば」いいはずだが、それをしていない。
 「クマ」は突進して、人を倒して飛びかかっているだけである。「捕食のため」であれば1人だけが目標になり、「人1人」を襲うことで十分だろう。
 だが、次々と目の前にいる人に、突進して倒し、引っ掻いては、次へと移っていくという行動を取っている。この「クマ」は「人食いクマ」ではない。

 新聞情報からの顛末を、今一度整理してみよう…
「クマは最初、ターミナル近くの魔王岳の登山道入り口で観光客を襲い、救助しようとした乗鞍環境パトロール隊員や旅館関係者にも、登山道や駐車場で馬乗りになるなどした。さらに、クマはレストランなどが入る建物に入り、観光客らを次々と襲ったが、ターミナル従業員が消火器を噴射して土産物コーナーに追い込み、シャッターを下ろして閉じ込めた。その後、観光客が避難した後にシャッターのすき間から猟友会員3人が射殺した。」…となる。
 「クマ」は空腹でなければ、捕食物を襲わない。満ち足りて、安心していると、獣は人に向かってこないものだ。
 だが、この顛末から見えてくることは、「クマ」が一方的に「人を襲う害獣」であるということだ。だが、それは当を得ていない。

 私は「クマ」にこのような襲う行為させた何かがあったと考えている。現れた「クマ」に対して、「人が何かをした」のではないか。先に手を出したのではないだろうか。「襲う」という端緒や契機を人が「作った」のではないのだろうか。
(明日に続く)

[連続1000回ブログ書き達成まであと、43回・連続1000日達成まではあと、52日]

草紅葉も始まった(その2) / クマ「岐阜・乗鞍岳、9人重軽傷」ということ(その3)

2009-09-23 05:09:08 | Weblog
 (今日の写真は、昨日の写真を撮った場所から180度振り返って北側を写したものだ。もちろん、頂上直下である。
 この斜面には「低木」は殆ど生えていない。それは、ここが雪崩の頻発地帯であることと、とりわけ、「火山性地質」が顕著で「イネ科」の植物の生える条件に合っているからであろう。
 最近は余り見られなくなったが、冬季の山頂越えの風雪は、この草付き斜面の上部に大きな「雪庇」を絶え間なく「造る」。それが、大げさに言えば、「常に」崩落して地肌を削る。春先の「底雪崩」は「低木」をもなぎ倒してしまうのだ。
 この日は風が弱かったので、「草」が腹這うようなことはなかったが、風の強い日には、「腰」を折れるほどに曲げて、風下に倒れる。
 だが、面白いことに、それは、一斉ではない。ある場所のものが地に伏するとある場所のものが起き上がるのだ。それがこの草付き斜面全体で「波打って」いる。まさに、大きくうねりを繰り返す「草の穂波」だ。
 これは、どこかの国の「首領さま」に見て貰うために「過酷な訓練」をしながら、一糸の乱れもない演じ方で行われる「マスゲーム」を彷彿させる。
 だが、ここの草たちには、一切の上意下達への「服従」もなければ、「阿諛追従」もない。ただ、ただ、自然に身を任せているだけなのだ。)

◇◇ 草紅葉(くさこうよう)も始まった(その2) ◇◇ 

 この草はイネ科ノガリヤス属の多年草「ノガリヤス(野苅安)」だ。正しくは「ムツノガリヤス(陸奥野苅安)」というらしい。ノガリヤスは北海道から九州に分布する多年草だが、この写真のものは「ムツノガリヤス」であるから東北地方に多いものであろう。 このように、亜高山帯や高山帯の草地に群生が見られる。草丈は70cm程度だが、生育する場所によって変異が大きい。
 葉の長さは30~50cmで、形は線形だ。途中から表裏が反転する。花序は長さ20~50cmの円錐状で、淡緑色または紫色を帯びた「小穂」をつける。
 「小穂」は長さが4~5mm。中央脈は芒(のぎ)となり、長く小穂の外に突き出る。花の基部には銀白色の毛がある。花には「毛」があるが、通常は全草が無毛で、葉舌は長くてよく目立つ。
 「よく目立つ」と書いたが、これはその気になって「ノガリヤス」を観察すればのことであって、「登山者」などからは、殆ど注目されることはない。だが、秋の「草紅葉」の時季になると、その存在感は際立つのである。
 日ごとに、黄変していく茎や葉、白く輝きながら、優しいうねりを見せる穂は、可愛らしい少女たちの群舞か、はたまた、白い髭を蓄えた老翁たちか…と見紛うばかりだ。

 「ノガリヤス」という名前の由来は、「野に咲く苅安」という意味による。「苅安」とはイネ科ススキ属の染料植物だ。「苅安」は「刈り安い」という意味だといわれている。別名は「サイトウガヤ」だ。漢字書きにすると「西塔茅」となる。これもハッキリしないが、「比叡山の西塔付近で初めて採集されたこと」から、そのように呼ばれたらしい。

◇◇ クマ「岐阜・乗鞍岳、9人重軽傷」ということ(その3)◇◇
(承前)

 …確かに、今回は「クマ」は「人を襲って」いる。しかも、これは結果である。マスメディアの使命、つまり、基本は「結果」の報道であろう。
 「結果」には、その「原因と理由」、それに「過程(プロセス)」があるはずだ。だが、そのいずれも記事や放映からは欠落している。それが、この事故を問題視する以上に「問題」だと私は考えるのである。
 「クマが人を襲う」だけで片付けるのであれば、それは「三文ゴシップ雑誌」の記事と同じだろう。民放のテレビでは、「一般人が写したものだ」と断りのテロップを入れながら「襲われている」動画を流していた。これにも、私は「三文ゴシップ雑誌」的な要素と「傍観者的な要素」を感じている。
 
「畳平(たたみだいら)と呼ばれる岐阜県乗鞍岳山頂に近い標高2702m、山岳有料道路・乗鞍スカイライン終点の『ひだ丹生川乗鞍バスターミナル』で、何故、人と「クマ」は出会わねばならなかったのだろうか。
 記事や放映の中で、識者の見解という形で、「何故クマがその場所に出てきた」のかについての「コメント」は確かにあった。しかし、それは、まるで付け足しのような扱いでしかなかった。
 「クマ」に焦点をあてるという意志があれば、こちらのことに記事や放映でもっと言及すべきであろう。
 私は、「山岳有料道路・乗鞍スカイライン」というものが、敷設されていなければ「クマ」と「人」との「不幸な出会い」はなかったと考えるし、そう言って憚らない。
 単純化して言うと「2702mという高山に人が勝手に道路を造り、入り込んだ」ことに「原因と理由」があるということだ。
 そこは、「人の日常とは切り離された『クマ』など野性の動物が棲む場所」なのである。だから、そこに入る人は「自分たちの日常性」を捨てて、「野生の動物」たちの「ルール」に従わなければいけないのである。その第一義は「クマ」など動物を「驚かせないこと」であり、「刺激をしない」ことである。
 記事や放映を見ていると、この第一に守るべき配慮が、まったくされていなかったことに気づくのだ。
 テレビ放映の動画には、音声も含まれていた。そこで聞いたのは、何と、けたたましく鳴らされる数台の自動車からの「クラクション」音だった。これでは、ますます、「クマ」は恐れ戦き、攻撃性が強くなる。「クマ」に人を襲わせた真の理由には、「人の行為」そのものがあるのだ。

 一般的には、「クマ」と「人」とは簡単に出会えるものではない。それゆえに、千載一遇のチャンスと考えれば、「出会い」は「幸いにも」であり、それは「幸福」な出来事の何ものでもない。私は、「クマ」と出会うたびに、密かに、この幸せ感に浸っていた。(明日に続く)

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草紅葉(くさこうよう)も始まった / クマ「岐阜・乗鞍岳、9人重軽傷」ということ(その2)

2009-09-22 05:08:06 | Weblog
 (さて、今日の写真は、どこからどこを撮ったものだろう。もちろん、昨日の写真と同じ登山道沿いである。
 赤倉登山道はこの写真の左、この崖頭の真下を通っている。この「崖頭」は岩木山中央火口丘「山頂」を「噴き上げて」造り出した「噴火口」の外輪の一部だ。対岸には「耳成岩」という外輪岩稜があるが、此岸はこの「崖頭」だけで、あとは北側に位置する山頂本体そのものが「外輪の一部」を形成している。
 だから、そこからは山頂へほぼ、直登になるのだ。だが、この高さで、私は少し左折をして下を覗いたのだ。
 ここから「崖頭」に向かって行くことは出来るが、それをすると草や低木を踏みしだくことになるので入って行ったことは一度もない。「崖頭」の北側と東側には「イワウメ」や「イワヒゲ」が5月の中旬から6月にかけて咲き出すのだ。
 「崖頭」に生えている低木は、その多くが「ミヤマハンノキ」であり、中に混じる白い枝のものは「ダケカンバ」で、まだ「濃い緑」のままだ。
 「ハイマツ」も生えているのだが、「崖頭」の先端部分にあるものだから、このアングルからは見えない。他の緑は「イヌツゲ」であり、これらは低木の常緑樹なので、手前に生えている「紅い葉」や「黄色の葉」の背景としてはうってつけである。だから、ますます、その色彩は映えるのである。
 そのよく映える「黄色」は「ミネカエデ」、紅いものはツツジ科スノキ属の「クロウスゴ(黒臼子)」や「マルバウスゴ(丸葉臼子)」だ。)

                ◇◇ 草紅葉(くさこうよう)も始まった(その1) ◇◇
 
 写真の下辺を見て欲しい。イネ科の草が繁茂しいるだろう。手前、つまり私の足許に見えているのはイネ科コメススキ属の「コメススキ(米薄)」である。
 岩木山には「イネ科」の草本は結構多いのだが、「花」が微小で目立たないので「花」扱いされることが滅多にない。
 主なものを挙げてみよう。先ずはチシマザサだ。次いで「アイヌソモソモ」、「ミヤマウシノケグサ」、「ミヤマドジョウツナギ」、「コメススキ」、「ミヤマコウボウ」、「タカネコウボウ」、「ミヤマヌカボ」、「ムツノガリヤス」、「タカネノガリヤス」、「ヒナノガリヤス」などである。
 この写真に見えるのはイネ科ササ属の「チシマザサ(千島笹)」とコメススキ属の「コメススキ」、それにノガリヤス属の「ムツノガリヤス(陸奥野刈安)」である。他にもあるであろうが、側に寄らなくても、分かるものはこれらだけである。「ムツノガリヤス」は、写真左の「斜面」に見えている。

 それでは、足許に見える「コメススキ」について少し解説しよう。「コメススキ」は、北海道から九州の高山の砂礫地などに生える多年草で、糸状の葉と細い茎を多数立てるのが特徴だ。草丈は20㎝程度で、葉は糸状、細く茎は茶褐色を帯びている。花期の7月から8月にかけて、茎の先に長さ5mmほどの白い小穂をまばらにつける。
 だが、この辺りではいわゆる花の時季には、他の様々な鮮やかな花に目が奪われて、「イネ科」や「カヤツリグサ科」の「クロスゲ」などの花には目がいかないのだ。しかし、9月に入ると、これら「イネ科」や「カヤツリグサ科」の植物が、俄然とその存在を露わにしてくる。
 名前の由来は「株立ちになる様子や直立する花穂を米に見立て、さらに、ススキを連想した」ことによるのだろう。
 風に細かく揺れる白く枯れた「穂」、それはまさに「細々とした白いひげを風に委ねて、静かに微笑んでいる」優しい翁の風情であった。
 それは、そこまで登ることが出来た私を、群れになって歓迎してくれているかのようだった。私の「登れた嬉しさ」は限りなく広がった。   

    ・山巓下(さんてんか)翁微笑むコメススキ (三浦 奨)…山頂直下にて   
                           (「ノガリヤス」については明日書くことにする)

             ◇◇ クマ「岐阜・乗鞍岳、9人重軽傷」ということ(その2)◇◇
(承前)

 これらの「マスメディア」が言うことに共通していることは「クマが暴れて人を襲った」ということである。
 ここに私は、人の「クマを野獣とみなし、野獣は人にとって危険で常に人を襲う可能性がある」とする「既定概念」を見ている。
 確かに、「クマ」は野獣である。これはいいだろう。しかし、「野獣は危険、人を襲う」という考えは間違いである。

 岩木山ではクマの生息数は少ない。だから、頻繁に出会うことはないが、時々出会うことがある。だが、私はこれまでただの一度も「クマによる危険な事態」に遭ったこともないし「襲われた」こともない。
 むしろ、出会った時には、「クマ」はいち早く、逃げ出して「クマ」の方から「姿」を消してくれた。これが、「クマ」が人と遭遇した時に見せる「普通」の行動である。
 だが、時には「姿を消さない」場合もある。こんなこともあった。
 残雪期である。沢筋を詰めて、蛇行する淵を出たら、そのブナの生えている尾根の下端に「クマ」がいた。私との距離は30mほどだ。
 そこまで来る途中で「フキノトウ」の新芽がきれいにかじり取られていたので、「クマ」が近くにいることは想像していた。
 私は笛を3回吹いた。笛は運動会などで使われている一般的なものだ。私は「クマよけ」としての鈴や鉦(かね)は持たない。
 連続的に音を発する必要はないし、連続音は自然の中ではより騒音に近い。だからである。予想通りに、そこにクマのいたことが嬉しかった。
 そこで、クマが進む方向に併行して、私も歩いた。クマは時々歩みを止めては、私を「振り向く」ようにして見ては、また歩き出す。クマが立ち止まっている時には、私も動きを停止した。
 そのような時間が数分続いた。やがてクマは尾根を登り始めた。私は沢をそのまま上流に進む。いつの間にかクマは私の視界から消えていた。
 …時々立ち止まり、振り向くように、あの細い目でじっと私を見てくれた「クマ」のことは、いつまでも忘れられない。本当に可愛いものだった。
 そこには、「襲われるという不安」も、「襲われるという観念」などは微塵もなかった。

 ところで、「標高2702m、山岳有料道路・乗鞍スカイライン終点の『ひだ丹生川乗鞍バスターミナル』で、何故、人と「クマ」は出会わねばならなかったのだろうか。(明日に続く)

紅葉の季節が始まった / クマ「岐阜・乗鞍岳、9人重軽傷」ということ(その1)

2009-09-21 05:17:51 | Weblog
 (今日の写真は紅葉が始まった岩木山である。といっても、この写真の「場所」が岩木山のどこなのか、直ぐ分かる人は多くはいないだろう。標高は1500mを越えている場所である。
 スカイライン-リフト、そして山頂というルートでは絶対に「遭遇」しえない場所である。ヒントはこの奥に見える岩稜だ。これは、「耳成岩」の北東端である。
 「耳成岩」は山頂からは東の「眼下」に見える。赤倉登山道大鳴沢源頭付近からは南の山頂の横に見える。
 また、弥生登山道からは山頂に近づくと「山頂」を塞いで、まるで「岩の衝立」のように見えるのだ。
 この、写真は「赤倉登山道」の「大鳴沢源頭」からの「急な登り」を「詰めた」辺りから写したものだ。別に、この「岩稜」を撮ろうとしたのではない。急な登山道を「登り切って」視界が開けた時、突然、目の前に、「錦の綾」が広がったので、思わず「シャッター」を押してしまったのだ。だから、「錦の綾」の奥に見える「荒々しい岩稜」は、この写真にとっては「おまけ」でしかない。
 しかし、今改めて、写真を見直してみると、この「背景の岩稜」がどれほど、前景の「錦の綾」を押し出して、写真全体にメリハリをつけてくれているかということがよく分かるのである。
 無機質な岩稜と今季の最後の「生命」を燃やして、紅に、黄色に染まる木々の葉という「有機質」との相反する極相が見事に調和している。これが、自然であり、「自然の美」というものなのだろう。)

           ◇◇ 紅に、黄色に染まる木々 ◇◇ 

 赤い葉を見せているのは「ナナカマド」と「ミネザクラ」、それに、「クロウスゴ」だ。「ナナカマド」はまだ、少し「赤み」が薄いし、葉が細い。それよりも少し赤みが強くて「葉」が比較的密集しているものが「ミネザクラ」だ。この「ミネザクラ」の紅葉は今がピークである。
 それらよりも低木で、イネ科の「ノガリヤス」に紛れて褐色に近い「赤」を見せるものは「クロウスゴ」である。
 「クロウスゴ」は、葉がこのような色具合になると、葉腋の実は「真っ黒」に熟していて食べられるのだ。登山道脇にもかなりの「クロウスゴ」の実が見えていたので、片手にカメラ、片手でその「実」を採りながらの登りとなり、疲れは倍加してしまった。 だが、甘酸っぱいジューシーな「実」はそれを相殺してくれるほどに「爽やか」なものだった。
 よく目立つのは黄色の葉である。「紅葉(こうよう)」といいながら、このような「黄色の葉」をも「指す」ことに、私は「不快感」を持っている。
 さらに、秋の「季語」である「紅葉(もみじ)」をして、春の新葉を「春紅葉(はるもみじ)」と呼ばせる「観光業者」や「似而非文化人」たちには、「不快感」を越えた許し難い感慨を持つのだ。「言葉」には意味とその使い方には決まりがある。「春紅葉」という言葉には、明らかに「春」と「紅葉」という「自己矛盾」があるにもかかわらず、それを何とも思わないということは「言葉」に対する「侮辱」でしかない。

 さて、その「黄色い葉」である。私が「不快感」持つのは「黄色い葉」を「紅葉」に含めるということであって、「黄色の葉」そのものではない。秋一番に色づくのは、山麓から中腹部に見られる真っ赤な「ウルシ」だが、標高の高い場所で一番早く「色づく」ものは「黄色の葉」である。
 今日の写真に見える「黄色の葉」には2種類がある。2つとも「カエデ科カエデ属」である。
その1つは「ミネカエデ(峰楓)」であり、鮮やかな「レモンイエロー」に輝く。もう1つは「オガラバナ(麻幹花・別名はホザキカエデ:穂咲き楓)」であり、「オレンジ色」になる。写真の右側のものが「ミネカエデ」で、左に見えるものが「オガラバナ」だ。
 私が「紅葉」という言葉の使い方に「違和感」や「不快感」を持っていなかったら、…「ミネカエデ」は鮮やかな「レモンイエロー」に「紅葉」し、「オガラバナ」は「オレンジ色」に「紅葉」する…と書いて憚らないだろう。

 カエデ科カエデ属には亜高山帯から高山帯にかけて生えるものがいくつかある。「ミネカエデ」はその代表だ。北海道から本州中部にかけて分布し、亜高山帯の林内に生える落葉低木だ。高さは、厳しい生育環境から、人の背丈くらいから2m程度のものが多い。葉は掌状で、5個に中裂し、裂片には二重の鋸歯がある。葉の切れこみは小さい。秋には黄色になる。
 「オガラバナ」は、北海道、本州(中部地方以北)、四国に分布して、亜高山帯の林内に生える落葉樹だ。
 「ミネカエデ」に似ている。高さは3m前後だ。見分け方は、枝先の穂状花序で、黄色を帯びた白色の花を多数つけることだ。葉も似ていて掌状で、5~7個に浅裂か中裂し、裂片には鋸歯がある。秋には橙黄色になる。

       ◇◇ クマ「岐阜・乗鞍岳、9人重軽傷」ということ(その1)◇◇

「<クマ>バスターミナルで暴れ、9人負傷 岐阜・乗鞍」というのが「毎日新聞」の見出しであり、「連休初日 クマ、行楽客襲う 岐阜・乗鞍岳、9人重軽傷」が「朝日新聞」の見出しである。
 NHK テレビでも、「クマ、暴れて人を襲う」という表現で放映していた。

 マスコミは挙って、被害者を「人」にして、「加害者」を「クマ」と位置づけて、それを既定の「事実」、あるいは、「結果」として報じている。
 「人は負傷」だ。だが、「クマ」は「銃による駆除」つまり、「射殺」という「死亡」である。被害者は負傷、加害者は「銃殺」という結果で、この事件は終わった。
 この事件・事故について少し考えてみたい。断っておくが、私は「クマ」の身になって考えてみたいのだ。
 事故現場は、標高2702mという高山である。いわば、自然のど真ん中であり、人間にとっては、常識的に「非日常の世界」とされる場所である。(明日に続く)

[連続1000回ブログ書き達成まであと、46回・連続1000日達成まではあと、55日]

秋の野山はおもしろい…(その5)団栗がいっぱい「コナラ」と「ミズナラ」(その3)

2009-09-20 05:03:24 | Weblog
 (今日の写真は「ミズナラ」の「種子と殻斗」、つまり「ドングリ」と、その「帽子」である。「ドングリ」は堅い。「堅果」という。「堅果」は、栗ほどではないが、やや大きめの卵状楕円形だ。「殻斗」は、総苞片が瓦のように並んでいる。
 この「ドングリ」が丸くて「卵状楕円形」であることで、かつて、大怪我になるような経験をしたことがあった。
 ある年の秋遅くである。百沢登山道を降りてきた。ミズナラ林帯の中央部分にさしかかった時だ。登山道の草付きの少ない部分に「ドングリ」がまるで、敷かれてでもあるように「転がって」いた。
 「今年は凄いな、クマは沢山食べて冬眠に入れるな」と呟いた、その瞬間、私は足を掬われたのだ。いや、掬われたというよりも、私の登山靴の底が「ドングリ」に乗って、そのまま、「ドングリ」のローリングに併せて、滑り出したのだ。
 考えても見なかった一瞬の出来事に、私は、その事態をどうすればいいのか分からなかった。
 普通、斜面で土の上が滑る状態の時には、踵を立てて「制動」をかけて「止める」のだが、何しろ、「ドングリ」の上に乗っかっているのだから、それも出来ない。
 そうしているうちに、スピードが増してきた。何かに衝突したら大変だ。とにかく、「停止」しないといけない。
 手立ては…「尻」をつくことで「制動」をかけるということしかなかった。「雪渓」の上を「尻で滑る」ことを「尻セード(ピッケルを使って雪面を滑走することをグリセードというが、それを捩っていう言葉)」というが、それをやったのである。
 「尻」をひどく打ち付ける羽目になり、痛かったが、それで何とか「停止」して、難を免れたのである。
 文章にすると、かなり長い時間の「ドングリ滑り」のようになるが、事実はまさに、ほんの「一瞬」のことであった。
 それほど、その年は「ミズナラ」の実は、豊作であったのだ。だが、昨年、今年と「ブナ」と同じように「ミズナラ」や「コナラ」の実は不作である。
 クマやリスなどの「餌不足」を想うと、気が重くなる。この「ドングリ」には「タンニン」が含まれているので、人にとっては「渋みが強く」て、食べられないが、クマなどは「食べる」のだ。
 また、「ネズミ」や「リス」などの動物は、「ミズナラの実」を集めて、土中に埋めて、その「タンニン」物質を中和して、つまり、「あく抜き」をするのだそうだ。大したものである。

       ◇◇ 「落葉広葉樹」コナラとミズナラをよく知ろう(その3) ◇◇
(承前)
 岩木山ではもっとも普通に見られる樹木、これが「コナラ」と「ミズナラ」である。
 葉による違いは昨日述べたので今日は枝と幹(樹皮)について書いてみよう。「ミズナラ」の若枝には、出始めは淡褐色の毛があるが、後に無毛に変化する。
 樹皮は、淡い灰褐色で薄くはがれ、不規則に「縦の割れ目」が出来るが、コナラのように深い「割れ目」にはならないし、厚い樹皮は形成しない。
 確かに、コナラに似ているが、「割れ目」の面積が狭く、表皮全体に薄く剥がれる感じがある。
 だが、大きくなると「割れ目」が目立たなくなるのだ。観察会で「この樹は何ですか」と訊かれて「幹の割れ目」にだけ囚われていた私なぞは、思わず「返答」に困ってしまったことがあった。
 山麓に近いミズナラ林は「薪炭共用林」であることが多いので、「薪炭」のために「伐り出されて」巨木は少ないが、岩木山では百沢登山道の「七曲がり」から上部標高600m辺りまでは、戦後、伐られることもなく「巨木」になっているものが結構ある。
 とにかく、巨木になると、樹皮が大変身をするのが、「ミズナラ」なのである。それは、「全体的に灰褐色の薄い片々に覆われた」ものになるということである。
 日常的に見慣れている「ミズナラ特有の樹皮」とは違うものなので、「この樹は何ですか」と訊きたくなることも頷けるというものだ。
 そのような場合は、やはり、「葉」が「やや枝の先に集まる」か、「葉身は倒卵状長楕円形」か、縁には「大きな鋸歯がある」か、「基部はくさび形に狭くなっている」か、「『葉柄』が無いか、あるいは、ごく短い」かなどで判断するしかない。
 高木で、葉の形状が「肉眼」で見えない時は、足許に「古い」ドングリを探してみるといい。褐色になっているが、形状に変化はないし、必ずあるので、「今日の写真」のようなったものが、散らばっていると「その上」にある「樹木」は「ミズナラ」だということになる。

 さて、この「ミズナラ」の「材」であるが、「材質は堅くて、色はやや赤みを帯びた淡褐色で、磨くと美しい艶が出る」のだそうだ。
 ヨーロッパでは、「ブナ科コナラ属」を「オーク」と呼び、良質の建築材としていたた。「ミズナラ」は、このヨーロッパのオークよりも良質で、かつては日本から輸出されていたそうである。
 名前の由来は「材に水分が多く、燃えにくいこと」ことによるとされている。別名を「オオナラ」、または単に「ナラ」と呼ぶ。
 これは、「キノコ」の原木にもなる。そういう訳であろうか。「ミズナラ」と言うと「マイタケ」のことが頭に浮かぶ。「ミズナラ」の巨木の下に、大量のマイタケを発見などということがある。これは「ミズナラマイタケ」のことである。
 昨日、赤倉から登り、弥生に降りたが、その途中で「ミズナラ」の古くて小さな切り株に、僅かだが、「マイタケ」を発見した。やはり、「マイタケ」は「ミズナラ」なのである。

秋の野山はおもしろい…(その4)団栗がいっぱい「コナラ」と「ミズナラ」(その2)

2009-09-19 05:08:29 | Weblog
 (今日の写真は何を撮ったものだろう。秋の野山を歩いていると、色々なものに出会う。これもその一つだろう。
 その日は他に、「ヤマツツジ(山躑躅)」がたった一輪だけ咲いているのにも出会った。「ヤマツツジ」は5月に咲く花である。それが、9月の中旬に咲いていたのである。しかも、一本の樹木に、たった1輪である。その咲き方がまた、おかしい。縮んでいる。縮こまっている。花弁を開いていないのである。
 固く閉ざしているが、ある部分は開きかけている。その様子が何だか「ちぐはぐ部品」なのだ。
 数年前にも、秋に「ヤマツツジ」が一斉に開いているのに出会ったことがあった。今回よりも遅かったはずだ。うっすらと霜が降りた日だったから、恐らく10月も半ば過ぎていたかも知れない。その年は、9月に「ミヤマキンバイ(深山金梅)」が、多数花を咲かせた。「秋の日和」を「春」と勘違いして咲き出したものだろうと、その勘違いの「幼稚性」にそこはかとなく「親しみ」を感じたものだ。
 その時のことを「雪渓の切れたところに黄金が光る。積雪の少ない西の岩場には大きな群落が風にそよいでいる。金のしとねと呼ぶにふさわしい。昨年は五月中に一度咲き終わったものが九月の中旬から下旬にかけてまた咲き出した。温暖化による異常だろうか」と拙著「岩木山・花の山旅」には書いている。

 ところで、今日の写真は何だろう。登山道脇で見つけたものである。そろそろ「ブナ」が出てくる頃だろうと思って登っていたら、足許に大きな「キノコ」が現れた。
 私は「キノコ」については、まったく疎い。知っている「キノコ」、というよりは「確実に」食べることの出来る「キノコ」については「サモダシ」、「ヒラタケ」、「マイタケ」程度しか知らない。だから、この写真の「キノコ」も何であるかは知らない。
 それよりも、この「キノコ」の真ん中に穴が開いていて、そこに「塡め込まれた」ものに私の目は行った。それは、「ドングリ」だった。
 「コナラ」の実か。「ミズナラ」の実か。形はどうだ、などという悩みは無用だ。そこは「ミズナラ林」だったからである。
 どうして、このように穴が開いて、そこに「ドングリ」が入ったのだろう。その「謎解き」をする。恐らく単純なことだろう。
 登山道沿いの「ミズナラ」は大木が多い。大きいものは樹高が20mを越えている。20m以上の高さから、垂直に落ちてくる「ドングリ」は、いくら軽いとはいえ「加速度」によって「地上」とぶつかる時の衝撃は、単位面積当たりでは「数kg」になるのではないだろうか。そうしたら、「柔らかい」キノコの傘なぞ「貫通」することはいとも簡単なことだ。そう考えてしまうと実につまらない。
 そこで、もう一度眺めてみた。そうしたら、「キノコ」の穴の中の「ドングリ」が小さな顔に見えてきた。
 「あれ、頭がないなあ」と呟きながら、「ドングリ」の頭に擬える「殻斗」を探したが、その「実」にはついていない。
 その時だ。私の目には、この「キノコ」が小さな顔が被っている「帽子」に見えてきたのである。しかも、その帽子はスペインや南米の牧童たちが被る、つば広で丸い帽子の「ソンブレロ」に見えたのである。
 思わず、「ニコリ」だ。岩木山のミズナラ林でスペインの牧童に出会うとは何という奇縁か。私は一人、満足に浸っていた。)

◇◇ 「落葉広葉樹」コナラとミズナラをよく知ろう(その2) ◇◇

(承前)
 岩木山ではもっとも普通に見られる樹木、これが「コナラ」と「ミズナラ」である。
 今日の写真の「ドングリ」はブナ科コナラ属の落葉高木「ミズナラ(水楢)」の果実だ。「殻斗」(帽子)の総苞片は、密に瓦状に圧着していて、灰褐色の細かい毛を密生している。「堅果」は長さ2~3cmで、年内に熟してしまう。
 「ネズミ」や「リス」の食料になるし、「ツキノワグマ」も冬眠前に盛んに食べるのだ。
 「ミズナラ」は「ブナ」とともに冷温帯を代表する落葉高木である。大きく成長し、大きいものでは、樹高が30mを越えるものもあるという。
 南樺太と南千島から州の「冷温帯」に分布し、「ブナ」と混生したり、純群落を形成したりする。岩木山では「混生」している場所は少ない。「ブナ」よりも幾分、「低海抜地」に生育し、分布域は広い。
 「ブナ」は遅霜に弱いから、霜の被害が出やすい尾根筋、特に朝日が当たる東側はミズナラが優勢となりやすいそうだ。だが、岩木山ではそのような傾向は余り見られない。まあ、言ってみれば、立地条件のいい場所を「ブナ」が占領し、厳しい場所で「ミズナラ」が優勢になる傾向がある。
 花は新しい葉の展開と同時、5月に入ると咲く。「雄花花序」は尾状で、新しい枝から数個垂れ下がり、6~8cmほどである。雌花は新しい枝の上部の葉腋で咲くが目立たない。
 新しい葉は5月の初めに出るが、「芽出し」の幼い葉はしっかりしており、勢いがある。展開し始めの頃は、葉脈に凹凸が目立ち、主脈の表側には白い長毛が見られる。(明日に続く)
                 [連続1000日ブログ書き達成まで後、48日]

秋の野山はおもしろい…(その3)団栗がいっぱい「コナラ」と「ミズナラ」(その1)

2009-09-18 05:14:18 | Weblog
 (今日の写真は、ブナ科コナラ属の落葉性の高木「コナラ(木楢・小楢)」の果実である。いわゆる「ドングリころころ」の「団栗」のことだ。
 岩木山では「中腹下部」から「山麓上部」にかけて、ドングリをつける「ミズナラ」と「コナラ」が生育している。
 この両種は仲間だけあって、「ちょっと見」では「見分け」がつかない。特に、「葉」にあってはそうだ。それは、葉の形が両者ともに「倒卵形または倒卵状楕円形」で非常に似ていることによる。だが、よく見ると「コナラ」の葉は細めで薄い感じがして、葉の縁にある鋸歯も若干、鋭さに欠けている。その上、葉の柄が長い。
 だが、植物は「自分で生育環境を変えることは出来ない」という事情から、「自分の方が環境に対応」する。私はこれを「植物の健気さ」と呼ぶことにしているが…
「コナラ」の葉は、乾燥した場所に生育するものでは小さく、適潤な場所では「ミズナラ」並に大きくなる。また、伐採されたりすると、初夏に出る葉の形も同じではなくなる。このような変化の他にも、「外圧」への対応のために「遺伝的な多様性」を持っているのだ。

 「ミズナラ」の葉は、少し大きめで厚ぼったい感じがするし、楕円の幅が広く、鋸歯が荒くて鋭い。それに、葉の柄が殆どないか、あっても非常に短いのである。
 これらの「違い」で見分けるのだが、慣れないとどうしても、両者は同じに見えてしまうのだ。「若葉」の頃は、特にそうである。
 しかしだ。秋の「果実」が熟す時季になると、「見分け」は一挙に「簡単」になってしまう。それは「子どもから大人、老人まで」誰の目にも、その「違い」を「果実(ドングリ)」がその「格好」と「形」でハッキリと教えてくれるからである。
 それでは、「果実」の形の違いを…
 「コナラ」は小さくて細長く尖っている。ドングリの「帽子」にあたる部分を「殻斗」というが、これがベレー帽のように頭にちょこんと載せているように「浅くて小さい」のである。また、「殻斗」の瓦屋根のような模様と凹凸が細かいのだ。
 一方の「ミズナラ」は大きく、ずんぐりとして太い。「殻斗」は紳士が被る深めのシルクハットだ。大きくて、瓦屋根のような模様と凹凸は粗い。)

       ◇◇ 「落葉広葉樹」コナラとミズナラをよく知ろう(その1) ◇◇

 岩木山ではもっとも普通に見られる樹木、これが「コナラ」と「ミズナラ」である。
 コナラは北海道から九州にかけて分布している極めて一般的な樹木だ。日本国内の標高気温分布では、冷温帯下部から暖温帯にかけて生育しているものだ。伐採されても切り株から「ひこばえ(萌芽)」を形成して再生する。
 萌芽再生力が高いために、「薪炭林」の主要な樹となっており、二次林を構成する代表的な樹種でもある。
 葉は、仲間の「ミズナラ(水楢)」よりも小さく細長い。しかも、少し、薄い。どうも、水分調節能力が低いようだ。その代わりに、根をよく発達させているとも言える。「根が発達していること」とは、「適潤地」では大きく育つことを意味する。
 この「ドングリ(団栗)」から芽生えた「稚樹」は太い根を発達させるのだ。この可愛らしい実がどうしてこのように逞しい「根」を張ることが出来るのかと思ってしまうほどだ。
 地上に出ている部分は爪楊枝ほどの太さだが、地下部は「割り箸サイズ」ほどもある。さから、簡単には掘り出すことは出来ない。時には「人力」で抜くことは出来ない場合もあるという。このように、「直根」をよく発達させるので、土砂崩れなどを防ぐためには大事な樹木でもある。
 1975年に発生した百沢土石流、またそれと併行して発生した「弥生スキー場」跡地付近の土石流も、周囲の「コナラ林」のある場所では、比較的「被害」が少なかったと記憶している。

 これから、「コナラ」は「紅葉」の時季を迎える。だから、「葉」についてもう少し説明しておこう。
 長さは5~15cmほどだ。若葉では、葉の表面に毛があるが、比較的早くに抜け落ちて、ほぼ無毛に近い。裏面は灰白色から淡緑色をしている。
その「コナラの葉」は黄色から赤褐色に紅葉する。モミジほどではないが、結構、鮮やかになる。橙色系統に「紅葉」するものが多いのだが、偶には、日当たりのいい場所に生育している若い個体では、緑からやや褐色を帯びた赤紫になるものもある。
 序でに、樹高だが、15~20mにもなる。樹皮は灰褐色で、「ミズナラ」と同じように縦に不規則な割れ目がある。
 学名には、ラテン語で「美しい樹」という意味の語が使われている。実際、「美しい樹」なのである。しかも、「コナラ」は日本が原産で、全国的に分布し、雑木林の代表的な樹種なのである。
「コナラ(小楢)」という名前の由来だが、色々な説がある。
 その1は、もう一方の日本の主要な「ナラ(楢)」である「ミズナラ(水楢)」の別名を「オオナラ(大楢)」というのだが、それと対比させたことによるという説だ。
 その2は、「小さな葉のナラ(楢)の木」という意味によるという説だ。

 以前にも書いたと思うが、「ナラ(楢)」の由来は、「鳴る」が変形したもので、風が吹くと葉がよく鳴ることによるとする説や、しなやかな様子を「ナラナラ」ということによるという説、また、高いところから「ナラ林」を見ると「均された」ように「平ら」に見えるというの意による説など、諸説がある。
 「コナラ」の別名にはただ、単に「ナラ(楢)」と呼ばれたり、「イシナラ(椎楢)」、「ハハソ(波波曾)」などがある。中国名では「抱樹」、「青岡樹」である。(明日に続く)

[連続1000日ブログ書き達成まで後、49日]

秋の野山はおもしろい…(その2)「ミヤマニガウリ」果実の先に花が咲く

2009-09-17 05:09:40 | Weblog
 (今日の写真は、ウリ科ミヤマニガウリ属の蔓性一年草「ミヤマニガウリ(深山苦瓜)」だ。北海道、本州、九州の比較的深山に多く自生する。
 これは、岩木山神社から遊歩道を通って高照神社に抜ける道脇の、頭無沢の少し手前で写したものだ。
 とにかく、この植物は、林床が明るくなったところに、蔓延るのである。同じ蔓植物でも、「ヤマブドウ」や「ツルウメモドキ」などとは、段違いなほど成長が早い。それにはしばしば驚かされる。まさに、辺り一面が「ミヤマニガウリ」の階層的な絨毯となるのだ。まさに、他の植物に覆い被さっているのである。
この場所には、ほぼ1ヶ月前の8月19日にも来て、「カラハナソウ(唐花草)」の株と花芽を確認していたのだが、その時、「カラハナソウ」の近くには「ミヤマニガウリ」の株も、淡緑色で心形の5角形に近い、しかも、葉縁には不規則な鋸歯があり、先端は長く尖っている葉をつけて、「蔓延って」いた。また、葉には長い柄があり、質は薄く表面にはややまばらに毛がある。
 だが、花芽は「雄花」も「両性花」も、小さいというよりも、まだ、「花芽」の体をなしていなかったのだ。
 ところが、ほぼ、1ヶ月を経た先日、同じ場所を訪れたら、その場所はこの「ミヤマニガウリ」と「カラハナソウ」に覆われて、大群落を形成していたのである。
 まさに、今が盛りである。蔓は細く長く伸びて、細くて薄緑色のゼンマイ「巻きひげ」が他の物に絡みついて、その数と量で「か細さ」を盤石に変えている。
 これは「雌雄異株」なのだが、同じ場所に混在して生えている。しかも、それらが「お互いに」絡みついているので、どれが「雄株」なのかよく分からない。8月中旬の若い時には、花が咲いていないかったので、この「雄株」と「雌株」の違いすら分からなかったのだ。
 だが、先日には、「雄株の雄花」は、立ち上がった花柄に多数ついて咲いていたし、「雌株(両性株)の両性花」は、葉の脇から蔓のような花柄を出して、1個の約5mmの白花を垂れ下げていた。
 また、今日の写真の中央に見えるような、ややゆがんだ形の「果実」をすでに着けているものまであった。これは、花の後で、約1cmの「淡緑色で艶のある卵形」となったものだ。果実が、長い柄でぶら下がっているだろう。
 だが、面白いことに「果実」の先端に「花」をまだつけているのだ。雌株の花は両性花で、下位に「子房」と黄色い雄しべを兼ね備えているものだから、花が咲いたままで「子房」が大きくなるらしい。
 そこで、同じウリ科の植物である「カボチャ」や「キュウリ」の花のことを思い返してみた。確かに、これらにも「雄花と雌花」があったし、「雌花」が開くと、その下にはもう小さな実が膨らみかけていた。何だか妙に納得出来た。
 この、「両性株」の果実は「液果」であり、簡単に指先で潰すことが出来る。熟すと3つに割れて、1~3個の種子を出す。
 雄株の雄花は、総状花序をなして、上向きに花をつけているので、「花」の時季になると、「雄株」と「両性花をつける雌株(両性株)」との見分けが容易になるのである。
 「ミヤマニガウリ」はウリ科では、珍しく北方系の植物であると言われているので、東北北部のこの地は「適地」なのかも知れない。

 「果実」には「ウリ(瓜)」の臭いがある。名前の由来は、このことと果実が苦い味がすること、それに、深山(ミヤマ)に自生することによる。

                  ◇◇ 「雄性両全性異株」ということ ◇◇

 ところで、この「巻ひげ持つ蔓性の一年草であるミヤマニガウリ」は、「雄性両全性異株」という珍しい特徴を持った植物なのである。
 植物の場合には「雄の生殖器官と雌の生殖器官を1個体に持っているものを」雌雄同株と言う。そうでないものを雌雄異株と呼ぶ。
 春早く花を咲かせるクスノキ科クロモジ属「オオバクロモジ(大葉黒文字)」もクスノキ科シロモジ属「アブラチャン」も「雌雄異株」の落葉低木だ。
 同じく、春早く深紅の雌花をつけるカバノキ科ハシバミ属の落葉低木「ツノハシバミ(角榛)」は、「雌雄同株」である。
 
 一般的な植物としては、「雌しべ」と「雄しべ」を両方つける両性花だけが見られる「雌雄両全性」がある。これには「雌花」と「雄花」の違いはない。バラ科のリンゴなどがこれだ。
 さらに、1つの集団内に雌個体(雌花のみをつける個体)と雄個体(雄花のみをつける個体)の両方が見られる「オオバクロモジ」のような「雌雄異株」などがある。
 加えて、一本の木に「雌花」と「雄花」をつける「ツノハシバミ」のような「雌雄同株」がある。
 これらの中で、特に稀なものが、1つの集団内に「雄個体」と「両性個体(両性花のみをつける個体)」の両方が見られる「雄性両全性異株」なのだそうだ。
 つまり、「雄花」だけを咲かせる「個体(株)」と「両性花」を咲かせ「果実(種子)」をつける「個体(株)」が別々に存在しているというわけである。しかも、これらが直ぐ傍に生えているから観察には厄介になるのだ。
 このような、機能的に「雄性両全性異株」、すなわち、雄個体と両性個体が共存する性型は極めて希なものであると言われている。
 なお、植物に多く見られる「雌雄異株」は、「雌雄両全性」または「雌雄同株」から「雌性両全性異株・雄性両全性異株」などの中間的なものを経て進化したとものだろうと考えられているというのだ。
 この希少な「形質」を持つものが「ミヤマニガウリ」というのだから、出会うと妙にわくわくしてしまうのも頷けるというものだ。
 そのような思いを持って、「ミヤマニガウリ」の花の特徴、特に「雄しべ・子房室の配列」、「蜜腺」、「毛」などを詳しく観察することも楽しいことかも知れない。
                 [連続1000日ブログ書き達成まで後、50日]

秋の野山はおもしろい…「コシオガマ」、それとも、「ママコナ」、「ミヤマママコナ」

2009-09-16 05:08:59 | Weblog
 (今日の写真は、何だろう。野山を歩いて「秋という季節」ほど、「これは何だろう」という事象に出会うことの多い時季はない。
 この写真の花にも、そのような出会い方をしたのである。先ず、「出会いの切っ掛け」というか「最初の誘因」というか、それは「花の色彩」である。
 この花弁の色具合からゴマノハグサ科コシオガマ属の多年草「コシオガマ(小塩竈)」だろうと、一瞬思った。色と花の形からすると、「コシオガマ」でも別にいいのである。
 だが、次に「葉の形」を見て、「コシオガマ」ではないと判断した。それでも、納得がいかないので、生えている場所を再確認する。「日当たりのいい林縁」に生えている。
 丈は30cmほどだ。やはり、葉に注目する。葉は全体に白い腺毛が密生していない。葉身は三角状卵形でもないし、羽状に裂けてもいない。裂片はさらに裂けているはずだが、それもなく長い卵形で先が尖っている。やはりこれは、「コシオガマ」ではない。
 触ってみる。べたつくこともない。花を少し丁寧に見る。葉の脇に付いているか。色は紅い。大きさは2cmほどで唇形花だ。花冠は筒形、上下の2唇に分かれている。花の内部は白っぽい。これらは「コシオガマ」なみだが、「紅紫色」という点では、色が微妙に違う。その上、花を1個ずつつけていない。花は茎頂に2個である。やはりこれは、「コシオガマ」ではない。

 だが、これは間違いなく「ゴマノハグサ科」の花である。開花の時季と生えている場所から、あれこれと類推して、次に行き着いたのはゴマノハグサ科ママコナ属の「ママコナ(飯子菜)」であろうということにした。
 しかし、まだ納得はいかない。「ママコナ」にしては咲いている時季が遅い。だが、半月くらい遅くなることはあるので、これは許容範囲だろう。
 「ママコナ」は山地の林縁などに生える半寄生の1年草で、高さが30㎝ほどになる。葉は対生し、長卵形で先が尖る。
 枝先に総状花序を出して多数の花をつけて、葉状の苞は刺状の鋸歯があるのが特徴だ。待てよ。花は少ないし、苞には鋸歯がないではないか。
 花の大きさは15㎜前後の唇形ではある。これは合致している。だが、下唇に白い斑点が見えるか。よく見えない。しかも、全体が鮮やかな紅色に色づいている。白さの残る部分は「筒」の基部だけである。これも、おかしい。
 私の「納得」は次第にぐらついてきた。「ミヤマママコナ」という言葉が頭を過ぎる。だが、私は直ぐにそれを打ち消した。大体、色が違いすぎる。「」ならば、色は薄い紫と筒の部分には白さが混じる。非常に清楚な薄紫と白の清楚なツートーンカラーということになるのだ。しかも、「ミヤマママコナ」ならば、下唇弁の斑点が黄色を帯びていているはずなのである。それも見えない。
 だが、「ママコナ」と「ミヤマママコナ」との違いを決定づける「苞」に鋸歯はないのである。
 私は同じ道を逡巡していた。となれば、これは「ミヤマママコナ(深山飯子菜)」ではないだろうかということであった。
 これは、深山の林縁や草地に生え、高さが20~50㎝ほどになる半寄生の1年草だ。葉は狭卵形から長楕円状披針形と、幅のあるものの一応合っている。だが、花冠の下唇の斑点が黄色であることまでは見えない。
 だが、長さ5mm程度の葉柄が見える。見方によっては「上部の葉腋ごとに1花をつけている」ようにも、また「先端に長さ4cmほどの花序を造って花をつけている」ようにも見えるのだ。
 ただ、これは9月の中旬に確認したものだから「花盛り」の時季はとうに過ぎている。岩木山では8月の中旬から「ミヤマママコナ」は咲き始める。だから、その色彩は、葉を含めて「変化」はしているのだろう。花冠は紅紫色であるが、花喉の両側に黄色の斑があることは認められない。そして、決定的なことは「苞はふちに鋸歯がない」ということであった。 
 これは、ゴマノハグサ科ママコナ属の「ミヤマママコナ(深山飯子菜)」であろう。
 時間が許すならば「植物の観察」は「芽出し」の時から、枯れてしまうまでを連続的にすることが望ましいのである。
 名前の由来は、「若い種子が飯粒に似ていること」とか、「花冠の喉元にある白い斑点を飯粒に見立てたこと」によるとされているが、定説はないようだ。

 いずれにしても、「ママコナ」も「ミヤマママコナ」も、「半寄生」の一年草で、「イネ科やカヤツリグサ科の植物の根に寄生」する面白い繁殖の仕方をする植物である。
 「半寄生」であるから、「自立」も出来るのだ。自らも「葉緑素を持ち光合成を行う」が、他の植物からも栄養を摂り、寄生「宿主」がない場合には草丈も小さくなるし、宿主がいる場合には大きくなる。
 この違いが「大きさ」や「花の色の違い」、それに、「全体の風姿」に、微妙な「異相」をもたらしているのかも知れない。そう考えると、これらの花に出会って、一瞬「これは何だ」と訝しがることのあることは、別におかしいことではないように思えるのだ。
 「寄生植物」には「ネナシカズラ」のように「全寄生」するものと、「ママコナ」のように「半寄生」する植物があるが、「半寄生」が80%を占めるそうである。
 野山の道沿いで見られるのは、この「ママコナ」程度であるといわれている。「ママコナ」類は、その独特な風姿と形、色彩で人目を引く花である。
 そして、同時に、私たちに理解があれば、「他の植物の根」に寄生するという「生き方」で興味を引く花でもあるのだ。