岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

「自生する大山桜(オオヤマザクラ)」と「植樹されたオオヤマザクラ」について(その2)

2009-03-31 05:28:33 | Weblog
 (今日の写真は「オオヤマザクラ」に似ているが八重咲きなので「オオヤマザクラ」ではない。ただ、「オオヤマザクラ」の変異種であることは枝や葉によって見当がつく。
 これにはよく、「弥生・いこいの広場」の上部尾根で出会うのである。
 最初出会った時は、「オオヤマザクラ」との違いに気づかず、「ああ、ここにもオオヤマザクラが咲いている」という程度の感慨しかなかったのだが、何回か出会っている内に、その違いに気づくようになってきたのだ。
 そこで、調べてみたら、どうも、「オオヤマザクラ」の変異種であるらしい。野生の「オオヤマザクラ」が「変異」して増えたのか、それとも、北海道に見られる「マツマエザクラ」の変異種なのか私にとっては定かではない。
 ただ、北海道にあるとされる「マツマエザクラ」が岩木山に咲いていてもおかしくないだろう。それが、「岩木山にはない」と断言出来る専門家がいるだろうか。そうであれば、訊きたいところである。
 また、「オオヤマザクラ」が園芸種として作られ、それが「マツマエザクラ」と呼ばれているのならば、これは「人里」近いところに咲いているものだから、誰かが「植樹」したものかも知れないし、あるいは鳥などが運んだ種から「実生」として育ったものかも知れない。
 いずれにしても、実際に「生えている」のだからしようがないではないか。
 私の好みからすると、あまり「仰々しい」趣の花なので、余り惹かれない。しかし、それでも、豪華さは否めない花である。ただ、…未だにこの高木には出会っていない。)

  「私」の「オオヤマザクラ」に対する思い…(1)

1.「サクラ」というの名前の由来は「ヤマザクラ」にある。つまり、「ソメイヨシノ」にあるのではなく、この「オオヤマザクラ」の系譜にある。雑木林に「オオヤマザクラ」ということが、東北地方の「原風景」なのだ。

 「サクラ」という花名の由来としては次の2説がある。

・古事記に登場する「木花開耶姫」(このはなさくやひめ)のさくやが転化したものだ。
・「サクラ」「サ」は穀物の霊を表し「クラ」は神霊が鎮座する場所を意味する「サ+クラ」で、穀霊の集まるところを表す。

 いにしえの人々が「サクラ」に実りの神が宿ると考えたとしても不思議ではないだろう。どうも後者にその妥当性があるようだ。その当時「ソメイヨシノ」は存在しない。
 明るい陽光が降り注ぎ、水はけのよい土地でなければ生きられない「サクラ」は、森の途切れる辺りとか、土石崩落や雪崩などで森が破壊された場所で人知れず花を咲かせていたのである。
 やがて、「サクラ」は妖精となり、女神となり、精霊となった。こうして、「雑木林の里山」には「サクラ」(西日本ではヤマザクラ、北日本ではオオヤマザクラ)があるという日本の原風景が出来上がったのだ。
 弘前では里山が「りんご園」になってしまい「雑木林の里山にはサクラ」という「原風景」はわずかに岩木山に残る程度になってしまった。

2.和歌や俳句で詠じられた「サクラ」も、明治初年まではここで言う「ヤマザクラ」であった。

 万葉集や源氏物語等の古典・詩歌に登場する花(桜)は、そのすべてが「ヤマザクラ」だ。「ソメイヨシノ」ではない。
 万葉の歌人たちが、また平安の王朝貴族が愛した桜(ヤマザクラ)は、「貴人たちの趣味」としてそこにあったのではなく、はるか昔に形成されたこの「原風景」に根ざしていたのである。 
 その証明のために、次の和歌と俳句を紹介しよう。

・あしひきの山桜花日並(なら)べてかく咲きたらばいと恋ひめやも(山部赤人)
・世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし(在原業平)
・山守の冷飯寒きさくらかな(与謝蕪村)

 「サクラ」のことを、万葉の時代は「山桜」とか「桜花」と呼んでいたが、平安の御代になると「桜」または、ひと言の「花」と呼ぶようになった。
 数え切れないほどある花の総称である「花」をもって「桜」としたのである。それほど「サクラ」への思いが強かったのだ。だが、ここに登場している「サクラ」は「ソメイヨシノ」ではないのである。

3.桜は日本の「国花」であるが、それは山桜である。「ソメイヨシノ」ではない。

 「サクラ」は北半球の温帯に広く分布しているが、美しい花を咲かせる種類は、日本を中心としたアジア諸国にだけある。
 しかし、「国花」を決定する時の思想的な根拠としては「ソメイヨシノ」はその対象にはなっていなかった。その当時は「ソメイヨシノ」は存在しなかった。
 今や「サクラ」といえば「ソメイヨシノ」を指すほどに国民的な花であるが、「ソメイヨシノ」は「国花」でいうところの「サクラ」ではない。
 だが、「日本国の花はサクラである」という時に、多くの国民は「ソメイヨシノ」を思い描き、「ソメイヨシノ」の並木を瞼に浮かべているのである。
 「ヤマザクラ」も「オオヤマザクラ」も「ソメイヨシノ」のように慌ただしくは散っていかない。(明日に続く)

「自生する大山桜(オオヤマザクラ)」と「植樹されたオオヤマザクラ」について(その1)

2009-03-30 04:32:19 | Weblog
 (今日の写真は、「オオヤマザクラ」満開の花である。これは直近で、しかも下から撮ったものだ。
 五月中旬の後長根沢である。この沢は源頭部が急峻に落ち込んでいるので、その下流はいたって平坦である。その上、広い。源頭部直下は雪に埋まり、全層雪崩の危険もあるのでその手前で、詰めることをやめる。途中、アオイスミレなどが足下で迎えてくれる。
 視点を転じると、対岸のミズナラやブナの尾根には「淡い桃色の小宇宙」が点在している。その点在の仕方には、お互いが一定の距離を保っているという法則性があった。
 それぞれ半径20m程度の円を描き、隣接する幹まで40mは離れている。この「小宇宙」こそが「オオヤマザクラ」の世界なのである。

 直近で眺めても、この淡いピンクは美しいし、新緑の中で淡くありながらも「毅然」と立っていて、しかも淡い緑に埋没することもなく、同化することもなく、調和をとりながら存在している姿は、自然の織りなす春のキャンバスである。
 「並木」もいいかも知れない。霞のかかる中、淡い「オオヤマザクラ並木」を足下に置いて、白く屹立する岩木山は確かに幻想的な風情ではある。

 しかし、西国の山桜も、北国の大山桜も、山の林の中に他の樹種とともに在ってこそ、仲良くしかも個性的に映えるのではないだろうか。やはり、「オオヤマザクラ」は「並木」としては日本人の精神風土には馴染まない要素を多分に含んでいるように思えるのだ。
 日本人は、「山の林の中に他の樹種とともに在ってこそ、仲良くしかも個性的に映えるオオヤマザクラ」に、「自分たちの原風景」を感ずるのではないだろうか。)

◇◇「自生する大山桜(オオヤマザクラ)」と「植樹されたオオヤマザクラ」について(その1)◇◇

 …本会の視点…

 本会の「岩木山県道30号線(岩木山環状道路)沿いに植樹されたオオヤマザクラ」に対する基本的なスタンスは大きく次の5点をである。

1.植樹をした行政に「保守と管理(「オオヤマザクラ」の保育も含む)」の責任があるということを、当該行政である「青森県、弘前市、鰺ヶ沢町」に明確に認知して貰い、その責任の遂行を実行して貰うこと。

2.この「オオヤマザクラ」の植樹によって生ずる様々な負の要因、(例えばリンゴにつくシンクイムシ「ハリトーシ」の発生がりんご園地に及ぶことなど)を的確に防除すること。
(注:シンクイムシについて
 オオヤマザクラの果実を食べて増え、近隣りんご園に広がる。ここで言うシンクイムシとは「シンクイムシ類」の「モモシンクイガ」のことである。「モモ」とあるが「リンゴ」につく害虫で、病害虫名を「モモシンクイガ」という。成虫で体長は8mmという小さい虫だ。これが、リンゴの実に、幼虫期に食入して被害を及ぼす。
「モモシンクイガ」の生態は大体次のとおりだ。
(1)年に2回発生するが、一部は1回発生のものもある。
(2)地中1~3cmの深さ扁円形の冬まゆをつくり、その中で幼虫で越冬。
(3)幼虫は5月上旬頃になるとまゆから脱出し、地表面に紡錘形の夏まゆをつくり、その中で蛹化する。
(4)越冬世代の成虫は5月下旬から7月下旬まで継続発生する。
(5)産卵は果実のがく部に多く、8~10日でふ化し果実内に食入する。老熟すると果実から脱出して地表面に夏まゆをつくり、蛹化する。
(6)第1世代成虫は8月上旬から9月下句まで継続発生し産卵する。ふ化幼虫は果実内を食害し、老熟すると脱出する。
(7)9月以降に脱出した幼虫はすべて冬まゆをつくり越冬する。
そして、その被害であるが…
(1)ふ化幼虫は果面に小孔をあけて食入する。食入痕からは、汁液が滲み出て、乾くと白い糊状になる。
(2)幼虫は「果実内を食害し、老熟すると径1~2mmの穴をあけて脱出」する。被害を受けた果実は「商品価値を失う」のである。

 …発生要因は…

 周辺に放置されたりんご園があるとモモシンクイムシは大量に発生し、被害が大きくなる。「オオヤマザクラ」はこの「放置されたりんご園」の役割を果たすことになる。「日本一のリンゴ生産県」と胸を張っているのに、どうして「行政主導」で、このような「馬鹿げた」ことをしたのか不思議でならない。

3.「オオヤマザクラ」につく虫の「駆除」のための「薬剤散布」などをする場合は、周囲の生態系に対する影響を十分調査した上で、「影響のない」方法と薬剤使用を考えること。
 また、樹高が20m以上になると「薬剤液」が十分に届かなくなり、樹の上部でシンクイムシの発生が可能になることなどを十分に考慮に入れること。

4.「オオヤマザクラ」は20数mの樹高になる樹種であり、岩木山に自生しているものは、生えている個体同士の距離は短くて15m、長ければ20m以上になる。これらのことを見通して今後の「保守と管理」は実行されるべきであること。

5.「苗を寄贈した人」の中には、その成長を期待を込めて見ている者が多くいる。現在の状態では「寄贈者への責任と対応」が皆無に等しい。「寄贈者」の中には中学生なども多くいる。このままでは「若い者」の夢を壊すことを「行政」がしていることでもある。
 民間の組織や個人が、この「オオヤマザクラ」の並木に関心を持って動き出す前に、何よりも「行政」が動き出すべきであること。(明日に続く)

NHK弘前文化センター講座「岩木山の花をたずねて」余話(4)

2009-03-29 05:18:26 | Weblog
 (今日の写真は深山黄菫「ミヤマキスミレ」である。花名の由来は標高の高い尾根筋や岩場に生える黄色いスミレということによる。
 これは、大葉黄菫「オオバキスミレ」の高山形であり、違いは「3枚の茎葉が輪生状」であることだ。標高1550m地点でミチノクコザクラと一緒に咲いていた。
 私はこれに「高みにて群れ咲く適応と進化発露の黄金花」というキャプションを付けてみた。
 山麓のやや湿ったところに生育するオオバキスミレ、もちろん、大沢沿いでも見られるが、それがどのような手段と時間をかけてこの高みに登って来たのだろう。そして、それにはどのくらいの時間がかかったのだろう。また、この高山地帯に適応するまでにどのくらいの時間をかけて進化したのだろう。
 温帯植物の時間は最短で1年間である。私たちは1秒以下の時間で記録を争っている非常に気短な生き物だ。そのような人にとっては想像することが出来ない長い長い時間、数万年という時間をかけて、「ミヤマキスミレ」へと、変身したのである。
 これは高山性変種である。「あっ、ここにもオオバキスミレが咲いていた」といって通り過ぎてはいけない。「適応と進化発露」をしっかり観察すべきだ。やはり、ちゃんとした観察は大事である。)

  … 「ハシバミが本当にすくなくなった。何故だろう」(2)…
(承前)

 秋が待ち遠しかった。そして、秋になると勇んで出かけたものである。お目当ては「ハシバミ」の実である。ツノハシバミと同じように堅い果実であった。
 だが、ハシバミの堅果は「葉のような総苞(そうほう)」で下部が包まれていた。そして3cmほどと大きく、形も扁平であり、円錐形の小さな栗を思わせるようなツノハシバミの実とは違っていた。
 とにかく食べると美味しかった。この美味しさは今でも、記憶の底に残っていて、いつでも思い出すことが出来るのだ。
 ハシバミは、ヘーゼルナッツの近縁で堅果は食用となるのだ。
 同属の「セイヨウハシバミ」の実を、今では「ヘーゼル・ナッツ」と呼んでいるが、この「味」なのである。
 ある本には『ハシバミは、へーゼルナッツの和名であり、お菓子の材料には欠かせない栄養豊富な木の実』とある。
 生のまま食べても美味しいし、煎って食べても美味しい。だが、特に煎って食べると香ばしさが際だつ。まさに、「最高のナッツ」となり、アイスクリームの香として使われたり、パンやクッキーに入れられたりもする。これは別名を「オオハシバミ」または、葉が「オヒョウ」に似ていることから「オヒョウハシバミ」という。
 これは北海道から本州、九州に分布している。「オヒョウ」はニレ科ニレ属の落葉高木で、日本列島から東北アジアの山地に分布する。北海道に多いと言われている。

 西洋では、「ヘーゼルナッツ」というと童話や物語に出てくる懐かしい素材だ。また、20世紀になるまで「ハシバミ」は愛と豊穣のシンボルであったそうだ。イギリスでは「ハシバミ」の実を使った恋占いが知られているという。
 ヨーロッパでは「ハシバミ」の枝は「占い棒に適している」と考えられてきたそうだ。この棒は水脈や鉱脈を探したり、泥棒や殺人犯、逃げた家畜、旅人が道に迷った時に道を探すことなどに使われたのである。そして、「ハシバミ」は「魔法の杖」として昇華したのである。
 ギリシャ神話ではヘルメスがアポロから授かった「ハシバミの杖」で人々の心や体の病を癒やしたのである。医学の象徴が「ハシバミの魔法の杖と2匹の蛇」からなっているのはそのことに因るのである。
 なお、グリム童話の「灰かぶり」では、この「ハシバミの若枝」が不幸な末娘の運命を変える。しかし、このグリム童話の「灰かぶり」は「シンデレラ姫」の原型とされているが、誰でも知っているペローの「シンデレラ」とはその結末がまったく違がう。
 ペロー版は知っての通りハッピーエンドだが、「灰かぶり」では、二人の姉は失明してしまう。シンデレラは邪眼を持つ魔女として描かれているのである。

 イソップ童話には「少年とハシバミの実」というのがある。
 ある欲張りな少年が、ハシバミの実がたくさん入った壷に手を突っ込んで、ハシバミの実をつかめるだけつかんだ。しかし、壷から手を抜こうとして途中で手が引っかかり、抜けなくなってしまった。
「どうしよう。手がぬけないよー」困った少年が涙を流しながら泣いていると、側にいた人が言った。「半分で我慢しなさい。そうすれば、すぐに抜けるよ」

 話しが「西洋」に偏重したので日本のものをちょっとだけ。
 小林一茶の俳句に 「はんの木のそれでも花のつもり哉」というのがある。ここでいう「はんの木」とは「榛の木」つまり、ハシバミのことだ。

 …何故ハシバミは姿を消したか…

 さて、その昔、私が少年の頃にあれほどあった「ハシバミ」がどうしてなくなってしまったのだろう。
 その理由は簡単だ。それは「ハシバミ」の木がなくなったことだ。ハシバミの生えていた場所があるものに「奪われ」てしまったからである。
 「奪った」ものは「リンゴ」である。かつてのヤブ山や里山は、すっかり「リンゴ園地」となってしまった。私が少年期に通い続けた里山はすべて「リンゴ園地」となってしまった。

 西洋では「ハシバミ」は愛と豊穣のシンボルであり、医学の象徴として「ハシバミの魔法の杖と2匹の蛇」を形取る。
 「愛と豊穣、医学」を示す「ハシバミ」を伐採し尽くして、リンゴ園に変えてしまうことが、どれほど罰当たりなことなのかと考えた人たちが一人もいなかったとすれば、それはやはり、民度として文化や精神風土的に貧しい地域と言わざるを得ない。
 また、「ハシバミ」の人為的な絶滅は「精神風土」の消滅の一形態でもあろう。最近では、住宅地の拡大による里山の減少も、「ハシバミ」絶滅に拍車をかけている。
 「何を、ほんじねことしゃべってるんだば。こごは津軽だでば。西洋でねでば」と言う人もいよう。だがね…。(この稿は今日で終わりとなる)

NHK弘前文化センター講座「岩木山の花をたずねて」余話(3)

2009-03-28 05:15:55 | Weblog
(今日の写真は蝦夷立壺菫「エゾノタチツボスミレ」だ。花名の由来は北海道や本州中部以北に多く自生するツボスミレということによる。
 私はこれに、「中央火口丘外輪岩稜に根付く頑健な命」というキャプションを付けた。
 その日に山頂から百沢に下山するつもりで「一の御坂」に入っていた。ヒュッテ近くになると、足場になる岩は摩耗してつるつるしているものもある。
 その岩を避けて別の岩に靴をかけようとした時に「白い燦めき」が瞬時踊った。登山道の足場になっている岩の下端でひっそりと白色を散らして咲いているものに出会ったのだ。「エゾノタチツボスミレ」だった。
 側弁の基部に毛のあることが特徴である。低いところのものはもう少し背丈があるのだが、ここでは「敷地」が狭く、「土地」が痩せていて、伸びようがないのかも知れない。
 だが、私たちが見過ごしてしまいそうな場所に咲いて、踏みつけられないので、生き延びているのだろう。何とまあ、頑迷な花であろうか。スミレは「色々と繁殖戦略」を持っていて、簡単には「死なない」植物である。特に、高山帯に生息するものは「踏みつけられて根」だけになっても、大雨で根を張る土が流されてしまっても、根の先端部分が「何かに」掴まるようにして生き延びるのである。
 すべて頑迷さを持っている植物なのだが、この種類はそれが一番かも知れない。
 花の色は淡紫色から白色まであるそうだが、岩木山ではまだ「白色」のものに出会ってはいない。)

     … 「ハシバミが本当にすくなくなった。何故だろう」(1)…

 受講者の中に、私と同年代の男性がいる。少年時代にしたことに共通項が多い。自然と接した多くのことを共有出来ている。
 「樹下に積雪を置きながら花を咲かせるハシバミの花」の話しをした時に、その男性が表記のような質問を、「残念」そうに口にした。今日はこの「ハシバミ」について書こうと思う。 

…ハシバミへの思い(八甲田山にて)

 莢はまだ緑で細かい針毛が立っている。強く握ると痛いほどだ。莢を割って実を取りだし、歯でかりっと囓ると殻が二つに割れて円錐形をした実が飛び出す。まだちょっと熟してはいなかったが真っ白な実は十分に味わえた。
 懐かしい味だった。針毛のついた莢ごと三個のツノハシバミを採って帰ってきた。そのうちの一個には三つの実が入っていたので七つの実を手に入れたことになった。私の気持ちは懐かしさに高ぶった。
 小学生のころまでは市街地の外れは里山であった。秋は山の実たちも収穫の季節であった。
 物のない時代は食べ物のない時代でもある。普通の家庭や貧しい家庭の子供たちにとって「おやつ」など考えられない時代でもあった。子供たちにとって「里山」は遊び場であると同時に「おやつ」の供給源でもあったのだ。
 アケビ、ヤマブドウ、サルナシ、ズミ、イチイなどの漿果、クリ、クルミ、ハシバミなどの堅果を遊びながら食べたものだ。
 その頃食べたハシバミは、正真正銘のハシバミであってツノハシバミではなかった。しかし、味はどちらも香ばしくおいしさは大差はなかった。
高校生の頃、食べた「アーモンドキャラメル」。そのアーモンド味が「ハシバミ」の味に結びついたことに私は驚いた。
 アーモンドとは日本のハシバミではないのか。何も外国産だといって恐れるに足らない、とその時思った。実際はヘーゼルナッツであったが。

…ハシバミへの思い(岩木山にて)

 山岳部員と一緒に姥石を出て間もなく、足許にハシバミの莢と殻を見つけたが、私は頭上を確認しなかった。だが、部員の中には頭上を見てなっている実は何だろうと考えていた者もいたのである。
 下山の時、全員でツノハシバミ採りに熱中した。そして、全員その場で莢を破り、殻を歯で囓り割って食べた。ある者は残ったのを家に持ち帰った。
 ちょうど、食べ頃で三メートルほどの木全体を揺するとバラバラと落ちた。私は意地汚くも、懐かしい味の誘惑に負けて、三十莢ほどを拾い、ポケットに入れた。
 食べた全員に「何かの味に似ていないか。」訊いた。ところが、六人中一人がクルミと答えただけで、残りは何も答えてくれない。「おいしいかい。」との問には全員が無言である。食べ物が豊富な時代に生きる者とそうでない者の違いかと考えたら、寂しくなった。
 次いで、「なんだ飽食時代、何でも有り余っての食べ放題だ。ひとつひとつの食材の味が解らない。質素な食事には淡泊な味がつきものだ。それでこそ味覚の違いが解ろうというものだ。」と腹立たしくさえなった。
 しかし、これは食べ物のない時代を過ごした者のひがみであるに違いないと思ったら、大人げのない貧しい者よという自分への怒りが、腹の底からこみ上げてきた。

…ハシバミへの思い(少年の頃)

 さて、少年の頃、食べた記憶にはもう一種の「ハシバミ」がある。これはカバノキ科ハシバミ属の落葉低木「榛」である。 残念ながら「岩木山」ではまだ出会っていない。決して「自生」していないわけではないのだ。ただ単純に「出会う」機会がないだけだろう。
 私は小学校の高学年や中学生の頃に、よく「野遊び」に出かけたものだ。
 その行き先は久渡寺山の北東麓や旧陸軍が使用していた「水源地」周辺のヤブ山だった。そこには、高さが2~3mほどで、ほぼ円形で先端が急にとがって、紫色の斑(ふ)が入った葉をつけた雌雄同株の「ハシバミ」が沢山自生していたのである。
 春になると小花が穂状につき、雄花は黄褐色、雌花は紅色だった。ツノハシバミの花に似ている。(明日に続く)

NHK弘前文化センター講座「岩木山の花をたずねて」余話(2)

2009-03-27 05:13:13 | Weblog
 (今日の写真は雪を戴きながらも咲いているマルバマンサクである。薄くてしなびて、とても弱々しく見えるマンサクの花弁であるが、何と雪に負けることなく「毅然」として、己の花弁に雪を貼り付けさているではないか。
 既に、このブログで紹介したが、私は1月4日に「弥生登山道」沿いでマルバマンサクの蕾に出会っていた。
 そのことを講座で「福寿草黄金花ぐきほのぼのとふふごもる春にあひにけらしも(尾山篤二郎)」という福寿草を歌題にした短歌と併せて「ふふごもる」という表現が、小さなマンサクの蕾にぴったりだとして紹介した。
 ところが、受講者のIさんが、このことから歌題表現を得て、次のような短歌を作って、メモ風に書いてきたのだ。そのメモの中には「題材を先生から盗みました。ありがとうございました」「松の間とはお正月の間という意味です」とあった。
     「真白なる山にマンサクふふめりと松の間より雪に匂へり」

 Iさんは「短歌」の講座も受講しているのだそうだ。その講座に花好きの人がいて、その人が『「岩木山の花をたずねて」という講座も受講したらいいよ。講師の三浦さんが書いた「岩木山・花の山旅」には、俳句や短歌が多く登場するので凄く勉強になる』と紹介されて、やって来たという人である。
 Iさんが自分で作った短歌を私に見せるということは、私は短歌や俳句とはまったく縁のないずぶの素人なのだが、私に「評価と添削」を望んでいることだろう。

 身の程知らずにも、私は次のように添削をした。主題や感性がすばらしいので、もっといい短歌にしたかったからだ。  

      「真白なる山にマンサクふふごめり松の内なり淡く匂へり」

 先ず、音韻的に3句目、4句目、5句目の脚に「り」音を揃え「音律」を整えた。連用形でつなぐことで、動きを出して生き生きしていることの表現を強調した。
「松の内」として、お正月の寒い時季であることを明確にした。
 「真白なる山」で「雪」の存在は確実なので「雪」を削除して「淡く」に換えた。さて、皆さんの評価はどうだろうか。

 今日の写真のようなマンサクの花には、3月の下旬から4月の半ばにかけて出会うことが多い。)

     …「木とは何ですか、草とは何ですか」に答える…(2)
(承前)

…草はどのような生活をしているのか…

 草は体が小さく、寿命も木に比べて短い。種子が芽生え、成長し、花をつけ、種子を形成するのが植物の生活の一つのまとまりになる。
*一年草
 一年以内にそれを終えて枯れるものを一年草という。
*二年草(越年草)
 冬の前に芽生え、春に成長して秋までに結実すれば、二年にまたがるので二年草と言うこともあるが、実質的には一年草である。また、一年目に発芽し、二年目に葉を広げ、三年目に花を咲かせて枯れるものもある。
*一稔草
 さらに極端なものでは、リュウゼツランのように数十年かけて成長し、花を咲かせると枯れるものがある。これらは一稔草ともいわれる。
*多年草
 複数年にわたって生育し、何度も種子をつけるものを多年草という。冬に地上部が枯れるものを特に宿根草と言うこともある。

 小さな木の枝のような姿の草もあるが、それとは異なった姿の植物も数多い。茎が地中や地表にあって短いものは、葉だけが地上に伸びる。このような、地面際から出る葉を根出葉(こんしゅつよう)という。
 根出葉が地表に放射状に広がるものを、ロゼットとよぶ(例:タンポポ)。成長するに従って、根出葉を失うものもあり、その場合、根出葉と茎葉の形が違って、ずいぶん印象が変わるものがある。
 地中に茎を発達させる草も多い。球根や地下茎などと呼ばれるが、様々な形のものがある。冬季に地上部がかれ、地下部のみが残るものは寒い地域に多い。
 地表を這うものでは、茎の節から根を出し、次第に伸びてゆくと、古い茎から枯れて、次第に移動してゆく場合もある。

…植物は草へと進化している…

 植物は光合成を行う。地上における光は太陽から来るので、光は常に上から来る。
したがって、背が高いものは背が低いものより絶対的に有利である。
 にもかかわらず、草として生活する植物の種類は、樹木より多い。シダ植物には草であるものが多い。これは、幹の構造の発達が不十分であるのが大きな理由であろう。ちなみに化石のシダ類には樹木のような大型のものも多い。裸子植物はすべて木本である。
 被子植物は木本と草本が入り交じるが、一般に、草本は木本から進化してきたと考えられる。単子葉植物はほとんどが草である。
 草本は背が高くなれないが、その代わりに生活の融通が利くのが利点である。
 植物体が小さい代わりに、生活時間が短く、一年草は一年以内に世代を終えることができる。それによって、攪乱を受け、開いた場があれば素早く侵入し、世代を繰り返す。

 一般に、植物群落の遷移では、まず草がはえて、それから木が侵入して森林へ、という順番が見られる。したがって、断続的に攪乱が行われる条件下では、草本が長期にわたって優占する、つまり草原の状態が長く続く場合もある。
 また、極端に乾燥が厳しく、雨の降る時期以外には生き延びるのが困難な場所でも、種子で休眠すればやり過ごせるし、条件の良い時期に一気に成長して種子をつけることができる。
 樹木では、一年で種子を作るというのはまずない。乾燥や寒さが厳しく、森林が成立する限界以上の所では、草原が成立することが多い。大陸中央の乾燥地帯などでは、イネ科を中心とする草原が広がる。
 また、大きな樹木の生長した森林では、樹木の下の空間を利用する。あるいは着生植物として樹上に進出する。
 また、生殖においては株別れや匍匐枝などによって無性生殖を行うものが多い。横に広がって数を増やすものは、野外では小さなコロニーを形成するものが多い。
 そのような場合、一つのコロニーは単一の種子に由来するクローンと見なすことが出来るのである。(この稿は今日で終わりとなる)

NHK弘前文化センター講座「岩木山の花をたずねて」余話(1)

2009-03-26 05:03:08 | Weblog
(今日の写真は降雪続くブナ林だ。そのほんのひととき、降り続いていた雪が止んだ。そんな時に写したものである。場所は岩木山の北西麓の上部である。樹高の低さから考えると標高は800mを越えている辺りだろう。3月の下旬、ちょうど今ごろの時季である。
 3月22日には小雨が降り続いた。そして、翌日からは典型的な西高東低の気圧配置になり、雪が降り続いている。だが、平地の里では殆ど降り積もることはない。庭などには朝方うっすらと積雪を見るが、疑似好天で、日中に少しでも太陽が覗くと消えてしまうし、路上のアスファルト面に降る雪は、路面に落ちると同時に消えてしまう。
 そのような降雪が昨日まで続いていた。このような時に、ブナ林の様相は「今朝の写真」そのものなのである。このブナ林の降雪は静かに降った。西からの弱い風はあったようだが、静かな風だ。そのことを枝や幹に貼り付いている雪が教えてくれる。
 静かなブナ林、さえずる小鳥もいない。聞こえるのは踏み固めて進む「ワカン」と雪がきしむ音だけである。
 だが、遠くから「コツコツコツ」という音や「タタタタタタ…」という木管楽器のような響きだけは聞こえてくる。コゲラやアカゲラが捕虫のために、樹皮をついばむ音だ。
 静かさは「音」を生む。騒音は騒音でしかないが、静寂は微かな音を含めて色々な音を私たちに感得させてくれる。だから、自然はすばらしいのだ。)

     ◇◇…「木とは何ですか、草とは何ですか」に答える…(1)◇◇

講座の中で受講者から色々と質問を受けることがある。俳句や短歌が登場することもあるので受講者が作った俳句や短歌の講評を頼まれることもある。
 そこで今日は質問の一つ、「木というものは何ですか。草と木の違いは何ですか」という、私にとっては、まさに「意表を突かれた難問」について、答えたことを書いてみたい。

 木(木本)とは…

 1.木(tree、woody)は、植物の形のひとつ。硬い幹をもち、幾本もの枝があり、地面に根を張り、生長するものである。
 幹は木質化し、次第に太く成長するもの。枝の先には葉と芽を付け、花を咲かせ、主に種子をもって繁殖するもの。

 2.年輪が出来る植物を木(木本)という。年輪というものは…この場合、「パパイアの木」には年輪ができないので、「草」に分類される。ただし、年輪は、季節による寒暖の変化や、乾燥・湿潤の変化により組織の生長スピードが変化した結果生じるから、明らかに木であっても、連続的に生長する条件(熱帯雨林のように、1年を通じて寒暖等が変化しない環境で生長した場合など)では、年輪はできない。
 そこでこの見方を拡張して、茎が肥大成長する植物が木本である。つまり、茎の周囲に形成層があって、年々太く育つものが木であるということになる。

 さらに別の見解として、
 3.木とは非常に厚くなった細胞質を持つ死んだ細胞により生体が支持されている植物であるという見方もある。
 残った細胞壁がパイプの形で水をくみ上げる仕事を続けるものである。そのような部分をもつ植物が樹木だ、という判断である。
 細胞が非常に厚い細胞壁を発達させ、死んで生体の支持に使われるようになることを木化、あるいは木質化という。具体的にいうと、いわゆる木材は、主として道管から成り立っているが、この道管は細胞壁が厚くなって、最後には細胞そのものは死んで、「木」ということになる。
 前者の定義に従うと、竹は「肥大成長」しないので「草」であるが、後者の定義に従うと、「死んだ細胞で支持されている」ので「木」と言うことになる。

 4.また、木か草かということは、必ずしも種に固有の性質ではない。
 ナス科、キク科、マメ科などには、通常は草として生育しているが、条件がそろえば枯れることなく連続的に生長し、軸を木化させる種もたくさんある。
樹木になる植物は、シダ植物と種子植物のみである。コケ植物には樹木はない。


草(草本)とは…木本(もくほん)に対する言葉

 1.木にならない植物を指す。つまり、樹木のように大きくならず、太く堅い幹を持たない植物である。

 2.年輪の出来ない植物を草(草本:そうほん)と定義する。
 より具体的には、茎の構造の問題である。樹木は幹の周囲にある分裂組織・形成層で内側に道管を主体とする木部を形成し、これが材を形作る。したがって、

 3.草とは、木部の形成を行わない植物のことである。

 双子葉植物では、茎の内部の周辺域に、内側に道管、外側に師管の配置する維管束が並ぶ。木本ではこの道管と師管の間に形成層が入り、内側に道管を作ってゆくが、草では形成層がないか、またはあまり発達しない。
 茎は多少堅くなるものがあるが、木質化はしない。茎は先へ伸びてゆくが、あまり太らない。そのような特徴を持つものが、草本である。

 4.茎が肥大成長しないものが草本である。
 実際には木本と草本の区別は、それほど明確ではない。たとえばタケは、茎は太くならず、形成層もないが、木質化するので木本と考える場合がある。
 高山植物では、ツガザクラやイワウメなど、ごく背が低く、茎は木質化し、形成層もあるが、太くなるのが遅いため、草にしか見えないものが多い。これらの植物は場合によって木とも草とも扱われる。
 逆に、バナナは間違いなく草である。そのほかにも、熱帯ではショウガ科などに数mを越えるような草がある。熱帯雨林では、その高さでも樹木の下生えになる。
(明日に続く)

…合目と呼ぶためには、それなりの意味を持たせなければいけない(その2)

2009-03-25 05:23:03 | Weblog
(今日の写真は弥生登山道に設置されている5合目標識である。これは登山道入り口1合目標識から、登るに従い順次、9合目まで設置されている。当然10合目はない。山頂が10合目だからだ。
 定かではないが、弥生登山道を開鑿した人々は「合目」が持っている意味をしっかり理解した上で、妥当性のあるそれぞれの場所に、「建てた」のである。
 私が岩木山と関わりを持ち始めた頃の、この登山道の標識にも「合目」の表示がしっかりとあった。40数年前のことである。
 材質は厚板で、形状は長方六角形。表示用のペイントは白という極めてシンプルなものであった。材質がよく、かなり肉厚な板(ヒバ材)であった。しかし、形状が「横長」なので積雪に圧されて、折れたり落下したりするものが多かった。それに、標示板を支える柱が少し、細くてそれが折れたりして、標識そのものが「紛失状態」になっていた。
 旧岩木町は、そこに新しい「標識」を設置したのである。今日の写真が、その標識である。弘前市と合併する直前のことであった。
 あの時に、この「標識」設置と登山道の整備をしていなければ、恐らく出来なかったであろう。つまり、現在の弘前市では出来なかったであろうということだ。
 現在の弘前市には、「岩木町」が岩木山に対して抱いていた思いの欠片もない。
 観光という視点で論ずることは余り好きではないが、「弘前公園」と「岩木山」は弘前の観光にとっては双璧であろう。だが、観光行政は「弘前公園」に偏重している。市はまだ岩木山をよそ者扱いにしてはいないか。「おらほの山」としての愛着ある姿勢で接しているか。
 3月議会で話題になった岩木山山麓にある高照神社の「宝物殿」等の修復に関しても、消極的である。高照神社は吉川神道の流れをくむ由緒ある神社だ。
 オオヤマザクラの並木植樹にも弘前市は関わってきた。その関わったところの、手入れなしの無責任な放置状態にも、消極的で無責任な姿勢が見える。
 現実をしっかり見てくれ。岩木山は行政的に弘前市と鰺ヶ沢町の山であり、その3分の2以上を弘前市が占めているのだということを…。)

◇◇…「何合目」という呼び方は?…合目と呼ぶためには、それなりの意味を持たせなければいけない(その2)◇◇
(承前)
「…合目」の意味について

「合目」の意味
 富士山では「…合目」の表示がはっきりしている。現在の「五合目」は昔(大宮口登山道)の三合五勺のあった辺りだと言われている。このように「…合目」という表示は、登山道の変遷や交通手段の発達によって位置が変わってきている。
 では、どのようにして「…合目」を決めたのだろうか。それは、一般的には傾斜やかかる時間を加味して「登山の難易度」により、頂上までを「十」に分けて「登山の目安」にしたものだと言われている。 だが、「昔の登山」は、現在のように「楽しむことを優先させる」ものではなく、「修験道」に根ざした「修行」であった。
 だから、「…合目」という呼び方は、単に「目安」と言うだけではなく、「安置された石仏を拝んだ」り、神が住む言われる「頂上を拝んだり」する場所としての意味もあったのではないかと考えられている。
 「十合目」は頂上であるが、「十合目」という言い方はしない。「合」を十に分けて、「勺(しゃく)」で合の途中を表した。
 「…合目」という言葉の起源には諸説があり、断定出来るほどのことは分からないが、次のような「説」があるとされている。

(1)白米や穀物を盛った形が山に似ているので、白米や穀物の量目・升目である「合」を用いた。
(2)梵語で、きわめて長い時間の単位や多く宇宙の生滅などについていう「劫」が「合」に変化した。つまり、山中に多くの仏像を祀った仏教の山である場合は、山に登る苦難を人間の生死転変に例えて、仏教の単位「劫」をあてたのである。
(3)山の祭神「コノハナサクヤヒメ」が女神であることから生命誕生の胎生10ヶ月を10合に分けた。
(4)山頂のことを御鉢といい、仏寺の供米を御鉢料と言うところから米に例えて、米の量目「合」を用いた。
(5)洪水の出水時水量を「九合五勺」の出水と言うように、古くから物事を十に分けて「合勺」で量目を計るのに準じた。
(6)登山の時に灯火に用いた油が1合なくなったところを「1合目」とした。
(7)道標(みちしるべ)として、米を落としながら登り、1合なくなったところを「1合目」とした。

 さて、岩木山のスカイラインターミナルに表示されている「8合目」、リフト終点の「9合目」は、以上のどの「…合目」由来に該当するのだろうか。当てはまるものは何一つもない。スカイラインターミナルは「スカイラインターミナル」でいいのだし、「リフト終点」も「リフト終点」と呼称すればいいだけである。
 「1合目」から「7合目」という「目安的な場所」を持たずに「8と9合目」だけが存在する登山道というものは、どう考えてもおかしいことだろう。県外からやって来る登山客の多くは首を傾げているのではないだろうか。
特に、「9合目リフト終点」はその標高からも「9合目」とは呼べない位置にあるだろう。(この稿は今日で終わりとなる)

岩木山の少雪異変は04年から始まった / 「何合目」という呼び方は?

2009-03-24 05:22:46 | Weblog
(今日の写真は2004年3月30日に写したものだ。場所は松代の石倉付近からのものである。前景は原野である。積雪は30cmもない。土地の人の話しだと、この辺りは5月の半ばでないと雪は消えないのだそうだ。だが、3月30日で30cmに満たない積雪となれば、4月の上旬には消えてしまうはずである。
 何故に今日、この写真を出したかというと、昨日23日にNHK弘前文化センター講座「津軽富士・岩木山」の下見に出かけて、この場所からの「岩木山」を見た。そして、思い出したのがこの「写真」の風景なのだ。)

       ◇◇ 岩木山の少雪雪異変は04年から始まった ◇◇   

 昨日見た風景はまさに、この写真そっくりなのである。そして、昨日は3月23日である。5年前の3月30日と今年の3月23日がしっかりとスライドされているのである。
 前面の原野は「ブナ」が伐採されて耕地として利用されたが、今は放置されて原野に戻っている場所である。その奥に横に広がっている樹木はカラマツであり、濃い緑のものはスギである。いずれも、植林されたものだ。その上部に続いている森は「ブナ」である。ブナが途切れた辺りに見える濃緑の樹林帯は「コメツガ」である。
 追子森山頂部のコメツガは樹木のすべてを露わに出している。少なくとも10年前のこの時季では、コメツガはまだ、雪を纏い、モンスターの様相を見せていたものである。
 温暖化と少雪が顕著になってきたのは2004年からである。

◇◇…「何合目」という呼び方は?「…合目」と呼ぶためには、それなりの意味を持たせなければいけない ◇◇

 一ヶ月ほど前に、東京テレビだったか、朝日放送テレビだったか思い出せないが、『「山で言う「…合目」という呼び方について調査をしている。岩木山にも「8合目」と「9合目」と呼ばれている場所があるが、他の登山道にも「…合目」表示はあるのか。また、スカイラインターミナルを「8合目」リフト終点を「9合目」としているのはどのような理由からか』という電話による問い合わせがあった。

 岩木山の登山道で、この「…合目」表示をしてあるのは「弥生登山道」だけである。「弥生地区」は約70年前から始まった入植地域でもある。弘前市の新しい町なのだ。「上弥生地区」は合併前の行政区分では岩木町であった。いずれにして、新しい居住区であることに変わりはない。
 そして、この登山道は「岩木町」と、「弥生地区」の住民によって長いこと「管理・整備」されてきた。
 「上弥生」地区から始まる弥生登山道は岩木山の登山道の中では「新参者」だ。聞くところによると、この地区に入植した人たちが「私たちの登山道」として開鑿したものなのだそうだ。
 確かに同じ登山口付近から、やや北寄りに赤倉登山道に抜ける道があった。この登山道は現在廃道化していて、夏場は利用不可だ。残雪期だと、雪消え跡に残るかつての「踏み跡」を追いながら辿ることは可能である。
 この登山道は「弥生地区」の下山麓に展開している「船沢地区」の住民たちが昔から利用し、保守していた登山道であったのだ。これは弥生の人たちが造った登山道よりも長いのである。水無沢に沿って、かなり迂回しながら、赤倉登山道の大開付近に抜けるものである。
 入植した「弥生」の人たちは、この登山道を利用すると、わざわざ「新道」を開鑿しなくてもよかったのだが、やはり、「自分たちの登山道」が欲しかったのだろう。苦労を圧して、造ったのである。
その後、「船沢地区」の人たちも「弥生登山道」を利用するようになり、昔からの登山道は廃れてしまった。それでも、今から30年ほど前には、夏場でも辿ることは出来たのである。私は数回ここをとぼり降りている。  
 かつて、岩木山の登山ルートは12本もあった。それは、山麓の各集落から思い思いに山頂に至る登山道があったのである。それは、その「集落」の登山道であり、「管理・整備」はその集落が担当していたのである。
 そこを使わせて貰う登山者はただ、単なる「通行者」に過ぎなかった。その傾向は現在も続いているようだ。登山者にその道の「管理・整備」に関わるという意識は希薄だ。

 さて、この岩木山では最も新しい「弥生登山道」にだけ、なぜ、「1合目登山口」から山頂直下、標高1580mにある「9合目」まで、この「…合目」表示が付けられたのだろうか。既存の登山道には明らかに「…合目」表示や呼び方、呼び名はないのである。
 既存の登山道はすべて、「姥石」、「坊主転ばし」、「山の神岩」、「大開」などと、そこにある岩や、その場所の地形をもとにして名付けられている。
 このことは、明らかに岩木山山麓一円に住んでいた人たちに「…合目」という概念が存在していなかったか、あるいは存在していたとしても非常に希薄だったということではないのだろうか。
 「弥生地区」の住民は、入植者であるから、すべてが、この津軽の風土を体験している者たちではなかっただろう。富士山などはすべて「…合目」表示である。「三合五勺室」などと言う場合もあると聞く。他の山でも「…合目」と呼ぶところは多い。
 入植者の中に、既に「…合目」表示のある山に登ったことのある人がいたのだろうか。その体験から「…合目」にしたのであろうか。恐らくそうであろう。
 私は、それに併せて、「新しく開鑿した自分たちの道」ということを強く印象づけるために、既存の登山道にはない「呼び名」を付けたのではないかと考えている。
 そこに、入植者たちの意気込みと「開拓精神(フロンティアスピリッツ)」を見るのである。本当に頭の下がる思いである。私の一番好きな登山道が、この「弥生登山道」であるということの理由はそこにあるのかも知れない。(明日に続く)

異変、ワックスが効かない(その4「最終回」)

2009-03-23 05:46:02 | Weblog
 (今日の写真は撫子(ナデシコ)科ハコベ属の多年草(越年草)、ハコベだ。私の小さな庭の隅に生えているもので、昨日ようやく花を開いた。
 数日前に、例のように「重いザック(13Kg)」を背負って、市の浄水施設の前から藤崎町手前の平川橋に抜けて、また、田圃道を戻って来た時に、「用水堰」の縁や「田圃の畦」で盛んに咲いているものに出会っていた。
 ようやく、私の庭でも「開花」したのである。これは、比較的早く「開花」する草本であるらしく、雪さえ消えると間もなく花を咲かせる。基本的には、夏に種を残して枯れて、秋に芽生える越年草だから、この得意技が出来るのだ。地域によっては、春から秋にかけても生育するようである。
 学名を「ステラリア・メヂア」といい、「ステラリア」は、花の形が「星形」をしていることに因り、ラテン語の「stella(星)」が語源である。
 何と、タンパク質やビタミンB、Cなどが豊富に含まれているという。若い葉は、柔らかく、食べやすい。「飼われている」小鳥の餌にもなる草である。
 春の七草の一つでもあり、昔は食用にしていた。また、これを炒った粉に塩を混ぜて歯磨き粉としても用いた。
 花名の由来には、茎は地上をぐるりと這うように、はびこり、種が落ちるとその年のうちに芽が出て繁茂することから、昔は「はびこりめむら(蔓延芽叢)」と呼ばれていたものが変化して「はこべら」になり、それが「ハコベ」になったという説がある。漢名の「繁縷」は「茎の中に目立つ筋(縷)」があることによる。
 また、別名を「朝しらげ」と言い、朝日が当たると花が開くことから「朝開け」、それが変化して「朝しらげ」となったと言われている。
 写真からも分かるように、すごく小さくて、白い5弁の花だが、形が深く裂けてV字型をしているので、10枚あるように見えるだろう。これがハコベの特徴だ。

「小諸なる古城のほとり/雲白く遊子悲しむ/緑なす繁縷は萌えず/若草も藉(し)くによしなし」という島崎藤村の詩、「小諸なる古城のほとり」にもハコベは登場する。
 また、「カナリヤの 餌に束ねたるはこべかな(正岡子規)」という俳句もある。このように日本人には広く親しまれている草なのである。
 これはとりもなおさず、「ハコベ」は日本中、いたる所に生えている、非常に生命力が強く、少しでも茎が残ると、元通り再生する雑草であることを物語っていることでもあろう。

 私たちの目につく「ハコベ」には、茎葉が緑色のミドリハコベ、やや小型で、茎が紫色を帯びるコハコベ、それに、ハコベより一回り大きいウシハコベなどがある。「ハコベ」は、やや酸性の土を好むので、土壌の酸性度を測る指標になる植物だ。私の庭にも、これが今後どんどんと増えだしたら、土が酸性に偏っているということになる。

          ◇◇ 異変、ワックスが効かない(その4) ◇◇
(承前)

 …また、春の雪は、特に水分と共に、多くの不純物が含まれている。この不純物が、塗ってある「ワックス」にベットリくっついて「ワックス」を覆い隠してしまうことがある。だから、滑らなくなるのである。
 このような場合は、灯油が染みこんだ布きれをビニール袋に入れて持ち歩き、それで滑走面をきれいに拭いてやればいいそうだ。ワックスに付着した汚れが取れて、「ワックス」の機能が復活するという。
 また、「不純物」が雪面に張り付いたり、浮き出ていたり、雪面直下が水分を含んでいる現象は「今季の特徴的な変異」かも知れない。

 今季の降雪の特徴は全般的に「凄く少ない」ことである。その上、弱層の出来方が顕著でないということだ。つまり、層を形成するには少な過ぎる降雪があることはあったのだが、雪面に布置された「不純物」を覆うほどの量の降雪がないということである。
 だから、「不純物」は上層の積雪に覆われることもなく、表面に蓄積していったのである。しかも、不純物の大半は、基本的には「油性」なので沈降することなく雪面に堆積していたのだ。
 しかも、この暖気である。雪面の直下には降り積もった雪を解かした水分が染みこんで滲んでいるのである。

降雪量が多く、しかも絶え間なく降り積もったり、気温が低く融雪がなければ「ワックス物質」が化学変化を起こしたり、「ワックス」に不純物が貼り付いたり、「水分の吸引」などはなかったのである。

 ただ言えることは、今季の少雪と暖気が「ワックスが効かない」という現象を特別に顕在化したのであって、「ワックスが効かない」という現象の原因・理由は、数年前から岩木山には内在していたということなのである。(この稿は今回で終了する)

異変、ワックスが効かない(その3)

2009-03-22 05:36:42 | Weblog
(今日の写真はキンポウゲ科フクジュソウ属の多年草、福寿草「フクジュソウ」だ。実は私の狭い庭に咲いたものだ。昨日の午前中は、まだ日射しが弱かったので開いていなかったが、午後になるとこのように開いていた。花弁に見えるものは萼片である。
 これはアネモネやイチリンソウ、オキナグサの仲間である。日本では北方に多く見られる。アイヌの人はクナウ・ノンノ(母の花)と呼ぶそうだ。雑木林に群生するが、里山の雑木林が減少するに従い、岩木山等では希少種といってもいいほど少なくなってしまった。
不思議なことに身近な花であるにもかかわらず、和歌の世界では近世まで見あたらないのである。
 近世に入ってから俳句などにも盛んに登場するようになるのだが、対象は自然に生えて咲いているものではなく、鉢植えがほとんどである。しかも新年、正月の花として歌われているものが多い。
 目出度いお正月、七福神「恵比寿・大黒天・毘沙門天(多聞天)・弁才天(弁財天)・福禄寿・寿老人・布袋」の中の寿老人と福禄寿の名を拝借して名付けたものである。「福禄寿+寿老人+草」であり、福寿草の中には「禄」という字があるのだ。
 別名の「賀正蘭」「元日草」にもその根拠を探ることは容易だろう。
 太田蜀山人の狂歌「あら玉の年のはじめの福寿草禄といふ字は其の中にあり」には福寿草という花名の由来が示されているようで楽しい。
近代以降は里山の雑木林から採取したものを栽培して庶民が楽しんだものらしい。
ニンジンに似た茎や葉は晩春には枯れてしまうので、季節を違えると春の旺盛な息吹がまるで嘘のように思える。また、日光を受けて開花するので朝早くや曇天ではまだ蕾みでしかないように見える。何ともはや、不思議な花である。

・風いく日乾反(ひぞ)りて荒れし庭土にほほけて咲けり福寿草の花(太田水穂)

…今日の写真の趣によく合う短歌ではないか。「冷たい風が吹き抜けていく乾き反り返って荒れている庭に、ほつれあうように乱れて咲いている福寿草の花よ」と訳しておこう。)


      ◇◇ 異変、ワックスが効かない(その3) ◇◇
(承前)

 …ところで、この「摩擦を軽減させる」ために「ワックス」に使われている「配合成分」とはどのようなものなのであろうか。
 「ワックス」には、これまで、パラフィン等の鉱物油、牛脂などの油脂成分をベースにした金属石鹸、シリコーン樹脂粉末、ポリテトラフルオロエチレンなどのフッ素樹皮粉末、その他の潤滑性能を持つ物質を混合配合したものが使用されてきた。
 その主成分は「パラフィン」である。「パラフィン」は、石油に含まれ、分留によって取り出される。重油、アスファルトも炭化水素を含み、広義のパラフィン類に含まれるものだ。
 これは無味無臭で「ろう(蝋)」状の固体だ。融点は約47~65 ℃だから、雪や水には溶けないが、「エーテル」や「ベンゼン」には溶解する。
 もう一つ、成分として添加されているものには「ポリフルオロカーボン(フッ化カーボン)」がある。この「ポリフルオロカーボン」は、撥水(はっすい)性を高め、滑走性能を向上させる効果を有する。
 つまり、「ワックス」とは簡単に言ってしまえば、「パラフィン=炭化水素(ハイドロカーボン)」なのだ。
 一時期「銀パラ」と呼ばれていたワックスがあった。このパラフィンに、銀の微粒子には「摩擦を軽減」する働きがあるので、混ぜた形で使用されていたものだ。だが、「銀」は比較的高価な金属なので、コスト的に問題があったと聞いている。果たして現在も使われているのだろうか。
 もちろん、黄砂の影響で滑らなくなることもある。だが、滑らないということは複合的な事由が重なっていることが多いだろうから、それだけとは言えない。

 気温が高い春先や、今季のように温暖な岩木山では「雪面の直下」に水分が浸透している。もともと、水分は「お互いが引き付け合う力」を持っている。いわゆる、「表面張力」がその例である。
 「スキー滑走面」に張り付いた水は、雪面に染み込んでいる「水」と簡単にくっついて離れない。大ブレーキとなり、スキーは滑らなくなる。
 「パラフィン=炭化水素(ハイドロカーボン)」や「ポリフルオロカーボン」は水を弾く性質、つまり、撥水性を有しているため、滑走面に塗る事により「滑走中に発生した水分をより早く取り除いてくれる」効果があるのだ。  
 しかも、フッ素系の「ポリフルオロカーボン」は溶かした水滴を丸くさせ、滑走面を転がすようにして捌いてしまうといわれている。
 この時に「撥水性」ある「ワックス」が働いてくれたら問題はないのだが、「撥水性」を失わせる「雪面上の何かや溶けた雪の水分に含まれている化学物質」が「ワックス」に、作用していると考えると、どうなるのだろうか。
 「雪面上の何かや溶けた雪の水分に含まれている化学物質」とは、単純に言えば不純物である。
 それは「酸性雪」に含まれる酸性物質の「窒素酸化物」や「硝酸」、それに、「硫黄酸化物」や「硫酸」だ。加えて、「油煙に含まれるタール成分」のことである。
 この「滑らなくなる現象」は「石鹸は酸に出会うと、中和されて効果がなくなってしまう」という例を持って考えると理解が早いだろう。
 食べ物の汚れは、醤油、酢、果汁など酸性のものが多い。衣類についた皮脂汚れも、酸性だ。直接、石鹸で洗うと「中和」されて、「アルカリ」性が失われ汚れが落ちないので「水で予洗」する必要がある。
 だから、石鹸液のアルカリ性を保つために、炭酸塩(アルカリ剤)の配合された石鹸を使う場合もある。
 つまり、この「石鹸の中和」のように、スキーの滑走面に塗られた「パラフィン」や「ポリフルオロカーボン」が「窒素酸化物」や「硝酸」、それに、「硫黄酸化物」や「硫酸」、「油煙に含まれるタール成分」である酸性物質と化学反応を起こして「滑らない」状態を造りだしていたのだろうか。ただ、これは「私」という全く、化学的知識のない者の、勝手な推量に過ぎないことだ。(明日に続く)

異変、ワックスが効かない…(その2)

2009-03-21 05:18:18 | Weblog
 (今日の写真は岩木山東面の大雪原である。遠目には真っ白で混じりけのない、汚れのない雪面だが、積雪はすべて「酸性雪」だ。この雪は酸性物質である「窒素酸化物」や「硝酸」、それに、「硫黄酸化物」や「硫酸」を含んでいる。
 このまま、降雪がなければ、間もなく、「黄砂」が降ってこの表面をうっすらと黄変させながら覆うだろう。
 この雪層の表面直下は「溶け出し」て水が滲んでいる。その水も、もちろんph(ペハー)が7以下の酸性だろう。
 ワカンを使って、この時季に登山する者にとっては余り問題にならないことでも、「スキー」や「スノーボード」を使用して、「滑走」する者にとっては、表面直下の溶け出した水分やその水分に含まれている成分は、問題になる。
 今日の話題は、そのようなことに触れている。毎年見るこの時季の、この尾根の風情には変化はない。しかし、季節推移のずれと、雪面に浮いている油煙とそれに含まれているタール成分は確実に「異変」の兆しを暗示している。
 黄砂も「スキーヤー」や「スノーボーダー」にとっては厄介なものだろう。)

       ◇◇ 異変、ワックスが効かない(その2) ◇◇
(承前)

 酸性雨は自然物だけではなく、人工物にも被害を与える。それは建造物への被害だ。
これが降ると、酸性雨がコンクリートにしみ込み、コンクリートの成分であるカルシウムを溶かしながら外に出る。
 外に出てきたカルシウムと空気中の炭酸ガスと反応して「炭酸カルシウム」が出来て「氷柱」のようになって伸びる。空間の鍾乳洞のようなものだ。これが、「酸性雨」が降っている証拠なのである。
 他には、国宝級の建物や彫刻が、酸性雨によって溶けていく現象が起こっている。これ以上に深刻なのは、「鉄道などのレールの腐食」である。放置していると電車や汽車が脱線し、大きな事故になる可能性もあるのだ。
 これは、当然、人体にも影響がある。北欧で、髪の色が緑色になるという事件が多発した。これは、酸性雨が人間の髪の毛に当たり髪の毛を変色させたというものである。

 元々、雪は雨が氷化したものであるから、当然、岩木山の積雪もこの酸性物質である「窒素酸化物」や「硝酸」、それに、「硫黄酸化物」や「硫酸」を含んでいる。

 『(雪の)匂いの源は、この空気に含有された微粒子なのであろう。こう考えると、雪の匂いが、妙に埃りっぽいことも、煙り臭く、灯油ぽいことにも頷くことが出来る。
 冬山では、雪を溶かして水を作る。泊まるところは、雪洞だったりテントだったり小屋だったりして、いずれも中は暗い。それゆえに、作られた水は、その含有物を隠し果せる。ある時、余った水を捨てるために外に出て、明るい陽光の下でそれを見て、思わず呻(うな)ってしまった。
 表面には油煙がたくさん浮いている。中にはウールや木綿の繊維が漂っている。切れ切れになった枯葉の破片が泳いでいる。眼に見えているだけでもこれほどである。眼に見えない微粒子は、きっと数を知らないほど多いだろう。
 空気はいろいろなものを運ぶ。雪のひとひらはその空気を伴ない地上に降りる。濃霧の中の雪の匂いは、とりわけ煙り臭く、それは化石燃料のものだ。
 毎年毎年、雪の匂いから木材燃料の芳香が遠のいていく。二十数年前の雪の匂いには、はっきりと木酢酸や木の煙りの燻りがあった。
 大気汚染はこんなところの、こんなことでも証明が出来るものだ。今はまだ、匂いの範囲だが、そのうちに雪が味覚される時が来るかもしれない。
 いくら白くても、無味であるという保証を、もはや自然はしないだろう。酸性雨はいつでも、その名称を酸性雪に変えることが出来るはずだ。』と、拙著「陸奥の屹立峰・岩木山P16~17」に書いている。
 これは20年ほど前に体験したことが素地になっている。

「異変、ワックスが効かない…」ということは端的な解釈をすると「滑らない」ということだろう。私はこの酸性物質と「ワックス」の関係から「滑らない」原因を考えてみたいのだ。
 スキーにしろスノーボードにしろ「滑らない理由や原因」は沢山あるだろう。色々と言われているが、元を質(ただ)せば「摩擦」という問題である。「摩擦」が少ないほどスキーはスムーズに「滑る」のである。 
 滑っている間には、「キネティックエネルギー」というエネルギーが発生している。このエネルギーが発生すればするほど動きはより速くなる。
 そのエネルギーの一部は、摩擦によって失われたり、熱に変わったり、スキーの振動で失ったりする。エネルギーは、また雪が圧縮されたり、スキーの動きで押しのけられた時にも消費される。消費されるエネルギーが少ないほど、「キネティックエネルギー」が保たれるのだ。その結果として、スピードが増すのである。
 エネルギーを妨げる最大なものが「摩擦」なのだ。
 その「摩擦」には…
1.乾燥摩擦: 乾燥した雪の結晶が滑走面に突き刺さり、擦れあって起きる。
2.水分摩擦: 水滴が滑走面に張り付いた状態になると、吸引効果から出来る。
3.静電気摩擦:滑走面やエッジと雪面により生じる静電気によってもたらせられる。
…などがある。
 なお、今回問題にするのは「2.水分摩擦」と、ここには挙げられていない「ワックスの成分と雪面に布置された物質」との化学的、かつ物理的な摩擦についてである。
 静電気は汚れを誘い込み、その汚れが摩擦の原因となると言われているが、「乾燥」と「静電気」摩擦については、今回の論が岩木山の斜面を滑るということであって、「スピード競技」ではないので割愛する。

 つまり、「ワックス」とはこれらの「摩擦を軽減させる」ために必要なものなのである。(明日に続く)

異変、ワックスが効かない…(その1)

2009-03-20 05:41:34 | Weblog
(今日の写真は岩木山の東面のある斜面である。西日本ではすでに、「黄砂(こうさ)」が舞い降りているというが、岩木山では、主にこれからがその時季になる。
 今日の写真にも、あちこちにその痕跡が見られるだろう。うっすらと「黄変」した雪面部分がそれだ。
 黄砂とは「春、モンゴルや中国北部で強風のために吹き上げられた多量の黄色い砂塵が天空をおおい、下降する現象」をいうが、それが偏西風に乗って運ばれて、日本に「降り注ぐ」のである。
 関西や九州地方では空がどんよりと黄色っぽくなり、太陽も霞むといわれているように「視覚的」に確認出来るが、ここ津軽地方では「視覚的な確認」は、広い雪面に降り注いだ黄色の「現物」となる。
 この黄砂現象は、何も最近のことではなく、昔からあったことだ。別名を「霾(ばい)」といい、「霾ぐもり(よなぐもり)」と呼ばせている。
 なお、俳句の世界では他に、黄砂霾(つちふる)・霾風(ばいふう)・霾天(ばいてん)・黄砂(こうさ)・黄沙(こうさ)などと書いて「春」の季語になっている。
 交通の障害になったり、洗濯物が汚れたり、衣服が汚くなったり、白銀を汚したりと、決して、春の風物としては「望まれない」側面を持っているものだろうが、俳人の感性にかかると、それは「望まれるもの」に変身するらしい。

「つちふるや日輪高く黄に変じ (長谷川素逝)」
「鳥の道きらりきらりと黄沙来る( 石寒太)」
            …黄砂は大体3月から5月にかけて多いとされている。)

        ◇◇ 異変、ワックスが効かない(その1) ◇◇

 岩木山スカイライン株式会社のAさんから、次のような電話による問い合わせがあった。
『スノーボーダーから、今年の雪は「ワックス」が効かない。という声が寄せられているのだが、どうしてだろう。何と答えていいのか分からず困っている』…と。

 難しい問い合わせである。最近このような問い合わせがよくあるのだ。

 雪面を滑らかに移動させるための「ワックス」の成分は、その雪面を構成する「雪質」に巧く対応する「物質」であろう。「効かない」ということは、巧く対応出来ず、「滑らない」ということである。
 つまり、「ワックス」の成分と雪面に付着している物質がなじまない、滑らかにするどころか「ブレーキ」役になっているということであろう。
 これは「滑るための物質」が、ある「物質」と接触・合成した結果、「滑らなくする物質」に変化したということだろうか。可逆変化また可逆反応とでもいえばいいのだろうか。
 私もスキーをするので、乾雪用とか湿雪用の使い分け程度なのだが、若干は「ワックス」の効能については知っている。「ワックス」は使い分けを誤ると、それこそ「悲惨」なものだ。
 先ず、私は「ワックス」との関係から「雪面に付着している物質」について話した。その1つは「酸性雨」である。
 
 酸性雨とは「火力発電所や石油コンビナートが、化石燃料を燃焼させることによって排出される硫黄酸化物・窒素酸化物などの酸性気汚染物質が、空気中の水蒸気と反応して、硝酸や硫酸に変化して降ってくる」ものである。
 日本の酸性雨の原因は、日本国内の火力発電所や石油コンビナートから発生した汚染物質だけではない。
 「黄砂」の例からも分かるように、日本海側に降る酸性雨は、中国などで石炭を燃やした結果、汚染された大気が偏西風に乗って、日本に運ばれてくることが1つの原因でもある。
 だが、何も、工場から排出される汚染物質だけが、酸性雨の原因となっているわけではない。自動車の「排気ガス」も大きな原因となっている。

 ここでいう、汚染物質とは化学方程式で示すと…
NOx + H2O → HNO3 + その他
(窒素酸化物) (水) (硝酸)
SOx + H2O → H2SO4 + その他
(硫黄酸化物) (水) (硫酸)       …となる。  

 また、酸性雨とは、水素イオン濃度(pH)が5.6以下の雨のことを指していう。pHは酸性度を表し、値の範囲が0~14である。7が中性でそれ以下が酸性、7以上がアルカリ性で、値が低いほど酸性度が高いということになっている。
 なお、pH値は、1違うごとに、酸性度は10倍違うことになる。つまり、値がたった2少なくなるだけでも、酸性度は100倍になっているということなのだ。
 日本のpH値は4.4~5.5、欧州(英・独・仏)のpH値は4.3~5.1であるから「汚染度」はヨーロッパより小さい。しかし、日本の中には、まれにpH3未満のきわめて酸性度の高い酸性雨も観測されることがあるという。

 「酸性雨の被害」として、一番はじめに被害を受けるのは湖や川に住んでいる生物だろう。魚類は、水の酸性化に対して非常に感受性が高く、弱い。湖や川が酸性化すると、まず、それに耐えられない小魚が死んでしまう。
 その時、大型の魚は、死んだ小魚を食べるので、一時期、その湖や川では、普段より大きな魚が生息することになる。
 しかし、やはり、これは一時的なものであって、その魚も、餌がなくなり結局、死んでしまう。
 そこはもう、生物が存在しない透明な死の湖、死の川となってしまうのである。

 酸性雨は森にも影響を与える。酸性雨の恐ろしいところは、ある日突然、「一斉に木々が枯れること」だ。この現象を「アシッド・ショック」と呼ぶ。
 何故、急に木々が一斉に枯れるのかというと、それは、木が酸性雨を浴びると、木の抵抗力が弱くなってしまうということに因る。
 そのため、干ばつや寒波がやってくると、その刺激で一気に木がやられてしまうのである。(明日に続く)

ウグイスの初鳴きか?「ウグイス初鳴き前線」早くも北上…(最終回 3)

2009-03-19 05:08:20 | Weblog
 (今日の写真は昨日のものと同様に、昨年の3月23日に撮ったものだ。中央が山頂だ。左下端が耳成岩の東端にあたる。右側が山頂の東側外輪山になる。そして、中央に見える累々とした岩の下部が爆裂火口の一つである。
 この写真は、山頂からここまで降りて来た時に、撮った。私たちの足跡がくっきりと見えている。山頂東面の雪質は軟らかく、踏み跡が深くなるが、手前の足跡からも分かるように、この辺りは「硬く」て殆ど埋まらない。
 「山頂斜面」は軟雪のところもあるが、それが覆っている下面はがちがちの氷雪であって、凄く硬い。山頂斜面の上部に踏み跡が数本見えるだろう。これは、相棒と「滑落停止訓練」をした場所である。
 この風景、実際ならば4月から5月にかけてのものだ。今季も季節は猛スピードで推移している。昨日の気温は、私の温度計では、午後少し日射しのあった時には17℃を指していた。嬉しいと言うよりは「恐ろしい」と言った方があたっている。)


       ◇◇ 驚きだ。ウグイスの初鳴きを聞いた(3)◇◇
(承前)

 …ところで、この気象台や測候所が行っている「生物季節観測」には「ある程度」の決まりがあるようだ。
 例えば、「ヒバリ」は春でも秋でも急に暖かくなったりすると、一時的に少しだけ「さえずったり」することもあり、このような場合は「地上でさえずる」ことが多い。
 だが、これは「初鳴き」とはいわないのだそうだ。あくまでも、「空を飛ん」で、「空中にホバリング」して「さえずっている」場合が該当するという。
 「ツバメ」の「初見」も、上空をただ飛んだり、上空を通過したのを見ただけの場合は「」とはならないそうだ。
 あくまでも、「ツバメ」が家の軒先を飛び回って営巣場所を探すような行動をしているなど「繁殖行動」を初めて見た場合がそれにあたるという。
「モズ」も秋に初めて「鋭い絶叫調の高い鳴き声(高鳴き)」を確認した日が「初鳴き日」とされるというのだ。
 このような「決まり」を考えると先日の朝に聞いたウグイスの鳴き声は、どうも「初鳴き」と呼べるものではないような気持ちになる。
 まあ、いいだろう。「世間や気象台」が受け容れてくれなくても、私の今季の「ウグイスの初鳴き」は「2009年3月16日」であるとしておこう。

 さて、これら「気象台や測候所」による「生物季節観測」としての「サクラの開花宣言」や「ウグイスの初鳴き」発表がなくなるという、私にとっては「ショッキング」なニュースに接した。
 何故「ショッキング」なのかというと、ここまで人々の生活が「自然の現象」から切り離されて、科学的な器具によって集められるデータだけによる「判断」に支配されていくということへの驚きと寂しさを持ったからだ。

 江戸時代の俳人、小林一茶の俳句に「地車におっぴしがれし董哉」や「花董がむしゃら犬に寝られたり」というのがある。一茶は60ものスミレの句を吟じている。
 一茶が捉えるスミレは「人々の生活」の中で「おっぴしがれ」たりしながら、元気に生きているものであり、地車の下敷きになりながらも、苦しそうにしているわけではなく「痛いなあ!」と言いながらも、笑っているものなのだ。
 これは、「自然の諸現象」と人間が「共生共存」していたことの証しであろう。お互いが仲のいい友だちなのだ。これは何も、一茶に限ったことではなかったろう。
 一茶が暮らしていたその当時、そして、住んでいた場所は、「自然と人間」が対等な関係を保っていた素晴らしいところだったのである。つまり、誰もが「生物季節観測」を大事にしていたのだ。これが、美しい日本の原風景を日本人の「内面」から支えて育ててきたのである。

 2009年3月4日付の「読売新聞」によると政府は2010年度までに、全国の18気象測候所を全廃する方針だという。

 測候所は、天気や気温といった定時の気象観測のほか、住民からの気象の相談にも対応する地方機関である。
 1996年に96ヶ所あったが、これまでに78ヶ所が無人で自動観測をする「特別地域気象観測所」に変わった。機械計測するのは気圧、雨量、震度などだ。
 このことに関して、気象庁は「機械化で秒単位の観測が可能になった。全データは気象庁に自動的に送られ、予報や警報に生かされる」とメリットを強調している。
 しかし、このように強調すればするほど、逆に「失われること」の大きさをついつい意識してしまうのだ。
 機械計測の中には「視程計」という機械がある。これで、空気中の水蒸気や雨粒の量、気温などから、雨、雪、みぞれなどを判別するのだそうだ。ただし、「視程計」では「霰(あられ)と雹(ひょう)の区別」はつかないし、しかも、晴れと曇りの区別もつかないという。
 だから、「日照計や気象衛星の画像で、雲の量を推計して」判定しているのだそうで、「天気の判定」はやや苦手なのだそうだ。
 文明といわれる科学的な機器だけでは出来ないことがある。だからこそ、「自然物が好きだという気持ちと、それを自分と平等に扱うということ」・「人間以外の生き物の声、言い分を”聞いて訳す”ということ」・「同じ命を持つものへの優しさを持つこと」・「すべての生き物の時間を人間の時間的な尺度にしないこと」をいう「自然への共感能力」が必要なのだ。
 この「自然への共感能力」の具体的な延長線上にあるものが「生物季節観測」ではなかったのだろうか。
 だが、「初霜や初氷」の便り、「サクラの開花」や「セミの初鳴き」などの「生物季節観測」は廃止されてしまうのだ。これらの観測は「地球温暖化の指標」としても注目されつつあるが、1世紀近く続いた記録が途切れた地域も多いという。
 測候所が消えた地域はサクラの開花宣言もなくなる。観測に支障はないのだろうか。地域の人から学ぶ「気象の知恵」が予報を作る参考になったという話しも聞く。
 最後に記者は「天気の変化をコンピューターで予測する現在、測候所の廃止は時代の流れかも知れない。でも、そんな時代のせいなのか、人の経験や季節の便りといったぬくもりのある気象情報が消えるのを惜しむ声は根強い」として記事を結んでいた。

 追記:今朝7時20分、ゴミ出しのため、外に出た。はっきりと確実に、大きく甲高い、しかも一つづりの「ホーホケキョ」を聞いた。これはもう、「ウグイスの初鳴き」に間違いない。2009年3月19日の朝である。場所は弘前市田町、熊野宮境内である。(この稿は今回で終了する)

ウグイスの初鳴きか?「ウグイス初鳴き前線」早くも北上…(2)

2009-03-18 05:18:43 | Weblog
 (今日の写真は昨年の3月23日に撮ったものである。場所は岩木山大鳴沢の源頭付近である。中央に見える山稜が、「赤倉キレット」部の標高1396mピークである。昨年の雪が少なかった。今年も同じである。いや、もっと少ないかも知れない。今月に入ってからまだ、山頂や山頂付近まで登っていないので、はっきりしたことは言えないが、2月以来の降雪状態から考えると、この写真と同じかもっと少ない「状況」だろう。
 実は今月下旬に、長平から烏帽子岳の稜線を辿って、「赤倉キレット」に出て山頂を目指すという計画を立てている。
 一泊山行である。だが、テントは持たないで「雪洞」を掘って泊まるつもりでいる。雪洞は「今日の写真」に見える画面中央の「雪の壁」に横穴を掘って造る予定にしてある。
 だが、雪質が問題だ。硬ければ「掘ること」が難しい。時間をかけないで造るとなれば、この場所では無理かも知れない。どうしたらいいものか…。)

       ◇◇ 驚きだ。ウグイスの初鳴きを聞いた(2)◇◇

(承前)
 「ウグイス」の1年間の「生活」は、大体、次のようになるそうだ。
 1月は、低地で越冬している。精巣の発達が始まり、血中の性感ホルモンの「テストステロン」が上昇し出すと、越冬地から出発し徐々に移動する。
 4月には、繁殖地に到着する。その頃になると、精巣が完全に発達し、「縄張り設定」のために、盛んにさえずる。巣づくり・交尾 ・子育てを続けながら、さえずって縄張りを維持する。
 7月になると、羽が抜け換わり、血中の「テストステロン」が低下して精巣が小さくなる。その頃には「さえずり」を止めることもある。
 10月に入ると「縄張り」を解消して、越冬地に向けて移動を始める。そして、越冬地に到着する。
 「ウグイス」は「春告げ鳥」と呼ばれることがあるように、早春、繁殖地へ移動する途中、人家の庭先や公園でさえずり始める。だが、「ウグイス」は、実際には春にだけさえずるわけではない。繁殖地では渡来してから渡去するまでの長い間、場所によっては8月中旬までさえずっていることもある。
 だから、「ウグイスは何故に春にさえずるのか」という観点よりも、「ウグイスは何故春に、さえずりを始めるのか」という観点で考える方が正しいはずだ。
 「ウグイス」がさえずるのは、繁殖のためだ。生物の繁殖は、自分の子孫を次の世代に残すためで、花が咲くのも、虫が鳴くのも、哺乳類の発情期も基本的にはみんな同じであろう。「ウグイス」が子孫を残すためにも、「つがいを作り、卵を産んで、温めて孵化させ、孵化した雛に餌を与えて育てる」という、一連の作業が必要なのである。
 「卵を産んで温め、孵(かえ)った雛にエサを与える」ということは、「ウグイス」のみならず野鳥にとっては、まさに全身全霊を傾注しなければならない大仕事であるだろう。
 植物も同じだ。蕾から花を咲かせて、受粉して種をつくるということは大事業だ。必死である。「開花」はそのような時期の「ピーク」だ。だから、美しいのだろう。
 「ウグイス」は出来るだけ「餌」が多く、採餌条件のいい時に、この大仕事をしようとする。だが、この「一連の大仕事」には時間がかかる。
 子育ての時期を餌の豊富な時に合わせるためには、作業開始の時期を早めに決める必要があるのである。

 「ウグイス」は体内時計を持っていると言われている。この「体内時計」で、脳の中にある「日の長さを感じる装置」をコントロールしている。
 「ウグイス」にとって「日の長さ」というものは、「日の出から日の入りまでの時間に、日の出前の薄明の時間と日の入り後の薄暮の時間を加えたもの」だそうだ。
 冬至からだんだん春になり、日の長さが、大体12時間を越えるようになると、「日の長さを感じる装置」が作動しオンになり、これがからだの生理状態をコントロールしている装置に伝えられ、前述した「テストステロン」などのホルモン分泌が始まる。
 そして、これら何種類かのホルモンが精巣の精子の生産と卵巣の卵の発達を促すのである。
 このように見てくると「ウグイスの初鳴き」は単なる情緒的な「短歌や俳句」という文学的詩的なものではなく、凄く「科学的」なものであることが分かるだろう。
 だからこそ、「気象台や測候所が行っている生物季節観測」の中に、「ウグイスの初鳴き」という項目が掲げられているのであろう。

 ところで、気象台や測候所が行っている「生物季節観測」には次のようなものがある。
「植物観測」(12種)
 ・ウメ・ツバキ・タンポポ・ヤマツツジ・ノダフジ(普通のフジ)・ヤマハギ・アジサイ・サルスベリ・ススキ(以上9種は開花)。
・サクラ(開花時期と満開時期)。・イチョウ(発芽と黄葉・落葉時期)。・カエデ(紅葉と落葉時期)。

「動物観測」(11種)
 ・ヒバリ・ウグイス・アブラゼミ・ヒグラシ・モズ(以上は初鳴き)。
・ツバメ・モンシロチョウ・キアゲハ・トノサマガエル・シオカラトンボ・ホタル(以上は初見)。
 ただし、「ウグイスの初鳴き」は、「ホーホケキョ」と「正確にはっきり」と鳴いていた日でなければいけないのだそうだ。
 暖かい日に「ケキョ」とか「ホヶキョ」とか、何だか訳の分からない鳴き方の場合は「初鳴き」として扱わないのだそうだ。
 そうなると、私が聞いた「ウグイスの鳴き声」は「ウグイスの初鳴き」に該当するのだろうか。(明日に続く)

ウグイスの初鳴きか?「ウグイス初鳴き前線」早くも北上…(1)

2009-03-17 05:24:40 | Weblog
(今日の写真はスズメ目ウグイス科の野鳥「ウグイス」である。これは日本全国の林に棲む留鳥で、北海道や山地のものは、冬に暖かい地方や平地に移動する。生息する環境は森林、農耕地、市街地と広い。
 もう少し詳しく説明すれば、平地から山地の笹の繁った林に棲む。冬には市街地などの公園や庭、神社の境内などにもやって来る。
 実は私の家の直ぐ近く、堰を挟んで15mほど離れた熊野宮の林の藪の中にもいる。この写真は数年前の4月、「熊野宮の林の藪」から私の庭に紛れ込んで来たものを撮ったものだ。
 写真ではよく分からないかも知れないが、全身がオリーブ色がかった茶褐色だ。
 「ウグイス餅」という「餅」があるが、あの色の方が実物よりも明るく鮮やかに見える。美しい鳴き声が、餅を作る人間に「より鳴き声に近い軽快な色彩感」を創造させたのかも知れない。
 オスは全長が約15.5cmとメスより一回り大きいが、色は同じだ。昆虫を食べ、冬には木の実も食べる。「さえずり」は言うまでもなく「ホーホケキョ」。「地鳴き」は「チャッ、チャッ」。また「谷渡り」と称する「ケキョ、ケキョ、ケキョ」という連続する鳴き方をする場合もある。「ウグイス」と似ていて、仲間でもある「センダイムシクイ」は、ウグイスより緑色が強い。
 また、このウグイスの仲間である「ヤブサメ」には「岩木山の環状道路」でよく、悲惨で残酷な出会い方をする。自転車で走ると路傍に「自動車」に跳ねられて死んでいるのが目立つのである。
 ウグイスよりも5cmほど小さな鳥で、全体はウグイスに似ているが尾がずっと短い鳥だ。全身茶褐色で、喉も白っぽく、下面はやや淡い褐色をしている。「シーシーシー…」と「虫のような声」で鳴く。これは夏鳥として屋久島から北海道に渡来し、丘陵地から低山の林で繁殖する。
 地上近くの藪中の枝から枝へ飛び移りながら虫などを探し、しばしば地上に降りる。低空を飛ぶので自動車と衝突するらしい。)

          ◇◇ 驚きだ。ウグイスの初鳴きを聞いた(1) ◇◇

 実は、昨日の朝6時頃のことだ。「タ、タ、タ、タ、タ…」という「アカゲラ」のドラミングの音が熊野宮の林から聞こえてきた。「うん、今朝は何だかとても元気だなあ」と思いながらモニターに向かいキーを打つ。毎朝のブログ書きである。 昨日の朝も暖気だった。14日は強く冷たい北風が吹き荒れたが、15日はそれがウソのようないい天気だった。そして、昨日の朝は、穏やかに晴れて暖かかった。
 そのような朝である。私は、「タ、タ、タ、タ、タ…」という音を聞いていたのである。「アカゲラ」のドラミングは真冬でも聞こえることがないわけではない。だが、その真冬の音は鋭く棘のある韻を含んでいる。
 昨日の朝のドラミング音は、柔らかかった。そして、私の耳はその音に混じって、別な音を捕らえていた。それは鳥の鳴き声であった。
 それは、か細く、微かではあったが、確かに「ホーホケキョ」と聞こえた。優しくもあり、喜びに満ちた鳴き声だったのだ。
 私はキーを打つ手を、しばし止めて外に出た。そして、耳を澄ました。間遠ではあるが、確かに、「ホーホケキョ」という鳴き声が聞こえる。
だが、昨年の4月に聞いた、あの絶叫するかのような「元気」さはない。どこか、弱々しく、控えめな鳴き声なのである。『ひょっとして、これ「ウグイスの初鳴き」なのか』と思ったが、にわかには信じられず、半信半疑であった。

 植物や動物の状態が、季節によって変化することを「生物季節現象」と言う。そして、その現象の観測を「生物季節観測」と言うのだ。
 この目的は、生物に及ぼす気象の影響を知るとともに、その観測結果から季節の遅れ進みや、気候の違いなど総合的な気象状況の推移を知ることにある。
 全国の100ヶ所近い場所で、「イチョウの黄葉」「イロハカエデの紅葉」「サクラの開花」「モンシロチョウの初見」などの「生物季節現象」を観測している。その中に、「ウグイスの初鳴き」という項目もあるのだ。
 そして、この「ウグイスの初鳴き」は「春の訪れを告げるもの」として、私を含めた多くの人々から親しまれているのではないだろうか。
 ただ、「初鳴き日」とは、春にウグイスがさえずるのを初めて聞いた日のことなので、これは、厳密には「特定日」にはならないのではないかということである。つまり、非常に「個人的」なことであり、それを「何月何日」という形で「集約」して「抽象化」することには無理があるということである。
 昨日の朝に、私は確かに「ウグイスの初鳴き」を聞いたとすれば、私にとっては「2009年3月16日」が「ウグイスの初鳴き」日になるということであろう。
 日本の地図上で、ウグイスの「初鳴き日」の同じ地点を結んだ線を「ウグイスの初鳴日の等期日線図」と言う。それによると、弘前辺りは4月の20日から30日にかけて、この「初鳴き」を耳にすることになっている。
 となれば、私が昨日の朝に聞いた「ウグイス」の鳴き声は「空耳」ということになる。事実であるならば、季節は確実に1ヶ月早く推移していることになろう。
 「空耳」なのか「早い季節の推移」なのか、私は今朝も、これに悩んで「耳を澄ま」した。だが、聞こえてくるの鳴き声は「カラス」ばかりであった。
 そういえば、今年も「カラス」が熊野宮の境内林に「巣造り」を始めたようだ。
巣材を咥えて運ぶ姿が数日前から、よく目につくようになった。「カラスの巣造り」も、「生物季節現象」の一つだろう。やはり、異常に早い「季節の推移」を示しているということが正しいらしい。(明日に続く)