岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

白神山地、やはり、花々の種類は豊富だ / 白神山地「ぶな巨木ふれあいの径」ぶな伐採問題(9)

2009-08-31 05:12:23 | Weblog
 (今日の写真は、オトギリソウ科オトギリソウ属の多年草「トモエソウ(巴草)」だ。
先日のブナ伐採の現況を調査に行った時、「ぶな巨木ふれあいの径」入り口付近の道路対岸の草むらで咲いていたものである。
北海道、本州、四国、九州に分布し、山や野原の日当たりのよい草地に生えている。)

             ◇◇ 白神山地、やはり、花々の種類は豊富だ ◇◇

 「トモエソウ(巴草)」。このような美しい「山野」の花が咲いているのに、この「ぶな巨木ふれあいの径」を訪れる人は殆ど気づかないまま、「都市」に直結するような「簡易舗装」の「道」に入って行く。
 「トモエソウ」は「都市」では見られないもの故に、この「場所」が「山地」であり、「ブナ原生林の林縁」であることがよく分かるのである。この「トモエソウ」に目をとめる人が、もしいたとしたら「簡易舗装の道」と「あるがままの自然」との乖離に、「ぶな巨木ふれあいの径」にいる自分に違和感を持つのは、間違いないだろう。だが、残念ながら「トモエソウ」に目をとめる者は先ず、いない。

 …これは、午後の日射しをうけて輝いていた。だが、オトギリソウ属に共通する「一日花」であることに変わりはない。これも、一日花で、朝、咲いたこの花も後、数時間も経つと夕方にはしぼんでしまうのだ。花が咲くのは8月である。
 花は直径が4cmから6cmと結構大きい。花弁は5枚であり、「ねじれて」いる。ねじれる方向は一定していない。全体的に無毛で、茎には4つの稜があり、直立し高さは1m以上になる。葉は披針形で対生し、茎を抱くような格好をしている。
 花の中心に「多数の雄しべ」が目立っているが、これは「中国原産」でよく庭に植えられる「ビヨウヤナギ(未央柳)」によく似ている。私の庭にもこれはある。だが、大きな違いは「ビヨウヤナギ」は木で、花弁が「ねじれないかねじれが弱い」ということである。この「トモエソウ」は草である。
花名の由来は、花弁が巴状にねじれていることによる。「鞆絵・巴(トモエ)」は、「鞆(トモ)」の側面を図案化した文様だ。鞆を一つないし三つ円形に配したものを、その数によって一つ巴・二つ巴・三つ巴などというのである。和太鼓の皮面などに描かれている。これは、差し詰め「五つ巴」であろうか。別名を「クサビヨウ(草未央)」という。
 残念ながら、私は、岩木山でこの花にまだ出会っていない。日本各地の山野に咲く花とする図鑑は多いが、どうしたことだろうか。自生していないわけではあるまい。
 注:鞆「弓を射る時に、左手首内側につけ、弦が釧(くしろ)などに触れるのを防ぐ、まるい皮製の具」(広辞苑による)
               
    ◇◇ 白神山地「ぶな巨木ふれあいの径」での巨木ぶな伐採問題(その9)◇◇
(承前)

 …「安全」という概念だけが主張され出すと「人間の考え方と行動」に幅がなくなり、行動に滑らかさがなくなり「固定化」し、「形骸化」してしまうものだ。そのことを典型的に示しているものが簡易舗装され、道沿いのブナの巨木が伐られた「ぶな巨木ふれあいの径」である。
 「9月に入るとスズメバチに遭遇することが多くなるので森や茂みに入るな」とか「雪が降った翌日には森に入るな。雪の重みで枝が折れておちてくることがあるから」とか「雪解けの時季には低木の林には入るな。積雪に抑えられていた樹木が雪が解けたことで突然跳ね上がることがあるから」などを理由に「危険」に近づかないことをまことしやかに言う。
 私が勤務したある高校の校長は「山岳部」に対して「高体連山岳部主催」の「山岳競技」以外は「山」に行ってはいけないとまで言ったことがある。これは、日常的な「部活動」をしてはいけないということでもあった。
 何故かと訊いたら「危険」だからという。「高校生の部活動に危険があってはならない。何よりも『安全』が求められねばならない」と言うのだ。
 5月、残雪期の岩木山に「部活動」で出かけようとして「許可」を得ようとしたら「雪崩」が心配だから許可出来ないと言う。何かあったら「私、三浦が責任を取ります。山岳行動での責任の取り方はすべて、行動を伴にしている顧問やリーダーです。最高裁の判例でも、そのことは定着しています。校長にまで責任の範囲はおよびませんよ」と言ったら、渋々「許可」を出したのである。
 つまり、「安全」を口にはするが、その実は、何かあった時に、その責任が「自分」にかかってくることを避けたかっただけなのである。彼は責任をとりたくなかったのだ。これを「責任からの解除」を求めていたに過ぎないと私は見る。
 40年近く高校教員を続け、10人以上の校長を見てきたが、「学校のすべてにおける事象の責任」は「校長にあるから」といって「個々の教員に自由な発想と仕事」の保証を約束してくれた校長は僅かに1人だけだった。
 残りのものは「責任」を部下に押しつけ、自分は「責任からの解除」に胡座をかいた。そうなると「教育活動」は流動性や柔軟性を失い「凝固」してしまう。
 「やりきれない閉塞感」の中で、教員の多くは、それを受けて「生徒を縛り付け」て生徒の「自主的な活動」を規制してしまうのだった。
 「安全」の名の下に「責任からの解除」を願うことは、付随的にすべての行動に規制を強いて、「やりきれない閉塞感」を生み出してしまうものである。
 ブナ原生林内に「簡易舗装道路」を敷設して、道脇のブナの巨木を切り倒し「観光客のための安全な空間」を創りだすということは、「誰かの責任の解除」を成立させると同時に、観光客等、この場所を訪れる者たちの「自然との触れあいと自由で感性的な散策」を奪い取り、広大な「ブナ原生林」という空間にいながらも「やりきれない閉塞感」に陥れてしまうことでもあるだろう。
 林野庁は「責任からの解除」に胡座をかき、他の業種や業者はそこから得られる「おこぼれ」に与ろうとしたことに他ならないのである。(明日に続く)

舗装される前の道は? / 白神山地「ぶな巨木ふれあいの径」ぶな伐採問題(8)

2009-08-30 05:16:23 | Weblog
 (今日の写真は、「ぶな巨木ふれあいの径」の一部である。砕石も敷かれていないし、コンクリートも打たれていない。道の両側に「横板」が付置されているが、これは砕石を敷いた後に打つコンクリートが流れないようにするためと、そのコンクリートの高さを固定するためのものである。)

               ◇◇ 舗装される前の道は? ◇◇

 「横板の枠」さえなければ、何の変哲もない「踏み跡」道に近い「自然の山道」である。この道に「何の不都合」があるというのだろう。ここにやって来る者は「山道」を歩き、楽しむために来るのである。本物の「山道」に触れ合い、味わって貰うことが、どうして不都合なのだろう。
 ここが、「簡易舗装道路」になったところで、写真からも分かるように「基礎工事」もない「ただの壁塗り」的な工法による「舗装工事」なのだ。早晩、水が染みこんで冬場の寒気で凍結して「割れて」壊れてしまうだろう。
 ところで、この「簡易舗装道路」敷設に使われるお金はどこから出ているのだろう。林野庁が出しているとすれば、国費だ。私たちの税金から出ている。この場所に「敷設」するのだから、「特殊な工事」扱いだろう。きっと、「敷設費」は平常のものよりもうんと嵩んでいるに違いない。「安全な空間」造りには金がかかるものであるらしい。

    ◇◇ 白神山地「ぶな巨木ふれあいの径」での巨木ぶな伐採問題(その8)◇◇
(承前)

 「コンクリート舗装」や「アスファルト舗装」の道は、一体「何を通すため、何が通行するため」の道路なのだろうか。それは、ガソリンや電気「エネルギー」を円運動に変えて「移動」する道具である。
 「二足歩行」で「道路面」を蹴って移動する人間にとって、「コンクリートやアスファルト」は固すぎて、地面に敷かれたそれらの反作用による衝撃が「膝」などの関節に、かなりの負担になる。そのために、「歩く人や走る人」にとっては「舗装道路」は好ましくないものである。
 私たちの祖先が「二足歩行」をする生き物として進化を始めた頃の世界には「路面の固い」道などどこにもなかった。狩猟中心の生活は、主に「山の中」や「森の林床」を歩き、走ることを要求した。その頃から、森の中の「道」は落ち葉の堆積した「柔らかい」足に優しい自然の道だったのである。
 「ブナ林の林床」は今でも、そのままである。草丈は低く、竹藪も低く、疎らであり、どこまでもその状態が続いている。そのような形を、そのような情景を、丸ごと観て味わい、「触れ合って貰うこと」が、本来の「ぶな巨木『ふれあい』の径」に課せられたものではなかったのか。

 「円運動をして移動する道具」とはこの場合、「自動車」である。コンクリート舗装やアスファルト舗装の道は、本来、「自動車」の道であり、自動車の発達と併行して、敷設されてきた。
 「円運動体」が移動する道の特徴は「路面が平坦」であり、「凸凹があってはならず」、「傾斜も緩やかで、出来るだけ直線的である」ことだ。だから、山岳地帯には元々、自動車のための道路は馴染まないものなのだ。
 敷設に関しては、常に「自動車」が主人公であり、道路が通る場所の自然は見捨てられてきたのだ。根底には「この世は人間が主であり、その他の生物を含む自然は従である」とする思想がある。
 本川達雄が「ゾウの時間ネズミの時間」(中公新書)の中で「環境を征服することに、人類の偉大さを感じてきたのが機械文明である。だから山を拓き、谷をうめ『良い』道路をつくることは、当然よいこととして、問題にされてこなかったようだ」と言うが、まさに、これが「自然は従であるとする思想」であろう。
 「ぶな巨木ふれあいの径」を含めて、どのような道であっても、それを作ることは「人による自然の征服」に荷担することだ。「自然にとっては有り難くない、優しくない」ことであることは否めない事実だ。
 「安全な空間」というが、この「安全」は決して「森」のためのものではない。すべて、「観光客」のためのものである。だが、森にとっては「安心出来ない」危険なものである。
 最近の「軽薄ともいえる社会の傾向」に「安全・安心」ということが過剰に取り上げられていることがあるように思う。
 「食の安全」、「住まいの安全」、「安心出来る老後」、「安心出来る住居」等々枚挙にいとまがないくらいだ。しかも、この「安全・安心」はすべて「いい」ことであると考えられているようだ。つまり、「語句の最初」に「安全・安心」という言葉が付いていると、それはすべて「いいこと」だと考えてしまう傾向にあるということである。
 だから、「安全な空間」と言われると、それだけで、何だか「いいこと」をしているのだなと受け取ってしまう向きもあるのである。この「安全な空間」という言い方も「その向き」に、そのように受け取られることを意識して使用されていると言ってもあながち、穿ちすぎではあるまい。
 だが、「安全も安心」も基本的には「自助」によって賄われるものである。「他」や「社会」によって「自分たちの安全や安心」が補償されているのだと考えるのは甘えだ。その甘えが「きわめて日常化」しているのが最近の傾向である。「生命保険」や「傷害保険」はその会社との契約で成り立っている。「社会」との契約ではない。
 ところが、「山」という「非日常の世界」に来ても、「自分たちの安全や安心」が「社会」によって補償されると考えるものがいる。「行政」までがそれに「阿諛追従」する。その具体物が、簡易舗装される「ぶな巨木ふれあいの径」である。
 これを正しいことと考えると「すべての山菜採り」の「安全確保」のために、無数の「通路」整備をしてもいいことになるだろう。
 しかし、このように「自然を人間に従属するものだ」ととらえることは、21世紀の「自然との共生」という人類的な課題に反するものであることは明らかだろう。

 「軽薄ともいえる社会の傾向」とは…
別な言い方をすれば、…「当然、『自己責任』で処理すべきことをしないで、その責任を『社会や組織』になすりつけてくるということ」である。
 「国民に対して責任をとれない政党が『責任力』なる珍語で国民に迫る」国の国民だからしょうがないのかも知れない。
 この傾向を「懸念」するあまり、「ブナ」を伐ったというのが森林管理署の本音の一部だろう。(明日に続く)

「ブナ伐採」は「安全な空間」の確保? / 白神山地「ぶな巨木ふれあいの径」ぶな伐採問題(7)

2009-08-29 05:04:25 | Weblog
 (今日の写真「ぶな巨木ふれあいの径」沿いで伐られていた「ブナ」10本のうちの1本である。この切り株を見る限りでは「今にも倒れそうな危険なブナ」であるとは思えない。樹齢は「ブナ」にしては「若木」としてもいい100年未満だろう。
 写真の下部に見えるキノコは「ブナマイタケ」である。香りがよくて、食べられないことはないが「美味しく」はない。)

          ◇◇「ブナ伐採」は「安全な空間」の確保?◇◇

 「ぶな巨木ふれあいの径」は、この「切り株」の直ぐ斜め下を通っている。「安全な空間」を確保するために「伐り倒した」のである。私は、この「安全な空間」という語句に、非常な抽象的な意味とその使われ方にある種の疑義と「方便」的な要素を感じているのだ。
 このことについては、明日書くことにするが、この「切り株」を見て、最初に思ったことは、「ここだったら迂回することが可能だろう」ということだった。
 この切り株の斜め上部を、丁寧に1m幅で「刈り払い」すれば、直ぐに「迂回路」が出来上がるという場所なのである。写真からも分かるように、「刈り払い」されるものは「オオバクロモジ」や「ムシカリ」などの低木で、成長が早いものだから、「ブナ」を伐るということに比べると「森」に対する「負荷」は問題にならないほど少ないのだ。
 何故、「迂回」することをしないで、「ブナ」伐採に拘るのだろうか。表面的で抽象的な「安全な空間」の確保という言葉の裏には何かがありそうなのだ。

    ◇◇ 白神山地「ぶな巨木ふれあいの径」での巨木ぶな伐採問題(その7)◇◇
(承前)

 昨日、28日、「ぶな巨木ふれあいの径」での巨木ぶな伐採問題についての回答が森林管理署からあったという連絡を請願書を提出したT氏よりあった。管理署に出向いたのか、または管理署から係員が来たのかはっきりしないが、「回答書」に拘わって、新聞3社が取材に来たそうである。T氏の「メール」には「不明な点がいくつかあるので、問い合わせなど再度行うつもりではありますが、率直なご意見をお寄せいただければ幸いです。」とあった。
「メール」には「回答」が添付されていたので、「一読」したが、第一の印象は「奥歯に物が挟まっている」内容だということであった。
 第二は、やはり、林野庁自らが指針として掲げている「生物の多様性」や「多様な生態系」という視点がまったく欠落しているということであった。
 第三は、昨日書いた「白神山地」でガイドをしている人の「意向」に似ているということである。似ているというよりも「沿った内容」であるということだ。この人が用いている『あの場所は、観光客のために用意された「安全な空間」として設定された場所なのだ』という「語句」やフレーズも、同じ論旨の中で使われていた。このようなことから類推すると、管理署は「ガイド」たちとも事前に打ち合わせをしていたのではないのだろうか。
 この回答に関することはとりあえず、「新聞」記事に任せ、詳細についての意見や反論は、また別の形で書くことにして、これまでの続きを書いていくことにする。

 …白神ラインで下車して、「マザーツリーまでの道」に「足を踏み入れる」途端、私たちの視覚と靴底から受ける触覚が「違和感」を訴えるのだ。
 それは、大自然の中の「山地、ブナ原生林」にありながら、画然と自然から切り離された「コンクリートで固められた」道が続いていることである。
 本来の「山道」とは、まず、ブナの落ち葉などが敷き詰められていて、「歩く」と靴底から「ふわふわ」とした柔らかく優しい「感触」が伝わってくるものだ。何故、この「山道」ならではの感触を、都市生活では絶対に味わえない感触を「ぶな巨木ふれあいの径」で味わって貰おうとしないのか、それがどうしても解せないのだ。
 「コンクリートで固められた」道は、都市のアスファルト舗装道路以上の「堅い衝撃(ショック)」を、私たちの「足」に加える。これは、「疲労」を助長する。短い距離ならば「疲労」も感じないだろうが「ぶな巨木ふれあいの径」約2km全部がそうなると、「足腰の弱い老年者」にとっては「安全」の前に「疲れる」という「難題」を与えるようなものであろう。
 また、道の周りの植物は「人の圧力」に抗して、出来るだけ道の「地面」を占領して、覆おうとする。そのせめぎ合いを明らかに示してくれるのが「都市の道」ではない「原生林内の道」だろう。
 「ぶな巨木ふれあいの径」を訪れる人々は、そこに「原生の自然」の、あるがままの「自然の有りよう」を発見し、観察し、学習するのではないのか。「人の圧力」に抗して草々は花を咲かせ、足下で人に語りかけるだろう。道を覆う陽樹の下枝は、葉を揺らして歓喜するだろう。「よく来てくれましたね。歓迎します」と。
 なぜならば、草花も下枝の葉も「コンクリートで固められて」いない自然で、のびのびと生きているからである。「コンクリートで固められた」簡易舗装道路は「周囲」の草花等の命を奪っているのだ。

 「自然のど真ん中」にあって「歩きやすい道」ほどそれは自然的な要素に欠けているものである。
 「自然を味わう」とか「自然を満喫する」ということは、本来「都市型生活」で失った自然的な要素の回復を図り、求めるためのものではないだろうか。それならば、足で手で体で、「五感」すべてを駆使して「自然を実感」するべきである。
 「ぶな巨木ふれあいの径」敷設の目的が、人々の「自然を味わう」とか「自然を満喫する」ということにあるのならば、「観光客」など、やって来る者たちが「体と五感すべてで自然を実感出来る場所」とすることを第一義とすべきではないだろうか。
 「ぶな巨木ふれあいの径」を訪れる人も、自然にとって「有り難い道」を求めるべきだ。「自然にとって有り難い道」とは「自然を傷つけない」、「自然に異物を持ち込まない」、「自然の形を変えない」、「自然に人の圧力を加えない」、「自然的な治癒が可能である」道である。
 「ぶな巨木ふれあいの径」が、都市の道路と同じであるという必要性はなにもないのである。
 「都市型の道」、それは合理性を常に志向し、さらに、利便性、効率性、安全性、普遍性をその根底に置くものだ。それは平坦で凹凸がなく、登り降りるという傾斜を排除して、仮に傾斜があったとしても出来る限り緩くを求める。
 だから、「ぶな巨木ふれあいの径」の「整備」も、それに習い、「広く、曲がりが少なく、ぬかるみがなく、段差がなく、藪がなく、倒木などの危険がない形態」で応えようとしている。
 しかし、あそこは「白神山地の一部」の山岳地帯だ。平坦であり、斜面のない山などは存在しない。「ぶな巨木ふれあいの径」整備に都市型道路の感覚や性向を導入したり、求めようとすることはどだい無理なことである。(明日に続く)

何故、ぶな巨木ふれあいの「径」なのか / 白神山地「ぶな巨木ふれあいの径」ぶな伐採問題(6)

2009-08-28 05:23:36 | Weblog
 (今日の写真も白神山地「ぶな巨木ふれあいの径」の一部分だ。これは「簡易舗装」された部分である。何と、すばらしい舗装道路であることよ。これだと、ジョギングでも出来そうだ。往復すると約4kmになるから「距離的」にも「ジョギング」にはうってつけではないだろうか。
 『いやいや、出来るのは「ジョギング」だけではありませんよ。「サイクリング」だって出来ますよ』と言う人がいるかも知れない。
 おかしい話しだろう。ここは「自然のど真ん中、原生林のど真ん中」なのだ。「おかしい」というのは「ジョギング」が出来るとか「サイクリング」が出来るという人たちのことではない。この「簡易舗装された」部分を見ると誰もがそう思うだろうから、そのように思う人たちは「正常」なのである。
 「おかしい」とは「ブナ原生林のど真ん中」に忽然と「都市に見られるアスファルト舗装道路のミニチュア版」が登場するということだ。
 この「径」は、敷設するための「発想」としては「都市道の延長線」なのである。「ブナ原生林」とは、人里離れた「深山」にある。「人が常住坐臥」している都市とは「直接結ばず」遠く隔絶された場所にある。それが、「本来の有りよう」だろう。その都市から遠く隔絶された「自然原生林」であるにも拘わらず、「都市道」と直結しているのが「簡易舗装」された「径」なのである。
 まったくおかしい。「白神山地」の「自然遺産」を保護するという名目で「コア(核心)部分」とか「バッファーゾーン(緩衝帯)」という線引きをして、入山を規制しながら、一方では「緩衝」も何もない「都市・都会」と一足飛びに「直結する径」を敷設してしまうのだ。
 この思考回路は一体何なのだ。おそらく、この回路には、「ちぐはぐな部品」しか使われていないのだろう。この「径(みち)」はまだ、全線が舗装されてはいない。半分以上は「本来の山の道」つまり、「踏み跡」道に近いものが残っている。そこの部分を歩く時だけ、何だか自然の「山懐」に抱かれたような「豊かな」気分になれるのだ。)

      ◇◇何故、『ぶな巨木ふれあいの「径」』は「道」ではなく「径」なのだろう◇◇ 

 『ぶな巨木ふれあいの「径」』は2kmに渡る長い「迂回路」でもある。これは、ほぼ、「白神ライン」と併行して敷設されている。「迂回路」とは本来の道があるにもかかわらず、「もう一本別の道」でもあることを意味する。「ブナ」を愛でるには「白神ライン」を辿っても出来ないことはない。それを、「ブナと触れ合いながらブナを愛でて、ブナ原生林を満喫してもらう」という「目的」を付加して、敷設されたのが、この『迂回路、ぶな巨木ふれあいの「径」』なのだ。「迂回路」は「バイパス」だ。本来ならば「なくて当たり前」という存在なのである。

 …「道」という一般的な言葉を使わずに「径」という漢字を用いてあるので、少しの「違和感と怪訝さ」から「広辞苑」を引いてみた。
 違和感というのは、『何も「径」でなくても、「道」でもいいのではないか。誰もが知っている「一般的な」呼び方でもいいだろう』とか「何故この漢字を使ったのか」とか『この道には「径」という漢字を使う必然的な意味があるのだろうか』という程度のことだ。
 この「径」には「まっすぐ結ぶ道」や「さしわたし」という意味がある。ただし、ここで言う「まっすぐ」とは直線を指している訳ではない。実際「この径」はアップダウンあり、右折左折ありと、実に「スバラシイ山道」なのだ。
 これは「ある所と直結」していると解釈すべきだ。つまり、「この道を歩いて行くと、ある場所に出ます。ある場所に行くための道に繋がっています」ということを示唆していると考えるべきだろう。果たして、「命名」した者がそこまで考えていたかどうかは疑問だが、「使い方」としては間違いではない。
 この「径」を辿ると「マザーツリー」と称されているブナのある場所に通ずる道に出るのだ。「行き止まり道」には「径」という漢字は厳密には使えない。「径」には「人が大勢行き来する」という意味も含まれている。この「径」は何も、この「マザーツリー」の道に通じているだけではない。途中から「白神ライン」に出ることも可能なのだ。他にも、「間道」があったような気がする。
 「道」でなく「径」を使った謂われは何か、それは「多くの人がその場所を往来する」ということだろう。つまり、「多くの観光客に来てもらい、歩いてもらいたい」という意図だ。併せて、「奥山、深山、原生林にやって来るというのに、その基本的な準備性の全くないハイヒールやサンダル履き」で訪れる、その意味からは「最低」な「観光客」への「ごますり、迎合」であろう。
 いつから、林野庁は「観光業者」になり下がり、「観光客」に揉み手をする役所になったのだろう。
 本来の仕事に傾注して欲しい。森を守り、森を育てることが、「国を守る」ことだということを肝に銘じて、取りかかって欲しいものだ。

     ◇◇ 白神山地「ぶな巨木ふれあいの径」での巨木ぶな伐採問題(その6)◇◇
(承前)

 この問題に関して、「白神山地」でガイドをしている人から、次のような意向が寄せられているという。私に直接寄せられたものではない「又聞き」だが、次に紹介する。

 …『奥入瀬の件を持ち出すまでもなく、ガイドする立場からいうとあのブナは当然伐るべきだ。枝落としをするために重機を入れるほうが問題なのだ。あの場所は、観光客のために用意された「安全な空間」として設定された場所なのだ。これまで駐車場や林道を通すためにどれだけのブナが伐られたというのか、今頃たった10本でがたがた騒いでほしくない。林野庁の真意を知りたければ、あんな目立ちたがりみたいな行動をしなくても直接聞けるじゃないか。ブナを伐らずに、迂回路を作るということも、そのためにまた若いブナを伐ることになるのだから反対だ』…

 私は、この人の「言い分」にこそ、この問題の本質があるように思えてしょうがないのである。(字数が越えたので明日に続く)

「ぶな巨木ふれあいの径」は簡易舗装道路 / 白神山地「ぶな巨木ふれあいの径」ぶな伐採問題(5)

2009-08-27 05:36:30 | Weblog
 (今日の写真は、白神山地「ぶな巨木ふれあいの径、簡易舗装道路工事」中のものだ。完成すると「マザーツリー」と称されている観光スポットである「ブナ」までの、あの「簡易舗装道路」と同じものになる。)

     ◇◇「ぶな巨木ふれあいの径」は簡易舗装道路になる?◇◇

 …実測していないので「幅」ははっきりしないが1m超であろう。両側に板で枠を取り、道部分には「砕石」を敷いてある。この「砕石」部分と上に敷かれるコンクリート部分
の厚さは10cm程度だろう。
 「ブナ原生林」や「マザーツリー」で人を集めておいて、この「原生」と「マザーの母性に由来する元々や元来」という意味と、この「人工物」の乖離は何なのだろうと、暗い気持ちになるのは、私一人だろうか。
 このことについては、いずれ詳しく書くつもりでいるが、今回の『白神山地「ぶな巨木ふれあいの径」ぶな伐採問題』には、この「簡易舗装道路」敷設に深く関係していることがあるのではないかと思うのだ。
 このことについては「明日」書くことにする。

  ◇◇ 白神山地「ぶな巨木ふれあいの径」での巨木ぶな伐採問題(その5)◇◇
(承前)

 …ところで、樹木が自然に倒伏して、その部分だけ「森にぽっかりと空間」が出来ることを「ギャップ」という。「ギャップ」は「隙間」と訳される。
 本来の森は、この「ギャップ」の生成を自然任せにしている。「森」の「遷移」もまた、「自然任せ」であり、「多様な生態系」の中で、「ゆっくり時間をかけ」て「生々輪廻」しながら循環していく。
 「ブナ」の巨木や壮樹を「伐採」することは「人工的にギャップを造ること」に他ならない。これは「循環する自然」に、「異物」を差し込むようなものだろう。「森」からすると「余計なお世話」を人がしていることになる。これは「自然発生的に生じる遷移」のプロセスではない。
 基本的に「循環する森」のことを考えると、そこには「伐採」など、人の手を加えるべきではないのだ。「ぶな巨木ふれあいの径」は「極相林」の中にある。あの場所は、人が利用するために「手を入れて育ててきた」という「雑木林」ではない。
 もしも、「雑木林」程度にしか把握していない人たちがいるとすれば、そこが問題なのだ。少なくとも、あの場所を「人のために利用して利潤を得よう」と考えるのならば、それが「雑木林」扱いをしていることになるのだ。

 ブナなど大体1種類の「樹木」で成り立っている森を「極相林」という。「極相林」は「陰樹林」でもある。極相林に「ギャップ」が生じると、その「明るい林床」には「陽樹」が多数出現する。
 私は専門家でないので、よく分からないが…、芽生えから大きくなるまでの過程で、「多くの光を求める木」すなわち、「生育に最低限必要な光合成量が比較的多いタイプの樹木」を「陽樹(ようじゅ)」と呼び、逆に「少ない光」でも、つまり、「光合成量」が少なく、「日陰でも生育可能な木々」を「陰樹(いんじゅ)」…と呼んでいるようだ。
 「陽樹」は、生育に多くの光を必要とする。それゆえに、ある程度成長した森の中では生育出来ない。だが、十分に光を浴びた場合、その成長量は比較的高いものが多いので、若い「雑木林」では、この陽樹が優勢となる。
このように、「ブナ」を伐採すると、その「森」に「人工的なギャップ」を造ることになり、「陽樹の生育」を促し、「極相林」内に「雑木林」的な部分を形成することになるのである。これは、明らかに「人工的な変異」だろう。
 僅かに1本程度の「伐採」ならば、広い森の林冠に1つの「ギャップ」である。森林でも、1本の大木が倒れて林冠にギャップが生じた場合は、その「林床部分」に光が入るので、陽樹が発芽生長する。
 だが、実際は10本の「ブナ」を伐って「10カ所のギャップ」を「時同じくして」造ってしまったのだ。「光」は屈折し、散乱し、反射して広がる。一度に多くの「ギャップ」の生成は、森を明るくして、「光」を隅々まで拡散させて、一斉に「陽樹」の発芽を促すだろう。
 これでは、まさに、「人の手による撹乱(かくらん)」である。自然現象による「撹乱」は、いい意味で「遷移」を促す。しかし、「極相林」への人工的な「撹乱」は「生物の多様性」を破壊するだけで何一ついいことがないのだ。
 「ススキ草原に陽樹が侵入し、陽樹からなる森林(陽樹林)に移行して、森林が成立すると、その林床には陽樹が発芽しにくくなるため、日陰でも発芽成長する陰樹に次第に代わられる」ことを「遷移」という。だから、「極相林は陰樹林」なのである。
 「陽樹」は「樹木の遷移」においてはパイオニア的な樹木だ。素早く大きくなり「ギャップ」を塞ぐ役割をしている。だから、これらは確実に、「陰樹の極相林、ブナの森」を「陽樹の雑木林」に変えていくだろう。
 「伐採や山火事などによって破壊されたことがなく、人手が加えられたことのない自然のままの森林」を「原生林(げんせいりん)」と呼ぶ。これは誰もが共通して理解していることだろう。また、「ブナ原生林」という場合は「ブナが極相に達した原生林」ということでもある。
 「白神山地・ブナ原生林」というのならば、確実に「ブナが極相に達した原生林」を保持しなければいけないだろう。それをしないと、「看板に偽りあり」ということになる。「原生林」を「雑木林」にしてはいけない。そのためには、「伐採」をして「陽樹の森」に変えるようなことをしてはいけないのである。
 大馬力で素晴らしい速さを出すが「燃費がよくない」自動車、力は余りないが「少しの燃料で長距離走行が出来る」自動車、前者は「陽樹」である。後者が、ブナなどの「陰樹」である。
 ブナの森には「燃費がよくない」ものは必要ない。永く、長く生き続ける「少しの燃料で長距離走行が出来る」ものだけでいいのだ。それが「自然の成り立ち」である。(明日に続く)

地肌を抉る「頭無沢の皆伐」 / 白神山地「ぶな巨木ふれあいの径」ぶな伐採問題(その4)

2009-08-26 05:10:52 | Weblog
 (今日の写真は、ちょっと古くなるが2005年11月8日に写した「ブナ」林の伐採跡である。
 その年の10月に、百沢在住のK氏から「大々的な伐採が頭無沢右岸上部で行われている。百沢に住む者として土石流の発生に脅えている。何とかならないか」という情報と依頼があった。それを承けて「実地踏査」した時のものだ。)

         ◇◇地肌を抉る「頭無沢右岸上部の皆伐」◇◇

 伐採されたのはその年の初夏である。場所は岩木山の「頭無沢」上部右岸からその稜線にかけてだ。
 伐採現場の下部には「水源涵養保安林」という金属製の看板まで建ててあったが、ほぼ皆伐だから「水源涵養保安林」という役割を森林管理署自らが放棄したことになる。
 この伐採場所は下部が「ミズナラ林」であり、その上部が「ブナの多いミズナラとの混合林」だった。
 明らかに皆伐だったが、それでも、「間伐」だと管理署の係員は言う。ジグザグに走る道路は「ブルドーザー」など重機だけに頼った荒々しく粗雑なものであり、山の表土を剥ぎ取って、抉って造られていた。
 その「道」は「敷設して、樹木を伐採して、材木を運び出せばそれで終わり」というものだった。
 本会では「伐採とその場所の確認」をした上で、「津軽森林管理署にこの件について話し合いをしたい」と申し入れをした。だが、管理署からは「回答」はなかった。
 その後、管理署のT業務課長と個人的に会う機会があったので、この件について訊いてみた。
 T業務課長が言うには…
 「あの場所はあるが管理している場所である。その管理団体が樹木を伐りたいといってくると当局としては、許可せざるをえない。昔からそのようなしきたりでやってきている。当然、私どもの伐採計画の範囲内にあるものであれば、要望に応えて許可するのだ」であった。
 私が言う…
 「そのように、一方の地域住民の要望に応えるのであれば、もう一方の百沢に住む者として土石流の発生に脅えているということにも、何らかの形で対処すべきではないか。しかも、あの場所は水源涵養保安林だ。伐ってしまってはその役目を果たせなくなるだろう」と。
 だが、そのことへのはっきりとした「返答」はなかった。そこで、私はT業務課長の言う「伐採計画」なるものを入手したいと考えた。それは、「伐られてしまってからでは遅い。伐られる前に話し合いをして、少しでもそれをくい止めることが肝要」だと思ったからである。
 『「伐採計画」を文書でもらえますか」
 「はい、あげられます。ただし、私個人の裁量の範囲です。役所としては出さないと思いますよ」
…だが、この約束は「反故」になってしまった。間もなくT業務課長は転勤して、受け持ち範囲が県内ではあるが、岩木山でなくなったからだ。彼は「本会の活動」に比較的好意的だった。左遷されたのだろう。今、彼は秋田県で勤務をしている。

 このような「伐採」は今も続いている。この前も「水無沢右岸尾根」方向で、「チェーンソー」の音がしていた。おそらく、「皆伐」が続けられているのだろう。

 ◇◇ 白神山地「ぶな巨木ふれあいの径」での巨木ぶな伐採問題(その4)◇◇
(承前)

 …日本でも戦後昭和40年(1965年)代に入ると、「ブナ」を中心にどんどんと伐りまくって「杉」や「唐松」を植え始めた。そして、その植林地は今や、大半が「放置」されている。それが「クマ」の里へ出没する原因の一つにもなっているのである。
 さて、この「問題」の「観察と検証」時に本会会長の「阿部」が何回も言ったことは…
「伐られた10本のブナの中で幹の周囲の3分の1ほどが腐りかけているものでも、倒伏するまでにはあと、30年はかかるだろう」
 …ということだった。他の「健全なブナ」は「倒伏」の懸念はまったくないというのだ。
 「ぶな巨木ふれあいの径」と称しながら、そこから「ブナ」を消去してしまうというバカに近い「矛盾」的な行為を「管理担当者」自体がしているのだから、呆れる。
 しかも、ブナの幹に「鉈目」紛いのものをつけたといって大騒ぎをしているその役所自体がである。主体性があるのならば「このような矛盾行為」は出来ないはずだ。何か表には出せない「大きな理由」があるのではないのだろうか。

 森林管理署がどのような理由から「ぶな巨木ふれあいの径」沿いにある「巨木を含めたブナ」を伐ったのかは、分からない。何しろ未だに、その「伐採理由」の説明がないからである。
 仮に、「十和田湖奥入瀬川沿いの遊歩道で倒木による事故」が発生して「青森県が法外な補償金」を支払ったことなどが、その理由の一部にあって、「危険な樹木の撤去」が「伐採」の主目的だったとしても、今、伐る必要はどこにもないのである。あと30年は「倒伏」しないからである。
 次に、「阿部」の言う「虫」をとうしての「多様な生態系」について、少し触れよう。便宜上、森にあるブナを大きく3つに分けてみることにする。つまり、「健全で元気でまっすぐ立っている、壮年的なブナ」、「幹の3分の1ほどが縦状に腐りかけて、落枝や枯れ枝が多い老木」、「完全に倒伏し、その上には更新の若いブナなどが生えているもの」という区分けである。
 先ず、「健全で元気でまっすぐ立っている、壮年的なブナ」であるが、虫以外では「クマゲラ」の「ねぐら木」や「営巣木」となる。まっすぐで地上高があるので、「蛇」などの外敵に襲われることがないからである。
 このようなブナには「垂直」で、しかも「腐っていない生身の樹皮や心材」を持つ樹木でない限り、生育出来ない虫が生活をしている。 
 次は、「幹の3分の1ほどが縦状に腐りかけて、落枝や枯れ枝が多い老木」だが、「縦状に腐りかけて」いるところには「そこでしか生育出来ない」虫がいるのだし、枝落ちした「空(うろ)」は「モモンガ」などのほ乳類が棲み、野鳥も営巣したりする。
 最後は、「完全に倒伏し、その上には更新の若いブナなどが生えているもの」だが、これは、樹木が「土壌に還ろう」としている段階のものだ。キノコなどが生えるのもこの段階のものに多い。現場では「数年前に伐られたブナの切り株」もあったが、それには、立派な「ブナマイタケ」が生えていた。「生物の多様性や多様な生態系」がなければ「腐った樹木は土に還る」ことは出来ないのだ。
 倒れた樹木は腐りながらも、揺りかごのように「自分の上で」子育てをする。上に落ちたブナの種子は「実生」となって、「親の栄養分」を承けて育っていく。これを、「樹木の更新、森の更新」という。(明日に続く)

「ウスヒラタケ(薄平茸)の話し」 / 白神山地「ぶな巨木ふれあいの径」ぶな伐採問題(その3)

2009-08-25 05:21:32 | Weblog
(今日の写真は、今月22日に実施された「ぶな巨木ふれあいの径」ぶな伐採現場での「観察と検証」の時に、「ブナ」の根元で写したものだ。ヒラタケ科ヒラタケ属の「ウスヒラタケ(薄平茸)」である。)

    ◇◇ヒラタケ科ヒラタケ属の「ウスヒラタケ(薄平茸)の話し」◇◇

 これが生える場所は広葉樹林で、枯れ木や切り株である。たまには、手の届くような高さのところにも生えている。
 まとまって沢山生えることが多く、今回も同行した管理署員の許可を得て、ある人は、かなりの量のものを採取した。春から秋まで広範囲に長く発生し、あまり、樹種は選ばないとされている。それ故に、別名を「四季キノコ」と呼ばれることもある。
 このように、年中発生しているように思われているが、本物の「ヒラタケ」は、晩秋から採取出来るものを言うのである。
 今日の写真のものは「ウスヒラタケ」と称されるものだ。8月~9月ごろ早い「ナラタケ」と同じブナに出ていることも多く、水分も多いので、べとべとになりやすく、早く処理する必要があるといわれている。)

  ◇◇ 白神山地「ぶな巨木ふれあいの径」での巨木ぶな伐採問題(その3)◇◇
(承前)

 …「伐採」されたのはたったの10本かなどと言ってはいけない。「生物の多様性」から見ると「生えているブナ1本1本」が、それを取り巻いている生物の「宇宙」であるということなのである。
 樹齢300年を越える「立木のブナ」、「所々枝落ちして洞(うろ)のあるブナ」、「枝落ちした枝を樹下に置いているブナ」「立ち枯れのブナ」、「幹の片側だけが枯れて腐っているブナ」、「枯れて今にも倒れそうなブナ」「倒れたブナ」、「倒れて腐りかけているブナ」、「腐り果てて半ば土壌化しているブナ」など、それぞれが「生物の多様性」の具体物であり、そこには別々の「そこにしか住めない」または「そこにしか住まない」昆虫などの「生き物」が生息しているのである。

 仮に、その近くを「歩く人にとって危険だから」という観点だけで「枝落ちした枝を樹下に置いているブナ」「立ち枯れのブナ」、「幹の片側だけが枯れて腐っているブナ」、「枯れて今にも倒れそうなブナ」などを伐採してしまうことは「生物の多様性」を欠くことになるのである。

 そこには、「林野庁」の方針である「生物多様性に配慮」するということは、少しも窺えないではないか。
 表向き、公的にはこのような「方針」を出しても、現場にはその方針を下支えする「思想性」が育まれていないのだろうか、それとも、この「方針」はあくまでも「林野庁のポーズ」に過ぎないのか。
 はたまた、「通達」が浸透しない「構造的な欠陥」を持っている役所、出先機関になり下がってしまっているのか。
 あるいは、「山の警察署」と言われた旧営林署時代からの、「警察機構に見られる階級的な上意下達」という仕組みが未だに存在し、「一つの命令」つまり、「ぶな巨木ふれあいの径にあるブナを伐採せよ」が「上」の森林管理局長、森林管理署長から発せられると、「森林官や現場の作業員」辺りが、これは「生物の多様性」からすると「おかしいことだ」と考えたとしても、その考えや意見を「下意上達」するという民主的な「機構」が存在せず「旧態依然」とした「組織体系」なのであろうか。

 山道を歩く。自動車の通らない道を歩き、登る。獣道のような所を歩く。そんな時、そんな所では、「生き物の死骸」はまずもって見つからないし、見当たらない。
 時たま、クワガタやカブトムシの死骸を見ることがある。しかし、それは外側の、ほんものの死骸とはいえない甲殻部分だけであって、中身はきれいに掃除されている。他のものとはめったに、出会(でく)わさない。
 自然界は「生命体の集合」だ。これが、「生物の多様性」であり、「多様な生態系」なのである。
 生命あるものは必ず死滅する。だから、いたるところに、それらの死骸があっていい。それなのになぜ、私たちの目に触れないのだろう。
 それは別な生き物、つまり昆虫で言うと「シデ虫」の仲間の「クロシデムシ」、「ヤマトモンシデムシ」、「エンマムシ」などが、死骸を処理(掃除)してくれているからだ。
 「自然が生きていればいるほど」、その連鎖的処理能力は大きくなる。「生物の多様性」が豊かであると、かくして、我々の目には、生き物の死骸が余り映らなくなるのである。
 まさに生々輪廻(せいせいりんね)なのだ。「生物の多様性」とは比較的新しい言葉だ。だが、日本を含めたアジア人は、ずっと昔から「生々輪廻」という思想のもとで、自然界を捉えて、「森林」を大事にしてきたのである。日本人は本来、「山林の民」なのである。
 日本やアジアだけではない。古代ヨーロッパの人々も「木や動物の生命と人間の生命が同じである」と考えていた。
 私たちは「狼や狐、蛇」などの森に棲むの動物を、森の神やその化身、お使いと見立て崇めてきた。このように伝統的に森に抱いてきた観念は、狐信仰である「お稲荷さま」、社やご神体に張られる「しめ繩」もまた森の守護神である蛇の象徴的具体化として、今日なお、私たちの精神風土の中に見られるものである。
 また、私たち日本人は、その昔、「幹一本首ひとつ、枝一本腕ひとつ」などとして、木々を守ってきたことなどは、古代ヨーロッパ人の考え方と非常に似ていたのである。これで行くと、ブナは10本伐採されたのだから「10人の首」が飛ぶことになる。 
 ところが、その後ヨーロッパでは、キリスト教の「森を支配する文明」が、「聖なる森など存在しない。森の中に神などいない。森はいくら破壊してもかまわない」という主張のもとに「森」を破壊し尽くしたのである。

注:「生々輪廻」…次々と移り変わり、変化が「季節が巡るように」同じように無限に続く様子。長く広い目で見るとその「世界」には殆ど変化がない。(明日に続く)

オニユリと初秋の百沢スキー場 / 白神山地「ぶな巨木ふれあいの径」ぶな伐採問題(その2)

2009-08-24 05:23:48 | Weblog
 (今日の写真は、ユリ科ユリ属の多年草「オニユリ(鬼百合)」である。これは百沢スキー場のススキ原の中に咲いていたものであり、昨日、撮ったものだ。「オニユリ」は拙著「岩木山・花の山旅」438種の中には所収されていない。
 これも、染色体が3倍体なので「種子」をつけない植物だ。「根茎」と地上茎の「零余子・珠芽(むかご)」で増える。だから単純に考えると、物理的に「根茎」を移動しなければ「岩木山」には「無い」花となる。これは、古い時代に中国から朝鮮半島を経て渡来したもので、日本全国で栽培および各地の海岸に近い場所や斜面、野原などに自生しているとされている。その意味から「所収」しなかったのである。だが、実際はこのように「自生」しているのである。
 「百合(ユリ)」という名前の由来であるが、花が風に揺れる様子から「ゆする」「ゆれる」が「ユリ」となったという説が有力だ。また、漢字名の「百合」は、麟茎の形(根が重なり合っている)という説もあり、「麟茎」が寄り集まっていることから「より」となり、それが転訛して「ユリ」となったという説もある。
 「オニユリ」は、「形が大きく豪快なこと」から付いたという由来と、黒色の斑点模様のある赤橙色の花を、「赤鬼の顔に見立てたこと」によるともされている。
 別名では「テンガイユリ(天蓋百合)」と呼ばれることがあり、英語では「Tiger-lily」だ。)

          ◇◇ 初秋の百沢スキー場で自然観察講座 ◇◇

 昨日、NHK弘前文化センター講座通算第53回目の「津軽富士・岩木山」野外観察を実施した。お天気に恵まれ、かなり長い「登高距離」も、涼しいほどの南風に吹かれながらのものであったので「疲れ」よりも、爽快感溢れるものだった。3mを越す「ススキ原」の「藪こぎ」も苦にならず、「野焼き」のない「ススキ原」の「遷移プロセス」を体で実感したのである。

 メインテーマは『初秋の百沢スキー場は何を語るか』であり、サブテーマに「岩木山東面の山麓を辿り木の実に触れススキの花を見て土石流跡を探る」を掲げて実施した。
 それに加えて、「植生の遷移」、「遷移の中で見られる陰樹と陽樹」の観察なども取り入れた。先ずは「ススキ」に注目した。昨秋、岩木山の北東面を散策・観察した時には「ススキ」は「花の時期」が終わり、すべて、「種子」となり、「枯れ尾花」の状態だった。
 受講者からは「ススキの花」を見たいという声が上がった。それを承けて、今回は「ススキ」の花の咲いている時季に、咲いている場所の「百沢スキー場」に出かけて「ミクロ」の世界とでも言うべき「ススキ」の花を「虫眼鏡」を使って観察したのだ。    
 イネ科ススキ属の多年草である「ススキ」の穂は花のように見えるが、種の先に毛の付いた種の集合なのだ。「ススキの花」といっても「花びら」はなく、非常に小さい「雄しべと雌しべだけの花」なのである。
 そこで、「虫眼鏡」の登場だ。クリーム色の鳴子のようなのが雌しべ、小さな羽のようなのが雄しべだ。その様子を確認するには、どうしても「虫眼鏡」が必要なのである。
 「ススキの花」を観察する前に、百沢小学校近くの間道から登りはじめ、りんご園地の脇を通り、「杉林」の中の道にさしかかったところで、「ノブキ(野蕗)」の花の観察をした。茎頂に丸くて白い雪洞(ぼんぼり)のような花が見える。肉眼では確かにそのように見えるのだ。ところが、これは非常に小さい、約1mmほどの5弁花が総状に集まっているものだ。すべて雄花である。
 そこで、私は持参した高校で理科の実験で使う「虫眼鏡」を2つ取り出して、「交代でこの花を覗いて見て下さい」と言ったのである。
 受講者たちの反応は「驚きと感動」に満ちていた。「あっ、小さい花が集まっている」「何と小さいのだろう」「ちゃんと5枚の花びらになっている」「一つの花に見えたが数十の花の集まりだ」という声が湧き起こった。
 私の「ススキの花」を虫眼鏡で観察するという「カリキュラム」は、この「導入段階」で、もはや、成功したのである。
 その後で、『この「岩木山百沢スキー場」が出来てから数年後の1975年8月6日に、大きな土石流が発生して、百沢の住民22名が命を奪われた』ことに思いを馳せたのである。「スキー場」の敷地は国有林地で、蔵助沢付近の61.58haだ。しかも、「土壌流出防備保安林」であり、「水源涵養保安林」であった。スキー場が「土壌流出防備保安林」と「水源涵養保安林」を奪い取ったことは間違いのない事実である。

  ◇◇ 白神山地「ぶな巨木ふれあいの径」での巨木ぶな伐採問題(その2)◇◇

 昨日の東奥日報に「ブナ伐採の妥当性検証」という見出しで、この「問題」の「観察と検証」に関わる記事が出ている。
 このことに関しては「記事」に任せることにして、「生物の多様性」という観点から、そこに生えている「ブナ」について考えてみたい。
 「生物多様性」とは、『地球上に多様な生物が存在し、それぞれがかかわりながらバランスを保っている状態』のことだ。つまり、『地球上には 3000万種の生物が存在する。「生物多様性」は、あらゆる生物と、それらによって成り立つ生態系、さらに遺伝子レベルでも多様で豊かな状態』を指す。詳しくは8月12日のこのブログを読んでいただきたい。
 22日に実施された「観察と検証」には、本会の会長「阿部東」も参加した。阿部の視点は徹底して「ブナ」の樹皮と幹に棲む「昆虫」、または「枯れた立木のブナに棲む昆虫」であった。
 一見すると彼の視点は「昆虫」に偏在していると思われがちだ。だが、それは間違いだ。全く偏在はしていない。「ブナにつく昆虫とブナ」から森全体の、強いて言えば「バランスを保っている状態」を私たちに理解してもらおうとしていたのである。
 「伐採」された「太いブナ」は総計10本である。(明日に続く)

ヤブカンゾウのこと / 白神山地「ぶな巨木ふれあいの径」での巨木ぶな伐採問題

2009-08-23 05:07:02 | Weblog
 (今日の写真はユリ科ワスレグサ属の多年草「ヤブカンゾウ(藪萱草)」だ。先日、NHK弘前文化センター講座の下見に出かけた際に、岩木山の山麓の「藪」で見かけたものだ。咲く時季としてはそろそろ終わりに近いのである。
 だが、あまりの色の鮮やかさに魅せられて、ついつい「撮って」しまったのだ。
 撮りながら「残念だなあ」という思いが込み上げてきたのである。それは、この「美しい花」を拙著「岩木山・花の山旅」に所収出来なかったことである。その理由は「山麓を含めた岩木山で発見出来なかった」からではない。上梓するまで何回もこの「花」に出会っていた。となれば、当然「所収」するべきなのだが、私は外したのだ。)

     ◇◇この花を拙著「岩木山・花の山旅」に所収しなかった理由は◇◇

 この美しい花「ヤブカンゾウ(藪萱草)」を外した理由は…、
 …野生化して自生してはいるが、中国原産の史前帰化植物で、栽培されていたものが野生化しているものであることだ。
 一番の理由は、染色体が3倍体であり、結実しない、つまり「種」をつけないという
ことだ。古今集には「忘れ草種とらましを逢うことのいとかたきものと知りせば」という歌があるくらいだ。「忘れ草」とは萱草のことである。「根茎」で増える花なのである。 よく、寺院の庭などに群生しているアヤメ科の常緑多年草「射干・著莪(シャガ)」もそうである。この「根茎」を中国から誰かが運び込んだものなのである。
 3倍体の植物には、他に「ヒガンバナ」、「オニユリ」、「ソメイヨシノ」などがある。高校の「生物」の授業で習ったと思うが、「種なしスイカ」の作り方は「4倍体」のスイカと「2倍体」のスイカを掛け合わせて「3倍体」のスイカの種子を作って、その「種子」を植えるやり方があるが、それが「3倍体」植物の具体例だ。
 岩木山の麓の人家近くの草地や田んぼの畦などに点々と生えているが、「種子」で増えることがないので、昔、植栽されていたものの「根」が生き残ったり、川の氾濫などで流されたり、あるいは「人の手」によって植えられたりしたものであろう。「根茎」から、匍匐茎を出して広がり、群落を形成するといわれている。
 これは「ニッコウキスゲ」の仲間である。花期は、屏風山の湿原に咲く「ニッコウキスゲ」より一ヶ月ほど遅く、夏も盛りの7月下旬頃に咲き出す。
今日の写真からも分かるように「ニッコウキスゲ」の花は、橙色で横向きの一重咲きだが「ヤブカンゾウ」は上向きの八重咲きであり、色は鮮やかな濃いオレンジ色である。
草丈は80~100cmで、花の大きさは6~8cmだ。
 花名の由来だが、カンゾウ(萱草)の意味は「この美しい花を見ていると物も忘れる」という故事からの漢名である。「忘れ草」とも言う。
この「忘草、忘憂」の由来は、中国の詩人「陶淵明」の飲酒詩の一節に「忘憂の物」とありこれは、酒の異称であり萱草の異称であると云われていることによる。
 牧野富太郎は、『中国でも、この花を見て憂いを忘れるという故事から「忘れる」に「萱」の文字を充てることから「萱草」と云い、和名は、この漢字の意訳である』としている。
 古くから日本人に親しまれてきたはなであり、万葉集には…
「忘れ草我が下紐に付けたれどしこのしこ草言にしありけり」というものもある。「忘れようと思って、忘れ草を付けたが、思いは募るばかりだ」とでも訳せばいいだろう。
 別名を「オニカンゾウ」ともいう。

    ◇◇白神山地「ぶな巨木ふれあいの径」での巨木ぶな伐採問題◇◇

(お断り:連載に近い形で書いているものもあるが、緊急性を要する問題だと思うので今日から表記のことについて書き始める)

…昨日、この伐採現場に行って、その詳細を実情検分をしてきた。それと併せて、この問題を考えてみたい。
 私は、今年の1月12日に「毎日新聞電子版」で次の記事を読んでいた。

「森林整備:生物多様性も指針に 生態系の監視強化 林野庁」

 『 国土の7割を占める森林の整備政策で、林野庁はこれまで重視してきた木材生産、災害防止、地球温暖化防止の三つの指標に加え、生物多様性を新たな指標にする方針を固めた。来年度の概算要求に関連予算案を盛り込み、11年ごろに改定予定の国の森林整備の指針である「森林・林業基本計画」に、外来種を含めた生態系の監視体制の強化や動物の生息地の保護対策など生物多様性の視点を本格導入する考えだ。
 間伐は樹木の成長を促すほか、下草をよく茂らせ昆虫や小動物の餌場を作り出す。しかし、生物多様性に配慮して伐採する木を選ばないと、鳥の営巣木を奪いかねない。また、全国の約1割の森林で、増えすぎたシカによる食害が発生し、樹木が枯れ土壌流出も起きている。生態系保全が災害対策や温暖化防止の上でも問われるようになった。』(後略)

 注目すべき点は「林野庁は…生物多様性を新たな指標にする方針を固め」「生態系の監視体制の強化」や「動物の生息地の保護対策など生物多様性の視点を本格導入」ということと「生物多様性に配慮して伐採する木を選ぶ」ということである。
 だが、昨日の実情検分からは、「林野庁」の方針である「生物多様性に配慮」するということは窺えなかった。まさに、この点について、全く配慮されていないということであった。(明日に続く)

『先日掲載した「信じられないこと」について二、三言及する(その8)』は字数の関係で本日は休載とする。

この道は何を語っているのか(2)

2009-08-22 05:00:36 | Weblog
 (今日の写真も昨日掲載したものと同じ「林内に続く道」である。同じ場所から昨日のものは上部を、今日のものは下部を撮ったものだ。
 花は「ノブキ」ぐらいしか咲いていないが、「花」が少なくても、十分に自然の美しさを秘めている。山の季節からすると、この時季は「初秋」だ。まだまだ、夏緑を十分に残している。
 草々や林縁の低木の葉は、まだ「夏緑」であるが、その奥に立ち並んでいる「杉」木立の緑は、それよりも濃い緑である。一方を明るく淡い緑とすれば、もう一方は暗くて濃い緑とすることが出来よう。
 日射しは写真の右上空から射し込んでいる。杉の枝や葉、それに幹に遮られた部分だけが「踏み跡道」に影を映し、陰影によって断ち切るかのような模様を流している。
 さらに、周りの夏緑にも陰影を散らして、「明るく淡い緑」と「暗くて濃い緑」の他に、「日射しの遮られた暗い緑」という色彩が存在しているのである。
 「夏緑の世界」という限定的な表現では、とうてい描ききれない「美の世界」があるのである。
 だから、この時季の、この「道」は四季の中でももっとも美しい場所だろうと私は思うのだ。)

         ◇◇この道は何を語っているのか(2)◇◇

 百沢登山道の登り口は、正しくは「神社参道」の下端に位置する白い大きな「鳥居」である。百沢登山道は、元来「岩木山登拝道」だからである。
 だが、最近、岩木山に登山する者は、いや、「山頂に登りさえすればいい」とする「登山客」は、ほぼすべてが自動車道路「スカイライン」と「リフト」を乗り継いでという方法を採っている。
 「日本百名山」踏破ランキング競争にうつつを抜かしているマニアたちは、『東京方面から「貸し切りバス」で土曜日に出発をして、日曜日の朝に「岩木山」にスカイラインで登り、下山後は、そのまま「八甲田山」に向かい、ロープウェイを利用して「八甲田山」に登って、その日のうちに東京方面に帰る』というキチガイじみた「登山」をしている。
 『「日本百名山」ランキング競争マニア』たちからすると、一挙に「百名山中の2山」の頂上に立てるのだから、これほど「合理的」なことはないのだろう。
 だから、この人たちが「この道」を歩くことは絶対にない。この「すばらしい」古来からの登山道の「雰囲気」も「風情」も味わえないまま「岩木山ミニミニ登山」は終わるのである。
 「百沢登山道」を登る人も、この「大鳥居」から出発する者は少ない。ここから登る人は「路線バス」を利用して「岩木山神社前」で下車する者か、あるいは自家用車で来て、ここに自動車を置いて登る者に限られてしまう。
 「路線バス」は「岩木荘」まで行くものもあるので、「岩木荘」で下車すると、やはり、「この道」は通ることはない。
 自動車で来るものは、そのまま、殆どが「スキー場」へ続く道を登って、「スキー場駐車場」に直行する。この人たちの「登山口」は「百沢スキー場」の下端、「桜林」の上端ということになる。この人たちにとっても、この「写真」の道は「割愛」されてしまうのだ。
 まあ、いいか。大鳥居から登り始めて、荘厳さと自然がいっぱい残っている「境内林の道」を歩き、出たところが「荒涼とした無機物」を中心とした原野に近い「景観」、そこであまりの風情的な違いから、「文化際性」を感じて「落ち込むこと」よりも、精神的にはいいのだろう。そう考えることにしよう。
 岩木山には現在、5つの登山道がある。しかし、このような「踏み跡道」のような林内の道を持っているものは「百沢登山道」しかないのだ。
 ただし、1996年までは、杉木立ではなかったが「ミズナラ」林内に、これ以上にすばらしい「踏み跡道」的な「登山道」を持っていたルートがあったのだ。
 それは、「弥生登山道」である。その道は「大黒沢右岸」の尾根に取り付くまで続いていた。「ミズナラ」は太く、幹の直径は50cmを越えるものが沢山あった。夏緑の頃、私たちは、その青葉がキラキラとさざめく中を、涼風に誘われながら、ゆっくりと「森」を満喫しながら登ったものだ。
 ところが、1997年、突然、その森は「伐られ」てしまった。私たちが「気づいた」時には、すでに「伐られてしまった」後だった。
 営林署に問い合わせたところ…「そのミズナラ林が薪炭(しんたん)共用林(注1)であることによる既得権(入会(いりあい)権)(注2)の行使によって、管理しているの人たちの要望により、約五ヘクタールに渡って伐採した」ということであった。
 しかも、そこは水源涵養保安林でもあった。水源を維持し洪水を未然に防止するための林を営林署が主導で伐採してしまったのである。
 このことは東奥日報「明鏡」欄に「切られていたお山の保安林」と題して投稿もされた。その概略は…
「…一合目を過ぎて五分も歩くと、わが目を疑うような光景が飛び込んできました。そこに広がっているはずのミズナラの林が、登山道と沢沿いの広範囲にわたってポッカリとなくなっていたのです。ミズナラは切りそろえられて丸太となって…空き缶、軍手、ビニール袋などのごみが散乱し、この辺一帯が水源涵養保安林であることを示す看板が、ねじ曲がって上を向いて立っていました。…決して忘れることのできない、心に残る風景となりました。…もう少し登山道に配慮した伐採ができなかったのでしょうか。」…である。 

 「ミズナラ」というすばらしい緑の空間を失ったことは、登山する者には大きな衝撃であると同時に取り返しのつかないほどの喪失感でもあった。
 どうして伐採する前に入会権を持つ人とそれを許可する営林署に加えて、登山道を保守点検し整備する人たち、登山を楽しみそこを利用する人たちと話し合う機会を持たなかったのだろうか。
 もし持ったならば、登山道沿いの「ミズナラ」は伐られずに残ったかもしれない。どうしてそこまでの姿勢と思慮に欠けるのか。残念で悔しい思いに捕らわれた。
 一方では、化石燃料全盛の今時、どうして「薪炭」が必要なのだろうか、誰が使うのかという疑問がうず巻いていた。
 ところで、そこにはその後直ぐに「スギ」の苗が植えられ、今は「スギの植林地」になっている。そもそも薪炭共用林は伐期が短期間で更新するから薪炭材を採取出来るものであろう。そこに「スギを植える」ということは「薪炭林の拒否」である。入会権の放棄である。
 登山者が愛した森、そして、その中に続いていた「道」、それらに対する「登山者の思い」などは全く無視された。いや、営林行政の範疇には「登山者」とか「登山」という概念は存在しないのかも知れない。

注1:薪や木炭用の主として広葉樹林。伐期が短く萌芽によって更新される。
注2:住民が特定の権利を持って一定範囲の森林・原野に入り共同で木材・薪炭・草などの採取すること。
(なお、このことについての詳細は拙著「陸奥に屹立峰(みちのくにひとりたつみね)・岩木山」八.登山道の整備とは167ページ~を参照されたい)

『先日掲載した「信じられないこと」について二、三言及する(その8)』は字数の関係で本日は休載とする。

この道は何を語っているのか(その1)

2009-08-21 05:09:41 | Weblog
 (今日の写真は、岩木山にある「とある道」だ。いわゆる一本道だ。これは、約700m続く。人の歩く道幅だけに草が生えていないで、地肌が見えている。だが、よく見ると、その地肌の部分にも、両側にある草が少しずつ「浸食」してきていることが分かる。)

           ◇◇ この道は何を語っているのか (その1)◇◇ 

 この両側を占めている草は、大体2種類である。その1つはキク科ノブキ属の多年草「ノブキ(野蕗)」である。これは北海道から九州の全国に分布している「どこでも見られる」草だ。
 いわゆる、お日様のあまり当たらない湿った山道とか野道の脇や沢筋の岸辺などに生育している。夏から秋にかけて花茎を形成し、夏の終わり頃から花を咲かせる。次々と咲いては結実していくから「花と果実」が同時に観察出来るのであるが、「歩み」を留めて「」を観察しようとする人は先ずいない。それほど目立たない「花」なのである。
 だが、その場所にしゃがみ込んでゆっくりと観察すると、茎頂に白地に淡い臙脂色を塗したような5枚の花弁を持つ総状花序を見ることが出来る。これがまた、愛らしく美しいのだ。たまには、自分の目を「マクロレンズ」のようにして「見る」ことは必要なことだ。
 雌花は頭花の周辺部にあり、中心には雄花がある。周辺の雌花はやがて、棍棒状の果実ができ、中心部の雄花は落下してしまう。その跡が中心に白い点となって見えるがこれもまた愛らしく見えるのだ。だが、果実(種)は粘液を分泌していて、べたついている。これは濃い紫色をしている。動物などに引っ付いて運んでもらい、広い範囲に子孫を殖やそうとしているのだ。
 葉は薄くて大きく地面に広がる。花名の由来はこの葉の大きさと広がりが「蕗」に似ていることと「野道」でよく見られることに因るものだ。         

 もう1つはセリ科ミツバ属の多年草で、日本人ならば「誰でも知っているミツバ(三つ葉)だ。「ミツバ」といわれると、「食べる」野菜と思う人は多いだろう。その通りだ。「野」「菜」なのである。「野」の「菜(な)」のである。「山菜」といってもいい。だから、多くの人の「目」は、「ミツバ」の「食べられる部分の葉と茎」にだけいってしまうのだ。それほどに、私たちに「馴染み深いミツバ」であるにもかかわらず、その「花」に目を向け、愛でる人は少ない。
 「ノブキ」同様に「足を留めてしゃがんで」花の咲いている時季によく見てみよう。花期はすでに、終わったが「遅咲き」のものはまだあるかも知れない。
 茎頂に、散状の淡くて白い小さな「5弁の花」つけている。ただ、非常に「小さい」ので、見落としてしまうかも知れない。大きさは2mm程度の花だ。
 「ミツバ」はれっきとした山菜なのだ。スパーなどで売られている「栽培種」と違い、非常に「野趣溢れる香り」がする。何て言ったって、「ミツバ」は芹(セリ)と同じように「日本原産の野菜」なのである。

 さて、「この道」は私たちに、上記以外に何を教えてくれているのだろう。冒頭で「約700m続く。人の歩く道幅だけに草が生えていないで、地肌が見えている」と書いた。この、まさに「踏み跡」道だがわずかに「700m」しか続かないのだ。

 この道を撮影したのは8月18日である。この時季が一番「道幅」が狭い。因みにこの写真の道幅は40cmから50cmだ。草が繁茂している時ほど狭くなるのだ。この時季の「道」ほど「踏み跡」を辿る気分を昂揚させるものはないだろう。
 私は、このような道が続くのならば「死ぬまで」歩き続けてもかまないように思うのだ。もし、このような道が「遊歩道」として全国を連ねているとしたら、今直ぐにでも、出かけたい気分なのである。
 だが、雪が消え、「カタクリ」が花をつける頃は「道幅」全体が顔を出す。道幅は3m以上になる。それが、8月の下旬になるとこのように狭くなり、1本道を形作るのだ。

この道を過ぎると「アスファルト舗装道路」を横切る。そして、人工的に造られた「幅の広い階段状」の道が続く。この道幅は2mはある。
 「階段状」の道はやがて、再び「アスファルト舗装道路」を横切る。そして、「とある建造物」へと入って行き、そこを潜り抜けると視界は一変する。
 左右に開けているのは「百沢スキー場」のゲレンデである。道は続いているが「幅は広く」轍があり、砕石が敷かれ、雨水の流水による「洗掘」が見られる。もちろんその両側には「木立」もなければ、「ノブキ」も生えていないし、「ミツバ」もない。生えているものは「オオバコ」が一番多い。中には、「オカトラノオ」、「ハギ」、「ツルフジバカマ」それに「ススキ」なども見られるのだ。

 かつて、ここの光景を…

「同じ山麓にある同じ登山道沿いなのに、まるで異文化または文化際性(ぶんかさいせい)「注」を感じてしまうところがある。それは百沢登山道沿いである。
 百沢登山道の出発点である大鳥居から、岩木山神社とその境内を進む。さらに神社裏に広がる杉や松を主とした鬱蒼とした木立群の中を行く。
 神社と境内に重厚な歴史性と荘厳さや霊気を感じ、背後の木立群には神秘の影やご神体岩木山に対するこんな森が岩木山を支えているのだという敬虔の情を覚える。
 ところが、桜林を過ぎると風情は一変する。異文化の世界だ。木立はなく、砕石が敷かれ、木立の代わりにリフト用鉄塔の林立である。ここに立つと俄に岩木山から「ご神体」というイメージが消えてしまう。」
 …と書いたことがあったが、今でも、それは変わっていない。
 今や、岩木山にはこのような道はない。静かで、奥ゆかしく、自然と「歩く人」が造り上げてきた道、それはない。歩く人が多過ぎても、このような道は出来ない。横に数人が並んで歩いてもこの道は出来ない。一日に多くても数人、しかも「縦」一列で、あるいは1人で「歩くことに」によって「ノブキ」などの繁殖を抑えているから出来ているのだ。
 「道」を守るということは「少人数」で間断なく「そこを歩き続ける」ということでもある。

注:「文化際性」:文化の境目や程度の違いのこと。

『先日掲載した「信じられないこと」について二、三言及する(その8)』は字数の関係で本日は休載とする。

ススキ原は何を語るか / 先日掲載した「信じられないこと」について言及する(その7)

2009-08-20 05:31:16 | Weblog
(今日の写真は、ミズナラなどが皆伐されて造られた「岩木山百沢スキー場」で写したものだ。まさに、「草原の美女」のそろい踏みである。これらの花に加えて「尾花」が揺れる風情は、「高原」の趣であり、吹き上がる南風でさえ、微かに涼味が感じられたのだ。昨日の午前中に撮ったものだが、いよいよ秋の始まりだ。
 写真の説明をしよう。右下の濃いピンクのものがマメ科ソラマメ属の多年草である「ツルフジバカマ(蔓藤袴)」だ。「フジバカマ」という名を負うているが、秋の七草の1つである「キク科」の「フジバカマ」とは全く関係ない。日本全国の、山野の草原に生える多年草で、蔓を伸ばして他の草に絡みつきながら、背丈は2mほどまでになる。
 よく似たものに「クサフジ(草藤)」があるが、「クサフジ」は小葉が18から24枚で、花穂は細長く、花色は赤みが少ない。
 「ツルフジバカマ」は小葉が 10から16枚と少なく、花穂は太めで短く、花色は赤みが強い。見慣れないと見分けが難しいだろう。
花名の由来は、「葉のつけ根のとがった托葉を袴に見立てた」ことと「花の形を袴に見立てた」ことによる。

 右側の紅い花は、言わずと知れたマメ科ハギ属の落葉低木「ヤマハギ(山萩)」だ。日本のどこにでも見られ、秋に房状の花が咲く。花期は7月から10月だ。
 これは、古くから日本人に愛されてきた花である。
「宮城野の露吹きむすぶ風の音に小萩がもとを想ひこそやれ」(源氏物語・桐壺)
と詠われたり、「萩、いと色深う、枝たをやかに咲きたるが、朝露に濡れてなよなよとひごり伏したる。さ牡鹿のわきて立ちならすらむも、心異なり」(枕草子第六一段草の花は)と書かれてもきた花だ。また、「万葉集」で最もよく詠まれる花でもある。
 花名の由来は、「生芽」はえぎが語源で、「芽」とか「芽子」と書いて「ハギ」と読んだことによる。倭名抄には「鹿鳴草」(はぎ)とある。)

       ◇◇ ススキ原は何を語るか ◇◇

 やはり、初秋である。雪消え間もなく頃は「砂漠」の様相を見せるが「この時季」には、まず、「ススキ」に覆われている。丈の大きいものは遙かに2mを越す。スキー場ゲレンデの縁を登って、中部で左岸から右岸へと横切ったのだが、場所によっては「ススキの密林」が形成されていて「前方」が全く見えない状態だった。その中のところどころには、ワラビが生えていて、これも、大きいものでは2m近かった。中には「まだ食べられる」1mを越える立派なものもあった。
 ススキの繁茂は「百沢スキー場」が「元の森林帯」に戻ろうとしていることを教えてくれるのだ。ススキの少ない場所には、アカマツ、ヤマナラシ、ウダイカンバ、ハンノキ、マンサクなどの幼木が所々に見えている。
 植物を遷移という点で見ると、「ススキ原」は草原としてはほぼ「最後の段階」に当たる。このススキ原も後、何年かするとなくなって、林に変わるのだろう。
 「ススキ原」を放置すると、アカマツなどの「先駆者的な樹木」が侵入して、次第に森林を形成していく。だから、奈良の若草山のように、「ススキ原の状態を維持するため」には「野焼き(火入れ)」が必要なのだ。 
…ミズナラなどの樹林が切られて、放置されていると雑草が生えてきて、4~5年もすると「ススキ原」になる。百沢スキー場がまだ、「ススキ原」状態を保っていることは、毎年、ゲレンデ整備として「刈り取って」いるからである。
 「野焼き(火入れ)」や「刈り取り」をしないままだと、14~15年ぐらい経つと落葉広葉樹林や針葉樹林となる。「スキー場営業停止」の噂もあるが、それに伴い「整備」を止めると、後、10年もすると「林」になるだろう。これらの木は「陽樹」といって、成長のために日光を多く必要とするものだ。そのため、樹木が大きくなり、林に日光が多く入らなくなると地面に生えてきた次世代の芽は育たなくなる。
 そこに、雑草とともに「ミズナラ」などの幼木が育つのである。これらは「陰樹」と呼ばれ、「成長のため」に日光を多く必要としないのである。
 そして、数十年もすると「ミズナラ」に数種の樹木の混じる樹林帯となり、人の手が加わらない限りこの状態が続くのである。
   
 ◇◇先日掲載した「信じられないこと」について二、三言及する(その7)◇◇
(承前)

 この「トムラウシ山遭難」に関して、「北海道警」は「引率ガイドの判断が焦点」だとして、捜査を始めたようだ。
 「北海道警は業務上過失致死容疑で捜査を進めており、引率したガイド3人の判断や行動が適切だったかが焦点となっている。ツアーを企画した旅行会社「アミューズトラベル」(東京都千代田区)の見解とツアー客の証言の食い違いも浮上しており、道警は17日に同山で実況見分を行う」という記事があった。
 だが、私はこの「遭難事故」の「原因・理由」に「無防備」さを求めると、「引率ガイドの判断」だけが焦点であってはおかしいと考えるのだ。
 もちろん、「ツアーを企画して参加者を募集する」という社会的契約的な点に於いての責任は「ツアー会社やそこのガイド」に当然ある。それは認める。
 だが、「募集する」「応募する」という行為は「相対的」なものである以上、その行為の実働部分での「事故」の責任は双方にあると考えるのが自然だろう。
 「引率ガイド」にその責任を求めるのであれば、それと同等の質的、量的な責任を、死亡したものも含めて参加者にも求めるべきだろう。
 私は自分のことを「登山者」としている。これは「自分」を「登山客」としたくないからだ。(明日に続く)

孔雀蝶、学名は「芸者さん」 / 先日掲載した「信じられないこと」について言及する(その6)

2009-08-19 05:23:49 | Weblog
 (今日の写真は、鱗翅目タテハチョウ科の「クジャクチョウ(孔雀蝶)」だ。弥生登山道の8合目近くの岩の表面にへばりつくように停まって暖をとっていた。)

     ◇◇ クジャクチョウ、学名は何と、日本の「芸者さん」◇◇

 この蝶は「タテハチョウ」の仲間なので、通常は羽(翅)を立てて停まるのだが、幸いにもこれは「表」の羽(翅)をいっぱい、いっぱい広げてくれていた。羽(翅)の裏側は木肌模様で、真っ黒だから実に目立たないのだ。
 これは北海道と本州の中部地方以北に棲んでいる。「夏の高原を代表する美しいタテハチョウ」とされ、東北北部や北海道では平地でも見られる。
 岩木山では山麓のアザミ、ヒヨドリバナやオカトラノオなどにやって来ることが多い。また、この写真のもののように標高1400m付近にも出現する。
 大きさ、前翅の長さだが、24~35mmほどだ。幼虫の「食草」はイラクサ科の「ミヤマイラクサ(深山蕁麻…山菜のアイコ)」やアサ科カラハナソウ属の「カラハナソウ(唐花草)」などである。
 9月になると、個体数が増えて、やがてそのまま「成虫」で越冬をする。クジャクチョウ、それにルリタテハなどが「成虫で越冬する」ようになったのは、野鳥の繁殖が終わる頃に「幼虫」を出現させ、「幼虫」が野鳥に捕食されないようにするためだという。これも、長い時間をかけた学習の積み重ねによる「進化」の賜だろう。
 名前の由来は、翅の表側に、孔雀(クジャク)の羽にあるような色彩豊かな孔雀紋が見られることによる。日本産の亜種につけられている学名は「io geisha」イオ・ゲイシャ。「io」 はギリシャ神話に登場する美しい女神であり、「geisha」は「芸者」のことである。
蝶の美しさを強調したところの、学名が芸者というのも面白い。何と粋な名前であろうか。)

 ◇◇先日掲載した「信じられないこと」について二、三言及する(その6)◇◇
(承前)

 無防備という表現は相手の心情を考えて和らげた表現である。直裁的に言えば無知蒙昧ということだ。あまりにも知らなさすぎるということであり、それ故に「無防備」だったいうことであり、単なる「レデネス」の不足を指していることではない。
 「川」とは水の通り道だ。水は高いところから低いところに流れ、古来から「方円の器に従う」という諺で、自由自在に地形に従い、地形を越えて流れるものであることを教えてきた。
 「山」は高いところにあり、降った雨をそれぞれの沢に集めて、それが単独で、あるいは合流して下方に下る。大量の雨が降ると「大量の水」を集め「濁流」となって下っていく。
 川の下流部で、たとえ晴れていても「源流部」の山岳地帯に降雨があると、数時間の後には水かさが増す。降雨地域と「キャンプ」場所との距離の長短によって、「水流の強さと水かさの増加」には違いがある。「短ければ」それらは時間的に速くなり、「長ければ」時間的に遅くなる。
 山岳地帯の「沢畔でキャンプ」をしている場合は、極端な言い方をすると「降雨とほぼ同時に増水」する。
 そのような沢には必ず、流木が残っていたり、上流から流されて来たものが絡まっていたり、岩に「縞模様の水跡」がついていたりという「増水時」の痕跡があるものだ。 だから、それらを発見して、それよりも高い位置に「テントサイト」を設定するということが、「沢」でキャンプする者の「常識」なのである。
 この常識は「下流部」の「川畔」や「川原」でキャンプする者にとっても適用されるべきものだ。だが、「学ぼうとしない者」にはこのような常識がない。無知はどこまでいっても無知の連鎖で、この手の「遭難」は跡を絶たない。
 「川の中州」とは、「川の水が少ない時に現れる土地」である。通常的な「水量」の時は「水底」になっている場所なのだ。たまたま、その時は水が流れていない場所であったに過ぎないものなのだ。
 言い方を変えると、上流部の山岳地帯で降雨があると「いつでも川になる」場所なのである。つまり、普段は「川の流れの中」であるところにテントを張る訳だから、「ウエットスーツ」に身を包み、「酸素ボンベを背負って」幕営生活をしていなければいけないということなのだ。
 「自然を楽しむ」には、そこまで、防備を固めるという覚悟が必要だということだ。覚悟の出来ていない「無知」が、「激流に飲み込まれて死亡」という「自己が招いた事故」を毎年のように起こしているのである。

 夏における「遭難事故」は「川」だけではない。山岳地帯で、夏に怖いのは「雨と風」だ。「局所的な豪雨」と「強風」による「低体温症」での死亡事故が多い。「遭難」は何も「川」だけのものではない。「山岳地帯」における事故が毎夏、報じられている。

 北海道新得町の大雪山系、トムラウシ山(標高2141m)で登山ツアー客ら8人が遭難死した事故から1ヶ月が過ぎた。
 私はこの事故が『天気の移ろいなどに無防備だったりする』ことの延長線上で起きたものだと捉えている。(明日に続く)

二子沼ツアー、慎重に自粛を / 先日掲載した「信じられないこと」について言及する(その5)

2009-08-18 05:31:58 | Weblog
 (今日の写真は岩木山の北面中腹部にある「二子沼」と「クサレダマ(草蓮玉)」の花だ。
 今年は5月に2回、この二子沼に出かけたあとは、今日までまだ行っていない。この写真は数年前の夏に撮ったものだ。ちょうど今頃はこのような風情を見せてくれているだろう。
 以前はよく自転車で出かけたものだ。もちろん、「西岩木山林道」の終点までだ。弘前からだと30km以上の距離となるだろう。アスファルト舗装道路で平坦な道であれば30kmという距離は「自転車」では問題にならない距離だ。しかし、弘前から長平までの舗装道路はずっと「登り」である。特に、大石神社入り口辺りから長平まではかなり長い「登り」となる。「自動車で走行」する者にとっては気がつかないだろう。 長平から西岩木山林道終点までだが、鰺ヶ沢スキー場駐車場までは立派な舗装道路である。これは「赤字団体」に陥る直前の鰺ヶ沢町が、前の運営会社「コクド」のために「町費」で賄ったものだ。だが、「コクド」は経営がままならないと知るや「鰺ヶ沢町の恩を仇に」すたこらさっさと撤退してしまったのだ。
 もちろん、「自動車」のための道だから勾配はきつい。その駐車場から登山道分岐点である「石神さま」入り口までは、未舗装の「砕石道」であり、登りはますますきつくなる。砕石にハンドルを取られながら、ペダルを踏み続けることは実に辛い「苦行」だ。
 そこから、「西岩木山林道」の終点までは、あまりアップダウンのない「横歩き」の林道なので、大したことはないが、それでも舗装道路に比べると難儀な道である。)

       ◇◇ バスを使った「二子沼」ツアー、慎重に自粛を ◇◇

 さて、この「二子沼」に「ナクア白神スキーリゾート」が経営するホテルで、「ホテル専用バス」を使い「お客」を運んでいるのだ。
 もちろん、誰が行ってもいい「二子沼」である。だが、集団で「二子沼」周辺に入る場合は「森林管理署」の許可を得なければいけないし、「自然に対する保護に関わる遵守事項の徹底」などを図らなければいけないことは当然である。
 「二子沼」は岩木山に残された数少ない「手つかずの自然」を残している場所だ。だが、この「ホテルが案内する二子沼ツアー」は、「二子沼」の「沼畔」沿いを徒歩で一周するということをしているのである。これだと、はいつの間にか「消失」してしまう恐れがあるだろう。是非、こちら岸から対岸を眺める程度のものにして欲しいものだ。

 ◇◇先日掲載した「信じられないこと」について二、三言及する(その5)◇◇
(承前)

 『山や海の事故が報道されただけで親が過剰に警戒して、キャンプ参加をやめてしまう』ということだと「死のない世界」に安住していることに等しい。
「死のない世界」とは危険のない世界だ。どんなことに遭遇しても死なないのだから、安全と安全の極致だろう。
 だが、「死なない」とは生き続けることであるから、「人」という生き物でこの世は溢れかえってしまう。後期高齢者が増え続けて、「認知症」罹患者の増大、「老健施設」がいくら増えても追いつけないという事情になるだろう。だが、こんなものではないだろう。何にしろ、「誰も死なない」のだから、「赤ん坊が誕生する」数だけ、「人口数」は増えていく。
 だが、「人も生物」だから、「細胞は年とともに老化」していく。「死なない」が「寝たきり状態」のものが増え続けることになる。極端な話しだが、「老化した人」があちこちに、まるで「丸太」が積み上げられたように階層をなして置かれている。果ては「老体」の野積みが始まるだろう。
 「少子化担当大臣」は即刻「馘首」か、あるいは「生めよ増やせよ」という政策を「生むな」に変えるだろう。揚げ句の果ては「結婚禁止令」を出して「結婚したい人の検挙や逮捕」などもするかも知れない。
 これで、今は流行の「婚活企業」も「ブライダル産業」も倒産だ。人の「性」行為も「新しい生命の誕生と子孫をつないでいく」という本源的な営為に意味がなくなり、ただただ、「快楽」という意味だけのものになるだろう。この意味からすると現在の「性(セックス)産業」には先見性があったのかも知れない。この手の産業は「死のない世界」の先取りをしているのだ。

 …だが、そうなることはあり得ない。それは『山や海の事故が報道されただけで親が過剰に警戒して、キャンプ参加をやめてしまう』者が実際はそれほど多くはないということに因る。
 むしろ、『天気の移ろいなどに無防備だったりする』人の方が遙かに多いのである。このような人たちの「遭難事故」は毎年「春夏秋冬」、飽きもせずに「起きて」いる。
 春とはいえ、まだ「西高東低」という気圧配置は続いている。強風と寒気、降雪はいつでもあるのだ。それに、猛烈な「二つ玉低気圧」が大暴れすることもある。それに、「全層雪崩」だ。春の山は「ポカポカ陽気」と裏腹に「死に誘う」顔を持っている。
 夏、怖いのは「雨と風」だ。特に、昨今の夏は「局所的な豪雨」と強風「竜巻」を伴うことが多い。その中での「遭難」は何も「山岳地帯」だけの「専売」ではない。「川」における事故が毎夏、報じられる。
 「川畔でキャンプ、増水で流され死亡・行方不明」とか「川の中州にテント、激流に飲み込まれて死者5名」という報道が新聞やテレビのテロップに踊る。
 亡くなった方々には「気の毒な思い」は持つが、まさに、これは『天気の移ろいなどに無防備』だったことによって生じた事故である。
 「無防備」ということには、2つの側面がある。1つは「山と川」、それに、「雨と川」との基本的な関わり合いを知らないということであり、2つは「増水時」の対処が出来ないということである。これには「キャンプサイト」設定の条件について知らないということも入る。(明日に続く)

トンボたちの教えてくれること / 先日掲載した「信じられないこと」について言及する(その4)

2009-08-17 05:37:55 | Weblog
 (何日か前にも紹介したが今日の写真も「アキアカネ」と「オニヤンマ」だ。これは「ミヤマハンノキ」の枝に停まっているものだ。
 100mmのマクロレンズで写している。ということはかなり、近づいて撮っていることになるのだが、飛び立つ気配は全くない。)

          ◇◇ トンボたちの教えてくれること ◇◇

 さっきまで晴れていた沢筋は、雲に覆われて「日射し」は消えていた。もちろん、頂上も雲に覆われた。
 雲に覆われると標高1500mを越える高みでは、急激に気温が下がる。吹き渡る風は、人間にとっては「涼風」で心地よいものだが、「変温動物」である昆虫たちにとっては、もろに体温を下げる「クーラー」でしかない。
 だから、「さっきまで群舞していたトンボどこに行ってしまったのか」と思わせるように、いつの間にか「山頂の空」から消えてしまうのだ。
 飛翔の名人である彼らは、どこに行ったのだろう。それは、今日の写真のように、山頂周囲の低木の茂みの「枝」や「梢」、それに、「枝の先端」などである。
 こうして彼らはまた太陽の「日射し」という恵みとエネルギーの源をじっと待つのである。
 自然の中では、すべてが「自然に沿って」生きている。「自然に沿うこと」を忘れて、偏在的で一方的な「ルール」、この上なく独り合点の「ルール」だが、それに偏重して生きているものが「人」という生き物であることを、このトンボたちは教えてくれる。
 だが、山頂にやって来る多くの登山客は、「自然に対応した登り方」をしないで「山頂」に来たものたちだ。森林を伐採して、表土を剥ぎ取って敷設した「スカイライン自動車道路」を使い、「ガソリンエンジン」からの「排気ガス」をまき散らし、その上「デーゼルエンジン」を動力としている「リフト」に乗って、ここでも「排気ガス」をまき散らして、「温暖化を進めるCO2の排出」に協力しているものたちだ。
 山に登るのに「山頂までの30分間という距離」しか「自分の足」を使わないので、「見える範囲は切り取られた」狭いものでしかない。「トータル」的に岩木山という自然を捉えることが出来ないのだ。
 だから、この「トンボ」たちに殆ど気がつかない。晴れていると、視界が広がるので「目線」の延長線に見える遠くの景色にだけ、気をとられて「真上」を仰ぐことがないからだ。
 もちろん、「アキアカネ」や「オニヤンマ」の教えてくれることには、さらさら、気がつかない。
 トンボたちは「あきらめて、あきれ果てている」だろう。間もなく、彼らは山頂を後にして、麓や里に向かう。)


 ◇◇先日掲載した「信じられないこと」について二、三言及する(その4)◇◇
(承前)

 『山や海の事故が報道されただけで親が過剰に警戒してキャンプ参加をやめてしまう家庭』があることにも、驚く。驚きを越して「呆れて」しまう。
 「マスコミ」がまず最初に報道することは「何が起きたか」という客観的で事実的な結果である。「マスコミ」の使命はそれだけではないのだが、最近は「単に結果」だけを伝えるものと「客観的な事実」に情念的な思い入れを付加して「報道」するものとに「二極化」しているように思える。どちらも、自分たちの「使命」というものを重視していない。特に、後者は「テレビ」や「週刊誌」に多く見られる傾向だ。
 先ずは「事実」の報道だ。次はその「事実的な結果」に至った経過、経緯という「プロセス」の報道である。これも、冷静な事実認識に基づいてなされるべきである。
 ところが、これが軽視されている傾向にあるように思える。だから、当該マスコミの冷静な判断なり意見が出てこない。その欠落した部分を「埋め合わせている」のが「テレビ」世界では「コメンテーター」と呼ばれる人たちであり、「新聞記事の切り抜き」だ。今や、「テレビ」のニュース番組はこの二者がないと成立しない観がある。
 このような「情況」から生み出されるものは、「個人の感想」を交えた「意見」や「思いつき」を含んだところの「事実認識的な結果や結論」紛いの押しつけやお仕着せでしかない。私は常々、「コメンテーターとは渦中の人ではない」と思っている。
 その事実結果の原因や理由をキャスターから問われて「もっもらしく答えている」が、その後、真の理由や原因が明らかになった時のものと比較すると「的外れ」のことが実に多い。ましてや、「これからどうなりますか」という問いに対するその後の「見通し」などは当たることが滅多にない。
 それでも、飽きもせず「テレビ」はその「コメンテーター」に頼るし、「コメンテーター」も面の皮を厚くして「世人の前に顔」を曝して平気なのだ。私だったら、「当たらない、外れた」ことを言うと、恥ずかしくて二度と人前には顔を曝せない。
 「何がどうして、どうなった。そして、これからどうなるのか」という論路を踏まえた「プロセス」がマスコミをはじめ、世の中になくなっているのだ。だから、政治も劇場型になっているのである。
 何ということはない。世の中すべてにわたって、「短絡的な思考回路と思考の停止」が見られるのである。
 『山や海の事故が報道されただけで親が過剰に警戒して、キャンプ参加をやめてしまう』ことは「短絡的な思考回路と思考の停止」に他ならないのだ。「親」だけが責められるのはお門違いというものだろう。(明日に続く)