岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

安倍さん、どこまでやるの…

2007-06-30 07:37:38 | Weblog
 今朝、真っ先に「国会では社会保険庁改革関連・年金時効停止特別措置法が30日午前1時前、参院本会議で自民、公明両党などの賛成多数で可決、成立した。また、与党は引き続き公務員制度改革関連法についても委員会採決を省略し、30日午前3時前に本会議で、与党の賛成多数で可決、成立させた。」というニュースが飛び込んできた。
 民主党の菅直人は不信任決議案の趣旨説明で「首相は消えた年金問題の重大性を認識せず、その場しのぎに終始している」と年金問題で政府・与党の対応を批判したそうだが、最近の内閣支持率から考えると、きっと多くの国民の目にもそのように映っていることだろう。
 私には、一連のこの「可決」が与党という「数」を頼みとした行動に見えてしようがない。こういうことだ。
 少数意見を実質的に封じ込め、非民主的で恣意的な仕方で、「初めからあった結論」に向かい、なり振りかまわず、軽量浮薄な単に形式的な「質疑の形」を国民の前で演じて、押し切ってしまうというやり方「国会運営」であるということだ。
 多くの国民は、この与党の行為・行動を「暴挙」と感じている。私の目にもそう映る。暴挙とは「乱暴な行い・不法な行い」のことである。
 このような「暴挙」の前では野党の提出する「内閣不信任案」も砂漠にジョーロで水を撒くようなもので、一瞬にして吸い込まれ乾ききる。むなしい行為でしかない。
 与党の「数」だけを頼りに、「数の論理」の「多数」で「決する」ということは、民主主義の形式であって、「意義」や「本質」ではない。
 これは民主主義の「価値」である「 自由・平等・博愛・平和・正義・人権の尊重」と「機構・システム」である「主権国民・国民の重視・国民が行う政治・選挙」と「方法」である「 言論の自由・議論・審議・討論」とは真っ向から対立することである。

 今世紀の我が国の歴史を見てみよう。1920年代、大正デモクラシーは短期間で終わりファシズム勢力が軍部と合流して拡大した。
 その頃、それらの勢力の下で、「大政翼賛会」という組織が作られた。大政翼賛会はには「衆議統裁」があり、議論はあくまでも形式のみ、決定権のあるのは総裁一人という仕組みだ。これが軍部独裁という政治に向かい戦争という暗い時代に突き進んでいった。
 私には最近の、特に「支持率」低下が著しい安部さんの行動はまさにこの衆議統裁に類するものだと思えてしようがないのだ。
 今回の社会保険庁改革関連・年金時効停止特別措置法、公務員制度改革関連法(これは「委員会採決を省略」している)の採決も少数否決(与党の多数可決)という結果である。傍目には多数決による決定と映り、民主主義のルールに則ったことであるかに見える。
 しかし、「多数決」とは一方で民主主義の手続きや制度を尊重することである。今の、「安部さん与党」には、悲しいかな「これ」がない。
 多数決に偏ると「審議や議論などの方法」と「自由や平等という価値」を軽視することになるものなのだ。つまり、「安部さん与党」は本質的には「民主主義」を軽視して、国民不在の「自己目的化」だけのために「国会運営」をしていると言える。政府「与党」の「自己目的化」のために、付き合わせられる国民にとってはたまったものではない。
 本来、「多数決」という決め方は「方法と価値」を合わせ持った時、はじめて本当の民主主義となる。最近の「安部さん」の国会運営は、その意味からも全く非民主主義であると言えるだろう。公務員制度改革関連法についても「委員会採決を省略」するという方法まで採っているのだからあきれてしまう。まさに国会の空洞化だ。
 「自己目的化」に強引に走る時、そこには何があるか。そこには「自己」と「組織」の「存亡の危機」がある。「安部さん与党」はよくそれを知っているのだろう。
フィリピンのマルコス、インドネシヤのスハルト、ルーマニアのチャウシェスク、それにアフリカ諸国のある大統領などを見てみよう。彼らは「自己目的化」を強権で進め、そして、そのために破滅した。
 彼らは、どのような名目を付けようとも、その事実「私利私欲のために、一血族のためにのみ国の長」であり続けたのである。その国々の人民は、今でも全ての種類の貧しさに喘(あえ)いでいる。
 現在ほど社会の普遍性や不変性が侵され、常住なる確固たるものが崩されている時代はない。このような時代だからこそ、国民は自治能力を高める必要がある。
 矛盾を質(ただ)し自己変革を図り、権限と権利意識の不均衡に厳しく対処していかねばならないのである。
 そうなれば、、民主主義の「機構・システムである国政選挙」で「私利私欲を抑制できない人」「正義と倫理的な目を持っていない人」「自然との共存・共生をはかることが出来ない人」「目先のことにだけ汲汲として、後生のことに考えが及ばず、未来への投資を拒絶する人」などを、首相を初めとする「国会議員」として、選ぶわけにはいかなくなるだろう。

誘われて出かける山

2007-06-29 07:07:26 | Weblog
 私の登山へのスタンスは、原則的には「単独行(山行)」である。単独行というと加藤文太郎の名が挙がる。これは登山者の通念であろう。だからといって私は決して「加藤文太郎」と同じであろうとは思わないし、また同じになれるわけは絶対にない。
「加藤文太郎」のようになりたいと言ったら蔑笑を食らうのが落ちだろう。彼の爪の垢(あか)を煎じて飲むことはしないし、飲んだところで、傑出した「単独行の加藤文太郎の器」ではないことを重々承知している。
 しかし、私は「加藤文太郎」を畏敬している。到底同じようなことは出来ない孤高の人である故に憧れているのかも知れない。
 私にとって彼は遠くから眺めながら、その距離は一向に縮まらない関係にある信仰の対象的な存在とでもいえるものだ。
 私の生まれる五年前の一月三日、加藤は吉田富久と「二人」で肩ノ小屋から槍ヶ岳・北鎌尾根に向かった。その直後から山頂付近は猛吹雪が続き二人は消息を絶った。常に「単独行」であった加藤が同行登山をしたのである。そして、「遭難」したのである。なんという皮肉であろう。
 墓銘には一月六日が命日とある。新聞は加藤の遭難に対して「国宝的山の猛者(もさ)」と見出しをつけたと言われている。いい見出しだ。私はただの「山の猛者」ですらない。
 私はこの皮肉に人の生きざまの深淵を見ている。「だれの援助も受けぬ」としたそれまでの加藤の山行は、この皮肉を第三者に知らしむためのプロローグだったのではないか。
 所詮、人間には「孤独」からの解放はないものだ。ところが、人間の心的な、または社会的な皮肉や孤独に気づく人は少ないし、気づこうともしない。人生は表層からは見えないものだ。
 まして、この皮肉と孤独を人生の真実と受けとめて、自己の人生活力として鼓舞(こぶ)し生かしている人はもっと少ない。多くの人は皮肉や孤独から逃れ、こだわりを捨てて、安寧(あんねい)に流れているように思えてならない。

 この「単独山行」を基準に考えると、最近は「誰かから誘われて、山に出かけること」が、これまでに比べると、「多くなったかな」と思われる。多いといっても、それは年間に「数回程度」というその回数であって、誘ってくれて一緒に行く人は数人に絞られる…。

その1人にKさんがいる。Kさんとは春のイワウチワ探勝に始まり、一ツ森(既定のルートではない営林署関係者が利用しているルート)から向白神岳、追良瀬川、天狗岳、赤石川、西股沢、横倉沢右岸尾根、大川など白神山地によく行く。
 これら一連の白神通いで、親子連れと思われる三羽のイヌワシが谷すじを飛翔しているのに出会った。
 また、希少種ヤシャビシャクに遭遇したことなども印象深い。ヤシャビシャクはブナの木の股に生えているもので、図鑑には「希少種で出会えると幸運」だとある。

 昨年の初冬にもSさんに誘われて、岩木山の白沢を詰めて追子森と西法寺森鞍部の直下まで行ってきた。その直下では二メートルを越す根曲がり竹の、しかも三十五度以上の斜度での藪こぎが待っていた。湿った雪をべったりと葉に付けた藪を漕ぐのは水中を泳いで進むのに似ていた。
 雨具上下は着けているものの冷たい。標高は千二百メートルを越えている。寒い。ぬれた手袋で指先は凍えるようにキリキリと痛んだ。途中、葉をすっかり落としたブナ林を抜けた。
 鈍い褐色の落ち葉が微妙な凹凸をなして敷き詰められている。沢とは思えないような小さな亀裂の所々から水が湧き出していて、それが多数集まって大白沢に流れ込んで本流をなしているのだ。微妙な凹凸は場所によって広い石庭的石組の様相を呈する。Sさんは、そこを「神々の庭」と表現して見せた。そうかも知れない。「神々の庭」は岩が累々としていて、いたるところから水が湧き出している。
追子森の北面直下は大きな馬蹄形の爆裂火口だ。表面からはよく見えないが水脈があるらしく湧水が、北側の緩やかな斜面に小さな池塘を造っている。
 ブナは見られずサワグルミの大木が林立している。その下部に白沢が穿たれて、両岸尾根には噴き上げられた岩石が累々(るいるい)と積み重ねられ、長い年月をかけてその上に表土が積もり、それにブナ林が形成されていったと考えられる。岩木山の北面尾根のブナ林帯にはこのような特徴が共通している。
 つまり、表土を剥ぐと下は透(す)け透(す)けで土石流を簡単に引き起こすということなのだ。本会が鰺ヶ沢住民と協力して「鰺ヶ沢スキー場ゲレンデ拡張に伴うブナ林伐採に反対」した根拠もここにあった。
 上部の湧水はこの透け透け通路を辿って林内の至る所から湧き出しているのである。表土では覆いきれない突き出した黒い岩頭で構成された自然の石庭を「神々の庭」と呼ぶよりは、水を「神の恵み」と考えると「湧き出す水」を含めてそう呼ぶべきだろうと私には感じられた。

「岩木山ものしりマップ」の「コマクサ」写真掲載に思う…(その2)

2007-06-28 06:27:53 | Weblog
 ☆★「岩木山ものしりマップ」の「コマクサ」写真掲載に思う…(その2)★☆
(承前)
 かなり昔のことである…。弘前在住の者が「この場所」一帯に「コマクサ」を植え付けたり、種を蒔いたりしたことがあった。
 そして、一時的ながら「この場所」にコマクサが根づいて、花を咲かせたことがある。しかし、人為・人工的なこの行為は植生的には、無理なことでいつの間にか「コマクサ」は、自然に淘汰されて消えてしまった。
 「自然保護の立場」とは「あるがままの自然を存続・継続させること」であるだろう。だから、「本来その場所に生育してないもの」、つまり「異物」を持ち込むことは決して許されないことなのである。この立場から「コマクサを植栽し、種を蒔いた」行為は厳しく批判されたものである。
 しかし、美しく、可愛らしく「珍しい」花が、「おらほの岩木山」にあってもいいではないかと言う人もいた。八甲田山や白神山地にない「コマクサ」が岩木山で咲くとなると、しかも比較的安全に、誰もが「行ける」場所に「生育」しているとなれば「観光客集め」の手段として大いに有効と考える人もいた。この「コマクサの咲く岩木山」を大いに宣伝するべきだとする人たちもいたのである。
 だが、「コマクサ」自体も自然に「消滅してしまった」かのように「見えなくなってしまった」ので「岩木山のコマクサ」問題はいつの間にか話題に上らなくなった。

 ところが、2005年に再び登場したのである。いや、本当はすでに何年も前から「咲き出して」いたのであろう。本会がこの事実を「確認」したのが、たまたま2005年であったというだけのことかも知れない。
近年、八甲田山でも「本来生育していないはずのコマクサ」が発見された。環境省や県自然保護課は「誰かが意識的に植栽したもの」として、調査を継続している。
 「調査継続」とは「植栽行為」を許容しているのではない。それが「人工的に植栽されたものである」という事実を検証するためのものである。調査の結果ではすべて「引き抜いて処分する」ことになるのだろう。岩木山の「コマクサ」も、「コマクサ」自身に「罪」はないが、同じ「処分」を受けるはずである。
 何故ならば、本来の八甲田山という自然に、そこになかった「異物」コマクサを持ち込んだこと自体が自然破壊だからである。岩木山の「コマクサ」も「異物」である。その場所の自然を壊してしまい、本来そこに生えている植物が枯渇してしまう恐れもあるのだ。

 その「場所」には行こうという意志のある者ならば、歩きやすいルートなので、誰でも行けるのである。誰でも行ける場所に「コマクサ」が咲いていれば、きっと多くの人がやって来るに違いない。「岩木山には普通咲かないコマクサ」を楽に見ることが可能となれば、もっともっと多数のお客がやって来そうである。多くの「お客」がやって来ることが、すべての「観光産業」を支えるというのが原則だ。だから、「コマクサ」はこの意味で「岩木山観光」の「目玉」となりうるであろう。
 しかし、この手段は、正攻法ではない。まるで「不二家」や「ミートホープ」の手法とそっくりではないか。「フィクション」を「ノンフィクション」として見せようとするものだろう。「コマクサ」を「見せ物」にすることはやめよう。このコマクサは本来この岩木山にはないものである。つまり、ウソごとであり、ニセモノなのである。「ニセモノ」を「ホンモノ」と偽る行為は犯罪である。
 「岩木山ものしりマップ」に「コマクサ」の写真を掲載したことも「ニセモノ」を「ホンモノ」として紹介した「偽り行為」であることに変わりはない。この小冊子「岩木山ものしりマップ」は岩木山に登らない一般の観光客にも配れている。より多くの人々が、この「偽情報」を掴ませられて、それを信じたのである。これは罪深いことだ。
 しかし、編集した人たちには、おそらく他意はなかっただろう。ただ、この「コマクサ」が人工的に「植栽」されたという事実を知らないままに、美しく、可愛い花「コマクサ」が岩木山にもあるのだということを、多くの人たちに知ってもらいたかったのだ。私はそう信じている。だからこそ、次の大改訂では「コマクサ」の写真は謝罪と反省を込めて、削除する。

 その後、一体、この「コマクサ」を誰かが植えたのだろうか。誰が種を蒔いたのだろうか。それとも数年前のものが、また芽を出して花をつけたのだろうか。植えた人、種を蒔いた人、あなたがたは間違っている。「岩木山ものしりマップ」に写真を掲載した行為は仮に許されるとしても、あなた方は決して許されない。
 もし、この人たちと関わっている人たちがいるのならば、本来の岩木山の「植生」を守り、岩木山の自然を保護するために早急に「抜き取り」をしてもらいたいものだ。ただ、この「場所」は特別保護地区に指定されているので、勝手に「抜き取る」ことは出来ない。「法律」は厄介である。
 本来生育していないものを持ち込んで「植える」「種を蒔く」行為は盗掘と同じように絶対してはならないことである。これらの行為は「盗掘」と同じように、法的にも厳しく処分される。
 「鳥が種を運んで来たのではないか」という人もいるだろう。しかし、この仮説には、「鳥が運んで来るものならば、すでに数百年数千年前からこの場所にコマクサは生えているのである。」と反論しておく。
 本会と県自然保護課は2005年から、この「コマクサ」の「小群落の下部には実生と思われる小さい株が十本ばかり出ていること、また南に向かって別な株分けも出ている」という事実に着目して、「数年にわたって観察を続けた上で、抜き取りを含めて、どうするかを各分野の専門的な立場の意見を加味しながら決定する」という方向で取り組んでいる。(この稿はこれで終了) 

「岩木山ものしりマップ」の「コマクサ」写真掲載に思う…

2007-06-27 05:56:27 | Weblog
 本会が「岩木山環境保全協議会」の一員になってから数年になる。この協議会を構成する組織は「弘前市(旧岩木町)」「県自然保護課」「津軽森林管理署」「岩木山神社」「岩木スカイライン株式会社」「日赤岩木山パトロール隊」それに本会である。
 この一員として加入が認められた契機は、百沢登山道と岳登山道の整備に関して、「岩木山の自然を傷つけない整備」を中心とした「意見および方途」を提案し、協力したことであった。
 それ以来、岩木山の「環境保全」と「登山者や登山客の安全」に関わることについては、特に旧岩木町、パトロール隊などと協力をしながら進めてきている。
 ところで、表題の「岩木山ものしりマップ」というものが旧岩木町の観光商工課から、登山客や観光客向けに「発行」されていたことについては、まったく知らなかったのである。ひょっとすると、知らなかったのは私だけかもしれない。
 
 総じて、その掲載内容はすばらしいものであり、しかも、多岐にわたっている。
「はじめに」という項目には「岩木山の自然をより多くの人たちに親しんでもらい、貴重な自然をみんなが気持ちよく、楽しい自然観察、登山が出来るように役立ててもらいたい」という発行の主旨が述べられている。
 この主旨に則って、次の項目が写真やイラスト、図表入りで掲載されている。

1.山でのルールとマナー 2.岩木山のあらまし 3.岩木山の歴史 4.森林のはたらき 5.ブナの木の模様 6.岩木山植物垂直分布図 7.高山植物カレンダー 8.岩木山の高山植物分布図 9.岩木山に生息する獣類 10.岩木山の野鳥分布図 11.山頂からの360度眺望図 12.岩木山登山(道)マップ 13.岳登山道紹介 14.百沢登山道紹介 15.岩木山スキーコース案内図 16.巨木の森案内 17.編集後記 
 なお、編集後記には「岩木スカイラインの開通により大変手軽な山になり、入山者も驚異的に多く、山全体の荒廃が進んで来ました。それは高山植物の乱獲、ゴミの投げ捨てによるものです。一部の不届きもの者のために、自然が壊されるのは本当に心痛むことです。」とある。
 これは、あくまでも岩木山の自然を守りながら「観光」を考えていくという決意に他ならないと思う。
 また、表紙にはミチノクコザクラの写真、裏表紙には「高山植物は採らないで写真で撮りましょう。」というアピールと問い合わせ・連絡先として「岩木町観光商工課」「岩木山パトロール隊事務局」が掲載されている。
 もう一度言うが、全体的な視点で編集されており、内容的にもすばらしいものであり、かつ、基本的には「岩木山という山岳自然の保護」というスタンスに立っていることは明らかである。
 
 だが、詳細にその掲載事項と内容を点検すると、地図や植生、地形や環境などにおいて、間違いも多いのである。
 今、ここでそれらについては触れない。なぜならば、「岩木山環境保全協議会」では、この「岩木山ものしりマップ」を大改訂し、今年の11月末を目処に本会がその中心となり、編集作業にあたり、発行することになったからである。
 ただ、この「岩木山ものしりマップ」に掲載されている「コマクサ」の写真とコマクサについては「触れざる」を得ない。
 これは「編集後記」の前ページに挿入されている「岩木山を背景としたリンゴの花」の写真に重ねて貼り付けられているものだ。「イワカガミ」「イワウメ」「ミヤマキンバイ」、それに問題の「コマクサ」という4枚の高山植物である。

 2005年、第12回写真展「私の岩木山」にコマクサの写真が出展された。
撮影年月は今年05年7月であり、コメントには「岩木山南西斜面に不法に咲いていました。」とあった。
岩木山には「本来生育していない侵入植物」を調査している本会としては正直驚くべきことだった。
 最近、登山客が無意識のうちに運び込む(登山客の靴や衣服に種がついて運び込まれる)岩木山には元来生育していない植物は年を追うごとに増えている。
 山頂部にはオオバコ、オランダミミナグサ、セイヨウタンポポ、ブタナ、アラゲハンゴンソウなど多数見られる。そして、これらは昔からそこに生育している植物を駆逐しているのである。
 そこで、コメントにある「不法に咲いていました。」について、その真意を尋ねたところ、「不法という意味」は「これは本来の岩木山にはない花である。誰が植えたのか…。花はとてもきれいなだけにとても複雑な気持ちである。」との回答が寄せられたのである。
 回答にもあるように「駒草・コマクサ」は岩木山には本来生育していない植物である。これが撮影された場所は礫地(小さな石ころのようなものが敷き詰められている場所)で、他の山で見られるコマクサもこのような場所に生えている。しかし、いくら地質的にも地形的に似ていても「コマクサ」は本来、岩木山には生育していない花なのである。(この稿明日に続く。)

鬱蒼としたブナ林内に鎮座する(?)「巨石にやどる神々たち」と思いきや(その2)

2007-06-26 07:39:46 | Weblog
★鬱蒼としたブナ林内に鎮座する(?)「巨石にやどる神々たち」と思いきや★(その2) 
(承前)

 標高があるからだろう。里ではすでに咲き終えているミズキの花が満開である。その近くでは隠れるようにマタタビの花も見られる。
 「石神様」に着いた。何と広場にはジープタイプの4WD「ワゴン車」が1台停まっていた。
 5分ほど休憩をして、鍋森山上部にある「ご神体」の巨岩まで登る。斜度は40度くらいできつい。一歩一歩慎重に登る。間もなく、注連縄(しめなわ)が張られ、神霊が宿っているとされ、不動にして常住座臥たる磐座(いわくら)・磐代(いわしろ)が見えてきた。歓声があがった。注連縄(しめなわ)の前を通り、もう一段高い場所に移動した時に、もう一度、別なトーンの歓声があがった。
 その朝、配布したパンフレットに掲載してあったコケイランを発見したのである。あるある、4本も今を盛りと咲いている。夏緑に覆われたブナ林内の花である。別名を「ササエビネ」ともいう。
 注連縄(しめなわ)の張られた岩の上部にも横長に張り出す形で大きな岩が整然と並んでいた。しかし、夏緑に覆われたブナ林内であるにもかかわらず、「鬱蒼とした森とは思えない」ほど、上部が「妙に」明るいのであった。
 急な山道は「登り」の方が楽であり、危険も少ない。どうして急な山道が「楽」なのかと思うだろう。それは、「手を使える」からである。さらに、視点が手元という安心感があるからだ。「下り」はそれと逆になる。手を使おうをすると「腰を降ろすことになり、尻をつく」ことになり、滑る。視点が足下からさらに下方の深いところに向かうので、「高み」から恐怖感が生じて立ちすくんでしまう。その時両足が平行に並び、転倒する。そうしたらもはや「停止」は不可能となり、骨折・捻挫、打ち所が悪ければ「死」に至る。決して「石に宿っている神」も助けてはくれない。
 ゆっくりと足場を確認し、靴底全体を地表に付けるようにして、全員が無事に降りた。
 そこから、約200m上部にある「石神様の奥院」に向かう。この名称が正しいかどうかは不詳だ。なぜならば、そこを林野庁から借地している管理者名が「石神様」の管理者と同名であり、しかもより上部の奥深いところに開基されているので、私が「勝手」にそう呼称しているに過ぎないからだ。
 その途中に落石の激しい場所がある。通るたびに「路面に散らばる」石の配置が違う。暇なく「落石」が続いている証拠だ。まず、私がそこを通過して、安全な場所で危険地帯を監視しながら、一人一人間隔をおいて通過する。
 ほっとしたところで、小さな小さな白い花が迎えてくれた。「タニギキョウ」である。これまで見た花の殆どが受講者にとっては初めてのものだった。
 まっすぐ進むと「登山道」である。私たちは左にそれて進んでいく。「石神様の奥院」に到着した。
 この場所も「石神様」も大鳴沢の左岸に位置する。深い大鳴沢の上に出来た「河岸段丘」のような、幅が50mほどの自然の石組みで出来た石庭なのだ。
 そして「段丘」状であるから、当然、その左岸は尾根に続いており、その続いている急な斜面には、巨大な垂直岩が林立している。
 私たちはその緩やかな「石庭」をさらに200mほど進んだ。そこには整然と配置された自然の石組み庭園があった。大きな岩が累々と並び立ち、大きなものにはそれぞれに注連縄が張られている。周りの樹木は殆どがブナの巨木であるが、シナノキなども見える。そして、その「ご神体」である巨石群の上部も「鬱蒼としたブナ林内」とはとても表現できないほど、透(す)け透けに「明るい」のであった。
 何故だろう。みんなで考えた。『ヒントは、さっきの「羽黒清水」が枯れてしまうのではないかという疑問です。』と私が言う。
 その「奇妙な明るさ」は「鰺ヶ沢スキー場のゲレンデ」にあったのだ。何と、「ご神体」のすぐ上がゲレンデなのである。
 巨石信仰の対象である「大岩」は「天から神様の降臨される乗り物」であり、その「磐船のある場所は神様の降臨される聖域」である。そして、ここでは、その「岩」そのものが「ご神体」として崇められているのである。
 しかし、その上部に人工的に「ゲレンデ」が造られてしまった。側面や下部であるなら、まだ許されるかも知れない。その上部となると、これはまさに「聖域」犯しであり、「聖域破壊」であり、「神」に対する冒涜(ぼうとく)であろう。
 どうして、スキー場を開発した「コクド」やそれを指導・許認可した青森県や林野庁にその「配慮」がなかったのだろう。本当に情けなく悲しい。このようなことに気づかず配慮できない「コクド」や行政だから「岩木山の自然を守ろう」という私たちの主張に耳を傾けることが出来なかったことも当然なのである。

 昼食となった。腰を降ろした場所には、地味な「褐色の花をつけたウスバサイシン」が咲いていた。大鳴沢から吹き上げる風が夏緑に輝くブナの若葉をふるわせ、かすかな音を奏でてくれる。それに沢のせせらぎが共鳴する。森の深いところからはキビタキの鳴き声が聞こえる。受講生はしばし、自然の音色に「無言」。
 昼食後の散策で、一瞬、「新種発見」と色めき立った受講生が数名いた。それは緑花のウスバサイシンを見つけたことだった。少し前に「褐色の花」の同種を見ているのだから、そのあまりの変貌、確かに「新種発見」 と思いたくなるのも人情であろう。残念ながら、これは同種の「ミドリバナ」、「がっかりさせてごめんなさい。」である。
 帰路、「ジュウイチ」が聞きなしどおりの声で鳴き、「ホトトギス」も「テッペンカケタカ」と鳴いていたのも聞いた。野鳥も私たちの仲間である。
  
                         (この稿はこれで終了) 

鬱蒼としたブナ林内に鎮座する(?)「巨石にやどる神々たち」と思いきや(その1)

2007-06-25 06:14:36 | Weblog
 ★鬱蒼としたブナ林内に鎮座する(?)「巨石にやどる神々たち」と思いきや(その1)★

 朝9時にNHK弘前文化センターのホールに集合して、「巨石信仰」について事前に学習した。出発したのは予定を少し遅れて9時25分、つがる市の受講生がスキー場駐車場で待っていることが気になっていたが、観察や見学には準備性(レデネス)が必要なのでいたしかたがない。これでも大急ぎでの学習なので私にとっては不満が残った。
 今回の講座主題は「岩木山に見られる巨石信仰の現場を訪ねる」と「夏緑に輝くブナ林と林下に咲く花々の観察とブナ林内の散策」である。一度にテーマを2つというのはかなり欲張りであろう。
 事前調査では、それを見越して「自動車」で行けるところまで行って、(出来るならば「羽黒清水」の近くまではと考えていた)「時間」を短縮しようと決めていたのだが、それが無理だった。
 鰺ヶ沢スキー場の広大な駐車場を斜めに横切り、西岩木山林道に入る。そこから上は昨年の秋に砕石を敷き直して、やや大きめの砕石だが、以前よりはスムーズな通行が出来るようになった。そこを標高560mの「長平登山道入り口」まで進んで、さらに自動車で標高620mにある「羽黒清水」という湧水近くまで行こうと考えていたのだ。
 だが先導するS幹事の判断で、「自動車」は登山道入り口の広場に駐車して「歩いて登る」ことになった。それは、「軽自動車や4W車は行けるが、普通乗用車は無理」と判断したことによる。現に2台の乗用車に5人が乗車していた。
 結局、登山者と同じように「登山道入り口」から「足」で登ることになった。
最近の登山者の中には「軟弱」で「怠け者」が多いようだ。時々「石神様」の社(やしろ)広場まで車で行っている登山者を見かけることがある。嘆かわしい話しだ。その上、仮に自動車で走行が可能だといっても、「徒歩」に比較したら、いや、比較にならないほどに、その「道」を壊すことになる。車は「円運動」の最たるものである。前進するためには、後ろに蹴り出すことが必要で、それが道の土石を掘り起こすのである。「徒歩」と比べる次元ではない。
 結局は、歩いて登る「登山者」の道を「破壊」しているのである。自分の行為のそこまでの「関連」性に思い至らない「アホ」としかいいようがない。もはや登山者でなく「自動車依存症」という病気持ちである。「日産」や「トヨタ」の大顧客であろう。
 そこからは、ミズナラの林が続く。林の手前には大きなカラマツが生えており、その梢ではホオジロがさえずっていた。さらに奥からはキビタキやアオジの声が聞こえる。
 「ヒンカラカラカラ」という鳴き声を「耳で探してください。」と受講生にお願いをする。聞こえた時にその鳥の名前を知るということが「名と実」を知る上では大事なことなのである。その鳴き声の鳥が何であるかはそれまで伏せておくことにした。
 道の両側にはイチヤクソウが白い花を着けている。時折、ウメガサソウも可愛い花を覗かせてくれる。白花のニガナもある。なんと、チシマザサ(根曲がり竹)が花を咲かせていた。これは60年に一度しか花を着けないと言われているものだ。クルマユリのつぼみも膨らんでいた。7月に入ると咲き出すだろう。ミヤマナルコユリもその白い「鳴子」をならしながら、迎えてくれる。
 花々に見とれていると、近くの藪から「秋の虫の音(ね)」を思い起こさせるような鳴き声が聞こえてきた。ウグイスの仲間でヤブサメという鳥の声である。

 鳥の鳴き声に耳を傾け、足下の花々を立ち止まっては眺め、ゆっくりとしたペースで、しかも、小声でおしゃべりを続けながら、急な登山道を登り、「羽黒清水」の前に着いた。標識もないので、「知らない人」は気がつかずに、知っている人でも見過ごしてしまう場所だ。小さい湧水だが「枯れる」ことはない。こんこんと湧き出し「水音」を出して、流れ下っている。
 そこで蘭の仲間であるクモキリソウを探したが見あたらない。多くの蘭は「盗掘」という人間の所業から、薄命であり短命だ。以前咲いていたものも「盗掘」されたに違いない。
 喉を潤し、口を濯いで「禊ぎ(みそぎ)」をする。巨石にやどる神々の前に立とうとする人間の礼儀である。
 ここまで「歩いて来た」から、花々に出会え、野鳥の声を聞くことが出来た。自動車に乗って来たら、何にも会えなかった。「自然に親しむとは自力で自分を自然の中に置くこと」が基本だろう。

 …羽黒清水を出た時に受講生の1人が…
 「清水のすぐ上がスキー場のゲレンデなんですね。」と言った。そして、「大丈夫ですかね。」と付け加えた。
 私たちは羽黒清水の流水に棲む「トウホクサンショウウオ」に見送られて「石神様」に向かって歩き出した。
 すると間もなく、さっきの受講生が大きな声で「えっ!ここにもゲレンデがある。これで本当に、羽黒清水は大丈夫なんでしょうか。」言った。
 私は彼の言う「…大丈夫」という意味を理解していたが、受講生全員に「この件」について関心を持ってもらいたかったので、あえて『「大丈夫でしょうか。」とはどんな意味ですか。』かと訊いた。
 「湧き水である清水の上部や横側面の森を伐採し、はげ山にしてゲレンデを造ってしまい、清水の湧水が枯れてしまわないかということです。」
 羽黒清水の上部と左側面はまるで「へ」の字ように、幅30m以上の「ゲレンデ」にされている。「ゲレンデ」だから、当然樹木(立木)はなく禿げているから、「保水能力」はゼロに等しい。素直にこの現況を考えると、そのように思うのは当然であろう。私も清水が「枯渇」することを危惧する一人だが、それは「今すぐにそうなる」ということに対してではない。
 山岳地帯の湧水は一般的に、「長い年月」をかけて地下にしみ込んだものが湧き出して来ると言われている。岩木山の大沢上部にある「錫杖清水」の湧水は、量的にも水温的にも季節をとおして変化がない。これは「地下にしみ込んだ水が、深い水脈に1万年から5万年をかけて達して、水脈の一部が地表近くに達して、それが湧き出している」ことによる。私たちが、美味しいと言って「喉」を潤す湧水清水は1万年から5万年前の「水」ということになる。まさに、湧水は「山」の命なのだ。
 そこで、私は「今すぐ枯れてしまうということはないでしょう。しかし、遠い将来はきっと枯れてしまうはずです。けっして杞憂ではありません。」と言った。
                           (この稿明日に続く)

岩木山クリーン作戦、今年は「休止」

2007-06-24 04:35:01 | Weblog
    ★「岩木山クリーン作戦、」今年は「休止」★

 先日開かれた「岩木山環境保全協議会」で、毎年7月第一日曜日に、参加者100人規模で実施していた表記の「登山道清掃登山」と「山麓行楽地のゴミ拾い」を今年度は「休止」するということを決めた。
 その理由は、昨年あたりから、旧岩木町管内の「ボランテア」団体、「子供会」、地域団体として「町内会」、さらに「観光協議団体」等が独自に「清掃活動」を始めているということである。
 独自の活動を継続してもらうためには本協議会としては、様子見ということも加味して「まず、今年は休止しよう」ということにしたのである。あくまでも、「休止」であって「中止」ではないことに注目してほしい。そこには来年度から「復活」するという含みがあるのだ。
 私は、新弘前市になったこともあり、これまでの「町主導」のやり方ではなく、広くボランテア的な参加者を募って協議会メンバーである「岩木山パトロール隊」や当「岩木山を考える会」が中心になって継続した方がいいのではないかと発言はしたが、開催するには、準備のための「時間」がとれないという「物理的な理由」もあって結局「休止」ということになった。
 その代わり、今年度の主たる事業は「岩木山パンフレット」の作成ということになった。これは、既成のものがあり、登山者や観光客にこれまで配布されてきたものである。簡単に言うと「岩木山総合もの知りマップ」とでもなろうか。
 ところが、その中身を見ると、特に登山道やその案内、地形名称、植生等に間違いが多く、「配布」するにはとても堪えられないものなのである。
 何と驚くことに、「岩木山にコマクサ」が生えていることになっているのである。しかも、写真まで掲載されている。この「コマクサ」については現在、県自然保護課と本会が合同で調査を継続しているものである。岩木山には本来「コマクサ」は自生していないのである。どのような理由・経路で「生えている」のかを3年間の期限付きで調査しているのである。今年がその最後の年になる。
 本来自生していない「コマクサ」の写真を掲載するなどとは許されないことである。
 このような訳で、この「岩木山総合もの知りマップ」を根本的に改訂することになり、そして、その作業の中心になるのが本会ということになった。
 植生や自然に関することは本会がこれまで調査し、集めた情報・資料等で実地踏査をする必要度は高くはないが、「登山道」に関しては、廃道化している登山道もあるので、来月から数次にわたって「踏査」をして、詳細を把握しながら「改訂」作業に入る必要がある。
 次回の幹事会に提案して、具体的な実地踏査の「日程」を決めたいと思っている。この登山道の実地調査には会員の同行・協力をお願いしたいものである。
 
     ★「岩木山環境保全協議会」の腕章 ★

 一昨日、弘前市岩木支所商工観光課のSさんが一連の作業に関わる打ち合わせのために事務局にやって来た。作業の終了は「11月」が目処であるという。
 その時、「岩木山総合もの知りマップ」に関わる資料と「岩木山環境保全協議会」の腕章、それに「ベスト」を持参した。
 まず、マップが10枚ほどである。これに記載されている「登山道」を辿りながら、補遺・訂正しなければいけない。私のこれまでの調査では岩木山には12本の登山道があるが、現在、一般的な登山者で利用可能なのは「百沢」「岳」「長平」「赤倉」「弥生」の5登山道である。マップ掲載はこの5登山道でいいだろう。

 「岩木山環境保全協議会」の腕章は昨年度に発注したものである。本会には10本の割り当てがあるのだが、当日持参したのは5本であった。
 会員の中で、岩木山に登山するついでに、「登山者の安全指導とマナー」や「盗掘防止」などに協力したいと考えている方がいたら、是非、この「腕章」を着けてほしいものである。継続的に必要であれば貸与してもいいと考えている。必要な方は事務局に連絡をお願いする。
 「ベスト」は今のところ2着である。色は消防隊員や救急隊員の着衣に似ているものだ。これから考えると緊急時に着用すべきものであるようだが、「緊急」な非常事態などない方がいいに決まっているわけだから、あまり必要はないだろう。

梅雨入りしたがいい天気が続く、明日も好天だ

2007-06-23 07:31:23 | Weblog
 梅雨入りしたがいい天気が続いている。明日も好天だろう。
ところで、明日は月に1回のNHK弘前文化センター講座「津軽富士・岩木山」の野外観察学習の日である。
 先日、S幹事とその下見(事前調査)に行ってきた。今回の主題は「岩木山に見られる巨石信仰の現場を訪ねる」である。あわせて、夏緑に輝くブナ林と林下に咲く花々の観察とブナ林内の散策である。場所は岩木山北麓上部の鍋森山付近にある「石神様」とその上部にある「石神様奥院」だ。
 というわけで、今朝はこの「岩木山に見られる巨石信仰」について、受講者以外の人にも知ってもらいたいので少し書くことにする。

  ★岩木山の巨石(大岩)信仰について★

 巨石信仰は世界何処にもみられる。日本では現代でも巨石に注連縄(しめなわ)がまわされ礼拝されている。これは、この「石や岩」に神霊が宿っていると見なしていることを示しているものである。巨石構築物は単に自然石を並べただけのものであっても磐座(いわくら)と呼ばれ信仰の対象であり、日本の庭園には石組みの伝統があり、これも磐座を工夫した表現である。
 巨石信仰のなごりとして安産やお乳の出がよくなるようにと巨石に祈願する風習は、「乳岩」、「石体様」などの名称・地名として全国に広く分布している。
 また一方で、古代からの日本人の巨石信仰を考えると、「天の磐船(あまのいわぶね)」は古代の人々にとっては、天から神様の降臨される乗り物であり、その磐船のある場所は神様の降臨される聖域であったのである。
 また、古代の日本人にとって、神は石や木に宿るものであった。「神奈備山」(かんなびやま)といわれる笠型の形の良い山、その山に神が降りてくる。しかも神の降りてくるのは、尖った岩や高い木を通じてである。その高い木は、天と地を結ぶものである。天と地を結ぶ古い古い高い木、それは天と地の接点であり、そこにあらゆる生物の根源がある。天国と地獄の接点、すべてのあらゆる存在するものの原点がそこにあると、古代人たちは考えた。このような木とともに、岩が神の宿る所となった。それが磐代(いわしろ)である。
 このような岩は、尖った形をした裂目のある岩が多い。尖って光り輝く裂目を持った岩に神は降りてくるというのである。この岩は不動にして常住座臥する永遠の「物」であった。
 古代人にとっても永遠なるものは大きな魅力であったろう。その永遠なるものが光り裂け天に連なっているとすれば、その姿に神を見たのは当然かも知れない。我々の祖先こういう山や木や岩に対しての「崇拝心」を持っていたのである。

 一方「岩木山」という山名の由来にも巨石信仰が見られる。
 由来は、アイヌ語のイワーケ(岩・所)とカムイーイワケ(神の住むところ)である。さらに鎌倉時代になると「イワキ」の音に「岩城(天然の石のとりで)」とか、「盤椅(寄りかかる大岩)」の漢字を当てた。「イワキ」は古代より、神性の岩城であったことが、地名に表われている。まさに霊山信仰であった。
 岩木山の岩は「安山岩溶岩」で形成されて、粘りが強く、あまり流れ出すような性質のものではない。ブナ林の下層はすべてこの「安山岩溶岩」である。全山が岩の集合体であるといってもいい。この岩の「マグマ」は、鳥海・那須両火山帯の中間に発生したマグマ帯ではないかといわれている。
古くから「岩」をご神体としている神社に、岩木山北東麓にある大石神社がある。  その名が示すようにご神体が大きな岩である。巨石が本殿と一緒に柵に囲まれている。神社名も、当然大きな石から名付けられている訳で、神が宿る巨石崇拝であることは疑いがない。「岩木山の霊界をこの神社の大石で封じている」とも言われている。
 神社という名称を付けないが「神霊」が宿るものとして崇められている「大岩」は岩木山にたくさんある。天狗岩・耳成岩(みみなしいわ)・亀甲岩・御倉岩(みくらいわ)・大倉岩・二見ヶ岩・山の神岩・姥石(うばいし)・伯母石などがそれである。特に姥石は4つの登山道沿いに見られる。

 岩木山は端麗な山容、神霊の寄りつくもの、繁茂する樹木、噴火など、すべての神性を兼備した特別の山である。平安末期以降、比叡山天台宗によって、我が国独特の修験道(山岳信仰と密教との混合宗教)の道場となった。従って伝統的な信仰習俗が、神仏混こうの元の古い姿で残っている。それは霊魂再生の峰入り修行、お山参詣などにも表われていた。
 岩木山の三峰(鳥海・岩木・巌鬼)は、人型座像となっている。そのため、祖先の姿とみられ、祖霊の帰り着く神人交流の聖地(おいゆきやま)となった。
 しかも、それは天に接する最高位にある。そこに宿った神霊が津軽全土を見下ろして、安らかに治める信仰へと発展していったのである。
 古代の中国思想は天、地、人の「三」を万物の象徴とし、繁栄と調和を図る聖数としてみるものであった。この観念が「熊野三山」となり「出羽三山」に波及して、岩木山の鳥海・岩木・巌鬼の三山が三所大権現とみなされたのである。これら三山は薬師さま、阿弥陀さま、観音さまとされて、「三位一体」の信仰が形成されたのである。

 最後に少しPRをさせてもらおう。NHK弘前文化センター講座「津軽富士・岩木山」の来期(7~9月期)のテーマは「岩木山の野鳥」である。現地観察も含めて、本会会員の野鳥の専門家が中心となり実施する。詳しくはNHK弘前文化センターに問い合わせてほしい。

公園有料化「明鏡」欄には掲載されるが、弘前市議会では、たった1人が質問を…

2007-06-22 06:44:21 | Weblog
 弘前市議会今年度第2回定例会一般質問には18名の議員が、平均して5~7の事項について質問をしたり、意見を述べたりすることになっている。
 傍聴時に手渡された「一般質問要旨」にはその議員名とその「事項」がならんでいる。重複しているものもいくらかはあるが、おびただしい「数」である。
 ところが、「弘前公園有料化制度」についてという「項目内容」を「弘前公園有料制度の見直しについて」と明示しているのは、本会会員で新人議員のAさんだけなのである。
 この「一般質問要旨」に目を通して、愕然とした。無性に孤立感と寂寥感に襲われて悲しくなった。
 多くの市民が、市民感情として有料化には疑義を抱いたり、あるいは反対をしているのである。ところが弘前市が2月までに実施したアンケートは「有料化」を前提にしたり、または「既定のこと」として今後進めていくという姿勢で「作られ」、それを追認させるような質問事項と形式になっていた。
 公園の有料化に至った経緯が実に曖昧なのである。それを伝える朝日新聞の切り抜きを今も持っているが、それを読むたびに「市民を置いてけぼりにして、見切り発車した」市政に腹が立つのである。だから、まずはもう一度、正直に市民に問い直すべきなのだ。しかし、「見直し」といいながらアンケートには「継続」か「廃止」かを訊く項目がない。これが一番おかしいことだ。
 多くの市民の意見を訊くのであれば、市民全員に「アンケート用紙」を配布して「全回収」を意図すべきであるのに、アンケートの提出は市民の任意として、用紙も市役所受付や各種出先の窓口に「置く」という安直な方途をとった。
 これだと回収された「数」は少ない。少なくてもいいのである。回答はアンケートを採る側の意図に誘導された項目で満ちているのだから、すべて「有料化継続」というまとめ方になるのである。
 市はこの結果を期待し、望んでいたのだから「数」は問題でないのである。少なくて作業が楽だっただろう。その上、本当は少数の市民からのもであるのに、「有料化継続」賛成の市民が90数パーセントであると発表出来るし、「アンケート」なども実施し開かれた「市政」であるということを公表出来るなどメリットはあったのである。しかし、これは仮面をはがすと「市民に対する欺き」である。
 一方、議員たちはこのようにして採られたアンケート結果を鵜呑みにして、かつ、「弘前公園有料化」は既成のことで、もはや、「議論するに値しない」ものであるという姿勢に立っているのだろうか。
 議員がこの姿勢だと「公園有料化」はこのまま継続されるのであろうか。だがそうさせることは出来ない。

 6月19日の東奥日報「明鏡」欄に、この「有料化」に関連した投稿が掲載された。これで7回目となった。
 私が付けた原題は「取り戻そう、澄んだ水と松の巨木」であったが「弘前公園の自然環境に」という題に変わっていた。次にその全文を掲示する。

『 かつて、公園の内堀には人手が入らず、アシやガマも生えコイとフナが沢山いた。水は澄んで、オオタニシが沢山這っていた。堀の水をバケツで汲んだら、ヒドラが入っていた。これは水草の多い浅い池などにいるもので、正常な淡水自然を示すものだ。もちろん、トンボ類も沢山いた。水の天然の浄化作用と景観としての自然の姿が公園にあったのだ。
 しかし、現在は正常な淡水とはいえず、濁った水で生息しているのはアメリカザリガニ程度となってしまった。
 また、人の手による自然の変異は昆虫の種類と数を減らし、ケブカヒラタカミキリなどの発生を促している。これは松の生木の樹皮を食うが、その数はおびただしく脱出孔から樹脂が染み出しているのを見ると害をなしている可能性があり、幹の明るい面を這い回るので、脱出孔も道路側に多く、松の巨木が道路に傾斜する一因をなしているはずだ。一時、道路に対して支柱をしていた松の巨木数本がなくなったことはその証しかも知れない。
 皇居でさえ、オオムラサキを保護し自然保全に努めている。しかし、弘前公園は桜を守るという名目で、多くの先住の「命」を抹殺してきた。そのため、逆に大切な桜や松が害虫の攻撃にさらされているという現実に気づくべきだ。』

 20日、Aさんの「傍聴」を終えて、傍聴席から外に出て、ちょうど昼食時で休会となる時である。知り合いの2人の女性議員から声をかけられた。
 「明鏡欄に昨日も出ていましたね。いろいろな視点で書かれているのでよく分かります。頑張ってください。」という意味のことを言われた。
 私はこれで「有料化問題」に関心を持っている議員はまだいるのだと、少しは救われた気持ちになった。

新人市会議員の質問立派、だが市職員の答えは杓子定規

2007-06-21 06:54:11 | Weblog
 今朝になっても、まだ腹立たしさと悔しさとむなしさに苛まれている。
こんな心理状態なので、今朝は表題のことを書こうと決めていたのだが、「不愉快」という気持ちも加わり書くことがすごく億劫なのだ。書きたくない。書くためにはあれこれと思い出さねばならないが、そのたびに「むなしさ」だけが心を埋める。

 昨日、本会会員で新人市会議員のAさんが議会で質問するというので傍聴に出かけた。質問するAさんのすべては立派だった。まず、それについて報告しよう。
 質問内容や意見は本日付けの新聞を見てもらえば分かるだろうから、今朝は割愛する。
 第一に、徹底して市民の立場、それも「市民の素朴な思いや疑問」に立って意見を述べたり質問をしていることだ。
 第二に、話す、言う言葉が適切であり、わかりやすく、日常語を多用し、自分の言葉で語り、客観性があり、具体的である。
 第三に、主張する意見も内容が正しく構成されていて、それを補足し具体性を出すための情報やデータも裏付けがあり、正当性があった。しかも、自分で調査・収集したものであった。
 第四に、総じて優しさと暖かみのあるものであった。
 第五に、良識と教養を彷彿させる雰囲気が漂っていた。
 以上は、これまでの、どの議員の発言や言動にもあまり感じ取れないものであったことは間違いがない。

 それに応じる市の幹部(部長級以上)の言動は「文書を読み上げる」姿勢に終始して、「法令や条例」からの「引用」と「年月日」の繰り返し、さらには金額等の「数字」の羅列に終始していた。
 このようなことを「小学生の作文」と一般的には喩えるが、私はそうは喩えない。小学生に対して失礼だからだ。
 小学生は総じて「語彙」が乏しい。だから表現が幼稚になる。しかし、それ故に、使われる「言葉」はまさに「自分の言葉」であり、生活用語なのである。
 そこには、実感がある。ウソがない。無駄な修飾語はない。自分の世界で表現する。
 だから、市の幹部(部長級以上)の言動を「小学生の作文」のようだと喩えることは出来ない。それでは、「小学生」以下かというとそうではない。これも小学生に失礼だろう。小学生は総じて生き生きしていて、優しい。何でも目ざとく見つけて、それに興味を示す。
 近くの荒れた空き地にクローバが点在して群生している。それを見て、隣りの小学3年生のB子ちゃんは「クローバの島」と表現した。そして、その「島に上陸して幸福を探す」というのだ。
 どうするのかと、しばらく見ていたら、まず一つの「群落」(島である)にしゃがみ込んでクローバの花を摘みだした。それから、次々と別の「島」に移動しては花を摘む。その花が両手で支えきれなくなった時に、A子ちゃんは座り込んで、なんの歌か知らないが小声で唄いながら「花輪」を作りだしたのである。楽しそうである。見ているこちらも引きずり込まれて、思わず笑みを浮かべる。
 出来あがったらしく、A子ちゃんがその「花輪」を持って私の方にやって来た。そして言う。「これ、おじさんにあげる。」
 「ありがとう。」と言って私は「花輪」を受け取った。そして、思わず涙が出そうになった。何と、その「花輪」の下端には、しっかりと「四つ葉のクローバ」が編み込まれていたのである。嬉しいではないか。有り難いではないか。小学生とはこれほどに優しく純粋無垢なのである。このことを今書きながらも、また目が潤んできた。
 このような小学生をして、どうして市の幹部(部長級以上)の言動を「小学生」の作文以下だと言えるか。以下ではない。それ「以外」とすべきだろう。市の幹部(部長級以上)たちはそのような「範疇」では論じられない別枠の「生きもの」であるかのようだった。
 Aさんの質問や意見に答える市の幹部(部長級以上)には「主観」がないのである。Aさんは血肉ある生身の人間であるが、答える行政側はまるで「人の仮面」をかぶっただけの「スケルトン(骸骨)」たちだった。

岩木山百沢登山道を登る人たちへ

2007-06-20 06:06:00 | Weblog
  ★6月18日現在の岩木山登山道情報の概略について★

 百沢登山道の種蒔苗代付近で、「疲労困憊」の登山者に会った。緊張がゆるみ、一種の「虚脱状態」に近い表情をしていた。
 ピッケルも持たず、アイゼンも着けず、焼止り小屋からの長い残雪帯を登ってきたという。これだと「滑落」の恐怖から「疲れ」は何倍にもなるのは当たり前である。
 「よく登って来られましたね。それにしても、どうしてアイゼンを着けていないのですか。」と訊く。
 「実は、雪渓の状態を岩木山観光協会(注)に問い合わせたら、アイゼンなしでも大丈夫登ることが出来ますという案内を受けたのです。」
 (注:正式名称ははっきりしないが、観光案内もしているようだ。問い合わせしたことは確実である。県道百沢と岳の中間地点、旧無料休憩所にあるようだ。)
 それはそうだろう。現に、この人も「アイゼン」なしで登っては来た。私もアイゼンを着けなくても登ってくることは出来る。それは、最近の登山者の99%が履いている「軽くて、浅い軽登山靴」でないからである。総皮革製で重い。靴先の造りも頑丈である。だから、急斜面では「キックステップ」で足場を確保しながら登ることが可能なのだ。だが、最近は年齢の所為で、この「キックステップ」は大変に疲れる作業となっている。出来るならばしたくないと思い、軽「アイゼン」をリュックにしのばせている。
 いわゆる「軽登山靴」を履いている99%の登山者にこの「キックステップ」を求めることは出来ない。まずは「軽登山靴」では「キックステップ」は無理なのだ。さらに、「キックステップ」をするにはある程度の「訓練」が必要である。しかも、相当の体力と「脚力」が求められる。登山者の大半を占める「高年者」にこれらの行動を求めることは無理であろう。
 そこで、いきおい文明の「利器」(?)である「アイゼン」の出番となるわけである。
 そこで、一つ注意をしよう。アイゼンは「装着」を必要としない「安全」なところで「装着」してから登りはじめることである。「アイゼン装着」が求められる「危険な場所」に至って初めて「装着」ということは「危険」窮まりない行為なのだ。
 
 岩木観光協会(観光案内)の情報提供(案内)は確実に間違っている。登山道の情報・案内は、実際にその人が、その登山道を「踏査」した上でするものだ。これでは無責任に過ぎる。腹立たしさを越えて、目の前の登山者に対して申し訳なく、恥ずかしい思いでいっぱいだった。
 
 岩木山全域の積雪量は、今季は少ない。だが、3月にかなりまとまった降雪があった上に、4月5月は低温が続き、沢すじの雪どけが遅れている。特に百沢登山道の大沢雪渓は「焼け止まり小屋上部から錫杖清水上部までの約2kmにわたって」いまだ「健在」である。この雪渓部分だけは、例年と比較すると例年の5月中旬とほぼ同じ積雪である。
 標高1000m辺りからの大沢は、18日現在、大沢末端の滝の部分から種蒔苗代下部100mところまで積雪で覆われて、その長さは約2kmで、大雪渓になっている。錫杖清水はまだ積雪の下で、利用は不可能。水の補給は出来ないので事前に多めの「水」を持つ必要がある。
 途中崩落している箇所はないが、積雪の厚さは2~4mで、下部からすり鉢を逆さまにした形でとけているので、表面は薄くなっていて踏み抜くと落ちる。落ちたら逆すり鉢形の穴だから、自力で這い上がることは不可能。しかも雪解け水が流れていて低温なので、仮に全身ずぶ濡れになった場合は気温の低さが加味されて、極端な低体温となり「死」に至るだろう。
 落ちないためには表面をよく見て「小さな丸い空間」がないところを登り降りすること。また雪渓の中央部分を出来るだけ登り降りしないで根曲がり竹の生えている「岸」近くを移動することが肝要である。

 ★この雪渓登りに関する注意事項★
1、夏山の経験しかない人や初心者は8月上旬まで百沢登山道を登り降りしないこと。
2、経験者であっても「ピッケル」「軽アイゼン」を使用すること。「自己確保が出来ない人は登らない・降りない」ことが原則。
 場所によっては足場を確保出来ないほど固い氷状になっている。遅くまで残って雪渓ほどこの状態は顕著。
3、濃霧(ガス)が発生している時は登り降りはしないこと。視界が数mしか利かなくなるので踏み抜き・滑落・崩落・落下の危険性を避けることがむずかしい。特に、このような場合は安易に「踏み跡」をたどらないこと。
4、スカイライン・リフトを利用して山頂に行き、帰路に百沢登山道を辿る人がいるが、登山は登りよりも下りに多くの危険性をはらんでいることを考えて、百沢登山道を降りないこと。
 ついでに、大きな残雪帯のある赤倉登山道についても触れておこう。
大鳴沢の厳頭部分から約100m上部までと山頂直下に積雪がある。夏山の経験しかない人や初心者は登り降りしないほうがいい。経験者であっても「ピッケル」「軽アイゼン」を使用すること。
 「自己確保が出来ない人は登らない・降りない」ということである。 

 岩木山を代表する花、ミチノクコザクラも種蒔苗代付近では例年どおりの開花時期で咲き始めている。錫杖清水付近では7月上旬あたりが見ごろとなるだろう。その他の高山植物も「順調」に例年どおりの開花である。
 

「名」だけを求める行為…は空しい

2007-06-19 06:17:02 | Weblog
 ものには名前があり、その名前が「実体を確実に指し示すこと」が世のならいであろうと思っていた。しかし、日本社会では多くの面で、名前が実体を指示しないことの方が多いような気がしてならない。
 日常世界で「実体から遊離した名」に浸った生活をしていると、バスで運ばれて来て、舗装されたような遊歩道を通り、暗門の滝に行って「白神山地」に行ってきたという「満足」を持つことが出来るのだ。だがこれだと「名と実」に親しむことからはほど遠い行為に過ぎない。
 実際に私たちの日々は「実体」から乖離(かいり)した言葉で埋め尽くされている。
 政治家がよく言う「国民のみなさま」の「国民」と我々が日常的に自覚する国民意識とは明らかに離れてしまっている。多くの公共事業もその名に示す「公共」的な意味合いは削(そ)がれている。今やこの「名は実体を確実に指し示すこと」は神話に近いと言えるだろう。
 「国際協力」「海外援助」「周辺事態法」等も同じである。「周辺事態法」にあってはもっとも肝心な「周辺」とはどこを指すのか、「事態」とは何を指すのかが判然としないように、名は実体から大きく乖離している。これを乱れと言わず何を乱れるというのか。
 しかし、「名は実体を具現する」という、まさに神話的な世の「ならい」をいまだに「善良」な多くの国民は信じている。
 「公的年金」は政府管掌である。社会保険庁は厚労省の傘下にある。いわば「お上」が全責任を負う事業である。多くの人々は「お上」という名に「国民に対してすべての責任を負ってくれる」という実体を見ていた。そして、信じていた。
 ところが、社会保険庁(という言うよりは政府といった方がいいだろう。)は国民に責任を負うどころか、集めた国民の金を使い、「自己目的化」を図った。それが、一連の「箱物建設の無駄使い」である。それだけでも許し難いのだが、多くの国民はまだ「お上」という「名」を信じていた。だが、政府・社保庁はすでに「国民」から離脱した存在になっていた。国民を置きざりにして、「我田引水」勝手に「自分たちのこと」だけに「自己責任」も「組織的責任」もない行為を数十年に渡って続けてきたのである。
 この「神話的な世のならい」を信じている人々を巧みに、この「名」でもって騙すのが、コマーシャリズムと政治世界である。この傾向は次第に先鋭化し、蔓延化して事実は実体と乖離しているのだが「名と実体とはイコール」であると思いこませられて、それを信じる人々が激増している。
 これだから、「白神山地」の欠片(カケラ)的な部分を足早に通過しても「白神山地」の実体を体験し見て知ったと考える人が多くなるのも当然の話だろう。これで儲ける人がいるのである。
 
 「人は自然に守られ、その恵みによって生かされている」と考える人たちがいる。これはきわめて当然なことである。私もそのように考えている。ところが、そうに考えていながら、「自然を保護する」ということに批判的な物言いをする人がいる。「人という生きものは自然の中では、一番弱いもので自然に保護されているのに、自然を保護するなどと、思い上がりもいいところではないか。」と言い、森林伐採には無関心である。だが、一皮めくってみると、自然保護という運動をしたくないだけの方便であることが分かる。
 例えば、スキー場拡張問題にしても、傍観者的な態度をとる。拡張されると、幹の至る所にクマの爪跡を残す原生のブナの森や県内最標高にあるヒバ林などは伐採されてしまう。だが、そこを観察し伐採されることの無意味を実感しようとはしない。
 観察し、その無意味を実感し「実体」を知りたくないのだ。知ったら「拡張はするな」との声が出るだろう。ひょっとしたら、そういう声を出すことが恐ろしいのかも知れないし、反対派にはなりたくないのだろう。
 或いは、「あれほど広いスキー場を開設してしまったんだ。もう遅いよ。今さら反対したところでどうなるというのだ。」と弁解的な意味を込めて、うそぶくかも知れない。こういう人は結果として、「開発」を推進する側に与(くみ)することになる。寄らば大樹だ。

 このような態度や意見の人たちが私を「自然保護活動家」と呼ぶことがある。
多分に、先に述べた彼らの論理で、「揶揄(やゆ)と嘲笑を込めてのこと」だろう。私は「一介の登山者」である。これで十分満足しているし、「名と実」とが一致したものだと考えているから、登山者と呼ばれると嬉しい。
 ただし、「登山家」とは呼ばれたくない。ましてや、「登山客」とは絶対に呼ばれたくはない。嬉しいかな、岩木山はこれまでただの一回も、私を客扱いしてくれたことはない。
 私は山に登りたいだけである。自然保護活動家などと呼ばれてはこの上なく困る。
思うに、自然に対する畏敬があり、これまでの「自然からの恵みや自然を享受するだけの生活」に反省があるから「保護」を大切に考えるのであろう。

私、白神山地の核心部まで行ってきたの、すごいでしょう!(???)

2007-06-18 06:37:02 | Weblog
 ★私、白神山地の核心部まで行ってきたの、すごいでしょう!(???)★

 昨日、白神山地の「核心部」までいってきた。核心部と言っても「白神岳」ではない。当初、白神岳は「核心部」に位置づけされていなかったと思っていたが、最近の案内板には「核心部」の最外縁部に、とってつけたかのように「貼り付け」られている。誰でも登れる白神岳を無理矢理核心部に編入したのであれば、それは姑息というものである。
 誰にも会わないだろうと思っていたが、神奈川から来たという人にあった。挨拶代わりに「どうのような理由で白神山地に来たのか」という意味のことを訊いた。『「世界遺産巡り」をしている。昨年は屋久島に行った。次は知床に行く。』ということであった。つまり、そこが「世界自然遺産」だから来たのである。世界自然遺産に「登録」されている場所だから「来た」に過ぎない。
 何と言うことはない。「百名山」巡りや三十三札所巡りと同じなのだ。
救われたのは、この人は「自分の足」しかも時間をかけて「白神山地」を少なくとも「歩いて」いたことである。自然の解説も出来ないガイドにただ引きつれられて「津軽峠」から「高倉山」を経るコースを歩いたり、「暗門の滝」を覗いただけで世界遺産「白神山地」に行ってきたと満足するものたちとは、いくらかは違いがあるはずだ。ブームは人が作り出すものでなく、業界等によって巧みに操られ作り出されているものだ。  

 同じ山に継続して登っていると、山がいつまでも変わらずそこに在ることを願わずにはいられない。一方、自分の命には限りが在るのだということも自覚させられる。
 ところで、「日本百名山」登りに熱中している人にとって、その山一つ一つは単なる通過点に過ぎないのではないか。「返り見すれば」や「もう一度」という思いはなく、登ってしまえばそれで「おしまい」なのではないだろうか。と、ふと思うことがある。二年ほど前、朝日新聞のコラムでそのようなことを読んだ記憶もある。
 山がそこにいつまでも在ることを願う気持ちの底には、また登りたい、また見たい、この景観的存在を自分の精神の所産にしたい、人々みんなの自然的な共有の財産にしたいという意志がありはしないだろうか。
最近は百名山で足りず、誰かがその個人的な選択眼で指定した二百名山とか三百名山を目標にしている人も増えているという。
 多分に、登山用品業、旅行業や出版業などによって煽りたてられてはいるのだろうが、そこには厳然とした「記録」という競争の原理が働いている。

 「百山名中全て登った。」とか、「あと十五山で終わりです。」など、自慢げに話しをしている中に、それを読みとることは可能である。ところが、おもしろいことに、事は次第にエスカレートしていく。
 それは「より短い期間で全百山踏破」などだ。これをれっきとしたヒマラヤで偉業を成して、称号を手にしたはずの「プロまがい」の登山家(?)がやったりしている。場違い感や違和感を本人も周りの者も持たないところが不思議である。
 より短期間が新記録である。もし、彼が他によるそれ以上の記録樹立を望まない時、彼にとって都合のいいことは、極端な場合には、当該の山がなくなることであろう。永遠に記録保持者になれるというものだ。
そうだ、岩木山をぶっつぶせ、である。
 或いは、自分がうち立てた百山踏破記録とその達成順位に拘(こだわ)るならば、自分たちに続く同一志向者を絶ち切ればいいのである。それで永遠の自己満足は確保されるわけだ。ところが、そう簡単にはいかない。同一志向者を絶ち切ることは困難である。だから案外、その最良の策は「百名山」の消失であるかも知れない。岩木山を破壊せよ、である。
 別に百名山全部がなくならなくてもいいのである。たった一山欠けても十分だ。残された者は永久に「深田久弥の日本百名山競争」に参加は出来ても、永久に全山頂のハンターにはなれないのである。だから既に全山頂のハンターとなった人たちにとって、岩木山が岩木山でなくなることは望ましいことになるはずなのだ。
 ところで、中高年の登山ブームはまだまだ続くだろう。まるで、それは次から次へとウンカのように湧き出してくる勢いを保っている。
 なにせ若者の登山離れが進む一方で、中高年者の登山志向はますます先鋭化してきている。その上、医療を中心とした科学の発展によって彼らの全人口に対する比率は高くなっている。さらに、これまで生きてきたという強い自信もあるし、何よりも「金」がある。資金力が莫大なのだ。これを登山用品やツアー業界が狙っている。
 彼らの中には「百名山」やそれに亜流するアワードが欲しくてたまらない人たちがいる。しかも多数いる。
 競争に勝つためには金がかかる。しかし、彼らは金惜しみをしない。年齢的な負荷や体力と経験や技術不足などすら金で買おうとする。
 この金を登山に関わる業者がほっておくわけがない。彼らの要望と業者の要望は磁石のように直ぐに引き合いくっついてしまう。
 そこで声を大にして、しかも高らかに、「百名山を守れ。岩木山を守れ。岩木山を元に戻せ。」と主張するだろう。
 主張だけを聞くと、それはあたかも「自然保護」を大事にしている人のようだ。まさに有り難いことで頭に血が昇りそうである。
どちらも同じ登山という趣味を持っている人間である。恐ろしいことだ。登山という趣味の世界に「他人との競争」という原理が持ち込まれ、それが第一義的に取り扱われると、こうなるのではないか。
資本主義は競争原理で成り立つ。一方、資本主義には厳しい倫理観が求められる。この倫理観とは企業や個人の自己規制である。飽くなき願望を抑制すること、儲(もう)け過ぎずに、出来るだけ利潤を平等に分かちあうことである。この倫理観こそ「自然保護思想の発揚と自然との共存・共生」につながる。

岩木山の宝石と喩えられる高層湿原、ミズバショウが満開

2007-06-17 04:19:02 | Weblog
 ★岩木山の宝石と喩えられる高層湿原、ミズバショウが満開★

 今日は久しぶりに、これから「白神山地」に出かける。岩木山オタクの私が「白神山地」に行くと、岩木山の神様、ウツシ(ウマシ)クニタマノカミの神の罰を受けそうだが、どうしても行きたいので赦してほしい。いやいや、神様はそんなことをするはずはないではないか。
 それでも、ちょっぴり気が引けるので、お岩木山の素晴らしさの「片鱗」の一つを紹介してお許しを乞うことにする。


 高層湿原がほとんどない岩木山、その北面で標高1000m付近に「宝石」と喩えられる、恐らくただ一ヶ所しかない小さな高層湿原がある。
 「宝石」という喩えは、実は私が勝手に付けて、勝手に呼んでいるのである。謂わば、私にとっては、「岩木山の宝石」なのである。だから、大事に「隠して」誰にも場所は教えない。
 青森県では、植物学者というか標本蒐集家というか知る人ぞ知る、つとに有名なH氏は、物の本でその場所を「貧しい高層湿原」と呼んでいる。
 しかし、私に言わせると、「何と自然豊かな湿原」となるから不思議だ。その豊かさについての詳細は書かないが、実はこの場所、大ピンチなのだ。それについて触れると、これまた場所の特定につながるので、これもまた書けない。

 今、そこにはようやく春が訪れて、ミズバショウが満開だ。高層湿原は八甲田山系では珍しいものではない。八甲田という呼称に見える「田」が、その湿原や池塘をさすと言われている。
 また、岱(たい)という言葉には広くて大きいという意味があるようだから、平坦な湿原を含むこともあるのだろう。八甲田山系には田代岱や毛無岱と呼ばれる場所があり、毛無岱なども大小の池塘を持っている高層湿原である。
 ところが、岩木山にははっきりした高層湿原がここ以外にはない。そこにも、ようやく里より一ヶ月半遅い春がやって来たのだ。一面が丈の低い小さなミズバショウに覆われている。
 ミズバショウの群落が背負う山は、左側が岩木山山頂部で、右側が標高1288mの西法寺森だ。ミズバショウが終わると湿原性の高山植物が次々と咲き始めて、その後もそこは、小さな花園となるのである。
     
 なお、岩木山の宝石と喩えるに相応しい場所なので、植生の保護を最優先して、詳しい場所の特定がされないように書いていると断っておこう。なお、その場所の「特徴」的なことも掲げておこう。

1. 岩木山にはここ以外に高層湿原が見られないこと。
2. この湿原の存在を知る人は非常に少ないこと。地元鰺ヶ沢の人で知っている人はいるがこれも少数であること。
3. 里の咲きだしに比べるとはるかに時期外れの開花であること。
4. 非常にまとまった群落であること。
5.そこまで行くのに道がないこと。

( 注: ☆高層湿原☆ ★☆★ 低温・過湿のため植物の枯死体が分解されにくく、泥炭堆積が発達し泥炭化が進み、低養分に耐えるミズゴケ類が厚く繁茂しているような湿原のこと。)


食料危機に関する講演・本会会員新人市議、初質問、是非傍聴を

2007-06-16 05:39:32 | Weblog
 昨日も書いたが、今日は、◆「農水省試算:食料自給率12%、急浮上した国内農業不要論」◆に関する講演と学習会が開かれる。是非多くの人に時間を割いて参加してほしいと思う。
 ※日時と場所:本日(土)午後3時より
       :コープ青森 和徳店2階ホール
 ※講師   :全国農民運動連合会 笹渡事務局長
 ※参加費  :資料代として300円 なお、4時20分から交流会。会費は1000円。

    ※ 本会会員新人市議、6月20日に初質問、是非傍聴を ※

 新人「市会議員」であり、本会会員のAさんが市議会で初めての質問を6月20日、11時ごろからするという。時間のとれる方は是非傍聴に出かけてほしいものである。
         ◆6月20日・水曜日・午前11時ごろから◆

 市議会議員選挙からしばらくして、Aさんから「入会を希望している」という内容を含んだ、次のメールが届いた。 
 『正しいことを「正しい」、間違っていることを「間違っている」とはっきりと言うために、新人ですが無会派の道を選びました。明日は、同じ無会派のBさんやC君と一緒に、全議員に呼びかけ、救急医療の勉強会を行う計画です。このように、会派や政党とは別に、政策ごとに志を同じくする仲間と協力し、議会や古参議員に蔓延している澱んだ空気を、少しずつ変えていきたいと考えています。いろいろとご指導賜りますようお願い申し上げます。
 さしつかえなければ、岩木山を考える会に正式に入会したいと思いますが、如何なものでしょうか?』

 私は、このメールに対して、次のように返信した。

『お忙しいところ、ありがとうございます。それに、本会への入会意志がおありのようで、大変喜んでおります。会報を送る際に、入会手続き関係のものも同封いたします。簡単なも ので入会手続きというほどのもではありません。
 弘前公園入場有料化について、多くの市民が関心を持って、議論を深めてもらえればいいなあと思い、明鏡欄に投稿しています。色々な議論の視点を提示しています。間もなく6回目が掲載されるようです。
 この問題についても、正面から議論をすることが必要です。意見には違いがあるのが当然です。しかし、それは「よく知らない」ことに、または論点が明らかでなかったりすることから生ずることもあるでしょう。だから、行政は市民に議論の明確な視点を提示する必要があると思います。
 ところで、『鳥取・日韓友好碑文の「東海」表記削除』ということで…日本海に面した鳥取県琴浦町の小高い丘に、朝鮮半島からの漂着者と地元の人たちとの交流を記念した石碑が建つ。碑文には日韓友好への願いが刻まれていたが、韓国で日本海を意味する「東海」の表記が設置者である町執行部だけの判断で削り取られていたことが分かり、国内外に波紋が広がった。背景には日韓の歴史問題が横たわる。 …という記事が毎日新聞に出ていました。
 この町の行為は、公園有料化を決めた弘前市のやり方に似ています。あまりにも偏り、一方的です。議論もない。視点もない。しかも、それまでかかわってきた人の行為や思いを一方的に閉じこめてしまうものです。これだと対立を深めるだけです。
 年配の元市会議員から聞いた話ですが、昭和40年代の市長、藤森さんは「全国に一つくらい、無料で開放する公園があってもいいだろう。」と当時「有料化」を持ち出したある政党議員に対して、議場でやんわりとかわしたそうです。その後、金澤市政までこの「公園有料化」は出てこなかったのです。
 議会で、藤森元市長の発言など議論されたのでしょうか。視点・論点が「整備費用」という一極、一元的で、これといった提案もなく「賛成多数」で決まってしまう。これがおかしいのです。だから、投稿の中でそれを提示しています。「藤森市長の発言」についてもそのうち、投稿します。』

 次はこれに対するAさんからの返信メールである。

『遅くなりましたが、昨日、入金いたしました。これで、晴れて「岩木山を考える会」の会員になれました。よろしくお願いします。
 さて、私の、議会一般質問デビューが決まりました。6月20日の午前中(11時頃から)です。
 いくつか質問する中に、弥生跡地の問題と公園有料制の問題も取上げます。
弥生(跡地問題)は、前に報道された「弘大との共同研究」が、まだスタートをしていないという状況だそうです。公園有料化関係は今月末に第3回の市民懇談会を開くとのこと。いづれも、いまの段階では具体的なものが何一つ見えておりません。ですから、今回は、市民の声をきちんと聴いて欲しいということを訴えるにとどめる予定です。』 

 新聞やテレビで報道される記事の中で、「いい記事」はほどんとない。人の「悪行」を伝えるものばかりだ。それだけ、日本の日常は病んでいる。その「悪行」に共通している基本的な「ものやこと」は、すべて「てめ田さ水」つまり「我田引水」である。
 この「我田引水」から離れて、本気で人のため、市民のために働いてくれることをAさんには期待している。
(傍聴には、市役所4階の傍聴受付で傍聴券の交付を受ける必要があります。氏名、年齢、住所の記載が必要。傍聴券は交付日のみ有効です。)