(今日の写真は、マメ科ソラマメ属の多年草「ツルフジバカマ(蔓藤袴)」である。他に同科同属のものは岩木山では結構多いが、8月から10月にかけて咲くものは多くはないし、また、この「ツルフジバカマ」の花の色合い、特に赤みがかった色彩といい、立ち姿を含めた「風姿」が一番いいように思えるのだ。
名前の由来は、「葉のつけ根のとがった托葉を袴に見立てた」ことによるとか、「花の形自体を袴に見立てた」ことによるとも言われている。
この和名、「ツルフジバカマ」は牧野富太郎によると、「紫色の花をフジバカマになぞらえた」ものとしているが、平凡社版「日本の野生植物(II)マメ科」には、「ツルフジ(蔓藤)」は草状を指し、「袴」は托葉の様子に基づいたものである」との記載がある。
ところで、この「ツルフジバカマ」は秋の七草の一つであるキク科の「フジバカマ」とは全く関係ない。
「秋の野に咲きたる花を指折り(おゆびおり)かき数ふれば七種(ななくさ)の花 萩の花、尾花、葛花、撫子の花、女郎花、また藤袴、朝貌(あさがお)の花」
これは、「万葉集』の中で「山上憶良」が歌っているもので、これが現在も定着している。尾花とはススキのことであり、「朝貌(あさがお)」とは、現代の「朝顔」ではない。これは「キキョウ(桔梗)」のことだ。
覚え方は様々だ。「はぎききょう、くずおみなえしふじばかま、おばななでしこ、これぞ秋の七草」という風に韻を含んで声に出して学習する方法もある。
また…、「おくふかきはな (奥深き花)」と覚えて、その上で…「おみなえし、くず、ふじばかま、かれすすき、ききょう、はぎ、なでしこ」 と覚えるといい。だが、「おすきなふくは」という語呂合わせが一番簡単だろう。
名前の話から妙な方向に行ってしまったが、この「ツルフジバカマ」は北海道、本州、四国、九州に分布して、主に山野の草原に生える。蔓を伸ばして他の草に絡みついて2mほどまで成長する。今日の写真は、ちょうど2mほど伸びた茎頂に花をつけていたものだ。これは、今月の27日に「環状線」の上部で撮ったものである。
同科同属の「クサフジ(草藤)」とよく似ていて、慣れないと見分けが難しい。「クサフジ」は小葉が18~24枚、花穂は細長く花色は赤みが少ない。日当たりのいい草地や林縁に生える蔓性の多年草で、茎長は1.5mほどで、「ツルフジバカマ」よりもやや低い。花名は「花や全体の姿がフジに似ていること」による。しかし、フジと違って「花序は上向きに立ち」上がる。涼しげな青紫色の花は気品のあるものだ。「ツルフジバカマ」は小葉が 10~16枚、花穂は太めで短く、花色は赤みが強い。花が咲き始めるのは「クサフジ」の方が早く、5月頃から咲く。
同科同属のものに「カラスノエンドウ(烏野豌豆)」がある。本州、四国、九州では道端や野原に普通に見られる植物だ。この種子は「秋」に発芽する。幼植物で冬を越し、4月頃から開花、6月にさやをつけ、7月には種子を落とし、枯死してしまう。落ちた種子は高温では発芽せず、種子のまま、夏を越す。7月になると、黒い「莢」がパリパリと裂けて、丸い種子が飛び出す。
春になり、この若い芽、つまり、先端の柔らかな若芽と花の部分を摘んで、生のまま天ぷらにするとマメ科特有の風味がして美味しいそうだ。「サヤエンドウ」を小振りにしたような「若莢」も天ぷらにする美味しいそうだ。)
◇◇ 毎日新聞2010年8月15日付電子版 「余録:『65年後』の昔と今」に思う(15) ◇◇
(承前)…この稿を今書きながらも、また怒りと悲しみの涙が私を襲っている。
…幼い男の子が母親の手で川に投げられた。「母ちゃーん」。男の子は沈みながら消えていった。…
…里子は「お芋、食べたーい」という。卜キさんが「もうすぐ煮えるからな」と声をかけたその時、目を赤くした母が入ってきた。「里子をおろせ」。卜キさんが追いかけると、「ギャー」という声がした。母に抱かれた里子ちゃんの首を、近所のおばさんが手ぬぐいで絞めていた。母は「里子をおぶって母ちゃんが倒れたらお前たちはどうなるか」とうつむいた。草むらに遺体を置きながら「里子、ごめんね」と泣いた。…
…「この『治安維持法』は、結社そのものを罰する点でも、思想や研究までも弾圧する点でも、それまでに前例のないものであった。その後も改悪が加えら、『国体変革目的の行為』に対しては死刑・無期懲役を加え、『天皇制批判』には極刑で臨む姿勢をとった。さらに1941年には、刑期終了後も拘禁出来る『予防拘禁制度』などが加えられた。
『治安維持法』の運用では、警察犯処罰令など、一連の治安法規も一体的に利用された。現場では『令状なしの捜索や取り調べ中の拷問と虐待』が日常的に行われたのである。これらにより国民の耳は閉ざされ、目は完全に潰され、口も完膚無きまで『塞がれ』たのである。
現在、世界の中で独りよがりを続けている国がいくつかある。その中で、日本から一番近い国に「北朝鮮」がある。天皇が「金正日」であるとすれば、まるで、1900年代から1945年までの我が国、日本にそっくりではないか。私たちは65年前までは、『あの国』と同じであったのだと考えればいい。だが、大きな違いがある。それは『必ず敗(ま)ける戦争をしない』ということである。『本土決戦』は絶対にしないということである。
日本人や他の外国人を拉致はする、原爆の実験はする、テポドンなど大陸間弾道弾の打ち上げ実験はする。だが、領土の拡大も図らないし、『自国内』での戦争は巧みに避けている。外交という手段では、したたかな『戦い』はするが、その根底には『玉砕』という思想はない。『瓦全』の中で『生き延びて』自国を守ることに徹している。
そのような『かの国』を見ていて私は思うのである。『かの国』は戦前65年の『大日本帝国』を反面教師としているのではないかと。『自滅していった日本』のようにならないためにどうすればいいかを常に考えながら『国家の統一と運営』を図っているのでないかと。このように考えると『民主主義のない独裁国家』とばかりとらえて、『北朝鮮』を侮り、安易に笑ってすますことは出来なくなるのでる。65年前までは日本も紛れもない『民主主義のない独裁国家』であったのである。(明日に続く)
名前の由来は、「葉のつけ根のとがった托葉を袴に見立てた」ことによるとか、「花の形自体を袴に見立てた」ことによるとも言われている。
この和名、「ツルフジバカマ」は牧野富太郎によると、「紫色の花をフジバカマになぞらえた」ものとしているが、平凡社版「日本の野生植物(II)マメ科」には、「ツルフジ(蔓藤)」は草状を指し、「袴」は托葉の様子に基づいたものである」との記載がある。
ところで、この「ツルフジバカマ」は秋の七草の一つであるキク科の「フジバカマ」とは全く関係ない。
「秋の野に咲きたる花を指折り(おゆびおり)かき数ふれば七種(ななくさ)の花 萩の花、尾花、葛花、撫子の花、女郎花、また藤袴、朝貌(あさがお)の花」
これは、「万葉集』の中で「山上憶良」が歌っているもので、これが現在も定着している。尾花とはススキのことであり、「朝貌(あさがお)」とは、現代の「朝顔」ではない。これは「キキョウ(桔梗)」のことだ。
覚え方は様々だ。「はぎききょう、くずおみなえしふじばかま、おばななでしこ、これぞ秋の七草」という風に韻を含んで声に出して学習する方法もある。
また…、「おくふかきはな (奥深き花)」と覚えて、その上で…「おみなえし、くず、ふじばかま、かれすすき、ききょう、はぎ、なでしこ」 と覚えるといい。だが、「おすきなふくは」という語呂合わせが一番簡単だろう。
名前の話から妙な方向に行ってしまったが、この「ツルフジバカマ」は北海道、本州、四国、九州に分布して、主に山野の草原に生える。蔓を伸ばして他の草に絡みついて2mほどまで成長する。今日の写真は、ちょうど2mほど伸びた茎頂に花をつけていたものだ。これは、今月の27日に「環状線」の上部で撮ったものである。
同科同属の「クサフジ(草藤)」とよく似ていて、慣れないと見分けが難しい。「クサフジ」は小葉が18~24枚、花穂は細長く花色は赤みが少ない。日当たりのいい草地や林縁に生える蔓性の多年草で、茎長は1.5mほどで、「ツルフジバカマ」よりもやや低い。花名は「花や全体の姿がフジに似ていること」による。しかし、フジと違って「花序は上向きに立ち」上がる。涼しげな青紫色の花は気品のあるものだ。「ツルフジバカマ」は小葉が 10~16枚、花穂は太めで短く、花色は赤みが強い。花が咲き始めるのは「クサフジ」の方が早く、5月頃から咲く。
同科同属のものに「カラスノエンドウ(烏野豌豆)」がある。本州、四国、九州では道端や野原に普通に見られる植物だ。この種子は「秋」に発芽する。幼植物で冬を越し、4月頃から開花、6月にさやをつけ、7月には種子を落とし、枯死してしまう。落ちた種子は高温では発芽せず、種子のまま、夏を越す。7月になると、黒い「莢」がパリパリと裂けて、丸い種子が飛び出す。
春になり、この若い芽、つまり、先端の柔らかな若芽と花の部分を摘んで、生のまま天ぷらにするとマメ科特有の風味がして美味しいそうだ。「サヤエンドウ」を小振りにしたような「若莢」も天ぷらにする美味しいそうだ。)
◇◇ 毎日新聞2010年8月15日付電子版 「余録:『65年後』の昔と今」に思う(15) ◇◇
(承前)…この稿を今書きながらも、また怒りと悲しみの涙が私を襲っている。
…幼い男の子が母親の手で川に投げられた。「母ちゃーん」。男の子は沈みながら消えていった。…
…里子は「お芋、食べたーい」という。卜キさんが「もうすぐ煮えるからな」と声をかけたその時、目を赤くした母が入ってきた。「里子をおろせ」。卜キさんが追いかけると、「ギャー」という声がした。母に抱かれた里子ちゃんの首を、近所のおばさんが手ぬぐいで絞めていた。母は「里子をおぶって母ちゃんが倒れたらお前たちはどうなるか」とうつむいた。草むらに遺体を置きながら「里子、ごめんね」と泣いた。…
…「この『治安維持法』は、結社そのものを罰する点でも、思想や研究までも弾圧する点でも、それまでに前例のないものであった。その後も改悪が加えら、『国体変革目的の行為』に対しては死刑・無期懲役を加え、『天皇制批判』には極刑で臨む姿勢をとった。さらに1941年には、刑期終了後も拘禁出来る『予防拘禁制度』などが加えられた。
『治安維持法』の運用では、警察犯処罰令など、一連の治安法規も一体的に利用された。現場では『令状なしの捜索や取り調べ中の拷問と虐待』が日常的に行われたのである。これらにより国民の耳は閉ざされ、目は完全に潰され、口も完膚無きまで『塞がれ』たのである。
現在、世界の中で独りよがりを続けている国がいくつかある。その中で、日本から一番近い国に「北朝鮮」がある。天皇が「金正日」であるとすれば、まるで、1900年代から1945年までの我が国、日本にそっくりではないか。私たちは65年前までは、『あの国』と同じであったのだと考えればいい。だが、大きな違いがある。それは『必ず敗(ま)ける戦争をしない』ということである。『本土決戦』は絶対にしないということである。
日本人や他の外国人を拉致はする、原爆の実験はする、テポドンなど大陸間弾道弾の打ち上げ実験はする。だが、領土の拡大も図らないし、『自国内』での戦争は巧みに避けている。外交という手段では、したたかな『戦い』はするが、その根底には『玉砕』という思想はない。『瓦全』の中で『生き延びて』自国を守ることに徹している。
そのような『かの国』を見ていて私は思うのである。『かの国』は戦前65年の『大日本帝国』を反面教師としているのではないかと。『自滅していった日本』のようにならないためにどうすればいいかを常に考えながら『国家の統一と運営』を図っているのでないかと。このように考えると『民主主義のない独裁国家』とばかりとらえて、『北朝鮮』を侮り、安易に笑ってすますことは出来なくなるのでる。65年前までは日本も紛れもない『民主主義のない独裁国家』であったのである。(明日に続く)