岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

孤高が生み出す秋日に広がる高貴な野趣

2008-04-30 21:45:00 | Weblog
(今日の「岩木山の花」はキク科シオン属の多年草「ノコンギク(野紺菊)」だ。
花名の由来は、野に咲く紺色のキクという意味によるらしい。とても簡単明瞭で分かりやすいが「紺」色と言うには無理があるような気がする。)


 私の歩みはノコンギクの前で直立不動で停止し、「御前」にひれ伏しながらじっと対峙していた。出会ったのは既に標高千メートルを越えている焼止り小屋の手前だった。
 これはノコンギクにまちがいないのだが、「深山」という冠を載せてあげたくなったのだ。それほどに高貴に見えたのである。
 素朴は時として俗衣を纏うこともあるが、この花にはそれを全く感じることが出来ない。これは「普通のノコンギク」ではない。里から遙かに遠い高山・深山で孤高を保ち、高貴な野趣を醸し出しているこの花を「ミヤマコンギク」と呼びたいと正直思った。
 高貴さには孤独とそれを進めた孤高が常につきまとうものではなかろうか。社会性や協調性、それに組織性を強調するあまり、現代人は孤独を恐怖し、孤高を知ろうとしない。 「メダカは群れたがる」という俚諺の「メダカ」には高貴は感じられないだろう。彼女との語らいはいつまでも続き、私の足はなかなか前に進めないでいた。
野菊といわれるものの大部分がこの菊であると言われている。里で見られ、よく分岐した茎頂に咲く淡紫色の小花は、素朴で野趣に溢れていて可愛いものだ。私は「咲いているうちに、また来るからね」と囁いて、ようやくその場をあとにしたのである。

◆◆◆◆

古沢太穂の一句を真似て…「男郎花あの山頂が岩木山」/ 2008年度総会無事終了

2008-04-29 04:05:22 | Weblog
(今日の「岩木山の花」はオミナエシ科オミナエシ属の多年草「オトコエシ(男郎花)」である。
 花名の由来は黄花のオミナエシの対比として白花のオトコエシを白米の飯であるオトコメシ(男飯)と呼び、そのオトコメシがオトコエシに転訛したのだろうということが一般的である。

 遠望の山頂からは日毎に錦秋が駈け降り、中腹を染めて山麓に迫っていた。それに合わせるように、岩木山に登る度に花との出会いは少なくなっていた。
 そのような秋晴れの日である。天高く、ひつじ雲を頭上に遊ばせている色あせた山頂を眺めながら、ゆっくりと登り始め、ようやく尾根道へ続く沢筋に入った。この辺りはまだ緑が多い。道はしの藪中で抜きん出て咲いている白い花が目についた。
 枝の先端に粟粒状の白い小さな花をつけているオトコエシである。傍に寄って高いその茎頂を追うと開けた上流に視界が広がり、遠くに先ほど見た色あせた山頂が見えた。
 ふと、「男郎花あの稜線が大菩薩(古沢太穂)」という一句を思い出した。句中の「大菩薩」を「岩木山」としても感性と質的な違いがあるだけで情景的には遜色がないのでは…とを考えたら何だか楽しくなった。
 白粟花とも言われるオトコエシだが、オミナエシに比べて背も高く、男っぽい印象で風趣は乏しいかも知れない。

          ◆◆ 2008年度総会無事終了(2)◆◆

 総会が終わってから、参加者名簿を見た。会員でない人が最初から最後まで「熱心」に経過報告を聞き、意見に耳を傾けて「参加」していたのである。感謝の意を表したいと思って、私はその人のあとを追った。
 「ありがとうございます」と言って挨拶をし、名刺を交換しながら「どうして本会の総会に傍聴に来たのですか」と訊いたところ、『岩木山を考える会の「ホームページ」と「事務局長Blog」を見ています。岩木山を考える会に興味があり、一般の人も総会に参加傍聴出来ますと「ホームページ」に書いてあったので、今日参加しました。』と言うのである。
 正直、驚いた。そして、すごく嬉しかった。本会は開かれた会である。開かれていなければ社会に対して「岩木山」の様々なことを発信してはいけない。
 
 私はブログを毎日書くなどしてはいるが、「練炭」自殺や「硫化水素」自殺など、それを煽っているのが「インターネット」という社会機能と匿名という無責任な「ホームページ」の管理と運営、それに呼応する無責任匿名の書き込みなどを知るにつれて、自分がある程度力をいれて書き続けている「行為」に、空しさを感じていた。
 こんな時の、この人の行動には、驚きもあったが本心救われたような気持ちになったのである。
 もう一つ、嬉しいことであり、驚いたことがあった。これも感謝すべきことである。
 それは、ある地方紙の記者が、これまた最初から最後まで、総会の動きを見ていたことである。最後部の机にいたので、細かい取材などをしていたかどうかは分からないが、確実にず~と「いた」ことは確実であった。
 総会に新聞記者が、このように長時間いたことは、これまでになかったことである。記事になるのかどうかは分からないが、これも本会が社会的に認知されてきている一つの証ととらえることも出来るのではないかと思った。(明日に続く)

秋冷の中に白き顔容を淡紅に染める恥じらう美女/ 2008年度総会無事終了

2008-04-28 06:57:30 | Weblog
 (今日の「岩木山の花」はユキノシタ科アジサイ属の落葉低木「ノリウツギ(糊空木)」だ。
 花名の由来は樹液を和紙をすく際の糊に。または布張りの糊に利用したことによるとされている。)

 この花に似ている花はたくさんある。人間というものはたくさんあることやものには余り関心がないもののようだ。
 私には皆同じに見えていたし、例外なくノリウツギに対して関心はなかった。 最初の出会いから「何だアジサイか。」と片付け、とりわけて気をつけて見ることもなかったのだ。
ある年の朔日(ついたち)山、いわゆる御山参詣の翌日、一番のバスで終点の枯木平で降りた。そこから二ツ森の裾をまく間道をとおり、鰺ヶ沢町松代の石倉集落の南端にある大ノ平(松代)登山道入口に着いたのは既に十時近かった。時間が気になっていた。私は走るように追子森に向かった。
 この登山道は標高一一三九メートルの追子森までは、その山頂にある社への参拝者や山菜採りなどが利用しているので比較的安定していて、迷うことも難儀する箇所もなかった。
 間伐はされているが結構樹齢を重ねたブナ林が続き、それを抜けるとコメツガ林が出てきて追子森となる。
 しかし、その追子森から長平登山道の出合までは根曲がり竹が密生していてかなりの藪こぎを強いられる。
 予想は的中した。年々藪はきつくなっている。登山道は完全に消失状態で地面に付けられた「踏み跡」はない。あるものは、竹や木の枝にまばらに付けられた赤布だけである。それを見落とすと先には進めない。
 藪の中からは空も見えない。竹格子の檻に入れられているも同然なのだ。どこにいるのかも解らないまま、気がついたら西法寺森と岩木山本体との鞍部の取り付きにいた。
 斜面がきつくなり竹を支えにへばり付くように登る。竹格子の奥がいくらか明るくなってきた。竹がまばらになってきた証拠である。
 その明るい隙間に淡いが紅色がキラキラと輝いた。何だろう、赤布ではなかった。
 それはまさに秋冷の中で顔容(かんばせ)を淡紅に染めて恥じらう美女の風情であった。
 ほっとした。その周りの竹は膝ほどの高さになっていて出合は直ぐそこだった。だが、その時私はこの淡い紅の花の名前を知らなかった。
 もちろん、あのいつもよく目にしていた白い花が、季節の推移によって変異したことなど知る由もなかった。
 私がこの花の名前をしっかりと認識したのは、似た花の識別が出来るようになり、名前の由来を「葉と葉の柄、細枝を静かに折って引っ張ると粘着性の糸を引く、これが糊である」という「実験」をして知ってからだ。
 糊との関係、葉を一枚採って静かに引きちぎってみるといい。細い粘りのある糸状のものがつながっている。これが「糊」成分があることの証明になる。
 多くの人々にとって、米や麦から糊を採っては使えなかったのだ。特に農民は米や麦は日常的に口にすることが出来るものではなかったのである。作っても食べられないということは「収奪」の限りである。

          ◆◆ 2008年度総会無事終了(1) ◆◆

 まず参加人数がここ数年でもっとも多かった。それに、初めて顔を見せた会員もいた。総会ほど「会が何をしているのか」がよく見える機会はないだろう。欲張りでいえば、もっと参加者がいてもよかったと思っている。
 毎年「拡大幹事会」程度の参加だったのだが、とにかく「初めて参加する」人が何人もいたことが嬉しい。
 それに加えて質問が多数出た。加えて「意見」も多かった。
 意見が集中したのは「核燃」のことだ。「核燃再処理工場」が排出する「放射性物質」が地球の自然や人を含めた動物に対して、「よくない影響を与える」と、誰もが漠然とは思っている。「自然保護」とはその「よくない影響を与える」を出さない、くい止めていくためのものであり、運動であることは「頭」では分かる。
しかし、「岩木山を考える会」という組織である以上、やはり、「岩木山」が対象であり、中心になるべきだということも一理はある。
 意見を述べた人たちは「その二者の間」で呻吟していたようであった。
難しい問題だ。これに「地球温暖化」問題が絡んでくるともっとややこしくなる。しかし、実際は別にややこしいことではない。単純化して考えればいい。

 温暖化を「原子力」では防げない。異質の次元での論理を「口当たりのいいいフレーズ」でテレビコマーシャルにして放映するから、「同質」のように考えがちになる。
 しかし、温暖化という「化学反応」の結果処理には「化学反応」で対処するほかないからだ。問題はあくまでも、「地球温暖化とCO2排出を防ぐ」には「これまで人間が獲得してきた化学反応の技術」で対処するほかはない。
 これ以上、地球上に「バランス」を崩してしまうような「物質」を沈殿・堆積させてはいけない。
 温暖化を防ぐことは、自然保護団体としての、当然活動の中心になるはずのものである。

暗緑を背負い揺れる万葉、薄紫がいにしえ花

2008-04-27 08:55:09 | Weblog
 今日の岩木山の花はユキノシタ科アジサイ属の落葉低木「エゾアジサイ(蝦夷紫陽花)」だ。花名の由来は北海道や本州北部に多く自生していることと集(アヅ)真(サ)藍(アイ)の意味で青花が集まって咲く様子によるのである。

 バスを利用して大石口から登るには、弥生線の終点、又は鰺ヶ沢線の大森で下車して歩くしかない。どちらもアスファルト道路なので登山靴を履いて歩くことは楽ではない。だから歩行距離の短い「大森で下車」を採ることが多い。
 その日もそうだった。大石神社で一礼をし、赤倉神社でも礼拝してから赤倉沢の橋を渡ろうとしていた。こちらは明るいのだが、逆光になっている登山道は暗い。渡って直ぐのところ、右岸のミズナラとブナの混交林の外縁で、暗緑の奥行きをバックに明るい薄紫が揺れていた。 エゾアジサイだ。
 アジサイは万葉の時代から、橘諸兄(たちばなもろえ)が「あじさゐの八重咲く如く弥つ代にをいませわが背子見つつ偲はむ(巻二十)」と詠んでいるように、人々に親しまれてきた花である。私も「岩木山よ、永遠であれ」と願わずにはいられなかった。
社屋群の脇の「よく整備された登山道」を通って尾根に出る。石仏の一番が佇んでいた。
一礼しながら先日、横浜から来たという登山者に「登山道沿いに奇妙な溝や穴が沢山ありますね。あれは何ですか。全国の山をかなり登っていますがこんな登山道は初めてです。明らかに自然破壊でしょう。」と言われたことを思い出していた。
 赤倉神社の信者が、神のお告げといって「楽で安全な信者の登拝」だけを念頭において「整備」した結果、皮肉にも逆に信仰の道を毀損し、自然を破壊して、どこの山にも見られないほど幅が広く不思議で奇妙な登山道になってしまったのである。登山道は一人歩ける幅があれば十分であろう。敬虔な信仰の道も台無しである。悲しいかな、この登山道からは多くの花が姿を消してしまった。

<メモ>

1.「橘諸兄の歌意」:紫陽花のように永久に栄えていて下さい。私はそれを見ましょう。愛しい人よ。

2. 「アジサイ」:上述したように『万葉集』にも登場している花である。平安時代には「ヨヒラ」の名でも呼ばれた。また江戸時代に入ってから、梅雨時に色が変わる花として、一般に普及した。
 しかし、「武士(侍)」文化では、アジサイは「負のイメージ」として捉えられていたというのである。「主に仕える」という意味では、その忠誠心が「アジサイ」の花の色のように簡単に変わってはいけないということからであろう。

3.「アジサイの別名」:アズサイ・テマリバナ・七変化(シチヘンゲ)

4.「アジサイの花色」:アジサイの花は大きくきくわけて青色とピンク色がある。
これはその土壌のペーハーによる違いといわれている。酸性なら青、アルカリ性が強いとピンク色という具合だ。

5.「アジサイの花言葉」
 アジサイは咲き始めから、終わりまで実に様々に色を変化していくことから、
「七変化」とも呼ばれる。このような背景からアジサイの花言葉は「移り気」とか「貴方は冷たい」とかいうものもある。

涼風を従えて佇立し、慎み見せる悠久の優閑 / 今日は総会 / ペコペコ頭を下げる人、それはキツツキ

2008-04-26 05:07:46 | Weblog
 今日の岩木山の花は、オミナエシ科オミナエシ属の多年草「オミナエシ(女郎花)」である。花名の由来は様々あって大変だが書いてみよう。多くあるということはそれだけ日本人に「愛され」「親しまれ」て来た花ということだろう。
 その一つが、美女も圧倒する美しさという意味の「おみな圧し」からきているという説。その二つが、小さな黄色い小花が、女性の食べていた粟飯=「おみな飯」に似ている事から名付けられたとする説。平安時代は、男は「白い飯」を食べ、女性は黄色い飯(粟飯)を食べていたのである。その三つは、丈夫な印象を持つ同科同属の「オトコエシ」にその風姿・印象を比較すると、オミナ(女性ぽく)のように見えるとする説などである。

赤倉登山道の鬼の土俵から沢に降りる。十数年前まで、この道は修験者や赤倉様の信者の道だった。ところが赤倉沢に一年に一基の割合で「巨大」な堰堤を敷設(ふせつ)するようになってからはその建設道が「自動車道」になり、すっかり「信仰」の道もそこに来る人の心同様に変質してしまった。いつも思うのだ。どうしてこれほど巨大な堰堤を十数基も敷設する必要があり、その根拠は何だろう。そんなことを考えながら沢を渡り、左岸の道を登り詰めて、眼下に草原を眺めながら環状線大石口に向かっていた。
 ふと眼前に、ほっそりと立ち、伸びた茎とその頂に咲く、慎ましやかな優しい姿の黄色花が見えた。茎の先には粟粒のような小さな花を沢山咲かせている。オミナエシだ。
 この花にも滅多に会えなくなった。山麓から草原がなくなったからだけだろうか。慎ましさは悠久さにつながっているように思えるのだ。慎ましさに欠けるものはまさに一時の繁栄に過ぎないだろう。
 それは刹那的に消えてしまう現代の文化や文明に似ている。オミナエシの減少はその反映かも知れない。それにしても、久しぶりの出会いは嬉しいものだ。 
 午後も遅く、既に「日は空を月にゆずりて女郎花」(桂信子)という句に詠われた時間に近づいていた。
 しかし、「女郎(おみな)なるべし」という名の謂われであるその優しさは、微かではあるが時を越えて輝いていた。優しい草姿だが茎は丈夫で、別名は粟花という。


    ◆◆ 今日は「岩木山を考える会」2008年度の総会です ◆◆

 友達などを誘って参加してもかまいません。会員でない方の見学も出来ます。
 本会の活動に関心のある方を誘って参加されることを望んでいます。
一昨日と昨日に「活動方針」(案)を掲載しましたので、「検討した上で」参加されて、どしどし意見を出していただきたいと考えています。
 また、今期は役員の改選期にもなっています。現役員の中で「退任」を希望する人が若干名おります。
 会長、事務局長、幹事など希望する人がおりましたら、総会に参加して「手を挙げて」下さい。
 
 ●● 時 間:13時から16時まで ●●
 ●● 場 所:弘前市参画センター(弘前市桜大通り) ●●

なお、終了後、懇親会も予定しています。場所:百石町 鮨どころ・「佐嶋」
電話:38-3342  時間:17時30分から


「核燃再処理施設」に反対しているある会の会報に本会会長阿部東が文書を寄せている。
 本会の会長という立場を離れても「自然保護」という観点では重要なことであろうと思い、このブログに転載する。
 「キツツキ」という題だが、この題が何を意味しているのか、その辺りを理解して戴けることを切望する。

  「 キ ツ ツ キ 」         阿部 東

 テレビを通してペコペコ頭を下げる人々、キツツキが木に向かって頭を振る動作に実によく似ている。
昔は、水銀による水俣病、カドミウムのイタイイタイ病、そしてアスベスト、血液製剤と肝炎、市民をあざむく旧悪が次々とバレている。原発や放射性物質に関わる莫大な量の疑惑が明らかにされる日も近いに違いない。
 チェルノブイリの事故(1986)から放出されたと思われるセシウム137の異常増加が秋田の観測所から報告されたのは1987年である。
政府見解は、人体に影響のないものであると発表された。ある科学者は、10年~13年後のその影響を予測していた。何故なら、放射線の影響が病気になって表れるのは10~13年後であるというデータが蓄積されていたからである。
 東北4県と茨城・新潟における乳ガンによる死亡の異常増加は(1997年~2000年にかけて)通常の3倍にのぼり、2000年以降は又元に戻っている。(肥田舜太郎・鎌仲ひとみ「内部被曝の脅威」)
 テレビにスイッチを入れると「我々の身体は、年間2.4ミリシーベルトの自然放射線に被曝している。原子力関連事業から出る放射線は、これより少ないのだから安全である」と繰り返している。
宇宙から来る放射線は、上空の高い所で多いので、飛行機の乗務員は、地上より多くの放射線にさらされている可能性がある。それが原因かどうかは判らないが、彼等の平均寿命は通常より短いという。
 世界中の政治家とそれにつながる研究者は、口をそろえて「微量放射線は安全である」と繰り返しているのである。ところが、米国をはじめ多くの国の研究者のなかに、低レベル放射線はむしろ危険であるというデータが積み重ねられつつある。
ひどいのは低レベルの放射線は、生き物に活性を与えるという学者さえいるのですから。(ホルミンス効果論)
 東北における一時的乳ガンの増加は、セシウム137が原因であるとは証明が難しいに違いない。しかし、放射線は微量でも(自然放射線にプラスされるのだから)危険であり、放出は許されない日は必ずやってくると確信する。
この問題で、キツツキが出現する時には、おそらく地球レベルで汚染されることになっては地球の破滅である。この放射線の問題は、我々のふところに直接関わるものではない。金が欲しかったり、自分が良い思いをすることは全くない。
ただ地球や生物(あえて人間や市民とは言わないが)の将来を守るための運動であり、政治家の味方(何故彼等はこのことに気がつかないのだろうか、自分にもふりかかる問題なのに)をしていい思いをする御用学者とは異なるのだから。
 それにしても、これ程明白な問題が、何故こんなに難しいのか私には理解出来ない一面もある。どうして、何故だろう。

高貴な色合い、赤紫の小さな花の片側花穂 / 明日26日は本会の総会です(案内2)

2008-04-25 05:08:55 | Weblog
(今日の花はシソ科ナギナタコウジュ属の一年草「ナギナタコウジュ(薙刀香需)」だ。花名の由来は、片側にだけ花のつく花穂がややそり返っている形から、ナギナタを連想したことと、この植物から漢方の薬 「香需(コウジュ)」 を造ることによるらしい。

 その日、一番のバスに乗って「岩木山神社前バス停」の次で降りた。
もう秋の装いがかなり深まってはいたが、明るい日射しに覆われ、道から見える人家の石垣は乾いた色合いを見せていた。
 その石垣の上にはぽつりぽつりと白花のゲンノショウコが咲いている。右折をし、国民宿舎を右手に見ながら、スキー場下端の登山口に向かってアスファルト鋪道を歩いて行く。
 「秋はシソ科の花の季節だ」と誰かが言っていたが、まさにそのとおりだ。シソ科の植物と思われる淡い紫色の花を茎の片側にだけつけて元気よく直立している。ナギナタコウジュだ。
 鮮やかさには欠けるが、高貴な色合いで赤紫の小さな花を集め、花穂を立錐させて、しかも並べ咲くのがナギナタコウジュである。控えめではあるが、微かに香る「匂い」と風姿の奥ゆかしい華やかさには惹かれるものがある。
 岩木山神社口からの登山道ではなかなか会えないし、「七曲り」まで登ってくると完全にナギナタコウジュは陰を潜めてしまう。自分たちの身の置き場所を完璧に弁(わきま)えている律儀な花なのだ。)

(昨日に引き続いて明日開かれる総会の案内をします)
    ◆◆ 岩木山を考える会2008年度総会案内 (その2)◆◆

 友達などを誘って参加してもかまいません。。会員でない方の見学も出来ます。
 本会の活動に関心のある方を誘って参加されることを望んでいます。

 次のことが活動方針として提案されますので、あらかじめ「検討した上で」参加されて、どしどし意見を出していただきたいと考えています。
 また、今期は役員の改選期にもなっていますので、会長、事務局長、幹事など希望する人がおりましたら、総会に参加して「手を挙げて」下さい。
 
 ●● 日 時:4月26日(土)13時から16時まで ●●

 ●● 場 所:弘前市参画センター(弘前市桜大通り) ●●
 
      2008年度 活 動 方 針(案)  
(承前)

7、これからの自然保護運動は市民(農民・消費者)運動と深く連携し、行政と向き合っていくことが望まれる。また、地球温暖化を防ぐことと「核燃行政」にも向き合いながら学習をしていく
 
・第28回「東北自然保護の集い(岩手大会)」の決議を承けて、六ヶ所核燃再処理施設の試験稼働や本稼働の影響等を学習する。
・マスコミに会報を送付する。諸催事や活動を事前にマスコミに発表し、報道・文化機関や行政の後援を出来るだけ得る。
・岩木山に関わる観察会、講演会等に講師、その他を派遣する。
・「日本の天然林を救う全国連絡会議」に参加して林野庁による国有天然林破壊を告発する。

8、ホームページ「岩木山を考える会」の充実

・ホームページを「インターネット岩木山総合学習センター」と本会の活動・運動・意思等の発表、発信の場と位置づけて、内容の充実を図る。
 4月25日現在でアクセス数は49、134を越えて、最近は月平均600アクセスであり、社会からの本会ホームページに対する期待はますます強まっている。
 昨年2月22日から「ブログ」事務局長日誌を始め、毎日書き続けている。事務局の動き、案内、会員からの情報を「ブログ」に掲載し、画像などを伴うものは葛西管理人が掲載している。
 なお、会員からの情報も写真・文章ともインターネットで事務局に送付されることを望む。

9、幹事会と事務局の機能的な充実をはかりながら会員のゆるやかな拡大につとめる

・幹事と事務局員の私的都合を勘案し、辞退を認めながらも増員の方向で各担当を明確にする
・写真展、観察会、講演会で関わりを持った市民を大切にする。
・会員は積極的に観察会等に参加して、一般の方々への入会案内をする。

10、その他 

なお、終了後、懇親会も予定しています。
  場所:百石町 鮨どころ・「佐嶋」   電話:38-3342 
                           時間:17時30分から

薄暮の中の十六夜月、立ちつくす楚々とした風情/ 総会の案内

2008-04-24 05:58:47 | Weblog
(今日の花はフウロソウ科フウロソウ属の多年草「タチフウロ (立風露)」である。花名の由来は「茎が立つ(伸びる)風露草ということによる」とされている。

 秋の日の午後だった。鳥の海噴火口外輪からの登山道を下ってスカイラインリフト乗り場に出た。風は緩やかに吹き、冷たさは殆どなかった。聞こえるのはカラカラというリフトの乾いた機械音だけだった。夏場のような人間の嬌声も騒音も、人だかりもない静かな午後がそこにはあった。
 アスファルト道路を少しだけ歩いて、私はその道路から急峻に落ち込んでいる岳登山道に足を踏み入れた。そこは今通ってきたスカイラインターミナルの広場よりも、風が遮られているせいもあって、もっと静かであった。
 降りる体を支えるために、手がかりを探していたら、その手の向こうに一輪の小さな花が見える。
 「フウロの仲間だな」と呟く。だが、それに冠する「エゾ」とか「チシマ」とか「ハクサン」などという名称が出てこない。ゲンノショウコを一本だけ立たせて大きくした感じだ。
 マクロレンズの倍率を上げて、しっかりと覗く。花柄に出ている細かい毛、花の基部に白い軟毛が見える。確信した。これはタチフウロだ。何という淡泊な桃色、花の色は薄暮の中の十六夜月、楚々とした風情が立ちつくしていた。
 岩木山では初対面の花であったが、何だかずっと昔からの知り合いのような気がして、ほっとした。

       ◆◆ 岩木山を考える会2008年度総会案内 ◆◆
 
 総会の案内をします。友達などを誘って参加してもかまいません。。会員でない方の見学も出来ます。
 本会の活動に関心のある方を誘って参加されることを望んでいます。

 次のことが活動方針として提案されますので、あらかじめ「検討した上で」参加されて、どしどし意見を出していただきたいと考えています。
 また、今期は役員の改選期にもなっていますので、会長、事務局長、幹事など希望する人がおりましたら、総会に参加して「手を挙げて」下さい。
 

 ●● 日 時:4月26日(土)13時から16時まで ●●

 ●● 場 所:弘前市参画センター(弘前市桜大通り) ●●
 

      2008年度 活 動 方 針(案)  

1、岩木山の自然破壊の監視、阻止、および山岳自然の保護と再生をめざし調査と情報の蒐集につとめる

・鰺ヶ沢スキー場の動向には注意し、拡張部分の閉鎖と自然回復を要求する。
・これまで蒐集した動植物の資料・情報を整理する。
・重点的に「長平(鰺ヶ沢)の種蒔苗代」(岩木山唯一の高層湿原)調査を今年度も行う。
・林野庁(入会権行使の林管理)による伐採が続いているのでその動向に注意する。
・登山道だけでなく山麓から山腹に延びている林道沿いの調査も実施する。
・抜き取った後の「コマクサ」の調査を継続する。

2、弘前市が岩木山に対する自然保護行政に積極的に取り組むように働きかけ、弘前市役所および岩木総合支所の「岩木山担当部署」との連携を密にする

・ミズバショウ沼農村公園を自然観察の場所として積極的にトレイルセンターと連携させながら活用する。また自主的に整備に取り組み、自然観察会などに会員が出向いて解説や指導等にあたる。岩木山環境保全協議会、岩木山パトロール隊との連携を密にする。
・「岩木山弥生地区自然体験型拠点施設」建設跡地には森林が回復するように運動をすすめる。弘前市と弘前大学との共同研究について、その動向を注視し、学問や科学の中立性が保たれるように進言・提唱を加えながら要請があれば参加する。
・囲いのない郷土精神形成の「岩木山」という風景を取り戻し、公園の自然遺産を守るために、弘前公園有料化には基本的に反対する。
・巨大ゴミ・廃墟と化したホテルなどの撤去させる行政指導を要求する。
・岩木山百沢登山道の刈り払い整備に参加する。

3、NHK弘前文化センター講座『津軽富士・岩木山』を昨年に引き続き出来るだけ「自然観察」を中心にすえながら開設する

4、写真展「私の岩木山」を市民参加型の写真展と位置づけて開催する 
※第15回写真展「私の岩木山」は9月にNHK弘前放送会館ギャラリーで開催する

・来場者500名を目指す。出展者を出来るだけ多くし、多数のさまざなな視点からの作品を「多くの人々に開かれた写真展」という趣旨を継続し展示する。
・特設コーナーを設定する。プロジェクター使用や出展写真搬入等に関しては臨機応変に対処する。

5、「東北自然保護の集い」に多数の会員が参加する

6、市民参加型の自然観察会とする

 春・夏または秋・残雪期に会員と一般参加者を募り、年3回程度の実施を考える。
※実施日:5月18日(日)場所:(岩木山)
※主 題:(1)スプリングエフェメラルズを見て森の仕組みを知る(2)樹木と林床(3)春の野鳥
 なお、NHK弘前文化センター講座『津軽富士・岩木山』の受講生と一緒に実施したい。参加申し込みは5月2日から10日までに事務局に電話で。

                  (7.)以降の案件は明日掲載します。

 なお、終了後、懇親会も予定しています。
  場所:百石町 鮨どころ・「佐嶋」 
  電話:38-3342 
  時間:17時30分から 

ブナの森に静かに鎮座する白き衣笠の精霊 / 穀物や原油価格の急騰の所為にするな、卵の値段(3)

2008-04-23 05:52:17 | Weblog

 <今日の写真はモクレン科ホオノキ属の落葉高木「ホオノキ (朴の木)」である。花名の由来については、「ホオ」とは「ほほむ(含む)」の意味で、冬芽や花芽が包まれた形によるという説が一般的だ。

 六月に入ると頂上付近もめっきりと緑が濃くなる。そこから弥生口に降りる道などは、登ってくる時は道を確認する必要はないのだが、降りるとなるとしばし、萌え出て伸び出した草々に目を凝らして探さねばならなくなる。目だけではなく場所によっては手や足まで使うことになる。
 そのようなある日の午後早くに、頂上から弥生に向けて降り始めた。私はとりわけ、この登山道が好きなのだ。
 それはすばらしいブナの森を通るからである。登りでも下りでも「森の空気」に触れるという期待で胸はふくらむ。そして、その森にようやく入った。森はもうすっかり、夏緑である。濃い緑は暖かい暗さを運ぶ。
 その暗緑の中で白い斑点が点滅する。それはブナの森に咲く古代蓮、静かに鎮座する白い衣笠の精霊、朴の花だ。
 朴の木は最も原始的な花の形を残している第三紀植物群の生き残りだ。ブナの森に咲く古代蓮。芳香があり、葉は食品を包むことが出来るし、材木は下駄の歯、版木、花や実は熊の餌にまでなるという、まさに「多才」なクリーム色の大花を咲かせる樹木だ。
 しかも、古くから人々に親しまれてきた樹木で、「万葉集巻十九」には「わが背子が捧げて持てるほほがしはあたかも似るか青き蓋(きぬがさ)」という僧恵行の歌もある。
 ブナ林を過ぎて、大長峰の下端部、つまり弥生登山道のブナ林と伐採された二次林との接点に出てきた。林縁や別な樹種が生えている、そのつながり部分では樹木が疎らになっていることが多いものだ。
 しかも、その範囲は狭く、距離も短い。だから、急に明るくなったのである。だが、直ぐまた、伐採地特有の「低木の林」に入って行っていく。
 この尾根は三十年ほど前に、ミズナラが皆伐された場所である。その跡にマンサク、クロモジなどが生えて、今は低木のトンネルになっているのだ。
<メモ>
「ホオノキ(朴の木)」:他に、大きな葉で飯や餅を包んだので「包の木」となったする説や大葉カシワがホオガシワノキと転訛「ホオノキ」となったとする説がある。

    ●●穀物や原油価格の急騰の所為にするな、卵の値段(3)●●

 (承前)
 だが、最近の「中国の指導者」に比べると日本の指導者たちは百年以上も前から「貨幣価値」に関する「劣等生」だったのである。そして、小泉時代以降それは加速している。
 私たちの国、日本の指導者たちは「劣等生」である。「劣等生」たる根拠になることとして挙げられることには「外国依存」があるだろう。
「物価の優等生」というと、それは「卵・鶏卵」である。ここ三十年以上「卵」の価格は同一水準を維持してきている。これが「優等生」と言われる所以である。
 ところが、この「卵」も「私は優等生でいられなくなりました。いくら勉強しても、価格を据え置くことは不可能です」というような事態になってきた。

雪田の清流に己の煌めく黄金を映す五枚の花弁の光沢花 / 穀物や原油価格の急騰の所為にするな

2008-04-22 05:33:40 | Weblog
(今日の写真はキンポウゲ科キンポウゲ属の多年草「ミヤマキンポウゲ(深山金鳳花)」である。花名の由来は、深山に咲く花でキンポウゲの仲間であることによる。金鳳花は花弁に光沢があり、光り輝くイメージによく似合っている名前である。

 長平登山道はスキー場ゲレンデを抜けてからようやくブナ林に入る。何故かというとブナ林を伐採してゲレンデを造ったからである。
 少なくなったブナの森林限界を過ぎると根曲がり竹の藪が所々に出てくると、もうそこは視界が利かず、出口のない竹のトンネルを潜るようなものであった。だが、苦にならない。間もなく一面に開ける場所があるからだ。
 例年、六月の中頃はまだ雪田が残っており、その傍らで「ある黄金色」が弾けるように踊って、出迎えてくれるからである。踊り子たちはミヤマキンポウゲの群れなのだ。
 彼女たち踊り子の花弁には、金属のような光沢がある。最初出会った時には、透明な薄いプラスチック板を貼り付けたようなエナメル質の光沢には驚いたものだ。
 ある人が私に「ミヤマキンポウゲのテカテカした花弁は、妙に人工的な光沢で自然のものとは思えない。不気味だ」と言ったが、当を得ているなあと目前にそれを眺めて、妙に納得していた。だが、不気味だという印象だけは持てなかった。「茎や葉には毒がある」という知識の方が遙かに不気味であった。
 その日、山頂越えをして百沢登山口に降りてきた頃には、すっかり背中に西日を背負っていた。振り返ると真っ赤な夕焼けである。ふと、飯田龍太の「金鳳花明日行く山は雲の中」という一句を思い出して「金鳳花今日登りしは津軽富士」と口ずさみながら、赤い夕焼けを浴びている金鳳花の群れを、そして、あの黄金色はどうのように輝くのだろうと思った。

   ●●穀物や原油価格の急騰の所為にするな、日本はどうなる(2)●●

 「貨幣価値」の普遍化および不変化を維持出来ない国などは、決して「優等生」などとはいえない。国というものはその国に在住する国民によって成り立っているものであるが、それは実に曖昧な概念規定であり、時には象徴的でもある。
 実質的な「国」という時に、その国の国家運営を考えると、そこには一握りの「人間」がいる。それらは政治家であり、役人であり、大資本家であり、時には軍人や皇室関係者までが含まれる。
 明治維新から今日まで、国民に対して「貨幣価値」の減少という辛苦を与えてきたのは、彼ら「この国を動かして」きた者たちである。
 五年前に1万円で買えた「同質・同価値」ものは今年も十年後も1万円で買えるようにすることが国の指導者たる者の国民に対する義務だ。
 労働者の賃金が上がっても「物価値上がり」という「貨幣価値」の減少では、それは「賃金」の額面だけの書き換えに過ぎない。これは指導者たちの「無策の証明」だ。
 中国は長いこと「元」の価値変動を抑えてきた。これで都市・農村部の格差や貧富の格差を厳しく抑制してきた。
 これが外貨に対して「元」が弱いことでもあったが、国内の経済は安定していた。農民は農業生産に励み、都市の工場では工業労働者が共有出来る同一で無変動の「元」を信じて働いた。私は、その中国を見て、「中国の指導者」は「貨幣価値」に「不変」を維持するために頑張っていて立派だと思った。中国の指導者たちは「貨幣価値」に関する「優等生」だったのである。
 「外貨」ドルに対しての「弱さ」を利用して日本人はよく中国に出かけた。中国の物価は安い(物価を国が抑制していた)のでドルを持って行くと、日本よりもうんと安く買い物ができたのである。
 だが、最近の「中国の指導者」は「外圧」にすり寄り、「元」の価値を変動させている。これと呼応して中国には深刻な農村部と都市、貧しいものと富むものの格差が広がっている。
 中国の指導者たちも、グローバル化に目覚めて、遅ればせながら、最近ようやく「貨幣価値」に関する「劣等生」になりつつあるのだ。(続く)

花穂を紅紫色に染めて咲く段々重ねの車花 / 穀物や原油価格の急騰、生殺与奪の権を握るのは

2008-04-21 05:53:15 | Weblog
( 今日の写真はシソ科トウバナ属の多年草「ミャマクルマバナ(深山車花)」だ。
花名の由来は、高山に生えるクルマバナという意味で、「クルマ」は花が数段になって車のように輪生することによっている。

 ある年の秋、八月下旬だ。残暑は厳しく陽光は「真夏」と同じだ。とにかく暑い。
陽光を遮るブナ林内でも、風がそよがないと、蒸し風呂に近い。
 太陽の直射を受ける林縁や開放地と林内とでは気温は大体二度から三度違う。林内が涼しいのだが、それを意識出来ないほどに暑いのである。
 だが、その林内でも元気なものがいる。羽虫の類である。顔や首筋にまとわりつく。時にはアブに刺されることもある。だが、どうしようもない。ここは彼らの棲み場所なのだ。その軒先を無断で拝借して歩かせてもらっているのだから、文句は言えない。
 ブナ林を抜けた。とたんに明るくなり、狭いが草地が視界とともには開ける。同時に、直射する陽光は「暑い」。右後頭部から射る陽光を手のひらで遮りながら足下を見た。
 枝先の花穂に紅紫色の花を数段に輪生させて咲いているものがいる。ミヤマクルマバナだろう。花冠は長さ十ミリ以下だ。小さい。ご多分に漏れず、萼は紅紫色を帯びている。葉は対生し十ミリほどの柄があり、長卵形で縁に鋸歯がある。
 間違いなくミヤマクルマバナだ。野山に咲くシソ科の花の中で、一番よく目にする花であろう。この時季からシソ科の小さな花々が次々と咲き出すのだ。そういえば山頂では、このクルマバナの仲間、ミヤマトウバナが、途中の草地では、ウツボグサが咲いていた。残暑は厳しいがやはり秋は確実にそこまでやって来ていた、これより低いところにはイヌトウバナが咲いているかも知れない。

  ●●穀物や原油価格の急騰、「生殺与奪の権を握るのは?」日本はどうなる●●

 優等生というのは「普通」どんどん成績の上がる生徒をさす。ところが、物価の優等生という時は、その「物価」を維持出来る「品目」が「優等生」ということになるという。
 この論理でいくと、その国の「経済政策」の中で「貨幣価値の普遍性と永続性」が保持されると「経済政策」の優等生ということになる。
 簡単に言えば10年前の「10.000円」の価値が今年も同じ、10年後も同じであるならば、その国の「経済政策」は優等生であると言えるのである。つまり、「物価」の値上げのない国ならば、その国は優等生であるということだ。
 果たして、日本はどうだろう。明治時代の100円と今の100円の価値とを比べてみれば一番分かるし、私は子供の頃の駄菓子屋にならぶ品目の値段は1円や10円単位であったが、今は10円で買える駄菓子などはない。「銭」という単位は「円高」「ドル安」という時のテレビ画面でしかお目にかかれない。そうしておきながら「銭」という硬貨を政府は造らないという手抜きだ。そのうち「1円」という単位もテレビ画面でしかお目にかかれない事態になるかも知れない。
 日本という国の「貨幣価値」はひたすら額面だけが上昇するという歴史を辿っている。裏返しで言うと「貨幣価値の減少」と「物価値上げ」の歴史なのである。
 明治から100数十年、「貨幣価値」に関してはこれほど当てにならない国もない。(続く)

落葉樹の林床で曙色に煌めく繻子絹の雫 / 地球温暖化、待ったなし(2)

2008-04-20 05:02:47 | Weblog
 (今日の写真はラン科シュスラン属の常緑多年草「アケボノシュスラン(曙繻子蘭)」だ。花名の由来は花の色を明け方の空の色に喩え、葉を織物の繻子に見立てたことによる。
 見立てる感性にも驚かせられるが、何と、贅沢な花だろうか。名前だけの理解では、そんなことを考えてしまうのである。

 暦の上では立秋を過ぎていたが暑い日が続いていた。山頂でこれまで群れていたアキアカネの数も若干減ったように見えた。下山時の暑さを考えるともう少し、涼風の中に「いたい」という思いだったが、バスという帰宅の「足」を確保するためにはやむを得なかった。ブナ林まで降りてきた。
 ブナの夏緑の葉に遮られていくらか涼風を感じることは出来るが、やはり暑い林中の登山道である。近くに枝沢があるらしい。微かに流水の音が聞こえる。
 水音というものは不思議である。耳にするだけで涼しい気分になる。耳を傾け、少し立ち止まり、その奥の薄暗い方に目を凝らすと小さな花が咲いていた。
 何だろう、「どこかで見たことがあるな」と記憶を辿った。それは早池峰山に北側の門馬から登った時に、針葉樹の林床で出会ったアケボノシュスランだった。だが、ここはブナの林床だ。
 茎は地を匍っているか、その上部は立っているか、葉は下部について、卵状の楕円形で先は尖り、縁は縮れているか、茎の先に淡紅色の花を横向きにつけているか、花の咲く時期はあっているかなどと検証したのだ。
 もう間違いはない。アケボノシュスランだ。
 早池峰山の門馬登山道は長距離だが、沢沿いを歩き、森を抜け、山頂にたどり着くというおもしく満足のいく道だ。とにかく静かでいい。山は静かに一人で登るに限る。

      ●●地球温暖化、待ったなし(2)●●

 今から30万年前に、現代人と同じ知能・身体構造を持った新人(ホモ・サピエンス)がこの地球上に出現したとされている。
それに比べると、カエルは3億6000万年以上前にこの地球上に現れた。単純に計算するとカエルは人よりも120倍も長くこの地球で暮らしてきたことになる。
 ところが、その大、大、大先輩であるカエルたちの営みはかつてない危機を迎えているのだそうだ。
 そこで、カエルの大、大、大、大、大後輩で、新参者である「人」たちの国際自然保護連合などが今年を、両生類の保護を訴える「国際カエル年」にするのだそうだ。
 自分たちが「危機に追い込んでおいて」何だかすごく勝手なことだなあと思ってしまうのだ。だが、反省していることは認めよう。反省もせず自分たちを地球の独裁者であるかのように考えて、カエルを危機に追い込んでいる人たちよりはいいではないかと考えることにした。
 「カエルたちのかつてない危機」とは開発による生息地消滅、化学物質による汚染、温暖化などの気候変動、オゾンホール拡大による紫外線量増加など原因となる両生類絶滅の恐れだ。何と世界の両生類、約6000種のうち3分の1から半分が絶滅の恐れがあるというものだ。
 中でも「差し迫った脅威はすでに数十種のカエルを絶滅させたツボカビ症」であると毎日新聞2008年3月27日付「余録:国際カエル年」が伝えている。
「皮膚から水や空気を体内に補給する両生類は環境の変化にひときわ敏感」という。

 昔の人々は自分たちにないカエルたち両生類の「環境の変化にひときわ敏感」な能力や他の動物たちの自然を把握する能力を大事にしてきた。自分たち人間にない能力は、すべて「神性」であり、神の言葉であったから、人々はそれを大切にして、それに従った。
 その頃は人間にも「謙虚」と「慎み」があったが、「文明に毒され」てからは、元々ありもしない「人の能力」だけを信ずるようになってしまった。ここに、人類自滅の歴史が始まったのである。
 「地球上の生き物としての大先輩のピンチにはしっかり手を差し伸べ、その身をもって伝えてくれる警告には素直に耳を傾けたい。(上記「余録:国際カエル年」の文末から)」

秋の彩りを一身に集めて濃い青紫色に咲く鳳凰花 / 地球温暖化、待ったなし

2008-04-19 05:57:10 | Weblog
 (今日の写真はキンポウゲ科トリカブト属の多年草「ヤマトリカブト(山鳥兜)」だ。花名の由来は、花の形が舞楽のときにかぶる鳥(鳳凰)の頭を象った兜に似ていることからこの名で呼ばれている。『出雲風土記』や『康頼本草』などをみると奈良・平安時代には於宇(おう)と呼ばれていたらしい。だが、「於宇」は今日では忘れ去られた名である。

 ある年の十月、NHK弘前文化センター自然観察会で岩木山の北麓を歩いた。
その日、岩木山の北面中腹部にある二子沼自然観察会をひととおり終わって、ブナ林からその縁に出てきた。その場所は林道となっており、両側の樹木の葉陰はあるものの、切り開かれているので明るかった。秋に、そのような場所で真っ先に出迎えてくれるものがガンクビソウである。だが、非常にひっそりと目立たずに迎えてくれる。それは舌状花(ぜつじょうか)「菊の仲間の花で、花びらのように見えるものをいう。実は、舌状花も一つの花である」がないからである。
 図鑑等では「本州から琉球の暖温帯域の森林に生育する多年草」と説明されているが、これは広義の場合であろう。狭義では「発達した森林には生育出来ない」と言える。それは、林内といっても、小道沿いや林縁、または倒木のあった場所や崩壊地など、明るい場所にしか生育しないということである。
 そこから、駐車スペースまでまだ、歩くことになっていた。歩きながら、この時季に咲く花に、私は思いを巡らしていた。
 実は、斉藤史の短歌に「草の葉に斬られし夏もとく過ぎて水分(みくまり)あたり咲く鳥兜」があって「鳥兜」を歌題にしているものがある。
 ところで、私はずっと長い間、八甲田山域や白神山地ではごく普通に見られるこの花に、岩木山の主要な登山道で会うことがなかった。何故、自生していないのだろうかという不思議な思いと悔しい思いと毒草なんだから、なくてもいいやという自棄的な気分になりかかっていた。
 斉藤の歌意は「 覆い茂る草々の葉に断ち切られてしまっていた夏の強い日射しも、早くも過ぎ去って今はない。多くの草は枯れて、夏の間見えなかったみまくり(沢の分岐点)周辺には秋の花、鳥兜が濃い色彩で咲いている」である。これに従うと「沢の分岐点」に咲くことが多いらしい。私は林道を横切る白沢の支流に「秋の彩りを一身に集めて濃い青紫色に咲く鳳凰花」との出会いを求めて、入っていった。色彩に欠ける藪に動かない彩り。晩秋に咲く濃い青紫色の花、ヤマトリカブトとの出会いだった…。この花は秋の彩りには欠かせないものだ。
「今生は病む生なりき鳥頭(石田波郷)」という俳句もある。
石田波郷は当時、不治の病とされていた肺結核だった。この俳句を作って間もなく死亡した。結核のことを猛毒の鳥兜(鳥頭)に喩えているのだろう。
 句意は「私の人生は病気の中にあるものだった。まるで鳥兜の毒を体の中で醸成しているようなものだ。」とでもなろうか。
 花の形の面白さもさることながら、この草は有数の猛毒植物の一つである。全草に強いアルカロイドという毒を持っている。特に根に猛毒があるが、神経痛やリュウマチの薬にも、鎮痛剤・麻酔剤などに用いられる。
 毒草だが花や葉に触っても何でもない。心配しないで鑑賞していい。
 
『水分』:「みくまり」と読む。「水配り」のことで、①山や滝から流れ出た水が種々の方向に分かれる所。水の分岐点。②貯水を調節する所。水を配分するところ。この文章での意味は①で、みくまりの神。 
 
      ●●地球温暖化、待ったなし●●

    毎日新聞2008年4月18日付「憂楽帳」:温暖化と「蚊」…から考える

 世界保健機関(WHO)に「蚊の話になると一晩でも止まらない」と評される日本人専門家、一盛(いちもり)和世さんがいるそうだ。
 「熱帯病対策に取り組む専門官。太平洋の島国で、ヒトに感染するフィラリア対策に長年取り組んだ後、06年からジュネーブの本部で熱帯病対策のチームに入った。」人である。

 その一盛さんが今、懸念しているのが地球温暖化だ。気温が高くなれば、蚊の発生が増え、活動も活発になる。そうすれば、蚊が媒介する病気の流行も拡大すると考えられるからだ。
そして…「温暖化の影響は、もう現実に起きている。温室効果ガスの排出削減だけでなく、人々の健康に与える影響を少なくするための対策に力を入れなければならないんです」と言う。
 実際に、70年代には東南アジアなど限られた地域にしかなかったデング熱は、いまや世界の熱帯・亜熱帯地域のほぼ全域に広がった。患者数も、ここ40年で10倍以上に増えた。

東京などでは熱帯性の「蚊」が越冬し始めていると聞く。そうこうしているうちに九州や四国、加えて九州並みに「温暖」な地域である房総地方などの森にはマラリアを媒介するハマダラカが生息するようになるかも知れない。
 侵略戦争ではあったが60数年前の戦争で、南方に拡大していった日本軍の将兵の多くは、この「マラリア」によって死亡した。生き残った者も、その後遺症で苦しんだ。何も将兵だけでない。多くの民間日本人もこの「マラリア」に悩ませられ苦労したのである。現在も地球規模で見た場合、アフリカ、東南アジアなどで多数の人が「マラリア」に苦しみ苛まれている。

 宇宙だ、人工衛星だと騒ぐ前に、道路特定財源で道路を造ろうという前に、「温暖化」を止めることに目を向けて、動き出そう。
 「ガソリンが安くなったので、連休は自動車で遠出をする」などと考えている人は結構多いだろう。せめて、「遠出」を止めて「近出」くらいにしておけないものだろうか。

公家の姫君の花貝あわせ金塗りの花 / 北海道の195%に秋田、山形、青森、岩手の1道4県とは?

2008-04-18 05:58:44 | Weblog
(今日の写真はケシ科クサノオウ属の越年草「クサノオウ(瘡の王)」だ。「公家の姫君が遊びし花貝あわせ金塗りの花」というキャプションでどうだろう。
 花名の由来は、瘡(くさ)とは丹毒「皮膚病・湿疹」のことで、それを治す薬ということによっているらしい。
 全国的に見られる花で、何も岩木山の花と特別視するほどのものでもないだろう。

 山道を登り、歩き、花々に出会って「かわいいなあ」とか「美しい、健気だ、見事だ」とか、さらには咲き方や生育状態に「驚き」「感嘆」する前に、いつも思うことがある。 それは花は「自分のかわいらしさや美しさを誇らないし、出会う私たちに愛でられ慈しまれることを決して望んでいる訳ではない」ということである。
 それはただ今という現実を生命の限りを尽くして生きていることに他ならないことなのである。それは命の限りを尽くすことが次の世代に生命を引き継ぐ唯一の事業であることを知っているからだろう。
 花はその為にだけ色彩の、形の美しい花を咲かせ、時には芳香さえまき散らすのである。
そのような思いの後で私はきまって頭を深く垂れて「果たして私は日々、命の限りを尽くして生きているか。」と怯えてしまうのだ。緑陰の中で深い黄金に輝くクサノオウに出会った時、私は怯えながらも謙虚に対峙していた。
 そして、そこに江戸時代から冷泉家に伝わる花貝合わせの蛤の貝の内面に描かれている金塗りのクサノオウを見ていた。
 花だけ見るとキンポウゲ科の植物と間違えるがケシ科の植物である。)

●●北海道の195%を筆頭に秋田、山形、青森、岩手を加えた1道4県とは?●●

 さてこれは何のことだろう。
『北海道の195%を筆頭に100%を超えたのは秋田、山形、青森、岩手を加えた1道4県。米どころの新潟は99%だった。一方のダメな方は東京1%、大阪2%、神奈川3%。』
 これは何の数値(割合)だろう。いろいろと発表される統計的な数値(割合)を見ると、決まって最下位にいるのが青森県と沖縄県である。
 「求人倍率」などはその典型だし、死亡率などもそうである。ひょっとすると「原子力関連施設の設置率」全国一かも知れない。こんなものは全国で第一位であっても、ちっとも嬉しくはない。

 青森県が第4位に位置しているこれは、農水省が先月発表した06年度の都道府県別の食料自給率だ。
 「自給率1%」とは、1日の食事でとる2548キロカロリーのうち、自らの地域で確保できるのはレタス1個か、イチゴ5粒か、ご飯なら、お茶わんの10分の1に相当する食料だけという状況なのだそうだ。

 財政力格差や人口流出に悩む栃木県のある町長が次のように言ったという。
 …「都会に向かって、言いたくなる時があるんです。もう、自分らが吸う空気の分しか山を手入れしないし、自分らで食べる分しか作ってやんねえぞ、ってね」

 これくらいのことを三村知事も言って下さいよ。次のように言えばいいのだ。
「もう、自分らが使う電気の分しか場所を提供しないし、自分らで使う分の電気ならば原発は必要ないんだ。風力と太陽光と水力発電所しか作ってやんねえぞ。青森県はこの3つで十分電力を賄えるんだ。必要な人たちが自分たちの住んでいるところに原発を造って下さいよ。」とね…。
 「確約書」なんていつでも不渡り手形になるのであることも「確約」すべきだろう。
 石原慎太郎都知事が『東京は「日本の頭脳、心臓部」だ。』と言ったそうだが、頭脳も心臓も身体の一機能であって、全身がそれらを支えて生きていることを忘れてはならない。 私には、「東京」が、ペースメーカーをつけて毎日を不安に生きる人、人工透析という苦痛を数日間おきに味わう人、毎日インシュリンを射たなければ、いつ低血糖で倒れるかも知れないという不安を抱える人、また、点滴器具を引っ張りながら不自由な歩行や生活を強いられている人に見えてしようがないのだ。

大都会の首長や住民が自らを「頭脳・心臓」と呼び、「食べる側」を満喫し続けたいならば、「造る側」の「背中や手足の痛み、疲れ」を思いやることも必要だろう。と毎日新聞2008年4月11日付きの「発信箱」では言うのだ。
 まったくそのとおりだ。今の日本はひたすら「弱いものいじめ」であり、格差助長を越えて「差別」の時代、自分さえよければいいという「一部の権益と権力を手にした者たちの独裁」の時代になってしまった。
 「民主主義」の本質を「行動の中」で取り返すしか、明るい出口は見えないだろう。

素朴な信仰、赤倉社屋群の南面で煌めくブナ林縁の白き結界 / 志賀坊森林公園のこと

2008-04-17 05:57:14 | Weblog
(今日の写真はバラ科リンゴ属の落葉小高木「ズミ(酸実・酢実)」である。「素朴な信仰、赤倉社屋群の南面で煌めくブナ林縁の白き結界」というキャプションがいいのではないかと考えた。
 花名の由来は樹皮から黄色の染料が作られ、それを「染み(そみ)」と呼んでいたがズミに転訛したことによるそうだ。

風薫るという明るく新鮮な季節が里を後にする頃である。ちょうど、リンゴ農家にあっては「猫の手も借りたい」ほど忙しい受粉作業が一段落したころとでもいえるだろうか。
標高五~六百メートルの山麓の森ではタウチザクラやオオヤマザクラの花が散り始めヤマナシやズミの花が咲き始める。
自動車を持たないものにとっては赤倉登山道からの登りは不便である。鰺ヶ沢行きのバスに乗って大森で下車してとことこと歩いてやっと大石神社や赤倉社屋群に着く。
 北に面する標高四百メートルあたりからブナが目立ってきて、その林縁は淡い白色で取り囲まれている。ズミの花である。
 植松法子の短歌に「満開のズミの白きを結界のごと廻らせてブナの純林」と「ブナの森出でてまた会うズミの花ゆうべまぶしくこの世を照らす」というのがある。
 最初のものは「 満開のズミの白い花が咲いている。それはまるでブナ純林を取り囲んで侵入を許さない結界のように見えたよ」とでも解釈されようか。
 ちょうど赤倉講の社屋群が途切れるあたりにその大木はあるのだ。だから、いっそうその気分は助長されて高ぶるのである。
 だが、そこを通り抜けて登山道尾根の石仏道に出てしまうと、ブナ林に入るのだが、もはやずみの花に出会うことはない。
 「ブナの森を通り抜けるとまたズミの花に出会った。この花の白さはまさに薄暗いこの世の夕べを眩しいほどに照らすものだ。何と清楚であることよ。」という二首目の歌題はあてはまらない。
 しかし、北向きの薄暗い林縁を眩しいほどに照らす白い花々の織りなす清楚な宇宙は二度目に通り過ぎるブナの森にあってもいい。

結界=仏語(区切ってそこから中に入れないようにする境界…女人結界など)

   ●●志賀坊森林公園で「ウオッチング青森弘前支部(?)」と「NHK弘前文化センター」が担当する自然観察会が20日に開かれる●●

  ◆ と き 平成19年4月20日(日) 
                   10:00~13:30
  ◆ ところ 平川市広船『志賀坊森林公園』
  
  ◆ 持ち物/服装 等
  ・簡単な山歩きができる服装~長袖シャツ・長ズボン・帽子・手袋(軍手)・長靴 等
  ・雨具、ある方は双眼鏡等
  ・昼食/水筒/筆記用具 その他(当日の天候により防寒対策等も)

「NHK弘前文化センター」関係は、3年間続けている講座「津軽富士・岩木山」の4年目の最初の自然観察野外講座である。
 
 この事前調査のために、12日、15日と2日間出かけた。両日ともに「自転車」で行った。
 「岩木山オタク」である私は「志賀坊森林公園」のことをこれまで名前でしか知らなかった。この森は、もともと平賀町広船地区の林で、住民によって営々と管理され、保護され、育てられてきた場所である。
 「岩木山がよく見えるのですよ」という人たちの「お薦め」が、講座を開く場所としての「決めて」となった。確かによく見える。太宰治が「じゅうにひとえの裾」を云々と書いたが、その裾にあたる広くて長い山麓がすべてなだらかな線となって見える。その上、弘前から南東に開けた津軽平野の東側がすべて見える。当然岩木山の北側は見えない。
 だが、事前調査をして、「見える」だけに価値があるのではないということを十分理解した。
 それはこの時季、つまり「スプリング・エフェメラルズ(春のはかないいのち)」の観察地としては、最高の場所であるということだ。すばらしい「里山」である。
 弘前市は岩木町と相馬村と合併したので、いくつかの「里山」を苦労もせずに手に入れることが出来たが、合併以前はほぼ、「里山」がない状態だった。まるで「濡れ手で粟」である。平川市にはこのような「里山」がまだあるのだ。
 
 12日はTさんと自転車で下見に行って来た。行く時も小雨、観察調査の時も小雨、冷たい風、帰りは本格的な雨であった。気温もすごく低く、往きの自転車走行で汗をかいた体は冷え切ってしまい、すごく堪えた。
 また、体はすっかり雨に洗われたのだが…、ただ、この観察地は「早春」の植物の宝庫で、心洗われて帰ってきたのである。
 雨天や曇天の日は「カタクリ」「キクザキイチリンソウ」「フクジュソウ」などは花びらを開かない。一面に生えてはいるが、その色とりどりの「色彩」が実感されない。そのことがすごく残念だった。それに、二、三、もう少し調べたいことがあったのだが、それも出来なかった。もちろん、岩木山も雲に覆われて見えなかった。
 気象庁の天気図を読んで、15日は確実に晴天であると踏んだ。そして、15日はすばらしい天気となった。そこで、もう一度、自転車で志賀坊森林公園まで行った。午前9時半に出発をして、帰宅したのは15時過ぎであった。
 12日には、「志賀坊森林公園」に辿り着く最後の急な坂を自転車で登り切れず途中で降りて、引っ張るというだらしのなさだった。あとで気づいたのだが「ギヤ」を一番軽い状態にしないで、ペダルを踏んでいたのだが、それにしても情けない力のなさである。Tさんは一気に駆け上がっていったというのに…。
 ところが、15日には、その急な坂を、1回だけサドルにかけたまま休んだだけだった。何とかギヤを一番軽いところに入れて登り切ったのである。嬉しい。

「カタクリ」「キクザキイチリンソウ」「フクジュソウ」などは陽光を浴びて開いていた。「アオイスミレ」や「スミレサイシン」はその芳香を漂わせ、「ナニワヅ」がその香りに別な香りをアレンジして、春の「香りの世界」は賑やかであった。「ニリンソウ」も間もなく開花する程度まで蕾を膨らませていた。
 途中出会ったグループにあれこれと質問されて、2つの女性グループのガイドをする羽目になってしまった。その上、ベストの忘れ物を拾い、管理人に届けるということまですることになったのである。
 岩木山はその日もまた、恥じらう乙女だった。春霞(はるがすみ)の美しさは日本人好みの風情である。だが、春の岩木山にとって、それは「御簾(みす)」でしかない。遙か遠くにぼんやりと輪郭のない岩木山が佇んでいるだけだった。 

山麓の草原で遠望に山頂を戴く青紫の段々花 / 10日に開かれた「核燃反対市民講座」受講の感想(3)

2008-04-16 05:21:29 | Weblog
 (今日の写真はリンドウ科リンドウ属の多年草「エゾリンドウ(蝦夷竜胆)」だ。花名の由来は本州中部以北と北海道の深山や亜高山帯に自生することによる。エゾ(蝦夷)は北方を大まかに表す語として使われる。漢名の「竜胆」は字義どおり竜の濃青色の肝のことだ。胃液の分泌を盛んにする竜胆(りゅうたん)が胃の薬として使用され始めたのは、西洋医学が日本に入り、漢方薬に代わり洋薬が使われるようになるころからであり、リンドウは盛んに採取された。
 一般に花屋で売られている早生のリンドウは、このエゾリンドウの栽培品で花の数も多く、根茎もエゾリンドウと比べると太くて大きい。花期は八月から十月で、関東以西の丘陵や草地に自生する「リンドウ」より大型で花の色が濃い。
 岩木山にも自生している「エゾオヤマノリンドウ」はエゾリンドウよりも高地に生えて、葉腋に花をつけないことで区別する。

 その日、自然観察会予定日は大型の台風がやって来ることになっていた。気象庁は本州縦断するという見通しを立てていたが、私は気象庁の予報に疑義を持っていた。
 それは、例年その日はお天気の特異日であること、その月の台風で太平洋沿いに北進するものは東にそれることが多いこと、加えて、東にそれると強風の心配は殆どないこと、台風は気温の低下と大陸性の高気圧によって、早々と勢力を衰えさせて温帯低気圧に変わってしまうこと…などなどから、台風が秋雨前線を吸引してしまい、台風一過の晴天となるだろうと踏んでいた。
 ところが、その日台風は東にそれすぎてしまい、日本海にある秋雨前線を残して行ってしまったのだ。そして、小雨の降ったり止んだりという天気になったのだ。
 私たちはブナの森に向けて、山麓のじめじめした道を歩き始めた。この道が濡れているのは雨の所為だけではなく湿地帯になっていることにも因る。
 参加者の一人が目敏く、藪中から頭を出している青紫色の花を見つけて「あっ、リンドウ」と言った。
 背丈は五十センチほどだろうか。葉のつけ根に何段かの花をつけている。葉は粉っぽい緑色で、茎は赤みを帯びていた。エゾリンドウであった。
 「花びらが開いていませんね」と参加者が言う。
 もともと四センチ程度の花は開いているのか開いていないのかはっきりしないのだが、日が射さなければ開かない。雨降りなのだからどうしようもないのだ。
 それらを受けて名前が「エゾリンドウ」であることや、その「エゾリンドウ」の特性や「エゾオヤマノリンドウ」との違いなどを説明した。
 
「竜胆や朝襞消ゆる槍穂高(中島斌雄)」という俳句がある…。
…日も高くなり竜胆が青紫の花をやっと開きかけた。朝のうちに山襞深く入り込んでいた霧も晴れ渡り消えてしまった。その遠くに槍ヶ岳や穂高の山並みが見えているよ。ああ、いい天気の秋晴れだ。…という風情が目に浮かぶ。
 目的の山頂はまだ遠くガスの中。足元にリンドウの花を見つける。しばし、肩に食い込むザックの重さを忘れさせてくれる。こういうことは登山をしているとよくあることである。

   …4月10日に開かれた「核燃反対市民講座」受講の感想(3)…
(承前)
 少し、単純化して考えてみよう。
 太陽と地球という天体的なバランスの中にあって、地球上に超ミニである太陽、つまり「原子力発電所」や、それに関わる「再処理施設」をどんどん増やしていったらどうなるのだろう。
 これまでの地球は45億年かけて、太陽との微妙な「バランス」を造り上げてきた。この時空を超えた歴史を持つ地球に、性急に人工の太陽を設置し続けていくことは、必ずやこの「バランス」を壊すものになるはずである。
 これまで、人間が獲得してきた化学反応の技術や文明が「地球温暖化」という異常、つまり太陽との「バランス」破壊を生み出したのだ。これもまさに性急な45億年という歳月の至近である、わずか100年間の結果なのだ。
 そのような事実に「ふた」をして、こともあろうに「地球温暖化」を防ぐために「原子力発電所」を増やすということは、結局太陽とのバランスを壊すことになるだろう。
 言い換えると「化学反応」の結果を「原子核反応」で処理するということである。しかし、これは質的には全く違うことでもある。
 原子力発電所で「原子力エネルギー」によって電気を作る時は、確かに「CO2」は排出しない。これは事実だ。ただ、その前に私たちはこの「原子力エネルギー」に目を向けなければいけない。
 1万倍もの違いのある「原子核反応」によるエネルギー使用で「地球温暖化とCO2排出を防ぐ」ということは、本質的には理屈に合わないし、原子力発電所の利活用との相対性は質的にはない。それは「化学反応」の結果処理には「化学反応」で対処するほかないからである。

「地球温暖化とCO2排出を防ぐ」には「これまで人間が獲得してきた化学反応の技術」で対処するほかない。これ以上、地球上に「バランス」を崩してしまうような「物質」を沈殿・堆積させてはいけない。
 まずは、使うエネルギーを減らすことから始めましょう。電力の使用を三分の一減らせたら、現在の国内にある「原子力発電所」は不要になるのである。

 最後に、「原子力発電所で電気を作る時は、確かにCO2は排出しません」が、造られる施設の建設、施設の稼働などには、CO2を排出して得られたエネルギーを大量に使用している」ことをお忘れになきようにしてもらいたいものだ。

 などなど、大いに学習になった講座であったことは事実だが、まだ、人に分かるように説明する自信はない。(この稿終わり)