(今日の「岩木山の花」はキク科シオン属の多年草「ノコンギク(野紺菊)」だ。
花名の由来は、野に咲く紺色のキクという意味によるらしい。とても簡単明瞭で分かりやすいが「紺」色と言うには無理があるような気がする。)
私の歩みはノコンギクの前で直立不動で停止し、「御前」にひれ伏しながらじっと対峙していた。出会ったのは既に標高千メートルを越えている焼止り小屋の手前だった。
これはノコンギクにまちがいないのだが、「深山」という冠を載せてあげたくなったのだ。それほどに高貴に見えたのである。
素朴は時として俗衣を纏うこともあるが、この花にはそれを全く感じることが出来ない。これは「普通のノコンギク」ではない。里から遙かに遠い高山・深山で孤高を保ち、高貴な野趣を醸し出しているこの花を「ミヤマコンギク」と呼びたいと正直思った。
高貴さには孤独とそれを進めた孤高が常につきまとうものではなかろうか。社会性や協調性、それに組織性を強調するあまり、現代人は孤独を恐怖し、孤高を知ろうとしない。 「メダカは群れたがる」という俚諺の「メダカ」には高貴は感じられないだろう。彼女との語らいはいつまでも続き、私の足はなかなか前に進めないでいた。
野菊といわれるものの大部分がこの菊であると言われている。里で見られ、よく分岐した茎頂に咲く淡紫色の小花は、素朴で野趣に溢れていて可愛いものだ。私は「咲いているうちに、また来るからね」と囁いて、ようやくその場をあとにしたのである。
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花名の由来は、野に咲く紺色のキクという意味によるらしい。とても簡単明瞭で分かりやすいが「紺」色と言うには無理があるような気がする。)
私の歩みはノコンギクの前で直立不動で停止し、「御前」にひれ伏しながらじっと対峙していた。出会ったのは既に標高千メートルを越えている焼止り小屋の手前だった。
これはノコンギクにまちがいないのだが、「深山」という冠を載せてあげたくなったのだ。それほどに高貴に見えたのである。
素朴は時として俗衣を纏うこともあるが、この花にはそれを全く感じることが出来ない。これは「普通のノコンギク」ではない。里から遙かに遠い高山・深山で孤高を保ち、高貴な野趣を醸し出しているこの花を「ミヤマコンギク」と呼びたいと正直思った。
高貴さには孤独とそれを進めた孤高が常につきまとうものではなかろうか。社会性や協調性、それに組織性を強調するあまり、現代人は孤独を恐怖し、孤高を知ろうとしない。 「メダカは群れたがる」という俚諺の「メダカ」には高貴は感じられないだろう。彼女との語らいはいつまでも続き、私の足はなかなか前に進めないでいた。
野菊といわれるものの大部分がこの菊であると言われている。里で見られ、よく分岐した茎頂に咲く淡紫色の小花は、素朴で野趣に溢れていて可愛いものだ。私は「咲いているうちに、また来るからね」と囁いて、ようやくその場をあとにしたのである。
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