岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

細雪が、「春雨」に…

2007-03-31 06:01:30 | Weblog
 ( 昨日の続きである。内容は綿雪から次第に細雪に変わっていったというところからだ…。)

 …ところが、「ふわふわと空中を漂うように降っていた雪」は次第に、小さくなり、霧雨やぬか雨に似た形状に変化してきた。
 まさにそれは、春雨を思い起こさせる「春の雪」だった。風はもとよりないに等しい。目に見えるか見えない程度の細かい、雨のように垂直に、幾分早めに降る雪である。これは「細雪」(ささめゆき)と呼んでもいいだろう。春の雪だ。
 暖冬だと騒がれているが、季節の推移にたがわず、降るべき時にちゃんと降ってくれる「細雪」に何だか感謝したい気持ちになった。
 人間の業が、暖冬の一因をなしていることは疑いようのない事実である。それにもめげず、自然は順当な自然気象を懸命に醸し出しているように思えたからである。

私はその細かい雪を、三十分ほどじっと眺めていた。そして、それはいつしか、静かな細い雨に変わっていったことに気づいた。そして、ふと「春が来ているなあ」と呟いた。

今日で、三月も終わりだ。
 飯田龍太の俳句に「いきいきと三月生まる雲の奥」というのがある。山本健吉はこの句の三月は月でなく「季節」であると指摘している。言い得て妙であり、私もそう思う。
 三月はいろいろな意味を持つ月(季節)である。気象的なものだけでない。
 「別れ」の、「旅立ち」の、「希望」の季節であり、受験に失敗した十五歳や十八歳の若者にとっては「悲しく、悔しく、涙する」季節でもある。

 三月は混沌とした季節であり、非常にメリハリの利いた月でもある。三月に入ると、日照時間が長くなり気温も高くなる。当然上昇気流も発生する。
 ところが上空には寒気が流れ込んでいる。だから、天気図に現われない小さな前線が一日に何回も通過して、その都度、雪しぐれを降らせる。
 真冬と早春がしのぎを削る。寒気の南下で気温は氷点下まで下がり、西高東低の等圧線がこみ合うと、風は台風なみに発達する。
 また、一晩で数十センチの積雪を見ることもある。そんな日の後に、明るい日ざしの春が、遅い朝から始まることがある。
 しかし、冬の装いをまったく捨てているわけではない。早朝の凍てつく放射冷却に始まり、青空は抜けるように高く、陽光は暑いほどだ。だが、時折雪しぐれが通り、路上にうっすらと綿雪を残す。
 そして、また次の日ざしと乾いた風が、瞬く間にそれを消してしまう。三寒四温に似ているこのような繰り返しが三月である。
 
だが、やはり「暖冬」であった。今年の三月にはその「メリハリ」がないのである。しかし、この細雪とそれから変わった細かい雨は、メリハリのない分だけ、逆に「春」を十分感じさせてくれたのだ。
 ひょっとすると、このメリハリのない三月がそのまま、四月にずれ込んでしまうのかも知れない。冬の名残りと、惰性だけの春となったらどうしようかと、幾分心配している。

雪のひとひらが教えてくれること

2007-03-30 07:36:35 | Weblog
 昨日の朝は五時台に目が覚めた。おもてがうっすらと明るい。春の雪だった。
起きて直ぐに見た最初の雪は、淡雪というか、牡丹雪と称されるものだろうか、大きめでふわふわと空中を漂うように降っていた。
 風はまったくない。「ふわふわと」と形容すると、縦横にたなびくというイメージだが、事実は真っ直ぐに落ちてくるのであった。。

 ふわふわした雪はたくさんの雪の結晶が集まったもので、その七十五パーセントが「空気」だと言われている。だから、そのひとひらひとひらがふわりふわりと空に浮かんでいるようにゆっくりと落下してくるのだろう。

 雪に匂いのあることをご存じだろうか。私が冬に岩木山に登りはじめたのは、今から四十年ほど前だ。
 体力はあったが、装備は重く、しかも「ワカン」を着けて、厳しいラッセルの連続で疲れ果て、顔を積雪に突っ込んで倒れ込むように休息することもあった。その時、激しい喘ぎ(あえぎ)は、思い切り雪の匂いを、いや雪に含まれている空気を吸うことになる。「雪に匂いがある」ということを知ったのはそんな時だった。

 このような状態だから、登行速度は遅い。いきおい、山頂に辿り着く前に「一泊か二泊」を強いられたものだ。小屋にたどり着ければ小屋に泊まるが、それが出来なければ、雪穴(雪洞ともいう)を掘ってそこに泊まることになる。
 雪の「ど真ん中」で一晩「生きる」のだから、雪の匂いを文字通り肌で感ずることが出来そうだが、不思議なことに、「この中」では雪の匂いを嗅いだことはない。
 
 冬山では雪を溶かして、飲料水やさまざまな「煮炊き」に使う。その時に、雪の匂いを「味覚」することになる。
 四十年ほど前の「雪の匂い」は「木の燻(いぶ)り」であり、木酢酸の香りであった。これは当時、私たちが日常、生活している里の香りである。つまり、四六時中、嗅ぐことが出来た、いわば身に染みついた「香り」であった。
 最近、この匂いは大きく変わった。「木の燻(いぶ)り」から「石油や工場排煙」また「化学物質としての酸性物」に変わったのである。
 自然の匂いから化学物質の匂いへの変化は、それだけ地球上の空気が汚染されているということである。

 まだ、匂いの変化だけである。この変化は「温暖化」と呼応している。温暖化の要因を排除していくこと、つまり、変化をくい止めることをしなければ、そのうちに「雪は白いものである」ということが伝説になるかも知れない。
 井伏鱒二は「黒い雨」を書いた。強い酸性物質を含んだ雪はどのような「色」になるのだろう。黒だろうか赤だろうか。
 普通、想像することは楽しいことだが、こればかりは楽しくない。恐ろしくおぞましいことである。


そろそろ四月、選挙の月だ。大声だけの連呼はやめて!

2007-03-29 06:13:14 | Weblog
 このブログに挑戦してから40日ほどになったようだ。書くことにはあまり抵抗はないが、まだ「ブログ」自体には馴染んでいない。いくらか馴れてきたなあと思っていたら、先日「メンテナンス」とかいって「書けない時間」があり、その後、画面や機能に変更があったようで、またまた「馴染めない」状態に戻ってしまった。
 「ブログ」右欄の「ブログの作成・編集」をクリックすると「ようこそaiken12さん」の右にアクセス状況というのがあり(以前はなかったようだが…)、前日のアクセス数として閲覧数:xxPV 訪問者数:xxIPとある。これを含めた画面全体の色彩も黄色を基調とした「向日葵色」に変わった。
 何せ、先月の22日から始めたのだから、以前のことを知るよしもない。とにかく、「使わせてもらっている」のだから、任せるしかない。

 昨日、会員Sさんが、「弘前公園入場有料化」について、東奥日報夕刊「明鏡欄」に投稿したら、採用されて26日の紙上に掲載されたと伝えてきた。
 私はまだ読んでいないので、切り抜いておいてほしいと伝えた。4月4日に幹事会があるので、そこで幹事一同で熟読しようと思っている。私も四つほどのテーマでこの問題について、すでに書いてある。それと比べてみて、主題に違いがあれば「投稿」しようと考えている。
 
 間もなく、県議会議員の選挙が告示される。8日が投票日だ。昨日、ある立候補予定者の「後援会」を名乗って「よろしくお願いします。」という内容の電話があった。「あれ、もう告示されましたっけ?」との問いに「まだですが、後援会です。」といって電話は切れてしまった。
 告示日に、マスコミは「選挙戦始まる」と報道するが、告示日は始まりでなく、終盤なのだろう。
 これから推量すると市会議員の選挙(4月22日投票)もすでに始まっているのだろう。争点となるであろうと考えていた「政務調査費」問題が、「政務調査費を支給しない」という議会決議で、あっさりと問題でなくなり、争点でなくなってしまった。

 となれば、残るは「弘前公園入場有料化」問題である。立候補予定者に言いたい。弘前市民にとって「弘前公園」はどのような存在であったのか、その歴史的背景をまず、勉強してほしい。
 我田引水、地縁的や血縁的なつながりによる利益誘導などを優先してはいけない。当選すれば「すべての弘前市民からの付託に応える」という使命を持つことを、ゆめゆめお忘れなく。
 立候補者はおそらく「前議員」が多いだろう。あなた方は、金澤市長の時は、金澤に右ならえをした。そして金澤を批判して当選した相馬市長にも右ならえをしている。
 何と、柔軟な思考ではないか、驚くばかりだ。その柔軟で、ファジーな頭脳で「弘前公園」の背景としての歴史性と市民感情を理解しながら「学習」してほしい。
 そうしたら、きっと「選挙公約」に「弘前公園有料化には反対します」という一項が登場するはずである。

山野草、掘り採りをする人の言い分?

2007-03-28 07:30:21 | Weblog
 山の中で、よく掘り採りをしている人に会うことがある。そのタイプは大きく二つに分けられる。
 その一つは、趣味程度に、つまり昨日書いた好事家らしい人。
その一つは、「掘り採り」を生業(なりわい)として、それで生活している人である。格好・服装の様子、持っている道具類・装備の違いから外面的に両者はすぐ区別出来る。
 さらに、突っ込んで、その行動・動静から見ると、前者は「どこかおどおどしていて、落ち着かない。」「こちらが話す以上に多弁であることが多い。」「採らないで下さいとお願いするとまず、止めてすみませんと言う。」などの傾向を示す。

 後者はかなり異質だ。まったく反対だと言ってもいい。「横柄さをともなう平然さと落ち着き示す。」「まるでこちらを無視するかのように殆ど口をきかない。」「採らないで下さいとお願いすると、『お前は誰だ。何の権利があってそのようなことを言うのだ。昔からずっとこうして採ってきたのだ。誰からも採るなと言われたことはない。』」と言う。
 そして、言いながらも「掘り採り」は決して止めない。その作業は手慣れたせいもあるのだろうが、手際よくスピーデーですらある。まさに「プロフェショナル」なのである。

 彼らの言い分の中心には「昔から掘り採ってきた」という既得権の主張がある。しかし、「採取」してはいけないということを知らないわけではないのだ。
 だが「採取」して「山野草店」に持ち込んで、売ってもそのことは決して法律に抵触しないことは知っている。
 しかも、「採取」は現行犯逮捕が原則なので、お巡りさんが山の中にいるわけもないとなれば、生活の手段となることは容易であろう。
 「山野草店」からの「現金収入」は魅力である。もちろん、「山野草店」と個別契約をしているだろう。その方が「安定した現金収入」になるだろう。「掘り採り」屋と「山野草店」の関心はただ、「儲け・利潤・現金・収入」にしかない。山野草を育てている、または育っている「自然」にはないのである。

 自然は有限なのである。育てることもせず、造り出すこともしないで、ただ採り続けていては、いつかは枯渇する。それを絶滅という。そうなると、「掘り採り」屋も「山野草店」も存在不可能となることに気づいてもいいだろうに…。
 かつてゴールドラッシュと言われた時代の話しだが、金という地下資源の枯渇、つまり金を掘り尽くした結果、金が採れていた時の繁栄と隆盛は消え去り、人々は去り尽くし「ゴーストタウン」という廃墟になったという歴史的事実を思い返してみよう。

 この手の「掘り採り」屋は岩木山だけでなく、どこの山にもいる。
 私は岩木山に固執しているから、他の山のことはよく知らないが、本会会長の阿部東は「虫」屋なので、それを追ってどこへでも出かける。
 彼が言うには「白神山地」はもとより、近くでは「大鰐の奥山」や「梵珠山や中山山系」などで頻繁に出会うのだそうだ。
 縦横無尽に走る「林道」を伝い、どこへでも出かける。植林し、造林して山を育てる、管理するための「林道」が、山の生態系を壊すことにつながっている。
 それだけではない。それを使って林野庁が、人工林を伐採しているのならまだいいが、杉などは安くて商売にならないからと、ひっそりと残っている「天然林」をどんどん伐採しているのだ。青森県では特に、下北半島の「ブナ」がどんどんと伐られている。
 ここにも、「儲け・利潤・現金・収入」への関心しかない。

 「日本の天然林を救う全国連絡会議」がすすめている「国有林内の天然林を環境省に移管し保全する改革に関する請願書」署名の第一次締め切りが31日。まだの人は急いでほしい。

昔から、山野草を掘り採ってくるという文化はあったのだが…

2007-03-27 08:01:30 | Weblog
 昨日もNHK弘前文化センターの講座であった。月二回のこれは私が講師をつとめている。
 昨日も数種の草花について勉強したが、その中の一つは「蝦根・海老根夷・他倫草(エビネ)」である。
「北海道、本州(山形県以北)に分布していて、低山から高山の湿った草地、山地や丘陵の林下に生える。」と図鑑などにあるが最近は滅多にお目にかかれない。根っこが海老に似ているのでこの名がある。

 「感性で草花を愛でる」ということが講座の主なテーマなので、その草花を歌題にした短歌や句題にした俳句などを例として挙げながら、鑑賞することもある。

 エビネに関しては次の俳句を中心に考えてもらった。

・杉山に燭をかかげて海老根咲く      (青柳志解樹)

 『春先の杉山、その薄暗い林床にまるで燭台の明かりを掲げたかのように海老根が淡い臙脂の群れをなしてが踊っていた。』というのが句意であろう。
 何も杉山でなくてもいい。岩木山山麓の雑木林で次のような出会いをしたことがある。
『…春、残雪を伝って岩木山を下りてきた。沢水の音が近づいてきた。行く手の右上空から差し込む陽光が筋をなして、雑木林の林床の一点を照らし出した。淡い臙脂の群れが踊った。それは光浅き早春の林下に掲げられた群れなす燭の彩りとでも言える海老根の小群落だった。ふと、青柳志解樹のこの句が脳裏をよぎった。』

 今日の題目で言いたいのは次の俳句である。

・足音がきてすれちがふえびね掘     (飴山 実)

『海老根を掘りとっていたら、人の足音が近づいてきて、そばを通って去っていった。きっとあの人も海老根掘りに違いない。』が句意だ。
 「…すれちがふ」と旧仮名遣いで表記されているところからすれば、この句は最近のものではない。戦前かあるいは少なくと戦後間もなくであろう。この俳句の句意は述べたとおりだが、これから解ることがもう一つある。

 それは、咲いているエビネを掘り採るに多くの人が山に入っていたということである。つまり、日本人にとってエビネの咲きだす頃、「里山に入って海老根を掘りとって来ることが極めて普通の感覚であり、一般的だった」ということである。
 
 しかし、「これだから、絶滅や絶滅が危惧される状況になるのは当たり前なのだ。」とすることは早計であろう。そうではない。好事家(こうずか「風流を好む人」)だけの、直接の掘り採りであれば、その数はたかが知れているだろう。好事家はいつの世にもいた。江戸時代にも明治、大正、そして昭和という世にも沢山いた。 けれども、特定の山野草が絶滅の憂き目をみたという歴史はない。

 江戸時代には、福寿草の植栽が盛んになったが、これは自生のものを掘り採ってきて栽培したものだ。それまで、俳句や和歌の世界に「福寿草」は登場しない。江戸時代から登場するのだが、おもしろいことに、主題はすべて庭に咲いた「福寿草」であり、鉢植えの「福寿草」である。
 多くの家々で「福寿草」を植栽していたが、山野の「福寿草」が絶滅したという記録はない。

 山野草の中でも、特に「蘭科」の植物は山野から激減している。
 岩木山では「サルメンエビネ」などは見ることが出来なくなってしまった。毎年咲いている場所に「会い」に出かけていたが、ある年に、見事に掘り採られていた。その後、その場所からは「サルメンエビネ」が完全に消えた。
 岩木山に自生している花々をこよなく愛している友人のTさんに、そのことを話したら「あれが最後の一本だったかも知れない。岩木山からサルメンエビネはなくなってしまったのだろう。」と悲しそうに言った。

 ではなぜ、このように「消えてしまう」のか。好事家だけの採集では絶滅することはあり得ない。これは歴史が照明している。
 となれば、それは「自分で採集しない、または出来ない人が、お金でほしい山野草を買うことで、手に入れる」ということに起因しているのだろう。
 「金」のある人にとって金を出すことは、苦労を伴うこともなく簡単なことだ。その簡単なことには人は群がるものだ。希少な山野草にはより多くの人が群がり「値段」をつり上げる。もはや「山野草」は立派な商品であり、投機的な側面すら持つようになってきている。
 ここ数年、「山野草店」が増えている。そうなれば、そこに展示される山野草の数は膨大であり、そのニーズを埋めるほどに山野から「掘り採られて」くるのである。

 絶滅の原因は、ひたすら利潤のみを追求する商業主義である。法律もそれを規制していない。採ることは規制しても売ることを規制しないという明らかな矛盾。岩木山に見られる山野草で、法律的に「採取」すると罰せられるものはあるが、「それ」を売買すると法律で罰せられるとするものはないのである。

 悲しいかな、日本の法律は商業主義(資本主義)に立脚しているから、「商業、商売擁護」が主であり、「自然擁護」は常に後回しなのである。

自然観察は「自然という鏡に人間行動を映して、反省を与える機会」だ

2007-03-26 14:33:54 | Weblog
 今朝、ブログを書こうとしたら「メンテナンスのため、Webは開けません。書くこともコメントも出来ません」という意味の画面が出た。九時半まで待機してほしいというようなテロップもあった。
 今日もまた、NHK弘前文化センターの講座であり、九時半過ぎには出かけるのだ。これでは書くことが出来ない。という訳で帰宅し、昼食をとった後にこのブログを書いている。
 
 
 昨日のブログの最後に「しかし、今日は雨の予報である。困った。こればかりは神頼みするしかない。」と書いた。
 神に通じたのか「雨」は降らなかった。そればかりではない。柔らかく暖かい風が、ヒガラやヤマガラなどのさえずりを伴って、優しく吹き込み、まるで、初夏に吹く薫風、凱風(がいふう)を思わせた。
 また、「ワカンジキ」を着けて雪上を歩くという「冬」の行為に違和感を持ったほどだ。まさに五月中旬、ブナの新葉が萌え出す頃の陽気だった。
 ところが、事実はまだ冬の装いで、「ヤマネコヤナギ」(ばっこやなぎ)はわずかに芽を出し、「ヤマナラシ」や「ヤチハンノキ」、それに「ツノハシバミ」などはおしべをのばしてはいるものの、花粉を飛ばす状態にはなく、めしべに至ってまだ小さく「硬い」状態であった。
 「弥生跡地」に隣接している「ミズナラ」を主な樹木とする雑木林はいまだ「枯れた」様相で、芽吹きの気配はなく、樹冠部を「暖かい五月の風」が吹き渡っていた。
そのような中で、自然観察が行われた。
 ヤチハンノキの枝先を少しだけ折り取って、おしべとめしべの違いを確認する。「大きい・小さい」「柔らかい・硬い」「長い・短い」「つやがない・つやがある」「蕊(しべ)の数が多い・少ない」など、わいわいがやがやと思い思いに観察したことを述べ合う。
 受講者の一人が言う。「花粉症なんです。大丈夫でしょうか。」そこでまたわいわいがやがや。ある受講者が重々しく言い放つ。「まだ花粉を出していないから大丈夫です。」
 そのとおりである。まだ、ハンノキ類の花粉は大丈夫なのだ。
 受講者の中に「花粉症」の人がいるということを知って、私は林の奥にある杉の植林地が気になっていた。ミズナラの幹と幹との間から、梢近くを「花粉」で黄変させた杉木立が見えている。
 だが、それは気にさせた程度で、心配はすぐに消えた。それは風の向きである。風は私たちが観察している林から杉木立に向かって吹き込んでいた。杉の花粉はこちらに向かっては絶対に舞い込んでは来ないので、私は見え隠れする「杉」についてはあえて触れなかった。 
「トウホクノウサギ」や「タヌキ」の足跡、それに「糞」や「尿あと」なども発見した。「ウサギ」の糞は固い繊維が多かった。葉や草のない時は何を食べているのかがよくわかる。繊維質のものは木の皮である。近くの雪面の上、2mほどのところにある木の枝の樹皮が囓られている。今年のものではない。おそらく昨年の冬にウサギが囓ったものだ。ということは、昨年の積雪はこの高さまであったということだ。これからも今年の「少雪」がよくわかる。昨年に比べると積雪は2m以上少ないのである。
 タヌキの糞には、動物の毛が混じっていた。タヌキは「貯め糞」をする。これは、決まった場所に「脱糞」するということだ。カモシカも同じである。ある種の人間たちよりも非常に几帳面で紳士的だろう。

 ということから…次のような話しになった。

 『登山人口の高まりから、山での「放尿」と「脱糞」が問題となって久しい。有名な山ほど、登山道沿いのあちこちに「放尿」と「脱糞」が繰り返されている。
 ところ構わずである。万物の霊長といわれ、霊長目・ヒト科・ヒト属・ヒト種に属する「人さま」の、この行為はタヌキにも劣るのである。
 決まったところでしか「脱糞」しないタヌキ、ところ構わず「放尿」と「脱糞」をする人間、本当にだらしがない。自然のバランスや生態系のつながりなどにはまったく考えが及ばない輩(やから)なのである。
 ヒトの学名である「Homo sapiens」(ホモ サピエンス)は「知恵のある人」の意味であるとされているが、事実、大した知恵はない。
 「なぜところ構わずウンコやオシッコをたれるのか。」と訊くと「便所がないからだ。」とか「トイレが少ないからだ。」と答える「ヒト」が大半だろう。それほどに本当の「ホモ サピエンス」は少ないということだ。

 山に入るだけでも山岳自然を破壊しているのに、その上、有機物である「糞尿」という「すばらしい肥料」を大量に、自然のど真ん中にぶちまけてきたら、どうなるのかを考えてみろと言いたい。
 考えることが出来なければ、あなた方はタヌキ以下の生き物ということになる。ホモ サピエンスでいたければ、山に入る時は、せめて「携帯トイレ」なるものを持参することだ。
 「ケイタイ」(携帯電話)なるものを一時も離せない生活をしている者にとって、どこに「携帯トイレ」を持ち歩くことが、苦痛でならないことがあろうか。』…と。
 
自然観察は「自然という鏡に人間の行動行為を映し出して、反省を与える機会」であるのだ。私はいつも密かに、この一項を頭に置いて、観察会を開いている。

NHK弘前文化センター講座「津軽富士・岩木山」

2007-03-25 07:03:48 | Weblog
 毎月、最終日曜日にこれがある。今日はその日である。

 この講座は、当センターの佐藤支社長に「地域に密着した講座を開きたい。停滞している地域の文化を引き起こし、地域の人々に住んでいる津軽について、見直してもらいたい。そのためには、津軽の象徴である岩木山をいろいろな角度から多面的にとらえて活動している岩木山を考える会が担当するユニークな講座にしたいのだが、どうだろうか。」と言われて、三年前から始めたものである。
 教室内で実施する「座学」(文化・信仰・歴史など)と岩木山の山麓部に出かけてする「野外・自然観察」(自然・地形・植物・昆虫など)に分けて実施している。前者の方が多いが、本日は後者になる。

 今日は、弘前市民にとっては、「市税の無駄遣い、自然破壊、景観破壊」と批判されて、それを推進した前市長が、そのために落選の憂き目をみたという「弥生スキー場」「大型児童館」「自然体験型拠点施設」等の建設予定地である、いわゆる「弥生跡地」で、野外実習・自然観察会を実施する。

 テーマは…、
1.春直前の岩木山の麓を散策しながら、樹木の芽吹きや動物の足跡、樹皮の下で生きている昆虫などをたずねる。
2.ワカンを着けて雪上を歩くことを楽しむ。
3.弘前市民の関心が高いいわゆる「弥生跡地」の地形的な特性を知る。
…である。
 昨年は百沢と岳との中間地点の雑木林で開いたが、吹雪まじりの悪天であった。しかし、アナグマの巣穴やヤママユのさなぎを見つけたり、蔓性樹木の生い立ちなどを観察して受講生たちは、なぜか嬉々としていた。

 今回は講師の中に、本会会長の阿部東がいない。忙しい人で、現在ボルネオにいる。ライフワークの蝶の研究のためだ。
 彼がいると講座に深みと広がりが出来る。それは、「昆虫」という分野が加味されるからだ。今回はそのジャンルが割愛されてしまう。
 そういう時は観察地域を広げて、「目にすることの数を増やす」ことをすればいいのだが、受講生の「足」はあちこち、雪の上を歩くほど強くはない。だからそれも出来ない。
 まあ、そういうことは織り込み済みで、しっかりと念頭に置いて、実施計画を立てたので、パンフレットに記載した範囲で実施しよう。大丈夫である。

 しかし、今日は雨の予報である。困った。こればかりは神頼みするしかない。

 

「乞う、ご期待HP更新」と書きながら…

2007-03-24 07:25:19 | Weblog
 「乞う、ご期待HP更新」と何日か前のブログに書いたような気がする。ところが、そのことを書こうと、キーボードに向かって書き出してしまうと「別なこと」が主題になっていることがある。
 今後もこの傾向は避けられそうにもない。何故かというと、「私の頭は、フォルダやファイルの整理が悪く、メモリーが小さいコンピュータ」だからだ。
 フォルダやファイルがそれほど多い訳ではないのに、とにかく「ごちゃごちゃ」と詰め込んであるから、それを取り出す時に時間がかかってしまい、しかも「Windows PC」でいうところの「拡張子・ファイル名のドット(.)の後ろにある部分」の付け方がでたらめなものだから、途中で別なソフトが起動してしまうらしいのだ。
 拡張子と呼べるかどうかは分からないが「Mac PC」にもある。拡張子によってファイルの種類を判別して、そのファイルが使えるソフトを自動的に起動してくれる役割を担っているのだから、「拡張子」は重要なのに、これに関するプログラムの「異常なOS」が私の頭には組み込まれているらしい。
 しかも、その情報や資料が入れられてあるファイルを取り出して作業をする机(これがメモリーに例えられる)が狭い上に、PCを数台並べ、他のものも雑多に置いてあるわけだから、殆ど作業をするスペースがなく、「書こう」とする資料や情報が机から、どんどんと落ちてしまうのだ。
 というわけで、「A」について書いているうちに、いつの間にかその内容が「B」になっている。ところで今日は大丈夫だろうか。このまま終われば「A」という表題をつけながら「B」という内容でということになるのだから、さてと本題に戻ろう。

「乞う、ご期待HP更新」である。20日に管理人葛西さんが掲載内容を更新してくれた。
 非常に見やすく、読みやすい画面となった。その上、「新着更新ブログ」には「低レベル放射性廃棄物最終処分場」のことを、問題意識を持った視点で書いてくれた。
 管理人とはHP全体のことを「管理」する。ということは「記事内容の整理」「重複記事の削除」「見出しの訂正・加除」「記録」「レイアウト・デスプレー」などなど色々な仕事をするということである。
 だから、私が送った記事原稿や写真がすべて掲載されるわけではない。しかし、これだけは「早く」掲載してほしいというものもある。
 それが「岩木山の現場から」シリーズの「放置された巨大なゴミ・レストラン設備」である。弘前からもどこからもその大きな「建造物」は見えない。しかし、その現場に近づくと、こんな所に何故と「あっと息を飲む」こと間違いないだろう。間もなく掲載されるだろう。これが「乞う、ご期待HP更新」なのだ。

 明日はNHK弘前文化センター講座「津軽富士・岩木山」で「弥生跡地」界隈の野外自然観察である。昨日そのパンフレットを一日がかりで作成した。天気がよくないようで心配だ。 

今朝は「自然への共感能力」で…

2007-03-23 08:05:18 | Weblog
 今朝は三つの音で目が醒めた。一つは屋根を滑り落ちる積雪の音、その他の二つは鳥の鳴き声、デデポッポーデデポッポーと、木管楽器を連想させるキジバトの声と、それにドラムを小刻みに叩くようにして合奏するのはキツツキの仲間、アカゲラである。後者を「鳴き声」とするには、少々無理があるが、その両者のすばらしいハーモニーが何とも言えない。
 屋根に昨夜来、積もった雪は三センチ足らず、さらさらという微かな音で滑り落ちていく。何となく優しく音にまで春を感じてしまう。
 その三種類の音、「さらさらさら」「デデポッポーデデポッポー」「トトトトトトトーン」が織りなす近、遠からの波動が布団の中の私を「自然」に誘い、新鮮な気分で目が醒めたのである。この目覚めはまさに至福である。
 鎮守の森である熊野神社は野鳥のみならず、私にとっても精神生活上、なくてはならない場所である。一生この熊野神社の裏手で暮らそうと思う。

 音にはみんな意味があると昔の人は考えたらしい。何しろ自然の音しか存在しない昔である。耳を澄ますということを敢えてしなくても、自然の音しかないのだから聞こえてくる。
 人間が音声言語(話し言葉)をまだ持たなかった時代では、鳥名などないだろうから、鳥の区分はすべて「鳴き声」でしたのではないだろうかと考える。とすればその時代の人は、すべての鳥の「鳴き声」を知っていたということになる。

 これが自然の中で生きること、「自然への共感能力」と言われるものではないだろうか。今朝はちょっぴりだけ「自然への共感能力」に与ったことになるのだろう。

なんと、低レベルなこと

2007-03-22 11:21:57 | Weblog
 葛西管理人のブログに「鯵ヶ沢町の低レベル放射性廃棄物最終処分場」について書かれてあった。
 その冒頭に「岩木山の周りの自治体問題ということで、ご容赦を…」ということであったが、本会は「自然保護団体」を標榜し、かつ任じているのだから、幹事として、この低「レベル」な次元について論ずることは、容赦も何もない。当然である。
 その中に、鰺ヶ沢町が設置予定地としているのは、「七里長浜港」のすぐ近くの「川尻地区」だとあった。


実は昨日、岩木山の赤倉尾根を登った。
標高1000mを越えると、鰺ヶ沢、つがる市、竜飛、五所川原市、鶴田町、板柳町、藤崎町、浪岡、青森市、黒石市、平川市、田舎館村、弘前市などがよく見える。昨日は晴れ間がのぞいていたので、西目屋村、岩崎、深浦町や八甲田山の裏側は見えなかったが、「津軽」のほぼ全域がよく見えた。
 「七里長浜港」もくっきりと見えていた。あそこの近くに「低レベル放射性廃棄物最終処分場」が出来る…と目で追っていって、そして驚いた。
 今年は雪が少ないので「田畑」の地肌が出ている。だから、視認が容易で、その区画が一目瞭然なのだ。
 こういうことだ。「川尻地区」は…
 その南の岩木山山麓部から、北は竜飛地区まで、また東は中山山脈までの広大で、ほぼ長方形を示す畑と水田地帯の起点に位置していたのだ。
 広大な穀倉地帯、広大な畑作地帯の西に位置しているのである。賢明な読者は、この「位置」が暗示または明示する懸念を推量出来るだろう。
 この地方の季節風は、北西または西から吹き込み、東に進む。これが重大な問題なのだ。
 ところで、鰺ヶ沢町に隣接する深浦町の西崎哲町長は、「観光や農林水産業の振興を図っていく上で、風評被害が甚大になると考えられる」「同調できないという観点で対応していくべきだろうと感じている」と述べたそうだ。
「風評被害が甚大」というが「風評」とは「風説」と同義であり、「世間の評判。うわさ。とりざた。」という意味であり、いわば間接的な被害を指す。

 私が恐れているのは、放射性廃棄物の直接的な被害である。詳しくは解らないが「低レベル放射性」の流出である。
 仮にガス的なものに化学変化をして空気中に放射されたら、北西または西風に乗って津軽一円の農業地帯に流れ込むことである。風評被害などとのんきなことを言っている場合ではない。
 また、「川尻地区」は屏風山の湿原地帯に隣接していることも重大な問題なのである。
 湿原に点在する湖沼群は、いずれも地下水脈でつながっている。水には「毛細管」現象というものがある。その水脈の上は砂礫が層をなしており、地下水脈は毛細管現象で地表近くまで上がってくるのである。地下に埋設された低レベル放射性廃棄物(または科学物質、溶水性物質)が、地下水脈に流れ込まないという保証はない。

注:「低レベル廃棄物というが、放射能そのもは低くない。「ふげん」の廃炉廃棄物や放射能レベルが高く長寿命のTRU廃棄物も含まれる。実際、鯵ヶ沢町の議会議事録を見ると、TRU廃棄物用に300m以深の施設が検討されている。この深さであれば、高レベル廃棄物処分場の呼び水にもなりうる。」TRU廃棄物とは「「超ウラン核種を含む放射性廃棄物、長半減期低発熱放射性廃棄物」と読み替えられる。ー葛西さんのブログから

 300mの深さに「埋める」のだから流れ込む心配はないし、潅漑用水として栽培植物にも飲料水にも影響はなく心配はないと言う人もいるだろうが、そうなれば「当然保守管理もなく、埋められたら最後、あとは誰もが責任を放棄するようなものだ。」と葛西さんはブログで言う。しかも、これはあくまでも「心配はないだろう」ということであり、裏返しにすれば「心配はある」ということなのである。
いずれにしても、国内のこの手の「放射性廃棄物処分場」での事故が絶えない実情からすると、「安全」ということを鵜呑みすることはまだまだ出来ないだろう。

 深浦町の判断は今のところ、まあ、賢明だと言えるのではないか。
 それにしても地理的には一番、直接的に、しかも広範に「直接的、風評的」な被害を被るであろう「つがる市」には、どのような動きがあるのだろう。
 未だに「津軽選挙」という轍から抜け出せない風土では「問題」にはならないのだろうか。
 最終処分場の誘致を目指す動きは旧・大畑町(むつ市との合併で立ち消え)、鯵ケ沢町に続き、横浜町にもあるそうだ。だが、横浜町は「説明を聞いているだけで、誘致する、しないはまだ先の話だ」。という段階だという。

 鰺ヶ沢町長谷川兼己町長は「町民から意見を聞き、町議会とも協議しながら進める」と言っているようだが、コクドが鰺ヶ沢スキー場を拡張する時にもこのように言っていた。
 しかし、その実は「出稼ぎ」で残された者から、役場職員が「賛成」を取りつけるために各戸を訪問していたのである。
 利用実績が伸び悩む同町の七里長浜港の活用も狙いの一つだそうだ。

本来、港とは工業港であれ、漁港であれ、「後背地」の大きさ、多様さとそこからの各種アクセス系統の放射的な広がりを要求するものだろう。そのようなものが希薄なところに「港という設備」だけを造っても、それに関わる土建業者たちが一時的に潤うだけで、それ以外の地元民にはメリットがないのは当然なのだ。
 だから、岸壁を釣りに利用するしかない「県内の有名な釣り堀・七里長浜港」と揶揄されているのである。
 実績など当初から望みようがないのに造ってしまい、その穴埋めのために同じようなことを繰り返していく。こうした行政的な力量なさが恥ずかしくないのか。まさに朴念仁だ。行政的に力量のない者を選ぶ側にも問題がないわけではないが、そのような者しか立候補しない・出来ないという風土であれば悲しい。
 そして、飽くことを知らず、反省もなく、まるでコンピュータからそっくりコピーをしたように、町幹部は、「処分場誘致により七里長浜港を有効活用できるほか、後背地とアクセス道路の整備で相乗効果が期待できる。新たな産業おこしの可能性もある」などと言っているのである。

 このセリフの「処分場誘致」の部分に「鰺ヶ沢スキー場誘致」を入れて読むと、数年前の鰺ヶ沢スキー場拡張に関わる町の姿勢と、ぴたりと重なってしまうのである。  鰺ヶ沢町はスキー場のために、アクセス道路を数億円かけて整備した。水道設備も整備した。町の財政をどんどん削ってスキー場に尽くした。しかし、コクド・西武は町に大きな財政的な「マイナス」を残したままで、撤退したではないか。
 長谷川兼己町長は「安全性については大丈夫だろうと考えている」というが鰺ヶ沢ゴルフ場で撒かれる除草剤が、隣接する河川に流れ込んで、その河川では変異・変形した魚を中心とする水生動物が沢山発見されていること知っているのか。
 町民の方々、よく吟味なされよ、「安全」とは決して言っていないのだ。あくまでも「多分、大丈夫だろう」なのである。
「安全」でないものを「町民」に押しつけていくことが、町を預かる町長の仕事ではあるまい。
 また、「地域での新たな産業おこしが期待される」とも言っている。これもスキー場拡張時に何回も聞いたセリフである。その後、新たな産業が町内に出現しただろうか。
 まもなく、町長選挙が始まる。現町長も立候補するそうだ。対立候補として出馬を表明している井上豊光氏は「風評被害によって農林漁業が低迷する」と、低レベル放射性廃棄物最終処分場誘致に反対する意向を示したほか、世界に誇れる白神山地をはじめとした地元資源の海、山、川を利活用した企業づくり、団塊世代を担い手とした地域活性化に向けた施策の展開などを公約に掲げているそうだが、「風評被害によって農林漁業が低迷する」という程度の見解では、真の意味で鯵ケ沢町民は救われまい。
 毎回毎回、選挙の都度、鰺ヶ沢町民にとってはむなしい「投票」行為が続けられていくのだろうか。

 選挙が始まると「書いてはいけないこと」についても書いているかも解りません。公職選挙法に抵触するような部分がありましたら、コメントにてお知らせ下さい。直ぐに削除・訂正いたします。

ホームページ更新なる、まだあるぞ。乞うご期待。

2007-03-21 06:40:31 | Weblog
 HP管理人、葛西さんの最近の作業は水稲の「種籾」に関することのようだ。彼は立派な水田農家の長男で、大学で学んだことと併せて、あれこれと研究しながら農作業に励んでいる。だから、農業問題について語る時、実体験をふまえていることに加えて研究知識があるから、説得力がある。昨日の彼のブログを呼んでみれば、その片鱗が覗える。

 そのブログだが、鰺ヶ沢町で「低レベル放射性廃棄物最終処分場」を誘致しようとの動きがあることについて触れている。
 鰺ヶ沢町とは一体何を考えている「町」なのか。白神山地、赤石川上流の開発には反対を唱え、自然保護的な方向を示したかと思えば、同時期に岩木山にどんどんとスキー場を作ることに賛成し、それを進めた。まったく両極的なことを矛盾を感ぜずにやってしまうということは、成熟している「大人」の行為ではない。町民の大半がその精神構造において、「幼児」並みなのだろうか。
 いやそうではないだろう。「町長、町議会議員、町職員などの行政」がそうだということが実態であろう。

 現在でも青森県は「核のゴミ捨て場」と評されている。津軽地域にまで「低レベル放射性廃棄物最終処分場」が出来たらまさにその評を地でいくことになる。とんでもない話しだ。

 私は毎日、ブログを朝起きたら直ぐに書くことにしている。今日は間もなく出かけなければいけない。この文の続きは今日、帰宅してから続けることにする。

ホームページ更新・農家の事情

2007-03-20 07:25:29 | Weblog
 管理人・葛西さんに特別企画「岩木山の野鳥たち」写真展の「切り抜き」を送った。葛西さんが貼り付ける時に出来るだけクリアな画面にするために、葛西さんの指示どおりに解像度を大きくしてみたが、あまりうまくいかなかった。
 しようがないので同じもので解像度が違うものを2枚ずつ送った。展示会場の写真は17日に送ってあったので、そのキャプションもつけて送ったのである。
 また、葛西さんの「新聞などの薄い紙、裏写りしそうなものをスキャンする時は、黒い紙を裏にはさむと良いようです。」とのアドバイスに従ってやってみたら、裏写りのないきれいな画像になった。なるほどと感心してしまった。ありがとう。
 一昨日、昨日と書いた「新聞記事とは」を再読して、改めてこの「切り抜き」を見てもらいたいものである。近々ホームページは更新されるはずである。

 「税金の確定申告」をとおして見える最近の「農家事情」は大変なものであることを葛西さんのブログは教えている。
 私は今月の初めにコンピュータを利用して所得税確定申告書を書いて提出した。

 提出手段(方法)を出来るだけ簡単・簡易にしたいと思っているので、e-Taxとかいう電子申告に心が動き、少し調べてみた。
 ところが、e-Tax利用には、「申告等データに利用者が電子署名を行うこと」が必要とある。しかも、「電子署名に使用する電子証明書を事前に取得する必要」があるのだ。どうも、「簡単・簡易」ではない。手間がかかる。複雑である。

 問題はこの「e-Taxで使用できる電子証明書」なるものであった。もう少し調べたら、それは「地方公共団体の認証業務に関する法律に基づいて、申請者の住民票のある市区町村で発行されるもの」であって「地方公共団体による公的個人認証サービスを受けるためには、住民票のある市区町村の窓口で住民基本台帳カード(ICカード)を入手し、電子証明書発行申請書等を提出して電子証明書の発行を受ける。」というものであった。
 国税庁がテレビで宣伝しているが、ワンクリックで確定申告が出来るというイメージはまさに「架空」の絵空事である。手間暇のかかること著しい。
 しかも、本音は総務省が盛んに宣伝している、国民からは不信の「住基ネット」に国民を出来るだけ多く参加させようとする魂胆にある。
 私は住民基本台帳制には反対している。これは別名「国民総背番号制」とも呼ばれ、国民の個人情報が国によって管理されるのではないかとの懸念を抱かせる制度なのだ。だから、国民からはいたく不人気である。
 それにも拘わらず、国は大金を投入して「ネット」を構築してしまった。ここでも相当の裏金が動いたのだろう。ところが利用する国民は少ない。だから、行政的な実績を上げるためにあの手この手で、国民に利用を迫っているのである。
 おお、危ない、危ない、まんまんと国の術数・策略に乗せられそうになっていた。

 この危機からは免れたものの、なんと「税の還付金」ならず、5,400円という追徴金を納入することになってしまった。私は高額所得者でもなく、しかも脱税をしている者ではない。年金収入しかない者から、税金をとり、さらに追徴金までむしり取るのである。

 松岡農相が虚偽記載で数千万円をごまかしても「法の定めるところに従ったまでだ」という言い逃れを、阿部首相がホローするような国である。葛西さんのブログによると…農家の税金にかかわる実態は、まさに「悲惨」そのものである。
 ブログから抜粋したものに少し手を入れたものを掲載しよう。

『高齢者の父、母。それに祖父、祖母。子供たちだけが暮らす農家。息子や娘が住民票を置いたままの通年出稼ぎ家庭である。社会保険もかけてもらえない成人の子どもを持つ家は悲惨そのものである。当然、実家には仕送りが無い。市役所には200~300万の源泉徴収の写し(給与支払報告書)が会社から届けられる。この給与所得控除後の金額の合計額に、実家の農業所得が加わって「33万円が引かれ」て、国保税の所得割部分が世帯主の爺さんバアさんに課税される。源泉徴収票の写しが2枚も届けられていると、何と40万円超の課税にもなる。』

 家庭破壊の上に、重税である。その農家の、農政をあずかる農相があのざまであるから、これでは農家は救われない。
 葛西さんは「Uターンさせて農業研修させながら後継育成できるシステムを考えないと、国内の労働はアジア諸国と比較されどんどん競争させられるばかりで、田舎の農業の発展はない。」とも述べている。そのとおりだと思う。
 農家のみなさん、そろそろ選挙の時に、これまで支持してきた・・党を見限りませんか。農相があのざまですから、・・党の体質は同じだと思いますよ。それに端から見ると、・・党は農家を、農民を裏切っているばかりではありませんか。



昨日に続けて新聞記事とは

2007-03-19 07:16:15 | Weblog
 特別企画「岩木山の野鳥たち」写真展が終わった。
土、日曜日と終日降雪があり、「出かける」ことに「ためらい」を持つ人が多くなるようなお天気となった。
 事前に「見に行きますから」という電話をくれた人から昨晩、「申し訳なかった。あの雪降りだと年をとると出かけることが億劫になりました。」という意味の電話も実際にあった。
 という訳も加わり、見に来てくれた人は当初予想した数を若干下回った。それでも昨日16時過ぎ、設営解体、後片付けに入っている時に、かなりの人が来て、「あっ、もう終わったのですか。」という言葉に怪訝と残念をにじませて帰っていった。
 最終日は16時までとアナウンスしていたのに、「NHK弘前ギャラリーは10時から17時まで開いている」という日常時間に合わせてやって来たのである。17時までに「終わる」ためには少なくとも16時から後片付けをしなければいけないのである。

 いずれにせよ、開催中、会場にお出でいただいた方々にはこの場で謝意を述べたい。
 
 さて、「新聞記事とは」という表題に戻ろう。
 今回の「岩木山の野鳥たち」写真展の主題は昨日書いた「学術的な意味」の他に、本当はこのことが主要なのであるが…、
『「野鳥は健全な自然を現す指標である」ことを人々に理解してもらい、岩木山の自然は「健全」なのかを考え、知ってもらうこと』にあった。
 M紙、T紙の取材時にも、このことは話してある。しかし、どちらもこれにはまったく触れていない。
 T紙にあっては本会を「市民団体・岩木山を考える会」と紹介している。確かに「市民団体」に違いないが、本会規約第2条では、「本会は、岩木山の自然を大切にし、豊かな環境で潤いのある生活を願い、真にあるべき姿を考え、守ることを目的とする。」と述べているように本会は「自然保護団体」である。単なる「市民団体」ではない。
 単なる市民団体とすれば、「同好の士が、自分たちが撮影した自慢の野鳥の写真を展示して楽しむ」ことが目的でもいいだろう。
 しかし、「自然保護団体」という視点に少しでも立ったならば、「同好の士が、自分たちが撮影した野鳥の写真を展示している」という内容だけの「報道」にはならないだろうし、またなってはいけないだろう。
 T紙の記事にはまったく「自然保護団体」という視点が感じられない。すごく残念だし、悔しい思いがする。

 記事にするには当該団体の結成事情やその歴史的な背景を、しっかり取材・調査し、かつ日常の活動状況、催事開催の目的などを総合的に把握しながら、「記事」を作り上げていくことが大事だろう。私はこれが、報道記者の基本姿勢だと思うのである。
 近々、両紙の取り扱い記事切り抜きをホームページに掲載するので、それを見て、読んで、それと私の昨日と今日の文章とを比較してほしいと思う。
 
注:昨日の文中に漢字の変換ミスがありました。「氏名」が「指名」となっています。訂正します。

新聞記事とは…

2007-03-18 07:09:15 | Weblog
 昨日の陸奥新報紙と東奥日報紙に特別企画「岩木山の野鳥たち」のことが掲載されていた。
 まずは感想から、昨日のブログとダブるが…
「こちらの述べたことがあまり反映されていない。」
「かなり時間的には長い取材であるにもかかわらず掲載内容が少ない。」
「かなり量的には多項目に渡って話しているが掲載記事はその中の一部であることが多い。」などである。
 どうしてこうなるのかは…
「心の窓の開き方と広がり、深まりなどがそれぞれ違う」ことと「紙面割り付けが(ギャラリーだよりとか紹介)などという固定された部分」であり、「それに割かれる紙面のスペースがあらかじめ、決められている」ことによるのだろう。

 問題は後者にある。
 この各紙が持つ「ギャラリー」という欄で、市内に多く存在する「ギャラリー」の展示内容を、一派一絡げ・一視同仁的に紹介するというところに問題がある。
 私がNHKの企画展として依頼されて1月の10日から25日まで開催した「厳冬の岩木山」写真展も展示場所は同じである。ところが、その内容はまったく違う。

 昨日会場を訪れた弘前大学名誉教授M氏は「この内容を1回の写真展として終わらせることはもったいない。単なる写真展として片づけられるだけの内容ではない。学術的な意味合いが非常に強い。」というような意味のことを語ってくれた。その他にも数名の人から、同じような意味の言葉をもらった。

 この点に注目すると、「あそこのギャラリーでこういう催事がありますよ」というお知らせ的な内容を越えて「報ずる」ことがあってもいいのではないかと考えるのだ。
 つまり、固定された枠組みを越えて、紙面の別なスペースで、今回のことであれば「学術的な意味」という視点で取り上げて報道するという姿勢が各紙にあってもいいということである。残念ながら、今回その姿勢はまったくなかった。
 「何々」写真展といっても、その質的な内容はそれぞれまったく違うものだ。だから、一視同仁的に扱うところに無理があるということに気づいてほしいのである。

 先に述べた「厳冬の岩木山」写真展には各紙が取材に来た。M紙は「ギャラリー」云々というコーナーで紹介した。しかし、T紙はそのような扱いはしなかった。展示内容から「ギャラリー」云々欄で紹介する質的な範囲を超えていると判断した(という言い方を担当部長が言った)ようで、後日2週間にわたって別面での掲載報道となったのである。
 今回の特別企画「岩木山の野鳥たち」写真展は私の「厳冬の岩木山」を質的にも学術的にも遙かに超えるものである。取材時間も長かった。
 にもかかわらずT紙のあのような狭いスペースと少ない掲載内容での扱いには、ひどく失望した。
 もう一つの失望は、取材の時に応対してこと細かく説明をした催事の実質的な責任者「飛鳥和弘」さんのことが、ただの一字も載っていないことである。
 記事のソース提供者の指名を掲載することは「取材の礼儀」であるはずだ。

 それに、M紙が紹介した記事には、私がしてほしくない「三浦章男」という活字がまた刷り込まれていた。こちらは失望ではなく「残念」という一語に尽きる。


*ご案内*

 ・会場では個別に野鳥の「鳴き声」を聴くことが出来ます。受付係か機器担当者に鳥の名前(たとえば「ホオジロ」)を言って申し出て下さい。5秒後には聴くことができます。ただし、「岩木山にいない野鳥」は出来ません。

 ・野鳥の名前を知りたい方は、その特徴を具体的に説明して下さい。写真があればベターです。昨日は写真を持参した人がいました。それは「ヤブサメ」でした。
 また、『昔、ずいぶんと家の近くで聴いた「チュイーンチュイーン」と鳴く鳥が、最近は姿を見せなくなった。あの鳥は何ですか。』という質問もありました。それは「カワラヒワ」です。
 というやりとりが自由に出来ます。本日は16時で終了です。

掲載または放送・放映されるまでは…未確定

2007-03-17 07:18:54 | Weblog
 昨日、東奥日報社の取材があった。本日の紙面で紹介されているだろうか。というのは、一昨日設営時に取材に来た「陸奥新報」には昨日掲載されていなかったからだ。また、同じく昨日、オープン直前にNHKのH記者があわただしく駆け込んできて「申し訳ありません。緊急の取材が入りました。午前中の取材は出来ません。」と言って、現場に向かった。(ようだ。)
 本当に「掲載または放送・放映されるまでは…未確定」なものである。すべてがマスコミに握られているのだから、こちらの意志は「蚊帳の外」。肝に銘ずるべしである。もう1つ、「肝に銘ずること」がある。
 それは「こちらの真意がまずは伝わらないものだ。」ということだ。人間というものは「心の窓の仕様や開き方が一様でない」から、これはやむを得ないことだと言えばそうであろう。

 これまでこの種の取材は、「応対は事務局長」という暗黙の了解がるらしく、私に回ってきていた。数年に、あるいは1年に一度程度であればいいのだろうが…、
 去年の3月からを振り返ってみると…
「トンボ展」「市長選」「弥生跡地自然観察会」「東北自然保護の集い」「私の岩木山写真展」「弥生跡地今後どうするか…市民集会」「厳冬の岩木山写真展」(これは私個人の展示)などについて…、
 その都度新聞各紙から取材を受けて、コメント・内容説明・主題(テーマ)等を私の名前入りや写真付きで掲載・紹介されている。
 私自身、自分の記事を目にする都度、よその人は「何だ、またこいつか。」と思いながら、呟きながら見ているのではないだろうか、という「苦い呟き」を脳裏に秘めていた。だから、今回の特別企画「岩木山の野鳥たち」写真展では「出来るだけ、この手の取材には私以外の人にお願いすべきだ。」と決めていたのである。

 今回の催事は、その主題である「野鳥」とその「写真」、展示上のデスプレーなどに関しては、すべて飛鳥和弘さんが受け持ったのである。私は裏方で「事務的な作業」を主にしている。だから、取材を受けるのは飛鳥さんと決めていた。
 ところが、取材に立ち会う時に、記者にその旨を告げても私が事務局長であり、これまで取材に応じてきたという経緯を知っているものだから、私に対しても色々と訊いてくるのである。「いい加減にしてくれ!」と言いたい気持ちなのだが…。

 そして、昨日の東奥日報の取材時、私の思いは100パーセント達成した。
記者に「この写真展を取り仕切っている人は、本会の幹事である飛鳥和弘さんです。すべて、飛鳥さんに訊いて下さい。」と言って紹介したのである。かなり、長い取材時間であった。写真もシャッター音から推量すると十数枚写したようだ。
 よかった。読者に「また、あいつか」という思いを与えないで済むことは、読者と私双方にとって幸せなことなのである。

 本会ホームページ(この掲示板を含む画面)に案内のテロップを掲示してくれるように管理人・葛西さんに頼んでいるのですが、農家の確定申告のお手伝いや水稲作業のために超繁忙で出来そうもないらしいので、この掲示板で、再度ご案内いたします。
 野鳥の写真を見たい方、野鳥の声を聞きたい方、野鳥の生態について知りたい方、「月刊弘前」表紙写真の原版を見たい方、野鳥に関することで疑問や質問をお持ちの方、自然に関心のある方など、野鳥は自然の健全度を示す生き物です。どうぞ、お越しください。今日、明日と開催しています。

(掲示板はクリックしないと開かない。HPはお気に入りやブックマークをクリックすると見られます。掲示板は二度手間をかけないといけません。となれば、やはり大事なことは直、即ホームページということになりそうですね。)