(今日の写真は接骨木「ニワトコ」の花だ。「ニワトコ」については7月26日のブログを読んでもらえるといい。だが、その日のものは「ニワトコ」の「果実」がテーマだったし、写真も「果実」だった。
先日、「ブログ」読者から「ニワトコ」の花も見たいという話しがあったので、今日は「花」を紹介し、先日紹介出来なかった「ニワトコ」雑感めいたものを書いてみたいと思う。
さて、今朝の写真だが…花の色はやはり「クリーム」色だ。そして、その生クリームの上に乗っかったイチゴのようなものが若い雌しべなのだ。この頃が最も美しい。次第に成熟するにつれて、色はもっと暗い赤になる。そうなると、「生クリーム上のイチゴ」というイメージは消えて、「美味しさ」という感覚もなくなる。
それでも、総状の花全体はやはり、美しい。これほどの「生クリーム色」なのだが、咲き出した頃は、かなり「緑色」を含んでいて、「花」には見えない。一見「葉芽」に見えるくらいだ。
それもそのはず、「ニワトコ」は「葉芽」と「混芽」というものを持っているのだ。純粋に「葉芽」の方は長卵形で細身である。「混芽」は「葉と花」が同じ芽の中に入っているもので、こちらは球形だ。いずれも二対~三対の芽鱗に包まれている。慣れてくると分かるようになるが、初めてだと、どれが「花芽」なのか見分けることが難しい。
ちょっと逸れて、「果実」やその他について…
この「ニワトコ」の「果実(種子)」が「三内丸山遺跡」の数千年前の地層から大量に出土し、「酒造りに利用されていた」らしいというので話題になったことがあった。「ニワトコ酒」は縄文人の祭りに欠かせなかった貴重な酒であったのだろう。
ヨーロッパの「西洋ニワトコの実」は薬用や食用に利用度が高く、今でもニワトコの「ワイン」を作るそうである。だが、「ニワトコの果実」には、「その樹木」によって、猛毒の青酸化合物が含まれていることもあるのだそうだ。「採取」してみなければ分からないというから、これは「厄介」なことだろう。
それでも、「ニワトコ」は色々と利用されてきた。先ずは「若芽を山菜」として食べることであるが、有毒成分を含むので食べ過ぎるとよくない。
枝葉には悪臭がある。しかし、薬用にもされる。また魔除けにするところも多く、日本でも小正月の飾りやアイヌのイナウ(御幣)などの材料にされた。
枝の髄は太く発達し、若い枝から抜き出した髄を乾燥させたものは、顕微鏡観察の標本用に生物組織から薄い切片を切り出すときの支持材(ピス)として古くから利用されている。今でもキノコの同定など、組織切片を得るときなどに用いられている。(明日に続く)
◇◇ 久しぶりの踏み跡探し…曲がりなりにも岳まで行った(その9)◇◇
(承前)
…遙か手前に、すっかり様相は変わっているが「見覚えのある」光景が出てきた。それは、5月5日に、相棒Tさんと「荒川の倉」まで行く途中に通った「踏み跡」を含んだ光景だった。そうだ。あの日にはこの上部の「ブナとミズナラが混交している」尾根で「カモシカ」に出会ったのだった。
忘れもしない「懐かしい」場所だ。そこは「踏み跡」の交差点になっている。真っ直ぐの沢の縁に向かっている私たちが進んでいこうとしている「踏み跡」と尾根の下部から上部へと「登っている」踏み跡だ。5月にはこの「登っている」踏み跡を辿ったのだが、残雪のために、間もなく消えてしまったのだった。
「あの先はどうなっているのだろう。消滅しているのだろうか。それとも、どこかにつながっているのだろうか」とか「これを逆に降りて行くとどこに出るのだろうか。県道30号線に出るのだろうか。それとも、岳に出る踏み跡につながるのだろうか」などという思いが頭を過(よ)ぎる。
私たちが進んで行こうとしている「踏み跡」はすでに辿っている。この「十字路」から、枯れ沢を渡ると直ぐに「平沢」左岸尾根の「縁」に出る。そこから斜めに降りると「平沢」だ。堰堤の下部を渡渉して右岸に出る。
そこからは、大分、踏み跡化してはいるが堰堤建設用の「道路」が、「柴柄沢」の「頂部を水が流れ落ちる形式の堰堤」を跨ぐまで続いている。そして、その「堰堤」を渡って直ぐ右に、「岳」までの「踏み跡」が繋がっているのであった。
既知の踏み跡を辿るよりも、まだ自分にとって「未踏」の場所を辿りたい。「ああ、行ってみたい。この十字路を左折して降りてみたい」という強い願望が私を捕縛していた。
しかし、「時間」が私の願望を簡単に打ち砕いてくれた。時間はすでに14時を回っていたのであった。ここから、急いでも、「柴柄沢の堰堤」までは30分はかかる。さらにそこから「岳」までの踏み跡を辿ると1時間はかかる。自動車を置いてあるところは「毒蛇沢」の中腹部である。岳から毒蛇沢の駐車地点までは1時間30分はかかるだろう。
猛烈なスピードで移動しても自動車を置いてある場所には17時到着ということになる。いくら、日の長い夏とはいえ、それ以上遅くなることは「登山にいうきまり」から逸脱していることだ。私はそう考えて、平沢に降りて行くことに決めた。
(明日に続く)
先日、「ブログ」読者から「ニワトコ」の花も見たいという話しがあったので、今日は「花」を紹介し、先日紹介出来なかった「ニワトコ」雑感めいたものを書いてみたいと思う。
さて、今朝の写真だが…花の色はやはり「クリーム」色だ。そして、その生クリームの上に乗っかったイチゴのようなものが若い雌しべなのだ。この頃が最も美しい。次第に成熟するにつれて、色はもっと暗い赤になる。そうなると、「生クリーム上のイチゴ」というイメージは消えて、「美味しさ」という感覚もなくなる。
それでも、総状の花全体はやはり、美しい。これほどの「生クリーム色」なのだが、咲き出した頃は、かなり「緑色」を含んでいて、「花」には見えない。一見「葉芽」に見えるくらいだ。
それもそのはず、「ニワトコ」は「葉芽」と「混芽」というものを持っているのだ。純粋に「葉芽」の方は長卵形で細身である。「混芽」は「葉と花」が同じ芽の中に入っているもので、こちらは球形だ。いずれも二対~三対の芽鱗に包まれている。慣れてくると分かるようになるが、初めてだと、どれが「花芽」なのか見分けることが難しい。
ちょっと逸れて、「果実」やその他について…
この「ニワトコ」の「果実(種子)」が「三内丸山遺跡」の数千年前の地層から大量に出土し、「酒造りに利用されていた」らしいというので話題になったことがあった。「ニワトコ酒」は縄文人の祭りに欠かせなかった貴重な酒であったのだろう。
ヨーロッパの「西洋ニワトコの実」は薬用や食用に利用度が高く、今でもニワトコの「ワイン」を作るそうである。だが、「ニワトコの果実」には、「その樹木」によって、猛毒の青酸化合物が含まれていることもあるのだそうだ。「採取」してみなければ分からないというから、これは「厄介」なことだろう。
それでも、「ニワトコ」は色々と利用されてきた。先ずは「若芽を山菜」として食べることであるが、有毒成分を含むので食べ過ぎるとよくない。
枝葉には悪臭がある。しかし、薬用にもされる。また魔除けにするところも多く、日本でも小正月の飾りやアイヌのイナウ(御幣)などの材料にされた。
枝の髄は太く発達し、若い枝から抜き出した髄を乾燥させたものは、顕微鏡観察の標本用に生物組織から薄い切片を切り出すときの支持材(ピス)として古くから利用されている。今でもキノコの同定など、組織切片を得るときなどに用いられている。(明日に続く)
◇◇ 久しぶりの踏み跡探し…曲がりなりにも岳まで行った(その9)◇◇
(承前)
…遙か手前に、すっかり様相は変わっているが「見覚えのある」光景が出てきた。それは、5月5日に、相棒Tさんと「荒川の倉」まで行く途中に通った「踏み跡」を含んだ光景だった。そうだ。あの日にはこの上部の「ブナとミズナラが混交している」尾根で「カモシカ」に出会ったのだった。
忘れもしない「懐かしい」場所だ。そこは「踏み跡」の交差点になっている。真っ直ぐの沢の縁に向かっている私たちが進んでいこうとしている「踏み跡」と尾根の下部から上部へと「登っている」踏み跡だ。5月にはこの「登っている」踏み跡を辿ったのだが、残雪のために、間もなく消えてしまったのだった。
「あの先はどうなっているのだろう。消滅しているのだろうか。それとも、どこかにつながっているのだろうか」とか「これを逆に降りて行くとどこに出るのだろうか。県道30号線に出るのだろうか。それとも、岳に出る踏み跡につながるのだろうか」などという思いが頭を過(よ)ぎる。
私たちが進んで行こうとしている「踏み跡」はすでに辿っている。この「十字路」から、枯れ沢を渡ると直ぐに「平沢」左岸尾根の「縁」に出る。そこから斜めに降りると「平沢」だ。堰堤の下部を渡渉して右岸に出る。
そこからは、大分、踏み跡化してはいるが堰堤建設用の「道路」が、「柴柄沢」の「頂部を水が流れ落ちる形式の堰堤」を跨ぐまで続いている。そして、その「堰堤」を渡って直ぐ右に、「岳」までの「踏み跡」が繋がっているのであった。
既知の踏み跡を辿るよりも、まだ自分にとって「未踏」の場所を辿りたい。「ああ、行ってみたい。この十字路を左折して降りてみたい」という強い願望が私を捕縛していた。
しかし、「時間」が私の願望を簡単に打ち砕いてくれた。時間はすでに14時を回っていたのであった。ここから、急いでも、「柴柄沢の堰堤」までは30分はかかる。さらにそこから「岳」までの踏み跡を辿ると1時間はかかる。自動車を置いてあるところは「毒蛇沢」の中腹部である。岳から毒蛇沢の駐車地点までは1時間30分はかかるだろう。
猛烈なスピードで移動しても自動車を置いてある場所には17時到着ということになる。いくら、日の長い夏とはいえ、それ以上遅くなることは「登山にいうきまり」から逸脱していることだ。私はそう考えて、平沢に降りて行くことに決めた。
(明日に続く)