岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

このまま春になるのか(4) / 会報51号の案内(4「最終回」)

2010-02-28 05:28:21 | Weblog
(今日の写真も、ゴマノハグサ科クワガタソウ属の越年草で「イヌノフグリ」の仲間だ。説明するまでもなく、似ているので想像はつくはずだ。花名は「タチイヌノフグリ(立ち犬の陰嚢)」という。
 ヨーロッパ原産の帰化植物で、明治の中頃に気づかれ、現在では日本全土に広がっている。生育地は平地の道端、荒れ地、農耕地などだ。
他の三種の茎は分枝するが、本種の茎は下部で分枝し直立する。また茎には毛は生えている。
 花は3~4mmの青紫色。「オオイヌノフグリ」や「ツタバイヌノフグリ」よりも紫系の色具合が強い印象を受ける。花期は「オオイヌノフグリ」より少し遅いらしい。

◇◇ このまま春になるのか(4)恐らくこの地方でもみられるだろう ◇◇

 これは、弘前界隈で撮ったものではない。08年の春に山形県の羽黒山に行った時のものだ。当地で「生えているか生えていないか」の確認をしたことはない。だが、今年辺りは確認して見てもいいかなと考えている。
 虫眼鏡で花を見るとタチイヌノフグリの雄しべの先は黄色。オオイヌノフグリの雄しべの先は紫色なのが分かる。
 花はオオイヌノフグリと似て青紫色であるが、小さく目立たない。花は晴天時、お昼前後の数時間しか開いていない事も目立たないことの一因である。だが、羽黒山近くのたんぼ道で出会った「タチイヌノフグリ」は非常に鮮やかに目立っていた。
 同じ属の「オオイヌノフグリ」などに比べると、「最も他の植物の生育が少ないような、乾燥した荒れ地に生育する傾向が強い」といわれているが、この場所は乾燥していない湿潤なたんぼ道であったことが不思議だった。
 茎は下部で分岐するが、上部は立ち上がって枝分かれしない。これが、花名の由来になっているようだ。

◇◇ 会報51号を印刷店に持ち込んだ。今日発送!(4) ◇◇

 今回も前号同様の12ページとなった。とりあえず、その内容をダイジェスト版的に小項目をあげてを案内しよう。
(承前)

※ お知らせ 2つ ※

●弥生スキー場跡地「自然観察会」の案内●

・主題:弥生跡地の雪上散策と観察
・日時:2010年3月21日10時~14時
・場所:弥生スキー場として計画された跡地と隣接する雑木林
・参加人数:上限として30名 ・参加費:保険代、豚汁、集会所使用料など500円・参加受付: いずれも電話で3月17日までに「35-6819(三浦)か080-5229-6076(竹浪)」まで

    観察散策の実際
・春直前の岩木山の麓を散策しながら、樹木の芽吹きや冬芽、動物の足跡、樹皮の下で生きている昆虫などをたずねる。
・ワカンを着けて雪上を歩くことを楽しむ。「弥生跡地」の地形的な特性を知る。

注意事項:
※ワカン(ワカンジキ)を装着して歩いてみるので希望者は事前に連絡。※雪の上に座る場合もあるので「おしり」がぬれない、冷たくないための工夫も、防寒も必要。※お弁当・熱い飲み物を持つ。※観察のための道具(双眼鏡.ナイフ.ルーペ.透明なビニール袋など)を忘れない。※両手を常にあけておく。手にものを持たない。※雪を踏み抜いても慌てないで下さい。静かに行動、騒がない。
滑落・落下には十分注意。体調変化や気分の悪い時は直ぐに講師に連絡。

※日 程※
→10:00 コープあおもり和徳店前出発・車中でオリエンテーション→10:30 観察地到着 →10:45 観察・散策開始 →12:15 観察・散策終了 →12:20 集会所まで移動・昼食・参加者感想発表・意見交換会 →13:45 閉会・乗車出発 →14:15 生協前着・解散
(天気が極端に悪い場合は日程を変更したり、主題内容を変えて座講に切り替える場合もある。)

● 弥生スキー場跡地利活用法を考える市民説明会(説明は弘前市)の案内 ●
     弥生リゾート跡地を未来の市民への贈り物に!

 昨年10月、弘前市が弘前大学人文学部と共同研究の結果まとめた「報告書」は、弥生リゾート跡地(現市有地)の今後の方向性を検討するに当たって、ぜひ多くの市民に触れていただきたい内容となっています。いったん、草木が根こそぎ削りとられ更地になってしまった弥生リゾート跡地は、今、豊かな緑に覆われ徐々に回復しつつあります。今回当ネットの要望に応え弘前市が報告書の説明をすることになりました。弥生リゾート跡地を市民がどのように守り、利活用していくかを考えるきっかけとしましょう。
 古い会員も新しい会員も「弥生跡地問題」は本会活動の出発点であり原点であることを今一度、考えてほしい。昨年11月に弘前市が開いた報告会には、僅か3名の会員が参加しただけであった。今回はもっと多くの会員の参加を期待したい。

▽と き 3月23日(火)午後6時~8時
▽ところ コープあおもり和徳店(野田1丁目1の27)2階ホール
▽内 容 弘前市職員による報告書の説明(質疑応答)
▽問い合わせ先・三浦章男(35-6819)・竹浪純(080-5229-6076)事前の申し込みは不要。

  弥生リゾート跡地の今後のあり方についての「基本的な考え方」
・広く市民の意見を聴いて、今後の方向を定めていく
・自然に近い姿を念頭に置きながら検討を進める
・大型箱物施設を中心とした計画とはしない
・防災や利用上の安全面も考慮し整備の方向性を定めていく。
・懇談会などの運営にあたっては、大学等、外部のノウハウ・手 法を活用することを検討する  (「報告書」より抜粋)

 以上2つの催し事は「弥生スキー場跡地問題を考える市民ネットワーク」が主催します。「岩木山を考える会」が独自に開催するものではない。ふるって参加して下さい。

このまま春になるのか(3) / 会報51号の案内(3)

2010-02-27 04:42:43 | Weblog
(今日の写真は、ゴマノハグサ科クワガタソウ属越年草の「イヌノフグリ(犬の陰嚢)」だ。図鑑には「北海道を除く日本各地に自生している」とはある。
 しかし、外来種の「オオイヌノフグリ」に圧されて、今では山あいの畑や道ばたでないと出会えない珍しい「草」になっている。少なくとも私がよく散策する「加藤川」沿いの田んぼの畦や野道では見たことがない。
 葉は長さと幅ともに6~10mmの卵円形だ。花期は3~5月。花は淡いピンクに紫紅色の筋が入っている。その大きさは、外来種の「タチイヌノフグリ」よりもさらに、小さく2~4mmという「小ささ」だ。)

◇◇ このまま春になるのか(3)なかなか会えないイヌノフグリ ◇◇

 別に「岩木山の花」という範疇に入れていないので、必死になって探すことはしていないが、それでも、可愛い花なので「心のどこかで」は探している。だが、なかなか出会うことが出来ないのだ。ただただ「外来種」だけが目につく。本来の国産種が「ひっそり」しすぎるくらいに「狭い」に追いやられているのだ。
 環境省のレッドデータブックでは「絶滅危惧二類(絶滅の危険が増大している種)」とされている。その理由は「大部分の生育地で生育条件が明らかに悪化しつつあり、個体数が大幅に減少していること」であるとされている。
 2000年に発行された「青森県レッドデータブック」では「絶滅が危惧」されないと考えたのだろうか、その指定はない。それは10年以上も前のことだから、今は確実に減っていることは間違いがない。
 昔は、家の庭とか畑などに普通に見られた植物である。とにかく、最近は見つけるのが難しいのだ。
 現在、花に関心のある人でもは「イヌノフグリ」というと「オオイヌノフグリ」のことだと思っている人も多い。

 その出会いである。…小さい、小さい、本当に小さい花だ。指先で触っただけでも花弁が散る。別に探していたわけではないが、何か、ピンクの小さいものが咲いてると思い、しゃがんで見た。白い花弁にピンク色の筋。紛れもない「イヌノフグリ」だ。嬉しい出会いだった。愛しさが募った。カメラから手を離してかなりの時間、見つめていた。

 「イヌノフグリ」は、現在は「在来種」扱いである。だが、畑のような自然に人手が入ったところにだけ生育し日本の自然植生の中には見られない植物である。
 もしかすると、「タネツケバナ」のように「弥生時代にイネやその他の農作物と一緒に外国から入ってきた史前帰化植物」かもしれない。前川文夫・東大教授はこのような植物を史前帰化植物と呼んだ。
 別名を「天人唐草」という。また「星の瞳」などとも呼ぶらしい。

◇◇ 昨日、会報51号を印刷店に持ち込んだ。間もなく発送!(3) ◇◇

 今回も前号同様の12ページとなった。とりあえず、その内容をダイジェスト版的に小項目をあげてを案内しよう。
(承前)

●第17回写真展「私の岩木山」の報告(1月15日~17日NHK弘前ギャラリー)
◇◇ 長野県からも出展、写真展「私の岩木山」◇◇

●2月20日(土)に開かれた「フォーラムデスカッション森の多様な生態系と遊歩道のあり方を伐採から考える」の報告
「生物多様性」も「生物文化多様性」もまだ十分理解されたとは思えない。同じ内容での「フォーラム」を今後も続けて行く必要は十分あると考えている。

●岩木山にこれ以上の堰堤「砂防ダム」は必要か
 この問題は是非、公開開示とか、「申請」で明らかな情報を得て、「密かに進められている堰堤工事」の必要性を明らかにし、「不要不急」で「緊急性」がないものであれば凍結させる方向で取り組まねばならい。
 この工事は県河川砂防課の担当であったので早速開示請求をした。ほかに、「林野庁」の事業で「治山」ダムというのがあるので、その実態も公開開示請求をするつもりでいる。
 堰堤は見えないだけで、ずいぶんある。また、見えないように工事をしている。赤倉沢には巨大な堰堤が15本も敷設されている。それによって赤倉沢の「神域」がすっかりと侵されてしまっているのである。「堰堤」や「床固め」などという「ダム」はもういらないと「岩木山」は言っているに違いない。

●岩木文化祭に参加(11月21~22日)
 本会では、弘前中央公民館岩木館で開催される「岩木文化祭」に要請を受けて、次のことを出展した。
▼1.写真展 厳冬の岩木山 56点 岩木山の花 60点
▼2.写真で見るコマクサ問題(発見から調査、抜き取りまで)
▼3.ミニ講演会
 テーマは次のとおりだ。・ミチノクコザクラを詳しく知ろう・高山植物と温暖化・岩木山のスミレ・岩木山の巨石信仰 などである。
 私たちは初めての参加であった。毎年この「文化祭」にやって来ている人は、プログラムや会場案内図を見て、これは「何だ」と訝しがったに違いない。初めて「岩木山を考える会」という名称に接した人も多かっただろう。 
 2日間の来場者数は200人程度だったと思う。この数は、本会が毎年開催している写真展「私の岩木山」がここ数年、3日間で400~500名の来場者で推移していることを考えると、決して少ないとは言えない。
 1日目が5時間30分、2日目が6時間で終了という公開時間の絶対的な少なさを勘案すると、むしろ多いとするべきであろう。
 岩木地区の人たちに「おらほの山」である岩木山について少しでも知って貰えたならそれでいいと考えている。岩木山を、その麓で暮らす人たちと一緒になって、護っていけると、それ以上の喜びはない。
 今回の「岩木文化祭」に参加したことが、その切っ掛けの一つになってくれることを信じている。(明日に続く)

このまま春になるのか(2) / 会報51号の案内(2)

2010-02-26 05:16:17 | Weblog
(今日の写真は、ゴマノハグサ科クワガタソウ属の越年草「オイヌノフグリ(大犬の陰嚢)」だ。今朝も2月だというのに暖かい。外気温は9℃。雨が降っている。春だ。
 「オオイヌノフグリ」は北海道、本州、四国、九州、奄美・琉球に分布する。もちろん、帰化植物だ。
 道端や空き地、田畑に生える。草丈は10~20cm。茎はよく分枝して地上を這い、卵円形で鋸歯のある1~2cmの葉をつける。
 花の寿命は1日。道端の日だまりでルリ(コバルトブルー)色の花をつけたオオイヌノフグリは春の訪れを告げる植物である。)  

◇◇ このまま春になるのか ◇◇

 雪消えの始まった田んぼの畦や南に面した道端よりも高い石垣積みの垣根の許には、すでに「オオイヌノフグリ」がコバルトブルーの小花をつけている。開いているのは日射しのあるうちだけだ。これは、典型的な「一日花」である。

・窓の下ゆく母子にておおいぬのふぐりを空色小花と言いぬ   金井秋彦

 いい歌だ。言葉で飾っているところが何一つない。この歌のよさは「ものの相貌とものの名とぴたりと合うほど具体的なのであり、そのものが生き生きとしてくる」というところにあるのではないか。
「花に寄るこころ」はその花の相貌体験を通してあざやかに新しく見えてくるものであるらしい。

・犬ふぐり星のまたたく如くなり  虚子
・ちりばめて必死の花の犬ふぐり  一花
 虚子の俳句は写生に徹している。 「一花」の句は「花」に命がけで咲く美しさを見いだしている。「命がけ」な行動は何でも美しいものだ。

 詩人・草野心平は「春の歌」と題して次のように謳っている。      

かえるは冬のあいだは土の中にいて/春になると地上に出てきます。
そのはじめての日のうた。
ほっ まぶしいな。/ ほっ うれしいな。
みずは つるつる。/ かぜは そよそよ。
ケルルン クック。 / ああいいにおいだ。/ ケルルン クック。
ほっいぬのふぐりがさいて いる。/ ほっおおきなくもがうごい てくる。
ケルルン クック。/ ケルルン クック。

 また、草野心平は、咲きそろった花をたたえて「そのコバルトの盃に天の光を満たしている」と詠っている。光を浴びて「開く」という性質は、まさにそのとおりだろう。

◇◇ 昨日、会報51号を印刷店に持ち込んだ。間もなく発送!(2) ◇◇

 今回も前号同様の12ページとなった。とりあえず、その内容をダイジェスト版的に小項目をあげてを案内しよう。
(承前)今日も風力発電の負の検証だ。

●最後は超巨大なゴミの山になる
 風車の耐用年数は15~20年と言われている(法定耐用年数は17年)。しかし、実際には落雷や強風などで簡単に壊れてしまい、試験運転を始めた途端に運転を停止せざるをえないような例が全国各地で見受けられるのだ。停止や放置された風車を、最後は誰が片づけるのか。それも決まっていない。
◆◆ 風車病とは何か?
 風力発電用の巨大風車が発する超低音(その成分の多くは耳に聞こえないほどの低周波)により、頭痛、めまい、吐き気、睡眠障害、平衡感覚喪失などが出る症例を、近年こう呼ぶようになったのだ。
 低周波を浴び続けることで癌や白血病が多発する、あるいはDNA(遺伝子)障害を起こし、不妊症や奇形児出産の危険性が高まるとした研究も出ている。
 しかし、今まで巨大風車を知らなかった日本では新しい公害のため、まだ原因究明や因果関係証明などがほとんどなされていない。そのため、規制する法律や法的救済策なども存在しない状態なのである。
●風車からどのくらいの距離まで影響が出るのか?
 1500kw級の風車1基が建つ細谷風力発電所(愛知県豊橋市)で、風車から3km離れて住んでいる人が不眠などで苦しんでいる実例がある。
 「3kmも離れているから大丈夫だと思っていた。まさか自分が…と思ったよ。風車からの騒音は聴こえるが、夜中かすかに聴こえる程度なので、最初はなぜ起こされるのかわからなかった。低周波の被害は2km位までと聞いていたのに…。しかし、現に私は3km離れていても苦しんでいる。
 岩木山の北麓の鰺ヶ沢地区には最終的には2000kw級が50基建設されるのである。
 居住地区から1km離すと言っているが、これより小さいもので、3km離れても症状が出ているのだ。まだ誰も経験のない規模だから、はっきりしたことは何も分からないが、それでいいのだろうか。
●風車病の症状はどのようなものか?
 次の証言に耳を傾けて欲しい…。
「音はしないのに、夜眠れない。毎晩2時、3時になると、妙な感覚で目が覚める。音ではなく、耳の奥でグワー、グワーと渦まくような感じ。風車稼働後、半年経ってから不眠症状が出始め、最初はなぜなのか分らなかったが、だんだんとその響きのリズムが風車の回転と一致している事に気がついた。今も睡眠不足の状態がずっと続いている。
 先日、ついに仕事中に睡魔に襲われて車をぶつけた。妻は眠れない苦しさから実家に帰ってしまい、やむなく別居生活になった。たった1基の風車が建ったおかけで被害は甚大、生活はめちゃくちゃだ。今でも月一で事業者と話を続けている。土地を売ろうにも、こんな状況になった土地を買う人などいないだろう」(豊橋市・細谷風力発電所付近住民Mさん)
●低周波による健康被害を行政や風力発電会社は補償してくれるのか?
 してくれないのだ。そのような例はない。
 「医者に行っても異常がなく、更年期障害ではないかと片づけられてしまう。苦しさは風車が稼働してから始まり、風車から遠ざかれば和らぐ。でも、誰も理解してくれず、低周波による被害とも認めてくれない」( 同所住民Mさん女性)
●防音対策などはできないのか?
 …出来ない。一般の騒音公害は、遮音壁や二重サッシなどである程度軽減できるが、低周波は物体を直接伝わって回り込む特性があるため困難である。下手に防音するとかえって家の中に低周波がこもり、ひどくなることもあるのだ。
 また、聴感上「聞こえない」音が相手のため、普通には低周波が届いているのかどうかも、客観的には分からないのである。よって「出来ない」。
◆◆ 風車病以外の問題点
●風力発電は石油を余計に使うシステムなのだ
 風が吹かなければ発電量ゼロ。しかも、いつ、どれくらい発電できるか予測できない風力発電の電気に合わせて、火力発電所などをこまめに出力調整することは極めて難しいことである。
 風力発電が化石燃料の節約になるのであれば、風力発電をした結果、火力発電所の燃料消費量が減っていなければならないが、そのようなデータはどこからも出て来ていない。
 税金を強制投入(会社が風力発電施設を建設、運営しても、補助金という税金が使われること)して巨大風車を作ることは、日本の発電事情を悪化させるだけで、むしろエネルギーの無駄遣いになっているのである。(明日に続く)

このまま春になるのか / 会報51号の案内

2010-02-25 05:03:03 | Weblog
(今日の写真はシソ科オドリコソウ属の一年草「ヒメオドリコソウ(姫踊り子草)」である。雪が消え始めた田んぼの畦に見たものだ。西日本や九州では春を越えて夏の陽気だとニュースが報じている。昨日、会報の原稿、といっても入力したものをUSBメモリーに入れたものだが、それを持って行くのに往復2時間歩いたら、すごく「暑かった」ので、上着のフリースを脱いでザックに入れたものだ。直ぐに汗ばむのであった。まだ、2月だ。あんまりの陽気である。
 この「ヒメオドリコソウ」、日射しの強い場所では葉に赤紫色を帯び、全体が赤紫色になる。これからだ。今まで雪の下でじっとこの状態で「雪消え」を待っていたのである。
 これは、ヨーロッパ原産の帰化植物。明治時代中期(1893年)にすでに東京に侵入しているのが確認されているが、広がりつつあるのはここ数十年だ。今では、全国的に分布が報告されている。
 在来種の「オドリコソウ」と生育立地は似ているが、「オドリコソウ」が多年草であるのに比べ、ヒメオドリコソウは一年(越年)草であるので、より安定した場所に「オドリコソウ」が、より撹乱の激しい場所が「ヒメオドリコソウ」の生育する状況になっている。田んぼや畑は人が「意図的」に攪乱する場所だ。彼女たちはそうした場所を見逃すはずはないのだ。
 半日陰に生育している場合には、全体が緑色である。不思議なことに、「オドリコソウ」と一緒に「ヒメオドリコソウ」が生育している場所もないことはない。
 名前の由来は「オドリコソウ」と同属であるが、「より小さい」という意味による。)

     ◇◇ 昨日、会報51号を印刷店に持ち込んだ。間もなく発送! ◇◇

 今回も前号同様の12ページとなった。来週、早々には発送出来ると思う。
 とりあえず、目次とダイジェスト版的に小項目をあげてを案内しよう。
目  次
*風力発電事業を考える …1
*第17回写真展    …5
*「フォーラム」について…6
*砂防ダムは必要か …9
*岩木文化祭に参加 …10
*事務局からのお知らせ…11
*弥生跡地の観察会
*弘前市弘前大学共同研究報告 書説明会
*庶務報告(活動日誌)…12
*編集後記      …12

●「風力発電事業」を考える この項には5ページを当てている。

 「私たちは、風力発電事業に対して次に掲げる点で賛成は出来ない。

①稼働後の健康問題としての「風車病」のこと
②「風任せ、出力不安定、落雷、強風、風の乱れ、利用出来る風の強さに制限」などという「風力発電の特性」
③「建設時の自然破壊」
④「生態系への影響(バードストライクなどを含む)」
⑤「稼働率の問題」と「メインテナンスの問題」
⑥「原風景としての景観破壊」
⑦近くに住む人への「閉鎖的抑圧感」

 人々は「風力発電」会社の甘言に乗せられ、地権者は「金にならない」原野が「金」を生み出すのだから「直ぐに」飛びつく。だが殆どの人は「風力発電」の実態を知らない。「風車」といっても日本人が好む「風車(かざぐるま)」ではないのだ。120mもの巨大なタワーの上でぐるぐる回る直径が80m以上もある巨大なプロペラなのだ。決して、風にかざして「くるくる」と囁くような風切り音で優しく回る情緒的、情念的な子供から愛される日本文化としての「玩具」ではないのである。
 果たして、「青森県風力発電機の建設率、全国一の15%」が、誇れることだろうか。
 岩木山北側山麓の長平地区の畑地区域に出力2000kwのものを25基建設予定されている。なお、発電所用用地面積は約6000m²である。

●どれだけのものが建つのか?
 多くの人々は、「鉄塔が建つ」くらいの感覚で風車をイメージしているかも知れない。だが、2000kw級の風車はそんな生やさしいものではない。高さ119mの巨大建造物は弘前市や五所川原市にはない。
●生コン車2650台分のコンクリートが流し込まれる
2000kw級風車1基の基礎工事に使用されたコンクリートは約530立方メートル。生コン車延べ106台の量であると公表されている。これが25基だから、ざっと計算しても生コン車2650台分はあるだろう。それだけのコンクリートが、私たちの飲料水や農業を支えてきた土地に流し込まれるのである。
 小さな工事でも、地下水流が変わり井戸が涸れ、沢が涸れることはよくある。水流が変わり、表土の緑が失われ泥水が鳴沢川や湯船川に流れ込むと川魚や海魚にも影響が出ることもある。
●風力発電施設の建設によって水源地が喪失する
 水資源破壊は壊滅的と言えるだろう。沢が涸れる、井戸水が出なくなるなどの事態も起こりえるであろう。
●付近住民は一生「風車病」と向き合うことになる
 巨大風車が発する低周波、超低周波(耳には聞こえない振動)が原因と思われる頭痛、めまい、血圧上昇、鼻血、不眠、いらいら、といった健康被害、通称「風車病」が問題になっている。すでに風車が稼働しているところでは、最初は風車を歓迎していた住民が、風車稼働後に地獄の苦しみを味わうことになり、悲惨な状況を呈している。
「風車は計画を認めたらおしまい。二度と元の生活には戻れない」という悲痛な声が、多く聞こえるようになってきている。
 風車病はその原因構造の解明がまだほとんどされていない。個人差が大きいことも特徴である。同じ家に住んでいながら、夫は何も感じず、妻は耐えきれずに家を出て別居、というケースさえある。
 概して、症状は、老人や女性などのほうが早く現れるようである。最初は何も感じなかった人も、年数を経て、突然苦しみ始めることがある。
●発電しなくてもいい。補助金がもらえるからだ
 事業者が行政に口癖のように言っているのが、「風力発電は発電しなくてもいいのだ。補助金がもらえるので、建設するのだ」という驚くべきことだ。
 風が吹かなければ発電量はゼロ。予測がつかない風力発電が使い物にならないことは、事業者がいちばんよく知っている。
●一時の金と引き替えに、村や町を殺してもいいのか?
 「理由なんかどうでもいい。建ててしまえばいい」という感覚は、住民の側にもないとは言えない。「工事で金が落ちればいい。そのために自然が破壊されようが、他の住民が苦しもうが、それは仕方のないことだ」と考える人もいるかもしれない。
 だが、一旦受け入れたら最後、生活ができない、未来のない場所なってしまう。(明日に続く)

春は近いぞ、雪解けの畦にヒラオオバコが / もっと感性で気象を語れ

2010-02-24 05:21:18 | Weblog
 (今日の写真はオオバコ科オオバコ属の多年草「ヘラオオバコ(篦車前草)」だ。ここ数日のいいお天気で田んぼの「出っ張り」にあたる畦の一部分は雪解けが進んだ。その畦で写したものだ。
 これは、日本の「在来種」である「オオバコ」の仲間ではあるが「在来種」ではない。ヨーロッパ原産の帰化植物だ。江戸時代には渡来したという。多年生の草本で地下に太い根茎がある。根生葉はこのように「ロゼット」状である。
 葉は細長く、長さ20cmほどになる。春から夏にかけて高さ30cmmほどの花茎を出し、下部から上部へと次々に開花する。花は集合花で、全体的に濃い褐色で、非常に地味である。おそらく、この花を愛でる人はそれほど多くはあるまい。だが、長い雄しべは白いのでよく目立つ。
 生育地は、路傍や牧草地、堤防などであり、刈り取りには強く、少しぐらい上部を刈り取られても、直ぐに生えてくる。だが、「在来種」の「オオバコ」が、「踏みつけに強く」道端で人の足や車に踏みしだかれることで「より強く生育」していくことに比べると、こちらは軟弱で「踏みつけ」には弱い。「在来種」の「オオバコ」は「車前草」と書く。この漢字名に「オオバコ」の「踏みつけに強い」という性質が込められているのである。
 「ヘラオオバコ」という和名は、オオバコの仲間ではあるが、「葉が細長くヘラ(篦)型」であるということによる。
 雪が消えたばかりの田んぼの畦には、他にもいろいろな植物が芽を出し、葉を伸ばし、開花の準備をしている。この時季によく目につくものは、秋に芽を出して雪の下で育った「越年草」が多い。そうでないものもあるが、その日に目についたものには、「セリ」、「ハコベ」、「オオイヌノフグリ」、「ヒメオドリコソウ」、「タネツケバナ」などがあった。)

◇◇ もっと感性で気象を語れ ◇◇

 月曜日からいいお天気が続いている。日射しは強く、昨日も太陽の直射をうける気温計は外部センサーで16.9℃を示していた。朝も気温は高く3.0℃とマイナスではなかった。 恐らく、このような温かい日と寒い日を繰り返しながら、本格的な春がやって来るのであろう。そういえば「三寒四温」という言葉を懐かしく思い出した。
 昔からの俚諺にいう気象用語は実に味わいがある。それは、生活に直結して、生身の実感を伴っているからである。それに比べると、文明化、機械化された「気象」ばなしは味も素っ気もない。それに、テレビ等で語る気象予報士の「したり顔」と「感情を抑制した語り」には、実感がない。「上空5000mには氷点下50℃以下の寒気が流れ込んで云々」と言われたところで、私たちの目に「寒気」が見えるはずもない。「寒気」は冷たい空気だ。これは見えない。
 組織的な規制も問題だ。基本的な項目以外は予報士の表現に任せればいいのだ。「徹底して自己の感情を抑えた内容と表現」で語ることが義務づけられているとかでは、「生きた感性的」な語りは出来ない。
 もう一つ、気象とは単純化すると「野外」の事象である。それと、日本では季節と深く関わっているものだ。もっと「野外の事象」、つまり野外の植物なり、野鳥なり、動物なりを登場させて、それらとの関わりの中で「気象」を語ると「機械的で冷たい」表現は消えるに違いない。可愛らしい女性や美人予報士をそろえても、「感情を抑制した語り」では、逆に「冷たい美しさ」だけが強調されてしまうのだ。
 予報士たちも「春夏秋冬」とにかく、「野外に出る」べきである。肌で、季節の「気」を感ずるべきだ。感覚を逆転させるような気持ちで、目で野鳥の鳴き声を聴き、耳で昆虫の這いずり回る姿を見る。そうすると野鳥の鳴き声は季節の色彩をともなった色具合で見えるだろうし、葉を這いずり回る昆虫のかすかな音も聴こえるだろう。

 それにしても、雪解けの始まる「田んぼ」で見かける草々の殆どは、外国産の「外来種」である。「オオイヌノフグリ」、「ヒメオドリコソウ」、「タネツケバナ」などがそうだ。日本の田園風景は、すっかり「外国種」に占領されてしまっている。
 在来種で「ピンク」の小花を咲かせるゴマノハグサ科クワガタソウ属の越年草「イヌノフグリ(犬の陰嚢)」は、北海道を除く日本各地に自生しているといわれているが、弘前市内や近郊、岩木山の山麓などでは殆ど見られなくなっている。この外来種「オオイヌノフグリ」に圧されて、今では山間部の、しかも「畑の縁」に行かないと出会えない珍品になりつつある。
 今年も雪消えとともに「イヌノフグリ」探しを始めなければいけないだろう。
 シソ科オドリコソウ属の一年草である「ヒメオドリコウソウ」も同じだ。
これはヨーロッパ原産の帰化植物で、明治時代中期(1893年)にすでに東京に侵入しているのが確認されているが、広がりつつあるのはここ数十年だ。今や、全国的に分布が報告されている。
 「在来種」のオドリコソウと生育立地は似ているが、オドリコソウが多年草であるのに比べ、「ヒメオドリコソウ」は一年草であるので、より安定した場所に「オドリコソウ」が、より撹乱の激しい場所に「ヒメオドリコソウ」が生育する状況になっている。
 田んぼというのは「人の手によって攪乱された土地」であるから「ヒメオドリコソウ」がはびこるのも無理はないが、それにしても、農家の人や農業行政に携わる人たちは、これら「外来種」の草に無関心過ぎはしないか。

 私は「日本帰化植物友の会」の会員である。持っている「日本帰化植物写真図鑑」には600種以上の植物が掲載されている。今度、「日本帰化植物写真図鑑」第2巻を、480種収録して発行するという。
 単純に足し算して1080種の「外国産」の外来種が日本で生育しているのである。岩木山で私が確認した草本と木本の花は450種である。その2倍以上の帰化植物が日本の地で在来種を脅かしながら「生き延びている」のだ。
 キリスト教徒でもないのに「クリスマス」を何の抵抗もなく「日本の文化」化してしまう器用な日本人だ。「1080種くらいの外来種」など目ではないか。そのような人たちと一緒に生きることは、私にとっては辛いことである。

「フォーラム:森の多様な生態系と遊歩道のあり方を伐採から考える」は大成功!(2)

2010-02-23 04:14:52 | Weblog
(今日は陸奥新報「2月22日付」の切り抜きを紹介する。小さくて読めないと思うのでで、管理人・葛西さんにお願いして「シンポジウム」のページに貼り付けてもらうことにする。HP「扉」左欄の・本会主催の「シンポジウム」をクリックして入ってもらうと拡大したものが読めると思う。)

 ところで、以前にも書いたが「フォーラム」等の評価基準は「参加人数」だけではない。もちろん、参加者が多いに越したことはないだろう。そのために、一般受けするテーマや有名人をそろえて開催するものも多い。
 本会でも一度本会創設10周年記念の時に、鎌田慧氏に来てもらって「私の岩木山」を講演してもらったことがある。だが、これはただ単に「有名人」を使って「人集め」をしたわけではない。
 長いことを「ふるさと」を離れて生活している、すなわち、異郷に暮らす人を代表して「岩木山」への思いを語ってもらったのだ。その時、鎌田氏は弘前公園の本丸から見る岩木山に触れて、「公園入場有料化」を厳しく指弾した。
 公園は市民のものである。本丸も同じだ。そこから見える岩木山も市民のものだ。それが、弘前市民の感情であり、異郷に暮らしていても、その感情は血肉となっているのだ。それに対して、一方的にゲートを設けて「金」まで摂るとは何という「さもしい根性」というのが彼の憤りと失望の所以であっただろう。
 その時は、旧岩木町の町民文化センターを会場として実施したが、約230名の方々が参集してくれた。本会ではこれまで、17回の講演、シンポジウム・フォーラム・パネルディスカッション等を企画・開催してきたが、200名を越える参加者があったのは、鎌田慧氏のものが最初であり、その後もない。
 今回のフォーラムは「開催することに意義があり」を大前提として開いたものであり、かつ、テーマの「生物多様性」に対しては名古屋市を抱える愛知県でも86%の人が「知らない」と回答するなど、関心の薄いものであったことから、鎌田氏の時の5分の1程度の参加者しかなかった。だが、次の3点で、今回の「フォーラム」は成功だったと考えている。
1.会員の参加が多かったこと。一般の人も、テーマに関係のある「大学関係者」、白神山地のガイド、市議会議員、環境省自然公園指導員、自然観察指導員、自然保護団体で自然観察会などに取り組んで人、山岳会関係者など、様々な関わり合いをもっている人の参加が見られたこと。
2.マスコミ取材が2社(東奥日報社、陸奥新報社)あったこと。(実はそのほか4社にも案内を送付したのだが、来てくれたのはこの2社だけだった)
3.次に述べることが一番の評価点だと考えている。それは、まさに「フォーラムデスカッション」の部分である。質問と意見が多かったということである。ただ、多かっただけではない。その内容が多岐に渡っていることも特記されるだろう。
 今回の催事名称は「フォーラム(デスカッション):森の多様な生態系と遊歩道のあり方を伐採から考える)」である。講演と問題提起、報告だけでは「看板に偽りあり」となってしまう。
 参加者同士、または参加者と主催者、講演者、報告者による「デスカッション」がなければおかしいのである。だが、この「デスカッション」が上手く出来たのだ。
 残念がらマスコミ2社は、この「デスカッション」が始まったころには会場にはいなかったのだ。帰社してしまったのだ。彼らは催事名称の真に意味することへの理解がなかったのかも知れない。

 そこで、次に「デスカッション」の時に出された意見と質問を掲げてみたい。

Sさん:「ぶな巨木ふれあいの径」のコンクリート舗装について、森林管理署は車椅子が使えるように、と言ったのか。
Kさん:請願法で「2週間以内にお答えください」の見本様式に書いているが、3週間とか1カ月でもいいのか。
SMさん:植物の呼吸についてもう少し詳しく教えてほしい。
Hさん:焼止小屋の前が伐採されて、眺望がきくようになったように思うが、あれはにはどういう経過があるのか。
KYさん:十和田遊歩道事故に対する裁判結果はおかしい。生物多様性から外れてきているように思う。われわれにどういう工夫ができるのか。
Sさん:八甲田睡蓮沼も車いす用の車道を作った。しかし特に舗装しなくとも。ボランティア2~3人いれば運んでいける。佐井の自然遊歩道もそうなっている。
KMさん:「障害者用の歩道を造る場合も当事者の意見を聞いていない」のではないか。砕石の道路は無理だが、舗装がなくとも、地肌が見えていれば十分車椅子は移動することができる。
Tさん:白神山地の大川付近では、考えられないようなところでどんどん伐採が進んでいる。何のための伐採なのか。これも調べる必要があるだろう。
MNさん:岩木山に登ったことがない人がたくさんいる世代になった。舗装道路があって当たり前だと思う人が多くなっている。このような事実を前にどうすればいいのか。
MMさん:20年前くらいから学校でキャンプをしなくなった。遠くに遠足に出かけても、車で父兄が迎えに行く時代だ。
KTさん:つがる市の教育委員会が登山と自然観察の方法を学ばせるということで、岩木山登山をしながら、私たち、岩木山を考える会が指導をしたこともある。そのような申し出があれば当会としては対応できる。
KOさん:風力発電が鰺ヶ沢に来るという話しが聞こえてきている。どうなっていくのか。(明日に続く)

「フォーラム:森の多様な生態系と遊歩道のあり方を伐採から考える」は大成功!

2010-02-22 05:21:24 | Weblog
 (今日の写真は、2月20日に開催した「フォーラム:森の多様な生態系と遊歩道のあり方を伐採から考える」に参加した人たちの「講演」に聞き入る様子だ。)

◇◇ 「フォーラム:森の多様な生態系と遊歩道のあり方を伐採から考える」は大成功! ◇◇

 開催日の20日は、朝からいい天気だった。青空が覗き、日射しは柔らで暖かい。まるで、この「フォーラム10・02・20」開催を祝福し、成功を暗示しているような「お天気」だった。それにしても、実に「春めいて」きたものだ。
 それはまず、日の長さに表れている。午後5時になってもまだ明るいのである。それに、日の出も早くなった。日中の太陽の位置も高くなったし、陽光が明るく、その光に「暖かさ」が出てきている。
 「生物多様性」や「生物文化多様性」なども、この「太陽」の存在に深く関わって、これを中心に分化し、進化してきたのだろう。太陽を浴びながら、そのような思いにとらわれた。そして、「太陽」が地球にもたらす「エネルギー」は本当に不滅なのだろうか。永遠にあり続けるのだろうかとも思った。「太陽光発電」が二酸化炭素を排出しないで得られる電気エネルギーだと喧伝されて久しい。
 私のようなど素人には、単純に「エネルギー」は使うとなくなると思えてしょうがないのだ。太陽光パネルが地球のあちこちに「貼り付けられて」太陽光を吸収していくと、終いには「太陽光」は枯れてしまうのではないか。この「太陽光」だって「人間というたった一種の生物」のためにだけあるものではない。光合成をする植物には絶対になくてはならないものだ。動物だって、暖かさを得るためにはこれまた絶対に必要なものだ。恐らく、人間のように「化石燃料や薪などの炭素燃料」を扱えない人間以外の生物はすべて、この太陽に起居しているはずである。
 人間はここでもまた、「太陽」を独り占めしようとしているのである。「太陽光」を受けるということは、そのパネルの下は太陽光が遮蔽されるということである。
 その遮蔽される場所には生物がいるかも知れない。たとえ、そこが屋根の表面であってもである。森とか草原とか、そのような場所に「パネル」を面的に貼り付けると、その下には確実に生物がいるわけだから、彼らは太陽の恩恵を受けられないことになる。
 このようなやり方、仕方が「生物多様性」を侵し、ひいては生物である人間の生活そのものを侵していくのだ。つまり、人間は自分に都合のいいことだけを推し進める中で、「自分の首を自分で締めていって」いるのである。
 何故か、それは私たち人間の生活、つまり生きていくことに絶対不可欠な「食料」はすべて「生物多様性」の所産であるからだ。衣食住のすべてが、「生物多様性」が生み出しているものだからだ。そのほかに、医薬品なども「生物多様性」から導き出されて存在しているからである。暖かい太陽に照らされて、私はこのようなことを考えていた。

 ところが、昼過ぎから雲行きが怪しくなってきた。青空は影を潜め、空は雪雲に変わった。そして、小雪が舞いだした。
 先ほどまで「祝福」と「成功」の兆しと喜んでいた気分が、一度に消えてしまった。私は「フォーラムデスカッション」の開会が恐ろしくなった。「参加者数」よりも、「開催する」ことに意義があると言ってみたところで、数名の参加者にとどまったとすれば、これは、大きく開催の意味を失う。天気が悪いと出足は遠のく。この雪で、参加者数は減るのではないか。

 「朝のテカテカと女の腕まくりは大したことがない」という俚諺がある。
 これは「朝方お日さま出てテカテカと晴れ上がることは悪天の兆しで、大して期待が出来ない。同じように女が細い腕まくりをして頑張ったところでこれまた、大した効果や期待は出来ない」という意味である。私は前者の意味は合っていると思うが、後者の方は「女性に対する侮辱」的な要素も入っているし、それほど「女性」は弱くないと思っている。
 むしろ、能力的な特性からは、男性を上回ることの方が遙かに多いだろう。

 ところで、私は開会1時間前に会場に行った。「相棒さん」の他にIさんとSさんが既に会場で机を並び終えて、レジメなどの資料と横書きの主題票用紙、受付名簿の到着を待っていた。会場は一応定員が50名となっている。ホールなので、机は日常的にはセットされていない。だから、開会前に「2人用長机」と椅子を並べなければいけない。その作業を3人は既にしていてくれたのである。有り難いことである。
 50人を越えると「立ち席」になる。資料も、50部しか作っていなかった。表紙を入れてA4版7ページである。ページは印字してあるが「冊子」としてまとめてはいなかったが、Iさん主導で「冊子」として、それを机上に一部ずつ置いた。参加者へのサービスである。ここまで配慮することが出来るIさんは実に大したものだ。
 今手元に残っているその「冊子」はわずかに数部、その差分の人数が参加者数ということになるのだろう。(明日に続く)  

扇ノ金目山まで行ってきた

2010-02-21 15:20:36 | Weblog
(今日の写真は、今日、13時ちょうどに扇ノ金目山山頂に到着した時に写したものだ。「扇ノ金目山」は標高が860mほどだ。岩木山山頂からの眺望は360度だが、この山頂からはまるで、扇の留め金から扇が開いたような展望になる。円ではないが「半円」状の方角すべてが見える。「」とはよくいったものだ。岩木山のほぼ半分の高さだから眺望される範囲が「半分」でも、それはそれでいいだろう。大して登らなくても板柳、鶴田、五所川原、鰺ヶ沢、十三湖を含めた津軽半島がすべて見えるのだから、重宝な山だ。
 藩政時代は「津軽藩の新田開発地域」が全部見えるので、手軽に「国見台」の役割を果たしたのではなかろうか。今でも、夏場には「踏み跡道」らしきものが「」までは付いている。20年ほど前には営林署で建てた標識もあったのだ。だが、クマに囓られるなどして、今はどこにもない。
 生憎の天気で、よく見えないが真っ直ぐに見えるピークは無名の「1249.6m」峰だ。ここから比高(標高差)400mを一気に登る。距離は短いが、それだけ斜度がきつく、昨年の4月にも登ったが、きつくて辛い登りだった。)

                ◇◇ 扇ノ金目山まで行ってきた ◇◇

 今日は、ここ「扇ノ金目山」で終わりだから何とかもった。私は完全に「二日酔い」の状態だった。68歳だというのに「二日酔い」だ。体を労らなければいけない年なのに、その逆だ。
 登っている間中、胃がむかついて激しい吐き気に襲われていた。「二日酔い」特有の頭痛も激しかった。反省することしきりだが、「山」に来たことへの反省は全くなかった。しかし、実際は「疲労困憊」状態だった。

 それにして、白狐沢左岸に張り出している雪庇がきれいだ。相変わらず、雪が少なく小さい雪庇が連なっている。雪庇とは風と雪が作り出す造形である。波形にうねるものあり、放物線を描くものあり、多彩だ。
 美しいけど、近づくことは禁物だ。踏み抜くと「崩落」し雪崩となるからである。

 お天気は雪が降ったり止んだりだった。ただし、風は冬の山にしては、珍しく弱かった。
 雪質は「シール」によくなじんだ。踏み出すと「ぎゅっと」いう感じで雪面に張り付く。このような雪質の時は、シールを貼り付けたままでの滑降が出来るのである。だが、「踏み込み」は深い。
 「扇ノ金目山」へ行くには「大石神社」の鳥居の手前を右に曲がって、約2.0kmほど行ったところの砂沢下流辺りに取り付くのだ。
 自動車は「大石神社」付近に駐車してと覚悟を決めていた。ところが、その道は「きれいに」除雪されていたのである。
 私たちはスキーを着けて2.0kmを歩かなくてもよかったのだ。まさに、「ついている」、「禍福はあざなえる縄のごとし」なのである。
 実は、昨晩、「フォーラム」が成功裏に終わったことを祝って「ちょっと一杯」をやったのだ。だが、その一杯が二杯になり、最後は「記憶喪失」状態となってしまったのである。
 大分酔いが回ってから「相棒さん」が「明日、扇ノ金目山まで一緒に行こう」と誘ったらしいのだ。そして、私はそれに「行く」と応えたらしいのだ。「…らしい」というのは、私にそのことの「記憶」がない。「記憶」がすっかり飛んでいるからである。
 「8時自宅出発」ということで、「8時近くに」ピンポンとチャイムが鳴った。日曜日の朝だというのに、訪問客かという思いで玄関に出てみたら、「相棒さん」が「山に出かける格好」で立っていた。私は狐にだまされているのではないかと思った。
 ようやく事情が飲み込めた。洗顔は済ませていたが、「登山の用意」はしていない。朝食も摂っていない。慌てて、その2つの行動をした。「相棒さん」には、その間「テータイム」をとってもらい、居間で待ってもらった。
 約束の時間に「遅れること」40分、何とか出発することが出来た。「相棒さん」には、大変な迷惑をかけた。無駄な時間をとらせてしまった。
 ところが、この「40分」遅れが、「災い転じて福」を生み出したのだ。きれいに除雪されている道路を進む。その除雪された部分の「終点」近くに行ったところ、除雪をしているブルドーザーが見えた。そして、運転者が降りてきて、「そこの車寄せに置いていけ」と言ってくれたのだ。
 約束通りの時間で来ていたら、「除雪中」で、進入禁止であったのだ。私たちはこれで「2.0kmを歩かなくてもいい」という幸福を手に入れたのだった。
 
 ここ数日降り積もった雪は、靴の高さを越えて埋まる。スキーでこの程度だから「つぼ足」だと腰まで埋まるだろう。標高800mぐらいまでは、その状態が続いたが「扇ノ金目山」山頂直下では急に埋まり方が深くなった。
 ここは殆ど樹木がない。疎らなのだ。典型的な「雪崩崩落」地帯だ。このようなところでの「深い埋まり」は怖い。いつ「雪崩」が走るかも知れない。
 このような場所は、出来るだけ「直登」する。勾配のある雪面に、水平の亀裂を入れたくないからだ。その亀裂から「雪崩」ることがあるからだ。だが、「直登」するには斜面がきつ過ぎた。結局、恐る恐るだが、ジグザグで登る羽目になってしまった。
 
 自動車の置いてある場所に戻ってきたのは、14時少し過ぎた頃だった。自動車に乗り込んでも、私は「吐き気と頭痛」に悩まされていた。帰ってきて、こうして、このブログを書いているが、まだ、頭痛はするし、吐き気もする。
 明日になったら直るだろうか。私は「晩酌」はやらない。医者から止められている。飲酒も止められている。
 それでも、昨晩飲んだのだ。このバチアタリメが。やはり、年とともに「酒」に弱くなっている。

「フォーラム:森の多様な生態系と遊歩道のあり方を伐採から考える」:今日、2月20日です(5)

2010-02-20 03:11:32 | Weblog
         ☆☆☆☆ 読者の皆様、ぜひ参加されて下さい ☆☆☆☆

(今日の写真は、岩木山の柴柄(しばから)沢右岸下流から入るミズナラの道である。これで十分人が歩ける道なのである。観察会にうってつけの道でもある。約3kmほどあり、岳温泉の手前に抜ける。
 雪消え間もなくの時もいいし、秋紅葉と落ち葉の始まるころもいい。だが、一番いいの「夏緑」の頃だろう。道の左右から草や低木が道を覆い、かき分けながら歩く。かき分けて足許を確認しながら歩く。この行動が知らないうちに、「自然観察」をさせている。
 去年はこの道を歩いて「自然観察会」を2回開いた。
 観察会の目的は基本的には「生物多様性」を知ることである。それを踏まえて、「生物文化多様性」へと理解が及んでいくことである。
 もちろん、参加者は「ミズナラ林」の美しい景観に目を見張る。樹木に包まれるという体験、これぞ、「生きた感性的な空間」に身を置くことである。
 日常性から離れたミズナラ林、そこにある道はやはり、日常的に歩き慣れた「アスファルト」や「コンクリート」舗装でない、直接、落ち葉の積もったふかふかした「自然の道」なのだ。この「ふかふかした道」もまた、「生物多様性」の与えてくれたものなのである。
 「ぶな巨木ふれあいの径」のコンクリート舗装道路を歩いても、けっして、「生きた感性的な空間」に身を置くことは出来ない。)

□□ フォーラム「森の多様な生態系と遊歩道のあり方を伐採から考える」□□

開催日時:    本日(今日)2月20日(土) 14時から17時まで
会  場:    津軽保険生協2階ホール(コープあおもり和徳店向かい2F)無料駐車場あり・参加費無料
 
 今日の「フォーラム」では、冒頭で本会会員で「自然観察指導員」の竹浪純が「遊歩道の設置とそれに伴う安全管理によって失われるものを考える」と題して、報告と提案をする。
その概要を次に掲げよう。

 『国有林遊歩道の安全確保のためという理由で、付近に生えている「危険木」が伐採されている。この伐採処理方針は、自然保護関係者が声を上げたことにより、津軽森林管理署管理区域内においては、市民の意見を聴取しながら実施することになった。しかし、それだけでいいのだろうか。白神の観光スポットに設置されている遊歩道の現状を報告しあり方を考える。

ぶな巨木ふれあいの径
 ぶな巨木ふれあいの径は県道岩崎西目屋弘前線津軽峠から、トラノ沢林道分岐まで延長約2km、標高差約100mの遊歩道である。歩道の約20%は幅100cmほどの簡易コンクリート舗装を施している。この舗装は以前から一部だけ舗装されていたが、昨年津軽森林管理署が呼びかけ、それに応えたガイド団体が9月、ボランティアでその延長工事作業を行い新聞記事にもなった。
この歩道沿いに生えていたブナ13本を、昨年5月津軽森林管理署が危険木として認定し、6月に伐採した。
伐採行為に対して、8月竹浪が津軽森林管理署に請願書を提出。ぶな伐採への抗議、復元と今後の善処を求めた。津軽森林管理署はこの問題について、9月、公式見解を発表した。』
 
 次に、会長阿部東の「生物多様性」に関する講演があり、最後に…

   ●「生物多様性」を大切にしなければ「生物文化多様性」は育たない ●

◇「生物多様性」は、衣食住をはじめ言語・技術・学問・芸術(芸能)・道徳・宗教・政治・世界観など生活形成の様式と内容を含む「文化の多様性」を育んできた。

◇「生物多様性」と「生物文化多様性」とは相互関係にある。「生物多様性」への無関心と破壊は「生物文化多様性」の喪失を招いている。人々の暮らしは一元的。生業に根ざしていないからだ。

◇「生物文化多様性」である「動植物あるいは菌類の個別の種特性、生息場所や繁殖時期など」の知識が数十世代かけて蓄積されている。これは「自然の恵み」といってもいい。人が「適切」で適度な働きかけをすることによってはじめて維持されるものである。

◇「生物文化多様性」は、人間と自然の相互作用であるが、最近は、人間側に蓄えられた膨大な伝統知識の総体が「次世代に発展的に継承する」ことが出来なくなっている。「伝統知の総体を次世代に発展的に継承する」ことが多様性問題の要である。

◇生物と文化、両者の多様性の関係性を地球上のさまざまな環境への適応ととらえ、伝統的知識を含めたものとして位置づけることが必要だ。

◇2010年10月に名古屋で開催される生物多楡既条約締結国会議(COP10)では、「多様性領域プログラム」の中で、「生物文化多様性」も世に問われる予定である。

…などを前提として、次のことについて事務局長三浦章男が詳しく述べる。

 『白神山地「ぶな巨木ふれあいの径」における「ブナ伐採」には、「林野庁」の方針である「生物多様性に配慮」するということはまったく窺えなかった。
 「ブナを伐採する」ということは「遊歩道(簡易舗装道路)」上における「安全な空間」の確保であり、「生物多様性」を無視することである。
 「安全な空間」の確保と「生物多様性」との関連性、整合性をどのようにとらえ、構築していけばいいのか、また、敷設される「遊歩道」を本来の「道」が持つ機能から「生物文化多様性」に触れ、その妥当性と「生物多様性」との関連なども考える。』

「フォーラム:森の多様な生態系と遊歩道のあり方を伐採から考える」:明日2月20日です(4)

2010-02-19 05:13:54 | Weblog
         ☆☆☆☆ 読者の皆様、ぜひ参加されて下さい ☆☆☆☆

(今日の写真は、白神山地「ぶな巨木ふれあいの径」の「簡易コンクリート舗装」道路である。
「左右より芍薬伏しぬ雨の径 (松本たかし)」という俳句がある。ボタン科ボタン属の草本である芍薬は「雨の重さ」でも傾く。そして、「それらが径を左右から覆うている」という句意だ。
 私は、この「簡易コンクリート舗装」に注目するのだ。ここに張られた「コンクリート」は左右の表土との「厚い」境界線、または幅広い境界線である。水平に見ると、「低い絶壁」でもある。
 草も低木もこれによって遮られて、この接点部分では生えることが出来ない。当然、冒頭で述べた「俳句」の芍薬のような状態や風情を「どの草もどの低木」も演ずることは出来ない。
 この「簡易コンクリート舗装」はここで、「生物多様性」を分断している。舗装にしなくても「人が歩くという圧力(攪乱)で道は整備」されていくものだし、人が歩く道には「踏みつけに強い草本が生える」ものだ。これが「生物多様性」ということである。
 また、私たちの目に見えないところで、林床のバクテリアが森の「生物多様性」を支えている。
 森の生態系における物質循環はバクテリアなしでは成立しないのだ。この遊歩道の「簡易コンクリート舗装」は、森林のバクテリアの働きを大きく傷つけているのである。
 「簡易コンクリート舗装」については、明日のフォーラムで私がいろいろな観点から詳しく報告し意見を述べるつもりでいる。
 この舗装は以前から一部だけ舗装されていたが、昨年津軽森林管理署が呼びかけ、それに応えたガイド団体が、ボランティアでその延長工事作業を行い新聞記事にもなっていた。
ここ数日、岩木山の山道の写真を提示している。それらと比べてもらえると、その違いは一目瞭然だろう。「ぶな原生林」の中に、コンクリート道路である。「原生林」と「コンクリート」、これに違和感を持たないところが不思議でならない。
 森林管理署にも、ガイド団体にも、もしも、「生物多様性」を護るという意識がないのであれば、これは大変なことである。
 特に、ガイドをしている人たちに、この意識が薄いとすれば、ガイドという仕事は一体何をすることなのだろうかと首をかしげたくなるのである。
 このブログを森林管理署、ガイド団体の人たちが幸いにも目にとめてくれることを祈って次のことを言っておこう。

 これからの観光は「生物・文化・景観」の豊かさを「育む」ことを目的とするものになるだろう。
 当然、「生物多様性」、「生物文化多様性」などに理解のあることがガイドの要件事項になるのである。これらについても明日のフォーラムで述べることにしてある。)

□□ フォーラム「森の多様な生態系と遊歩道のあり方を伐採から考える」□□

開催日時:    2月20日(土) 14時から17時まで
会  場:    津軽保険生協2階ホール(コープあおもり和徳店向かい2F)無料駐車場あり

『生物多様性』とはどのようなことかについて、本会会長の阿部東が講演する。そのレジメを次に掲げよう。

1.生物多様性条約第10回締結国会議が名古屋で10月に開かれる。
 地球環境について、二酸化炭素と温暖化ばかりでなく、水をめぐる問題、食料問題などが危機的な状況になっている。特に水と食料は一体となっており、その根本には、生物多様性が深くかかわっている。

2.生物多様性という言葉は、危機が生んだ科学用語

3.地球の歴史と地球環境の変化
①地球の大気中には気体状の酸素はなかった。46億年
②地球における有機物(炭水化物・脂肪・蛋白質)の発生と生命の誕生35億年―バクテリアの時代
③光合成生物である藻類の発生(空気中に酸素を放出)5億9000万年
酸素で有機物を分解する酸素呼吸生物が出現
オゾン層で出来、地上に紫外線が届かなくなり、生物は陸地に浸出出来る(コケがはじめての地上生物)
④生物が様々に進化し地球の全ての空間を満たし、地球の環境をかえ、地球システム(現状の地球の環境)を作った。
・ジェームス・ラブロットとリン・マーギュリス(1960)によるガイヤ仮説
   - 地球(ガイヤ)は1つの巨大な生命体である。
・ウィルキンソン(2006)生物と地球が働きあって生物が生存出来る気候や環境を保っている
   - 地球システム
⑤適応と進化
正木進三先生とエンマコウロギーエンマコウロギは自然に適応し、日本国中に住みついた。
地球上のあらゆる環境に生物は適応し地球上3000万種に分かれ、多様化した。

4.人間活動が野生生物種を滅ぼしている。
(1)種の多様性は環境を保全する。
(2)生物の絶滅と絶滅危惧

5. 生物多様性の保全
(1)人間にとって価値あるものー生存の必要条件 空気、水、食料
(2)生物多様性の保全と豊かな人間生活

6. 白神山地の遊歩道と生物多様性
1.遊歩道のある所は、杉の植林地と択伐の間に残る狭い原生に近い森
2.森を構成する樹木の幹や枝葉は動物食物にならないので、樹木は鉄筋コンクリートの高層建築物にたとえられる。
3.動物が利用できるのは、花、たね、若芽などしかない。
4.森の生物多様性を支えているのは、落葉、落枝、枯死(生産の10%)と林床のバクテリアである
5.森の生態系における物質循環の原形は、6億年前のバクテリアの時代にもう出来ていて、物質の循環はバクテリアなしでは成立しない
6.遊歩道の簡易舗装は、森林のバクテリアの働きを傷つける
7.森の多様性の要をなす老枯死木の伐採は、森の多様性を損なう。
枯死木は、死んで間もないもの、倒れてスポンジになったものそれぞれ利用者が異なる。又、立枯木は、たくさんの生物の住宅でもあるし、クマゲラの餌場でもある。
アナバチは、森のブナアオシャチホコなどを間引きする。
8.森の多様性と老枯死木をどのように観察しガイヤの生き様を理解するかの工夫をしたいもの。(明日に続く)

「フォーラム:森の多様な生態系と遊歩道のあり方を伐採から考える」開催(3)

2010-02-18 05:12:45 | Weblog
「フォーラム:森の多様な生態系と遊歩道のあり方を伐採から考える」開催(3)

        ☆☆☆☆ 読者の皆様、ぜひ参加されて下さい ☆☆☆☆

(今日の写真は、岩木山のブナ林内の道である。まさに「ブナ巨木の森」だ。これは、本会が担当しているNHK弘前文化センター講座「津軽富士・岩木山」で野外実習と観察として訪れたある年の6月、岩木山岳登山道とブナ林、その林床を撮ったものだ。
 この時のテーマは「ブナ林の実相をーじっくりと見てみよう」であった。標高は700mほど、岳温泉から道々観察を続けながら、1時間はかかる距離を登ってきたのである。
 この道は、白神山地「ぶな巨木ふれあいの径」とは明らかに違う。ただし、人工的な「道」である点は同じである。だが、「簡易舗装道路」ではない。
 この道は登山道であると同時に「スキーのゲレンデ」であり、数年前までは、そのスキーヤーを運ぶ雪上車の通路となっていた。だから、その幅は人一人が通ることが出来ればいいという「登山道」のものではない。ブナの大木を伐ったが、それ以外は、特に雪上車撤退以降は、樹木や下草の生えるのに任せている。だから、「自然」は次第に回復しつつある。まさに、足許から「ブナ林の実相をーじっくりと見てみよう」というテーマに応えてくれる「ブナ林」なのだ。
 ブナ林の植物も、定番通り「高木」としては「ブナ、ハウチワカエデ、イタヤカエデ、ミズナラ」などが見られるし、「亜高木」としては「オオカメノキ、オオバクロモジ、コシアブラ、エゾユズリハ、タムシバ、ヤマウルシ、ウワミズザクラ」などが、そして、「小低木、草本、笹」としては「チシマザサ、ツルアリドオシ、ヒメアオキ、ヒメモチ、ツタウルシ、イチヤクソウ、ギンリョウソウ」などが生えているのだ。
 また、ブナ林には大型鳥獣から小さな土壌動物まで、多種多様な動物が生息し、「生物多様性」を形成し、食物連鎖を構成している。
 我が国の森林原野で繁殖する鳥類は約150種だそうだ。そして、そのうち「ブナ林」では70種以上が確認されているという。また、ブナ林に生息が確認されている哺乳類は56種ほどだという。
 ブナやミズナラの「堅果」はノウサギ、リス、カモシカ、クマなどの餌となり、ブナの樹胴はツキノワグマやコウモリのねぐらとなっているのだ。
 この道の近くには、幹に「クマ」の爪痕を残す「ブナ」も結構見られるし、「クマ」が冬眠に入る直前の「浅い積雪」期には「足跡」がよく見られるのもこの辺りである。)

□□ 今どうして「生物の多様性」、「多様な生態系」および「森林内部に敷設される歩道のあり方」を主題とするフォーラムを、何故、この主題で開催するのか(3) □□
(承前)

 …この「フォーラムデスカッション」開催を計画させた要因には…(2)


② 林野庁は生物多様性を踏まえ「生態系の監視強化」を今年度から「施策」に取り入れたことである。 

 昨年1月に林野庁は「森林整備に生物多様性も指針」に入れて、生態系の監視強化を打ち出した。
 『国土の7割を占める森林の整備政策で、林野庁はこれまで重視してきた木材生産、災害防止、地球温暖化防止の三つの指標に加え、生物多様性を新たな指標にする方針を固めた。来年度の概算要求に関連予算案を盛り込み、11年ごろに改定予定の国の森林整備の指針である「森林・林業基本計画」に、外来種を含めた生態系の監視体制の強化や動物の生息地の保護対策など生物多様性の視点を本格導入する考えだ。
 間伐は樹木の成長を促すほか、下草をよく茂らせ昆虫や小動物の餌場を作り出す。しかし、生物多様性に配慮して伐採する木を選ばないと、鳥の営巣木を奪いかねない。
 また、全国の約1割の森林で、増えすぎたシカによる食害が発生し、樹木が枯れ土壌流出も起きている。生態系保全が災害対策や温暖化防止の上でも問われるようになった。』(後略)

 注目すべき点は「林野庁は…生物多様性を新たな指標にする方針を固め」「生態系の監視体制の強化」や「動物の生息地の保護対策など生物多様性の視点を本格導入」ということと「生物多様性に配慮して伐採する木を選ぶ」ということである。
 林野行政が「生物多様性」を問題にして、それを保護する形で実行していくというのである。私たちは、このことを歓迎する。つまり、「林野庁」が自然保護、森林保護に向かって動き出したのである。これに、協力し、ともに「自然を保護して」いきたいと私たちは考えるのである。
 ところがである。残念ながら、白神山地「ぶな巨木ふれあいの径」における「ブナ伐採」という行為には「生物の多様性」という観点からの妥当性は見いだせなかったのである。
 昨夏、8月22日の現場「実情検分」からは、「林野庁」の方針である「生物多様性に配慮」するということはまったく窺えなかったのであった。
 彼らが言う「安全な空間」の確保と「生物多様性(多様な生態系)」との関連性、整合性をどのようにとらえ、構築していけばいいのか、そもそも、その「整合性」はあるのか。ないのか。このことをどうすればいいのかを課題として、私たちは学習したいのである。出来れば「林野行政」に関わる人たちとも意見を交わしたいところである。

 また、「生物の多様性」という観点から、そこに生えている「ブナ」と「ブナにつく昆虫」などから森全体の「多様性」を考えてみたい。
 「ブナを伐採する」ということは「遊歩道(簡易舗装道路)」上における「安全な空間」確保のためである。
 自然の中に敷設される「遊歩道」を本来の「道」が持つ機能をとおして「道」の文化に触れ、その妥当性と「生物多様性」との関連なども考えてみたいと思っているのである。(明日に続く)

「フォーラム:森の多様な生態系と遊歩道のあり方を伐採から考える」開催2月20日(2)

2010-02-17 05:16:44 | Weblog
 (今日の写真は、岩木山のミズナラ林内の道である。これに、「岩木山・ミズナラふれあいの径」と名づけるとどうだろう。
 この道には「簡易舗装」は施されてはいない。森と道に人工的な境界線はない。だから、いつでも、道の左右から草木が道を覆うことが出来る。この道を歩く人とこの道の地面を草木が根で持って共有しているからである。
 歩く人たちは、この道幅で満足している。これ以上広げるという気持ちは誰一人として持たない。森の道は「人一人が歩ければいい」と考えているからである。そして、この考えが、森の草木を傷めない方法であることを知っている。
 樹木が朽ちて倒れたら、道脇に寄せればいい。それが出来ない時は「倒木」を避けて通ればいい。
 「生物多様性」などという難しい言葉は使わないが、これが森を育むことであり、私たちを癒し、恵みを与えてくれる「生物多様性」であるということを知っているからである。)

□□ 今どうして「生物の多様性」、「多様な生態系」および「森林内部に敷設される歩道のあり方」を主題とするフォーラムを、何故、この主題で開催するのか □□
(承前)

 …この「フォーラムデスカッション」開催を計画させた要因には…
①「『生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)』が名古屋市で、今年10月に開催されること」がある。

 今年、2010年には名古屋市で「生物多様性条約第10回締約国会議(COP10)が開催され、多様性保全のための新たな目標や、遺伝子レベルで医薬品などのもとになる有用生物を取り扱う国際ルール作りなどが議論される予定だ。
 1992年に採択された国連の「生物多様性条約」は「生物多様性が失われる速度を2010年までに顕著に減らす」との目標を立てた。
 日本も含め191の国・地域が参加しているが、「達成の見通しは立っていない」といわれている。

 名古屋市は愛知県にある。その愛知県の意識調査では、「生物多様性」という言葉について、86%が「あまり知らない」「ほとんど知らない」と答えたそうだ。
国を挙げて招聘する会議の開催国の人々の「議題」に対する認識の低さ、これをどのようにとらえればいいのか。これだと、ただ、単に「開催場所」を提供するだけである。
 大きな屋敷を持って、豪邸を建て、その一室を会議室用に提供したが、その豪邸に住む人も、従業員も「議題」についての理解はまったくないということと同じではないか。これだと、外国からバカにされてもしょうがない。
 やはり、「国際会議」の内容にについては、国民がすべて理解しておくべきだろう。だが、国がこのことに腐心しているという姿勢は見えない。
だから、この東北の小さな都市、弘前でも「生物多様性」についての学習と理解の場を設けようとしたのである。
 「フォーラム」や「シンポジウム」、それに「講演会」のテーマというものは人々の関心の高いものが重宝がられる。話題性やブームに左右されるし、主催する人や講演者の知名度も大切な要素だ。有名人が講師だと聴衆は集まる。
 だから、「人々の関心の薄い話題」の「フォーラム、シンポジウム、講演会」は開かれないのが常だ。
 「生物多様性」についての愛知県の意識調査では、86%の人が「あまり知らない」「ほとんど知らない」と答えている。これは、全国的、一般的な「比率」だろう。「関心」を持っているのは全国民の15%なのだ。これだと、「生物多様性」をテーマにした「フォーラム、シンポジウム、講演会」に人が集まるわけがない。
 「フォーラム、シンポジウム、講演会」の評価の基準には「参加人数」がある。多く集まれば集まるほど、それは「成功」とされる。「人が集まるわけがない」ことを知った上で、あえて、その手の「フォーラム、シンポジウム、講演会」を開くものはいない。最初から「不成功」という烙印が捺されること知っていて、「それをやる」というのは「愚かな者」の所行だろう。
 私たち、「岩木山を考える会」はその意味では「愚か者」であろう。しかし、私たちは「評価基準」に「参加人数」を置いていない。
 先ずは開催するということに「価値」を置いた。「人が集まらないテーマでは開催しない」が現実的な事実である。だから、この「生物多様性」をテーマにした「フォーラム」は青森県では、恐らく「最初」であろう。この手の話題は事務局には直ぐ入ってくるが、これまで聞いたことがない。
 「東北自然保護の集い」でも、2、3確認したが「生物多様性」を直接テーマにした「フォーラム、シンポジウム、講演会」はない。20日に開催する「フォーラム」はきっと東北地方でも最初のものであるはずだ。
 開催する評価基準は「参加人数」だけではない。「フォーラム、シンポジウム、講演会」の大体は「評価基準」が主客転倒している。「300人予定していた会場に400人も集まり、講演会は大成功だった」とマスコミは報ずる。だが、「聴いた参加者の内容理解はどうだったのか、講演の内容は、その質的にどうだったのか、分かりやすい話しだったのか、参加者は何を学び、これから何をしていこうとするのか」などについての視点で捉えることはない。
 私たちは、これらの点を「評価基準」とするつもりでいる。だから、「人数」は問題ではない。先ずは「隗より始めよ」なのである。だが、少ない人数よりも多いに越したことはない。
 昨日、「核燃料サイクル施設立地反対津軽地区連絡会議」主催の「市民講座」に参加した。今回の「再処理工場本格稼働の危険性」~低線量平常時被爆の危険が迫る~で10回目となった。
 ほぼ毎回参加しているが、参加者はいっこうに増えない。「評価基準」を参加者数にすると「毎回」不成功である。
 だが、毎回参加していることで、それまで、つながっていかなかった「テーマごとの内容」が、まるで化学式の「亀の子たわし」図のようにつながってきている。
 核廃棄物の殆どは目に見えない。線と熱、それに気体は目に見えない。その見えないものを「見えるように」話し、それらがつなぎあった時、そこには「目に見える」化学式が現れてくるのである。
 これが、「少人数」の参加者でも「開催」すること、開催していることの「価値」なのであって、「評価」はこの観点からもされてしかるべきなのだ。(明日に続く)

「フォーラム:森の多様な生態系と遊歩道のあり方を伐採から考える」(1)

2010-02-16 04:52:05 | Weblog
「フォーラム:森の多様な生態系と遊歩道のあり方を伐採から考える」開催

□□ 今どうして「生物の多様性」、「多様な生態系」および「森林内部に敷設される歩道のあり方」を主題とするシンポジウムを開催するのか □□ 

 私たちは市民とともに「自然保護、森林保護」の基本である「生物の多様性、多様な生態系」を学びたいのである。市民と一緒に学習して、「生物の多様性、多様な生態系」に対する理解を深めたいのである。そして、その上に立って、森の「歩道」のあり方、関わり合いかたを知りたいのである。
 日本人は古来から「森の民」と言われてきた。森の民は「森における生物の多様性」をよく理解し、それにそった形で「森の文化」を作り上げ、それに従って生きてきた。だからこそ、「白神の森」も今に残っているのである。
 だが、現実的な人々の所業は、「森の文化」からはかなり逸脱したものとなっている。「歩道」等のあり方からは、そのようなことも学べるかも知れない。
 そのような機会の提供になればと考えて、この「フォーラム」を計画したのである。

□□ 何故、この主題で開催するのか □□

 生物多様性とは、『地球上に多様な生物が存在し、それぞれがかかわりながらバランスを保っている状態』のことだ。
 「生物多様性」とは、地球上に 3000万種の生物が存在するが、そのあらゆる生物と、それらによって成り立つ生態系、さらに遺伝子レベルでも多様で豊かな状態』を指す。
 私たちは「生物多様性」のおかげで、食料、木材、衣服、医薬品など多くの恩恵を得ている。
 だが、そのことを「具体的な事実」として把握し感じ取っている人は多くはない。だから、「生物多様性」は、現在、危機に曝されているのだ。
 現に「開発や地球温暖化」の影響で、毎年約4万種が絶滅していると推測されているのである。
 「生物多様性のおかげ」に気づかない人、それを知らない人、知っていても知らない振りをして無関心を装う人、知っていながら無視して営利に走る人などは、必然的に「開発や地球温暖化」に与していることになる。
 「『生物多様性のおかげ』に気づかない人、それを知らない人」は「気づいて理解する」と「開発や地球温暖化」に与することを止める可能性があるから、まだ許されるかも知れないが、後者は「共存共生」という価値観をもたず、自己の利益にのみ走る「エゴイスト」でしかない。だが、これらの人の数は多くはない。
 ところが、「『生物多様性のおかげ』に気づかない人、それを知らない人」は意外に多いのだ。
「生物の多様性」について内閣府が世論調査をしたところ、6割(61.5%)の人が「聞いたこともない」と答えたそうだ。「生物多様性」という言葉になじみが薄いのは事実だ。愛知県が08年7月実施した意識調査では、86%が「あまり知らない」「ほとんど知らない」と答えたそうだ。
 G8環境相会合などでの主要議題として「生物の多様性」ということを、政府の第3次生物多様性国家戦略では、11年末までに50%の認知度達成を目指しているが、国内で、その理解が進んでいないことがはっきりしている。
 「目指している」ということは「善処します」ということに似て、「何もしない」ということだろう。「やれ」と指示をだすだけでは「傍観者」に過ぎる。手をこまねいては先には進まないし、真の「国民的な理解」にはならない。
 調査では、「生物多様性の意味」を知っている人は12.8%、「意味は知らないが聞いたことがある」は23.6%だったという。この低率である。
 私たちも「黙っていては傍観者」となってしまう。それではいけない。「隗より始めよ」だ。そこで、手を挙げたのである。
 一方、内閣府が世論調査で「多様性の意味」を説明した上で環境保全への考え方をたずねたところ、「人間の生活が制約されない程度の環境保全」との回答が過半数を占めたそうだ。やはり、「人間中心の考え方」を半数以上の人間がしているわけである。
 だが、一方で、「制約があっても環境保全を優先」が約4割を占めたというから、まだ救われる気持ちになる。だが、これに安住していると、この比率は減ることはあっても増えることはないだろう。
 環境省生物多様性地球戦略企画室は「生物と触れ合うなど体験を通じて、多様性の意味と重要性をもっと多くの人に理解してほしい」としているそうだ。
 「…もっと多くの人に理解してほしい」ということは他力本願の何者でもない。「だから具体的にあなた方は何をするのか」を言ってほしいのだ。
 だが、待ってはおられない。待っているうちに「生物多様性」は壊されているのである。

 「自然保護」とはこの「生物多様性」を保護し維持することであるとも言える。その意味では「生物多様性」という言葉になじみが薄く、関心がないということは大きな問題である。
 人間は「自然」によって生かされているのである。「生物多様性」に満ちたあふれた「自然」に支えられて生きているのである。多くの多様な生き物が長い長い年月をかけて造り上げてきた地球の「自然環境」があるから、現在世代の人間は生きているのである。言ってみれば、「生物多様性」とは人間の生命に直結しているものでもある。

 昨年夏の白神山地「ぶな巨木ふれあいの径」における「ブナ伐採」も、この「生物多様性」という視点では捉えられていない。それを取り上げた「マスコミ」にもこの「生物多様性」という「視点」からの論調は見られなかった。
 本会としては多くの人たちに早くこの『生物多様性』の意味と意義を訴えていくことが急務だと考えたのである。(明日に続く)

今日の写真が語ること…(コウリンタンポポは哀しい)/ 稲葉さんからの返信…「生物の多様性」(2)

2010-02-15 05:10:23 | Weblog
 (今日の写真は岩木山スカイラインの途中で見たキク科ヤナギタンポポ属の多年草「コウリンタンポポ(紅輪蒲公英)」だ。
 これは、ヨーロッパ原産の帰化植物で、明治中期に観賞用として持ち込まれ野生化したとされている。道端や空き地に良く生える草で、タンポポに似た花を咲かせる。
 白い毛が密生している根生葉を出し、ロゼット状になるが、葉は花をつけるような個体は、全縁でへら形、毛のために白くすすけたように見える。
 花茎は長く30cm以上で、白色の長い縮れた毛が散生し、さらに短い星状毛も生える。花茎は複数が同時期に立ち上がり、6月から8月にかけて、1本の茎に1~3個の花を咲かせる。)

◇◇ 今日の写真が語ること…(美しすぎる故にコウリンタンポポは哀しい) ◇◇

 現在では、全国に広がる雑草で、北海道や東北など、寒冷な地方で「勢いがいい」とされている。北海道のものは、戦後に樺太からの引き揚げ者が持ち込んだという説があるが、確かなことは分からないという。
 私が「コウリンタンポポ」と最初に出会ったのは勤務校への通勤路である。もちろん、自転車である。幹線道路から外れた裏道を通っているのだが、その道端に小振りだが鮮烈な色具合の花を見つけたのだ。
 それ以来、よく目にする花になってしまった。空き地、道端や道路の継ぎ目、時には「吹き付け法面(のりめん)」にまで生えていることがある。だから、驚くことはなかったが、「スカイラインの途中」で見かけた時は「何故こんなところに生えているの」と驚いた。自動車の普通のスピードでは、近くのものはよく見えない。だが、「スカイライン」の登りやカーブを曲がる時には、歩く程度のスピードになるので、よく見えるのである。
 自動車は人間から「道端に咲く花」を楽しむという感性的な余裕を奪ってしまったのだ。昨年他界した友人Kさんの自動車だが、「判然」とその鮮やかさが存在を教えてくれた。

 花は鮮やかなオレンジ色だ。「タンポポ」という名前を持っているが、その実はタンポポの仲間ではない。だが、「タンポポ」のように群生している姿は、同じ外国産の、あの黄色の「ブタナ」と同じように、人を引きつける美しさはあるのだ。
 しかし、少し時間をかけて眺めていると「ブタナ」ほどには引きつけられないと思うのだ。「タンポポ」と「ブタナ」に共通するものは黄色という色彩だ。あの色彩は「生粋の日本人」の血肉に刷り込まれているものではないのだろうか。
 だが、もしこの色が「朱色」であったら別だっただろうが、濃縮された「オレンジ色」とは、日本人になじみがないのだろう。
 何か日本の自然と風景には「似合わない」感じがするのだ。鮮やかすぎる花の色は、毒々しさを与えるからだろうか。それが何となくこの「花」を哀しいものにしてしまうのだ。

 花名は、紅色の舌状花が輪のように並んでいることからついたものだ。別名を「エフデギク(絵筆菊)」という。日本人はどこまでも、「感性」的な名前をつけたがる民族であるらしい。

◇◇ 稲葉さんからの返信に思う「生物の多様性」(2) ◇◇

…「生物の多様性」、「多様な生態系」、「これまでのあった『自然を護る』」という観点からの議論は非常に、起こりにくい…

 今ここで話題にしている「生物の多様性」は、「植物」界に限っている。動物や鳥類、魚類は考えていない。それを承知で読んでいただきたい。

 「生物の多様性」ということと一番、真摯に対応しなければいけないものには、「建設・開発」業者がある。だが、この際「建設・開発業者」については触れないことにする。「植物」に限るからだ。
 植物に限ると西洋流のガーデニングを楽しんだりする人、ガーデニングを生業としている業者や「苗」や「種」の販売店、加えて、「山野草店」、「花屋」、「植木屋」などがあげられるだろう。
 だが、私の目には、これらに関する人は、ほぼ、「生物の多様性」とは「無縁」な中で暮らしているように見える。
 ここ数日掲載している「花」はすべて外国産のものであり、本来、日本には生育していなかったものだ。
 日本で帰化種として育つようになった端緒(原因や理由)は「園芸種として渡来したものが逃げ出した」である。
 現在、日本で見られる「帰化植物」は約600数十種、その殆どが「ガーデニング」による「庭」や一般家庭の庭、業者や花屋の「鉢植え」や「種子袋やケース」から「逃げ出した」ものである。
 もちろん、そのほかのケースとして、史前帰化植物として、稲作伝播時に「稲」とともに移入された「タネツケバナ」や留学仏僧が持ち帰ったものであろう「シャガ(著莪の花)」、さらには「輸入」された種子に混入してきたもの、「セイタカアワダチソウ(背高泡立草)」のように、戦後アメリカの復興救援物資に混入されていたものなどもある。このように「日本に運ばれてくるもの」も多いのである。
 だが、これらは、「自分の庭」や「ガーデニング」から「逃げ出す」ということとは根本的に違うだろう。

 たとえば、「ナデシコ科」に特定して、それらを探すと…「ムギセンノウ」、「ノハラナデシコ」、「スイセンソウ」、「サボンソウ」、「ムシトリナデシコ」、「マツヨイセンノウ」、「サクラマンテマ」、「マンテマ」、「シラタマソウ」などがある。
 だが、「ナデシコ科」の帰化植物はこれらだけではない。もちろん、「ノハラツメクサ」など、輸入されたものへの混入というケース、「ウシオツメクサ」などのように「漂着」したというケースもないわけではない。(明日に続く)

岩木山のコマクサについての問い合わせ(5) / 稲葉さんからの返信に思う「生物の多様性」

2010-02-14 05:10:29 | Weblog
 (今日の写真は、ナデシコ科マンテマ属(またはフシグロ属)の多年草である「マツヨイセンノウ(待宵仙翁)」だ。岩木山スカイラインターミナル手前の切り通しの崖で撮ったものだ。
 岩木山で「外国産の植物」が多く見られるのは、この「スカイライン」沿いである。自動車で人が入るとこのようになることは当然予想されたことだろう。だが、「そのことを防ぐ手立ても駆除も」全く講じられてはいない。はっきり言って「業者」と「行政」の怠慢、それに、訪れる人の「無関心」と「不注意」がその原因だ。昨日の「アラゲハンゴンソウ」や「マツヨイセンノウ」、それに、「ブタナ」や「コウリンタンポポ」など、外国産の植物が繁茂している。
 その内に、岩木山に昔から生えていた「ミチノクコザクラ」などの「在来種」がこれらに駆逐されて、なくなってしまうかも知れない。
これは「雌雄異株」の植物で、道端や荒地などに生え、茎の高さが30~70cmになるヨーロッパ原産の帰化植物だ。明治時代に園芸植物として持ち込まれたといわれている。
 全体に毛が密生して、茎上部の花序に、直径2~3cmの白色の花をまばらにつける。花弁は5枚で、先端は2裂する。雄花には雄しべが10本、雌花は萼筒がふくらんで、雌しべが1本、花柱が5本ある。
 葉は対生し、披針形で、両面に毛がある。花は夕方から咲いて、翌朝はしぼむといわれているが私が撮ったのは午後である。別名を「ヒロハノマンテマ(広葉マンテマ)」という。マンテマの和名はマンテマで別名もない。
 和名の「マンテマ」は、海外から日本に入ってきたときの「マンテマン」という呼び方が変わったもので、もともとは、Agrostemmaが転訛したものが語源と考えられている。

◇◇ 岩木山のコマクサについての問い合わせ…(5) ◇◇
【稲葉さんからの返信】

[お返事ありがとうございます。白山でのコマクサの現状の資料につきましては、現在まとめている最中です。
 環境省の業務で行っているので保護官の了解が必要です。資料ができあがり、了解が得られましたらお示しできると思います。

 岩木山の他、北海道の樽前山、天塩岳などでのコマクサの除去活動が行われています。
これらの地域は除去そのもの、それでコマクサがどう減ったと言う部分がクローズアップされていました。
 当然、それでよいとは思うのですが、私としてはそこに生えているコマクサをどう捉え、何が問題なのかという除去に至るまでのプロセスが重要だと考えています。
 そういう意味で「岩木山の例」は非常に参考になると思いご連絡させて頂いた次第です。

 白山でも安易にすぐに「除去」という選択肢に飛びつくのではなく、調査を継続しながら、関係機関と議論を重ね、合意形成ができた後に、おそらく「除去という対策」に動き出すと考えています。
 そのためにも、来年度以降も調査を継続し、対策を検討していくことになると思います。
 私個人としては、このコマクサが白山に現在、生育しているとことを通して、最近の「生物多様性が叫ばれる中での、本質の自然とそれと向き合う人間のあり方をじっくり考えたいし、多くの人がそのこと一緒に考えてくれるような事例としていきたい」と思っています。]

◇◇ 稲葉さんからの返信に思う「生物の多様性」 ◇◇

…「生物の多様性」、「多様な生態系」、「これまでのあった『自然を護る』」という観点からの議論は非常に、起こりにくい…

 私も稲葉さんの思いと同感なのだ。特に、最後の「生物多様性が叫ばれる中での、本質の自然とそれと向き合う人間のあり方をじっくり考えたいし、多くの人がそのこと一緒に考えてくれるような事例としていきたい」という部分はまさにそのとおりであると思う。
 私たちが「調査を続け、『自然保護課、森林管理署、県林政課、旧岩木町』と相談をしながら、合意をして抜き取り作業をした」ことは、新聞等でも報じられたが、社会的な反応は少なかった。
 調査段階でも「岩木山にコマクサ」ということで、報じられたが、これも社会からの反応は「岩木山にコマクサが生えているのか」という程度で、まるで、一過性のものの如くに片づけられたきらいがあった。
 「抜き取り作業」に対しても、同じだ。それを評価するという論調は、どこからも聞こえず、ただ、「あんなに可愛い花を抜き取ることはしなくてもいいではないか」という声が会員の中から2、3あった程度だ。
 ただ、会長には「あれはやり過ぎだ」といった人がいたとかいなかったとか、曖昧な言い分だったが、会長はそのようなことを言っていた。
 「生物の多様性」、「多様な生態系」という観点から、または「これまでのあった『自然を護る』」という観点からの議論は非常に「起こりにくい」ものだ。
 単純で短絡に過ぎるかも知らないが、これは多くの人にとって「生物の多様性」、「多様な生態系」や「これまでのあった自然」というものについての理解がないからであろう。
 昔の人は、自分の周りにある野原や森林という自然の中にある「多様な生態系」に合わせて「衣食住」に関わる文化をつくりあげてきた。その「衣食住」に関わる文化は、当然、感性の所産である芸術を生み出し、精神世界を形成する宗教などを生み出すことになっていった。
 現代人が「生物の多様性」、「多様な生態系」になかなかたどり着けない主な理由は、「現代文化」が主に「文明」からの所産であることだ。
 もう1つは「生物の多様性」、「多様な生態系」というもののと「無縁」な中で生きているということである。それは、「無縁」だと思い込んでいると言い換えてもいいだろう。(明日に続く)