岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

キンポウゲ科オウレン属の「ミツバオウレン」「Inspiron 5150」との決別(その5)

2009-06-15 04:31:43 | Weblog
(今日の写真はキンポウゲ科オウレン属の多年草「ミツバオウレン(三葉黄蓮)」だ。
 岩木山では亜高山帯の小樹林内の湿ったところや雪田の縁に生えている。赤倉登山道沿いでも見られるが数は少ない。
 根茎を横に這わせて群生するのだが、年々その「群生」度が疎らになっているように思える。葉は常緑で根生し、長い柄を持つ3枚の小さい葉からなる複葉だ。
 直径1.5㎝ほどの花を茎の先に1個上向きにつける。花弁のように見えるのはキンポウゲ科によく見られる「萼片」である。
 「黄蓮」とは漢方薬となる中国産の植物だ。花名の由来は、その「オウレンに似ていて、3小葉を持つこと」による。
 6日、風衝地に近い場所で、雨と風の中で「ミツバオウレン」は、花柄と茎をふるわせて咲いていた。周囲に緑の薄い「雪消え」直後の茶色の地肌には、この白い花々は特に映えるのである。
一緒に行ったHさんは、この「ミツバオウレン」の風情を含めて、雨の降る山を登ることの感慨を次の短歌にしたためてくれた。
 ・這い松の/枝葉に抱かれ/心足れり/山おほふ雨の/いよよ白くて

 雨降りの登山というものは、出来れば避けたいものだ。雨降りよりも晴れている方が遙かに楽しい。だが、Hさんは「雨降りの中の登山」を「心足れり」とした。
 満足したのである。「足れり」の「り」には「してしまった」という意味と「いまだ…している」という意味がある。
 Hさんは、山から戻って来ても、その「満足感」の余韻の中にいるのである。案内した者にとって、このような「短歌」は本当に嬉しいものだ。

 今日はNHK青森放送局のY報道カメラマンと同行する。花の撮影のためだ。そのうちに夕方6時台に放映される予定だ。

        ◇◇ Macと「Windows 7 RC版」のこと(その5)◇◇

    ・モバイルPentium4-3.06GHz搭載ノート『Inspiron 5150』との決別・
(承前)
 …私のMac Pro「MA970J/A MacPro 2.8GHz Quad Xeon x2 16G/320G/SD/GF8800GT 」にはMicrosoftの「Office:mac2008」をインストールしていた。これには「Word」「Excel」「Power point」が含まれている。「ワードプロセッサー」としては「ATOK2008」を容れてあった。
 「Windows XP Pro 64bit版」には「一太郎」の他に「Word2003」を容れていた。だから、「Excel」や「Power point」で作られたファイルは「Windows XP」では直接開くことは出来なかった。
 「Justsystem」の「アグリー」で「変換」機能を使うと開くことは可能だが、面倒くさいので、メールなどで送られてくるそれらのファイルは専ら「Mac Pro」で開いていたのである。私は「Office:mac2008」の使い方に慣れていたのだ。
 私はその中でも、特に「Power Point」に魅力を感じていた。時々、それでプレゼンテーションのファイルを作ったこともあったが、何しろ「Inspiron5150」では扱えなかった。Windows用の「Powerpoint」がインストールされてないのだから、当然なのである。「Justsystem」のもので変換は出来たが、操作性が今一であったのでそれは使わなかった。
 ある市民講座に参加した時、講師が使っていたのが「Power Point」だった。講師とは知り合いだったので、その「ファイル」をコピーしてもらい譲り受けて、それを「Mac Pro」で再生して、再学習もした。別な講演会でも、「Apple」のノートパソコンと「Power Point」が大活躍していたのである。
 それまで、私は「Inspiron 5150」にインストールしてある「一太郎」一筋で頑張ってきたのだが、そんな私にはすべてが「目から鱗」であった。
 今年に入って私は、重い上に、動きも「重い」「Inspiron5150」を軽い「Apple」のノートパソコンに換えることを決意していた。
 ちょうど、そのような時に「Windows 7β版」が登場したのであった。そして、さらに、4月に入って「Windows 7 RC版」が出現したのだ。
「Windows 7 」の「すごさ」についてはすでに書いたが、この使い心地は遙かに「Mac Pro」を凌ぐものだった。私は「Mac Pro」を所持している必要性を見いだせなくなっていた。
 私がコンピュータに求める機能は「自作PC」と「Windows7」で十分賄われる。それだけではない。おつりが来るようなものだ。
 メールの送信と受信、それに「インターネット」の閲覧だけのための「Mac Pro」は要らない。この「Mac Pro」を下取りにして、「Inspiron5150」に換えて「コンパクト」な「Apple」のノートパソコンにしよう。
 「Apple」の「製品」には、まさに「身勝手さ」と思えるようなものがある。これは「オリジナリティ(独創性)」といえないこともないが、その一つが「MB572Z/A Apple Mini DisplayPort-VGA」である。
これは「MacBook」と「プロジェクタ」を接続するケーブルアダプタのことだ。一般的な「VGA」か「DVI」端子に何故してくれないのか。これがないと「MacBook」とどのような「プロジェクタ」とも接続は不可能なのである。
 そのことに気づいて「MacBook」と一緒に注文したので、その週の講座で使用出来たが、そのまま気づかないでいると「講座」での使用は1週間遅れたのである。

ツバメオモトの咲く登山道 / この1年間のアクセス数は7.167だった

2009-06-14 05:02:15 | Weblog
 (今日の写真はユリ科ツバメオモト属の多年草「ツバメオモト(燕万年青)」である。岩木山では亜高山帯のコメツガ「針葉樹」林内に生えている。名前の由来は葉がユリ科「最新のAPG植物分類体系ではスズラン科に分類される」の常緑多年草の万年青に似ていることと、濃藍色の果実を燕の頭に見立てことによる。
 今月6日に岩木山の赤倉登山道をNHK弘前文化センター講座の受講者Hさんと一緒に登った。その時まさに花盛りで咲いていた。
 私の天気予報は外れ、時間を追うごとに雨脚は強くなった。そして、高みを踏むほどに風は強くなった。けっして「初心者」を同行して「登る」気象条件ではなかった。そのようなことを十二分に了解しながらも、私はHさんの「ミチノクコザクラに一目会いたい」という願いに応えようとしていた。
 そして、赤倉御殿の手前に立つ27番石仏の近くで数輪の「ミチノクコザクラ」に出会えた。だが、やはり、群生する「ミチノクコザクラ」にも会ってほしかったので、大鳴沢の源頭近くまで行った。頂上は断念した。今月中にもう一度出かける予定でいる。

 Hさんからは2日後に…『…人気のない静寂とそぼ濡れた青葉と雲のかかったおぼつかない空、それに、うつむけど悪しきひと日も思い出でずという風情の岩木山の花々など、滅多に巡り逢えないものを見せて戴きました』という意味の葉書が届いた。
 その思いを次の二首にしてみた。Hさんはどう思うだろう。

 ・「うつむけど悪しきひと日も思い出でず巡り会えたる岩木の花々」
 ・「そぼ濡れにおぼつかなきは空の色人気なきまま辿る岩木峰」

 そして、今日は今日で、弘前南高校での教え子「N さん」とまた、赤倉登山道を登る。)

      ◇◇ この1年間のアクセス数は7.167だった ◇◇

 本会のホームページへのアクセス数が50.000を越えたのが昨年の6月13日だった。そして、昨日までの1年間でアクセス数は7.167増えて「57.167」となった。月平均アクセスが1.000を越えることを期待したのだが600もいかなかった。アクセスする人が「固定化」していることの現れであろう。
 ところで、ホームページ内の私の「ブログ」についてのアクセス数とその関連事項を教えてくれる場所がある。それは、ログイン画面の「右欄上部」にある「アクセス状況」というものだ。これは前日のアクセス数とその詳細を教えてくれる。
 因みに、これは6月9日の分だが、次のように提示されている。

「最終アクセス日 : 2009年06月09日
06月09日のアクセス数
閲覧数 : 738 PV
訪問者数 : 231 IP 」

 そして、その欄の下にある「アクセス・ランキング」をクリックすると…

「【岩木山を考える会 事務局日誌】のアクセス・ランキング

アクセスとランキングの状況を表示します。ランキングは上位10.000件まで表示されます。
過去1週間の閲覧数・訪問者数とランキング(日別)
日付 閲覧数 訪問者数 ランキング
2009.06.09(火) 738 PV 231 IP 4.214 位 / 1.243.296ブログ」

…という表示が現れるのである。

 この「アクセス・ランキング」は、上位10.000件まで表示されるのである。これで、その日の「私のブログ」へのアクセス数は10.000件中4.214位であるということが分かるのだ。
 「何だ、4.214位か、大したことないじゃない」と言ってはいけない。「1.243.296」という次の数字に注目してもらいたいのである。
 これは「goo Blog」に参加している、つまり「goo Blog」で「自分のブログ」を開設している「ブログ」の総数である。「百二十四万三千二百九十六」もの「ブログ」が「goo Blog」にあるということである。
 その「1.243.296」の「ブログ」の中で、私のブログ「岩木山を考える会 事務局日誌」へのアクセス数が「4.214位」だというのだ。
 一日に何百や何千というアクセス数を誇る「ブログ」もあるようだ。それらに比べると絶対数的には遙かに少なく、足下にも及ばないが、「相対的」にみると、総数「1.243.296」の中で、「4.214位」ということは「上位」であろう。しっかりと「ランキングは上位10.000件まで表示されます。」という但し書きがあるくらいだから「4.214」位は上位なのである。
 毎日書いていると、このような客観的な状況が見えなくなる。生身の人間だからだ。しかし、電子的にデータを集積して、デジタル的に発表してくれると「どの程度のアクセスがあり、何人ぐらいの人がブログを読んでくれている」のかがよく分かるのである。
 それにしても、「goo」という「ブログ」だけで、ブログを開設して人が124万人以上もいるということは驚きだ。多数の「サイト」がブログ運営に与っている。その総数は全人口のどのくらいなのだろう。国民総ブロガー時代なのだろうか。

…などなどと、恥ずかしい話しだが、手前勝手な解釈で「書き続けること」への「無理な励み」を自分に課している。
 明日からの1年間、いや、来年の2月までは、何とかアクセス数を月1.000くらいにはしたいと考えている。

Macと「Windows 7 RC版」のことと「 Inspiron 5150」のこと

2009-06-13 05:00:10 | Weblog
(今日の写真は、Appleのノートパソコン「MB467J/A MacBook 2.4GHz Core2Duo 13.3" 」を開いたところのものである。画面が非常にクリアで見やすい。これはMac Pro「MA970J/A MacPro 2.8GHz Quad Xeon x2 16G/320G/SD/GF8800GT 」を下取り品として「交換購入」したものである。
 これまで使っていたDellコンピュータの「Inspiron 5150」に比べると、まず「軽い」。2.0kgを切る軽さだ。それに薄い。画面も「1280x800」と広く、すごく明るい。全体が硬質アルミ素材で「持ち運ぶ」時に受けるであろう耐「衝撃」性が抜群である。小さくコンパクトであるが、今流行の「ネットブック」ではなく、その性能は「MacPro」には比べようがないが「デスクトップ」のマシンに匹敵するものだ。
 いつも背負っている「20リットル」のザックに、プロジェクタ「4100MP 」とこの「MacBook 2.4GHz Core2Duo 13.3" 」がすぽっりと収納されるのである。
 これだと、持ち運びに、特別苦労することもない。今は、すごく気に入って使っている。
「講座」でも、11日の回で、「Powerpoint」を使いながらの講義が3回目になった。受講者からは、「映り」がよくなったという声が聞かれている。)

           ◇◇ Macと「Windows 7 RC版」のこと(その4)◇◇

    ・モバイルPentium4-3.06GHz搭載ノート『Inspiron 5150』との決別・
(承前)

 何回も書いているが、私は自動車を持たない。まさに世の中は「モータリゼイション」、「運転免許もない」・「自動車もない」ということは「社会の常識では考えられない」ことのようである。
 当然、「自動車でこれら機材を運ぶ」であろうことを前提にして「講演」や「講座」の依頼が来るのだ。
 近いところは「プロジェクタ」をケースに収納して、手に持って、「ノートパソコン」とケーブル類はバックに容れて肩にかけて運ぶことは出来る。だが、雨天の場合は大変だ。 濡らしたら「動かなく」なる。ビニールの袋に何重にも容れてということになる。しかも手に持って、肩にかけて、傘をさしてと、まるで軽業師のようなことをしなければいけない。時と会場によっては「スクリーン」まで持ち込まなければいけない。
 こうなると、「軽業師」といえどもお手上げである。いきおい、タクシーを使うことになる。依頼する側は「自家用車利用」という「常識」で考えているから、こちらの「難行苦行」は意に介さない。
 五所川原市や鰺ヶ沢町でも、「何とかカレッジ」などという「講座」をしたことがあるが、それらを手に持ち肩にかけて、バスに乗り、汽車に乗っての移動であった。「自動車で」という定着している社会通念は、私を苦しめるだけのものであった。
 持ち歩き運ぶ場合、ある程度の「重量」には耐えられるものだ。山登りをする私にとって「背負い」歩くことは、あまり「苦」にならない。
 だが、「嵩張る」ものを持ち歩くことは、その限りではなかった。「スクリーン」「ケースに入っているプロジェクタ」「ノートパソコン」を手に持ち、肩にかけ、抱えて歩いている「私」の姿を想像したら、あまりの「珍奇」な格好に「噴き出し」てしまうだろう。その姿に「傘」をささせて見たらどうだろう。もはや、漫画の一コマである。
 スクリーンまで持ち歩かねばならない「講演」は1年に数度であったから、何とか我慢も出来た。しかし、「講座」や「学習会」の開催頻度は次第に大きくになっていった。
不定期的には、月に1回や2ヶ月に1回程度であったが、「定期的」なものが増えてきたのだ。
 月に1回が、毎月第何何曜日の2回になり、とうとう今年から毎週1回という講座を担当することになった。その他にある団体が主催する「学習会」での講義もある。突然、講演の依頼もある。このように「講演」や「学習会」などで講師を務める回数の変遷に従宇中で、私はそれら機材を運ぶ手段を変えた。もちろん、「徒歩」であることに変わりはない。それは、「プロジェクタ」を「ケース」に容れて運ばないということであった。どうしたのか。「プロジェクタ」を風呂敷に包んでザックに容れて背負うことにしたのである。これで、スクリーンを持たない時は「両手」が解放されることになった。雨の日でも安心して「傘」をさすことが出来るのである。
 そのような「移動手段」に移行すると、今度は「肩にかけて運ぶこと」と運ばれる「Inspiron 5150」のことが気になり出した。何とかこれからも解放されたいと考えるようになってきたのである。それには2つの意味があった。肩にかけるから背負うに、「ファイルをコピーして投射するだけの機器」であるから、もっと「軽くて簡便な機能」のものでもいいということである。
 私は、時々容量「40リットル」のザック(リュックサック)に、本体を保護するために風呂敷に包んだ「プロジェクタ4100MP 」とノートパソコン「Inspiron 5150」、それに各ケーブルを容れて背負って運んだことがある。両手は確実に確保されるし、肩にかけている時の「不安定さ」は全くない。自転車にも乗ることが出来る。
 だが、ザックは大き過ぎたし、総重量は7Kgを越えて重かった。「大は小を兼ねる」とは言うが、やはり、「40リットル」のザックは大き過ぎて「不格好」であった。
 それに、年を追うごとに「体力」もなくなっており、出来るならば、「嵩」がなく、より「軽く」コンパクトなものにして背負いたかったのである。
 具体的には、「20リットル」のザックに「プロジェクタ」と「ノートパソコン」を同梱して背負いたかったのである。(明後日に続く)

Dell4100MPは2200ルーメンという明るさ / Inspiron 5150のこと(その2)

2009-06-12 04:38:53 | Weblog
 (今日の写真は講演や講義でプレゼンテーションをするのに「欠くべからざる」プロジェクタである。私はこれを「リュック」に容れて背負って運んでいる。昨日も毎週木曜日にある「NHK弘前文化センター講座」に、あの雨の中、傘をさして「背負って」行った。もちろん、リュックの中には「Mac Book」も入っていた。合わせて約5.0Kg という重さである。

 「ノートPC」を利用して多くの人に「映像」を紹介するには「プロジェクタ」が必要だ。「プロジェクタ」はパソコンから映像出力が出来るので、「会議」や「講演」「講義」などのプレゼンテーションによく使われている。現在は、そのような場所や「機会」での「定番的」な機器となっている。一般的には会場や講義室、教室などに、「スクリーン」と一緒に「設置」されているのである。
 ところが数年前はまだ「設置」されていない会場や講義室があったのだ。そのために、個人用の「プロジェクタ」を購入しなければいけない状況になった。
 「Inspiron5150」を購入してから数ヶ月後に、「Dell 4100 MP」という「プロジェクタ」を買った。何だかやたらに出費が嵩む。
 「Dell 4100 MP」は「2200ANSIルーメン」という高輝度(明るさ)と優れた機能を満載したデル社の「ハイエンド・ビジネスプロジェクタ」だ。「Digital Light Processing」方式を採用し、高輝度と際立つコントラストを同時に実現するというマシンである。
 また、稼働音も静で、操作も簡単という使い勝手の非常にいいものだった。何よりも強力な投影能力で、どのような場所でも「見易く」し、その場の人によく「伝わる」プレゼンテーションが出来るというものだった。これは今でも重宝している。
 解像度は「リアルXGA(1024x768)」であり、コントラストは「2000:1」、ズームはマニュアルで1.2倍、2Wのスピーカが2つついている。その上、「リモコン」にはレーザポインタ・マウス機能までが付いているのである。
 携帯用の大きな硬質のケースも付属してきたが、これがまた、大変に重く、大きいものだった。重いだけあってすごく「頑丈」な造りで、1000Kgの荷重衝撃にも耐えうるようなものだった。
「Dell 4100 MP」本体の重量は約3.0 kgであるから、そのケースに容れて持ち運ぶと、その総重量は7.0 Kg近くにもなってしまうのだった。
 これもいい値段だった。配送料を入れると簡単に20数万円を越えてしまった。)

      ◇◇ モバイルPentium4-3.06GHz搭載ノート『Inspiron 5150』◇◇

(承前)
 …「一太郎」で書いた文章に「画像」を挿入する時に、しばしば「固まる」のだった。
 使われているCPUは「モバイルPentium4-3.06GHz」であるが、これはデスクトップ用のPentium4とは同列には扱えない。私は自作PCに「Pentium4」の「3.0GHz」「3.2GHz」「3.4GHz」のCPUを搭載して使用したことがあるが、それではこの「モバイルPentium4-3.06GHz」が普通の「Pentium4の3.0GHz」と同じ性能かというと、そうではないのである。
 それは、遙かに非力であったのだ。実質には、相対的に1.4GHz程度でしかなかったのだろう。
 メモリーもPC2700対応DDRSDRAMで1GBしか積んでいない。「自作デスクトップPC」にはPC3200の対応DDR SDRAMを4GB積んでいた。これ以上積めないので4GBだが、実際は3GBでしか作動していなかった。
 「自作デスクトップPC」では、「容量の不足のため上書き保存が出来ない」ということや画像取り込み時に「固まる」ことが全くなかったというわけではない。だが、その頻度は「Inspiron5150」を「9」とすれば「自作デスクトップPC」では「1」という割合であったのだ。
 次第に、「Inspiron5150」は「映像・投射のための補助手段」に過ぎないものになっていた。メモリーを1GB増やして2GBにしたが同じだった。
 「資料作り」や「写真編集」は「Inspiron 5150」ですることはなくなり、専ら「自作PC」でするようになり、それが、「より快適な自作マシン」への傾斜を強めていったのである。
 「Microsoft」が 64bit対応の「Windows XP Pro 64bit版」を発表し、Intelに先だってAMDが64bitOSに対応しているCPUを製造し、それに対応したマザーボードを各ベンダーが発売した時からますます顕著になっていったのである。ただ、そのためのCPUは高価だった。AMDの64bitOSに対応しているハイエンドCPU は10数万円もしたのである。
 とにかく、違った。32bitOSに比べると「速度」が全然違っていた。

 「自作デスクトップPC」で作った「ファイル」を「Inspiron5150」に移して、講義室や講演会会場で「映す」だけという、ただただ「単純なハード的な側面」という価値しか「Inspiron5150」は持っていないものになってしまっていたのである。
 何だか裏切られた気持ちになり、私の自尊心は深く傷ついていた。そして、この「用途の少なさを認める」と段々「Inspiron5150」に対する信頼がなくなってきた。
 そうなるとただただ4.0Kgという重さだけが気になってきた。もっと軽いものでもいいだろう。わざわざ「ノートパソコン」でなくてもいいだろうという気持ちに私はしばしば捕らわれるようになっていたのだ。
 もしも、私が自家用車を持っていて、「ノートPC」を、それで運んでいるならば「重さ」や「Inspiron5150」の利用価値やその頻度などについて、このように考えることは余りなかったであろう。それにしても、「4.0Kg」は重い。(明日に続く)

Inspiron5150のこと / Macと「Windows 7 RC版」のこと(その3)

2009-06-11 05:07:17 | Weblog
(今日の写真は、デルコンピュータ、モバイルPentium 4-3.06GHz搭載ノート『Inspiron 5150』である。)
 在職中もあったことはあったが、退職後「講演」やら「講座と称されるもの」を受け持つ機会がどんどんと増えた。聞いていただく方々、学習をしたいと参加される方々に「より深くて広い理解をしてもらうため」には「話しとレジメ」だけでは足りないと強く意識するようになっていた。
 特に、自然の中で咲く花や、とりわけ「植生」などの説明のためには「写真」特に「現場写真」が必要だった。また、「自然破壊の現場」なども「話しをするより、写真の方」が説得力があった。
 これには、どうしても「持ち運びが出来る」ノートパソコンとその映像を映す「プロジェクタ」が必要だったのだ。
 先ずはノートパソコンである。それが先だった。今日の写真の「Inspiron 5150」は2003年11月に発売されたもので、その年の内に直ぐに購入したものだ。
 これは、デスクトップ用のCPUをベースに作られた、その当時最速のモバイル用CPU、ハイパー・スレッディング・テクノロジ”対応モバイル・インテル® Pentium® 4 プロセッサと最新のインテル® i852PMチップセットを搭載し、PC-2700 DDR -SDRAMとの組み合わせにより、高速処理を実現したハイパフォーマンス「A4ノートブック」であった。
 もう少し詳しくみると…
 メモリーにPC2700対応DDR SDRAM(2GB)、HDDにUltra ATA/100(60GB)、グラフィックスチップにn.Vidia社のGeForce FX Go5200だ。さらに、V.92対応56kbpsモデムと10/100BASE-TX、無線LAN用アンテナも装備していた。
 ディスプレーは、 UXGA+液晶ディスプレー(解像度1600×1200ドット1677万色表示)であった。この「UXGAディスプレイ」は、高視野角・ハイコントラストで鮮明な画面表示が可能となり、画像編集に大型ディスプレイを必要とする者には「優れたデスクトップ代替機」として最適であったのだ。これだと、「モバイルノート」でなく立派なデスクトップPCといってよかった。
 本体サイズも、幅335×奥行き46.5×高さ275mmと大きく、重さは、接続ケーブルや電源ケーブルをいれると4.0kgを越えてしまった。大きさと重さの点でも、やはりデスクトップに匹敵するのだった。
 光学ドライブは、DVD+RW/+Rドライブ。OSは、Windows XP Professional SP1である。インターフェースは、USB 2.0×2、VGA、IEEE1394、Sビデオ出力を装備し、拡張スロットはPCカードスロットを装備していた。ポインティングデバイスは静電式スライドパッドを採用。電源はリチウムイオンバッテリーを使用し、駆動時間は約4時間である。だが、実際は4時間は保たなかった。
 このように「Inspiron 5150」は、デスクトップに匹敵する高い拡張性を備えるハイパワーなノートPCであり、コストパフォーマンスに優れたPCであったのだ。確かに「値段」も「よかった」のである。BTOであれこれと「換装」したら30万円を越えたと記憶している。

 …確かにすばらしいPCではあった。しかし、よく「容量の不足によりコピーが出来ない」とか「容量の不足のため上書き保存が出来ない」といって作業の中断に追い込まれたり、特に、画像取り込み時に「固まる」ことがあって、取り込んだ画像をすべて失うこともあった。それは、「講演」や「講座」の画像編集時に集中して起こった。
 私は「デスクトップマシン」で「編集」して、それをまた「ノートパソコン」に移すという手間のかかることはしたくはなかった。便利なPCは「一度に処理が出来て、一度の作業で完成すること」が本来のあるべき姿だと考えていたからだ。
 だから、すべての作業をこの「Inspiron 5150」だけで完了させようとやっきとなった。文章を書く分には別に支障はなかった。私の「ワードプロセッサーソフト」は「一太郎」である。「Wrod」もインストールしてはあるがメインは「一太郎」である。これは今でも変わらない。
 どういう訳か分からないが、私が「コンピュータ」に触れた頃、職場の大半の同僚は「ワードプロセッサーソフト」として「一太郎」を使っていた。きっとソフト会社の「Justsystem」の戦略だったのだろう。
 私は、何の疑念も抱かないで、その後ずっと「一太郎」を使っているのだ。既刊の4冊の書物も、これまで発表した夥しいほどの文書もすべて「一太郎」で書いている。このブログも、もちろん、そうだ。(明日に続く)

      ◇◇ Macと「Windows 7 RC版」のこと(その3)◇◇
(承前)

 …アップルのOS、「Mac OS.Xリパード」も使いやすくていいものだった。しかし、16GBのメモリーを積んでいる割には、作業的には「効率的な悪さ」を感じていた。とはいっても、それは「Windows XP」や「Vista」よりは快適だったのである。
 だが、その「Mac OS.Xリパード」の「優位性」は「Windows 7β版」が登場するまでのことであり、「Windows 7 RC版」が出るに及んで完全に、水をあけられてしまった感じがした。
 私の、2つの「筐体」に「Windows 7 RC版の64bit版と32bit版」をインストールして使うと、もはや「MacPro 2.8GHz Quad Xeon x2 16G/320G/SD/GF8800GT 」は必要ないのではないか。
 私は退職後7年間もちろん、「Windows 」PCを自作しながらであるが、「Mac」を使い、付き合ってきた。だから、短い期間の「Mac」ではあった。「Mac」に関しては、ニューカーマーであったのだ。いや、いや、「Windows」を含めて「コンピュータ」との付き合いは、まだ、10年ちょっとという「まともな」ニューカーマーではあるのだ。(明日に続く)

最近のグラフィックボードのこと / Macと「Windows 7 RC版」のこと(その2)

2009-06-10 05:09:09 | Weblog
 (今日の写真は、自作PCの右側面である。この「筐体(ケース)」は「Lian Li PC-V1000A(シルバー)」というものだ。「Lian Li」社は台湾のケースメーカーである。私はMacのアルミの質感に惹かれていたので、持っている自作PCのケースはすべて、塗装なしのアルミニウム素材のものである。そして、そのすべてが「Lian Li」社のものである。
 現在、主として使っている「Intel Core i7 CPU 965」のPCは「Lian Li PC-V1000A PLUS II (シルバー)」というケースである。
 このケースは前面と背面から冷気を吸い込んで、CPUの熱気、GPUの熱気を上部側面から排気するシステムになっている。空気の動きを確実に操作するという点では、非常に機能的な構造をなしている逸品だと考えている。
 ところが、今日の写真の一世代前の「Lian Li PC-V1000A(シルバー)」には「ケース右側面上部」には「排気孔」がなく、1枚のアルミ板で覆われている。つまり、これは外気を前面から吸入して、背面に排気するという単純な構造なのである。
 どう考えても「前面と背面」から外気を取り入れて、「ケース内の熱い空気」を冷やすと同時に上部側面から排気するという構造の方が理に適っている。
 そこで、ケース右側面上部に「孔」を開けて、それに排気ファンを付けることにした。このアルミ板は肉厚が2mmの硬質アルミだ。だから、「孔」を開けるといっても簡単にはいかない。幸い工作をするといっても「正面」でなく「側面」なので「見た目」を強く意識する必要もない。
 正方形の「孔」を開けるつもりだったが、旋盤を使った機械工作ではないので、最初から細かいところは無視した。だが、一応は「四角の孔」が出来た。ファンの「羽」に手などが挟まらないようにガードも取り付けた。
 この「孔開け」工作に使った工具は「金鋸」、「鑢」、「電動ドリルとそれに付けた丸歯の砥石」である。ファンと防護(ガード)用の金具取り付けのためのねじ穴は、電動ドリルで開けた。
 最初から、見た目にも美しくきれいに出来るはずもない。だが、この写真で見る限りでは、「結構な出来」だろう。
 ただ、外部に「孔」を開けてファンを取り付けると「理に適った空気の流れ」が生まれるのかというとそうではない。前面のファンの位置はそのままでいいが、背面のファンは位置を逆にして、外気を内部に吸入するようにしなければいけない。
 さらに、CPUの冷却ファンの位置も、はき出す位置から吸い込む位置に変換する必要がある。それに併せて、PC内部のケーブル周りも「通風」がうまくいくようにセットしなをさなければいけない。
 そのような「プロセス」を経て、出来上がった外観が「今日の写真」、つまり、「パソコン」内の熱気を排出するためのファンの取り付け部分なのだ。
 これは、今、現在「Intel CPU Core2 Extreme のPC」として、「Windows 7」の32Bit版をインストールして快適に使っている。

 何故このような「工作」までする必要があるのだろうか。少し前述したが、最近の「グラフィックスカード(GPU)」は、CPU以上に高熱を帯びるからだ。
 「Speed Fan」というフリーソフトを取り込んで測ってみるとCPUが40℃前後で推移するのに、GPUは70℃近くまで上がっている。
 しかも、最近の「グラフィックボード」は「排気孔」と「2つのビデオ端子」を持つため厚くなり、大きくなって、全長もCD-DVDドライブに接触するほどになっている。それだけ、体積が大きいということだ。そのため、SATAの差し込み端子が塞がれるなど「ケーブル」の取り回しに支障が出るほどなのである。
 つまり、表面積と体積の大きい発熱体があって、その上、内部空間が狭くなっているのであり、「熱」はますます貯まりやすくなっているのだ。
 因みに、この「グラフィックボード」は「nVidia GeForce 9800 GTX」である。これは昨年の6月頃登場した「グラフィックボード」ではハイエンドのものだ。GPUコアクロックが738MHz。そして、シェーダクロックが1836MHzだ。メモリ容量はDDR3 512MB。メモリクロックは2.2GHzである。
 55nmプロセスへとシュリンクされているので、消費電力や発熱はいくらか抑えられてはいるが、大体270Wattsぐらいだろう。6p端子を2つ差し込むという物々しさである。熱くなるのもうなずけるというものである。
 ケース内部に「外気」を取り込むための12cmの角形「ファン」を2つ、CPUファンも外気を吸い込む方向にして、貯まった「熱気」を一挙に、この工作した上部の「ファン」で排出しなければならないのである。このPCには合計4つの12cmファンが装着されることになったのだ。
 …かといって、ファンの回転数だけを上げるわけにもいかない。そうすると、それはPC「騒音」になってしまう。ケース全体を共鳴装置として、「唸る」場合もあるから、大型のファンで、rpm1500以下のものを使うことになるのである。
 この工作には、半日を要した。そして、騒音はなく、まったく静かなのであった。)

        ◇◇ Macと「Windows 7 RC版」のこと(その2)◇◇

(承前)
 昨日、私は『「Windows 7 RC版」の「快適」さは、私にこれまで使っていた「Mac Pro」を疎いもののように思わせ始めたのである。』と書いた。
 新しいOS「Windows 7」はその「RC版」となって、その完成度は極まったといえるのではないか。私は「Vista Ultimate 64bit版」も1月まで使っていた。その使い心地は「Windows XP Pro 64bit版」よりも遙かに悪かった。それは使い慣れていないという「経験則」などによるものではなかった。(明日に続く)

Macと「Windows 7 RC版」のこと / 色々なことでの問い合わせがあるものだ…(4)

2009-06-09 05:28:28 | Weblog
 (突然だが「路線変更」だ。草花や樹木の花の写真からパーソナルコンピュータの写真に変える。その意味で路線を変更するということだ。今日、明日、明後日あたりまで、パソコンの話しを書きたいと思う。
 私はパソコンの自作マニアなのだが、その自作マニアの心を「自作を許さない」という意味で「惹きつけてやまない」のが、「アップルコンピュータ」なのだ。
 今日の写真はアップル社のノートパソコン、マックブックである。正式名称は「MB467J/A MacBook 2.4GHz Core2Duo 13.3"」である。これまで使っていたMac Pro「MA970J/A MacPro 2.8GHz Quad Xeon x2 16G 320G/SD/GF8800GT」を下取り品にして購入したものだ。いくらかおつりも戻って来た。)

 以前にも書いたがこの1月から、自作のPCに「Windows 7β版」をインストールして使っていた。先月この「Windows 7 RC版」が公開されたので、早速DVDに焼いてインストールして使ったところ、何とベンダーが32Bitでなければ使えないというソフト、例えば「筆ぐるめ」などが64Bitの「Windows 7」で簡単に使えてしまうのである。インストールも容易、しかも速い。多くのウエッブサイトで「Windows 7」についての評判を目にしたり、聞いたりしているだろうから、そのことには触れないが、とにかく「最高」にいいのである。今、現在「Windows 7」の32Bit版と64Bit版をIntel CPU Core2 Extreme のPC、 Intel Core i7 CPU 965のPCにインストールして快適に使っている。
 そして、この「快適」さは、私にこれまで使っていた「Mac Pro」を疎いもののように思わせ始めたのである。(明日に続く)

◇◇色々なことでの問い合わせがあるものだ…(4)◇◇
(承前)

③について「夜間に鳴くことが雛が孵る前には普通であるなら、その理由は何なのでしょうか。」
・Iさんへ
 夜間に鳴く理由は私には分かりません。野鳥に関心のある本会 会員に、「ホトトギスが夜間に鳴く頻度とその理由」等を、つがい形成期、産卵前、産卵(托卵)後、孵化後、ひょっとしてあれば「子育て期」などの観点で調べてもらっています。今しばらくお待ち下さい。

 いずれにしても、子育てから解放されている生物は「暇」なのでしょう。自らは巣を作らず、ウグイスなどの巣に産卵し、抱卵・育雛を委ね、卵を産むと夜昼の見境なく遊び回っている鳥ですから、「鳴く」ことしかすることがないのでしょう。そう考えると何となく納得がいきます。最近は人にもこの手合いが増えているようですね。

 日本では、昔から「季節の初音」として人々がその鳴き声を待ちました。万葉集には、ホトトギスの読み込まれた歌が153首集められています。

・くつてどり・あやなしどり・うづきどり・しでのたおさ・たまむかえどり・夕影鳥・夜直鳥(よただどり)などの呼び名があります。後ろ2つにも「夜に鳴く」という意味が読み取れます。漢字では、杜鵑・霍公鳥・時鳥・子規・杜宇・不如帰・沓手鳥・蜀魂などと書きます。

 次は地方紙「陸奥新報」に連載した「岩木山の花々」の「ホトトギス」に関係した一文です。参考にされて下さい。

『ヤマジノホトトギス(山路の杜鵑草)』 錦秋彩る西方浄土への案内花
…郭公(かっこう)の仲間である杜鵑(ほととぎす)を四手の田長(しでのたおさ)と古人は呼んだと言う。四手が死出(しで)と同じ音になるので、冥途(めいど)への道案内をする鳥と考えたのである。長明は杜鵑が鳴くのを話しかけてくるものとみなし、その度に案内をしてくれよと約束したと方丈記に書いている。
 聞きなしでは「テッペンカケタカ(頂上を踏んで降りて来たのか)」としている。これは実に当を得ている。山頂からようやく下山して麓にさしかかる頃に森で鳴いているのだ。疲れてはいるがその鳴き声に答えて「そうだよ」と呟く時、口元には自然に笑みがこぼれる。その森も最近は数少なくなっている。だから、当然声を聞くことも少なくなった。それだけではない。山路の杜鵑草も滅多に見られなくなってしまった。
 その日も長平口に下山しがてら、出会いを望んだが無理だった。これは秋に杜鵑の鳴く林の縁に咲く花であるが、残念ながらここ数年会うことがない。杜鵑や山路の杜鵑草が岩木山から影を潜めたとすれば、冥途へのガイドを誰に頼めばいいのだろう。浄土に往けない魂が麓でうろうろしているかも知れない。岩木山は鬼門に近づいているのだろうか。…
                      以上、よろしくお願いします。三浦章男

・三浦章男さんへ

 『ホトトギスの件ご回答有り難うございました。
山科鳥類研究所にも照会したのですが、ホトトギスの件は良く分かってないとのことでした。ホトトギスの鳴きは先天的なもので、ウグイスなどの後天的なものとは違うとのこと。
津軽の方たちの調査が期待されるところです。カッコウは鳴かないのに、ホトトギスだけ夜間も飛びながら鳴くというのは何か訳があると思います。
 他の鳥は交尾時間が短いのに、ホトトギスはかなり長い(?)とか。
長いと天敵に狙われた時に逃げられないので、そのような天敵が活動しない夜間に縄張りの中で鳴いて雌を呼び寄せて交尾しているとか、そんなことはないのでしょうか。
 あるいは雌を見つけるまでの間、托卵相手のウグイスの産卵を夜鳴きで遅らせて、卵の個数を少なくさせ、雌が交尾して托卵するまでの時間稼ぎとか。それ以外に肝心な理由が見あたりませんが。勝手な想像です。お元気でご活躍下さい。』
Iより

 このIさんからの問い合わせ内容は、野鳥について詳しい「会員」に訊いてみたが、結局「検証的な解答」は得られなかったので、私との「このやりとり」で終わってしまった。Iさんにしても 私にしても「しっくりしない」形で終わってしまった。(この稿はこれで終了)

「山菜」採りを歌題にしたHさんの短歌 / 色々なことでの問い合わせがあるものだ…(3)

2009-06-08 05:07:23 | Weblog
 (今日の写真はユリ科チゴユリ属の多年草の「ホウチャクソウ(宝鐸草)」だ。日本全国、朝鮮・中国に分布する多年草で、林縁や谷沿いなどの森林中に生育する。茎が枝分かれする点が特徴の1つで、地下茎で繁殖する。5~6月にかけて咲き出し、草丈は30~60 cm程度だ。
 花は林の木陰でひっそりと白い釣り鐘状の花を先端に付ける。枝先に1~3個ぶら下がる。先が緑色を帯びた花弁は長さ約3cm、内側と外側に3枚ずつあり、花はあまり開かない。果実は黒く熟する。
花名の由来は「筒状で細長い花の形を寺院の軒下にぶら下がっている装飾品である宝鐸に見立てた」ことによる。
 分類学的にはチゴユリの仲間なのだが、花の似たアマドコロやナルコユリの仲間ではない。チゴユリと同様に若芽には毒がある。同じユリ科で「山菜」として食べることが出来て、葉が似ている「ギョウジャニンニク」や「ユキザサ(アズキナ)」などとは違うので、「山菜」を採る人は注意したほうがいい。)

     ◇◇「山菜」採りを歌題にしたHさんの短歌 ◇◇

 山は「春の儚い草花」の季節が終わって、夏緑の季節に向かって多くの草花がその盛りを謳歌している。さらに、今季は10日から2週間は季節の推移が早いから、まるで、すべてが「雪崩」のように一気に来ている感じである。
 岩木山神社の上部森林帯の林床には「イチヤクソウ」が蕾を大きくして「開花」を待つだけの状態になっている。「ミヤマガマズミ」も「カンボク」も背景に濃い緑を置いて、ますますその白さを鮮やかにしていた。そのような中で、先月28日に出会った花は次のようなものだった。
 三つ葉通草(ミツバアケビ)、上溝桜(ウワミゾザクラ)、小豆梨(アズキナシ)、蛍葛(ホタルカズラ)、杓(シャク)、水木(ミズキ)、桐(キリ)、宝鐸草(ホウチャクソウ)、雉子蓆(キジムシロ)、野芥子(ノゲシ)、三つ葉空木(ミツバウツギ)、苦菜(ニガナ)、大葉黄菫(オオバキスミレ)、山苧環(ヤマオダマキ)、瘡王(クサノオウ)、崑崙草(コンロンソウ)、谷空木(タニウツギ)、立ち壺菫(タチツボスミレ)、稚児百合(チゴユリ)、紫華鬘(ムラサキケマン)、忍冬(スイカズラ)、壺菫(ツボスミレ)、朴の木(ホウノキ)、蔓梅擬き(ツルウメモドキ)、大山衾(オオヤマフスマ)、肝木(カンボク)、高麗天南星(コウライテンナンショウ)などであった。
 花も盛りであることは、「山菜」もちょうど「採取」の時であった。昨日、紹介したHさんは山菜に興味があるらしく、食べられる山菜を訊いては採取に勤しんでいた。そして、数日後「しおで、ふき、しどけ、蕨、たらの芽、あざみ、みつば、(うどのようなものも混じっていました)すべて3日ほどかけて美味しくいただきました。ありがとうございました。」というメールがあった。

 実は先日の講座の時に、この山菜を主題にした短歌を見せてもらっていた。
「桐の花」を主題にしたものと一緒だったが、どちらも、非常に素直で、喜びなり、凋落という「感動」がうまく観察され、それが正直に表現されているすばらしい作品だと思われたのである。

「折り持てばふと若き日の面になり時の山の菜たけゆく春を」

 …という短歌なのだがどうだろう。歌題の趣旨はすばらしいもので、「自分で山菜を探して採る」という喜びに溢れた短歌であろうと私は思う。
 そこで、早速、その主題と主想を生かしながら次のように添削してみた。
 
→ 折り持てば/ふと吾稚児の/面になり/旬(とき)の山の菜/猛ゆく春に
→ 折り採りて/吾が稚児面に/笑み浮かぶ/今が旬(しゅん)なる/山の菜猛し

 かえって「悪く」なってしまったかも知れない。素人の変な出しゃばりである。

        ◇◇色々なことでの問い合わせがあるものだ…(3)◇◇

(承前)一昨日のI氏の依頼に対する「回答」の続きである。

Iさんへ
 お久しぶりです。お元気そうで何よりです。
 色々お世話になりました。水芭蕉沼では大変興味深いお話しをありがとうございます。あの後も一頻り、Iさんの話題でもちきりでした。今月はホタルが羽化して、夜な夜な美しい光のシルエットを、あるいはホタルツリーを、あの水芭蕉沼の取水口付近の沢で見られることになります。今月中旬にはそれにかかわる催事が続きます。
 さて、Iさんの質問の件ですが整理しますと次の3つになると思われます。知っている範囲でお答えしたいと思います。

① 普通は夜間鳴くものでしょうか。
② ホトトギスが夜間鳴くのは水芭蕉沼に限ったことなのでしょうか。
③ 夜間に鳴くことが雛が孵る前には普通であるなら、その理由は何なのでしょうか。

①について
 一般的に夜も鳴きます。特に南から渡ってきた直後によく鳴くようです。
これまでの経験から…岩木山に限らず5月中旬ごろから、よく登山・キャンプで山麓に幕営をしましたが、その時の深夜23時から午前1時ごろにかけて、「トッキョキョカキョク」とか「テッペンカケタカ」というけたたましい鳴き声を聞いたことが何回もあります。
また、夜が明けきらない暗い早朝(3~4時)にもよく鳴きます。

②について
ホトトギスが夜鳴くのは水芭蕉沼に限ったことではありません。山麓の林縁であればどこでもこの時期には鳴きます。

・「うす墨を流した空や時鳥(ほととぎす)」 一茶
・「 五月山卯の花月夜霍公鳥(ほととぎす)聞けども飽かずまた鳴かぬかも」
・「ぬばたまの月に向ひて霍公鳥鳴く音遥けし里遠みかも」
・「霍公鳥夜鳴きをしつつ我が背子を安寐な寝しめゆめ心あれ」(以上万葉集から)

 これらの俳句や和歌も暗いときに鳴いている風情ではないでしょうか。(明日に続く。)

桐は中国原産だが、岩木山にも自生している / 桐の花を歌題にしたHさんの短歌

2009-06-07 05:15:28 | Weblog
 (今日の写真は、ゴマノハグサ科キリ属の落葉広葉樹「キリ(桐)」の花だ。原産地は中国とされているが、日本では北海道南部以南において昔から植栽されている木である。
 種子には翼がついており、風でよく撒布され、発芽率が高い。しかも、成長が早いため、岩木山では特に山麓で野生化した個体が見られるのだ。高さ8~15m、直径40~60㎝ほどになる。
 だから、「自生」している樹木と扱ってもいいのだが、拙著「カラーガイド岩木山・花の山旅」にはいれていない。
「科」を「ノウゼンカズラ科」または、独立の「キリ科」とする意見もあるそうだ。
 花は大きい。つぼみは前年に出来る。毛に包まれて冬を越し、5月から6月にかけて、うす紫色の花を咲かせる。花は長さ5~7㎝の筒状鐘形で、5枚の花弁で、雄しべ4本、雌しべ 1本の両性花だ。「桐」といえば、「材」について触れなければいけないだろうが、今朝は「花」に留める。 
 大きく分類すると、桐はシソ(紫蘇)科の系統に入る。花の形が似ている。
 アゼナ、ムラサキゴケ、トキワハゼ、ミヤマママコナ、オオバミゾホウズキ、コシオガマ、クガイソウなどの草花も同じ仲間である。花の大小や色の違いはあっても形が非常に似ている。
 名前の由来であるが、江戸時代に書かれた「大和本草」に「コノ木切レバ早ク長ズ、故ニキリト云ウ」とあるので、「材を切って削って使用する」という意味から「切り」と呼ばれたことによるらしい。つまり、その語源は「切り」にあるというわけである。
 学名に、「ポローニア」という語が使われているが、これはオランダの女王の名前で、シーボルトが日本から桐の種子をヨーロッパに持ち帰った時に、女王の名前を冠したことにあるという。学名からしても「桐」は日本と深い関係のある樹木なのである。)

 5月28日にNHK弘前文化センター講座「岩木山の花をたずねる」の受講者と岩木山神社界隈とその上部の樹林帯を歩いた。その時に、この「桐」に出会ったのだ。
 そして、受講者のHさんが翌週の講座で、次の短歌を私に提示した。他の受講者にも講座の中で、早速紹介したのである。

     「遠き世の物語のごと儚かりほつりと落つる桐のむらさき」

 以前にも書いたが、自分の作った短歌をみてほしいということには「評価をして添削してほしい」という意向が含まれている。
 私は「メール」でそのことに応えた。以下が、そのメールだ。

 …『お断りしますが、私は「短歌」を日常的に作っているものではありません。その意味では「短歌」に関してはずぶの素人です。
 素人というものは既成の概念や決まりに惑わされることなく自由な発想の出来ることが「柔軟性ある強み」であり、同時にそれは「深みのない弱点」でもありましょう。
 そのようなことを自覚した上で、畏れおおくも、あなたの「短歌」を添削いたします。ですから、私が「添削」したものが必ずしも「いいもの」であるという保証は何一つありませんから、気楽に受け止めて下さい。
 この作品は添削する必要がないほどにすばらしい作品です。あなたの「桐」という樹木と「桐の花」に対する想いが滲み出ていると思います。
 作ったあなたにとっては何句目が一番気に入っていますか。私は四句目の「ほつりと落つる」がとても気に入りました。
 桐の花のような「合弁花」の散り方には「離弁花」にない「唐突さ」があります。
 「離弁花」は花びらが一枚一枚順次散っていきます。その散り残っている様子はまだ、命の名残を感じさせて、その寂寥感がじわりじわりと見る者の気持ちをとらえます。
 しかし、「合弁花」は突然、花全体が「ぽとり」と落ちます。これで、花の命は終わりです。本当に一瞬にして終焉を迎えてしまいます。
 ところが、あなたの「ほつりと落つる」という表現には「瞬時」という性急さがありません。ゆったりと散っていくという趣があるのです。
 「いつまでも咲いていてほしいという想い」と、「優しく桐の花をとらえようとする心根の現れ」でしょうか。「ゆっくりと風に舞うように落ちていく桐の花」がそこにはあります。あなたの「歌題」や「作歌の趣向」、使われている語、語句の意味を出来るだけ損なわない範囲で、次のように「添削」してみました。いかがでしょうか。

→ いにしへの/物語に読む/儚さを/ほつりと落ちて/桐花示す
→ むらさきに/儚さ捨てて/桐の花/ほつりと落ちて /永久(とわ)に咲きなむ

 あなたの想いを重視すると五句目は「咲かなむ」とした方がいいかも知れません。そうすると、「いつまでも、落ちないで咲いていてほしい」という「実現を誂え望む意」となります。
 私の「添削」したものは、いずれも、Hさんの「歌意」を越えるものではありません。あなたの主題や修辞の受け売りだけです。

 これからも、どんどん作って下さい。野の花、山の花、自然の観察から「歌」はどんどんと生まれるでしょう。そして、それら自然の風物は私たちに「人としての有りよう」も示唆してくれます。その先には「現代人が失っている自然に対する謙虚さ」があるはずです。』

 「色々なことでの問い合わせがあるものだ…(3)」は明日掲載する。

葉を見て、これは何だろう訝しかったが… / 色々なことでの問い合わせがあるものだ…(2)

2009-06-06 04:12:00 | Weblog
(今日の写真はフウロソウ科フウロソウ属の多年草「ゲンノショウコ(現の証拠)」である。北海道、本州、四国、九州の日当たりのいい「山野」に普通に生える。だが、この今日の写真は、我が家の裏というか北側の一日中、日の当たらない軒下で見つけたものだ。 この軒下には別に植えたわけではないが、セリ科ミツバ属の多年草「ミツバ」も生えている。これは雑木林や林地周辺の木陰等に生育しているものだ。
また、キンポウゲ科キツネノボタン属の多年草「ケキツネノボタン(毛狐の牡丹)」やアカバナ科アカバナ属の多年草「アカバナ(赤花)」も生えている。
 これらは、すべて「山野」に生えていて、「山野」で咲くものである。だが、私の家の北側の軒下は「山野」ではない。
 種明かしをしよう。この軒下には「水道蛇口のある洗い場」があるのだ。岩木山から帰ってくると、そこで、ズボンの裾とか登山靴の水洗い(下洗い)をするのだ。そこで、付着していた「山野」の種子が、その周囲に洗い流されたり、はじき飛ばされたりして根付いたのである。セリ科の種子にはスポンジ質のものがあり、これは「水流散布」といって水流によって散布体が運ばれる。それに似たものに、雨粒などの水滴があたった衝撃で種子が飛ばされる「水滴散布」といわれるものもある。
ゲンノショウコは、果実や種子が自動的にはじき飛ばされる「自動散布」型で、果皮が裂開しようとする力が果皮をつなぎ止める力を越えた時に、瞬間的に果実が分解し、内部の種子がはじき飛ばされるものや、果皮が収縮する力で種子がとばされるものがある。
いつしか、我が家の北側軒下は「山野」となっていたのである。因みに、南側にある「小さい」庭では「この種」の草花は何一つない。
 今春、ミツバに混じっている「根生葉」を見つけた。びっくりした。何というか「トリカブト」の葉に似ている。ミツバを摘む時に間違って、摘んだら大変だ。そんな想いを4月から5月にかけてずっと持っていた。
 そして、昨日、それは「今日の写真」の花を一輪だけ咲かせていたのである。開花期が6~8月ということに間違いはなかった。
 改めて、というよりも安心して「よく」調べてみた。草丈は30cm以上はある。どんどん大きくなるだろう。茎や葉に毛があって、葉は対生して、3~5に裂けている。花は白花だが、他に紫紅色、淡紅色になるものもある。直径1.5cmほどで、果実は果でこれも1.5cmほどの長さだ。
 別名の「ミコシグサ(御輿草)」は種子の弾けた後の果実が「神輿」に似ていることによる。花名の由来は「この薬効が速やかに『現われる』こと」による。そこで『現の証拠』と呼ばれるのだ。その薬効だが「便秘、下痢、関節痛、神経痛」で顕著だという。

◇◇色々なことでの問い合わせがあるものだ…(2)◇◇

(承前)昨日のN氏の依頼に対する「回答」の続きである。

 …岩木山は薬師、阿弥陀、観世音仏を祀る三峰三位一体の霊山である。神として国常立命(くにとこたちのみこと)や顕国魂神(うつしくにたまのかみ)他四神を祀っており、その神事は南麓百沢の岩木山神社が司っている。
 また北東麓には坂上田村麿の蝦夷征伐に因んだ赤倉神社がある。つい先年まで山伏が修行していたが、赤倉大権現を祀っているものである。なお、赤倉神社界隈の沢筋には多くの社屋(堂房)があり、そこには巫女(老女であることが多い)が住んでいて口寄せなどで信仰・参詣のために多くの人々が集まって来る。こちらは岩木山神社とは対照的に昔からの民間信仰が今でも綿々と続いている。

 …石清水について

 これは、もっとも歴史的で一般的な登山道である岩木山神社からの登拝道にある。津軽の人は石清水とは言わないし、「岩木山の石清水」といっても分からないだろう。漢字で書けなくても「錫杖清水(しゃくじょうしみず)」という名称は誰でも知っているはずである。
 百沢登山道は、温泉宿を門前にした岩木山神社から桜林、スキー場、姥石(うばいし)、焼止り小屋、坊主ころばし、錫杖清水、鳳鳴小屋、急登の一の神坂、二の神坂を登り山頂へというコースで、 登山口から4時間30分を要する。
 錫杖清水は、大体標高1300m付近の湧水である。通年枯れることはない。この高さの場所に噴出していることと勢いよく湧き出すことに、人々は畏敬の念を強くしている。
あえて「…合目」をつけると「8合目」くらいになろうか。
 この百沢登山道では道順に「…合目」という呼称を使わない。岩木山には五つの登山道があるが標識に「…合目」と記載してあるのは、百沢登山道の東尾根にある弥生登山道だけである。この登山道は60年前に弥生に入植した人たちが造った新しい道であり、古来からの道では「…合目」を一切使用していない。

◇◇ 「ホトトギス」は何故「夜」も鳴くのか ◇◇

所沢市I氏からの質問

 …水芭蕉沼でお目にかかったIです。色々お世話になりました。さて、嶽温泉の水芭蕉沼周辺のホトトギスが日中だけでなく、夜間も鳴いていましたが、こういうことは雛が孵る前のことでしょうか。育雛を委託した雛が孵ると鳴かなくなると聞きましたが、そもそも普通は夜間鳴くものでしょうか。
 同様な託卵の習性を持つカッコウはあの地域には3羽いましたが、夜間は鳴きませんでした。いつもホトトギスの方が朝は早く鳴きだしていました。
 ホトトギスが夜間鳴くのはたまたま水芭蕉沼に限ったことなのか? 夜間に鳴くことが雛が孵る前には普通であるなら、その理由は何なのでしょうか。ご存じでしたら教えていただければ幸甚です。(明日に続く)

ヤグルマソウのこと / 色々なことでの問い合わせがあるものだ…(1)

2009-06-05 05:29:57 | Weblog
(今日の写真はユキノシタ科ヤグルマソウ属の多年草「ヤグルマソウ」である。そろそろ咲き始める時季も近い。これは北海道の西南部から本州、朝鮮に分布している。)

 観賞用の園芸種である「ヤグルマソウ」を見たことのある人にとっては「今日の写真」をみて「えっ、ウソ!」と思うだろう。だが、これが「本物」の「ヤグルマソウ」なのだ。 観賞用としてポピュラーな「ヤグルマソウ」はまったく「別科別属(キク科ケンタウレア属)」の「ヤグルマギク(矢車菊)」の別名である。
 こちらの方は、観賞用として明治中期に日本に持ち込まれたらしい。花の色は青、白、鮮紅、桃、紫紅などと非常に多い。
 だが、「花名の由来」から推してとらえると、その「矢車」という形は、「深山に自生しているヤグルマソウ」がまさに適うのである。
 「ヤグルマソウ」は花よりも葉が目立つ植物だ。この葉の並び方が、5月端午の節句に揚げられる「鯉のぼり」の竿の一番上でくるくる回っている「矢車」に似ていることが花名の由来である。花名の由来を知り、一度見ると二度と忘れることが出来ない草花になる。 ブナ林などの広葉樹林域の谷筋に生育し、地下茎があるので群落を形成することが多い。初夏、深山の樹下など日のあまり当たらない湿り気のあるややうす暗いところに生える。
 特に日本海側の多雪地では一面に群生することもある。岩木山で見られるものは、この「類」が多い。「花より葉」の植物でもある。
 葉は上方向からの光をしっかりと受け止める葉の構造で、5枚の小葉からなる掌状複葉だ。1枚の葉が進化して複数の小葉となり、小葉が平面的に付くものを複葉という。小葉は長さ30cmほど、先が3~5裂し、葉の基部は「くさび形」である。根葉長は40cm、小葉の葉縁には鋸歯ある。
 このような先端に切れこみの入った大きな小葉を放射状に広げているのだ。
 「今日の写真」からも分かるように、このような先端に切れこみの入った「大きな緑色小葉」を放射状に広げているのだ。
 ところが、この「大きな緑色小葉」は、場所によっては「紫色をおびる葉」もあるのである。しかも、部分部分で混在しながら映えている場所もあるので、「群生している」中にいると、一体どこにいるのかという錯覚を起こしそうな気分になることもある。何故なのだろう。この葉の色の違いは…、「同属」として扱うべきなのか。生えている土壌の「質」の違いからくるものか、成長するに従い葉色が変化するのか、いや、これはない。とにかく、毎年、この時季になると「悩む」ことの一つになっている。
 何と、この「葉」、60数年前の戦争中、煙草の代用品としていたというから、これも驚きである。
 開花期の6~7月には、大きな5小葉を放射状に広げ、その中心から長い花茎を伸ばして茎頂に大型の「円錐状の集散花序」に白い小花を密につける。花の色は緑白色から白色に変化する。小花には花弁がなく、多数の萼からなる泡立ち草状だ。花茎の長さは100cm、花の径は6~8mmである。

     ◇◇色々なことでの問い合わせがあるものだ…(1)◇◇

 かなり前のことだが、「小説」を書いているというN氏から、今書いている小説の背景として「岩木山」を取り入れるつもりなので、「朔日山(ついたちやま)」御山参詣に関することと「石清水」について教えてほしいとの依頼があった。
 この手の「依頼や問い合わせ」は1年に数件はある。昨晩も東京のある自然保護団体からも問い合わせがあった。お門違いのことだったので「丁重」にお断りしたことは言うまでもない。
 このN氏の依頼も、本当を言えば「自分で実際御山参詣時に岩木山に来て、参加して石清水(?)に詣でる」ことが筋だろう。だけれども、そのように言って「断ること」はなかなか出来ないものだ。
 というわけで、「取り急ぎ、お尋ねの件ににつきまして、解っている範囲でお答えする」という但し書きをつけて回答することになるのである。

さて、N氏への回答である。
 Nさんへ、岩木山に関心を持っていただきまして有り難うございます。

…朔日山(ついたちやま)について
 津軽の人たちにとって岩木山は、先祖の霊が暮らし(居て)、春になると田の神や水神として里に降り、収穫が終わるとまた帰る(往来する)という「お居往来(いゆき)山」である。畏敬の念を込めて「お山」とか「お岩木山」と呼び、成人式の通過儀礼登山を含めたお山参詣が千年以上も前から続けられている。懺悔懺悔(ざんげざんげ)‥‥南無帰命頂礼(なむきみょうちょうらい)と唱和しながら旧暦8月1日(新暦の九月はじめ)に行われる「ついたち山」には前日の晩から、ご来光時間に間に合うように夜の10時頃から、近郷の村々から百沢の岩木山神社に集結していた人々は山頂をめざし、五穀豊穣、家内安全を祈願してカンナガラの大きな御幣をかざして集団で登拝する。
 この「お山参詣」(ついたち山)は、最近はスカイラインという山岳自動車道路(岩木山南面の尾根にあり標高1250mまで)を利用する登山者が全登山者の99%を占めるようになり、山麓から自力で登らなくなったという登山形態の変化と農民たちの農政による減反等の稲作農業の不振と農業全般への不信から、岩木山への古来からの信仰そのものが衰退し廃れているが、岩木山山岳信仰の一大行事である。
岩木山信仰の発祥地は、北麓の十腰内(とこしない)にある巖鬼山神社であった。下居宮(おりいのみや)と呼ばれる遥拝所から登る人たちがよく遭難するので、後にこれが百沢の岩木山神社に移され、そこが遥拝登山の中心となった。しかし、これは津軽藩の政策である。岩木山神社はいわば、公的(権力が実行・支配した)な信仰の象徴である。山頂奥宮は宝亀十一年(780)に建立されたと記されている。
                              (明日に続く)

初秋の小真弓、紅葉と果実、マユミ、ニシキギなど

2009-06-04 05:11:19 | Weblog
 (今日の写真は初秋の「コマユミ」だ。周囲の木々や草がまだ緑なのに、いち早く「紅葉」する。漆(ウルシ)や蔦漆(ツタウルシ)の紅葉も早いが、これも早い。
 だが、この写真の紅葉は「本当に始まったばかり」で、「紅」の艶やかさはまだない。果実も所々に見えるが、これも、丹色で「完熟」とはいえない。9月の上旬、小杉沢に行く途中で撮ったものだ。
その日はいい天気だった。小杉沢の「湧水」の現場に行く途中である。近くには「溜め池」があった。秋が始まったばかりで「残暑」という言葉がぴったりと合うような暑い日だった。
 こんな日には「草いきれ」という言葉も、この写真の藪を含めて、うまく当てはまる。「コマユミ」の葉だけに「秋」がやって来ていて、他の樹木や草花は、まだまだ夏の装いそのままだったのである。)

 昨日までずっと「ニシシギ科ニシシギ属」のことについて書いてきたので、今日もそのことを書くことにする。
 先ずは、ニシシギ科ニシシギ属「コマユミ(小真弓・小檀)」だ。これは落葉低木だ。樹高は2m足らずではないだろうか。これは北海道、本州、四国、九州の丘陵帯から山地帯に分布している。岩木山では中腹部の林縁から山麓部にかけて、どこでも出会える花である。
 藪の縁や林縁で他の樹木や草と混じって生えているので、その全長を目測するのが難しい。だが、数は非常に多く、どこでも簡単に目につく。特に、秋は、いち早く「紅葉」するので、とにかく「目立つ」のである。枝には「ニシキギ」のようにコルク質の翼がない。樹皮は灰褐色であり、葉は単葉で対生している。葉身は倒卵形、または長楕円形で長さは2~7cm、幅は1~3cmだ。葉の色だが、表面は緑色、裏面は淡緑色である。葉の縁には鋭くて細かい鋸歯がある。葉先は尖っている。 
 花は、集散花序を出し、「淡緑色」のものを数個つける。果実は「朔果(さくか)」(注)で、秋に橙赤色に熟し、縦に2片に裂開して朱色の仮種皮に包まれた種子をぶらさげる。
葉は紅葉した後に散るが、果実はしばらくついている。

 次はニシキギ科ニシキギ属の落葉小高木である「檀・真弓(マユミ)」だ。名前の由来は「弓を作る材料にした」ことによるものだ。
 日本各地の山野に自生していて、別に珍しい樹木ではない。樹高は、時に5mにもなるという。
 花は、「集散花序」(注2)で初夏の頃、淡緑色(または緑白色)の小花を多数つけて、下に垂れ下がる。葉は「ニシキギ」より長い「長楕円形」で無毛で対生している。「ツルウメモドキ」と同じように「雌雄異株」である。
 黒っぽく角ばった果実は、橙赤色の仮種皮に包まれて、熟すと4裂して、紅い種子をみせる。材は器具用。別名を「山錦木(ヤマニシキギ)」や「川隈葛(カワクマツヅラ)」という。「川隈葛」は「ニシキギ」や「マユミ」の異称であり、「本草和名」には「衛矛、和名加波久末都々良」とある。
 「檀の実」は秋の季語であり、「マユミ」は万葉集にも登場しているなど、古くから日本人が愛した樹木の一つである。

 最後が「ニシキギ科ニシキギ属」の「ニシキギ(錦木)」だ。「鬼箭木」や「五色木」という漢字を当てる場合もある。
 これは「コマユミ(小真弓)」の変種とされ、枝にコルク質の翼のある点が母種と異なるところだ。それ以外はすべてがそっくりである。
 私にはこの「コルク質の翼」が、何のためにあるのか、そして、どの様にして出来るものなのかなど、一切分からないのである。これは「謎」だ。樹木の「板状根」に似ていないわけではないが、どうもそれとも違うらしい。
 これは一体何なのだろう。不思議である。何か利益があるのだろうか。枝の強度(剛性)を増す役目なのだろうか。「丸い」枝や茎よりは「四角」のものには剛性があるといわれているから、そのためなのだろうか。
 「コルク」は細胞壁が厚くなった死細胞だ。多孔質で、脂肪を含んでいて、水などの通過を阻害する。このような「コルクの性質」がどのような役目を担っているのだろう。それとも単なる「添え物」で副産物的存在なのだろうか。

 ちょうど今頃の初夏、黄緑色を帯びた小花を多数咲かせる。果実は朔果で、晩秋に熟し、裂けて橙紅色の種子を見せる。
 紅葉も美しく、観賞用として庭などに植えられていることがある。材は細工用として使われるという。
 俳句の世界では「錦木紅葉(にしきぎもみじ)」などと呼ばれて、「秋」の季語にもなっている。色づいた紅い「葉」が際立って美しいので、秋の季語とされたのだろう。
 俳句を数句調べてみたが、この「葉」や「実」を句題にしたもの以外は見つからなかった。次に示す2句も初夏に咲く「花」が主題ではない。

・錦木のつめたき色となりにけり (田正子)
・池の辺のことに錦木紅葉かな (山崎ひさを)

 蛇足だろうが、可愛らしい「ニシキギ」の果実であるが、決して食べてはいけない。「種」や「果実」を食べると、吐き気や下痢、腹痛を起こすことがあるからである。

(注1)「朔果(さくか)」:
 熟すと果皮が裂開する果実。2枚以上の心皮(しんぴ)「花の各要素は葉の変形と考えられ、雌しべを構成する葉をいう」が合成した果実で、成熟すると乾き、各室ごとに縦列して種子を散らす果実。
(注2)「集散花序(しゅうさんかじょ)」:
 花序の上位の花から開きはじめ、しだいに側枝の花が開くもの。最初の軸の頂端は花で終わり、つぎにその横からでた枝の先もまた花で終わり、これを繰り返す花序。

  今日で「ニシキギ科ツルウメモドキ属ツルウメモドキ」に始まった「ニシキギ科」の花を終わる。あれこれと調べているうちに、人さまの殆どが、これらの「花」に関心を示さず、専ら花後の「果実」や「その付き方と風姿」にばかり、思い入れが強いことを知った。
 これでは、片手落ちというものだ。樹木も草花も「部分」や「個別」だけをとらえるものではないだろう。自然の中にある「総体」をとらえるべきであろう。
 そんな思いに駆られて、以上のようなことを書き連ねたのである。

総じて「ニシキギ科の花」は人の「感性」を刺激しない。刺激するのは秋の「紅葉」と「果実」だ。

2009-06-03 05:19:31 | Weblog
 (今日の写真はニシキギ科ニシキギ属の落葉低木である「クロツリバナ(黒または紫吊花)」だ。同じ「ニシキギ科」の花は、ちいさくて、緑色系で葉などに紛れて、実に目立たないのに、この「クロツリバナ」だけは異彩を放って咲いている。
 だが、別によく「目立つ」という意味ではない。はっきり言うと目につきにくい花だ。竹や小低木の藪の中の、見えないようなところに生えているからである。
 だが、一旦「目に留まる」と別名の「ムラサキツリバナ(紫吊り花)」が名もって示すように「異彩」を放つのだ。それは「奥ゆかしく美しい」、また「高貴」という修飾がぴったりな趣なのである。)

 他の「ニシキギ科」の仲間とは明らかな違いがある。それは花の色が「紫系」であるだけではない。それは「亜高山帯の薄暗い林下や遅くまで雪の残る低木林の下や藪中、しかも、岩の多い場所などに生える」という点である。生えている高度が違う。また、生えている場所や地質にも違いがあるのだ。

 「クロツリバナ」の分布は北海道から本州の中部以北である。樹高は2~3mで、若い枝は緑色で古い枝は灰色になる。
 花は黒(または暗)紫色で、萼片、花弁ともに5個。花は直径約8mmだ。花はこれから7月にかけて咲き出して、枝先に花序をつくり垂れ下がる。
 膨らんだようにしわのある葉は、縁に鋸歯を持っていて、その葉のつけ根から4㎝ほどの細い柄を出し、数個の暗紫色の花を咲かせる。薄暗い場所では「紫色」に見える。果実は鎌形をした3つの翼を持っているのが特徴だ。
 花名の由来は、花の色が黒く見えることと花や実が垂れ下がって「吊り下がって」いることによるものだ。

 私はこの「クロツリバナ」との最初の出会いを「葉陰で暗紫色と透明に舞う振り子たち」という印象でとらえている。その出会いは次のようなものだった。

…長平登山道の松代分岐点から山頂へ至る道は傾斜がきつく、しかも、岩が連なり雪解けの遅い夏は沢の様相を見せている。朝早くは、苔むした岩肌を露わにしているが、気温が上がると、水が流れ出し急峻な沢に変貌する。
 標高1430m付近に大きな雪田(せつでん)があって、解けだした水が流れ落ちているからだ。私はそこを「長平のテラス」と呼んでいるが「西法寺平」と呼ぶ人もいる。
 思いがけない流水と戦いながら、沢登りを「満喫」してようやく、テラスに辿り着いた。 そこからは、見晴らしが利く。振り返ると七里長浜、十三湖、遠く海上には大島・小島が見える。だが、予定より遅れていた。急ごう。
 標高が上がると木々や籔の丈が低くなる。残雪は籔や低木帯を穿(うが)っている道を埋めていることが多い。
 焦りがあるといいことはない。道のつもりで入り込んだ所は枯れた沢だった。捻(ねじ)れた「ダケカンバ」を跨いだりもぐったり、「ハリブキ」の針に悩ませられながら右へ左へと登って道を探した。
 右手前方の薄暗がりの籔に斜めに陽光が射し込んでいてそこだけが明るい。その中に「紫」というか「臙脂」というか、そんな色の小花が動いた。
 葉陰の緑空では暗紫色、直射の青空では透明感のある紫を纏い舞い揺れる振り子「クロツリバナ」だった。彼女たちの舞う直下、つまり、根曲がり竹と小低木が両側から覆い被さっているところが道だったのだ。
 何回か振り向き、ツリバナの余韻を道の空間に楽しみながら視線を足許に落として急ぐ。道はぐんぐん傾斜を強め、所によっては足許と手許の間隔がないほどに縮まる。「クロツリバナ」はこのような急峻で岩混じりの藪の中にひっそりと咲いているのだ…。
<注>
「雪田」とは、雪渓や積雪が地形の関係で遅くまで残っていて田圃のような形になっている場所のこと。

 「ニシキギ科の花」は普通、人の「感性」を刺激しない。しかし、この「クロツリバナ」だけはその範疇に入らない。感性を強く刺激して、1回出会ったら「忘れる」ことが出来ない花となる。
 登山口からとことこと登り、頂上が間もなくという「1400m」以上の高みでないと出会えないということももちろんある。さらには余程の「偶然」でもなければ「出会えない」という事情も、私たちの「感性」を鼓舞するのかも知れない。
 だが、他の「ニシキギ科」の仲間のように、「果実をつけた枝振り」という風姿が珍重されるということは全くない。それに、「ツルウメモドキ」のように、冬場に「果実の色彩」を雪上に散らしていることもない。
 育っている場所は、冬は強風に厳寒だ。風に飛ばされて、秋早くに落下してしまう。それに氷化した積雪に覆われているので「果実」など見えようがないのである。

 ところが、普通のニシシギ科ニシシギ属の落葉低木である「ツリバナ」は、やはり「果実も長い柄にぶら下がり、秋に割れて中から真っ赤な種子が顔を出して可愛く美しい。秋の色づいた紅葉も美しい」という評価となり、秋の果実と葉、それに「枝振り」が重宝がられるのだ。だが、花に対する「いい評価」は先ずない。
 「ツリバナ」は北海道、本州、四国、九州の暖温帯の中部から上部にかけての落葉広葉樹林帯に生育している。谷筋に多く、やや水分要求性が高い植物である。
 葉は対生し、卵形から長楕円形で先端は長く尾状に伸びて尖る。冬芽が細長く尖るのも本種の特徴だ。開花は5 月から6月にかけてである。長い花柄のある花序が特徴で、これが花名の由来となっている。
 長い花柄が更に分岐し、多くの花がぶら下がって咲く。花は直径1.5cmほどで、黄緑色で微かに紫色を帯びている。
 花盤の中央に「雌しべ」が埋没して柱頭だけがわずかに、顔を出している。「雄しべ」も花盤の中に埋もれ、頭だけが出ている。何ともはや、「扁平」感の強い花姿であることか。だが、長い花柄でぶら下がっていることで、なんとなく釣り合う風情を出しているところが面白いだろう。

再び、いや四たび目の「蔓梅擬」についての話し

2009-06-02 04:46:51 | Weblog
(今日の写真も「ツルウメモドキ」の花である。ただし、今日のものは「雌花」だ。雌花の花弁は淡緑色で、長さが約2.5mmと非常に小さい。雌しべの柱頭も見える。下部の花盤の周囲には5本の雄しべとその葯も見える。)
 この小さい花が、しかも「淡緑色」の花が、秋になると小さな「柿」そっくりの実になり、やがて割れて内部の「赤みがかった橙色」の果実を見せるのだ。まさに、造化の妙だ。
 また、大きな葉ではないか。この葉が「ウメモドキ」に似ているというのだが、果たしてどうなのだろう。濃緑というよりは、こちらもまだ「初々しさ」を残す萌葱の色だ。夏の始まりを告げる色でもある。
 「ウメモドキ」はモチノキ科モチノキ属の落葉小低木だ。「本州、四国、九州に分布し、湿原の周辺などの湿った場所に生育することが多い」とされているが、私は岩木山でまだお目にかかっていない。
 葉には縁に小さな尖った鋸歯があるのが特徴の1つだから、いつ出会っても直ぐ分かりそうなのだが、未だに出会いはない。
 「ツルウメモドキ」と同じように雌雄異株で、雌株は秋に美しい赤い実をつける。しかし、「柿」のような風情はない。11月の初めまでは葉も残るが、11月の終わりには落葉して果実だけが枝を飾っている。その枝の様子も繊細で、最高級の花材として「生け花」にはよく使われる。この点も「ツルウメモドキ」と同じだ。

 この写真を撮った辺りには数本の「ツルウメモドキ」が生えている。ただし、見た目には「数本」であることがはっきりと分からない。
 何故かというと「蔓」性であるがゆえに絡み合っていて、1本の木から出た蔓や枝が相対をなしているからである。つまり、そこだけが「ツルウメモドキ」の叢林をなしているのだ。しかも、それに、ヤマブドウが絡まり、その奥には太めの「オンコ(一位)」の木までが生えているのだ。
 だから、一層、「ツルウメモドキ」の本数を数えることも、株立ちを区別することも難しくなるのである。
 幸い、ここ数年、この場所で秋や冬に「ツルウメモドキの果実」を確認しているので、「この辺りに実があったので、この辺りのものは雌株だ」「この辺にはまったく実がなかったので、この株は雄だ」という判断が出来た。その判断を記憶に辿って、「雌花」と「雄花」を区別して写したのである。
 昨日も書いたが、雌しべの柱頭が3つに分かれているということまでは「写し取る」ことは出来なかった、大きな「柱頭」を見せているのが「雌しべ」であるということは容易に分かったのである。だが、それにしても、何と煩わしいことだろう。これだけ、「似ている」と「区別」することが難しすぎる。
 「花」の世界は複雑なのか、単純なのかさっぱり分からなくなってしまうのだ。バラ科のリンゴのように「雌雄同株」で、一輪の花が「雌しべと雄しべ」を備えているのならば、このような面倒はない。「リンゴの花」という1語句で表現が可能である。だが、雌雄異株の場合は、「これは雌花」「それは雄花」ということになる。植物の進化の過程からすれば、どっちが「進化」した機能なのだろうか。

 桜の「ソメイヨシノ」もリンゴと同じ花のつくりをしている。上から見ると雌しべも雄しべも、葯もよく見える。もちろん、花柱の柱頭も見える。下から覗くと花柄も萼も萼筒もしっかりと見える。花弁(花びら)も5枚ちゃんとある。
 萼筒を縦に切って、その中を覗くと花糸や花柱、それに子房もよく見える。立派な「両性」を備えた花である。だが、ソメイヨシノの子房(通常、種を作る部位)には子孫を残す機能がない。
 見かけは「立派な花」なのに、これでは「仮装の飾り花」であり、「本物」の花ではない。「見られるだけ」の花だから、これでいいのかも知れない。それにしても、何という罪作りなことを、人間はしたものだろう。自分で「子孫を作れず、子孫を残すことも出来ない」となれば、もはや、生物体として破滅ではないか。
 これは「クローン植物」なので、「自然繁殖」が出来ない。「接ぎ木など人の手を介し」て繁殖するしかない樹木なのである。この「ソメイヨシノ」などは「進化のプロセス」にない植物ということになるのだろうか。

 「雌雄異株」と言われていて、春一番に林床に咲き出す「ナニワズ」の花は、もっと「変」である。 
 雌雄異株だそうだが、「解剖」してみると、明らかに上下2段に4個ずつ配列した計8個の雄しべの他に、立派な雌しべが見えるのだ。
 このように両性備えながら、雌雄異株といわれるのは、「実のなる木と実のならない木」があるからなのだそうだ。
 また、雄花では、萼筒が長く、雄しべの葯の下(奥の方)に雌しべの柱頭があるので、 昆虫がよほど奥まで入らないと受粉ができないように思える。そういう構造から言えば、雄花には種子ができにくいと考えられる。しかし、葯からこぼれた花粉が柱頭に付いているのを確認出来るので種子ができる可能性もある。
 何らかの不和合性によって種子ができない仕組みを持つことも十分考えられるだろう。
「日本の野生植物・木本Ⅱ・平凡社」には、「はっきりしない雌雄異株」という表現があるそうだ。これは「見かけ上、花に2つの型があって、雌花型の雄しべは未発達だが、雄花型では雄しべも雌しべもしっかりしていて、一見雄花とは見えない」ということを述べているのではないだろうか。

 ところで、私たち「ヒト」科は「雄と雌」という「単性」ではっきりと「区別」されている。いってみれば、「雌雄異株」であり、「雌花と雄花」がまったく違う存在だ。これは、果たして「生物学的」に進化した結果なのだろうか。子孫を残すという「大命題」の完遂のためには、果たしていいことなのだろうか。

 「ツルウメモドキ」の花々は、私にそのような「どうにもならない」疑問をどんどんと浴びせかけるのであった。

「ツルウメモドキ(蔓梅擬き)」の雄花

2009-06-01 05:36:25 | Weblog
(今日の写真はニシキギ科ツルウメモドキ属の落葉性で蔓性植物の「ツルウメモドキ(蔓梅擬き)」の花だ。しかも「雄花」である。)

 拙著「岩木山・花の山旅(438種)」にはこの「ツルウメモドキ」は掲載されていない。仲間である「ニシキギ科」の花は数種掲載してあるが、これだけが「省かれ」ている。
 何故だろう。これに答えることは「弁解」でしかない。「岩木山の花」を主題にした「書物」に、「岩木山に生えている」にも拘わらず「省かれている」花は多い。その数は20種を越えている。この「ツルウメモドキ」もその1つだ。
 「省かれている理由」は1つには「出版後に出会った花」であること、2つには「科名・種名が不詳」であること、3つには、ただ単純に「掲載の見落とし」であることなどだが、この「ツルウメモドキ」の場合はかなり違う。
 …津軽では、これを「ヤマガキ」と呼ぶ。私は長いことそう覚えていた。だが、この呼び方は津軽地方特有のものであるらしい。緑から黄色を帯びてくる頃の果実は「柿」を思い起こさせないわけではない。
 ツルウメモドキの果実は淡い緑黄色で直径7~8mmで、割れると赤い実と黄色の「仮種皮」の絶妙なコントラストを示して美しい。実が割れて中から赤い顔を覗かせると、もはや「柿」には見えない。三つに裂けた黄色の部分が果皮で赤橙色の部分は種皮である。 コントラストが美しいので、生け花の材料として重宝され、秋から冬の最高の花材やリースに用いられるのである。
 これが、一般的な「ツルウメモドキ」に対する評価であろうし、扱い方であろう。しかし、冬山で、雪上に出ているものや「他の樹木」に絡みついて、この「絶妙なコントラスト」を見せて垂れ下がっている「ツルウメモドキ」の風姿は、一面の枯れ野と落葉樹の林縁という「寒さ」と「寂寥感溢れる」白い世界の中では、そこだけが天上の別世界、涅槃の花園か果樹園に見えるのだった。
 「厳寒と死滅の中での安息」が、私にとっては「ツルウメモドキ」の実、つまり、「ヤマガキ」だったのである。私が「ヤマガキ」を思う時、そこには「花」はなかったのである。岩木山の「冬山」に40年登り続けて体験出来た感慨である。私が「津軽」の人間であり、「ヤマガキ」を贔屓(ひいき)眼で見るというわけではない。
 私の眼中には「ツルウメモドキ」の「花」はなかったのである。「花」が主題の書物に「果実の写真」を載せることは出来なかったのだ。…

 津軽では、このように、「ツルウメモドキ」を「ヤマガキ」と呼ぶ。だが、「今日の写真」からも分かるように、この花からは「柿」を連想することは、絶対に出来ないだろう。
 「柿」の花はしっかりした「花弁」よりも大きい、しかも「果実」になっても残る萼を持っている。それらがまったく見えないのだ。葉も革質で、黄色の4弁の「雌花と雄花」をつける。雌雄同株なのだ。
「ツルウメモドキ」は雌雄異株である。花名も「枝や葉が梅に似ている」という「ウメモドキ」、それに似ていて「蔓性」植物だから「」と呼んだのだ。つまり、「モドキ」は「擬き」と書く。「偽物」のことだ。「ウメモドキ」は梅の偽物で、その偽物に似ていて蔓性だから「蔓性でウメモドキに似ている木」ということになったのである。非常に厄介な由来である。だが、由来の説明として、一応論理がとおる。
 しかし、「ヤマガキ」の方は「花や葉、枝、幹」とはまったく無縁な「名付け方」なのだ。秋になると実をつけるが、その「果実」が小さな柿の実に似ているというだけの視覚的「単純」であって、植物の分類的な理由付けはどこにもない。だが、本当に、「ツルウメモドキの実」は柿に似ている。ところが、生えている場所が「山」とは限らないこともあるので、「ヤマガキ」という呼称には「無理」がないわけではない。
 正式名「ツルウメモドキ」は「枝と葉」からの連想であり、「ヤマガキ」は単刀直入に生えている場所と果実からの連想である。
 なお、この「ヤマガキ」については今年の1月17日と18日の「ブログ」でとりあげているので、興味のある方はそちらを覗いてほしい。

 「ツルウメモドキ」の花も他の「ニシキギ科」の植物と同じように今を盛りと「花」を咲かせる時季になってきた。
 それにしても、同じ「ニシキギ科」の花はどれも非常に似ている。これには驚いてしまう。
 「ニシキギ科」は大きく分けると「ニシシギ属」と「ツルウメモドキ属」になる。
ニシキギ、コマユミ、マユミ、クロツリバナ(ムラサキツリバナ)が「ニシシギ属」であり、ツルウメモドキだけが「ツルウメモドキ属」である。
 「今日の写真」は100mmのマクロレンズで写したものだ。ツルウメモドキは落葉性の「蔓性植物」で、日本全国、朝鮮・中国に分布する雌雄異株の樹木である。
 花は非常に目立たなく、小さい上に藪に隠れるようにして咲いている。見つけようとしないと「見えない」花だろう。
 雌花の花弁は淡緑色で、長さ約2.5mm。雌しべの柱頭は3つに分かれ、下部は花盤となって、周辺に退化した雄しべがある。雄花は雌花に比べて大きく、花弁の長さは4mm。5本の雄しべがあり、中心に退化した雌しべがある。
 私の「マクロレンズ」は等倍撮影が可能なのであるが、この「マクロレンズ」で、接写しても、「雌しべ」の柱頭などはよく分からないであろう。