(今日の写真はキンポウゲ科オウレン属の多年草「ミツバオウレン(三葉黄蓮)」だ。
岩木山では亜高山帯の小樹林内の湿ったところや雪田の縁に生えている。赤倉登山道沿いでも見られるが数は少ない。
根茎を横に這わせて群生するのだが、年々その「群生」度が疎らになっているように思える。葉は常緑で根生し、長い柄を持つ3枚の小さい葉からなる複葉だ。
直径1.5㎝ほどの花を茎の先に1個上向きにつける。花弁のように見えるのはキンポウゲ科によく見られる「萼片」である。
「黄蓮」とは漢方薬となる中国産の植物だ。花名の由来は、その「オウレンに似ていて、3小葉を持つこと」による。
6日、風衝地に近い場所で、雨と風の中で「ミツバオウレン」は、花柄と茎をふるわせて咲いていた。周囲に緑の薄い「雪消え」直後の茶色の地肌には、この白い花々は特に映えるのである。
一緒に行ったHさんは、この「ミツバオウレン」の風情を含めて、雨の降る山を登ることの感慨を次の短歌にしたためてくれた。
・這い松の/枝葉に抱かれ/心足れり/山おほふ雨の/いよよ白くて
雨降りの登山というものは、出来れば避けたいものだ。雨降りよりも晴れている方が遙かに楽しい。だが、Hさんは「雨降りの中の登山」を「心足れり」とした。
満足したのである。「足れり」の「り」には「してしまった」という意味と「いまだ…している」という意味がある。
Hさんは、山から戻って来ても、その「満足感」の余韻の中にいるのである。案内した者にとって、このような「短歌」は本当に嬉しいものだ。
今日はNHK青森放送局のY報道カメラマンと同行する。花の撮影のためだ。そのうちに夕方6時台に放映される予定だ。
◇◇ Macと「Windows 7 RC版」のこと(その5)◇◇
・モバイルPentium4-3.06GHz搭載ノート『Inspiron 5150』との決別・
(承前)
…私のMac Pro「MA970J/A MacPro 2.8GHz Quad Xeon x2 16G/320G/SD/GF8800GT 」にはMicrosoftの「Office:mac2008」をインストールしていた。これには「Word」「Excel」「Power point」が含まれている。「ワードプロセッサー」としては「ATOK2008」を容れてあった。
「Windows XP Pro 64bit版」には「一太郎」の他に「Word2003」を容れていた。だから、「Excel」や「Power point」で作られたファイルは「Windows XP」では直接開くことは出来なかった。
「Justsystem」の「アグリー」で「変換」機能を使うと開くことは可能だが、面倒くさいので、メールなどで送られてくるそれらのファイルは専ら「Mac Pro」で開いていたのである。私は「Office:mac2008」の使い方に慣れていたのだ。
私はその中でも、特に「Power Point」に魅力を感じていた。時々、それでプレゼンテーションのファイルを作ったこともあったが、何しろ「Inspiron5150」では扱えなかった。Windows用の「Powerpoint」がインストールされてないのだから、当然なのである。「Justsystem」のもので変換は出来たが、操作性が今一であったのでそれは使わなかった。
ある市民講座に参加した時、講師が使っていたのが「Power Point」だった。講師とは知り合いだったので、その「ファイル」をコピーしてもらい譲り受けて、それを「Mac Pro」で再生して、再学習もした。別な講演会でも、「Apple」のノートパソコンと「Power Point」が大活躍していたのである。
それまで、私は「Inspiron 5150」にインストールしてある「一太郎」一筋で頑張ってきたのだが、そんな私にはすべてが「目から鱗」であった。
今年に入って私は、重い上に、動きも「重い」「Inspiron5150」を軽い「Apple」のノートパソコンに換えることを決意していた。
ちょうど、そのような時に「Windows 7β版」が登場したのであった。そして、さらに、4月に入って「Windows 7 RC版」が出現したのだ。
「Windows 7 」の「すごさ」についてはすでに書いたが、この使い心地は遙かに「Mac Pro」を凌ぐものだった。私は「Mac Pro」を所持している必要性を見いだせなくなっていた。
私がコンピュータに求める機能は「自作PC」と「Windows7」で十分賄われる。それだけではない。おつりが来るようなものだ。
メールの送信と受信、それに「インターネット」の閲覧だけのための「Mac Pro」は要らない。この「Mac Pro」を下取りにして、「Inspiron5150」に換えて「コンパクト」な「Apple」のノートパソコンにしよう。
「Apple」の「製品」には、まさに「身勝手さ」と思えるようなものがある。これは「オリジナリティ(独創性)」といえないこともないが、その一つが「MB572Z/A Apple Mini DisplayPort-VGA」である。
これは「MacBook」と「プロジェクタ」を接続するケーブルアダプタのことだ。一般的な「VGA」か「DVI」端子に何故してくれないのか。これがないと「MacBook」とどのような「プロジェクタ」とも接続は不可能なのである。
そのことに気づいて「MacBook」と一緒に注文したので、その週の講座で使用出来たが、そのまま気づかないでいると「講座」での使用は1週間遅れたのである。
岩木山では亜高山帯の小樹林内の湿ったところや雪田の縁に生えている。赤倉登山道沿いでも見られるが数は少ない。
根茎を横に這わせて群生するのだが、年々その「群生」度が疎らになっているように思える。葉は常緑で根生し、長い柄を持つ3枚の小さい葉からなる複葉だ。
直径1.5㎝ほどの花を茎の先に1個上向きにつける。花弁のように見えるのはキンポウゲ科によく見られる「萼片」である。
「黄蓮」とは漢方薬となる中国産の植物だ。花名の由来は、その「オウレンに似ていて、3小葉を持つこと」による。
6日、風衝地に近い場所で、雨と風の中で「ミツバオウレン」は、花柄と茎をふるわせて咲いていた。周囲に緑の薄い「雪消え」直後の茶色の地肌には、この白い花々は特に映えるのである。
一緒に行ったHさんは、この「ミツバオウレン」の風情を含めて、雨の降る山を登ることの感慨を次の短歌にしたためてくれた。
・這い松の/枝葉に抱かれ/心足れり/山おほふ雨の/いよよ白くて
雨降りの登山というものは、出来れば避けたいものだ。雨降りよりも晴れている方が遙かに楽しい。だが、Hさんは「雨降りの中の登山」を「心足れり」とした。
満足したのである。「足れり」の「り」には「してしまった」という意味と「いまだ…している」という意味がある。
Hさんは、山から戻って来ても、その「満足感」の余韻の中にいるのである。案内した者にとって、このような「短歌」は本当に嬉しいものだ。
今日はNHK青森放送局のY報道カメラマンと同行する。花の撮影のためだ。そのうちに夕方6時台に放映される予定だ。
◇◇ Macと「Windows 7 RC版」のこと(その5)◇◇
・モバイルPentium4-3.06GHz搭載ノート『Inspiron 5150』との決別・
(承前)
…私のMac Pro「MA970J/A MacPro 2.8GHz Quad Xeon x2 16G/320G/SD/GF8800GT 」にはMicrosoftの「Office:mac2008」をインストールしていた。これには「Word」「Excel」「Power point」が含まれている。「ワードプロセッサー」としては「ATOK2008」を容れてあった。
「Windows XP Pro 64bit版」には「一太郎」の他に「Word2003」を容れていた。だから、「Excel」や「Power point」で作られたファイルは「Windows XP」では直接開くことは出来なかった。
「Justsystem」の「アグリー」で「変換」機能を使うと開くことは可能だが、面倒くさいので、メールなどで送られてくるそれらのファイルは専ら「Mac Pro」で開いていたのである。私は「Office:mac2008」の使い方に慣れていたのだ。
私はその中でも、特に「Power Point」に魅力を感じていた。時々、それでプレゼンテーションのファイルを作ったこともあったが、何しろ「Inspiron5150」では扱えなかった。Windows用の「Powerpoint」がインストールされてないのだから、当然なのである。「Justsystem」のもので変換は出来たが、操作性が今一であったのでそれは使わなかった。
ある市民講座に参加した時、講師が使っていたのが「Power Point」だった。講師とは知り合いだったので、その「ファイル」をコピーしてもらい譲り受けて、それを「Mac Pro」で再生して、再学習もした。別な講演会でも、「Apple」のノートパソコンと「Power Point」が大活躍していたのである。
それまで、私は「Inspiron 5150」にインストールしてある「一太郎」一筋で頑張ってきたのだが、そんな私にはすべてが「目から鱗」であった。
今年に入って私は、重い上に、動きも「重い」「Inspiron5150」を軽い「Apple」のノートパソコンに換えることを決意していた。
ちょうど、そのような時に「Windows 7β版」が登場したのであった。そして、さらに、4月に入って「Windows 7 RC版」が出現したのだ。
「Windows 7 」の「すごさ」についてはすでに書いたが、この使い心地は遙かに「Mac Pro」を凌ぐものだった。私は「Mac Pro」を所持している必要性を見いだせなくなっていた。
私がコンピュータに求める機能は「自作PC」と「Windows7」で十分賄われる。それだけではない。おつりが来るようなものだ。
メールの送信と受信、それに「インターネット」の閲覧だけのための「Mac Pro」は要らない。この「Mac Pro」を下取りにして、「Inspiron5150」に換えて「コンパクト」な「Apple」のノートパソコンにしよう。
「Apple」の「製品」には、まさに「身勝手さ」と思えるようなものがある。これは「オリジナリティ(独創性)」といえないこともないが、その一つが「MB572Z/A Apple Mini DisplayPort-VGA」である。
これは「MacBook」と「プロジェクタ」を接続するケーブルアダプタのことだ。一般的な「VGA」か「DVI」端子に何故してくれないのか。これがないと「MacBook」とどのような「プロジェクタ」とも接続は不可能なのである。
そのことに気づいて「MacBook」と一緒に注文したので、その週の講座で使用出来たが、そのまま気づかないでいると「講座」での使用は1週間遅れたのである。