岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

真冬でも、偶に岩木山は「晴れ姿」を見せる。 / 歩くこと、走ることの話し、あれこれ(2)

2008-01-31 07:10:12 | Weblog
(今日の写真はある年の1月上旬に「岳登山道尾根上部」で写したものだ。
 この山行は「テント」泊であった。前の日に「スカイラインターミナル」まで登って来て、風を避けて「建物」の後ろにテントを張って泊まったのである。
 まさかこんなにいい天気になろうとは思わなかった。40年以上岩木山の「冬山」登山を続けているが、このような「好天」に出会うことはまず、「稀」である。
 気温は確かに低かった。氷点下25℃以下だったろうか。降雪は思ったよりも少なく、「テント」は雪に埋まるようなこともなく、寒さを除けば「登山コンデション」はこれも悪くはない。
 明るくなるのに併せて、軽く朝食を済ませて、「ワカン」を着けて山頂を目指す。テントはそのままにしておく。ただし、背負うザックの中身は「幕営」用のもの以外すべてである。昨日よりは「テント」分だけ軽くなったという感じだ。
 まだ薄暗い。しかし、吹雪でもなく、雲があるわけでもないので「視界」は利く。
 ふと前方を仰いだら、山頂だけが「白く」輝いて見えた。お日様が昇ってきたのだ。登山ルートは岩木山の南西上部なので、東から登る太陽の光を浴びる時間が遅い。だから、「輝き」からはまだ取り残されている。
 次第に山頂部全体に「輝き」が広がり、山頂鞍部から漏れた、その光の「線条」は、赤沢対岸の「西法寺森」の頂を照らし出した。
 すべて「真っ白な世界」が、「群青色」の世界に変わる。気温と太陽光のプリズムと屈折が生み出す妖しい世界である。
 このような色彩に包まれることは「里」での生活ではあり得ないことだろう。
 次第に太陽が高く昇り、岩木山の全体を光で包み込むと、晴れている時ほど「岩木山」は野暮な白一色の世界に変わる。それは、陰影と微妙な色彩変化に乏しい世界でもある。
 晴れはいい。だが、吹雪や視界のよくない岩木山も、その意味では「いいもの」である。)

    ■■ 歩くこと、走ることにまつわる話し、あれこれ(2)■■

 「行く手を塞(ふさ)いでいるもの」、それは「歩道」に駐車している「自動車」である。
 最近は「歩道」に「駐輪」してある「自転車」が問題になっていて、法的な処置も厳しいものになるらしいのだが、その「自転車」ではない。れっきとした「自動車」なのである。
 「自動車の歩道占拠」は何も今に始まったことではない。
私は退職するまで市内のM高校に13年間通った。夏場は自転車、冬場は道路事情によって「歩行」と「走行」のいずれかに、または、その「二つ」のコンビネーションを実行していた。 
 「自動車の歩道占拠」は通年に渡って見られるものである。夏場は「何とか避けて」通ることが出来るのだが、これは、まさに「命がけ」である。それは歩行者である私に「車道」に飛び出すことをうながすものだからだ。

 「歩道」に「縦」に駐車してある場合は、車道に飛び出す範囲は狭くなるので「走行車両」との接触は「僅差」で済む。だからといって「撥ねられない」という保障がある訳ではない。
 この歩道に「縦」に駐車しているものの中で、「自動車」の「鼻先」を、私が歩いている「歩道」の進行方向に「向けて」いるものがある。これは、「自動車」からすると道路の右側に、つまり、「進行方向の右側に駐車している」ことになる。これは明らかに「道路交通法」違反だろう。歩道に駐車していることも入れると「二重」に違反行為をしていることになるのではないか。

  ただし、このような「駐車違反」は「歩道」に「横向き」に駐車している自動車より歩行者に「優しい」。これは皮肉だ。
 冬場の日暮れは早い。帰宅時の午後5~6時になると、最早「真っ暗」となる。その中で歩道を歩く。
 前方に何もない「つもり」で歩いて行く。ところがである。突然、この縦向きや横向きに「駐車」している「自動車」を発見する。速歩の場合は直ぐには停止出来ない。「ガツン」とか「ガチン」とぶつかってしまう。
 思わず「向こう脛」を自動車の前部バンパーや後部バンパーに強く打ち付ける。これは痛い。何ていったって「弁慶の泣き所」と言われるくらいだがら「大変」な痛さなのだ。 その痛さを堪えて、「車道」に飛び出し、我が身を自動車との衝突という危険にさらしながら、先を急ぐのだ。
 このような経験を何回か重ねるうちに、「弁慶の泣き所」をバンパーにぶっつけない方法を習得してしまった。経験はやはり、何とかの母である。
 それは、ぶつかる瞬間に自動車のボンネットに手をついて「自分の体を浮かせ」すぐさま「両足を後ろに蹴り上げる」体勢を作るということだ。
 だが、これは「横向き」駐車の自動車や「ボックス型」の自動車では、出来ないことだった。相変わらず、「向こう脛」強打の痛みと戦いながら、私は歩いていた。そして、今も歩いている。
 さて、「横向き」に駐車されるとどうなるのだろう。歩行者の私は、大きく「車道」に飛び出すことで、ようやく「前に進むこと」が許されるのだ。しかし、それは真っ正面から対向してくる「自動車」との接触や衝突の機会が大幅に増えるということだ。
 これだと、命がいくつあっても足りない。日本という国の「陸上交通体系」には「歩行」という交通方法が入っていないのではないかとさえ思ってしまうのだ。(この稿は明日に続く。)

今日は公開講座、「岩木山の気象」。詳細は昨日のブログを / 歩くこと、走ることの話し、あれこれ(1)

2008-01-30 05:57:13 | Weblog
(今日の写真は岩木山の西の麓、松代地区から写したものだ。今日もまた、「青森県自然観察指導員連絡会(通称:ウオッチング青森)」弘前地区の公開学習会に関係したものになった。
 ※ 公開学習会「岩木山の気象」は、本日19時から、桜大通り「弘前市市民参画センター3F」 ※
 岩木山を西から見ると決して「単独峰」は見えない。北から大鳴沢右岸稜線の烏帽子岳、赤倉御殿ピーク、巌鬼山、岩木山中央火口丘(山頂)、鳥海山南稜と南南西の方角に緩やかな弧を描いて峰や稜線が続いている。
 その上、西側山麓中部には笹森山、黒森山、若木森、二ツ森などの寄生火山が北から南へと連なっている。これはまさに、山による壁であり、二重になって立ちはだかる衝立であり、屏風である。この構造を如実に示すものが今日の写真だろう。この構造は、北から南に縦断している山脈である「八甲田連山」と同じなのだ。
 「寒気を伴い、日本海の水蒸気で湿った暖気をたくさん集めている北西の季節風」は「北から南に縦断している」寄生火山の連山や岩木山に、つまり、「衝立」にぶつかる。
 そこでまず、重い湿った「雪」を降らせる。稜線を越えた雪は「稜線の東面や南面、それに南東面」に吹き溜まる。
 よって、岩木山から7~8km離れた弘前の西側や北東寄りの地区では、「季節風の吹き出し」による「降雪」は少なくなるのだ。

 一方で、この「構造」は岩木山の日本海側を進む台風の「衝立」効果としても役に立つのである。弘前市の「西側」または「北側」を「台風の中心」が通過すると、風向は「東→南→西」と時計回りに変化する。
 東から吹き込む風は、弘前市の「西側」に屹立している岩木山によって風流が堰き止められる。西からの風は東に、「衝立」として構えている「岩木山連山」によって遮られて、弘前市に吹き込む風は弱いのである。)

    ■■ 歩くこと、走ることにまつわる話し、あれこれ(1)■■

 私の、この時季、積雪期の「散歩」コースは、田町の自宅から国道のバイパスを通り、平川の橋を渡り、藤崎十文字まで行って帰ってくるという「往復約12km」である。
 「散歩」と書いたが、「気晴らしや健康のために、ぶらぶら歩くこと。散策。」という字義どおりのものではない。
 私の「徒歩」速度は時速「6km」である。そのように決めているから、電柱と電柱の間の距離とかがいつも同じ時間になるようにとか、10分間に1km進むとかいう「自分なりの基準・決まり」に気を配り、守りながら歩いている。
 冬場は「積雪」のために「歩道」が確保されていないから、先述のコースが殆どだが、夏場は主に、旧和徳地区の「大久保、津賀野、百田」の西側に広がる「田んぼ」の農道を歩く。自動車の危険を避けるための「神経」を余り使いたくないからだ。  それから、「加藤川」沿いに「平川」に出て、その左岸を進み、「岩木川」を渡って、今度は「岩木川の堤防の道」を歩く。
 そして、城北大橋の袂に出て、それを渡り、向外瀬から宮園地区を通って帰ってくる。これで、約3時間、18kmの距離になる。
 堤防の道には「里程標」が200mおきに設置されているので、それに合わせて「スピード」を調整することが出来るのだ。この「里程標」は平川にも、土淵川にも設置されているので、コースを違えて「平川、土淵川」沿いを歩いたり、「走ったり」する時には利用している。

 冬場は道の確保が困難なので、距離を長くすることが出来ない。つまり、「エネルギーを消費」することが出来ない。それを補うために、「重いもの」を背負うことにしている。
 そのために、退職する前は、「5kgの鉄亜鈴」2個をザックに入れて背負って歩いたものだ。10kg以上の重量のザックを背負いながら歩いていたのである。
 しかし、退職後は、2kg減らして「4kgの鉄亜鈴」2個「8kg」を小型ザックに入れて歩いている。ただ、「道路事情」がよくて「長い距離」の歩行が出来る場合は、「4kg」になったりする。
 「自宅から国道のバイパスを通り、藤崎」までの、歩行者にとっての「道路事情」は悪くはない。歩道の除雪は国土交通省が「ロータリー式除雪機」できれいにやってくれているので、「安心」して歩くことが出来る。だが、時々「除雪する前」に歩くことがあり、「ワカン」が恋しくなることもある。
 2、3日前には、歩いている時に私の進む方向から「ロータリー式除雪車」がやって来た。雪が飛ばされない脇によけて、行き過ぎるのを待っていたら、運転している人が、窓を開けて、「どうも申し訳ありません。有り難うございます。」と言いながら、手を挙げて合図を送ってくれた。
 何だかとても嬉しい気分になり、思わず、こちらも挙手で応えて「ご苦労さまです」と言ってしまった。
 …ところがである。その除雪された「歩道」を我が物顔で占拠し、歩行者の行く手を塞いでいるものがあるのだ。(この稿は明日に続く。)

公開学習会「八甲田山と岩木山の位置関係から気象を考える」 / 地球温暖化を防ぐには…

2008-01-29 06:10:09 | Weblog
( 陸奥新報で既に「お知らせ」として掲載されたようだが、明日は「青森県自然観察指導員連絡会(通称:ウオッチング青森)」弘前地区の公開学習会である。テーマは総じて言えば「八甲田山と岩木山の位置関係から気象を考える」である。学習会の概要は次に掲示する。
 ●場 所:  弘前参画センター(桜大通り交番となり)
 ●時 間:  19時から20時30分まで
 ●参加資格: 別にない。興味のある人はどなたでも参加出来る。
 ●参加料:  もちろん無料。
 ●持参するもの:筆記用具など。

■■ 学習テーマ ■■

Ⅰ.八甲田山地の津軽地方への「恵み」と岩木山と白神山地(県境の山塊)の恵み
◆ 八甲田山地 ◆
■1.積雪(湧水・雨水)による水源効果“水がめ”。 
 「十和田(とわだ)信仰」
■2.八甲田山地は津軽地方を「凶作と餓死」から救ってきた。
■3.八甲田山地の太平洋側を進む台風の衝立効果。
■4.青森市(浪岡地区を含む)ではなぜ降雪量が多いのか。
◆ 岩木山と白神山地と県境の山塊◆
■1.これらはすべて“水がめ”積雪(湧水・雨水)による水源効果。
■2.岩木山の日本海側を進む台風の「衝立」効果。
■3.冬季、大陸からの寒気をともなう季節風の「衝立」効果。
■4.岩木山の南東面から東面にかけての弘前市周辺の降雪量を少なくする効果。

Ⅱ.岩木山の気象(その概要)
Ⅲ.岩木山の雪崩について
Ⅳ.雪形について   
      ◆◆ 岩木山の気象に関するプロジェクター画像資料 ◆◆
1.青森県地図 2.青森県の山脈 3.八甲田山周辺衛星写真 4.山背による雲(大岳)5.大岳の西側津軽は晴れ 6.岩木山全図1 7.岩木山全図2 8.岩木山周辺衛星斜写真 9.~18.岩木山の気象(積雪)19.岩木山の雪崩(99年のもの) 20.~36.これまで確認した岩木山の雪崩 37.岩木山雪崩発生地図 38.雪形を見せる岩木山 39.岩木山の雪形名 40.~48.岩木山の雪形の変遷 

 …ということで、今日の写真は1997年8月に写した「北八甲田山稜」によって止められている東からの山背(冷たい雲)である。これを「山背」の説明に使用する。
 この雲の下が大岳である。見えている山並みは左から「乗鞍岳」「猿倉岳「駒ヶ嶺」「櫛ヶ峰」「下岳」だ。
 北八甲田連山を境にして、南部地方は「山背」に覆われて気温は上がらず、10℃以下になることもある。しかし、津軽地方は晴れて、気温も30℃を越える。
 どうぞ、学習会にお出で下さい。お待ちします。)

     ■■ 地球温暖化を本気で心配しているものの独り言 ■■

「地産地消」はエコロジー(ecology)でエコノミー(economy)、ダブルで「エコ(eco)」なのだ。

 まずは、どうして「エコロジー(ecology)」なのかを考える。それは、「エコ(eco)」的な発想や思想には「生態学」的な要素にそったものだからである。
 地元の「環境」に合わせて、つまり、「自然生態学」的な諸要素や現象を減少させたり増殖させたり、改変したりしないで「地元で生産」するということである。これだと自然破壊にはならないし、「環境保護」にもなるというわけだ。
 それでは、「エコノミー」的側面は何だろう。この「エコノミー(economy)」には「節約」という意味がある。「」を遂行すると、「地球温暖化を防ぐ」ための何かを「節約」出来るのである。「節約」とはもちろん「お金」をかけないということ、つまり、「品物」の値段に含まれている「CO2」の要素を減らし、かつ、購入代金も減ずるという二重の「節約」につながるのである。
 季節、季節の「野菜や果物」は「その季節に食べる」ことにする。スイカを真冬に食べることを望むのは「自然の摂理」に適っていない。それは無理というものだ。無理をとおすから、そこに「無駄」が生まれる。その「無駄」を省くことが「エコノミー」なのである。しかも、これは「エコロジー」にもつながっていく。
 地場の「季節に適ったもの」を、その季節に「旬」を味わいながら食べると、真冬に野菜や果物を育てる「ビニール製のハウス」なども必要ではない。
 「ビニールハウス」の暖房には「灯油」が必要だ。この灯油は「化石燃料」が原料だ。『「化石燃料」とは、昔々のその昔に、「地球自身」が「自分にとって望ましい気象環境」を整えるために、「地下深く」埋蔵・封印したものである』と私はとらえているのだが、どうだろうか。 
「灯油」を私たちの日常生活以外の「暖房」用として使用することは、これまた、「大気中」の「CO2」を増やすことになる。
 「地場」以外から「商品」として「野菜や果物、鮮魚」などを購入するためには、その
「輸送や交通」に「ガソリン」を大量に消費することになる。これが「輸送費」となって価格に組み込まれ「購入代金」をつり上げる。一方では大気中への「CO2」の排出を増大させていくのである。この構図は「野菜や果物、鮮魚」だけの「流通」に見られるものではなく、すべての「商品」に該当するものだろう。「通信販売」などはその好例であるような気がする。
 以上が『「地産地消」はエコロジー(ecology)でエコノミー(economy)、ダブルで「エコ(eco)」なのだ。』という意味である。

 「地産地消」に徹したらどうだろう。この「地産地消」とは何だか最近、妙に脚光を浴びているが、それは「地元で生産したものを地元の人たちが消費して、地元の経済を生き生きさせる」という意味的な範囲を越えていないように思われる。
 この概念の元を質(ただ)せば、それは「昔」の経済のあり方であり、その土地の環境や風情にマッチした庶民の生活パターンそのものだったのである。これが、その土地そのものの味を育て、土地特有の「地域性」を育て上げてきたのである。
『「いつでも、どこでも、みんなと同じ」ように食べたい、飲みたい、手に入れたい』という発想や目的は、その人一人一人の個性や特性を失うことだし、「地域」や「地方」、何よりも「地場」の個性や特性を失うことである。それは「ふるさと」を失うようなものである。
 「気がついたら、すべての人が同じ顔になっていた」ということにならないように…。

遠目では逆三角形「滝の沢爆裂火口」 / 『効かぬから健康食品あふれてる』「通販」は安くはない!(8)

2008-01-28 05:57:46 | Weblog
(今日の写真は遠くからでも見える岩木山の「滝の沢爆裂火口」である。この写真は標高1000m辺りで、その東側から写したものだ。だから、遠目に見える「逆三角形」という形状は認められない。
 実際、火口は塞がっていて、現場で見る限りでは、浅く丸みは帯びているが平坦に近い感じだ。火口壁崖も正面から見ると垂直状に見えるが、真横と真下から見るとある程度の傾斜を持っていて、「切り立った」という形容にはほど遠いものだ。ただ、遠目には「黒々と切り取られた逆三角形」と見えるのである。

 いつの頃からか厳冬期に滝の沢左岸岩壁の下に立って凌駕する岩陵を望みたいと思っていた。2月上旬、焼止小屋付近から緩やかに左折をして毒蛇沢の源頭を目ざした。その辺りは雪崩の「常習地帯」なので、背に脂汗をしながら対岸に取り付き、次の沢に降りていったその時だった。
 ダケカンバの傍に微動だにしないウサギを見た。「脱兎」という言葉のように逃げるのが普通である。イヌワシなどに襲われると一瞬動けなくなるそうだが、私の突然の出現でそうなったのだろう。「驚かしてごめんね」という思いが込み上げてきた。)
『トウホクノウサギ・日本固有種。体長は45~55cm、夏毛は茶褐色で夜行性。単独で森林や草原に棲み、草、若枝、ササを食べる。』

  ■■ テレビのコマーシャルやテレビショッピングにはあきれる(その8) ■■
   贋作川柳:『効かぬから健康食品あふれてる』…「通販」は安くはない!
(承前)

 「テレビショッピング」の「購入・販売」は「通販」である。「通信販売」と書こうとしたのだが、「通信販売」と表記すると理解出来ない人もいるのではないかと思い、「通販」とした。因みに「岩波書店:広辞苑」には「通信販売」の「略」と出ているから、もうすでに「国民」の言葉なのだろう。もはや、誰も「通信販売」とは言わない。
 「テレビショッピング」の画面や音声でも「通信販売」という語は、見えず聞かれず「通販」だ。
 日本人は「四字熟語」を「二語」に縮める名人であるらしい。そのうちに「四字熟語」という「語句」も「四語」とか「四熟」になったりするかも知れない。ああ、やっていられない。
 「漢字」は表音文字ではなく、「表意文字」である。「意味」を示す文字の片っ方を消去してしまっては、「意味」不明か「意味」不完全、または「意味」不詳になってしまうということに「思い」が至らないのだろうか。

まあ、いいだろう。この稿の最後に「通信販売」のことについて書こう。
 今やインターネット「通販」やテレビ「通販」は、その業績が右肩上がりで、急成長を続けているのだそうだ。これは「全国」にあるすべての「地方」が「通販企業」のある拠点都市に一極集中していることを意味する。しかも、「買えない商品」がないほどに多種多様化しているのでもある。
 これだと「地方商店の衰退」は免れようがない。私がよく行く「地元のコンピュータ屋」も「行くたび」に「売り場面積」が狭くなり、従業員の数も少なくなっているようにさえ見えるのだ。
 まさに、日本は今や「通販」王国である。だが、しかし、この「通販」なるものは、確かに、「自宅にいながら買い物が出来る」という点では便利であるが、決して、その値段は「安く」ないのである。

 私はCPU切り替え器を使い、Cinema Displayを「Mac」と「Windows」で共用している。さらに、1台のキーボードを同じように「Windows」と「Mac」を切り替えて使っているのだが、「Microsoft」のキーボードでは「Mac」の機能が作動しないキーがあるし、「Mac」用のキーボードは「WindowsVista」や「WindowsXP」では、「Microsoft」のキーボードのようには動かないキーがある。
 そのような訳で、「どちらにも使えるキーボードがあったら欲しい」と思っていた。
そんな矢先、「Microsoft」が「Mac」でも使えるキーボードを発売したのである。
 「Intel Mac」になってから「Boot Camp」やその他の「仮想化」ソフトで「Windows」を「Mac」でも使えるようになったのだから、戦略的には「Mac」(Apple)が「Windows」を使っている者たちを取り込んで、「Mac」の販路拡大を図るには「共用キーボード」の発売が当然だと考えていたのだが、「Microsoft」が先にそれをしたのである。
 実際、「Boot Camp」を使い「Mac」に「Windows」をインストールする時、「Mac」のキーボードを使っていると、「キーボードタイプの選択」段階で、使うキーボードの種類を聞いてくるが、選択するための「半角/全角キー」が「Mac」用のキーボードにはないので、「Windows」用のJISキーボードの「106日本語キーボード」を選択出来ないのだ。
 とりあえず、他の一つの「その他のキーボード」を選択せざるを得なくなる。このような事情はやはり、「Mac」側に責任の所在がありそうなので、「Mac」(Apple)が共用のキーボードを「販売」するのが「すじ」というものだろうと考えたのだ。
 これをしないのは「キーボード」程度では「利幅」が薄いととでも考えたのであろうか。そうだとすれば「Apple」も「使う者」の立場からすれば、「大したことのない」企業であると言えそうだ。

 そこで、「Mac」と「Windows」で共用出来るキーボードを求めて、先述の「地元のコンピュータ屋」に出かけてみた。嬉しいことに、それがあったのだ。しかも、「代引き」通販よりも「1700円」も安い、「正規の」値段であったのだ。嬉しさは倍加した。

 国会議員は「地方格差」という言葉を口に出すが、このような「右肩上がり」企業の増殖を食い止めようとはしない。国会議員の仕事は「法律」を作ることだ。「地方格差」是正のための立法措置をしない限り、このような現状はどんどん進む。そして、地域経済はすべて破綻する。「地方や地域」を本当の意味で「活性化」させるには、一時的な交付金の「ばらまき」や「特定財源維持」ではない。
 ひょっとして、「右肩上がり」企業からの政治献金の見返りとして、通販企業の増殖を食い止める規制法は「出来ない」というのではあるまい。
 私たちも「地域」に目を向けて「購入」は「地域」からをモットーにしていきたいものだ。

切れ戸からの「赤倉爆裂火口」 / 『受け取れぬ保険商品あふれてる』が語ること…(7)

2008-01-27 06:11:34 | Weblog
(今日の写真は岩木山にある12~13ヶ所の「爆裂火口」の中で一番その規模が大きい「赤倉爆裂火口」である。この写真は火口外輪崖の西側の先端から写したものだ。だから、登山道を歩いている者には絶対に見えない「景色」である。)
 今日はNHK文化センター講座「津軽富士・岩木山」で「岩木山の生い立ち」について話しをするのだが、この写真も「爆裂火口」の例としてプロジェクター映像で使用する。
 「火口外輪崖の西側の先端」とは通称、赤倉の「切れ戸(キレット)」と呼ばれているところである。これは崖筋の一部分が欠けて「覗き窓」のようになっている場所である。 それを誰が最初に呼んだか分からないが「切れた戸、つまり開けられた戸」と呼称したわけだ。
 この写真は、その崖のトップの欠けた部分、開かれた窓のようになっているところから「カメラ」を「突き出して写した」ものだ。
 ここは、登山道沿いの「大開」からも見える。まさにそれは「切れ戸」や「覗き窓」に見える。しかし、実際「現場」に来て「見る」と、崖の先端は火口に向かってオーバーハングになっているし、今にも崩れ落ちそうな岩や土石、それに樹木が塞いでいて真下の「火口」は見えない。
 写真をよく見て貰えると、その辺の事情については理解が出来るだろう。 しかも、時々、その土石は崩落しているのである。
 …というわけで、真下の火口を写そうとすれば、ザイルで確保して、懸垂下降でもしながら写すしかない。しかし、その間に上から、土石の崩落が起きる可能性は非常に高い。
 写真右側の切り立っている崖を持つ尾根が赤倉登山道尾根である。若干赤みを帯びた崖からは、爆裂噴火した時の壮大なエネルギーを感ずることが出来るだろう。
 手前右の積み重なったような「岩」は噴出した「熔岩」である。ここも他の「爆裂火口」と同じように、「熔岩」を噴き出してから、その後何回も「水蒸気爆発」や「火山灰噴出」を繰り返したのである。そして、それらが熔岩の上に堆積していったのである。
 緑の低木は「ミヤマハンノキ」だ。かれらは、このような「熔岩」と「火山灰地」という栄養の乏しい場所で、長い間、命をつないできたのだ。頭の下がる思いだ。
 ほぼ、写真の下側中央に見えるのは「崩落」に伴ってむき出しになったミヤマハンノキの根である。この場所もいずれは崩落してしまうだろう。
 だが、植物は強靱だ。落ち込んだ「火口」でまた根を張って「命」をつないでいくに違いない。)


■■ テレビのコマーシャルやテレビショッピングにはあきれる(その7) ■■
 贋作川柳:『受け取れぬ保険商品あふれてる』が語ること…民間保険会社は社会保険庁と取引している?
(承前)

 「老後の不安を煽る」…と思ったら「社会保険庁」のことを思い出してしまった。あの「年金問題」は「保険会社」によって仕組まれたものではないのか。
 「保険会社」は「頭がいい」から、あの手この手と「社会保険庁」に入れ知恵をしたのではないか。
 国民が納入した「年金の原資となるお金」を、国内のあっちこっちに数百億円かけて「箱物」事業で、湯水のように使うしか手のない、無責任で「罪悪感」のない「社会保険庁」の職員など、簡単に操られたのだろう。
 国民が納入した「年金の原資」となるお金は、「社会保険庁」のものではないのである。ただ、「社会保険庁」の「財布」という「容れ物」に入っていただけなのだ。 ところが、こともあろうに、それを「自分」のお金だと思ってしまうところが「社会保険庁」の「アホ」さ加減であり、人間として決して失してはならない「公正さ」もどこかに置き忘れるという「愚鈍」ぶりなのである。まさに、「味噌も糞も一緒」とはこのことを言うのだろう。
 『岩波の新版「広辞苑」で「無責任」という語を引くと「社会保険庁を見よ」とあった。「社会保険庁」を引くと「厚労省の外郭団体・無責任集団」とあった。』などとならなければいいと思っている。
 「社会保険庁」を統括するのは厚生大臣だ。となれば、その大臣を任命した時の総理大臣にも責任がある。ということは総理大臣も無責任…「責任からの解除」を地でいった人ということになる。
 「社会保険庁」の末端の職員までが無責任ということは、そのトップから「責任の解除」された存在だったからだろう。「社会保険庁」のトップは厚労省から天下ってくる。
 そして、わずか、2年程度「務めた」振りをして、数千万円という「退職金」を手にする。学校の教員など40年近く務めても退職金は3000万円にもならない。
 トップも何もしない、その部下たちも何もしないで、そのトップの在任期間を過ごす。じっと潜んで何もしない「時間」が過ぎていくのを待つ人々の集団・組織が「社会保険庁」なのである。
 そして、その本来の業務を「何もしないで」、しなくていい「箱物事業」にうつつを抜かしていた。…その「ツケ」が5000万件の「だれのものか分からない」年金受給者名簿事件なのだ。

 あまりに、執拗な「保険会社」勧誘コマーシャルを見て閃(ひらめ)いた。
…この事件の陰には「保険会社」の暗躍がある。国民を「貰えない年金」不安に落とし入れ、民間の「保険」にすがるように、仕向けている。…
 このようなテーマで誰か小説を書かないかなあ。きっと、ベストセラーになること間違いないと思うよ。
(この稿は明日に続く)

白い闇の中で激しい風雪が一瞬止む、山頂が… /『受け取れぬ保険商品あふれてる』が語ること…(6)

2008-01-26 05:56:30 | Weblog
(今日の写真も岩木山山頂「中央火口丘」だ。だが季節が違う。昨日のものは秋である。今日のものは厳冬、しかも、大寒の最中である。場所も少し違う。「鳥の海」爆裂火口の南外輪の近くから写したものである。
 赤沢を舞い上がって吹きつける風の一部は、鳥の海外輪に阻まれる。そして急激に収斂して、「白い風雪」というマントを羽織って、鳥海山南陵の狭い鞍部を、一直線で急激に吹き抜けて、急速に火口に陥る。
 白いマントの裾が少し乱れた。青い空間、そこから覗いたものは、青鈍色の空に立ちつくす山頂だった。眼を出来るだけ開けてよく見ると、少し、はにかんでいる。…と思った瞬間に白い闇に消えた。
 風が強く前に進めない。進もうと片足を踏み出すと、横風が体を運ぶ。背を屈めて風に向かって立ち尽くすしかない。そのような世界だ。
 この日はその後、ひたすら白い闇が続いた。ホワイトアウトという。視界がよくても5m前後、風は風速45~50m、手探りと腹ばい状態で山頂を目指した。
 だけどどうして、「引き帰す」という気持ちになれないのだろう。山頂には「特別」な魅力があるのだろうか。
 「送り(赤布を着けた細い竹・長さは60cm)」をまず、鳥の海爆裂火口の西端に刺す。10本ほどしか持っていないので、「距離」を測りながら、「登高方向」を変える地点に刺していく。「下山」する時に「ルート」を失わないために「目印」にするためのものだ。もちろん、その時は抜き取って「持ち帰る」。だが、最近は「そのまま」にして帰る不届きものが多い。
 この目立つ「赤布」も、数m離れると直ぐに見えなくなってしまう。
 この竹は「丸竹」ではない。丸竹を「縦に4枚に割って」あるものだ。だから、細くて「しなり」がある。どんな強風にも「靡いて」折れることはないのだ。

 今朝の気温は氷点下7℃、昨日は4回雪かきをした。「地球温暖化」を本気で心配する者として「願っていた」厳冬の到来である。これで、「岩木山」の積雪も、いくらか「いつもの年」並みに近づくかも知れない。
 さあ、これから「雪かき」を始めるぞ。)

■■ テレビのコマーシャルやテレビショッピングにはあきれる(その6) ■■
      贋作川柳:『受け取れぬ保険商品あふれてる』が語ること…

 「健康食品」や「化粧品」とは少し趣が違うのだが、「しっこい」コマーシャルを流しているものに「電気製品」がある。
 言っていることの大半は各社とも「健康食品」や「化粧品」と同じように「共通項」である。どこに目を向けても、どこに耳を傾けても「同じ画像」や「同じ音声」のテレビショッピング。「テレビ」や「携帯」のコマーシャルなのだ。
 「携帯」と言えば「携帯電話機」のことだが、昔は、懐かしくも「携帯ラジオ」などがあった。今もあるらしいが、「携帯ラジオ」というのだろうか。
 登山をする者にとって最近、常識となっているものに、もう一つの「携帯」がある。それは「携帯トイレ」である。だが、何故かしら、だれも「携帯」とは言わない。正しく「携帯トイレ」と言う。
 どうして「電話機」だけが「携帯」で「用済み」になってしまうのだろう。
 私は「遭難防止」のために30年も前から「アマチュア無線」の「ハンデイトランシーバー」(小型無線通信機)を「携帯」している。今も「ザック」の片隅にいつでも使えるように入れてある。
 言ってみれば、30年前から「携帯電話機」を使用していたのだ。余りにも昔から使っていたので厭きてしまい、現在は「携帯電話機」を持たない。恐らく一生持たないだろう。
 もともと、この「携帯電話機」は、第二次世界大戦中にアメリカ軍が使用したモトローラ製の「Walkie Talkie」に端を発していると言われている。
 その後、「ワイアレスフォン」とか「スマートフォン」とか「モバイルフォン」や「パーソナルフォン」などと呼ばれたらしい。
 私は、自分が使った「ハンディトランシーバー」や「ハンドヒルドトランシーバー」の経験から、「ハンディフォン」などと呼ばれるのが妥当だろうと考えているが、「携帯」という呼称は「止みそう」もない。何たって、国民一人1台ずつ「携帯」を持つ時代だから、「携帯トイレ」は「携帯トイレ」と言い、「携帯ラジオ」は「携帯ラジオ」と呼び、「携帯電話機」だけは「電話機」3語省略の「携帯」で済むのである。
 「携帯」を携帯するというのはおかしくないか。まるで、「90歳の年をとった女のおばあさん」がと言っているのに等しい。だが、誰も「おかしい」とは言わない。妙な時代である。
 国民がすべて、赤い色を「黒」と言えば、その赤が「黒」になってしまうのと似ている。これだと恐ろしい。
 
 どうも、わき道にそれて、申し訳ない。…「電気製品」コマーシャルの共通点の話しだった。本題に戻ろう。
 …だが、これらとは逆に「共通性」を排除して、買い手や使用者に「不自由」さを押しつけているものもある。
 それは「HD-DVD」と「Blu-Ray Disc」だ。ただ、この「違い」は困るのである。「VHS」の時代、その轍を踏襲しようとしているのだろうか。メーカーは使用者のことを本当は考えていないのではないだろうか。たまには疑ってみることも「あり」だ。

 ところで、『受け取れぬ保険商品あふれてる』というのはどうだろう。

 「自動車保険」や「損害保険」や「病気療養保険」なども、実にしつっこいのだ。
保険加入者が全員、保険金を丸々受け取ったら保険会社は潰れるのではないか。
 そんな不安の中で、視聴していると、中には「葬式保険」まで宣伝するのだ。余計なお世話だろう。
 こっちからすれば、ただ単に「不安を煽られて」いるに過ぎない。腹立たしくさえなる。
(この稿は明日に続く)

岩木山「中央火口丘」の話し / 『効かぬから健康食品あふれてる』が語ること…(5)

2008-01-25 08:09:44 | Weblog
(今日の写真は「岩木山」である。火山学や地質学でいうところの「中央火口丘」というやつだ。これが正真正銘の「岩木山山頂」である。
 何故、今日の写真がこれになったかというと、27日に「NHK文化センター講座・津軽富士岩木山」が開講される。その主題が「岩木山の生い立ち」なのだ。そこであれこれと「中央火口丘」の説明のために写真を探したところ、厳冬期以外ではこれが一番よく写っているので選んだのである。これは鳥海山から写したものだ。季節は秋だと思う。そこで、出番となったという訳である。
「岩木山の生い立ち(岩木山生成)」は「4つのステージ」に区別される。そして、現在の岩木山の山頂(中央火口丘:直径300m、高さ70m)の熔岩を噴出させた活動は、「第4ステージ」である。
 それでは一体その活動はいつ頃なのであろう。それは、遅く見積もっても洪積世の末期、つまり、縄文時代の早期(約5000年前)であり、早く見積もると平安時代の初期(約1200年前)ではないかといわれている。
 その時噴き出した熔岩の「粘度」は大きく、いわゆる「どろどろ」として流れるようなものではなく、「石英安山岩」を含んで「噴き出す」と「どろり」として、火口から「舌」を出すようにして盛り上がる熔岩であったとされている。さらに加えて、種蒔苗代火口やさらに上部の耳成岩火口からの噴出物によって「中央火口丘」は形づくられたのである。
 だから、今見るようなドーム状の山頂(中央火口丘)を形成したのである。この活動期に、中央火口丘の形成と前後して熔岩を伴わない「火山砕屑物」や「火山泥流」、それに「軽石流」のみを噴出させた爆発が何回もあった。それが、「十腰内小丘群:泥流丘(流れ山)」などを形成したとされている。
 その時の爆裂火口は、私たちが現在容易に見ることが出来る「鳥の海」噴火口や「種蒔苗代」(これは噴火口:爆裂火口にその後水が貯まったもの)などだ。
 だが、この他にも「10ヶ所」以上の爆裂火口がある。標高はいずれも1000m以上の所であり、その下部は「開析谷(沢すじ)」を形作っている。
 最大の赤倉爆裂火口は、直径600m、深さ100m。中央火口丘は岩木山で一番新しい頂である。写真中央下部の岩崖は、「鳥の海」火口の北側外輪である。中央に続く緑でない部分が登山道で下から順に、「一の御坂」「二の御坂」と呼ばれる。この「二の御坂」の下部は平坦になっているが、ここは旧い山頂で、ここから今の山頂が盛り上がったと言われている。

 ■■ テレビのコマーシャルやテレビショッピングにはあきれる(その5) ■■
      贋作川柳:『効かぬから健康食品あふれてる』
           『効かぬから肌化粧品あふれてる』が語ること…)

『効かぬから健康食品あふれてる』の「健康食品」に置き換えられるものは枚挙にいとまがない。
 よほど根気強くないと「すべて」は挙げられない。私のようないい加減な者は、思いつくままにという手抜きでしか出来ない。だが、…挑戦してみよう。
 まずは、ダイエット食品だ。次に、ダイエットするために使われる器具。これも、色々な機種があるらしい。それが、すべて「甲乙つけがたいほどの優れもの」だというのだ。だったら、企業合併をして「設備費」や「人件費」を浮かせたらもっと安く売ることが可能だろう。「同じ物を造っている」と言っていながら、そうしないところが怪しい。
 ダイエットのためのエクササイズDVDなるものまである。すでに、200万本も売れたとか。恐ろしい。
 Appleコンピュータのソフトにも「同名」の仮想化ソフトがあるが、あの名称の意味はアメリカ陸軍の「新兵教育」の体操に由来している。「体操」などと言っては怒られるかも知れない。「エアロビクスと言って下さい。私はアメリカ陸軍の兵隊ではありません。失礼しちゃうわ。」という声が聞こえてきそうだ。ただ、あの「エアロビクス」は「あのとおり出来たら」楽しいだろうとは思う。
 ところで、「ダイエット」何々というものは「痩せる食品」「痩せる機器」「痩せるための指導法書籍やCD、DVD」のことだろう。どうして買い手が「一番念じている」「痩せる」という言葉を使わないのだろう。どうして、そのものずばり「やせ薬」とか「痩せる食品」と言わないのだろう。その買い手にとっては一番の関心事である「言葉」でもって、どうして売り手や企業は買い手に「迫らない」のだろう。何かがあるぞ。これも怪しい。

 次は『効かぬから肌化粧品あふれてる』である。「化粧品」イコール「美肌促進剤」「美肌維持剤」のことだろう。だが、これもそのようには言わないで、「スキンケア」と言う。 この「スキンケア」の評価用語も大体決まっている。各商品、各社が同じことを言っている。
 『我が社のX化粧品をご使用になりますと「もちもち感」「プリプリ感」「スベスベ感」「透明感」「質感」「潤い感」「保湿感」「弾力感」などを爽やかに感じられます。これまでに体感出来なかったまったく新しいタイプの「コラーゲン」がすべての美肌に…』などと言っているのである。
 さらにだめ押しのように「使用者」に「感想」を言わせる。この手法も各社共通、しかも、不都合が起きた時の「自社の責任回避」のためだろう。「これは個人の感想です」というテロップが入るのだ。これも各社共通である。(この稿は明日に続く)

鰺ヶ沢スキー場の岩石「破砕」現場 /『効かぬから健康食品あふれてる』が語ること…(4)

2008-01-24 06:45:07 | Weblog
  (今日の写真は鰺ヶ沢スキー場「拡張ゲレンデ」にある「破砕」された岩痕だ。昨日も書いたが、山菜採集時期に、このゲレンデ「山菜採り」が入り、「大きな岩があると危険だから」という理由で「破砕」したという。
 しかし、この理由はあくまでも「理由探しの理由、理由付けのための理由」に過ぎない。鰺ヶ沢スキー場が「スキー客」の「邪魔な突起物が雪面にないゲレンデにしてほしい」という要望に応えるためか、あるいは、そのような「要望」があったと捏造(ねつぞう)して、雪が少ない時に危険な「突起物」となる可能性がある岩を砕いて、まったく安全で心配のないすばらしい「ゲレンデ」として売り出し、スキー客を集めるためだったのだろう。
 また、「突起物」がないと、積雪が少なくなる時季でも遅くまで営業することができるので、そのための方便だったのだろう。「雪を消さない」ために「硫安」まで撒くのだから、おそらく、そうだろう。
 それにしても、「鰺ヶ沢スキー場」はひどいものだ。ここまでやるのかと「感心」してしまう。まだ「コクド」が営業していた時のことだが、営業主体が代わったとはいっても、その本質は余り、変わっていないだろう。

 スキーヤー諸君、この事実をよく見てほしい。「ゲレンデ」とはこのように「破壊された自然」を土台にして成り立っているのだ。写真上部に見える樹木は「ブナ」である。この写真は5月下旬に撮影したものだが、「鬱蒼とした」ブナ林の様相が分かるだろう。
 これが、自然のままの「岩木山の森」だ。この森には「クマ」が棲み、「クマゲラ」が餌をとり、「クマタカ」が飛翔していた。沢には「日本ザリガニ」が生息していた。
 この森は、山麓の田畑を潤す水源として、その「水甕(みずがめ)」の役割をしてきた。岩が多いということは、非常に「土石流」を起こしやすい表層が形成されているということである。その「土石流」をしっかりと根を張った「ブナ」の木、一本一本が長い間、長い年月をかけて「抑え込んで」きたのである。
 しかし、「鰺ヶ沢スキー場」はブナの皆伐で「森」を壊し、「クマ」、「クマゲラ」、「クマタカ」「ザリガニ」を追い出し、水源としての「水甕(みずがめ)」をも破壊した。
 その上、「表層」の突起物である岩を破砕して「表層」から「凸凹」を取り除き「なめらかに」整備したのだ。これでは、「土石流」を起こしやすい表層を「人工的」に逆に造り出しているようなものだ。
 このような姿勢にあるものは、ひたすら「多くの集客と営業利益」だけである。山麓農民が憂える「水源」のことも、森に棲む動物のことも、樹木や植物のことも、「土石流発生」に脅える山麓住民のことも、まったく眼中にはない。
 このような考えの基に造られたスキー場で滑っていて楽しいのか。スキーヤー諸君、今一度視点を変えて考えてみてほしいものだ。
 …「森の伐採」は「地球温暖化」への「協力」でもある。)

■■ テレビのコマーシャルやテレビショッピングにはあきれる(その4) ■■
      贋作川柳:『効かぬから健康食品あふれてる』が語ること…)

 ひょっとしたら、「エコロジー(ecology)」の「エコ」を「エコノミー(economy)」の「エコ」だと意識的に間違って理解しているのかも知れない。最近騒がれている「古紙利用」再生紙問題などにそれを感じてしまうのだ。
 「エコノミー(economy)」には、「経済」とか「理財」という意味の他に「節約」という意味もあるから、などと開き直られたら、これは大変なことである。ここまで消費者をバカにした話はない。
 「エコロジー(ecology)」には色々な意味がある。その基本的な意味は「生態学」である。だから「エコ」的な発想や思想には「生態学」的な要素にそったものでなければいけない。
 地球上の「自然生態学」的な諸要素や現象を減少させたり増殖させたり、改変したり破壊したりすることにつながることには、間違っても「エコ」何々と言ってはいけないのだ。
 そのような基本的な意味から派生的に、現代社会では「環境保護」という意味で使われるのが一般的であるらしい。
 だからだろう。最近は、「環境や自然との共生をはかる」社会運動や、「環境に配慮する行為」などを象徴する意味でも使われている。
 環境問題に関心のある人々だけでなく、社会全体を対象に、「エコロジー」や「エコ」などの言葉を使ったキャッチコピーや商標、それに「運動」も登場し始めているのだ。
 しかし、先に述べたように「エコ」を錦の御旗や隠れ蓑にして「営利」に走る偽装業者や偽装個人は多い。
 これを「環境偽装」という。「エコ」の名に隠した「企業エゴ」のことだ。日本製紙など大手製紙会社が再生紙の古紙配合比率を偽っていた。いわゆる「環境配慮製品」の看板を偽ったのである。
 以前にも書いたが、昨年末の世論調査では、「温室効果ガスの排出削減義務を守るため、自分の生活レベルを下げることができるか」との問いに、49%の人が「できる」と答え、「できない」(41%)を上回り、「地球温暖化問題」に9割もの人が関心を払っているということが分かっている。
 その中でも、この偽装は「不二家、ミートホープ、赤福」などの偽装とは質的にも意義的にも違いがあり、「日本製紙など大手製紙会社」の責任は、無形的に甚大である。
 だが、「今回の偽装は結果的に品質のいい紙を提供していたのだからいいのではないか」と主張する企業もあるという。まったく、開いた口がふさがらない。腐りきっている。

 …毎日新聞は、社説で…『購買行動でも「環境に優しい」とされる商品を選ぶ人は増えた。そうしたことで資源保護や環境保全に参加、行動する実感を抱く。今回の大幅に水増し偽装された古紙配合比率の数値は、その実感が錯覚だったとあざ笑うようなものだ。
 さらに、ほかの環境配慮製品に対する疑念も生じさせ、ごみ削減やリサイクルなどへの参加協力の意欲もそぎかねない。森林資源保護がほとんど「空念仏」だったということになり、利用者はその製品を選択した意義がなかったという失意を味わわされるのだ。』…
 上記社説の中の『森林資源保護がほとんど「空念仏」だった』ということは「森林保護」を運動の中心に据えている本会にとっては、まさに「空疎」な蓆(むしろ)の何ものでもないように感じられた。実に悔しい。
 「エコ」を口にする企業や、特に「NPO」法人には「エコ」に関わる事業等を開示請求する気概で臨む必要がありそうである。(この稿は明日に続く)

夏場に見る「石神さま」のご神体・大岩がゲレンデに / 『効かぬから健康食品あふれてる』が語ること…

2008-01-23 06:34:05 | Weblog
(今日の写真は鰺ヶ沢スキー場の「ゴンドラ運航」ゲレンデ右岸下部にある「石神さま奥院」の「庭:周囲」に累々と鎮座している大岩群である。このような大岩が多数あるのだ。そして、その中の数個には写真に見える「注連縄」が張られている。ご神体である。
 昨日の写真ではこの「大岩」は雪の下になっているから見えない。きっと、苔を衣類として、それに包まれて「大岩」たちは安らかな気分でいるのだろう。
 「大岩」は現在、スキー場のゲレンデになっている場所にも、このように存在していた。
そのいい例が「大館鳳鳴高校山岳部」遭難慰霊碑である。あれも大きな岩である。あの辺りは元々鬱蒼としたブナ林内であった。その中に登山道はあったのだ。そして、登山道脇には、あのような岩が沢山あったのである。現在も「人目のつかない」慰霊碑背後のブナ林内には「大岩」が存在している。
 ところが、スキー場の建設が始まり、先ず、ブナ林が伐採された。そして、「慰霊碑」の周囲の大岩は重機で動かされ、破砕機で砕かれたのである。「滑ること」が「ゲレンデの生命線」である。
 「滑ること」に支障や障害となる、あらゆる突起物は切り倒し、抜き取り、破砕してしまうのだ。この行為を別な言葉で言うと「自然破壊」となる。
 私たちはこの事実を知っていた。だから、2000年に開業した「拡張ゲレンデ」でもこのようなことが、なされるのではないかと「監視」を続けていた。
 鰺ヶ沢スキー場から県自然保護課に提出された「ゲレンデの管理と整備」事項には「岩石の破砕」はなかったのだ。
 しかし、である。果たして、私たちの思いは的中した。「拡張ゲレンデ」でも重機による整地と「特殊な破砕剤」を使った岩石の破砕が「丁寧」に実施されたのである。
 実施後、つまり「元ある状態に、決して修復出来ない時点と状態」にしてしまってから、「鰺ヶ沢スキー場」は自然保護課に「ゲレンデの岩石破砕と整備」に関する許可申請をしたのである。
 その理由が奮っている。『よく山菜採りがゲレンデに入る。大きな岩があると非常に危険なので破砕して除去した』のだそうだ。
 …ですけどね、このような大岩は、岩木山のブナ林内の至るところにあるのだ。

 『鰺ヶ沢スキー場さんよ。そんなに山菜採りの人たちの安全を考えるのなら、山菜採りの人たちが入る岩木山のすべての森や原野から「岩」を除去して下さいよ。お願いしますよ。これからでも遅くはありませんぜ。』
 このような、眉唾(まゆつば)的な「理由」をあっさりと認める当時の「自然保護課」もまあ、はっきり言って「アホ」である。首長や政治家の方にしか眼が向かない行政というものはこのようなものだ。
 それにしても、「女性問題」で止めたあの知事、今で言うところの「KY」でしたなあ。知事が辞めた時一番喜んだのは「県の職員」だったかも知れない。
 「自然保護課」の名誉のために「その後から現在までの自然保護課の姿勢は当時とはまったく違う。自然保護にまともな眼を向けている」と言っておこう。)

■■ テレビのコマーシャルやテレビショッピングにはあきれる(その3) ■■
      贋作川柳:『効かぬから健康食品あふれてる』が語ること…)

(承前)
「効かない健康食品」や「効かない健康器具」を、あたかも「効くのだ」という「振り」をして販売することは「偽装」と同じだろうが。
 毎日新聞(電子版)の「記者の目:国も企業も沈黙続ける食品廃棄」には…、
 『昨年は不二家、ミートホープ、赤福など、食べ物の回収ラッシュの年だった。食品企業による自主回収は1年間で756件に上り、前年の約3倍。04年に集計を取り始めてから、過去最多だった。
 しかし、問題となった事例の中身を改めて見ると、食品として食べられるケースが多いのに驚く。食料自給率が40%を割り、原油高騰など資源危機が迫る日本で、こんなモッタイナイことが今年もまた続くのかと思うとぞっとする。
 モッタイナイの典型例が昨年秋、福島と神奈川で発生した牛乳のケースだ。福島県では流産などを起こす家畜伝染病のブルセラ病に感染した疑いの乳牛が見つかり、その乳を原料にした可能性のある製品約33万個が回収・廃棄された。最終検査で感染なし、というおまけ付きだ。』とあった。…

 まだ、食べることが出来たり、飲むことが出来るものを廃棄することは「モッタイナイ」ことには違いないが、「効かないもの」を「効く」と思い込ませられて買うことは、もっと「モッタイナイ」ことである。これぞ、「無駄」、お金をドブに捨てるようなものだ。
 現代は、無駄を省く「合理化」に向かって一直線に突き進む社会だとばかり思っていたが、そうではなかった。まさに、見えないところや分からないところでは「不合理」と「非合理」だけがまかり通り、企業や業者は「不合理」の傘の陰で暴利をむさぼる。
 口先ではエコロジーを言いながら、その本音はひたすら「エコノミー」で、ひたすら企業「エコ」ならず「企業エゴ」や「消費者エゴ」の推進である。それでも「エコロジーでエコノミーな暮らし」などというフレーズをしたり顔で言っているのである。(この稿明日に続く)

長平登山道沿いにある「石神さま」の奥院 / 『効かぬから健康法があふれてる』が語ること…

2008-01-22 05:43:34 | Weblog
(今日の写真は、長平登山道沿いにある「石神さま」の奥院である。Tさんが写したものだ。
 積雪を推量してみよう。鳥居の高さを4mとすれば、積雪は3m程度となるだろう。前の晩から「静かに」雪が降り積もったのである。ブナの枝や幹に張り付いている「雪」がそれを教えてくれる。 夏場の登山道は写真手前の下部を右に登っていく。岩の隙間を辿るような登りであるが、そこを抜けると「スキー場ゲレンデ」だ。何回も書いているが、ゲレンデになる前は、この辺りから鬱蒼としたブナ林だった。
もう「寒」に入ったというのに、昨年と同じく雪が少ない。いつもの年ならば「寒入り」の頃は、この「鳥居」は雪の下だ。しかも、温い「寒の入り」である。今朝(5時20分現在)の気温は暖房なしの室内で14.7℃、戸外で氷点下4.0℃である。本当に大したことはない。まあ、一番寒くなるのは2月に入ってからだろうから、それを「期待」しよう。
 この場所は大鳴沢の左岸に当たる。「石神さま奥院」のある場所は大鳴沢の旧い「河岸段丘」のような地形になっている。
 昔々は「大鳴沢」が直ぐ傍を流れていたのだろう。今は、その浸食のため、大鳴沢は「後退」して、「深い谷底」を形成している。この段丘には「浸食」を逃れた岩石が累々と鎮座しており、それが「磐くら」となり、ご神体として、祀られているのだ。
 雪はいい。何もかも隠してしまう。しかも、「白」という一番目立つ「色」で隠すのだから、目立ち過ぎて「隠す・隠されている」ことすら想像させない。
 だから、「雪の下」の神々も安堵の中で、のんびりと春を待つのではないだろうか。
 もし雪が「黒」かったらどうしよう。すべてのことが「隠し事」の中で処理されているのではないかと、人間はお互いが「疑心暗鬼」となり、殺し合い破滅するだろう。
 「黒い雨」は原爆投下後の広島に降った。「黒い雨」があるのだから「黒い雪」があっても不思議ではない。「人間の余計な行為」に、自然は的確に答えるものだ。
 地球温暖化もまた、この「余計な行為」の答えに他ならない。「自然林」を伐採し、表土を重機で剥ぎ取り、ゲレンデに突き出している岩を「破砕」する「スキー場設営」行為も、もちろん「余計なこと」である。その答えとしての「しっぺがえし」もCO2を増やすという形で「地球温暖化」に「寄与」していることは間違いないのである。)

  ■■ テレビのコマーシャルやテレビショッピングにはあきれる(その2) ■■
      万能川柳:『効かぬから健康法があふれてる』が語ること…)

 民放のBS放送に、テレビショッピング(TV Shoping)というものがある。おおげさに言うと「朝から晩まで常時放映されている」となる。しかも、しつっこい。これでもか、これでもかとたたみ掛ける。私はそれで買う気になるかというと、そのつもりはさらさらない。そこで扱われている商品の多くは圧倒的に「健康食品(薬事法に抵触しない薬類も含む)」であった。
 健康維持や促進を「売り物」に稼ぐ企業や販売店がこれだけいるということは、その相対として、「今現在、不健康で健康になりたい」人や「まあまあ健康だと思うが、現状を維持したい」人が大勢いるということなのだ。「健康食品」が「商売」として成り立つということは、それだけ「未病」や「不健康者」が、この「日本」いるということである。だが、日本国政府はこの事実に、何ら対処しようとしない。それどころか、逆に「薬害」すら、厚労省主導でおこしてしまうという体たらくである。「薬害肝炎」訴訟の「和解」だって、本音は自民党の「国民」に対するご機嫌取りだろう。
 そうでなければ、これほど国民が「健康」に関心があるのだから、「具体的な策」を掲げて動き出すはずである。
 「未病と不健康者列島」、その日本政府は、「この件に関しては自己責任」ということらしい。う~ん、ご立派である。さすが、多数決だけの「民主国家」である。
 「健康食品」も多数の者が「効き目あり」と言えば「科学的な実験や実証」を超越して「優れた健康食品」となり、さらに多数へと広まっていく。「多数」とはいいものだ。
 しかし、宣伝文句には「多数」とは対置する「少数」をもって、「我が社だけ」などという「希少価値」を散りばめるからおもしろい。
 つまりこうだ。「非常に珍しい効果」とか「他の健康食品では見られない」とか「他の食品には入っていない希少な栄養素」とか「本社だけのオリジナル」などと「世に少なく希な価値」を唱うのである。そして、他社製品を暗に糾弾する。
 顧客や「ご愛用者」は、敏感にその「糾弾」の中身と意味を嗅ぎ取って「他社製品」の非難に回る。「支持と非難の反転が社会を活性化させる」と言う人もいるがそうなのだろうか。
 だが、これは明らかに「自己矛盾」である。気づいているのかそうでないのか、そんなことには「お構いのないままに」テレビショッピングは延々と続くのである。
 そこで、『効かぬから健康法があふれてる』という川柳の登場となるわけである。この川柳の主題は、別に分別を必要としない。そのものずばりだ。「沢山健康法はあるけれど、そのどれをやっても効果がない」である。「健康法」を「健康食品」に置き換えてみると、これまたぴたりと一致する。
 『 効かぬから健康食品あふれてる 』とした方が秀作だろう。いい川柳だ。
日本政府は国民の健康を、これら「健康食品会社」や「健康法書籍販売会社」や「健康法器具製造会社」や「健康法番組製作のテレビ会社」に任せているのか。それとも、これら一連の企業や会社から多額の「政治献金」を得ているのだろうか。
 だから、「効かない健康食品」や「効かない健康器具」を販売しても「罰する」こともしないのだろう。(この稿続く)

Tさんが写した「長平尾根」の「石神さま」界隈 / 地球温暖化の現状「地球が溶けてゆく」

2008-01-21 05:02:39 | Weblog
(今日の写真は最新のものだ。昨日、相棒のTさんが「長平尾根」を登りに行った。その時に写した「石神さま」界隈である。社屋屋根の雪は1.5mあるという。スキーを着けても「腿」まで埋まるという新雪に、かなり遊ばれたようだ。この写真は「携帯メール」で現場から送られてきたものである。
 私も一緒に出かけたかったのだが、日程の都合がつかず、彼単独の登山になった。ここ数日、平年並みの寒気が居座り、天気は「待望」の西高東低の気圧配置、典型的な「冬型」となっていた。
 温暖化がこのまま進み、近い将来地球が破滅することを危惧する私にとっては、まさに待ちに待った真冬の到来である。嬉しい。だが、北極圏のアメリカ・アラスカ州の現状を知ると、真冬が来たという喜びは「白々しい」ものに変わってしまうのだ。
 夜空を覆うオーロラが緑色の「炎」がまるで生きているように形を変える北極圏のアメリカ・アラスカ州をたずねると「地球が溶けてゆく」ということがはっきり分かるという。

        ■■地球温暖化の現状「地球が溶けてゆく」■■

 『そこは、氷が消えた海や黒土にまみれた雪原だった。氷は数キロ沖だ。北極海の岸辺に氷はほとんどなかった。アラスカ州バロー、昨年11月25日のことだ。太陽が昇らない極夜の薄明かりの岸辺に波が寄せる。以前は9月か10月には、海は岸まで凍りついたという。だが、まとまった海氷があったのは沖合数キロも先だった。
 北極海は厚さ3m程度の「多年氷」が少なくなった。固まって間もない厚さ1m程度の「1年氷」の多くは、夏に解けてしまう。氷がもろくなり、先住民が氷上で行うアザラシ猟なども危険が増している。
 極北の先住民は、鯨を追ってアラスカからカナダやグリーンランドへと活動範囲を広げた。人々は協力して鯨に立ち向かい、獲物は平等に分かち合う。自然を敬い礼儀を尽くす人間の前に、鯨は自ら命を投げ出してくれると考えられている。その鯨も捕れなくなっている。
 夜の海岸沿いを行くとホッキョクグマが姿を見せる。このような場所に現れることのない動物だ。いつもは海氷上で暮らし、アザラシを狩るのだが、海氷が消えれば狩りがしにくくなる。
 「氷が消え、ホッキョクグマが消え、アザラシが消え、クジラが消えるのか。この先どうなるのだろう。我々は飢えることになるのか」。
 アラスカのそれは「狂った自然」だ。毎年この時期には雪と氷で真っ白な入り江が、今シーズンに限って「砂と小石が浮くグレーの世界」に。イヌピアットの人々も初めて見る現象だという。
 バローの東約500kmにある先住民の村、カクトビックでも異変を目にした。スノーモービルに引かれたそりに乗って走り抜けた地面や凍った干潟の表面が、黒く汚れていた。「いつもなら雪で真っ白なのに。これじゃオーバーヒートしてしまう」。スノーモービルを運転してくれたハンターが顔をしかめた。
 連日、村をいつになく強い東風が吹き抜けていた。雪も例年より少なく、村の東方にある砂丘地帯から小石や砂が運ばれたらしい。「こんなに村が汚れてしまうのは初めてのこと。自然が狂っているよ」…。』
 この報告を読めば「地球温暖化」が他所やよそ事、他者のことでないことがよく分かるだろう。

 このような思いを持ちながらも、一方で私は、単独行のTさんが心配だった。そこで前日に、次のようなメールを送った。
…『明日の山行についてですが…。今朝も雪かきをしました。昼食後にまた雪かきをします。昨晩から今現在も、それほど多くはありませんが、雪が暇なく降り続いています。岩木山は、ここ数日降り続いているものと考えられます。
 スキー場にとっては大変「いいコンデション」でしょうが、圧雪車で整備されていない自然のすべての斜面は「雪崩発生装置」と見て間違いないでしょう。
 そのような状態の時に、昨年から「岩木山登り」を始めた人に、ただ、「気をつけて行ってきて下さい。」と言うだけでは無責任のような気がしています。「雪崩」は「いつ」「どこで」発生するか分からないものです。言ってみれば「気をつけ」ようがないものです。気をつけると言えば「雪崩」の起こりそうな場所に近づかないことことが、雪崩を避ける最良の策です。そのことを「知り尽くして」いながら「気をつけて行ってきて下さい」とは「欺瞞」です。まったく「誠意」に欠けた「軽率」な物言いだと思います。申し訳ありません。
 ですから、もう一度踏み込んで、私の私の気持ちに素直に従って「明日の山行」は「中止にして下さい」と言います。
 でも、恐らく、行くでしょうから、その時はスキー場最終ゴンドラ駅の上部のブナ林を若干登る程度にして下さい。お願いします。』(説明不足のところがあったので実際のメール文より若干の改変がある)

 そして、昨日先ず、今日の写真と一緒にTさんからメールが届いた。
 「ここまでたどり着きました。神社の屋根には1.5mの雪が積もっています。ここからが楽しめそうです。」
 次いで、「奥宮に到着。ご心配をおかけしたかもしれません。ここまでの斜面は雪崩の跡があり、冬は通るべきでないことを実感。ゲレンデを登るのが正解ですね。」
 そして、最後のメールだ。
 「無事戻って来ました。ご心配をおかけしました。ゴンドラ上部のブナ林が途切れるところで引き返して来ました。太ももまでスキーが埋まり、実にいい運動になりました。」
…本当に「ほっ」と安堵している。今後はやはり「同行」しよう。昨晩Tさんから詳細な報告があったことを付け加えておく。Tさん、ありがとうございました。)

 長くなったので『効かぬから健康法があふれてる』は明日掲載する。

こんな景観も「岩木山」にはある /『効かぬから健康法があふれてる』

2008-01-20 07:17:18 | Weblog
(今日の写真は「どこから見た」景観だろう。そして、「岩木山のどの場所」だろう。夏場は「道」のないところだから、おそらく、この角度からの眺望に出会ったことのある人は多くはないはずだ。きっと、出会ったとしても冬場に限られているだろう。
 この写真には、いくつかの「不思議」があるように思える。
前景の雪稜は何だろうか。その奥に見える、つまり、写真中央に見える「群立する」雪塊は何だろう。さらにその奥に見える山の「端」は何だろう。果たしてこの写真は「岩木山」のどこなのだろう。

 写真前景の、左から右に走る直線的な雪稜と、その少しだけ奥に見えるなだらかな曲線が作り出す微妙な雪の造形。これは手前に斜面をなしている。先に進もうと思うと、この美しい自然が作り出した「造形」を壊すしかない。
 胸までの雪に埋もれながら、その雪の中で「全身」の筋肉をフルに使いながら、夢中になって前進行動や登高をしていて、このような「直線的」造形の先端に手をかける一瞬、「これでこの作業は終わりだ」という安堵感を持つものだ。
 だが、その安堵感の一方で「自然が作り出した微妙な直線的な造形」を「壊してしまう」という罪の意識というか「後ろめたさ」というか、そのような複雑な感情も生まれるものだ。
 果たしてこれは何か。稜線上という地形と風と、その風が運んできた雪の堆積が作り出したものだ。これは間近に見る「雪庇」である。高さは5mほどだろう。
 季節風は右から吹き付けるから、左に張り出している。その先端部分は「オーバーハング」状だから「鷲鷹」類の嘴(くちばし)のようになっている。だから地上で支えるものがない。この「雪庇」そのものが「自分」で重い先端部分を支えているのである。
 風が吹き付けて、雪が溜まるとどんどん大きくなり重くなる。そして、「自重」に耐えられなくなった時に「崩落」して、時には「雪崩」を誘発するわけである。
 先に進むには、これをよじ登るようにして乗り越えるしかない。「自重」という「バランス」の上に存在している「雪庇」に「縦」の轍を入れるというこの「登高行為」がいかに危険なものであるかが分かるだろう。
 写真中央にまとまるようにして並び立っている雪塊は何だろう。4000m以上の「高山」には「氷河」が存在する。「氷河」は遠目には、なだらかな雪面に見えるが、実際足を踏み入れると、クレバスがあったり、写真のような氷柱(雪塊が数千年も固められて氷化している)が無数にあるものだ。これは、その氷河を覆う「氷塊」に似ている。
 これも風と雪が作り出した造形だろうか。もしそうだとすれば「風と雪」は人間以上の彫塑家である。答えを出そう。これも「風と雪」が造ったものだ。ギザギザとした鋭角を見せる岩が、累々と林立している場所を「雪」が覆いつくしたものだろうか。だが、このようなギザギザした「岩稜」がこの場所にあるわけではない。
 これは「樹氷」だ。今月の16日のブログで紹介した「コメツガ」が纏った「雪の衣」樹氷である。モンスターと紹介したが遠目には林立する「雪塊」だ。標高1300mの稜線に林立する「氷河の氷塊」と呼んでもいいだろう。
 この写真を見る限りでは晴天である。このような一瞬の晴れ間にしか「写真」は撮れない。「ホワイトアウト」の中では「写す」ことは出来ない。しかし、これは「疑似好天」といって数分間で、視界がゼロに近い状態になる。風も強い。
 林立する「氷河の氷塊」の間を縫うように進み、また少し下って左に巻ながら、山頂を目指すのだ。山頂は左手奥の方にある。
 このような、「一瞬の晴れ間」を見逃していけない。この「一瞬」に「自分が進む方向」をしっかりとイメージすることが「冬山登山」では重要なことなのである。)

  ■■ テレビのコマーシャルやテレビショッピングにはあきれる(その1) ■■

 私は昔から、企業のテレビだけでなく、その他のメデアを使った新商品の宣伝に、ある種の「怒り」を持っている。
 それは、企業が『自社の新しい商品を紹介し宣伝する時に、それまで「最高級品」とか「一番優れている」とか「もっとも使いやすい」とか「一番効果がある」とか「一番安全」などと言っていた既存の自社製品を「これまでになかっかほどの」という一語句で「否定」してしまう』ということである。
 これを突き詰めて考えると、これまで「何々だ」と言っていたことを否定するのだから、その以前の宣伝文句はすべて「ウソ」であり、購買者を、言葉巧みに欺いていたことになるのではないかと思うからだ。「新商品」が出る度に、まともな「購買者」は「ああ、今まであの宣伝に騙されていたのか」という思いを強くしていたはずなのである。

 毎日新聞(電子版)2008年1月13日付の万能川柳に…
『効かぬから健康法があふれてる』(国分寺・玉川くらげ)というのがあった。

 昨年の夏にハイビジョン放送の視聴が出来るテレビを購入した。見るのは主にNHKのハイビジョン放送だが、民放のBS放送にもたまに、チャンネルを合わせることもある。その中で、気になったのがテレビショッピング(TV Shoping)である。別に買うというつもりはさらさらない。そこで扱われて商品は圧倒的に「健康食品(薬事法すり抜けの薬品)」であった。そこで、『効かぬから健康法があふれてる』という川柳の登場となるわけである。(この稿は続く)

赤倉尾根の「伯母石(おばいし)」について(3)

2008-01-19 06:37:56 | Weblog
今日も昨日に続けて「伯母石」に関係したことを書こう。
(承前)
 ところが、数年前に赤倉講の一信者が「神のお告げ」だと言って、この「岩稜地帯」に「人がよじ登ることが出来て歩ける」程度の「道」を開鑿したのである。
 そして、「風衝地」特有の「高山性の植物」が細々と命をつないでいる小さな岩棚を、「信者」が登り降りをするために使う「階段」としたのであった。
 さらに、「赤倉講信者」のある者が、その道を表示する「道標」まで造ったものだから、そこを「登り降り」する者は「赤倉講」の信者だけではなくなったのである。当然、「登山者」や「山菜採り」まで利用するようになった。
 「岩稜帯」の左岸を巻く旧来の道は「コメツガ」などの樹林に覆われて「空」や「山麓部」などの眺望が利かない。
 ところが、この違法に造られて付け替えられた道からは、津軽平野、日本海、陸奥湾、権現崎などが、さらに天気のいい日には北海道の渡島大島、渡島小島までが見渡せるのだ。 そのために、登山者を中心にして、この「岩稜帯」の違法ルートを登り降りする者が多くなっていったのである。
 他にもいるだろうが一例をあげると、「自然保護憲章」などを作成して「自然保護」に力を入れていると考えられる日本勤労者山岳連盟傘下の「山岳会員」までが「あそこは最高にすばらしい登山道だ」などと言って利用する始末である。これだとたまったものではない。
 ここは国定公園地内なので、もちろん、青森県自然保護課や森林管理署の許可を受けなければ「道路」敷設は出来ない。しかし、その「信者」は許可を得ていなかった。許可申請しても、恐らく「許可」はされなかっただろう。事後の確認では前二者は「許可をしない」と言明していた。
 最終的には保護課と森林管理署、岩木山を考える会などで調査し、「道路整備」と「開鑿等の工事」の「中止命令」を出したのである。つまり、この道は「違法」に敷設された道なのだ。
 だが、「違法・不法」の道はここだけではなかった。この信者の「信心」と「執着心」は異常であった。この「信者」が数年かけて「違法整備」したり、「違法伐採」したり、「違法開鑿」した地域は広範である。
 山麓部分から標高に従い、その区域を説明しよう。その「整備や工事」の方法や内容は別の機会に述べることにする。
 先ず距離的な面では、赤倉登山道のほぼ全部である。手が着けられなかったところは僅かに、「中央火口丘」部分だけである。つまり、赤倉神社の前を通り、赤倉沢を渡ったところから、山頂「中央火口丘」に取りつく手前までだ。
 また、派生的に「湧水」地周囲にある社屋群からさらに、赤倉沢沿いの旧「参道」から「結界」を示す大注連縄までと、その大注連縄をくぐって「赤倉沢右岸斜面」を通り「鬼の土俵」までの道である。特に、「湧水地周辺の社屋群」から続く「参道」は念入りになされている。
 「赤倉登山道」しか利用しない「登山者」には「不法・違法」の「整備」実態は、よく「見え」ない。しかも、年を追うごとに山麓から中腹部の「整備・工事」跡は草木に覆われて見えなくなってきている。

 ただこれだけは言っておこう。この信者が「工事」に燃えていた数年間、私は、何回も何回も、口が酸っぱくなるほどに次のようなことを、懇願するような気持ちで「自然保護的」な指導をしたものだ。
 …「あなたの整備の仕方は自然を壊していることですよ。土を掘り起こして石を掘り出したり、それを並べたり、穴を掘ったり、木の枝や幹を切ったりしないで下さい。せいぜい、刈り払い程度に止めて下さい。」と…。
 だが、まったく聞いては貰えなかった。併せて、県自然保護課にも何回も報告・連絡したし、当該自治体の岩木町にも「対応」を求めたものだ。だが、こちらからも「具体的な回答」は前半の数年間は全くなかったのである。

 また、全国からやって来る登山者からは次のようなことを「共通」して言われたものである。
 …「登山道沿いに見られる大きな穴は何ですか。」「多くの山に登っているが、道の両側に「穴」が縦に連なっているこんな奇妙な登山道は見たことがない。」と…。 )
 今日の写真は「伯母石」そのものである。右脇から写しているので「平面的な直方体」には見えないが正面下部から写すと「直方体」になる。これはTさんが撮ったものだ。

赤倉尾根の「伯母石(おばいし)」について(2)

2008-01-18 07:23:30 | Weblog
(今日も「伯母石」に関わることを書き進める。「伯母石」は人工的に切り出されたような「直方体」的な様相を示しながら、上から覆い被さる大きな、しかも多くの岩を支えて、押し止めている。これは、「赤倉沢」と「八ッ森沢」に挟まれた赤倉尾根稜線上にある長さが200mほどの岩稜の下端にある。
 標高は900m少しだが、細い稜線に「突き出して」いるという特殊性から、一種の「風衝地(ふうしょうち)」を形成しており、コケモモ等の「高山植物」が生育している場所でもある。だが、「岩稜」という性質は、それら「高山性の植物」を多く「育てる」という環境ではない。僅かに、小さな「棚」状になった岩の窪みに、細々と命をつないでいるに過ぎない。
 加えて、岩穴や岩の隙間が多いものだから、多くの「蛇」が生息している。この道が造られる以前から、私は「植生」の調査のため何回も、この「岩稜」を登り降りしたが、その「蛇」の多さには驚いた。
 朝方、まだ気温が低い時間帯は広めの岩に数匹が「とぐろを巻かずに」寝そべって「暖」をとっている。「蛇」は変温動物なので「太陽(日射し)」から「熱」を得て、自分がスムーズに「行動」が出来るまでに「体温」を上げる必要があるのだ。
 ある時、小さな「岩棚」を手がかりにしようと「右手」を上に伸ばし、視線をそこに運んだら、何とそこには「先客」がいたのである。そこには「ヤマカガシ」がとぐろを巻いて「鎮座」していたのである。私は「別な手がかり」を探すしかなかった。

 「蛇」が多いということは、この「岩稜帯」には「蛇」の餌になる「ネズミ」の仲間や小動物が多く生息しているということである。その「餌」になる動物が多いということは、その「餌になる動物」の餌になる動植物が多いということである。
 この「岩稜帯」はバランスのとれた「自然の生態系」を脈々と保持してきた場所であるということなのだ。そこに、道をつけて「人」がどんどん入り、「登り降り」をすれば、この「生態系」は壊されてしまう。「自然破壊」とはこのことを指す言葉である。

 神前やご神体につけられる「注連縄(しめなわ)」は交接する2匹の「蛇」を形象化したものである。森の民、日本人にとって「蛇」は山の神さまの使いであり、水神の使いともされて、畏敬をもって接する生きものだった。だから、昔の人たちは「蛇」を大事にした。
 弥生時代から「農耕」が始まり、収穫した穀類の「貯蔵」にとって「ネズミ」の害は深刻だった。自分たちが食べる食糧を奪われるのみならず、翌春に植え付けをする「種籾」まで「ネズミ」に食べられてしまっては「農耕稲作」は成り立たない。
 「蛇」の餌は「ネズミ」である。農耕民にとって「ネズミ」を捕食する「蛇」は、まさに「神の使い」、いや「神」そのものであっただろう。
 文化・文明の東西を問わず、「蛇」が神の使いだとされていたことは、世界各地の歴史や史蹟が証明するところであろう。

「伯母石」を含む岩稜帯左岸、旧来の道沿いには、第10番から13番までの4体の石仏が「設置」されている。だが、「岩稜帯」の「違法」ルートでは、これら石仏は拝めない。
 「伯母石」の直近にある第10番石仏は「聖観音」である。これは、仏の慈悲をもって、現世の生活に悩む人々の苦しみを救うとされている。阿弥陀如来(あみだにょらい:岩木山山頂がこれに擬えられている。)の化身と考えられ、頭上には阿弥陀の化仏を付けている。
 第11番石仏は「竜頭観音(りゅうずかんのん)」であり、今日の写真のものだ。「龍の頭」が石像下部に見えるはずだ。
 雲の中にいる龍に乗る観音だ。やさしい雰囲気のものと、憤怒(ふんぬ)の形相をした密教的雰囲気のものがあるが、これは前者だろう。「龍は蛇に通ずる」である。
 第12番石仏は「千手千眼観音(せんじゅせんがんかんのん)」である。これは「六観音」の一仏だ。千眼千首千舌千足千臂観自在ともいい、正しくは千手千眼観世音菩薩と呼ばれる。千とは無量円満を意味し、全ての生き物と人々を救う事を象徴し「大悲観音」とも呼ばれている。
 第13番石仏は「岩戸観音(いわとかんのん)」である。「毒蛇」の住む岩戸に坐る観音とされ、毒蛇の悪気も「観音」の力で消滅させることを表しているとされている。
 これは「日本で創案された」と言われている。森の民である日本人ならではの「観音」ということでは、この上部のブナ林内に設置されている「不空羂索観音(ふくうけんじゃくかんのん)」と並んで、大事にしたい石仏観音の一つだろう。
この4体の「石仏観音」像からも、この「岩稜帯」の自然的な特性が分かるであろう。昔の人たちは、その場所の自然を、注意深く「観察・調査」した上で、その場の「自然」や「地勢」に適った意味での「石仏」を配置したのだ。
 私たちは、その先人たちの「配慮」と「知性」に学ばなければいけない。(明日に続く)

赤倉尾根の「伯母石(おばいし)」について

2008-01-17 05:56:34 | Weblog
(今日の写真は12日に登った赤倉尾根「伯母石(おばいし)」上部、つまり「岩稜」に出来た「雪庇」である。右に見えるのは石柱と石仏である。この石仏を拝むための道は、岩稜左岸の登山道から左折して続いている。もちろん、先人たちは、拝んだら引き返していたのである。だが、最近、岩稜右岸から、この石仏の場所まで登り、そこを通過して上部に行く者が、あとを絶たない。この「ルート」は「違法に付け替えられたもの」であるから、通行すべきではない。この違法ルートを登るということは、ご神体である「伯母石さま」を足蹴りにし、踏みつける行為でもある。きっと、罰があたる。
 この写真は一緒に出かけたTさんが写したものだ。)

 今日はこの「伯母石」のことと、その上部にのしかかるように連なっている「岩稜」について書こう。
 岩木山の各登山道沿いには「大岩」がある。百沢、弥生、長平登山道のものは、「姥石(うばいし)」と呼ばれ、巨石信仰の具体的な信仰対象として祀られている。
 岳登山道沿いにはないが、この登山道は新しいものであって、旧いものは「湯ノ沢」を遡行するものだから、途中多くの「大岩」と出会える。だから、この「旧い」登山道では当然、名称は定かではないが「姥石」などと呼ばれた「大岩」信仰があったと考えられる。 ところで、名称についてだが、他の登山道では「姥石」と呼ばれるのに、赤倉登山道のそれは「伯母石」なのである。「姥」は「老女」のことである。百沢登山道では、その昔「女人」は標高668mの「姥石」までしか登山が許されなかった。いわゆる「女人禁制」である。弥生登山道の「姥石」は他の「姥石」のある位置より標高が高く、大体1100mほどのところにある。長平登山道では標高620mほどのところにあり、これは小振りだ。

 「姥石」という地名は全国的に多くあるようだ。
 宮城県伊具郡丸森町のものは「姥石」と表記して「おばいし」と呼ばれている。
 その謂われは「昔、村の若者が草刈に行き、藤の花に見とれているうちに鎌を水中に落とした。覗いてみると、鎌は大石のそばの水底に見えるので、飛び込んだのだが、若者はそのまま帰らなかった。月日が経つこと数百年、あるときこの若者の家に一人の老人が現れて今までの出来事を語ったのだが、それは、大石の奥にあった細道から水宮玉楼に行き、乙姫ならぬ美女と夢のような生活をしてきたと話したという。」である。
 富山県宇奈月町にあるものは「うばいし」と呼ばれている。その謂われは「若狭国小浜のトウロの尼が越中の立山に上る。女人結界の禁を破ったために角が生えて石になったのが姥石という。」である。
 百沢登山道にある「姥石」の謂われも、これと同じだろうと思うし、他の二ヶ所のものも、これと同一視していいと考えられる。ただ、弥生登山道のものは、標高の高さと極めて新しい時代に敷設されたので、そのような「謂われ」を歴史として持ち合わせることは不可能ではないかとも考えられる。
 他に、「姫路城の石垣」に「姥(うば)が石」というものがある。これは、「秀吉の築城のため、差し出された老婆の石臼」であって、これは前二者とは所以・理由を異にする。

 ところで、赤倉登山道のものは「伯母石(おばいし)」である。「姥石」と表記して「おばいし」と読ませるところもあるので、意味としては、恐らく「姥」なのだろう。だから、この際、あまり「表記」には拘らないでおきたい。「女人結界」や「女人禁制」という意味合いで捉えるのが、極めて自然ではなかろうか。
 しかし、「おば」には、漢字表記では「伯母」(姉)と「叔母」(妹)の二語がある。
これは「伯父」(兄)「叔父」(弟)からの転用であろうが、元々は『伯夷叔斉(はくいしゅくせい)』つまり、…
 『孤竹君の次子で、伯夷(はくい)の弟の叔斉は、父に自分を世嗣にする心があったが、弟であるというので受けなかった。周の武王が殷の紂王を討つに当って、兄の伯夷と共に、臣が君を弑する不可を説いて諫めたがきかれなかったので、周が天下を統一するや、その粟を食らうことを恥じて首陽山に隠れ、わらびを食って共に餓死したと伝える。(広辞苑 第五版)』…という故事による。

「伯母石」は、他の「姥石」とその名称が違うだけではない。明らかに、その外見が違い、全体の趣もまったく異質である。
 他の「姥石」は「単体」であり、かつ全体的に丸みを帯びている。どこか、優しい老婆を連想させるのだ。
 しかし、「伯母石」は「単体」を装うが、その上に大きな岩を積み重ねるようにして「背負って」いる。つまり、上部に累々と積み重ねられた岩石からなる「岩稜」をその下端で支えながら、踏ん張っているのである。その様子からは「優しい老婆」というイメージは到底浮かばない。それは、強靱で剛力さを誇る「不動明王」に近いものだ。
 しかも、その形状には、「丸み」や「柔らかさ」はない。まさに、人工的な「刃物」で切り出したような「鋭角」的な様相を見せる一枚岩なのである。硬くて絶対に砕けない永遠性を秘めたご神体、鋭く力強く支えるご神体、盤石不動なるご神体なのである。