岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

鰺ヶ沢スキー場の岩石「破砕」現場 /『効かぬから健康食品あふれてる』が語ること…(4)

2008-01-24 06:45:07 | Weblog
  (今日の写真は鰺ヶ沢スキー場「拡張ゲレンデ」にある「破砕」された岩痕だ。昨日も書いたが、山菜採集時期に、このゲレンデ「山菜採り」が入り、「大きな岩があると危険だから」という理由で「破砕」したという。
 しかし、この理由はあくまでも「理由探しの理由、理由付けのための理由」に過ぎない。鰺ヶ沢スキー場が「スキー客」の「邪魔な突起物が雪面にないゲレンデにしてほしい」という要望に応えるためか、あるいは、そのような「要望」があったと捏造(ねつぞう)して、雪が少ない時に危険な「突起物」となる可能性がある岩を砕いて、まったく安全で心配のないすばらしい「ゲレンデ」として売り出し、スキー客を集めるためだったのだろう。
 また、「突起物」がないと、積雪が少なくなる時季でも遅くまで営業することができるので、そのための方便だったのだろう。「雪を消さない」ために「硫安」まで撒くのだから、おそらく、そうだろう。
 それにしても、「鰺ヶ沢スキー場」はひどいものだ。ここまでやるのかと「感心」してしまう。まだ「コクド」が営業していた時のことだが、営業主体が代わったとはいっても、その本質は余り、変わっていないだろう。

 スキーヤー諸君、この事実をよく見てほしい。「ゲレンデ」とはこのように「破壊された自然」を土台にして成り立っているのだ。写真上部に見える樹木は「ブナ」である。この写真は5月下旬に撮影したものだが、「鬱蒼とした」ブナ林の様相が分かるだろう。
 これが、自然のままの「岩木山の森」だ。この森には「クマ」が棲み、「クマゲラ」が餌をとり、「クマタカ」が飛翔していた。沢には「日本ザリガニ」が生息していた。
 この森は、山麓の田畑を潤す水源として、その「水甕(みずがめ)」の役割をしてきた。岩が多いということは、非常に「土石流」を起こしやすい表層が形成されているということである。その「土石流」をしっかりと根を張った「ブナ」の木、一本一本が長い間、長い年月をかけて「抑え込んで」きたのである。
 しかし、「鰺ヶ沢スキー場」はブナの皆伐で「森」を壊し、「クマ」、「クマゲラ」、「クマタカ」「ザリガニ」を追い出し、水源としての「水甕(みずがめ)」をも破壊した。
 その上、「表層」の突起物である岩を破砕して「表層」から「凸凹」を取り除き「なめらかに」整備したのだ。これでは、「土石流」を起こしやすい表層を「人工的」に逆に造り出しているようなものだ。
 このような姿勢にあるものは、ひたすら「多くの集客と営業利益」だけである。山麓農民が憂える「水源」のことも、森に棲む動物のことも、樹木や植物のことも、「土石流発生」に脅える山麓住民のことも、まったく眼中にはない。
 このような考えの基に造られたスキー場で滑っていて楽しいのか。スキーヤー諸君、今一度視点を変えて考えてみてほしいものだ。
 …「森の伐採」は「地球温暖化」への「協力」でもある。)

■■ テレビのコマーシャルやテレビショッピングにはあきれる(その4) ■■
      贋作川柳:『効かぬから健康食品あふれてる』が語ること…)

 ひょっとしたら、「エコロジー(ecology)」の「エコ」を「エコノミー(economy)」の「エコ」だと意識的に間違って理解しているのかも知れない。最近騒がれている「古紙利用」再生紙問題などにそれを感じてしまうのだ。
 「エコノミー(economy)」には、「経済」とか「理財」という意味の他に「節約」という意味もあるから、などと開き直られたら、これは大変なことである。ここまで消費者をバカにした話はない。
 「エコロジー(ecology)」には色々な意味がある。その基本的な意味は「生態学」である。だから「エコ」的な発想や思想には「生態学」的な要素にそったものでなければいけない。
 地球上の「自然生態学」的な諸要素や現象を減少させたり増殖させたり、改変したり破壊したりすることにつながることには、間違っても「エコ」何々と言ってはいけないのだ。
 そのような基本的な意味から派生的に、現代社会では「環境保護」という意味で使われるのが一般的であるらしい。
 だからだろう。最近は、「環境や自然との共生をはかる」社会運動や、「環境に配慮する行為」などを象徴する意味でも使われている。
 環境問題に関心のある人々だけでなく、社会全体を対象に、「エコロジー」や「エコ」などの言葉を使ったキャッチコピーや商標、それに「運動」も登場し始めているのだ。
 しかし、先に述べたように「エコ」を錦の御旗や隠れ蓑にして「営利」に走る偽装業者や偽装個人は多い。
 これを「環境偽装」という。「エコ」の名に隠した「企業エゴ」のことだ。日本製紙など大手製紙会社が再生紙の古紙配合比率を偽っていた。いわゆる「環境配慮製品」の看板を偽ったのである。
 以前にも書いたが、昨年末の世論調査では、「温室効果ガスの排出削減義務を守るため、自分の生活レベルを下げることができるか」との問いに、49%の人が「できる」と答え、「できない」(41%)を上回り、「地球温暖化問題」に9割もの人が関心を払っているということが分かっている。
 その中でも、この偽装は「不二家、ミートホープ、赤福」などの偽装とは質的にも意義的にも違いがあり、「日本製紙など大手製紙会社」の責任は、無形的に甚大である。
 だが、「今回の偽装は結果的に品質のいい紙を提供していたのだからいいのではないか」と主張する企業もあるという。まったく、開いた口がふさがらない。腐りきっている。

 …毎日新聞は、社説で…『購買行動でも「環境に優しい」とされる商品を選ぶ人は増えた。そうしたことで資源保護や環境保全に参加、行動する実感を抱く。今回の大幅に水増し偽装された古紙配合比率の数値は、その実感が錯覚だったとあざ笑うようなものだ。
 さらに、ほかの環境配慮製品に対する疑念も生じさせ、ごみ削減やリサイクルなどへの参加協力の意欲もそぎかねない。森林資源保護がほとんど「空念仏」だったということになり、利用者はその製品を選択した意義がなかったという失意を味わわされるのだ。』…
 上記社説の中の『森林資源保護がほとんど「空念仏」だった』ということは「森林保護」を運動の中心に据えている本会にとっては、まさに「空疎」な蓆(むしろ)の何ものでもないように感じられた。実に悔しい。
 「エコ」を口にする企業や、特に「NPO」法人には「エコ」に関わる事業等を開示請求する気概で臨む必要がありそうである。(この稿は明日に続く)