岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

公開学習会「八甲田山と岩木山の位置関係から気象を考える」 / 地球温暖化を防ぐには…

2008-01-29 06:10:09 | Weblog
( 陸奥新報で既に「お知らせ」として掲載されたようだが、明日は「青森県自然観察指導員連絡会(通称:ウオッチング青森)」弘前地区の公開学習会である。テーマは総じて言えば「八甲田山と岩木山の位置関係から気象を考える」である。学習会の概要は次に掲示する。
 ●場 所:  弘前参画センター(桜大通り交番となり)
 ●時 間:  19時から20時30分まで
 ●参加資格: 別にない。興味のある人はどなたでも参加出来る。
 ●参加料:  もちろん無料。
 ●持参するもの:筆記用具など。

■■ 学習テーマ ■■

Ⅰ.八甲田山地の津軽地方への「恵み」と岩木山と白神山地(県境の山塊)の恵み
◆ 八甲田山地 ◆
■1.積雪(湧水・雨水)による水源効果“水がめ”。 
 「十和田(とわだ)信仰」
■2.八甲田山地は津軽地方を「凶作と餓死」から救ってきた。
■3.八甲田山地の太平洋側を進む台風の衝立効果。
■4.青森市(浪岡地区を含む)ではなぜ降雪量が多いのか。
◆ 岩木山と白神山地と県境の山塊◆
■1.これらはすべて“水がめ”積雪(湧水・雨水)による水源効果。
■2.岩木山の日本海側を進む台風の「衝立」効果。
■3.冬季、大陸からの寒気をともなう季節風の「衝立」効果。
■4.岩木山の南東面から東面にかけての弘前市周辺の降雪量を少なくする効果。

Ⅱ.岩木山の気象(その概要)
Ⅲ.岩木山の雪崩について
Ⅳ.雪形について   
      ◆◆ 岩木山の気象に関するプロジェクター画像資料 ◆◆
1.青森県地図 2.青森県の山脈 3.八甲田山周辺衛星写真 4.山背による雲(大岳)5.大岳の西側津軽は晴れ 6.岩木山全図1 7.岩木山全図2 8.岩木山周辺衛星斜写真 9.~18.岩木山の気象(積雪)19.岩木山の雪崩(99年のもの) 20.~36.これまで確認した岩木山の雪崩 37.岩木山雪崩発生地図 38.雪形を見せる岩木山 39.岩木山の雪形名 40.~48.岩木山の雪形の変遷 

 …ということで、今日の写真は1997年8月に写した「北八甲田山稜」によって止められている東からの山背(冷たい雲)である。これを「山背」の説明に使用する。
 この雲の下が大岳である。見えている山並みは左から「乗鞍岳」「猿倉岳「駒ヶ嶺」「櫛ヶ峰」「下岳」だ。
 北八甲田連山を境にして、南部地方は「山背」に覆われて気温は上がらず、10℃以下になることもある。しかし、津軽地方は晴れて、気温も30℃を越える。
 どうぞ、学習会にお出で下さい。お待ちします。)

     ■■ 地球温暖化を本気で心配しているものの独り言 ■■

「地産地消」はエコロジー(ecology)でエコノミー(economy)、ダブルで「エコ(eco)」なのだ。

 まずは、どうして「エコロジー(ecology)」なのかを考える。それは、「エコ(eco)」的な発想や思想には「生態学」的な要素にそったものだからである。
 地元の「環境」に合わせて、つまり、「自然生態学」的な諸要素や現象を減少させたり増殖させたり、改変したりしないで「地元で生産」するということである。これだと自然破壊にはならないし、「環境保護」にもなるというわけだ。
 それでは、「エコノミー」的側面は何だろう。この「エコノミー(economy)」には「節約」という意味がある。「」を遂行すると、「地球温暖化を防ぐ」ための何かを「節約」出来るのである。「節約」とはもちろん「お金」をかけないということ、つまり、「品物」の値段に含まれている「CO2」の要素を減らし、かつ、購入代金も減ずるという二重の「節約」につながるのである。
 季節、季節の「野菜や果物」は「その季節に食べる」ことにする。スイカを真冬に食べることを望むのは「自然の摂理」に適っていない。それは無理というものだ。無理をとおすから、そこに「無駄」が生まれる。その「無駄」を省くことが「エコノミー」なのである。しかも、これは「エコロジー」にもつながっていく。
 地場の「季節に適ったもの」を、その季節に「旬」を味わいながら食べると、真冬に野菜や果物を育てる「ビニール製のハウス」なども必要ではない。
 「ビニールハウス」の暖房には「灯油」が必要だ。この灯油は「化石燃料」が原料だ。『「化石燃料」とは、昔々のその昔に、「地球自身」が「自分にとって望ましい気象環境」を整えるために、「地下深く」埋蔵・封印したものである』と私はとらえているのだが、どうだろうか。 
「灯油」を私たちの日常生活以外の「暖房」用として使用することは、これまた、「大気中」の「CO2」を増やすことになる。
 「地場」以外から「商品」として「野菜や果物、鮮魚」などを購入するためには、その
「輸送や交通」に「ガソリン」を大量に消費することになる。これが「輸送費」となって価格に組み込まれ「購入代金」をつり上げる。一方では大気中への「CO2」の排出を増大させていくのである。この構図は「野菜や果物、鮮魚」だけの「流通」に見られるものではなく、すべての「商品」に該当するものだろう。「通信販売」などはその好例であるような気がする。
 以上が『「地産地消」はエコロジー(ecology)でエコノミー(economy)、ダブルで「エコ(eco)」なのだ。』という意味である。

 「地産地消」に徹したらどうだろう。この「地産地消」とは何だか最近、妙に脚光を浴びているが、それは「地元で生産したものを地元の人たちが消費して、地元の経済を生き生きさせる」という意味的な範囲を越えていないように思われる。
 この概念の元を質(ただ)せば、それは「昔」の経済のあり方であり、その土地の環境や風情にマッチした庶民の生活パターンそのものだったのである。これが、その土地そのものの味を育て、土地特有の「地域性」を育て上げてきたのである。
『「いつでも、どこでも、みんなと同じ」ように食べたい、飲みたい、手に入れたい』という発想や目的は、その人一人一人の個性や特性を失うことだし、「地域」や「地方」、何よりも「地場」の個性や特性を失うことである。それは「ふるさと」を失うようなものである。
 「気がついたら、すべての人が同じ顔になっていた」ということにならないように…。

最新の画像もっと見る