岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

長平登山道沿いにある「石神さま」の奥院 / 『効かぬから健康法があふれてる』が語ること…

2008-01-22 05:43:34 | Weblog
(今日の写真は、長平登山道沿いにある「石神さま」の奥院である。Tさんが写したものだ。
 積雪を推量してみよう。鳥居の高さを4mとすれば、積雪は3m程度となるだろう。前の晩から「静かに」雪が降り積もったのである。ブナの枝や幹に張り付いている「雪」がそれを教えてくれる。 夏場の登山道は写真手前の下部を右に登っていく。岩の隙間を辿るような登りであるが、そこを抜けると「スキー場ゲレンデ」だ。何回も書いているが、ゲレンデになる前は、この辺りから鬱蒼としたブナ林だった。
もう「寒」に入ったというのに、昨年と同じく雪が少ない。いつもの年ならば「寒入り」の頃は、この「鳥居」は雪の下だ。しかも、温い「寒の入り」である。今朝(5時20分現在)の気温は暖房なしの室内で14.7℃、戸外で氷点下4.0℃である。本当に大したことはない。まあ、一番寒くなるのは2月に入ってからだろうから、それを「期待」しよう。
 この場所は大鳴沢の左岸に当たる。「石神さま奥院」のある場所は大鳴沢の旧い「河岸段丘」のような地形になっている。
 昔々は「大鳴沢」が直ぐ傍を流れていたのだろう。今は、その浸食のため、大鳴沢は「後退」して、「深い谷底」を形成している。この段丘には「浸食」を逃れた岩石が累々と鎮座しており、それが「磐くら」となり、ご神体として、祀られているのだ。
 雪はいい。何もかも隠してしまう。しかも、「白」という一番目立つ「色」で隠すのだから、目立ち過ぎて「隠す・隠されている」ことすら想像させない。
 だから、「雪の下」の神々も安堵の中で、のんびりと春を待つのではないだろうか。
 もし雪が「黒」かったらどうしよう。すべてのことが「隠し事」の中で処理されているのではないかと、人間はお互いが「疑心暗鬼」となり、殺し合い破滅するだろう。
 「黒い雨」は原爆投下後の広島に降った。「黒い雨」があるのだから「黒い雪」があっても不思議ではない。「人間の余計な行為」に、自然は的確に答えるものだ。
 地球温暖化もまた、この「余計な行為」の答えに他ならない。「自然林」を伐採し、表土を重機で剥ぎ取り、ゲレンデに突き出している岩を「破砕」する「スキー場設営」行為も、もちろん「余計なこと」である。その答えとしての「しっぺがえし」もCO2を増やすという形で「地球温暖化」に「寄与」していることは間違いないのである。)

  ■■ テレビのコマーシャルやテレビショッピングにはあきれる(その2) ■■
      万能川柳:『効かぬから健康法があふれてる』が語ること…)

 民放のBS放送に、テレビショッピング(TV Shoping)というものがある。おおげさに言うと「朝から晩まで常時放映されている」となる。しかも、しつっこい。これでもか、これでもかとたたみ掛ける。私はそれで買う気になるかというと、そのつもりはさらさらない。そこで扱われている商品の多くは圧倒的に「健康食品(薬事法に抵触しない薬類も含む)」であった。
 健康維持や促進を「売り物」に稼ぐ企業や販売店がこれだけいるということは、その相対として、「今現在、不健康で健康になりたい」人や「まあまあ健康だと思うが、現状を維持したい」人が大勢いるということなのだ。「健康食品」が「商売」として成り立つということは、それだけ「未病」や「不健康者」が、この「日本」いるということである。だが、日本国政府はこの事実に、何ら対処しようとしない。それどころか、逆に「薬害」すら、厚労省主導でおこしてしまうという体たらくである。「薬害肝炎」訴訟の「和解」だって、本音は自民党の「国民」に対するご機嫌取りだろう。
 そうでなければ、これほど国民が「健康」に関心があるのだから、「具体的な策」を掲げて動き出すはずである。
 「未病と不健康者列島」、その日本政府は、「この件に関しては自己責任」ということらしい。う~ん、ご立派である。さすが、多数決だけの「民主国家」である。
 「健康食品」も多数の者が「効き目あり」と言えば「科学的な実験や実証」を超越して「優れた健康食品」となり、さらに多数へと広まっていく。「多数」とはいいものだ。
 しかし、宣伝文句には「多数」とは対置する「少数」をもって、「我が社だけ」などという「希少価値」を散りばめるからおもしろい。
 つまりこうだ。「非常に珍しい効果」とか「他の健康食品では見られない」とか「他の食品には入っていない希少な栄養素」とか「本社だけのオリジナル」などと「世に少なく希な価値」を唱うのである。そして、他社製品を暗に糾弾する。
 顧客や「ご愛用者」は、敏感にその「糾弾」の中身と意味を嗅ぎ取って「他社製品」の非難に回る。「支持と非難の反転が社会を活性化させる」と言う人もいるがそうなのだろうか。
 だが、これは明らかに「自己矛盾」である。気づいているのかそうでないのか、そんなことには「お構いのないままに」テレビショッピングは延々と続くのである。
 そこで、『効かぬから健康法があふれてる』という川柳の登場となるわけである。この川柳の主題は、別に分別を必要としない。そのものずばりだ。「沢山健康法はあるけれど、そのどれをやっても効果がない」である。「健康法」を「健康食品」に置き換えてみると、これまたぴたりと一致する。
 『 効かぬから健康食品あふれてる 』とした方が秀作だろう。いい川柳だ。
日本政府は国民の健康を、これら「健康食品会社」や「健康法書籍販売会社」や「健康法器具製造会社」や「健康法番組製作のテレビ会社」に任せているのか。それとも、これら一連の企業や会社から多額の「政治献金」を得ているのだろうか。
 だから、「効かない健康食品」や「効かない健康器具」を販売しても「罰する」こともしないのだろう。(この稿続く)