(今日の写真はある年の2月中旬、扇ノ金目山ルートで山頂を目指した時に、その「扇ノ金目山」に間もなく着くという辺りで写した「ブナの疎林」である。標高は900mを越えている。雪上に出ている部分の高さは2~2.5mだろう。
このルートは「一応」旧い昭和40年代発行の地図には載っている。しかし、最近のものには掲載されていないし、もちろん、夏場などは「登り降り」は不可能だ。まったくの「廃道」となっているからだ。だから、いきおいこのルートを辿るのは「冬季」かまだ残雪の多い時季となる。
概略的なルートの説明をしよう。大石神社の手前の林道を入る。そのまま西に移動する。そうすると、「牧場」のような、かなり広くて平坦に見える場所に出る。そこをかなり、西に進んでから南西方向に移動すると、眼前に赤倉沢の左岸尾根、白狐沢の両岸尾根が見えてくる。狙いは南西の端に見える沢の左岸尾根だ。その尾根に近づくと旧い「林道」跡が出てくる。
林道と書いたが、そこは旧い登山道でもある。そもそも、登山道とは「自然を壊さないで、自然の成り立ちと形状にそって、安全でかつ登り降りやすい」場所を選んで造られている。だから、旧くてまだ機械力のあまりない時代の「林道」は既に「登山道」のあった場所に敷設されることが多いのである。
だが、近年敷設される「何とか林道」は、機械力(重機)に頼り、圧しまくり、掘りまくり、剥ぎ起こし、崩落を繰り返し、立木をすべて伐採し、行く手を阻むものを悉く「灰燼」にする勢いで「自然破壊」の限りを尽くして造られる。
そして、造られた林道を利用して、今度は周囲の森林を伐採する。はげ山にしてしまうわけだ。しかも、最近は「植林」もしない。さらに、その「林道」を伝い、大勢の「山菜採り」が自動車でやって来る。林道のいたるところ、林内や竹藪もゴミの山、自動車による排気ガスをどんどんとまき散らす。
岩木山にはもう林道は要らない。日本の山々には林道は不要だ。政治家は「国を守る気概」などと言って、ただひたすら「外国の脅威」だけを挙げて、「軍事的な国防」だけを論ずるが、それはおかしい。
「山国」日本、本気でこの「山国日本」を守り育てていくのには、「治水治山」が一番だろう。遠く藩政時代から、各藩主の最大の仕事は「治水治山」であった。名藩主と呼ばれた者の多くはこの「治水治山」に腐心した者たちだ。現在、そのような首長や国会議員はいるだろうか。すべての「道路」を造る前に、「国防費」を増やす前に、まずは「治水治山」である。結局はそれが「自然保護」となり、地球温暖化をも食い止めることにつながるのである。
わき道に逸れてしまった。本題に戻そう。
その林道跡(登山道跡)を辿っていくと、「扇ノ金目山」ルートの最下端に取りつくことになる。それに取りついたら「白狐沢」の左岸稜線を外さないように進む。「ブナ林帯を抜けると伐採地に出る」ということを数回繰り返していると、次第に傾斜がきつくなってくる。 やがて、「ブナ林帯」がなくなり、低木のブナが疎らになってくると「扇ノ金目山」は近いのである。
その手前は、今日の写真のように幾分広めの尾根である。北の空は青い。晴れている。その青さが白い雪面を鏡として映しだして青く輝く。だが、これも一瞬だ。ブナのつくり出す影は長い。太陽が低いからだ。上部は風雪と雲に覆われている。西からは次の雲の先端が、駆け登ってきている。待つ間もなく、吹雪の中に閉じこめられてしまった。
「扇ノ金目山」というからちゃんとした「山頂」があるのかというとそうではない。そこは急峻でしかも細い稜線の下端である。
今はもうないかも知れないが、その「下端」には「扇ノ金目山」と書かれた標柱がある。熊に囓られた跡を見せながら朽ちる一歩手前の状態だ。それがあるから、「ああ、ここが扇ノ金目山か」と認識出来るのだ。なければ、「地図」に頼るしかない。
「扇ノ金目山」からの登りは細い稜線になる。しかも「直登」しなければいけないような急登が続く。その上、北西の風によって出来た「雪庇」が白狐沢に雪崩落ちる状態で延々と続くのである。北西の風、右から受ける風だが、それに圧されて左に寄ることは、もの凄く危険なのだ。雪庇の崩落を招くからだ。登りづらいが稜線右端のブッシュの出ているところを進む。
間もなく、青黒い様相の「コメツガ」が出てくる。ただし、雪を被ったものは「樹氷」となり、今度はそれは行く手を阻む。まるで、モンスターとの戦いである。この辺りになるとスキー登高は難儀だ。邪魔である。
モンスターとモンスターの間を縫って進むのだが、「間」はちょうどよく、つまり「通り道」状にあいているわけではない。大概は胸あたりまでの積雪となっていて「侵入禁止」を指示する。(この稿続く)
このルートは「一応」旧い昭和40年代発行の地図には載っている。しかし、最近のものには掲載されていないし、もちろん、夏場などは「登り降り」は不可能だ。まったくの「廃道」となっているからだ。だから、いきおいこのルートを辿るのは「冬季」かまだ残雪の多い時季となる。
概略的なルートの説明をしよう。大石神社の手前の林道を入る。そのまま西に移動する。そうすると、「牧場」のような、かなり広くて平坦に見える場所に出る。そこをかなり、西に進んでから南西方向に移動すると、眼前に赤倉沢の左岸尾根、白狐沢の両岸尾根が見えてくる。狙いは南西の端に見える沢の左岸尾根だ。その尾根に近づくと旧い「林道」跡が出てくる。
林道と書いたが、そこは旧い登山道でもある。そもそも、登山道とは「自然を壊さないで、自然の成り立ちと形状にそって、安全でかつ登り降りやすい」場所を選んで造られている。だから、旧くてまだ機械力のあまりない時代の「林道」は既に「登山道」のあった場所に敷設されることが多いのである。
だが、近年敷設される「何とか林道」は、機械力(重機)に頼り、圧しまくり、掘りまくり、剥ぎ起こし、崩落を繰り返し、立木をすべて伐採し、行く手を阻むものを悉く「灰燼」にする勢いで「自然破壊」の限りを尽くして造られる。
そして、造られた林道を利用して、今度は周囲の森林を伐採する。はげ山にしてしまうわけだ。しかも、最近は「植林」もしない。さらに、その「林道」を伝い、大勢の「山菜採り」が自動車でやって来る。林道のいたるところ、林内や竹藪もゴミの山、自動車による排気ガスをどんどんとまき散らす。
岩木山にはもう林道は要らない。日本の山々には林道は不要だ。政治家は「国を守る気概」などと言って、ただひたすら「外国の脅威」だけを挙げて、「軍事的な国防」だけを論ずるが、それはおかしい。
「山国」日本、本気でこの「山国日本」を守り育てていくのには、「治水治山」が一番だろう。遠く藩政時代から、各藩主の最大の仕事は「治水治山」であった。名藩主と呼ばれた者の多くはこの「治水治山」に腐心した者たちだ。現在、そのような首長や国会議員はいるだろうか。すべての「道路」を造る前に、「国防費」を増やす前に、まずは「治水治山」である。結局はそれが「自然保護」となり、地球温暖化をも食い止めることにつながるのである。
わき道に逸れてしまった。本題に戻そう。
その林道跡(登山道跡)を辿っていくと、「扇ノ金目山」ルートの最下端に取りつくことになる。それに取りついたら「白狐沢」の左岸稜線を外さないように進む。「ブナ林帯を抜けると伐採地に出る」ということを数回繰り返していると、次第に傾斜がきつくなってくる。 やがて、「ブナ林帯」がなくなり、低木のブナが疎らになってくると「扇ノ金目山」は近いのである。
その手前は、今日の写真のように幾分広めの尾根である。北の空は青い。晴れている。その青さが白い雪面を鏡として映しだして青く輝く。だが、これも一瞬だ。ブナのつくり出す影は長い。太陽が低いからだ。上部は風雪と雲に覆われている。西からは次の雲の先端が、駆け登ってきている。待つ間もなく、吹雪の中に閉じこめられてしまった。
「扇ノ金目山」というからちゃんとした「山頂」があるのかというとそうではない。そこは急峻でしかも細い稜線の下端である。
今はもうないかも知れないが、その「下端」には「扇ノ金目山」と書かれた標柱がある。熊に囓られた跡を見せながら朽ちる一歩手前の状態だ。それがあるから、「ああ、ここが扇ノ金目山か」と認識出来るのだ。なければ、「地図」に頼るしかない。
「扇ノ金目山」からの登りは細い稜線になる。しかも「直登」しなければいけないような急登が続く。その上、北西の風によって出来た「雪庇」が白狐沢に雪崩落ちる状態で延々と続くのである。北西の風、右から受ける風だが、それに圧されて左に寄ることは、もの凄く危険なのだ。雪庇の崩落を招くからだ。登りづらいが稜線右端のブッシュの出ているところを進む。
間もなく、青黒い様相の「コメツガ」が出てくる。ただし、雪を被ったものは「樹氷」となり、今度はそれは行く手を阻む。まるで、モンスターとの戦いである。この辺りになるとスキー登高は難儀だ。邪魔である。
モンスターとモンスターの間を縫って進むのだが、「間」はちょうどよく、つまり「通り道」状にあいているわけではない。大概は胸あたりまでの積雪となっていて「侵入禁止」を指示する。(この稿続く)