岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

3月、弥生尾根を登る / 電気の垂れ流しは他にもある。だから、「温暖化」は進む(3)

2008-01-12 05:12:03 | Weblog
(…今日の写真は弥生尾根標高1200m地点である。標高が高くなると気温が下がって来るのだが、時間とともに晴れ上がってきたので、同時に気温も上がってきた。防風・防寒のための「ヤッケ」は着ていない。ウールのシャツに、下着は発汗性にすぐれた素材のものが1枚、ただそれだけであるが、汗ばむことしきりである。…
 断っておくがこの「写真」は昨年の3月にTさんと一緒に弥生尾根を登った時のものである。もちろん、この写真はTさんが写した。写真からは「Tさんをどんどん引き離して登って行く私」というイメージだろうが、本当はそうではない。私の後ろでTさんは写真を撮っていたのである。しかも、この尾根では最後になるブナ疎林とその上部に続く稜線の「雪庇」と私を一緒に「収める」ために「私」から出来るだけ距離をとっているのだった。私は疲れていた。
 私の大腿部の筋肉は、既に軽い「痙攣」を数回繰り返していた。「痙攣」は「これ以上行動してはいけない」というシグナルなのだが、バカな私は、気分だけ「颯爽」としながら耳成岩の下端を目指して、上へと進んで行った。
 この尾根では最後になるブナ疎林を見てほしい。普通に降雪のある年は、このブナの梢部分が積雪上に出ている。幹は完全に見えない。写真左端のブナが私の定点観測用である。 樹高は7.5m、地上6mのところの折れた枝に「空き缶」を逆さに差し込んであり、それが「目安」である。去年の3月、積雪は例年より3~4mも少なかったのである。
 その少なさを示すものに「雪庇」の張り出しの小ささがある。上部稜線に沿って隆起したように大黒沢に張り出している部分がそれだ。例年だとこの張り出しは5~6mにもなる。3月になると崩落が激しく、雪崩を誘発するのでこの上なく危険な場所になるのだが、そういうこともない。「雪庇」が育たないことの理由は雪が少ないだけではない。「雪庇」が風下に伸びていかないことは、それだけ「吹き溜まり」を造るほどの強風が吹かないということである。季節風の「吹き出し」が弱いのである。温暖化は正常な「季節風」から、「寒冷と強風」それに「暇なく発生する」という特性を奪ってしまったのである。つまり、人間が季節風を変えてしまったのである。
 この日の「雪庇」は「雪庇」と呼べるものではなかった。「雪庇」の左横を登って、標高1400m辺りで大黒沢へ斜降した。例年ならそれは出来ないことだったが、しかし、簡単に「雪庇」を跨いで滑降の体制がとれたのである。「雪庇」の高さは50cmに満たなかったのである。…
 そして、帰路、このブナ疎林のところに戻ってきて私は「予期」したとおりの「アクシデント」に見舞われた。両大腿部が本格的な痙攣を起こしてしまい「立ち上がれなく」なってしまったのである。
 しばらく、雪上に横になり、臥していたが、その間Tさんは、痙攣部分をさするなどしてくれたのだ。単独登山だったら、どうなっていたのだろう。これは、はっきり言って「甘え」の結果でしかない。救われることは、その後は何事もなく下山出来たことである。)

   ■■ 電気の垂れ流しは他にもある。だから、「温暖化」は進む(3)■■

 「温暖化」を少しでも抑制するために出来ること…それはCO2の排出を抑えることだ。そのためには、「化石燃料」を出来るだけ使わないことである。その一方で「森林」はこれ以上に伐採させないことであり、森林を育て、木を植えることである。
 それから、CO2を排出しながら得られる「電気」の使用を抑えることである。電気の使用を抑えるためには「コンビニの24時間営業は止める」、「その他のお客相手の営業も短時間にする」、「野球のナイターも止める」、「自動販売機の(夜中の営業禁止・数の削減)」「深夜のテレビ放映を禁止」など多くのことが、その達成目標と内容としてあげられるだろう。
 私は、手始めに、使用しているコンピュータの数を減らした。電源が550WattsでマザーボードがAsustik PK5 Deluxe、OSはWindows Vista Ulitimate の「自作機」である。コンピュータは使用していない時も通電されていて、これが電気を「食らう」のである。物置に「Mac Pro」なみのアルミ製の外観で「鎮座」している。もはや、ただのアルミ箱だ。

 毎日新聞発信箱(電子版)に、『京都議定書が定めた温室効果ガスの削減義務を守るため「生活レベルを下げられる」という人が49%いた。朝日新聞も7日、同じような世論調査を掲載した。ここでは、温暖化を防ぐために「今より生活が不便になってもいいか」との問いに51%が「いい」と答えた。』とあった。
 そして、『「日本人」は「地球を食い尽くしかねないほどの成長を追う米国やロシア、中国」などより、未来を見据えているのではないか。』という意見も書かれていた。少し、贔屓(ひいき)目で、楽観に過ぎるのではと言いたいところだが、まあいいだろう。
 朝日新聞の調査には、温暖化を防ぐため「コンビニの深夜営業がなくても我慢できるか」という項目があり、83%の人が「我慢できる」と答えたとあったそうだ。
 これでは、「コンビニエンスストア各社」が及び腰になるのも、その意味がよく解る。

 政府は昨年末、温暖化対策としてコンビニの24時間営業の見直しを検討したが、業界「コンビニエンスストア各社」が「16時間営業でも温室効果ガスは3~4%しか減らせず、一方で売り上げは2割程度落ちる」と猛反発し、見送られたという経緯がある。8割以上が「深夜営業しなくていい」とする利用者の声は反映されていたとはいえない。
 結局、政府は資本家を代表するものでしかない。アメリカが「京都議定書」に後ろ向きなのは、資本家が作っている政府だからである。
 聞くところによると、「コンビニ」には、「コンビニ」だけが持つ「特別の方式」があって「24時間営業」ではじめて、その方式のうま味が保証されるらしいのだ。だから、「24時間営業」に強くこだわるのだ。
 毎日新聞発信箱(電子版)は、最後に『しかし、人件費や光熱費を負担する(個人商)店のオーナーはどうだろう。(コンビニ)が「あいてて良かった」は、もはや時代遅れだと思うのだが。』で結んでいた。

 「夜明けとともに活動を始め、夕暮れとともに活動を止める」という生活に戻らないと「地球温暖化」は止めどもなく進むのである。私たちに、そのような「生活」が出来るようになると、「電気力不足」を理由に進められている「原子力発電所」も不要になるだろう。
 …だが、待てよ。「原子力発電」は「温室効果ガス」を排出しないから、「クリーン」で「温暖化を進めることに手を貸さない」などといって、原子力発電所の建設をどんどん推進しようという輩が出てくるかも知れない。「桑原、くわばら」である。