(今日の写真は、寒い寒い日の弥生尾根上部のブナ林である。ある年の2月中旬のことだ。標高1000mを越えた辺りだろうか。気温はどんどんと下がり、氷点下18.6℃を示した。無風である。
霧が結晶をなして、枝や梢に張り付き美しく輝くのだが、高く明るい曇り空であり、青空ではないので冷涼、寒冷という冷たさよりも、ぼってりとした「暖気」を感ずる。だが、それはあくまでも視覚の話しだ。
実際はブナ林全体が冷凍庫であり、私は冷凍庫の通路をひたすら「凍える」冷たさから逃れるように、高みを目指して登っていた。)
■■ Tさんからの弥生尾根情報 ■■
昨日、いつも同行しているTさんから、「Tさんの弥生尾根単独山行報告」がメールで届いた。今季の弥生尾根積雪状態がよく解るので掲載したい。私も一緒に行きたかったのだが、野暮用があって行けなかったのが残念だったが、文面を見る限りでは、「単独」であったことで学んだこともあったらしい。
積雪の状態も解るので、これから弥生尾根を登高しようと考えている人は、参考にしてもいいのではないだろうか。
果たしてどのような景色を見、どのような体験をしてきたのだろう。
『昨日岩木山弥生コースを歩いてきました。積雪のため、神社付近に車を置き、そこからスキーで行きました。雪が柔らかく、ワカンだと膝上までぬかります。大長峰にとりつく地点の手前を早めに登ってしまい、方角が分らなくなり、一度引き返すなどして地形の学習をしました。自分で歩けば、やはり確かな知識として身に付きますね。
足下の感触では、柔らかい雪の下にはやはり弱層がありました。しかし、5合目付近までは、特に「雪崩の形跡」は私には見えませんでした。もっと高いところではあるのでしょうが。
今年の雪はやはり少ない。登山道の標識がまだ3分の1ほど顔を出していました。小灌木もまだたくさん顔を出しており、3合目付近まではスキー歩行も困難を極め、5合目付近まで行ったら1時になったので戻ってきました。
しかし4合目以下では風の音もなく、鳥の声もない静寂の世界は、珍しい体験でした。太陽が映し出すブナ林の光と影に心を奪われ、カメラに収めてきました。うまく撮れていればいいのですが。』
質問的な事項があるようなのでそれに答えよう。
ブナ林帯の中で「雪崩の形跡」がよくある場所は、大長峰の上端、向かって左側に浅い沢が出てきて、それが途切れる右側にある急な斜面である。かなり急で上部のブナ林帯に入るまでかなり「距離」もある。新雪が多い時は、そこを登らないで、左の浅くて狭い沢を横切って対岸のブナ林に入るのがベターだろう。
「小灌木もまだたくさん顔を出しており、3合目付近まではスキー歩行も困難を極め」たということについてだが、この場所は数十年前にミズナラなど雑木林を形成していた樹木の伐採が行われたところである。
夏場は「低木」の林となっており、適度な木陰を作り、または小低木の密生する「トンネル」をなしているので、日を遮ってくれて「快適」なのだが、「冬場」はそれが仇となる。特に少雪の年や「冬の始まり」の頃は、夏の藪こぎと同じほどの「困難を恵んで」くれる。しかし、積雪が4mを越えると、殆どが「埋没」して快適な「登高」と「滑降」を保証してくれるのだ。
■■ 懲りない人たち・やりきれない“既視感”(4) ■■
「寝た位置で明暗、死亡者はテントの両端」
新聞情報(毎日新聞電子版)によると…
『岐阜県高山市の北アルプス槍ケ岳で先月31日から1日0時に発生した雪崩で、窒息死した男性4人は、それぞれ二つのテント内の両端に寝ており、真ん中にいた男女3人が助かった。結果的に、寝ていた位置が生死を分けた形になった。』と報じられている。
このことは、何も雪崩に遭わなくても「経験」することである。降雪の激しい時は、1時間おきに「起き出して」テントに積もる雪を排除しなければならいものだ。それをしないと「テント」からの落雪で「庇」部分の下部がすぐに埋まってしまうのだ。そうなると、当然テント内の「庇・軒」部分で就寝している者は、雪の重みと「テント布地や内張」による「重圧」に押さえ込まれる。
このような経験があれば、それと「雪崩発生」の状況と遭遇との関連性を十分理解出来るはずなのである。
雪崩に埋もれた際には、「呼吸できる空間」が確保出来るか出来ないかが非常に重要なのだ。このことは雪崩に関しては「常識」であろう。
雪の重みで「テント」に負荷がかかると端の部分が内側に圧され、中で寝ている者の顔にテントが覆いかぶさる形になるということは、テント泊を伴う「冬山登山」を体験していると分かるものである。また、そのような「知識」は当たり前のこととして持っていなければいけないことなのである。今回の雪崩事故で救出に加わったある者は「死亡した4人は、掘り起こした時、テントが顔に密着していた」と証言している。
助かった者は、テントの真ん中に寝ていた3人である。テントの支柱などで両端よりも空間を確保できたために助かったことは明らかだろう。
救助された徳島岳人クラブの長瀬美代子さん(30)は「胸の上に空間があり、右手を上に伸ばしたらテントが破れ、雪の上に出た」と話しているという。
破れたとは「奇跡」である。運がいいとしか言いようがない。それとも破れやすい材質のテントだったのだろうか。
また、何故「必需品」である「ナイフ」を持っていなかったのか。持っていなかったとすれば、もはや「冬山」登山をする資格はないし、持っていても使えなかったとすれば、これまた、その「資格」が疑われてもしかたがない。
また、救助されたある者は「顔の上にあったテントを歯で破って、右手を外に出そうとしたが、次第に意識が遠のいた」と証言している。ここにも「ナイフ」は登場してこない。「テント泊」と「ナイフ」は、テントを切り裂くということで、切っても切り離せないものであることを理解していない。
さらに、「雪崩が端に寝ていた人を直撃したあと、方向が上向きに変わったために真ん中には雪があまりかからず、反対の端に再び雪がかぶさったのではないか」という見方も出ているそうだ。
テント設営時に気をつけることは、主に「風向き」である。風に向かない方が入り口になるような位置関係で設営するのが普通だ。
しかし、雪崩が発生するような場所では雪崩を横(側面)から受けないように配慮することも大事なのだ。
霧が結晶をなして、枝や梢に張り付き美しく輝くのだが、高く明るい曇り空であり、青空ではないので冷涼、寒冷という冷たさよりも、ぼってりとした「暖気」を感ずる。だが、それはあくまでも視覚の話しだ。
実際はブナ林全体が冷凍庫であり、私は冷凍庫の通路をひたすら「凍える」冷たさから逃れるように、高みを目指して登っていた。)
■■ Tさんからの弥生尾根情報 ■■
昨日、いつも同行しているTさんから、「Tさんの弥生尾根単独山行報告」がメールで届いた。今季の弥生尾根積雪状態がよく解るので掲載したい。私も一緒に行きたかったのだが、野暮用があって行けなかったのが残念だったが、文面を見る限りでは、「単独」であったことで学んだこともあったらしい。
積雪の状態も解るので、これから弥生尾根を登高しようと考えている人は、参考にしてもいいのではないだろうか。
果たしてどのような景色を見、どのような体験をしてきたのだろう。
『昨日岩木山弥生コースを歩いてきました。積雪のため、神社付近に車を置き、そこからスキーで行きました。雪が柔らかく、ワカンだと膝上までぬかります。大長峰にとりつく地点の手前を早めに登ってしまい、方角が分らなくなり、一度引き返すなどして地形の学習をしました。自分で歩けば、やはり確かな知識として身に付きますね。
足下の感触では、柔らかい雪の下にはやはり弱層がありました。しかし、5合目付近までは、特に「雪崩の形跡」は私には見えませんでした。もっと高いところではあるのでしょうが。
今年の雪はやはり少ない。登山道の標識がまだ3分の1ほど顔を出していました。小灌木もまだたくさん顔を出しており、3合目付近まではスキー歩行も困難を極め、5合目付近まで行ったら1時になったので戻ってきました。
しかし4合目以下では風の音もなく、鳥の声もない静寂の世界は、珍しい体験でした。太陽が映し出すブナ林の光と影に心を奪われ、カメラに収めてきました。うまく撮れていればいいのですが。』
質問的な事項があるようなのでそれに答えよう。
ブナ林帯の中で「雪崩の形跡」がよくある場所は、大長峰の上端、向かって左側に浅い沢が出てきて、それが途切れる右側にある急な斜面である。かなり急で上部のブナ林帯に入るまでかなり「距離」もある。新雪が多い時は、そこを登らないで、左の浅くて狭い沢を横切って対岸のブナ林に入るのがベターだろう。
「小灌木もまだたくさん顔を出しており、3合目付近まではスキー歩行も困難を極め」たということについてだが、この場所は数十年前にミズナラなど雑木林を形成していた樹木の伐採が行われたところである。
夏場は「低木」の林となっており、適度な木陰を作り、または小低木の密生する「トンネル」をなしているので、日を遮ってくれて「快適」なのだが、「冬場」はそれが仇となる。特に少雪の年や「冬の始まり」の頃は、夏の藪こぎと同じほどの「困難を恵んで」くれる。しかし、積雪が4mを越えると、殆どが「埋没」して快適な「登高」と「滑降」を保証してくれるのだ。
■■ 懲りない人たち・やりきれない“既視感”(4) ■■
「寝た位置で明暗、死亡者はテントの両端」
新聞情報(毎日新聞電子版)によると…
『岐阜県高山市の北アルプス槍ケ岳で先月31日から1日0時に発生した雪崩で、窒息死した男性4人は、それぞれ二つのテント内の両端に寝ており、真ん中にいた男女3人が助かった。結果的に、寝ていた位置が生死を分けた形になった。』と報じられている。
このことは、何も雪崩に遭わなくても「経験」することである。降雪の激しい時は、1時間おきに「起き出して」テントに積もる雪を排除しなければならいものだ。それをしないと「テント」からの落雪で「庇」部分の下部がすぐに埋まってしまうのだ。そうなると、当然テント内の「庇・軒」部分で就寝している者は、雪の重みと「テント布地や内張」による「重圧」に押さえ込まれる。
このような経験があれば、それと「雪崩発生」の状況と遭遇との関連性を十分理解出来るはずなのである。
雪崩に埋もれた際には、「呼吸できる空間」が確保出来るか出来ないかが非常に重要なのだ。このことは雪崩に関しては「常識」であろう。
雪の重みで「テント」に負荷がかかると端の部分が内側に圧され、中で寝ている者の顔にテントが覆いかぶさる形になるということは、テント泊を伴う「冬山登山」を体験していると分かるものである。また、そのような「知識」は当たり前のこととして持っていなければいけないことなのである。今回の雪崩事故で救出に加わったある者は「死亡した4人は、掘り起こした時、テントが顔に密着していた」と証言している。
助かった者は、テントの真ん中に寝ていた3人である。テントの支柱などで両端よりも空間を確保できたために助かったことは明らかだろう。
救助された徳島岳人クラブの長瀬美代子さん(30)は「胸の上に空間があり、右手を上に伸ばしたらテントが破れ、雪の上に出た」と話しているという。
破れたとは「奇跡」である。運がいいとしか言いようがない。それとも破れやすい材質のテントだったのだろうか。
また、何故「必需品」である「ナイフ」を持っていなかったのか。持っていなかったとすれば、もはや「冬山」登山をする資格はないし、持っていても使えなかったとすれば、これまた、その「資格」が疑われてもしかたがない。
また、救助されたある者は「顔の上にあったテントを歯で破って、右手を外に出そうとしたが、次第に意識が遠のいた」と証言している。ここにも「ナイフ」は登場してこない。「テント泊」と「ナイフ」は、テントを切り裂くということで、切っても切り離せないものであることを理解していない。
さらに、「雪崩が端に寝ていた人を直撃したあと、方向が上向きに変わったために真ん中には雪があまりかからず、反対の端に再び雪がかぶさったのではないか」という見方も出ているそうだ。
テント設営時に気をつけることは、主に「風向き」である。風に向かない方が入り口になるような位置関係で設営するのが普通だ。
しかし、雪崩が発生するような場所では雪崩を横(側面)から受けないように配慮することも大事なのだ。