岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

夏場の弥生登山道3合目の標柱 /雪崩は無機質な物質であり、意志のない移動物に過ぎない

2008-01-08 05:06:29 | Weblog
(今日の写真は、夏場の弥生登山道3合目の標柱である。昨日の写真と十分比較してほしい。標柱の右に見えるミズナラに注目してほしい。根元から1.5mのところで80度ほど下方に曲がり、50cmほど横向きに伸びてから、今度は100度ほど上向きに伸びて、あとは直上している。これを称して「腰曲がり」と私は呼んでいる。その脇のものは太い1本の幹に見えるが、実際は株立ちしたものが2本なのだ。登山道は標柱から右折して上部に続いている。
 普通の積雪期には、この「腰曲がり」部分は完全に、雪に埋もれて見えない。見えないどころか、この写真が「切れて」いる真上(上端)を越えたところまで積雪があるのだ。多い時は4mを遙かに越える。
 そのミズナラの根元に「置かれた」鉄製の看板は、森林管理署「旧営林署」が設置した「土砂流出防備保安林・水源涵養保安林」を告知するものだ。殆どが赤くさびているが真ん中の白い部分は、保安林を示す「地図」だ。
 だが、もう役立つという代物ではない。はっきり言うと「燃えないゴミ」である。この類の「残骸」は登山道の多くで見られる。役に立たなければ「ゴミ」である。設置者の責任で早く撤去すべきだろう。この登山道でも、他に8合目付近にも残置されている。
 夏、6月になると、この辺りはコバノイチヤクソウやジンヨウイチヤクソウ、少し遅れてウメガサソウなどが咲き出す。
 7月に入るとクルマユリが、ジガバチソウなどと競うように咲き出すのだ。ちょっと、林内に入ると小さくて白い清楚な花二輪をつけるツルアリドオシなどに出会えるのである。楽しい場所である。)

     ■■ 雪崩や落石は無機質な物質であり、
            重力の作用で物理的に移動したに過ぎない (2)■■
(承前)
 「雪崩が襲った」と表現することで、犠牲になった「登山者」たちの責任をどこかで軽減を図ろうとしているのではないのか。いってみればこれは「登山者」たちを甘やかすことであり、ひいては「社会」全体への責任解除をも側面的に行っていることになりはしないか。
 だが、「登山者は雪崩に巻き込まれないで避けるための手だて」をしないのである。これだと結果として「避けようがない弱者」となるに過ぎない。ゆえに、雪崩を「強者」に仕立て上げて襲わせるのである。
 しかし、これは卑怯な論法だ。すべきことをしない怠慢さを棚に上げて、「赤ずきんちゃん」を演じさせ、「狼役」を雪崩にさせるという手法だ。このようなことをしているから、いつまで経っても「雪崩遭難」はなくならないのだ。1ヶ月前の十勝岳連峰・上ホロメットク山で発生した雪崩で4名が死んだという事実が教訓になっていないではないか。
 雪崩は人を襲わない。人を巻き込んでやろうなどという目論見もない。ただ、単純に斜面を滑り落ちて来るだけなのだ。だから、人は能動的に自ら「巻き込まれない」ための行動と努力をしなければいけないのだ。

 私は脇見運転、居眠り運転、飲酒運転、その他の交通法規無視による運転の自動車が通行人を「撥ねた」り、通行人に「ぶつかった」り、「押し潰した」りすることを、「自動車が通行人を襲った」と表現したいと常々考えている。
 だが、テレビニュースも新聞記事にも「自動車が通行人を襲い、死者4名」などという見出しも出ないし記事もない。
 このような表現で済ましている。つまり、こうだ。「飲酒運転の自動車、通行人に接触、4名死亡」と。
 自動車は「人」が運転している。「意志」を持った人間が運転している。主体的行為者が「自分の意志」で物理的な運動をさせているのだ。犠牲になった者からすれば、これは明らかに「襲われた」ことに他ならない。
 「雪崩は人を襲い」、「自動車は人に接触」では、人間社会の「科学的な視点」は育っていないと言える。まずはマスコミがこの視点を育てる役割を早急に自覚することだ。
 「自動車は人に接触」という表現で片付けるところにこそ、「車社会」ならではの「車優先」という病巣が見えるのだが、どうだろう。

 昨日の毎日新聞の社説には…
『…交通事故死者が昨年、54年ぶりに6000人を割った。9月に改正道路交通法が施行されるなど飲酒運転の厳罰化が進んだことが影響したという。法改正に伴い、役所や企業が飲酒運転をした者に厳しい処分を科すようになったことも、抑止力となったのだろう。ただし発生件数は10年連続で80万件を突破し、負傷者も9年連続で100万人以上を記録しており、手放しでは喜べない。飲酒運転や危険運転への法的対応や取り締まりをさらに強めてドライバーの意識を向上させ、社会全体で封じ込めていくことが必要だ。』とあった。

 この「発生件数は10年連続で80万件を突破し、負傷者も9年連続で100万人以上を記録」という事実的数字は「自動車」という「文明の利器」に、一方的に、有無を言わせず襲われた「弱者」としての「歩行者」等の悲しみや痛みを伴った「数字」である。
 社会の「すべて」において「自動車」が「優先」されるという「病理・病巣」を摘出しない限り、「自動車に襲われる人」は、これからも毎年、100万人を越えるだろう。(この稿はこれで終わりとなる。)