岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

こんな景観も「岩木山」にはある /『効かぬから健康法があふれてる』

2008-01-20 07:17:18 | Weblog
(今日の写真は「どこから見た」景観だろう。そして、「岩木山のどの場所」だろう。夏場は「道」のないところだから、おそらく、この角度からの眺望に出会ったことのある人は多くはないはずだ。きっと、出会ったとしても冬場に限られているだろう。
 この写真には、いくつかの「不思議」があるように思える。
前景の雪稜は何だろうか。その奥に見える、つまり、写真中央に見える「群立する」雪塊は何だろう。さらにその奥に見える山の「端」は何だろう。果たしてこの写真は「岩木山」のどこなのだろう。

 写真前景の、左から右に走る直線的な雪稜と、その少しだけ奥に見えるなだらかな曲線が作り出す微妙な雪の造形。これは手前に斜面をなしている。先に進もうと思うと、この美しい自然が作り出した「造形」を壊すしかない。
 胸までの雪に埋もれながら、その雪の中で「全身」の筋肉をフルに使いながら、夢中になって前進行動や登高をしていて、このような「直線的」造形の先端に手をかける一瞬、「これでこの作業は終わりだ」という安堵感を持つものだ。
 だが、その安堵感の一方で「自然が作り出した微妙な直線的な造形」を「壊してしまう」という罪の意識というか「後ろめたさ」というか、そのような複雑な感情も生まれるものだ。
 果たしてこれは何か。稜線上という地形と風と、その風が運んできた雪の堆積が作り出したものだ。これは間近に見る「雪庇」である。高さは5mほどだろう。
 季節風は右から吹き付けるから、左に張り出している。その先端部分は「オーバーハング」状だから「鷲鷹」類の嘴(くちばし)のようになっている。だから地上で支えるものがない。この「雪庇」そのものが「自分」で重い先端部分を支えているのである。
 風が吹き付けて、雪が溜まるとどんどん大きくなり重くなる。そして、「自重」に耐えられなくなった時に「崩落」して、時には「雪崩」を誘発するわけである。
 先に進むには、これをよじ登るようにして乗り越えるしかない。「自重」という「バランス」の上に存在している「雪庇」に「縦」の轍を入れるというこの「登高行為」がいかに危険なものであるかが分かるだろう。
 写真中央にまとまるようにして並び立っている雪塊は何だろう。4000m以上の「高山」には「氷河」が存在する。「氷河」は遠目には、なだらかな雪面に見えるが、実際足を踏み入れると、クレバスがあったり、写真のような氷柱(雪塊が数千年も固められて氷化している)が無数にあるものだ。これは、その氷河を覆う「氷塊」に似ている。
 これも風と雪が作り出した造形だろうか。もしそうだとすれば「風と雪」は人間以上の彫塑家である。答えを出そう。これも「風と雪」が造ったものだ。ギザギザとした鋭角を見せる岩が、累々と林立している場所を「雪」が覆いつくしたものだろうか。だが、このようなギザギザした「岩稜」がこの場所にあるわけではない。
 これは「樹氷」だ。今月の16日のブログで紹介した「コメツガ」が纏った「雪の衣」樹氷である。モンスターと紹介したが遠目には林立する「雪塊」だ。標高1300mの稜線に林立する「氷河の氷塊」と呼んでもいいだろう。
 この写真を見る限りでは晴天である。このような一瞬の晴れ間にしか「写真」は撮れない。「ホワイトアウト」の中では「写す」ことは出来ない。しかし、これは「疑似好天」といって数分間で、視界がゼロに近い状態になる。風も強い。
 林立する「氷河の氷塊」の間を縫うように進み、また少し下って左に巻ながら、山頂を目指すのだ。山頂は左手奥の方にある。
 このような、「一瞬の晴れ間」を見逃していけない。この「一瞬」に「自分が進む方向」をしっかりとイメージすることが「冬山登山」では重要なことなのである。)

  ■■ テレビのコマーシャルやテレビショッピングにはあきれる(その1) ■■

 私は昔から、企業のテレビだけでなく、その他のメデアを使った新商品の宣伝に、ある種の「怒り」を持っている。
 それは、企業が『自社の新しい商品を紹介し宣伝する時に、それまで「最高級品」とか「一番優れている」とか「もっとも使いやすい」とか「一番効果がある」とか「一番安全」などと言っていた既存の自社製品を「これまでになかっかほどの」という一語句で「否定」してしまう』ということである。
 これを突き詰めて考えると、これまで「何々だ」と言っていたことを否定するのだから、その以前の宣伝文句はすべて「ウソ」であり、購買者を、言葉巧みに欺いていたことになるのではないかと思うからだ。「新商品」が出る度に、まともな「購買者」は「ああ、今まであの宣伝に騙されていたのか」という思いを強くしていたはずなのである。

 毎日新聞(電子版)2008年1月13日付の万能川柳に…
『効かぬから健康法があふれてる』(国分寺・玉川くらげ)というのがあった。

 昨年の夏にハイビジョン放送の視聴が出来るテレビを購入した。見るのは主にNHKのハイビジョン放送だが、民放のBS放送にもたまに、チャンネルを合わせることもある。その中で、気になったのがテレビショッピング(TV Shoping)である。別に買うというつもりはさらさらない。そこで扱われて商品は圧倒的に「健康食品(薬事法すり抜けの薬品)」であった。そこで、『効かぬから健康法があふれてる』という川柳の登場となるわけである。(この稿は続く)