岩木山を考える会 事務局日誌 

事務局長三浦章男の事務局日誌やイベントの案内、意見・記録の投稿

赤倉尾根の「伯母石(おばいし)」について(2)

2008-01-18 07:23:30 | Weblog
(今日も「伯母石」に関わることを書き進める。「伯母石」は人工的に切り出されたような「直方体」的な様相を示しながら、上から覆い被さる大きな、しかも多くの岩を支えて、押し止めている。これは、「赤倉沢」と「八ッ森沢」に挟まれた赤倉尾根稜線上にある長さが200mほどの岩稜の下端にある。
 標高は900m少しだが、細い稜線に「突き出して」いるという特殊性から、一種の「風衝地(ふうしょうち)」を形成しており、コケモモ等の「高山植物」が生育している場所でもある。だが、「岩稜」という性質は、それら「高山性の植物」を多く「育てる」という環境ではない。僅かに、小さな「棚」状になった岩の窪みに、細々と命をつないでいるに過ぎない。
 加えて、岩穴や岩の隙間が多いものだから、多くの「蛇」が生息している。この道が造られる以前から、私は「植生」の調査のため何回も、この「岩稜」を登り降りしたが、その「蛇」の多さには驚いた。
 朝方、まだ気温が低い時間帯は広めの岩に数匹が「とぐろを巻かずに」寝そべって「暖」をとっている。「蛇」は変温動物なので「太陽(日射し)」から「熱」を得て、自分がスムーズに「行動」が出来るまでに「体温」を上げる必要があるのだ。
 ある時、小さな「岩棚」を手がかりにしようと「右手」を上に伸ばし、視線をそこに運んだら、何とそこには「先客」がいたのである。そこには「ヤマカガシ」がとぐろを巻いて「鎮座」していたのである。私は「別な手がかり」を探すしかなかった。

 「蛇」が多いということは、この「岩稜帯」には「蛇」の餌になる「ネズミ」の仲間や小動物が多く生息しているということである。その「餌」になる動物が多いということは、その「餌になる動物」の餌になる動植物が多いということである。
 この「岩稜帯」はバランスのとれた「自然の生態系」を脈々と保持してきた場所であるということなのだ。そこに、道をつけて「人」がどんどん入り、「登り降り」をすれば、この「生態系」は壊されてしまう。「自然破壊」とはこのことを指す言葉である。

 神前やご神体につけられる「注連縄(しめなわ)」は交接する2匹の「蛇」を形象化したものである。森の民、日本人にとって「蛇」は山の神さまの使いであり、水神の使いともされて、畏敬をもって接する生きものだった。だから、昔の人たちは「蛇」を大事にした。
 弥生時代から「農耕」が始まり、収穫した穀類の「貯蔵」にとって「ネズミ」の害は深刻だった。自分たちが食べる食糧を奪われるのみならず、翌春に植え付けをする「種籾」まで「ネズミ」に食べられてしまっては「農耕稲作」は成り立たない。
 「蛇」の餌は「ネズミ」である。農耕民にとって「ネズミ」を捕食する「蛇」は、まさに「神の使い」、いや「神」そのものであっただろう。
 文化・文明の東西を問わず、「蛇」が神の使いだとされていたことは、世界各地の歴史や史蹟が証明するところであろう。

「伯母石」を含む岩稜帯左岸、旧来の道沿いには、第10番から13番までの4体の石仏が「設置」されている。だが、「岩稜帯」の「違法」ルートでは、これら石仏は拝めない。
 「伯母石」の直近にある第10番石仏は「聖観音」である。これは、仏の慈悲をもって、現世の生活に悩む人々の苦しみを救うとされている。阿弥陀如来(あみだにょらい:岩木山山頂がこれに擬えられている。)の化身と考えられ、頭上には阿弥陀の化仏を付けている。
 第11番石仏は「竜頭観音(りゅうずかんのん)」であり、今日の写真のものだ。「龍の頭」が石像下部に見えるはずだ。
 雲の中にいる龍に乗る観音だ。やさしい雰囲気のものと、憤怒(ふんぬ)の形相をした密教的雰囲気のものがあるが、これは前者だろう。「龍は蛇に通ずる」である。
 第12番石仏は「千手千眼観音(せんじゅせんがんかんのん)」である。これは「六観音」の一仏だ。千眼千首千舌千足千臂観自在ともいい、正しくは千手千眼観世音菩薩と呼ばれる。千とは無量円満を意味し、全ての生き物と人々を救う事を象徴し「大悲観音」とも呼ばれている。
 第13番石仏は「岩戸観音(いわとかんのん)」である。「毒蛇」の住む岩戸に坐る観音とされ、毒蛇の悪気も「観音」の力で消滅させることを表しているとされている。
 これは「日本で創案された」と言われている。森の民である日本人ならではの「観音」ということでは、この上部のブナ林内に設置されている「不空羂索観音(ふくうけんじゃくかんのん)」と並んで、大事にしたい石仏観音の一つだろう。
この4体の「石仏観音」像からも、この「岩稜帯」の自然的な特性が分かるであろう。昔の人たちは、その場所の自然を、注意深く「観察・調査」した上で、その場の「自然」や「地勢」に適った意味での「石仏」を配置したのだ。
 私たちは、その先人たちの「配慮」と「知性」に学ばなければいけない。(明日に続く)

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