たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

「マスクをしているので表情が分からない」

2022年12月23日 18時39分41秒 | ミュージカル・舞台・映画
2018年ミュージカル『ジキル&ハイド』(12)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/0d4626b494839738f7d1b33aee4af865


時事通信エンタメニュース、
https://twitter.com/jijicom_ent/status/1605457948133580800より、

「ミュージカル「ジキル&ハイド」の製作発表で #笹本玲奈 さんはコロナ禍での舞台の務め方として「共演者とコミュニケーションを取る機会が以前と比べてすごく少なくなった。会話は少し離れてしないといけないし、マスクをしているので表情が分からない」。

続けて「その中で、カンパニーとしての団結力をつくっていくのが昔より難しくなってきたと思う」と #笹本玲奈 さん。「こういう作品だからこそ信頼関係が大事。(共演の)皆さんとコミュニケーションを取れることを、すごく楽しみにしています」。」


 マスクだらけの舞台裏写真と動画、マスクしたまま芝居稽古、マスクしたまま歌唱稽古、マスクしたままダンス稽古。国のガイドラインにより舞台芸術緊急ネットワークは本番中以外常時マスク着用を義務づけているようですが、わたしはもうみているのが耐えがたく、応援してきたキャストの方々のツィッターフォロー外しました。子役ちゃんたちにもマスクさせて、マスクしていない写真をアップするときには「撮影時のみマスク外しています」と注釈をつけさせる、こんなふうに子どもを洗脳してしまうことは、そんなつもりは全くなくとも最早虐待だと思います。仮に本番中以外にマスクを着用し続けることで、本当に感染症が予防できているとしても、それ以上に体への悪影響はないでしょうか。もう体ができあがっている大人はまだいいのかもしれませんが成長期の子役ちゃんたちにとっては脳に酸素が十分行き渡らず、悪い影響の方が大きいのではないでしょうか。舞台が好き、舞台を愛してきたからこそ、キャストのみなまさを応援する気持ちに変わりはありませんがもうとてもみていられません。




加藤厚労大臣がマスク自由化を求める高校生に「マスクは『自由』である。個人個人が判断すべきものだ。」と明言したそうです。なんで記者会見でこう言わないの?



https://twitter.com/gakusei_hosyu/status/1605896135683362816
より、

「加藤厚労大臣と直談判が実現しました❗️

さらに、加藤大臣に「マスクは『自由』である。個人個人が判断すべきものだ。」と明確に発言して頂きました。

ここまで来れたのは全て支援して下さった方のおかげです。本当に本当にありがとうございました。今後についてもまた発信します!」




いつまでもコロナをやっている場合ではありません。

https://twitter.com/7z3Hdbb6Tbz0cVxより、転用

 




重症化率、致死率が季節性インフルエンザ以下となってきていますが、日本を滅ぼす過度なカンセンショウタイサク、まだ続けますか?


2022年12月21日産経ニュース、

「コロナ過度に恐れずに」 入院率、重症化率など低下 茨城県が第5~8波のデータ公表
https://www.sankei.com/article/20221221-PCQDWQWLMZMO3I5Y3KN77EEAHQ/
 



『マイ・フェア・レディ』から『回転木馬』まで(7)

2022年12月23日 13時13分27秒 | ミュージカル・舞台・映画
『マイ・フェア・レディ』から『回転木馬』まで(6)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/727c058e51663f3ac1e6c95ba29348a6



(1995年『回転木馬』帝国劇場公演プログラムより)

「東宝のミュージカル上演史『マイ・フェア・レディ』から『回転木馬』まで-小藤田千栄子-

 1960年代の前半に始まった日本の翻訳ミュージカルも、1980年代に入ると、いよいよロングランの時代になった。同時にこの時代は、演劇界全体がミュージカルの時代にもなり、おびただしいとさえ言いたいほどの作品が上演されるようになった。もちろん根底には観客の支持ということがあるが、劇場が増えたということも見逃せない事実である。さらには観客の好みの多様化ということもあって、中劇場、あるいは小劇場も、さかんにミュージカルを上演するようになった。さらに加えるならば、バブル経済と円高の外的要素が、最も顕著に現れたのは来日ミュージカルで、80年代にはこれが一気に増えた。そして東宝ミュージカルも70年代に比べると新作が増えているのである。ではどんな作品が登場したのか。ここではまず新作から触れてみよう。

 80年代に最初に飛び出したのは『ファニー・ガール』である。宝塚の超ビッグ・スターだった鳳蘭の、東宝ミュージカル初主演だった。続いて『スウィニー・トッド』が帝劇に出た。スティーヴン・ソンドハイム作曲のミュージカルでは、これが東宝への初登場であったが、ちょっと難解なテーマをこなして、また新しい領域に挑戦したのである。当時の市川染五郎と、鳳蘭の主演で、高麗屋さんが〈市川染五郎〉の名前で主演した最後のミュージカルとなった。このすぐ後に市川染五郎は、九世・松本幸四郎を襲名する。

 つぎの新作は『ミズ/ことし最高の女性』で、これも鳳蘭の主演。華やかに鳳蘭時代が始まったのが分かる。ついで三越ロイヤルシアターに『ジプシー』が出た。草笛光子主演で、製作は三越劇場演劇製作室となっているが、東宝が製作協力をしている。そして細川俊之主演の『ナイン』、鳳蘭・西城秀樹主演の『デュエット』と続き、1984年11月~12月には、宝塚が大地真央主演のブロードウェイ・ミュージカル『ガイズ&ドールズ』を出した。東京公演は翌85年3月だったが、この作品と、81年にバウホールで演じた『ディーン』(東京公演は82年)が、大地真央の宝塚時代の代表作となった。

 ここで宝塚バウホール・ミュージカルの、主なものをまとめると、84年には『オクラホマ!』『南太平洋』『回転木馬』のロジャース&ハマースタイン二世もの3本の連続上演があり、さらに86年には『ショーボート』(東京は87年)、88年には『レッドヘッド』があった。この時代になると、もうあちらでも、こちらでもミュージカルばかりで、上演史を書いていても、漏れがありはしないかと心配である。

 そして1985年になると『ラ・カージュ・オ・フォール』が上演された。近藤正臣・岡田真澄の主演である。ついで鳳蘭・布施明主演の『ラブコール』が上演され、続いて鳳蘭と麻美れいの『シカゴ』が来る。『シカゴ』の日本初演は1983年のシアターアプルで、草笛光子・上月晃だったが、オール新キャストで帝劇にと登場したのが鳳蘭と麻美れい主演版だったのである。

 1986年には宝塚を退団した大地真央主演の『プリンセス・モリー』が登場した。大地真央時代の始まりである。同じ年に梅田コマ劇場では、藤田まことの『その男ゾルバ』が初演され、90年代になると、東京でも上演されるようになる。そして1987年になると『スウィニー・トッド』についでのソンドハイムのミュージカル『ジョージの恋人』が、鳳蘭・草刈正雄主演で上演された。同じ年、宝塚では『ミー&マイガール』の初演があった。剣幸・こだま愛主演で、すぐさま続演される人気だった。もう1本、大地真央の『王子と踊り子』が上演されたのも1987年である。だが、いかにも大地真央らしい華やかなヒットという意味では、1989年初演の『エニシング・ゴーズ』まで待たなくてはならない。『エニシング・ゴーズ』にめぐりあったとき、このとき初めて大地真央は、いかにもこの人らしいスタートをきったと言えるだろう。

 だが、1987年は、あの『レ・ミゼラブル』が初演された年として記憶される。」


                                     →続く