『アガサ・クリスティー自伝』(下)_「第九部マックスとの生活」より
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/9aae329f26932baea532885a9210e07f
「バクダッドでの政治的な時勢は次第に悪化しつつあったが、わたしたちは次の年にまた戻ってきて、別の墳丘へ移るかそれともアルバチヤをもう少し発掘するかのいずれかを望んでいた。すでにもうこの時わたしたちはこれが可能かどうか疑わしいと思っていた。わたしたちが出発した後、古代遺跡の船積みのことで問題が起き、わたしたちの荷物を送り出すのに大へんな困難があった。結局はうまく片がついたが、数カ月もかかってしまい、次の土地にわたしたちが発掘に出かけることはやめた方がよいと通告された。それからの何年間かはもはやイラクでの発掘は誰もするものがなく、みなシリアへ行った。そんなわけで次の年には、シリアで適当な遺跡を選ぼうということになった。
わたしが最後に覚えていることは、来るべきことの前兆ともいえるようなものだった。わたしたちはバクダッドのジョーダン博士の自宅で茶をいただいていた。博士はりっぱなピアニストで、その日はわたしたちのためにベートーベンを演奏してくれた。彼は実に頭がよく、じっと見ていると、ほんとにすばらしい人だと思った。いつもおだやかで、慎重にみえた。すると、誰かが何ということなしにユダヤ人のことを口にした。博士の顔が変った・・・いまだかつてそういう変り方をした顔をわたしは見たことがなかった。彼がいうのだった、「あなたにはわかっていないんだ。わが国のユダヤ人はあなたの国のユダヤ人とはおそらく違っている。彼らは危険です。彼らは絶滅すべきです。それ以外にはなすべき方法がありません」
わたしは信じられない気持で彼を見つめていた。彼は本気でいっているのだった。後でドイツから出て来るもののヒントに、わたしが出会ったこれが最初であった。ドイツに旅行した人はそのころからすでにこのことに気づいていたであろうが、普通一般人には1932年と1933年には完全にまだその予見はなかった。
その日わたしたちはジョーダン博士の居間にすわっていて、彼がピアノを弾いている時、わたしは最初のナチを見た・・・そして後でわかったことだが、彼の妻は彼よりももっと激しいナチであった。彼ら夫妻はバクダッドで遂行すべき任務を持っていたのだ・・・古代文化長官として、また祖国のため働くだけでなく彼ら自身のドイツ大使をスパイするため。世の中には、いやでも信じざるを得ないことがあって、ほんとに悲しいことである。」
(『アガサ・クリスティー自伝(下)』乾信一郎訳 早川書房 1982年8月10日5刷、321-322頁より)
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「バクダッドでの政治的な時勢は次第に悪化しつつあったが、わたしたちは次の年にまた戻ってきて、別の墳丘へ移るかそれともアルバチヤをもう少し発掘するかのいずれかを望んでいた。すでにもうこの時わたしたちはこれが可能かどうか疑わしいと思っていた。わたしたちが出発した後、古代遺跡の船積みのことで問題が起き、わたしたちの荷物を送り出すのに大へんな困難があった。結局はうまく片がついたが、数カ月もかかってしまい、次の土地にわたしたちが発掘に出かけることはやめた方がよいと通告された。それからの何年間かはもはやイラクでの発掘は誰もするものがなく、みなシリアへ行った。そんなわけで次の年には、シリアで適当な遺跡を選ぼうということになった。
わたしが最後に覚えていることは、来るべきことの前兆ともいえるようなものだった。わたしたちはバクダッドのジョーダン博士の自宅で茶をいただいていた。博士はりっぱなピアニストで、その日はわたしたちのためにベートーベンを演奏してくれた。彼は実に頭がよく、じっと見ていると、ほんとにすばらしい人だと思った。いつもおだやかで、慎重にみえた。すると、誰かが何ということなしにユダヤ人のことを口にした。博士の顔が変った・・・いまだかつてそういう変り方をした顔をわたしは見たことがなかった。彼がいうのだった、「あなたにはわかっていないんだ。わが国のユダヤ人はあなたの国のユダヤ人とはおそらく違っている。彼らは危険です。彼らは絶滅すべきです。それ以外にはなすべき方法がありません」
わたしは信じられない気持で彼を見つめていた。彼は本気でいっているのだった。後でドイツから出て来るもののヒントに、わたしが出会ったこれが最初であった。ドイツに旅行した人はそのころからすでにこのことに気づいていたであろうが、普通一般人には1932年と1933年には完全にまだその予見はなかった。
その日わたしたちはジョーダン博士の居間にすわっていて、彼がピアノを弾いている時、わたしは最初のナチを見た・・・そして後でわかったことだが、彼の妻は彼よりももっと激しいナチであった。彼ら夫妻はバクダッドで遂行すべき任務を持っていたのだ・・・古代文化長官として、また祖国のため働くだけでなく彼ら自身のドイツ大使をスパイするため。世の中には、いやでも信じざるを得ないことがあって、ほんとに悲しいことである。」
(『アガサ・クリスティー自伝(下)』乾信一郎訳 早川書房 1982年8月10日5刷、321-322頁より)