「生きとし生けるものの日々のうちで、一番神聖な日は、私たちが死ぬその日であります。それは最後の日です。神聖な、そして大きな変化の日です。必ずやって来る重大なこの世の終わりの日のことを、あなたはほんとうに真剣に考えたことがありますか。
ある時、みんなから厳格な信心家だと言われている人がありました。この人は、律法(おきて)の言葉のためにたたかう戦士であり、また、ねたみ深い神に仕えるねたみ深い僕(しもべ)でありました。ーさていよいよ、死神がこの人の枕もとに立ちました。死神は、きついおごそかな顔をしていました。
「時は来たぞ。おまえはわしについてこなければならない!」こう言って死神は、氷のように冷たい指でその人の足にさわりました。足はたちまち冷たくなりました。今度はひたいに、それから心臓にさわりました。心臓は疲れて、その人の魂は死の天使について行きました。
ところが、たった今、足からひたい、それから心臓へと死神に清められているわずか数秒のあいだに、その一生がもたらし、引き起こしたいっさいのことが海の大波のように、死んでゆく人の上を通りすぎました。こうして人は、目のくらむような深い谷底を一目で見おろし、また、果てしない道を一瞬のあいだに見わたすのです。こうして人は、要するに一目で、数えきれない星空と、広い空間にうかぶ星々やもろもろの天体を見るのです。
このような瞬間に、恐怖にかられた罪びとはふるえおののき、果てしない虚空に沈んで行くように、身をささえる物もない思いをするのです。ーしかし、信心深い人は顔を神のほうにむけて、子供のように「主よ、み心のままになさしめたまえ!」と身をゆだねます。
けれども、今死にかかっているこの人は、子供の心を持っていませんでした。この人は、自分は一人まえの男だったと思っていました。罪びとのようにふるえおののきもしませんでした。自分が正しい信心家であったことを知っていました。宗教の律法(おきて)はどこまでも厳格に守ってきました。この人はこう思っていました。ーなん百万という人が永遠の破滅(ほろび)への大道を行かなければならなかった。そういう人たちの肉体はこの世にあるうち、剣と火とで滅ぼされてもよかったのだ。すでにその人たちの魂は、そういう目にあっており、永久にそうなるのだから!ーしかし、自分の道は天国に通じている、そこでは恩寵が、約束の恩寵が、天国の門を開いてくれるのだ。
こうして、この人の魂は死の天使について行きましたが、もう一度、塵に帰った肉体が白い死の衣にくるまって横たわっている寝床のほうをふりむいて見ました。それは、この人の自我の今では縁の切れた写しにすぎませんでした。ー魂と死の天使とはどこまでも飛びつづけて行きました。ーそこはどこかの大広間のなかのようでもあり、また森のなかのようでもありました。あたりの植え込みは古風なフランス式庭園のように、刈り込んだり、引っぱったり、束(つか)ねあげたり、一列に並べたり、なかなかこって造ってありました。そしてそこに、仮装舞踏会が開かれていました。
「これが人生というものだ!」と死の天使は言いました。
見ると、どれもこれも何かしら仮装していないものはありませんでした。ビロードや金ずくめで歩きまわっている人が一番高貴な、もしくは一番有力な人とはかぎりません。また、貧乏人の着物をきている人が一番賤しい、または、つまらない人ときまってもいませんでした。ーたしかに一風変わった仮装舞踏会でした。とりわけ不思議なのは、どの人も着物の下に、たがいに何か見られたくないものを念入りに隠しているのが見えることでした。ところが、それをあばこうとして、たがいに着物を引き裂きました。すると、そこから動物の頭がのぞいているではありませんか。ここでは歯をむき出したサルが、あちらではいやらしい雄ヤギが、そうかと思うと、ぬらぬらしたヘビや、生きのわるい魚などがのぞいているのでした。
それは、私たちがみなめいめいに持っている動物でした。人間のなかにしっかりと根づいている動物でした。それらの動物がとんだりはねたりして、外へ出ようとするのを、人間が着物でしっかりと押し包んでいるのでした。ところが、相手はその着物を引き裂いて、「ほら、ごらんよ!ほら、見ろ!これがこの男だ!これがこの女だ!」と叫ぶのです。こうしてたがいに他人のあさましい心をあばき合っているのでした。
「では、私にはどんな動物がついていたのですか?」と魂は飛びながらたずねました。すると、死の天使は前のほうに見える高慢らしい男の姿を指さしました。見ると、その頭のまわりにはきらきらと色どりもはでな光がさしていました。けれども、その男の心のなかには動物の脚、それもクジャクの脚がかくれていました。光とみえたのは、その鳥のけばけばしい尾にすぎなかったのです。
なおも先へ行きますと、大きな鳥が木の枝の上で、不気味な鳴き声をたてていました。それは人間の声で「死の旅人よ。わしをおぼえているだろう!」と叫んでいるのでした。ーこれらはみな、この人が生きていたあいだのいろいろの悪い考えや欲望だったのです。それが「わしをおぼえているだろう!」とこの人に呼びかけたのです。ー
魂は一瞬、ぞっとしました。なぜなら、その声に聞きおぼえがあったからです。悪い考えや欲望が、今ここに証人となってあらわれたからです。
「私たちの肉体のなかには、また、私たちの悪い性質のなかには、何ひとつよいものは住んでいません。」と魂は言いました。「けれども、私の場合は、そういう考えは行為になりませんでした。世間にも、その悪い結果を見せることはありませんでした。」こう言って、魂はこのいやな叫び声から一刻も早く逃れようとして、いっそう先をいそぎました。大きな黒い鳥たちはまわりを輪になって群れ飛びながら、世界じゅうに聞こえよがしに叫びつづけました。魂は、追いかけられた雌ジカのように走りました。ところが、ひと足ごとにとがった燧石(すいせき)につまずいて、足を傷つけて痛くてたまりません。「どこからこんなにとがった石が集まってきたんでしょう?まるで枯れ葉のように、地面に散らばっているではありませんか!」
「それはおまえが落とした不用意な言葉の一つひとつなのだ。それらの言葉は、今これらの石がお前の足を傷つけたよりもはるかに深く、おまえの隣人の心を傷つけたのだ。」
「そこまでは考えてもみませんでした。」と魂は言いました。
「人を裁いてはいけない!人を裁かなければおまえたちも裁かれないだろう!」こういう声がその時、空に響きました。
「これはみな私たちの犯した罪です!」と魂は言いました。そしてふたたび頭をあげて言いました。「私は律法(おきて)と福音を守ってきました。私は自分でできるだけのことをしてきました。私はほかの人たちとはちがいます!」
やがて、魂と死の天使とは天国の門の前にきました。天国の門の番をしている天使がたずねました。「おまえはだれか?おまえの信仰を言いなさい。そしてそれをおまえのした行いで示しなさい!」
「私はすべての戒律(おきて)を厳格に守りました。私は世間の人の目の前でへりくだりました。私は永遠の破滅(ほろび)の大道を行く悪と悪人とを憎み、またそれを責めました。なお、私にそれだけの力があったら、火と剣とをもって責めたいとも思います。」
「ではおまえは、マホメット信者のひとりだね!」と天使はたずねました。
「私が!ーとんでもございません!」
「剣に訴える者は剣によって滅びるだろう、と神のみ子は仰せられている。おまえのは、神のみ子の信仰ではない。たぶんおまえはモーゼとともに、『目にて目を、歯にて歯を!』と叫んだイスラエルの子であろう。イスラエルのねたみ深い神は、その民族だけの神だ。おまえは、そのイスラエルの子のひとりであろう!」
「私はキリスト教徒です!」
「おまえの信仰と、おまえの行ないのうちには、それは認められない。キリストの教えは、和解と、愛と、恩寵である!」
「恩寵!」という声が、その時果てしない空間に響きわたりました。そして、天国の門が開かれました。魂は、そこに開かれた栄光に向って飛んで行きました。
けれども、そこからさしてくる光は、何物をも突きとおすような強い光でした。魂は目の前で剣が引き抜かれでもしたようにあとじさりしました。その時、楽の音がやさしく、しみじみと響いてきました。それは、とうてい人間の言葉で言いあらわすことはできません。魂は思わず身ぶるいして、ますます低くうだなれるばかりでした。天国の光明は魂のすみずみにまでしみとおりました。この時はじめて、魂は、今まで一度も感じたことのない重荷を感じました。それは自分自身の傲慢と、冷酷と、罪の重荷でした。ーそのことが心のなかではっきりしました。
「私が生きている時にした善いことは、それよりほかにしかたなくしたことです。けれども悪いことはーそれはみな、私の心のなかから生まれたものです!」
魂は清らかな天国の光に目がくらむ思いでした。そして、力無く小さくなって深く沈んで行くように思われました。天国にはいるには、まだまだ重く、未熟でした。また、きびしい正義の神のことを思いますと、「お恵みを!」と口ごもることさえ、はばかられました。ー
ーそのとき恩寵が、思いもよらなかった恩寵があらわれました。ー
神の天国はこの限りない空間にみなぎっているのでした。神の愛がそのなかを、絶えることなくこんこんと流れていました。
「人間の魂よ!神聖に、荘厳に、そして愛にみちた永遠の魂であれ!」こういう歌声が響きわたりました。私たちはすべて、この世の生活の最後の日に、この魂のように天国の栄光と崇高とを仰いで、思わず身ぶるいしてあとじさりすることでしょう。私たちは深く頭をたれて、へりくだった心をいだいて沈むことでしょう。やがて、神の愛と恩寵とに助け起こされて、立ちあがり、新しい道をただよいながら、より善くより気高く清められつつ、ますます光明の荘厳に近づいて行くのです。こうして、その光明に力づけられて、永遠の明澄の境に昇って行くことができるのです。」
(大畑末吉訳『アンデルセン童話集(四)』1940年2月15日第一刷、1980年9月10日第34刷発行、岩波文庫、59-65頁より)