桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

利根の川風に吹かれて

2011年07月02日 23時36分19秒 | のんびり散策

 昨日、利根川を小船で渡る、小堀(おおほり)の渡しを渡ってきました。
 明治末期まで、この地域を流れる利根川はまるで巾着のように大きく湾曲していたため、しばしば洪水に見舞われていました。
 明治から大正中期にかけて、直線に付け替える改修工事が行なわれましたが、川の流れが変わると、それまでは川の北岸で、取手地区とは地続きだった小堀地区は対岸に取り残される、ということになってしまいました。そこで運航されるようになったのが小堀の渡しです。
 当初は小堀地区住民による自主運航。昭和四十二年から取手市営(当時は町営)となりました。



 五月の末、別の用件で取手にきた帰りに乗ろうとしたのですが、その日は生憎利根川が増水していて欠航でした。

 この日、しばらく雨は降っていないが、群馬県などの上流地域はどうだかわかりません。恐る恐る渡船場に近づくと、幟が風にはためいているのが見え、前回は通せんぼになっていた桟橋の入口も開いていました。



 乗船料100円を払って船の人となります。
 船の名は「とりで」号。十年ほど前までは小堀地区の住民でなければ乗れませんでした。



 定員は十二人とありました。狭い船内を見回しながら、定員いっぱい乗ってきたら、ちょっと窮屈かもしれぬわい、と思っているうち……。
 出発の合図もなく、なんとなく ??? と感じて目を挙げると、船は桟橋を離れていました。出航時刻は十三時三十五分。結局、乗船客は私独り……。



 船室の天井には天窓のような穴が開けられていて、梯子に足をかけ、そこから首を突き出すと、360度の眺めを愉しむことができます。



 利根の川風が心地よいけれども、貸し切り状態というのがちょっと落ち著かない、というか、申し訳ない感じです。乗り慣れない乗り物に乗っているせいでしょうか。

 


 乗船時間わずか十分で小堀渡船場に着きました。乗ろうと待ち構える人の姿はありませんでした。待合所もこのとおり。待っている人はありません。

 船はここに十分ほど停まって取手へ戻って行きます。もう一度乗って引き返すという手もありますが、ときおり陽射しは出るものの、曇りがちで存外涼しそうだったので、成田線の湖北駅まで歩くことにしました。

 最初に目指すのは付け替え工事によって、古利根沼として取り残された旧利根川です。
 途中、恐らくこの地区には一つだけだろうと思われる常圓寺(真言宗)と隣り合わせるように建っていた水神社があったので寄ってみましたが、どちらも無住の上、説明板のたぐいもないので、来歴はわかりませんでした。

 そこを過ぎると、民家はなくなりました。
 地図では、古利根沼畔に出る径があることになっているので、それらしき径があれば入って行こうかと考えるのですが、径があっても、いざ入ってみようかと思うと、先行きがなんとなく怪しく、行き止まりのような気がするので入れません。

 

 釣り堀やら乗馬クラブがありましたが、人の姿はまったく見ませんでした。

 舗装されていない道を歩きながら、最初はいまどきこんな道を歩くのもいいもんだなどと思っていましたが、歩けども歩けども砂利道ばかりだと不安が兆してきます。
 私が進みたい湖北駅の方角には、恐らく旧利根川の土手であったのであろう丘がつづいていて、見晴らしが利かず、向こう側に何があるのかわかりません。
 やがてどこをどう歩いているのかわからなくなってきたぞ、という焦りも出てきて、川風に吹かれた涼しさなどすっかりどこかへ行ってしまいました。

 やっと丘の切れたところがあり、そこを回り込むように進むと、目の前は一面の稲田に変わりました。
 まだ古利根沼を望むことはできませんが、稲田に変わっているところはかつては川が流れていたところであり、茨城県と千葉県の県境でもあります。



 古利根沼です。
 二年前の八月一日、私は將門神社を訪ねて湖北にきていました。神社を訪ねたあと、大体このあたりに立ち、この沼を眺めたのでした。私が立ってカメラを構えている場所は千葉県我孫子市、対岸は茨城県取手市。



 古利根沼畔から十分足らず。やはり二年前に訪問したことのある曹洞宗・法岩院です。

 前回訪れたときはちょうど大施食会の日だったので、境内は檀家の人たちであふれかえっていましたから、境内を歩くのは遠慮したのです。
 しかし、この日は無人。本堂裏に回ると、一段高いところに上って行く石段がありました。歴住の墓所に違いないと思って、しずしずと上ると、思ったとおりでした。



 墓誌によると、このお寺が開かれたのは天文三年(1534年)五月五日、芝原城主だった河村出羽守勝融が創建、開山は雪田眞良大和尚と記されています。
 河村氏は古河公方の家臣だった一族で、古河公方が滅んだあとは後北条氏に従うようになり、秀吉の小田原攻めで滅びることとなります。


 
 このあたりの地名は中峠(なかびょう)台。
「峠」と書いて「びょう」と読ませるとは珍しい、と二年前にきたときには感嘆したものでしたが、そういう地名は千葉県北部の各所にあります。同じ我孫子市内には稲荷峠(とうかんびょう)、柏市には高峠(たかびょう)、大峠台(おおびょうだい)、印西市には小楢峠(こならびょう)、木苅峠(きかりびょう)、榎峠(えのきびょう)……などなど。

 


 湖北駅近くにある龍泉寺です。上野・寛永寺の本堂庫裡を移築した龍泉寺の山門(画像上)と本堂。
 創建は延暦年間、弘法大師がきて、みずから彫った不動尊を安置したのが始まりといわれますが、実際は不詳。

 境内には幼稚園があります。
 二年前にきたときは夏休みの季節だったので、鉄門が閉ざされていて入れませんでした。そういえば、と思い出してきてみたのですが……。
 この日は金曜日、着いたのは午後二時半ごろでしたが、すでに園児たちの姿はなく、前と同じように鉄門が閉ざされていました。
 古利根沼を捜していたときからすでに汗みずくではありましたが、二度きたのに二度とも境内に入れない、とがっかりしたからかどうか、どっと汗が噴き出しました。



 帰りは湖北駅から我孫子行の電車に乗りました。

↓この日の行程です。
http://chizuz.com/map/map93012.html
 


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