桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

富士川を歩く

2010年08月26日 09時51分51秒 | のんびり散策

 三日前のブログに、北小金には焼き立てパンの店がない、と書いたら、そんなことはないというコメントが早速ありました。
 ご教示たまわったパン屋さんは、ほとんど歩かない方向なので知りませんでした。で、昨日の朝、早速視察に行ってきました。

 家を出たのは朝六時半。曇り空で、涼しそうだったので、一か月ぶりに廣徳寺の作務に行こうと、軍手やら携帯用アースノーマットやらを持って出ました。
 当面はこれまで歩いていない道を歩こうと思って、本土寺の参道入口まで出ず、途中の道を適当に右に折れると、教えてもらったパン工房マキノという店の横合いに出ました。本土寺参道と交差している、通称まてばしい通りに面しています。

 六時半という時間は、新松戸でもサフランという店がようやく一軒だけ店を開ける時間ですから、開いているなどとは期待していません。今回は様子だけ確かめて、日を改めて行くつもりでした。

 


 遠目にもテラスがあるのが見えました。正面に廻ろうとすると、「本日は終了しました」という掲示が目に入り、とっさにこれは遅いなと思わせました。開店時間のことです。
 見ると案の定です。開店は九時。「焼き立て天然酵母パン」と店名と並べて標榜しているのに、開店時間が遅い。つまり、一般の勤め人は朝食に焼き立てのパンは食べられないということになるわけです。いまのところ勤めのない私にも九時という時間は遅過ぎます。
 問題は安価で、美味しければよいのですが……。

 写真を撮っているうちに、朝日が顔を覗かせました。まだ七時になっていないのに、かなり強い陽射しです。
 廣徳寺に行くためには、この陽射しを背中にもろに浴びて歩かなければなりません。涼しそうだと思って出てきましたが、一時間後、二時間後の暑さを考えると、脱水症状に見舞われたり、熱中症に罹りかねません。
 作務をしたいとご住職に申し出たとき、私の体調は現在よりよくない状況でしたから、ご住職が心配されたのもそのことでした。私が担当する場所は人の通らないところです。意識を失ってバッタリ……と行っても、気づく人はいない。
 バッタリ行くのは私自身は構わないけれども、お寺に迷惑をかける。作務は回避しておいたほうがよさそうです。

 松戸周辺ではこの十四日から雨がありません。十二日、十三日と雨は降ったものの、それぞれ2ミリ、1ミリ……。お湿りともいえません。
 ちょっとの外出でも汗グッショリになって帰って、洗濯をすれば、ものの数分で乾いてしまう、というのはありがたいことですが、ともかく連日暑いのです。



 真横から眺めた廣徳寺の本堂です。
 ここまでくるのに、心臓に結構堪える上り坂があります。ハァハァと息を整えたつもりでも息が上がっているし、肩から胸のあたりにかけて、早くもジットリと汗ばんでいます。やはり作務は見合わせることにしました。



 帰りは別の道を通ったら、香取神社がありました。

 


 香取神社の狛犬。阿形はスターウォーズのヨーダみたいです。



 小金北市民センターと廣徳寺への二股に建つ青面金剛と聖徳太子講の石柱。ここまで戻ってくると、本土寺の参道は目と鼻の先で、我が庵へも数分。

 お昼前、別の方からもコメントがありました。私がときどき行っていた新松戸のパン・デ・モルデよりマキノのほうが美味しいよ、というようなコメントでした。

 午後、根木内城址(歴史公園)へ散策に出ました。去年のゴールデンウィークに訪ねて以来、二度目です。
 新松戸からやってくるのではちょっとホネがありますが、新しい住居からなら徒歩二十分と軽い散策には最適です。

 


 去年は入口がわからず、ここでいいのだろうかと、半信半疑でこの坂道を上りました。
 確かこんな標識はなかったはずです。「入口がわからん」とブログに書いた(ほかにも書いている人がいました)のが要因で、この標識が建てられたとしたら、我がブログも少しは役に立っていることになります。
 さらに欲をいえば、道路からの入口の標識(画像上)ももっと前のほうがいい。北小金駅のほうから歩いてくると、ここに何かがあると予測して、横を見ながら歩く人でなければ、見過ごしてしまいかねません。



 大手口土塁跡。土橋の左右は空堀になっていて、深さは6メートルあります。
 根木内城は寛正三年(1462年)、高城胤忠(?-1517年)によって築かれたと伝えられています。曾孫の胤吉(?-1565年)が天文六年(1537年)に大谷口城(小金城)を築くまで高城氏の本拠でした。



 土塁を通り抜けると広場。郭跡です。



 根木内城東側の空堀跡。
 空堀ですが、湿地帯になっているので、水堀の役割を果たしたのだろうと思われます。去年はここに水の流れがありましたが、旱天つづきの今年はすっかり乾いてしまっています。



 根木内歴史公園脇を流れる富士川。草が生い茂って水面は見えません。
 あとで訪れますが、この先、平賀川と合流するまでの富士川は上富士川と呼ぶようです。



 県道261号線(旧水戸街道)に架かる根木内城址橋から見下ろした上富士川(下流方向)です。
 源流の一つはここから歩いて行くと三十分以上もかかる大清水湧水ですが、川沿いの道がありません。湧水には水車もあるようなので、日を改めて上流探索ということに……。
 ここから下流に向かって歩きます。

 


 根木内歴史公園の中に架かる霜田橋とそこから見た上富士川(下流方向)。



 国道6号線をガードでくぐった直後 ― 川は左の柵の下を流れています。このあたりでは川幅は数メートルと狭まって、川というより用水路です。



 常磐線をくぐる砂尾ガード。上富士川も暗渠になってこの下を流れています。

 常磐線をくぐり抜けたところで、いったん
川沿いの道はなくなります。



 常磐線の砂尾ガードから迂回して約400メートル。仲田橋の上流で画像右手から流れてくる平賀川と合流。めでたく富士川となりました。

 


 仲田橋から川沿いの道が復活。すぐ先には富士川親水広場(画像下)があります。親水広場とはいっても、見渡したところ水辺には降りられないようです。



 仲田橋からおよそ550メートル。羽中橋まで歩き、上流方向を望みました。
 この羽中橋は寶蔵院や廣壽寺に行くときに渡る橋です。ここから1キロ下流で坂川に合流します。次はこの橋から下流に向かって歩きます。


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