桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

善養寺の影向の松

2010年06月27日 20時33分21秒 | 寺社散策



 今朝、武蔵野貨物線をこんな列車が通って行きました。
 土日ともなると、いろんな団体列車が通ります。朝の九時前だったのに、早くもビールを呑んでいる客の姿が見えました。
 私は胃潰瘍を患って以来、炭酸系の飲み物、とくにビールは呑まないようにしているので ― 本当は呑みたくて呑みたくて仕方がないのですが ― 鼻の下を長くして眺めていました。

 旅心に誘われて、小旅行のつもりで東京・小岩へ行ってきました。

 

 この街に住んだことは一度もありませんが、二十代なかばという時期、勤め帰りに毎晩のように寄って、小岩ふう焼きうどんを食べ、当時はあまり呑めなかった酒を、呑めるふりして呑みながら、長っ尻をするという店がありました。
 長っ尻をして、帰りの電車がなくなってしまうと友達の下宿に転がり込む。翌朝、夜のとばりが降りるころまでは喫茶店に変わっている焼きうどんの店でコーヒーを飲んで出勤する。
 と、いうようなことで……半分住んでいたようなものです。

 その店に行くのが一週間に一度ぐらいだったものが三日に一度になり、やがて毎晩、というようになりました。タオルや歯ブラシを入れた湯桶をその店で預かってもらうようになって、勤め帰りにまた寄って銭湯へ行く。
 社会人になり立てで、まだ学生気分から抜け切れず、バカばかりやっていたころの話です。



 小岩ふう焼きうどんを食べさせてくれた店があったのは、駅の南口を出てすぐ右に折れた路地の中ほど。確かこのあたりだったはずです。
 が、すでにそれらしき店は見当たりませんでした。呉服屋だったか履物屋だったかがすぐ近くにあって、私と同年齢の二代目が常連で店にきていましたが、その店もなくなったようです。
 道はもっと狭かったような気もします。が、なにせ三十六、七年も昔のことです。すっかり変わっていても不思議ではありません。

 今回小岩を訪ねたのは「新日本名木100選」のうち、善養寺の影向(ようごう)の松を見るためです。100選 ― すなわち百本全部を見ることはとても叶わないでしょう。せめて一本でも二本でも、と思い、本八幡の千本公孫樹(センボンイチョウ)を見たあと、次に近いところが小岩。早速向かった次第です。



 小岩駅から徒歩二十分で善養寺仁王門前に着きました。想像していた以上に大きなお寺でした。
 仁王尊と背中合わせの格好で、土俵入り姿の栃錦の像と横綱(本物らしい)があります。栃錦は小岩の出身です。
 仁王尊、栃錦とも鉄線入りの防護ガラスが乱反射してしまうので、写真は撮れませんでした。



 仁王門をくぐると、すぐ目の前にあった、あった、ありました。

 まるで藤棚のように枝を張った影向の松です。樹種は黒松、東京都の天然記念物に指定されています。

「影向」とは神仏が一時的に姿を顕わすことです。大概は何かの物体を借りて(憑代として)顕われる、中でも松の樹を憑代とするという言い伝えが多く、奈良・春日大社、京都・北野天満宮、倉敷・不洗観音寺など各地に影向の松がありますが、枝が拡がった広さはこの善養寺の松が日本一です。

 樹齢は六百年。
 幹周り4・5メートル、幹の高さは平均3メートル、樹高は一番高いところだと8メートル。枝は東西30メートル、南北28メートルに拡がり、その面積は約900平方メートルといいますから、畳を敷いたらおよそ五百五十枚も敷けるという、愕くべき松です。
 それだけ拡がっていてはとても自力では支え切れません。枝を支える支柱が施されていますが、その数は全部で八十二本もあるのだそうです。



 根元までは近づけないようになっています。一番近いところまで近づいてカメラに収めました。
 樹齢六百年というだけあって、幹は苔むしています。

「新日本名木100選」は1990年、大阪の鶴見緑地で開かれた「国際花と緑の博覧会」(花博)に合わせ、花博協会と読売新聞社の共催で企画されたものです。
 恐らくいろいろな人たちが寄ってたかって、これぞ名木と呼べる樹を集め、その中から選んだのでしょうから、葛飾八幡宮の千本公孫樹とこの影向の松の二本を見ただけでも、さすがにすごいものだと感じさせます。



 善養寺の本堂。
 真言宗豊山派のお寺で、室町時代の大永七年(1527年)に山城の国・醍醐寺の頼澄法印が霊夢のお告げによって、この地を訪れ、堂宇を建立したのが始まりと伝えられています。



 小岩不動として信仰を集めてきた不動堂。手前に伸びているのは影向の松の枝先です。



 横綱山。右手にある石段を上ると、十段足らずで頂上です。
 昭和五十年代から平成の初めまで、境内で子ども相撲大会が開催されていました。栃錦がきて子どもたちを励まし、そのときの土俵でつくった山なので、横綱山と呼ぶのだそうです。



 善養寺のすぐ横に江戸川の堤防が迫っていました。対岸は千葉県市川市です。
 東京に住んでいたときは、小岩に入り浸るような時を過ごしたといっても、江戸川まできたことは滅多にありませんでしたが、まさか千葉に棲んで、向こう側から東京を眺めるようなことになろうとは思ってもみなかった。



 河川敷にラグビーのゴールポストが建っているのが見えたので、足を延ばしました。
 遠くにいても、黄色い声が聞こえます。もしかすると「男もすなるラグビーといふものを、女もしてみむとてするなり」か、と思って近づいてみたら、ラグビーには非ず。ラクロスをやっている人たちでした。



 小岩駅に戻ろうと住宅街を歩いていたら、カタカタと卒塔婆が風に鳴る音が聞こえ、塀越しに墓石が目に入りました。
 萬福寺というお寺で、ここも真言宗豊山派のお寺です。



 入ってみたら、栃錦(春日野清隆)のお墓がありました。あるとは知らずに入ったのです。

 ほかにはとくに見るべきところもなし、疲労感にも襲われていたので、これにて小岩探訪は終わりです。

 今日はデザートブーツを履いて行きました。この靴は足指が締め付けられず、自然に広がるので履きやすく、靴底も飴ゴムで薄く柔らかいので、右の小指が当たって痛むこともありません。が、難点は中敷き部分に土踏まずに当たる凹凸がないので、長距離歩くと疲れやすいということです。
 江戸川ラグビー場で踵を返すころ、脚の疲れが出ていました。それほどひどいものではありませんでしたが、偏頭痛も襲ってきました。

 陽気も、曇って蒸し暑い一日でした。
 じっとりと汗をかいた身体で電車に乗れば、私には少し強過ぎる冷房が効いていました。身体が冷え切ったところで西船橋で乗り換え。また蒸し暑いプラットホームで数分待ち、電車がくると、また強過ぎる冷房……という繰り返し。

 私は冷血動物の生まれ変わりなのか、お風呂に入ってもなかなか身体が温まらない体質なのに、冷房に当たるとすぐ冷えてしまうのです。
 総武線、武蔵野線、それぞれ十分程度の乗車で身体の芯から冷えてしまうようでは、とても新幹線に乗って京都まで……というのは無理なようです。第一、経済的な余裕もないし……。

 家を出て帰るまでピッタリ三時間でした。万歩計の表示は10974歩。偏頭痛もいつの間にか去っていました。少し疲れたな、と感じるあたりで帰るのがちょうどよいようです。

 この散策の行きも帰りも家の近くにある鐘の下公園に寄ってみましたが、二度とも野良殿はいませんでした。

↓今日歩いたところ。
http://chizuz.com/map/map71000.html

 今日歩いたところに添付した航空写真のうち、2が善養寺です。中心にくるようにスクロールして拡大していただくと、影向の松が丸く枝を伸ばしているのがよーくわかります。


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