昨日は第一土曜だったので仕事は休みでした。
朝から曇り空でしたが、ときおり陽射しが出ます。雨にはなりそうもないと踏んで、今週も利根川を越え、守谷城址を訪ねました。
目指す守谷駅は取手から関東鉄道で行くと、桔梗塚や高井城址の最寄り駅・稲戸井の四つ先ですが、つくばエクスプレス(TX)が開通したので、南流山からTXを利用したほうが早いし、乗り換えの回数も少なくて済む、料金も安い……と、いいことずくめです。
庵を出てから三十分ほどで着いてしまいました。
ところが、どっこい、でありました。昼時に着くように出たので、守谷駅で昼食……という腹づもりだったのですが、駅前には何もありません。
改札を出たところに、何形式と呼ぶのでしょうか、吉野家や築地銀だこなどが店を並べていて、料理や食器の上げ下げはセルフサービス、テーブルは各店共通、という店があるだけです。他にはマツモトキヨシがあるのみ。
近場の小旅行とはいえ、旅行なのに立ち食いそばを食う、というようなことではあまりにも芸当がない。まあ、あとで食べればいいわいと軽く考えて、地図を頼りに歩き始めました。
駅から徒歩約二十分で城址の入口に到着しました。
かつての水濠跡です。
周辺はもともとは沼沢地で、いまも残っている守谷沼を通じて、小貝川と繋がり、さらに利根川と繋がっていたようです。その沼沢地に半島のように突き出している台地が城址です。
結構広い本郭跡です。
城域そのものも広かったようです。
先週訪ねた高井城と同じように、ここも平將門が築城したとう伝聞がありますが、実際に築城されたのは鎌倉期だといわれています。
ただ、城は築かなかったにしても、將門が根拠地の一つとしていたらしい確率はかなり高いようです。
高井城も松戸の大谷口(小金)城も、秀吉の小田原攻めではこぞって北条方についたため、ことごとく廃城の憂き目に遭いました。
守谷城も同じ運命を辿るところでしたが、四方を天然の水濠に囲まれているという立地条件がよかったのでしょう。天正十八年(1590年)の北条氏滅亡後は、徳川家康の家臣・菅沼(土岐)定政が一万石で封じられて守谷城主となりました。
この菅沼氏は明智光秀公と同じ出自です。
菅沼氏は元和三年(1617年)、摂津高槻に移封されましたが、定政の孫・頼行の代に再び守谷城に戻り、寛永五年(1628年)に出羽上山へ転封となった際、守谷城は廃城となりました。
写真を撮った場所が低過ぎましたが、ポコポコと並んでいる樹の向こうの森が守谷城址です。
帰りは古城川に沿って歩きました。水源はどこなのかわかりませんが、守谷城址の濠跡に注ぎ込む小川で、河畔は遊歩道になっていました。
細い川です。しかし、そのわりに谷は深い。
道はつくばエクスプレスの高架に突き当たるところで行き止まりになります。そこは岩を配して、渓谷ふうのつくりになっていました。
突き当たりになる手前、ベンチで猫がのんびり昼寝をしている……と思って近づいてみたら、置き物でした。
地図上では守谷駅まで道がないことになっていましたが、つくばエクスプレスの高架に沿って幅6~7メートルほどの遊歩道がつづいていました。
ただし、途中には昼飯を供してくれるような店は一軒もありません。
駅に戻り、再び吉野家などを眺めてみましたが、う~むと唸るばかりです。歩いて少し汗をかいていたので、冷やし中華を食べたいという気分でした。
南流山まで戻ってから食うことにしよう、と意を決してつくばエクスプレスに乗りました。
南流山から我が庵までは徒歩二十分ですから、歩いて帰ることもできます。大通りを避けて路地を歩いたので、中華屋らしき店には出会いませんでした。
途中のスーパーで買ったチキンかつサンドが冷やし中華の代わりとなりました。
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南流山なら 美味しいクッパを食べれる お店があったのに…
カウンターの店ですが なかなかですよ
キムチも美味しいし 豚トロ定食も味付けが美味いです
南流山の歩道橋がある交差点の所にある お店で
確か 牛の台所って名前だったと思います
リサイクルショップの お店の隣です
AM11時~PM2時
PM5時~PM11時までだったかな
あまり種類は ないですが お酒類もありますし
メニューには ないですが おつまみ的な物も頼めば作ってもらえます