桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

2011年十月の薬師詣で・足立区

2011年10月08日 22時53分54秒 | 薬師詣で

 昨日は八日。恒例の薬師詣での日でした。
 千住曙町にある西光院というお寺を訪ねました。
 最寄り駅は京成関屋か東武線の牛田になりますが、京成線で行くとすれば、金町、高砂と二度の乗り換えを強いられるので、ちょっと面倒だし、東武線なら北千住で乗り換えるだけですが、牛田駅はわずか一駅先……。
 で、常磐線を北千住で降りてしまって、歩くことにしました。

 最寄り駅が異なる線で二駅あることからわかるように、このあたりは京成と東武がもつれ合うようにして走っています。
 京成線が高架で走っているので、周囲が塞がれていて見通しが利きません。ともかく京成線の向こう側に出なくては、と思うあまり、曲がるべき道を取り違えて隅田川畔に出てしまいました。

 

 隅田川の堤防のすぐ下は野良猫殿の天国でした。私が目にしただけでも十五匹は下らない数の猫、また猫、猫……。いずれもチャキチャキの江戸っ子猫です。



 我が母なる隅田川に架かる千住汐入大橋。南と北の千住を結ぶ橋です。
 もとより千住は私には馴染みのある土地とはいえませんが、まったく馴染みのない土地というわけでもない。アレェ? 隅田川にこんな橋があったっけ? と首をかしげたら、五年前にできたばかりの橋でした。



 ちょっと回り道をしましたが、北千住駅から二十分とちょっとでお目当ての西光院に着きました。新義真言宗の寺。院号は西光院ですが、寺号は薬師寺。通称牛田薬師と呼ばれています。
 創建は徳治二年(1307年)と伝えられていますが、石出帯刀吉深(1615年-89年))の屋敷(隠居所)を寺にしたので、没年の元禄二年以降の創建だろうという説もあり、他にも諸説があって、よくわからないみたいです。
 石出帯刀とは江戸時代に代々つづいた牢屋奉行の名ですが、とりわけ著名なのが明暦の大火(振り袖火事)のとき、収監者を救うべく、「切り放ち」を行なった吉深です。境内にはこの吉深以下三代の墓碑があります。

 薬師詣でを済ませたあとは近くにある多聞寺を訪ねますが、その後の予定は立てていません。足の向くまま気の向くまま適当に歩いて帰ることにします。




 このあたりは「三年B組金八先生」の主舞台でした。この堀切駅も何度も登場しました。

 堀切駅を過ぎたところで墨田区に入ります。



 茅葺き屋根の多聞寺山門。江戸中期の建築で、墨田区内では最古の建造物だということです。

 最初の門は慶安二年(1649年)に建立されましたが、火事で焼失。再建されたのはいつなのか、記録が遺されていませんが、寺の過去帳には、享和三年(1803年)にも火事があって、本堂など四棟が焼けたが、「表門ハ不焼」と記されているので、そのころには再建されていた、ということになります。



 多門寺本堂。本尊は多聞天(毘沙門天)です。隅田川七福神の一つ。
 創建年代は不詳。天徳年間(957-60年)には隅田川神社(墨田区堤通)付近にあって、隅田寺と称していたそうです。天正年間(1573-91年)に鑁海上人という方が本尊を毘沙門天とし、多聞寺と改称したと伝えられています。




 多聞寺境内の六地蔵です。

 製作年代はまちまちですが、それほど差はありません。一番古いのは左から三体目で、正徳二年(1712年)、もっとも新しいのは一番左で享保三年(1718年)。

 十月の薬師詣では牛田薬師にしようと決めたとき、薬師詣でを終えたあと、多聞寺だけは寄ろうと決めましたが、あとはとくにどこへ行こうとは考えませんでした。季節がもっと早ければ、荒川を渡って堀切菖蒲園へ、という手もありますが、いまの季節は花がありません。
 しばし考えたあと、荒川を渡り、八月に訪ねたことのある薬師寺に参って、綾瀬駅へ出ることにしました。



 まだ桔梗を咲かせている家がありました。墨田区墨田で。



 荒川と荒川に架かる堀切橋です。この橋を渡ると、また足立区です。



 小谷野神社。
 柳原村から小谷野村が分村した江戸時代中ごろに稲荷社として創建、昭和四十三年に小谷野神社と改号したといいます。祭神は宇釈御霊命(うかのみたまのみこと)。



 小菅神社。
 明治二年、小菅県が設置された際、庁内に勧請された小菅神社はその後、小菅村の鎮守であった田中稲荷神社の境内に移され合祀、小菅神社となりました。祭神は天照皇大神。

 


 小菅神社から五分ほどで薬師寺に着きました。山門と門前にある庚申塔です。



 このお寺に詣でるのは二度目です。足立区教育委員会の掲示があって、創建は寛永九年(1632年)、開山は賢明法師と記されています。




 薬師堂。
 薬師如来の脇侍である日光月光の両菩薩は「修復中」という建て札がありました。

この日、歩いたところ


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