桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

守谷落ち穂拾い(2)

2012年01月25日 19時25分56秒 | 寺社散策

 守谷落ち穂拾いの〈つづき〉です。



 糺の森薬師堂前から五分歩いて八坂神社に着きました。守谷の総鎮守です。
 大同元年(
806年)、天の窪と呼ばれる地(現在の高野地区本宿)に牛頭天王宮が祀られたのが始まりとされています。



 八坂神社から五分で雲天寺に到着しました。天正三年(1575年)、載蓮社乗誉上人が創建した浄土宗の寺です。
 累(かさね)の霊を鎮めたという祐天上人(1637年-1718年)ゆかりの寺です。祐天上人は増上寺三十六世で、江戸時代を代表する呪術師です。
 その祐天上人にまつわる伝説に「累物語」があります。

 下総の羽生村(現在の茨城県常総市羽生町)に累という娘が住んでいました。与右衛門という旅の男を婿に迎えますが、財産だけが目当てだった彼は累を川に突き落として殺してしまいます。
 与右衛門は新しい妻をめとり、菊という娘が生まれました。
 ところが、累の怨霊が菊に乗り移り、狂乱してしまうのです。
 そこへ現われたのが祐天上人で、一心不乱に念仏を唱えると、さしもの累の怨霊も鎮まって、菊はもとの娘に戻った……とさ、という物語です。



 雲天寺本堂。本尊は祐天上人が入仏供養したという阿弥陀如来です。




 この先、守谷駅を通り抜けて左に折れ、つくばエクスプレスの高架に沿ってしばらく歩くと、長さ100メートルはあろうかと思われる参道が見えてきました。長龍寺です。
 弘仁十四年(823年)、弘法大師空海が創建したとされる古刹です。真言宗でしたが、現在は曹洞宗。天正十八年(1590年)、豊臣秀吉の小田原征伐の際、大将・浅野長政らがこの寺に滞在したとされています。
 木立の中の参道を進んでいると、少しオーバーにいえば永平寺を思わせます。

 


 長龍寺本堂と本堂前に建つ道元禅師の像。



 鐘楼堂(右)横の樹木。枝が雪に覆われていました。何の樹かわかりませんが、ひと足早く桜が咲いたようでした。

 長龍寺は境内の広いお寺でした。杉木立の参道がある表門のほか、東西二つの門があります。



 これは西門の先に見えた建物。阿弥陀堂を思わせる方形屋根だったので、行ってみましたが、どうもお寺とは無関係な建物のようでした。かといって、無関係な民家の屋根がこのような形であるのは不思議。



 我が宗門なので、例によって墓所を捜して焼香しました。



 守谷駅は関東鉄道とつくばエクスプレスが交差する駅です。つくばエクスプレスに乗って帰ることにしました。

この日歩いたところ


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