桔梗おぢのブラブラJournal

突然やる気を起こしたり、なくしたり。桔梗の花をこよなく愛する「おぢ」の見たまま、聞いたまま、感じたままの徒然草です。

守谷落ち穂拾い(1)

2012年01月24日 22時32分57秒 | 寺社散策

 茨城県守谷に歩き漏らしているところがあります。
 また行ってみようと思いつつも、三年前の夏を最後に守谷から足が遠退いていました。引っ越したことによって、最寄り駅が新松戸から北小金に変わったことが主たる原因です。
 新松戸も北小金も同じ松戸市内。電車なら一駅、歩いても二十分そこそこ、という近い距離なのですが、守谷へ行くには南流山からつくばエクスプレスを利用するか、取手から関東鉄道を利用するかという二つの径路があって、新松戸からならどっちも乗り換え一回ですが、早くて便利なのはつくばエクスプレスです。それに乗ろうとすると、北小金からだと二回の乗り換えを強いられるのです。

 守谷へ行かねば……と気に懸かるのは、歩き漏らしている中に二つの薬師堂があることです。
 歩き漏らしたところを歩くことを、落ち穂拾いになぞらえてみました。

 二十日から二十二日まで、風邪(?)をひいて寝ていました。二十三日は風邪の症状は抜けたようだったので起きることにしましたが、病み上がりで身体がなまっていたのか、まだ風邪があとを引いていたのか、しゃっきりしないまま、一日中ほとんど何もすることなく、ウダウダと過ごしました。



 明けて今朝、目覚めてみると、我が庭は一面の雪。
 東京で初雪が降った二十日、我が地方は雨のままだったので、初雪です。さながら庭駆け廻る犬のように悦んで、守谷へ行こうと決めました。

 去年は所用のついでではあったけれども、やはり雪の日に柏市北西部のお寺を巡って歩いたのでした。雪で滑って転ばぬよう、トレッキングシューズを履きました。

 いつであったか、守谷へ行こうと思い立ったことはあったのです。降りる駅は守谷ではなく、関東鉄道の南守谷。すると、早くて便利なつくばエクスプレスでは遠廻りになります。この日、なぜ最初に南守谷を目指そうと思ったのかというと、二つの薬師堂の一つ・奥山本田(ほんでん)の薬師堂があるからです。

 


 関東鉄道取手駅のプラットホームには喫煙所がありました。煙草をやめた私にとって、プラットホームに喫煙所があろうとなかろうと無縁のものとなりましたが、いまだにこういうものを堅持している関東鉄道という会社はエライと思います。

 

 取手から十八分で南守谷駅に到着。
 駅名に「南」とつくからではないと思いますが、出口は南口しかなく、線路の北側に行くためにはガードをくぐらなければなりません。



 奥山本田の薬師堂があるのは、南守谷駅から歩いて十五分ほどのところです。ただ、徒歩十五分という所要時間はこのときはまだ把握していませんでした。

 ガードをくぐって、しばらく歩くと、結構交通量の多い道路に出ます。古くからある銚子街道です。行き交う車を遣り過しながらバッグからプリントした地図を取り出して、目を落とします。目指す薬師堂が載っている部分をプリントしてきたつもりですが、地図は切れていて、薬師堂がありません。
 なんで? と自問したところで答えは返ってきません。うっかり鞄に入れ忘れたか、あるいはパソコンの画面に表示されている部分がすべからくプリントされるとは限らないので、プリントしたつもりではあったけれども、実際はプリントされていないのを確認しないまま出てきたのかもしれません。

 しばらく歩くと、道は二股に分かれます。地図がなくてはどちらの道を進んだらいいのかわかりません。南守谷から十五分というのも、帰って地図を見直してからわかったことで、この時点では、この先何分歩けばいいのかわかっていません。
 行き交う車がビチャビチャと残雪とも泥水ともつかぬものを飛ばして行くのも不愉快になっていました。今日の日は諦めることにしました。

 戻る途中で、広い通りを歩くのは面白くない、という邪心が出ました。溶け始めた雪を蹴立てて走る車が相変わらず多かったからです。
 ある路地の入口に「通学路」という標識があったので、次なる目的地・愛宕神社に近い愛宕中学校の通学路だろうと判断して曲がってみましたが、二度も行き止まりに遭遇。
 松戸や柏なら「この先行き止まり」という標識があるので、踏み入るようなことはないのですが……。見落としたのか、もともとなかったのか。




 愛宕神社。
 天慶年間(938年-946年)、平將門が京都の愛宕神社に似せて創建したという言い伝えのある神社です。祭神は軻遇突智命(かぐつちのみこと=火産霊神)。



 愛宕神社前を走る道路は南守谷駅を降りて最初に横断した銚子街道です。その道路を歩いて、愛宕神社から十分足らずで天台宗西林寺に着きました。
 延喜二年(902年)、比叡山の延昌慈念僧正が現在の守谷市高野に創建したとされる、相馬・千葉氏の菩提寺です。
 元禄四年(1691年)、高野から現在地に遷座。




 門前の地蔵堂には元禄十年(1697年)造立の石地蔵があって、出世地蔵として信仰を集めています。受験生の合格祈願も多いということです。
 


 西林寺本堂としだれ桜。

 小林一茶の句碑がありました。
「行くとしや 空の残りを 守谷まで」
 文化七年(1810年)、この寺に滞在したときに詠んだ句です。

 西林寺を出て再び銚子街道に戻ります。

 西林寺から五分ほどのところ。地図には薬師寺とあるので訪ねてみたのですが、石段を上った先には小さな御堂があるだけでした。
 格子窓を通して中を覗くと、金箔の立像がおわしました。薄暗いので、はっきりとわかりませんが、薬師如来なのでしょうか。
 立像の足許に木彫りの小さな十二神将があるところを見ると、薬師如来なのでしょう。左横に石像らしき坐像。
 このあたりの地名は守谷市本町ですが、かつては糺の森といったそうで、薬師堂の名も糺の森薬師堂。
〈つづく〉


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