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【雑感】中国、越境試みたチベット族30人を銃撃=AFP通信【和文、朝鮮日報】

http://www.chosunonline.com/article/20071101000012

 31日のAFP電によると、中国の国境警備隊が10月18日、同国のチベット自治区からネパールに影響しようとした約30人のチベット族に銃撃を加えたもようだ。

 支援団体「チベットのための国際キャンペーン」(本部ワシントン)によると、死傷者はなかったが、数人が拘束されたという。

 中国とネパールの国境では昨年9月、ネパールに脱出しようとしたチベット族に国境警備隊が発砲し、女性の僧侶1人が死亡した。中国政府は当時、通常の国境警備中に銃撃が起きたと説明していた。

 同支援団体は、「今回の事件で中国側の姿勢に少しも変化がないことが分かった」と非難した。

 危険を顧みずチベット自治区からネパールに越境する住民は約2500人に上るとされる。ネパールに脱出したチベット族の大部分はチベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ14世が亡命政府を置くインド北部のダラムサラで暮らしている。

 

 劉建超は、「ねつ造されたものだ」と否定http://www.chosunonline.com/article/20071102000031

・チベットは歴史的にわが国固有の領土でどうたら
・問題の警備隊は抵抗されたのでやむなくどうたら
・中国国民の人権は法律に基づいてうんたら

くらいの言い訳をするかと思ったが外れた。
 尚、外交部HPでは、質問そのものがなかったことにされている。http://www.fmprc.gov.cn/chn/xwfw/fyrth/t377207.htm


『歴史上の今日』を眺めていて特に感じるのだが、中共は日本軍が撤退するまで極めてよく戦力を温存した。勇ましく抗日戦争を繰り広げた、とするのが最近の流行のようだが、45年まで守勢をとり続け、日本軍の撤退に併せて大攻勢に移った戦略は評価されてよい。
 もっとも見方を換えれば、「敵がいなくなった途端に、それまで弾除け代わりにしていた味方を攻撃した」ともいえ。「強い方の敵がいなくなったから、弱い方の敵を殲滅した」というのが真実だとしても、「外敵を打ち払った」と言いたい気持ちは分からなくも無い。直ぐにボロが出るから、やめたほうがいいとも思うが。
 その成功した戦略、に乗じて歴史的には中国とは別の文化、民族であるチベットをも武力で併合。
 もしこの時、中共がチベットのカリスマであるダライ・ラマを取り込んでいれば、住民が逃げ出すような事態にはならなかったのだろうが。現実には、中共がマルクス・レーニン主義という系統の異なる教条を信仰しているがゆえに、異教徒を迫害、ダライ・ラマはインドに亡命した。
 日本のマスコミを除いた各国の政府、報道機関は宗教・人権問題として認識している。

 チベット問題の歴史的な解釈はいいとして。
 先月、ダライ・ラマの受勲を祝おうとした僧侶と、武装警察が衝突している。さらにダライ・ラマは積極的に外遊しているので、住民に対する締め付けは厳しくなるだろう。
 中共にしてみれば、自分で自分の首を絞めるようなものだが、独立はおろか高度な自治など認めた途端国家が分解するので、不可能。

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11月2日

・新華社(抜粋、原文の雰囲気をなるべく壊さないように翻訳)
http://news.xinhuanet.com/politics/2007-11/02/content_6987174.htm

1948年:
解放戦争三大戦役の一つ、遼沈戦役が成功裏に終了。遼沈戦役は52日間継続、国民党軍47万人を殲滅、東北全域を解放した。

1993年:
中京中央文献編纂委員会編、人民出版社出版、『小平文選』(第三巻)出版。


・Wikipedia(抜粋)
http://ja.wikipedia.org/wiki/11%E6%9C%882%E6%97%A5#.E3.81.A7.E3.81.8D.E3.81.94.E3.81.A8

1917年 - イギリスのバルフォア外相が「ユダヤ人シオニスト諸組織に対する好意の宣言」(バルフォア宣言)を発表。パレスチナ内にユダヤ人の民族的郷土の建設を援助すると約束。

1993年 - マーストリヒト条約が発効し、ECを元にEUが正式発足。

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