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日中35年―「なでしこ」の精神で

http://www.asahi.com/paper/editorial20070930.html#syasetu1
 なでしこジャパンに皮肉を皮肉と分からない朝日の勘違い、はいいとして。
 下記の一文に事実誤認と、およそ朝日らしからぬ的確な現状認識を指摘しておきたい。

 35年間に両国の経済は強く結びつき、貿易額は日米間を超えた。だが、国民感情は悪化の一途をたどってきた。日本政府の世論調査では、80年には79%が中国に親しみを感じていたが、昨年は34%だった。89年の天安門事件や05年の反日デモなどの影響が大きいようだ。

事実誤認:国民感情は悪化の一途をたどってきた
「悪化の一途」という事はない、中国の改革解放から89年までは、日中ともに国民(人民)感情は良好であった。

的確な現状認識:89年の天安門事件や05年の反日デモなどの影響が大きいようだ。
その通りであり、双方とも中国にのみ原因がある。


 さて、全体的にまとまりがないアサヒ文ではあるが、日中関係だけに絞り込めばいいものを、ミャンマーのデモなど盛り込むものだから余計論旨が拡散してしまっている。

一昨日:
首相は対話の重要性を主張してきた。拉致問題は大切だが、核やミサイルの脅威が除けるのなら、日本も真剣にその可能性を追求すべきだ。

昨日:
 流血の弾圧がとまらない以上、日本も制裁を含めて圧力をかけることを検討すべき時期ではないか。

今日:
日本も軍事政権に対し、弾圧の停止と民主化を強く説得しなければならない。


 対話→制裁→対話、どうしたいというのか?

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ミャンマー―アジアの連携で圧力を(和文、朝日社説)

http://www.asahi.com/paper/editorial20070929.html#syasetu1

「「体は倒れても、突き上げた右手はしっかりビデオカメラを握っていた。」という書き出しに木口小平を書いた修身教科書を思い出し、朝日新聞の戦前への回帰が危ぶまれる」~~~~朝日社説ならこのように結ぶところだろう。
 戦後になっても朝日の体質が戦前戦中から変わっていないのは明らかなので、特に目新しくもない。
 個人的に気に入らないのは、亡くなったカメラマンを自分たちに都合よく利用している事に他ならない。

 記者魂を示した長井さんのような命がけの取材が、僧侶や市民らの行動を世界に伝えてきた。軍事政権は日本など外国メディアの記者を追放したり、現地通信員を連行したりしている。私たちはこの暴挙に、怒りと抗議を表明する。

 確かに、命をかけて報道しているジャーナリストは大勢いる。しかし、ポルポト政権を「アジア的やさしさ」、文化大革命を「現代への挑戦」だと書くような、体制におもねる新聞社に、「私たち」などとまるで同類であるかのような書き方をする資格はない。

 そうカリカリする必要もなく、昨日と今日の社説を見比べるだけで、アサヒテイストは充分堪能可能かと思われる。

昨日:
首相は対話の重要性を主張してきた。拉致問題は大切だが、核やミサイルの脅威が除けるのなら、日本も真剣にその可能性を追求すべきだ。

今日:
 だが、この対話路線は軍政の暴走を止められなかった。ミャンマーの平和と民主化にもっと積極的に関与する必要がある。それが日本に期待されている国際的な役割であり、民主主義国としての責任であることを自覚すべきだ。

(中略) 

 流血の弾圧がとまらない以上、日本も制裁を含めて圧力をかけることを検討すべき時期ではないか。


 昨日は対話の重要性をとき、今日は対話では生ぬるいというこのダブルスタンダード、まさに朝日社説の王道と呼ぶべき。

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9月29日

新華社(抜粋)
http://news.xinhuanet.com/politics/2007-09/29/content_6805857.htm
1972年:
中日両国が正式に国交樹立。周恩来総理と日本の田中角栄総理大臣は、北京で『中日共同声明』に署名、公布日をもって、中華人民講和国と日本国間の不正常な状態の終結、「日本側は、過去の戦争において中国人民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」「中華人民共和国政府は、中日両国人民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄する」を宣言。

1980年:
第五回全人代常務委員会決定
1.最高人民検察院特別検察庁を設立、林彪、江青反革命グループを起訴
2.最高人民法院特別法廷を開設、林彪、江青反革命グループ事件の主犯を審判
3.特別法廷は裁判を公開する
4.特別法廷判決をもって最終審判とする


・Wikipedia(抜粋)
http://ja.wikipedia.org/wiki/9%E6%9C%8829%E6%97%A5#.E3.81.A7.E3.81.8D.E3.81.94.E3.81.A8
1949年 - 中国共産党、甘粛省全域を支配下に置く。
1954年 - フルシチョフ初訪中。
1972年 - 田中角栄首相が訪中し、日中国交正常化の共同声明に調印。日中国交樹立。

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福田外交―世界に向けて所信を語れ(和文、朝日社説)

http://www.asahi.com/paper/editorial20070928.html#syasetu1

 いきなりだが要旨をとってみる。
靖国参拝するな、慰安婦を認めろ、植民地支配と侵略戦争を反省しろ、北朝鮮と仲良くしろ、中国と友好しろ

 要点を述べると
中国に逆らうな


 先日のエントリー

日本新首相と中日関係 「福田に種をまく」か?(2)(和文、人民日報日本版)
http://j.people.com.cn/2007/09/26/jp20070926_77351.html

 福田は「相手が嫌がることをする必要はない」といって靖国不参拝を明言した。中国は台湾問題を突かれるのが嫌だから、台湾問題では中国のいう事をきけ。中国の経済成長に伴う軍拡はよい軍拡だと認めろ。友好を望むのなら、もっと努力しろ。

 どうやらこれが北京からの指令だったようだ。
 北京にもホイホイ詣でるようなので、ここは媚中政治がいかなるものか10年前に戻るのもいいかもしれない。

 上の一文は皮肉だが、下の認識はひどすぎる。

首相は対話の重要性を主張してきた。拉致問題は大切だが、核やミサイルの脅威が除けるのなら、日本も真剣にその可能性を追求すべきだ。訪米することになれば、そうした姿勢を明確にして北朝鮮への共同歩調を固め直すことだ。

 つまり核やミサイルで脅されれば、国民の生命財産も譲歩せよと。まあ、ここならこのくらい書くか。

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日本もミャンマー制裁検討入り、状況見極めてと首相(和文、日経)

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20070928i106.htm?from=navr
 日本人ジャーナリストにも死者が出たミャンマー情勢、昨日から記事にしようと思いつつ、なかなか文章にならなかった。
 まず筆者のこの手の事件に対する基本的な考え方として、体制はその構成員に今日と変わらない明日を保証することで存在し得る、というものがあり。その考えに基づいて

1.秩序維持優先
2.構成員にデモ以外の手段を取らせなかった時点で体制の責任
3.まして武力鎮圧は体制の自殺行為

だと思っている。(中国をはじめ、武力鎮圧してもなかなか体制は転覆しない)

 鎮圧事件やテロ制圧事件などがあると、その都度上記の原則にパラメーターを調整しながら考えていくのだが、今回のミャンマーの件は情報が少ないのかどうも分かりにくい。

 要点を箇条書きにしてみる。

・デモ側:
要求:燃料価格の適正化→民主化
主体:僧侶
組織化:不明
デモの性質:市民が投石しており平和的とは言い難い

体制側:
主体:軍事政権
対応:治安部隊の投入、予防拘束

国際社会の対応:
ASEAN、欧米:軍事政権に圧力
中、露:安保理決議を分断、軍事政権より
日:、「直ちに制裁するかは、もう少し状況を見極めないといけない。ミャンマーへの日本の支援は、人道支援が多いので、そういう部分を含めて考えなくてはいけない」

「権力は腐敗する、絶対的な権力は絶対的に腐敗する」(アクトン)の格言通り、批判的なしくみを持たない軍事政権は大分腐敗が進んでいるようであり。直感では「近視眼的な思惑に囚われた体制の暴発」に見える。
 ところが、日本のマスコミが想像している「無抵抗の僧侶に発砲する血に飢えた軍隊」という印象とはどうもズレがあり、そのズレが筆が進まない理由のようだ。

 違和感といってもよい。
 箇条書きを読み返して、どこに違和感があるかわかった。デモの主体が僧侶であり、彼等の行動から考えて組織化されていないとは考えにくい。(実際に昨夜から、拘束を始めてからデモは下火になっている)
 欧米人にとって宗教人が政治的デモに関わるのは不自然ではない。浄土真宗という、およそ仏教本来のドグマからかけ離れた宗教を生み出した日本人も同じである。
 ところが、小乗仏教僧が政治という世俗に関わるのは、筆者の知識からすると、イスラム教徒が豚肉を口にするくらい有得ない。例えとしては「仏僧が妻帯するくらい有得ない」の方がいろんな意味で妥当だが、日本人には分かりにくいと思われる。

 厳しい戒律で縛られている僧侶を、デモに立たせた程の、戒律を上回るほどの動機づけ、がなければならない。案の定日本のマスコミは、「それほど民の苦しみが大きかったのだ」などと自説に都合よく解釈しているが、小乗仏教僧にとって重要なのは自分が解脱することであり、他人の苦しみは解脱より重要ではない。
 例えば、デモこそが解脱への道だ、などと規範を変更することのできるカリスマでも出ない限りあり得ない、そのような宗教史上稀有の状況が、昨日今日のミャンマーでは進行しているといえる。
 今回のデモは、それだけ組織的、計画的なものだということになる。そのあたりに、素直に同情できないものを覚える。

 まったく関係ないが、首相の腰の引けたコメントは、なんとなく予想できていたとはいえなさけない。次の首相へのつなぎであろうか。

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9月27日

・新華社(抜粋)
http://news.xinhuanet.com/politics/2007-09/27/content_6794808.htm
1940年:
ドイツ、イタリア、日本がベルリンで三国同盟条約に調印、ファシスト枢軸国の正式な同盟締結を意味する。
1949年:
中国人民政治協商第一回全大会開催。独立主権国家のしるしとして、国旗と国家の象徴を決定。
『義勇軍行進曲』を中華人民共和国の国歌に決定。1982年第五期全国人民代表大会第五回会議で、正式に国歌に決定。
1988年:
中国、自主開発技術による、戦略原潜によるミサイルの水中発射実験に成功。中国国防先端技術が新たな段階に至り、中国が五番目の海中ミサイル発射技術を保有する国家になったことを意味する。

 

・Wikipedia(抜粋)
http://ja.wikipedia.org/wiki/9%E6%9C%8827%E6%97%A5#.E3.81.A7.E3.81.8D.E3.81.94.E3.81.A8
1928年 - アメリカ合衆国が中華民国南京国民政府を承認
1939年 - ナチス・ドイツ軍によってワルシャワ占領
1940年 - 日独伊三国同盟締結
1949年 - 中華人民共和国の国旗制定

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9月26日

・新華社(抜粋)
http://news.xinhuanet.com/politics/2007-09/26/content_6790113.htm
2006年:
安倍晋三が日本の首相に当選、小泉純一郎と交替。

 

・Wikipedia(抜粋)
http://ja.wikipedia.org/wiki/9%E6%9C%8826%E6%97%A5#.E3.81.A7.E3.81.8D.E3.81.94.E3.81.A8
2006年 - 第3次小泉内閣総辞職、安倍晋三が第90代、57人目の日本国首相に就任。

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日本新首相と中日関係 「福田に種をまく」か?(2)(和文、人民日報日本版)

http://j.people.com.cn/2007/09/26/jp20070926_77351.html
 新内閣が発足した。福田首相に対しては、それほど情報を持たず、また首相の話す内容も政治的で分かりにくいので、個人的な見解はいまのところない。
 中国のメディアを見ても、初めは形だけでも歓迎するのでこれまた判断が難しい。

 冒頭に引用した日本語記事は、元々人民日報国際版に乗っていたもの。全体としては、仏教用語である「福田(フクデン)」をからめつつ、福田首相就任を歓迎するものとなってはいるのだが、中国の経済成長によるものか、寄稿者の性格によるものか、日本人の立場から読むと見下されたような読後感を得る。


要旨をとってみると分かりやすい。

 福田は「相手が嫌がることをする必要はない」といって靖国不参拝を明言した。中国は台湾問題を突かれるのが嫌だから、台湾問題では中国のいう事をきけ。中国の経済成長に伴う軍拡はよい軍拡だと認めろ。友好を望むのなら、もっと努力しろ。


 中国人相手に、「思いやり」だとか「謙譲」という日本国内では美徳とされている態度をしめしても、理解されないだけでなく逆につけこまれる、というのはよく言われ、1990年代に日本外交が散々経験した上、現在もそのツケに苦しんでいることでもある。
 まさにそのパターンの踏襲。もしかすると、昔より性質が悪くなっているかもしれない。
 どう対応するのか、まずは新官房長官の談話が楽しみ。

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9月25日

・新華社(抜粋)
http://news.xinhuanet.com/politics/2007-09/25/content_6781913.htm
1937年:
中国共産党率いる人民軍が、平型関大勝と呼ぶ抗日戦争における初勝利を収めた。八路軍115師団は、山西省霊丘県南西平型関付近において、板垣征四郎指揮下第五師団21旅団の一部を伏撃、日本軍千名余と輜重全車両を殲滅、無敵日本軍神話を打破した。

1941年:
八路軍晋察冀軍区、“狼牙山5勇士”が、河北易県狼牙山の阻止戦中、日本傀儡軍に勇敢に抵抗、主力の撤退援護を完遂後、一歩一歩接近する日本傀儡軍に直面、死んでも屈服せずに、最後の1発を撃ち終えた後、数十丈の深い断崖にに投身した、馬宝玉、胡徳林、胡福才は勇敢にも犠牲となり、葛振林、宋学義は山の中腹のイバラに引っかかり幸いにも難を逃れた。

 

 

・Wikipedia(抜粋)
http://ja.wikipedia.org/wiki/9%E6%9C%8825%E6%97%A5#.E3.81.A7.E3.81.8D.E3.81.94.E3.81.A8
1972年 -田中角栄首相が中国を訪問し、日中国交樹立

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9月24日

・新華社(抜粋)
http://news.xinhuanet.com/politics/2007-09/24/content_6775443.htm

1948年:
華東野戦軍、済南戦役が終了。済南を解放。国民党軍10.4万人を殲滅、第二「緩靖」地区司令兼山東保安司令、王耀武中将を捕虜にし、国民党華東と華北大戦略集団間の連絡を切断、遼沈戦役に連携、准海戦役への布石とした。


・Wikipedia(抜粋)
なし

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