時々新聞社

慌ただしい日々の合い間を縫って、感じたことを時々報告したいと思います

新聞の自殺行為

2006年09月02日 | マスメディア
新聞の役割とは一体なんだろう。
2000年6月に制定された「新聞倫理綱領」の冒頭の文章を以下に示しておこう。
「21世紀を迎え、日本新聞協会の加盟社はあらためて新聞の使命を認識し、豊かで平和な未来のために力を尽くすことを誓い、新しい倫理綱領を定める。
国民の「知る権利」は民主主義社会をささえる普遍の原理である。この権利は、言論・表現の自由のもと、高い倫理意識を備え、あらゆる権力から独立したメディアが存在して初めて保障される。新聞はそれにもっともふさわしい担い手であり続けたい。
おびただしい量の情報が飛びかう社会では、なにが真実か、どれを選ぶべきか、的確で迅速な判断が強く求められている。新聞の責務は、正確で公正な記事と責任ある論評によってこうした要望にこたえ、公共的、文化的使命を果たすことである。」
誠に、見事な倫理綱領ではないかと感心するばかりである。
いずれの新聞社も第2次世界大戦、太平洋戦争の激化ともに、言論人としての精神を失い、大本営発表を鵜呑みにした記事を報道し続けた。戦後はその反省の上に立って、この倫理綱領の精神を心に刻みながら、平和で民主的な社会の実現を目標に発行を続けてきたものと理解している。
それでは、新聞各社は実際に「憲法改正」の議論について、どのような態度をとっているだろうか。
戦争を放棄を明記した憲法9条を含む「改正」案が自民党から提案されているが、これに対して正面から批判の論陣を張った大手新聞社は1社もない。また、安倍晋三の「憲法や教育基本法の「改正」し、「美しい日本」を作る」との発表についても、いかにも客観的な報道を装いながら、その実、彼の主張をそのまま発表するだけである。戦前の大本営発表とどれほどの違いがあろう。
自衛隊の海外派兵という明確な憲法違反の行動に対して、新聞はどのように報道しただろうか。
1面の見出しには、「イラク派兵を決定」などと大々的に報道し、隅っこに、「憲法上の疑義もある」などと小さく報道するだけである。なぜ正面から、「憲法違反のイラク派兵を決定」、「イラク派兵は止めよ」と主張できないのであろうか。
中には、憲法「改正」を社是であると主張するような愚かしい新聞もあるが、先に掲げた倫理綱領に照らせば、言語道断である。
ここ1年ほど格差社会について、告発の連載を続けている新聞社があるが、そのような悲惨な実態があることを報道するのみで、その根幹にある政府の構造改革路線への批判やその転換に話が及ぶと、いきなりトーンダウンしてしまうのだ。所詮、ここまでの報道が限界なのである。
大手新聞社といえども、読者からの購読料だけで経営をしているわけではない。財界、大企業や政府関係の膨大な広告、そして選挙ともなれば、自民党は大のお得意様であり、そのお得意様の主張を公然と批判することはできないのである。
これが、現在の大手新聞社の実態であり、乗り越えられない壁なのである。
しかし、大手各紙は、このような報道姿勢をいつまで続けるつもりだろうか。憲法「改正」までが日程に上っている現在、どこまで「沈黙」や「客観報道」で済ませることができるだろうか。それは新聞の自殺行為であると思われる。

犯罪社会にどう対応するか

2006年09月01日 | 社会問題
最近は、物騒な社会になってきた。暴力事件や凶悪事件の増加もあるが、これに加えて詐欺事件なども増えており、平穏に暮らすという当たり前のことが難しい世の中になってきた。
犯罪の増加に伴って、受刑者が急増し、全国の刑務所で収容定数を大幅に上回り、受刑者が収容しきれなくなり、新しい刑務所も建設中という。現在の刑務所内での生活は、(テレビなどで見る限り)まるで軍隊のような生活や訓練であるが、これに加えて、ギュウギュウ詰めの刑務所ではさぞかしストレスも溜まり、とても更正どころではないだろう。
犯罪の抑止や受刑者の更正について、編集長からいくつかの提案がある。
犯罪の抑止のために、特に有効と思われるのは、警察官と地域諸団体(町会や自治会、商店会、PTAなど)と協力しての日常的なパトロールの強化である。このための警察官の増員には賛成である。これは住民意識の向上にも繋がる。いっそ、自衛隊などは解散し、空港やターミナル駅の警備、街の巡回パトロールなどに予算を使ったほうがテロ対策や防犯対策にはるかに効果的であると思われる。
もう一つは、罰則の強化である。無期懲役になっても仮出獄は可能であり、いわゆる終身刑ではない。ましてや、有期刑であれば、刑期の3分の2程度で仮出獄が認められる場合が多い。刑罰の強化は、犯罪の抑止に一応有効であろう。とすれば、懲役刑を外国のように、懲役70年とか150年とか極端に長くすることは有効であろう。なお、編集長はどちらかといえば、死刑には反対である。
詐欺、横領などの経済事犯は、何億円もの被害を与えても、数年で出所してくるような例も多い。詐欺などに遭い、生活を根底から破壊された被害者の気持ちを思うと、この刑期は余りにも短すぎる。長期にわたり拘束し、労役により、その罪を償うべきであろう。
次に、刑務所では、ほとんどの場合、労役が課せられるが、北海道の一部の刑務所で行われているように、農作業や林業を行うことを提案したい。
過疎の町村では、過疎化対策も兼ねて、刑務所の誘致を行うところもあると聞いている。周辺部に放置され、荒れ果てた田畑や山林を受刑者の手でよみがえらせ、収穫物は全国の刑務所で消費し、残った分は市場で売却し、売却益の一部は被害者の救済基金として積み立てるというのはどうだろう。自給率の向上にもつながる。
受刑者は、出所後に結局更正することができずに、再犯に走る場合が多い。これは、犯罪者に対する世間の風当たりの強さや近親者などからも見放される結果であろう。また、自ら進んで、背徳の道に逆戻りするケースもあろう。出所者が希望すれば、過疎地の農地の一部を用いて、新たな暮らしを始めても良いではないか。また、それを管理するシステムを作ればよい。
刑務所時代から親しんだ農作業や林業の仕事で、しかも食べるに困らなければ、継続してこういう暮らしを希望する出所者も多いのではなかろうか。
拘置所などは、審理の必要性から裁判所などに近い都心部にあることが条件だろう。しかし、都心部の一等地に刑期が決まった受刑者を収容する刑務所が必要とは思われない。刑務所の過疎地への移転と作業内容の見直しを是非検討して欲しい。
古来、「浜の真砂は尽きるとも世に泥棒の種は尽きまじ」と言われるように、犯罪を根絶することはできなくとも、徐々に犯罪の芽を摘み取り、撲滅に向けて取り組むことは可能であり、重要と思われる。