時々新聞社

慌ただしい日々の合い間を縫って、感じたことを時々報告したいと思います

教育の崩壊、加害者の母親に問う

2007年11月01日 | 教育
10月11日に「教育の崩壊」というタイトルで、足立区で起きたコンビニでの万引き事件に関する記事を書いておいた。
この記事の中で、この事件に関わった加害者である中学生とその保護者の責任はもちろんであり、罪の償いをすべきであること、同時に、この間足立区で起きた学力テスト問題にまつわるさまざまな不祥事、学校選択の自由化など足立区の教育行政の問題点について指摘しておいた。
これに対して、数日前に、この事件に関わった5人の中学生のうちの1人の母親という方からコメントをいただいた。内容にはリアリティがあり、いたずらではなさそうである。
さて、この母親は、「窃盗行為について、これは弁解の余地もなく、うちの子が悪いです。充分反省しなくてはなりませんし、それなりの償いは当然です。」と述べる一方で、「家庭で反抗するような事も暴れた事もありませんし、今でも食事や旅行、買い物、家族みんなで行きます。私達保護者が言いたいのは、半分は大人に仕立て上げられた「不良少年」というレッテルなんです。」と述べている。そして、学校や教育委員会の対応を批判し、「こんな学校に育てられている子供達のこれから先が、私は不安でなりません。」と締めくくっている。
長文のコメントではあるが、事件の加害者の母親という立場を考えると、まだまだ書き足りない部分もあったと思われるが、このコメントを読んで気になったことを述べておこう。
万引きという行為について、この母親はどのような認識を持っているのだろうか。1000円の商品を1点盗まれると、この損失を取り戻すために、商店はいくらの商品を売らなければならないのか、正しく認識されているだろうか。そして、その重大性を子供にきちんと説明し、理解させているのだろうか。
先の記事の中で、保護者が「死ぬ気で子供と向かい合ってきたとは到底思えない。」と書いておいたが、いただいたコメントからは、和気あいあいと食事や旅行、買い物に出かける家族像しか浮かんでこない。都合の悪いことにはお互いに口をつぐみ、親も子供を批判して真摯に反省を求めることがなく、子供もそれに甘えて表面上は「良い子」を演じている。そういう家庭像を想像してしまうが、これは私だけが感じることだろうか。
報道によれば、この中学生5人は、「度重なる補導や授業の妨害」があったと報じられており、母親も「窃盗行為について、・・・うちの子が悪いです。・・・それなりの償いは当然」と述べているので、話半分としても、近隣の商店や学校やクラスの友人たちにも相当な迷惑をかけていたことが推察できる。
では、今までに万引きなどを行った全ての行為を告白させ、1軒1軒の商店に謝罪に行き、損害を償い、教員やクラスメートの自宅も訪問し、今回の件で迷惑をかけたことを謝罪して回ったのだろうか。これが、「家庭」としてまず行うべき「償い」の第一歩だ。
私なら間違いなく、子供を連れて1軒1軒謝罪訪問をさせるだろう。
この母親は、反省を口にする一方で、結局は「こんな学校に育てられている子供達のこれから先が、私は不安でなりません。」と学校に責任に転嫁していないだろうか。
足立区の教育行政、学校現場の問題点は、私もいやというほど目にしている。これはこれで、正さなければならないことだ。そのために私も微力を尽くしたいと思っている。
しかし、加害者の母親、保護者がまずなすべきことは、他人のこと(新聞報道、警察情報、隣近所の噂、社会のレッテル、学校の対応、教育行政、仲間の中学生やその家族など)を論評したり、批判したりすることではなく、ましてや署名を集めたりすることではけっしてない!
「償い」というのは、何も「法的なこと」だけを意味するものではない。それは、警察や法曹関係者に任せておけばよい、世間の噂も世間に任せておけばよいことであり、家族が云々することではない。
「家族」がなすべきことは、「家族」でしかできない「償い」の行動をまず行うことである。「保護者」や加害者の中学生本人に、こういう固い決意があるかどうかを本人はもちろん、この母親と家族に問いたいと思う。

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