時々新聞社

慌ただしい日々の合い間を縫って、感じたことを時々報告したいと思います

「学校に行きたい~極寒モンゴルの移動教室~」を見て

2007年02月27日 | 教育
先日、フジテレビ系列で「学校に行きたい~極寒モンゴルの移動教室~」という番組が放映された。
女優の永作博美が、モンゴルの遊牧民一家の8才のナラという女の子を訪問する。
ナラは、怪我をした父や病気の母を助けて働くことに忙しく、兄や姉が通った村の学校に通っていない。「字を覚えたい」と言い、仕事の合い間にも、ボロボロになった教科書を開くことを楽しみにしている。そんな少女だ。
モンゴルでは、夏と冬の学校の休みに、学校に通えない子ども達のために2週間の移動教室が開かれている。ナラはこの教室を心待ちにしている。
さて、番組内容の詳細をここに紹介しようとは思わないので、興味のある方は、別のホームページを調べてみて欲しい。
この番組の最後に、学校に行きたいのに行けない子どもも、学校に行けるのに行きたくない子どももどちらも不幸だという趣旨のナレーションがあったが、編集長はこの番組を見て、日本の学校教育のあり方を考えさせられた。
新しい知識を得ることは、成長期の子供にとって何よりの喜びであるはずだ。
新しい文字や計算の仕方、自然や宇宙、日本や世界のこと、いずれも驚きに満ちた世界のはずだ。ところが、残念なことに、日本ではこういう一つひとつのことを学び、知ることが子供たちにとって苦痛になっているというのはどういうわけだろうか?
もっとも大きな原因は、個々の子供の能力や学力に合わせた指導や援助が行われていないからだろう。
教師は、決められた期間に決められただけのページ数の授業をこなし、わからない生徒がいても、どんどん先に進まなければならない。小学校2年生で掛け算を学ぶが、ここで取り残された生徒にとっては、それ以降の中学卒業までの数学の授業は、まったく無味乾燥なものになるだろう。
3年、4年と学ぶことが多くなればなるほど、落ちこぼれ(「落ちこぼし」というほうが正しいかもしれない)は増えてゆく。
子供たちは、テストの点数によって序列化され、競争を強いられ、授業についていけない子供たちは、どんどん置いていかれる。こういうやり方が子供の成長に望ましいわけがない。
義務教育というのは、すべての生徒が学び、理解すべき内容を含んでいる。最後の一人まで、というのは現実的には無理かもしれないが、せめて、7割、8割の生徒が完全に理解できるまで、工夫をして、援助すべきではなかろうか。
しかし、これらはけっして生徒本人や学校任せにしてはならない。ましてや、塾任せでは到底ありえない。親や地域なども協力して、子供たちの学ぶ意欲に応えるとともに、学ぶ喜びを感じてもらえるような努力が必要であろう。
遠くモンゴルの地に住む小さな少女を通じて、そのことを考えさせられた。


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