時々新聞社

慌ただしい日々の合い間を縫って、感じたことを時々報告したいと思います

給食費の不払い-家庭教育はどこに行ったのか?

2006年11月13日 | 教育
最近こまごましたことで、身辺が多忙になり、記事の投稿が億劫になってしまった。
一つひとつの用件は些細なものばかりなのだが、これが積み重なるとなかなか処理しきれなくなってくる。ここ数日間は、こんな状況で「こうして知らぬ間に時間が過ぎ、この積み重ねが人生になるんだな」と、妙に哲学的なことを考えたりした。
貴重な人生である。お互いに有意義な人生を送りたいものである。
さて、先週土曜日にフジテレビで「秋の教育スペシャル!たけしの日本教育白書……」なる番組があり、編集長も雑多な用件を片付けるかたわら、ちょっと覗き見をした。
教師による破廉恥行為や指導力不足などがマスコミで報道されるが、この番組で紹介された最近の教育現場の実態には驚くばかりである。
教員の指導力不足ももちろんあるだろうが、給食費の不払いを堂々と主張する親たちには、呆れるというよりも、怒りすら覚えた。
この親たちが主張するように、確かに給食というのは教育の一環であり、義務教育期間中である小中学校では本来は無料で提供すべきものと編集長も考えている。しかし、現実問題として、その費用の一部(材料費)を保護者が負担する制度がある以上、やはり不払いというのは納得できない。世間には、経済的な理由によって給食費を払えない世帯もあろう。これを責めるつもりは毛頭ない。しかし、テレビに登場した2人の母親は、子供には携帯電話を持たせ、多い月には6万円もの通話料を負担しているという。その一方で、給食費の不払いを続けているのである。
「子供にとって、給食と携帯とどちらが大切ですか」と聞かれた母親は、すかさず「携帯です」と答えている。
また、自分の子供を「学芸会の主役に」と主張する親たちの話も紹介された。配役を決めようとすると、「なぜ私の子供は花の役なのか」、「主人公にして欲しい」という要望が次々と寄せられるそうだ。
そうして、学芸会では、「桃太郎」とは似て非なる、18名の桃太郎が登場する「桃太郎たち」あるいは「桃太郎s」ともいうべき劇が演じられることになるのである。
このような親から、いったいどのような子供が育つのだろうか。社会のルールや常識を守り、他人の立場や気持ちを理解する子供が育つとは到底思われない。利己的で、自らの要求は、たとえ理不尽であっても無理やり、時には暴力をもってしても押し通そうという子供になるのではないか。
最近のいじめ問題でも、いじめる側には、いじめているという自覚はまったくなく、亡くなった子供への罪悪感も瞬時にして消えうせてしまうのだろう。いじめられていた子供が自殺をしていなくなれば、また次のいじめの「標的」を探すだけだ。いじめをしていたと名指しされた子供の親たちも、内心、遺書の中に自分の子供の名前が書かれたことを迷惑に感じているに違いない。本当に自分の子供が取り返しのつかないことをしてしまったと猛省する親はほとんどいないのではなかろうか。そして、そういういじめの事実そのものを徹底的に隠蔽する学校や教育委員会。悲しいことだが、これが教育現場や家庭の実態である。
10年後、20年後に、日本はどんな国になっていて、どんな人間がこの世の中を闊歩しているのだろうか。想像しただけで、気持ちが沈むのは私だけではあるまい。
読者諸兄の身近に住んでいるこういう理不尽な親たちに、地域や学校で批判の声を上げていくことが唯一の解決策であろう。


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