東京新聞のコラム【筆洗】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2016031102000133.html)。
《震災があり、原発事故が起き、たくさんの人が死んだ…原発事故により、先祖代々何百年も暮らしてきた里から離れて五年。根本さんが重ねてきたのは、そういう歳月だ…▼巨大な力に振り回されての逃避行。帰りたいのに帰れぬ望郷の念》。
『●田中正造「「私欲と奸悪」が原因の人災」』
『●「怒」、九州電力川内原発再稼働というパンドラの箱:
国破れて、山河も無し・・・となってもいいのか?』
『●何もなかったかのように、原発回帰を加速する自公政権:
いま、引き返さなくていいのか?』
東京電力核発電人災から5年。「国破れて、山河も無し…」。九州電力は関西電力などの電力会社、原子力「ムラ寄生」委員会、アベ様ら自公議員の皆さん、「帰りたいのに帰れぬ望郷の念」を抱く人々が帰郷できるように「原状回復」して見せて下さい。核燃料サイクルに希望の光を持ち、核発電所を再稼働することを望むのならば。でも、それは、「原状回復」した後だ。
同コラムに、以前、紹介された根本昌幸さんの「柱を食う」が印象に残る。
『●「こういうふうにした者たち」とは誰だ?……
東京電力原発人災の自覚無き犯罪者たち』
《福島原発事故で故郷の町を奪われ、避難生活を強いられる
根本昌幸さんの「柱を食う」である▼詩は続く。
<この写真は自分を戒めるために/
離さずに持っているのだ/
とも言った。/
これはどういうことなのだ。/
牛よ/
恨め恨め/
憎き者を恨め/
お前を飼っていた者ではない。/
こういうふうにした者たちを>》
===============================================================
【http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2016031102000133.html】
【コラム】
筆洗
2016年3月11日
<いつもと変わらない/
朝がくる。/
けれど今日は新しい朝なのだ。/
おめでとうございます/
どこかで誰かの声がする。/
けれど私は言わない>。
福島の詩人・根本昌幸さん(69)の詩集『荒野(あらの)に立ちて』に収められた一節だ。震災があり、原発事故が起き、たくさんの人が死んだ。だからおめでとうとは言わない、と詩人はうたう▼
<新しい朝に/
太陽に向かって/
今年は良いことが必ず/
ありますように と/
祈るだけだ。/
頭をさげて/
手を合わせるだけだ>。
原発事故により、先祖代々何百年も暮らしてきた里から離れて五年。根本さんが重ねてきたのは、そういう歳月だ▼根本さんの妻でやはり詩人の、みうらひろこさん(73)は事故直後、幼いころの体験を突然思い出したという。先の見えぬ避難が、終戦直後の中国での逃避行で弟を失った時の記憶を呼び戻したのだ▼巨大な力に振り回されての逃避行。帰りたいのに帰れぬ望郷の念。ひろこさんは、そんな思いを住民が消えた街の郵便ポストに語らせた。「ここは避難区域のため このポストは使用禁止です」との張り紙で口を塞(ふさ)がれたポストだ▼
<私は届けることが出来ません/
誰にも思いを届けられません/
私は届けたい…/
悲しみや悔しさややりきれなさと/
張り裂けそうな心の便りを/
届けたい 届けたい 届けたい>
▼そんなポストが今日も立ち続けている。
===============================================================