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●歴史的役割踏まえた原発に頼らない国へ: 「人の命と安全は経済性に優先する」=「人格権の尊重・倫理」

2016年03月15日 00時00分58秒 | Weblog


東京新聞の二つの社説【命の安全第一に 3・11から5年】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016030802000136.html)と、
【原発に頼らない国へ 2011年8月6日付】(http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016030802000135.html)。

 《本紙は五年前の一面に「原発に頼らない国へ」と題した下の評論を掲げた。事故への反省と未来に向かっての決意です。現実はそうは進んでいません。事故後、私たちは原発に対する認識をよくよく思い返したものでした。…五年は歳月の節目だが、被災者にはただ通過する一日でもあるでしょう。原発事故と地震津波被災への悲しみと苦しみ、そして怒りを私たちは日々共有しよう。よりよい社会、人を大切にする国にするために》。
 《広島、長崎の原爆忌が巡ってきます。毎年訪れる日ですが、今年は特別です。三月に福島原発事故が起きたからです。私たちは、日本は原発のない国に向かうべきだと考えます》

 慟哭や悲しみを無視するアベ様らではダメ。

   『●なぜ命を軽々しく賭して、「たかが電気」のために  
      核発電する必要があるのか? 次も神様・仏様は居るか?
   『●「故郷の川に身を投げたい衝動に駆られた」
      「早く浪江に帰りたい」…「原状回復」することも無く…

 第五福竜丸元乗組員大石又七さんは、《私たちビキニの被曝者がたどった道を、福島で放射能を浴びた人たちもたどっているんだと思います。本当に気の毒だと思うばかりです。福島の人たちの苦労が始まったわけですからね》と仰っています。映画・TVドキョメンタリー『放射線を浴びた『X年後』』にある通り、この人災の『X年後』への懸念が、ブログ主には、拭えません。アベ様ら核発電「麻薬」中毒患者は、なぜ、平気でいられるのか?

   『●第五福竜丸元乗組員大石又七さん
     「ビキニと福島はつながっている」「被曝者がたどった道を、福島で…」

 大石さんも同様なことを仰っていますが、烏賀陽弘道さんは《核兵器をタブーの領域に押し込めた。双子の兄弟の一人をいないこと」にしてしまった。原発と核兵器の「血のつながり」を論ずることはタブーになった》と述べています。「兄」の「核」はダメだけども、「弟」の「原発」は良いものとしてきた日本。でも本質は、「核兵器=原子力発電」じゃないのか。

   『●烏賀陽弘道さん
     『ヒロシマからフクシマへ原発をめぐる不思議な旅』読了

 原発に頼らない国を目指しましょうよ。《人の命と安全は経済性に優先する》=《裁判用語では人格権の尊重であり、社会用語なら倫理》を、福井地裁や大津地裁の仮処分決定のように、「司法の良識」として受け止め、《日本の歴史的役割》をそこに定めるべきです。

   『●大津地裁山本善彦裁判長、 
      高浜原発3、4号機の運転を差し止める仮処分決定!
   『●東電核発電人災から5年: 「今や世界の笑い者…
        政権批判をいとわないキャスターの首を差し出した」
   『●3.11東電人災の5年、王様・アベ様からして
        核発電「麻薬」中毒患者という哀しい国ニッッポン
   『●金沢地裁・井戸謙一元裁判長「「原子炉を運転してはならない」。
                      自ら発した声に法廷はどよめいていた」
   『●「効率より安全、経済より命」: 井戸謙一元裁判長、
       樋口英明・山本善彦裁判長の声は班目春樹氏には…?

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016030802000136.html

【社説】
命の安全第一に 3・11から5年
2016年3月8日

 本紙は五年前の一面に「原発に頼らない国へ」と題した下の評論を掲げた。事故への反省と未来に向かっての決意です。現実はそうは進んでいません。

 事故後、私たちは原発に対する認識をよくよく思い返したものでした。

 五年前の評論にあるように、核制御の難しさはもちろん、日本は世界有数の地震国であること、また原子力の危険性を地方に押し付けてきたことをまざまざと思い知らされたのです。

 だが以来、私たち日本人は一体何をどう進めてきたのか。

 国会や政府の事故調は原因と責任をよく突き止めえず、そのため被災者らが中心となって東電元幹部を強制起訴へと持ち込んだのはつい先日のことです。事故にかかわるすべてを法廷で明らかにせよ、と願うのは福島県民だけでなく多くの国民の思いでしょう。

 原発再稼働は進むけれど、どこかに黒い雲のようなものがかかったままのようなのです。本当は進めてはいけない、原発はやはり危険だと考える人が世論調査などで過半を占めるのは当然なのではないでしょうか。

 それもこれも国が原発ゼロへの道筋を決めないからです。事故のあと、民主党政権は原発の寿命四十年を順守して自然的消滅の政策をいったんは立てたものの、政権も代わって今は原発維持策です。

 温暖化対策をいい、経済性をいい、エネルギー安保も持ち出される。それらはむろん重要です。しかしながらより守らねばならぬものは命の安全です。原発代替の手段も技術もあるのです

 五年前の評論では、なぜ原発に頼らないかは、人の命と安全は経済性に優先するからだと記しました。人間を大切にすることが、私たちの従来の主張だから、と。

 裁判用語では人格権の尊重であり、社会用語なら倫理ということになるでしょう。

 事故で私たちが思い知らされたのは、原発とは巨大な核施設であり、人間も組織もミスを犯しうるということです。

 五年は歳月の節目だが、被災者にはただ通過する一日でもあるでしょう。原発事故と地震津波被災への悲しみと苦しみ、そして怒りを私たちは日々共有しよう。よりよい社会、人を大切にする国にするために
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http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016030802000135.html

【社説】
原発に頼らない国へ 2011年8月6日付
2016年3月8日

 広島、長崎の原爆忌が巡ってきます。毎年訪れる日ですが、今年は特別です。三月に福島原発事故が起きたからです。私たちは、日本は原発のない国に向かうべきだと考えます。

 原発には賛否さまざまな議論があります。脱原発への一番の反論は、電力が足りなくなったらどうするのか、ということです。しかし、それには人の命と安全は経済性に優先すると答えたい。人間を大切にするというのが私たちの従来の主張だからです。核の制御の難しさはもちろん、日本が四枚のプレート上にある世界有数の地震国であることも大きな理由です。

 原発の安全、安価、クリーンの神話は崩れ去りました。私たちは電力の自由化、自然エネルギー庁の新設、徹底した情報公開を提言します。

 原発のない国へ、という挑戦はもちろん容易ではありません。日本は現在エネルギーの大半を海外に頼っています。経済活動に支障は出るでしょうし、弱い立場の人を苦しめることも許されません。実現には年月も努力も必要です。しかし、指針を掲げねば前へとは進めません。

 放射能被害は、被爆国の国民として、また福島の惨状を知った同胞として、深刻かつ重大に受け止めねばなりません。よく考え、議論し、行動しようではありませんか。一人の理想は小さくとも、合わせれば世界の理念にもなるでしょう。

 戦後日本の経済成長は世界を驚かせました。大いに誇るべきです。だが原子力については平和利用の名の下、その恐るべき危険性を見過ごし、原発の立地は多くを地方に押しつけてきました。率直に反省すべきことです。

 歴史を学ぶのは未来を考えようと思うからです。原子力の過去を知るほど、今が私たちの変わらねばならない時と考えます。それは欧米では再生エネルギーの活用という形で始まっているのです。

 世界では、原発は中国やインド、中東などで増えそうです。各国の事情はあります。しかし核はますます拡散し、巨大事故や核テロの危険性も増えると懸念します。日本は持ち前の技術と結束力で、原発がなくとも豊かな社会が築けるというモデルを世界に示すべきです。それは日本の歴史的役割でもあるのです。

(論説主幹・深田実
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