まいにちはなたば

キレイな花、枯れた花、トゲだらけの花。
毎日いろんなことがあるけど、遠くから見れば、やっぱりきれいな花束だと思うよ?

理不尽な思い

2008-09-30 13:34:03 | 想い
先月、教会学校の中高生担当をしている方から、
月に一回でも、このクラスを担当してもらえないか?と頼まれまして


何でも、サマーキャンプの時、アタシが中高生にした話を
一緒に聞いてくださっていて思いついた、とのことでした
(どんなハナシをしたのか、興味がある方は、
 どうぞ、アルバム続アルバム続々アルバムへ~



この間の日曜日に初めて、その日の出席者である男子三名相手に
(みんな、そんな怖い顔してアタシを睨まないでよぉ~
と内心思いながらも、一人でしゃべくってたんですけど

ともかく。
ちゃんと最後まで話を聞いてくれた三人に感謝です

内容はね
その日の聖書朗読の
『ある人に息子が二人いた。
 まず兄のところへ行き「今日、ぶどう園へいって働きなさい」
 と言うと、兄は「いやです」と答えたが、後で考え直して出かけた。
 弟のところへも行って同じことを言うと、弟は「承知しました」と
 答えたが、出かけなかった。
 この二人のうち、どちらが父親の望みどおりにしたか?』
っというたとえ話から、(当時の社会の指導者や長老たちよりも)
『(罪びととみなされていた)徴税人や娼婦たちのほうが、
 先に神の国に入るだろう』とイエス様は仰った(マタイ21:28-32)
という箇所から‥。

◆今のこの世でのことは、
 神さまからの問いかけに対して「いやです」と拒絶するか
 「承知しました」と答えるか‥、まだその段階であるとも言える。
◆自分の身の回りにいる、明らかに間違ったことをしている
 (と思われる)人たちに向かって、
 「あなたは罪びとであり、自分は救われている」などと言うことは、
 決してできない。
◆そう思うと、まわりの人たちが自分に対してしたことが、
 どんなことであっても、許すことができるのではないか。
◆自分では「間違ったことをしていない」つもりであっても、
 「自分は、これでいいんだ」と、
 日々自分を振り返り反省し、
 より善いほうへと変わろうとする努力をすることを、
 決してやめてはいけない。
◆かといって、自分を振り返ってみた時、自分を必要以上に卑下したり、
 してしまったことにいつまでもくよくよしたりする必要もない。
 アナタたちみんな一人一人、神さまから望まれたから、
 ココに存在しているのだから。
 善くなる力も、しっかり頂いているのだから。

‥といった話をしました。
ミサ中に思いついたことを、だだだだっと喋っちゃったんだけど

無口な(さらに、目つきのするどい)中高生男子三人に、
どれだけ響いたのかな~


そんなこんな、ちょっとした時間も一つの「出会い」であり、一期一会。

また次回以降も、おつきあいくださいと話を終わったのでした


思えば。
先週の箇所も、確か、「一見」とても『理不尽』なハナシでした。
 あるぶどう園の主が、働き手を捜していた。
 朝、「私のぶどう園で働いてください」と、ある人に声をかけた。
 昼にも同じように、別の人に声をかけた。
 夕方近くなった時にも、また、別の人に声をかけた。
 そして、日が暮れてから、
 その日の賃金を夕方に来たひとから配り始めた。
 朝から働いていたひとは、当然、後から来た人よりも
 たくさんの賃金をもらえるだろうと思っていたが、
 賃金は同じ額だった。
 
‥っといった話だったと思います

朝からずっと働いていたって、
夕方から1時間だけ働いたって、
『賃金(=神の国へ入ること・救い)』は皆同じ‥
なんですって
神さまは、皆を同じように救いたい、のですって


つまり
神さまは、人間とは違ったところから物事を見ておられるので、
一見、『理不尽!?』としか思えないようなことを、なさる訳です

これは‥。
世の中から一向に、病気や争い、天災といったものが
なくならない。
人々は、苦しめられている。
神もホトケもあったものか!?という、
よくある問いに答えるものなんじゃないかな??
なんて思いましたの

世の中は一見すると、不平等だし理不尽なもんなんですよ、きっと
2千年前から伝わる書物にハッキリ著されているようにね

でも。それでも!!
皆、救われるんですよ救われたいと望むならば
‥その「とき」は、この世にいる間には来ないかもしれないけど。

‥エラいことを、考え始めてしまいました
つづくかも~