まいにちはなたば

キレイな花、枯れた花、トゲだらけの花。
毎日いろんなことがあるけど、遠くから見れば、やっぱりきれいな花束だと思うよ?

長らくご無沙汰しています

2015-07-11 19:30:19 | weblog

ものすごく久しぶりにここへやってきました

もうログインパスワードとかも、忘れちゃってるし‥

でも、久しぶりにチラチラと過去記事などを見てみると‥。

長い間放置していましたけど、
やっぱり閉じる気にはなれないな‥

 

タは高校生に、ユは中学生、エは小学生になり、

相変わらず、バタバタバタバタバタバタしているわけですが

最近の日常は、もっぱらfecebookのほうで綴っております。

もし、私のドタバタ日常を覗いてやりたい、という、
まだfecebookではお友達になっていない方がおられるようでしたら

ご一報くださるよう、よろしくお願いいたします


水上村~パート3~

2014-02-16 15:13:59 | weblog

ご無沙汰しています

今日は、カンボジアでの3年間の派遣の任務を終え、
帰国してきたマくんの話を聴く機会がありましたので。

以前、ここにupした内容そのままではあるのですが、
水上村~パート3~として、upし直しておこうと思います


◎マくんが働いていた、【水上村 コンポンルアン】とは??

『水上村コンポンルアン』は、
カンボジアのほぼ中央にある、

トンレサップ湖という大きな湖の上にあります。
200以上あると言われる水上村の中でも
ここは1600世帯以上の人々が
舟を住まいとして生活している大きい規模の村です。


うち70%は無国籍のベトナム人です。
(もともとは、ベトナム戦争の時代に川伝いに避難してきた、とのことです。)

住民のほとんどは漁業で生活をしています。

水上村に住む人々には、さまざまな困難があります。
カンボジアの雨季(6月~11月ごろ)は、稚魚を守るために
大規模な漁が禁止されていますので、
半年間はほぼ収入がありません。
それに加え、漁の道具を揃えるための借金、漁業の税金などに
苦しめられているため、水上村の人々の大部分が、貧困家庭です。

また人々は、湖の上に暮らしているにも関わらず、
きれいな水を得ることができません。
人々は生活に使う全ての水を、湖の水でまかなっていますが、
生活廃水や家畜の排泄物、
ゴミなどがそのまま垂れ流しになっている水ですので、

健康に著しい害を及ぼします。
赤痢、腸チフス、肝炎、皮膚疾患、中耳炎などの病気が蔓延しています。

このような厳しい環境の中で、たとえ病気になっても、
カンボジア語を話せないベトナム人は、病院に行くことができません。
水上村ではちょっとした病気でも死にいたるケースが少なくありません。
また、子どもたちはカンボジア語が話せないために、
公立学校に通うことも出来ません。
水上村の住民の多くが、公共のサービスにアクセスすることが出来ず、
カンボジアの社会から孤立しています。


以下は、
マくんからまわりまわって送られてきて手に入れた、
(2012年7月に手に入れたものです)
コンポンルアン村の写真です



湖に浮かぶ水上村に住むひとたちの多くは、
ベトナムからカンボジアへ川伝いに移り住んできた、
【カンボジアに住む、無国籍ベトナム人】です。

水上には、お店も学校ももちろん家も、何でもあり、
商店では、ありとあらゆるものが売られています。

こちらのお店は、何と、携帯ショップ。
電話線を引くより、携帯の基地局を立てた方が安上がりらしい。

夜になると、商店はライトアップされて、とてもきれい。

小さな小船でも、いろいろなものを売りに来ます。

果物や野菜。

おかゆやおかずも。

こちらの船は、揚げバナナ。

すごくもりだくさんのお店。

トラブルがあっても、すぐに引っ越しができるのだそうです。
(引っ張ってもらっている。)



こんな一寸法師みたいな小船も。

子どもたちは、通学船で学校に通います。


クメール語の数字の勉強中。
大きく「101010」。黒板の右上には「2012年」と書かれている。
ベトナム人の子どもも、カンボジアの公立学校に通うことができるが、
授業は当然クメール(カンボジア語)で行われるため、
識字教室では、子ども達が授業についていけるように、
就学前にクメール語の読み書きを勉強する。
「識字教育プログラム支援」


教会も水の上。
子供達の催しを行なうと、村中の人々が次々訪れる。
娯楽が少ないので大人にとっても大きな楽しみなのだそう。

湖の上で暮すと言っても、屎尿も排水も垂れ流しの湖なので、
きれいな水が不足している。
なので、湖の水を浄水器でろ過した水を買って使う。
湖が濁っている時は、沖の方まで水を汲みに行きろ過して売る。
売上げは水をくみ上げるポンプのガソリン代や人件費になる。

こちらは湖の水を飲み水に変える浄水器。
これはマくんの先輩たちの支援により導入されたもの。

水上村の人々の現金収入は、主に漁業。
漁の時期を除いて現金収入はほとんどない。
(季節により、漁は制限されている)

病院へ通うのに必要なお金もないことがあることから、
マくんたちは、重症の場合に限り、
病院受診のための交通費を支援したり、
通訳を兼ねて、一緒に病院まで付き添ったりもしている。

子どもたちは、暮らしを助けるため、
湖の底に沈んでいる、まだ使えるゴミを集めて売る。

子供達は、陸上を思いっきり走ることはできないが、
みんな生き生きと目が輝いている。

教会や識字教室を利用して、マくんたちは、週1回、
子ども達を対象にした水浴びプログラムも行っていた。

水浴びと一緒に衛生指導や栄養指導も行っていた。
子ども達の水浴びを手伝っていると、
子ども達の健康状態が分かるのだそう。

 

水上村の絶景その1


絶景その2

絶景その3

絶景その4



マくんの、これらの活動の原点は、
私も経験した、フィリピンでの体験学習だった、とのこと

マくんは、私が心の奥底でずっと「したかった」ことを
実践してきてくれた‥そんな気がしています



日本で暮している私たちには、想像もできないような
貧しい暮らしをしている人々と直に接すると、
価値観が根底からひっくり返る‥そんな気がします


不便なことが山ほどある彼らであっても、
決して、【貧しい=不幸】だとは思っていないのです。


むしろ、私たちより心が豊かで、
幸せに暮らしているといった面が、絶対にあります!!

もちろん、安全な暮らしの確保という点に於いては、
支援が必要な面が多々あるのも事実です。


今、この世界が抱えている問題は、大きすぎて
このちっぽけな私が何をしたところで、
大して何も変わりゃしないけど


でも。
きっと、多くの人が力を合わせれば、
少しずつでも、この世界をよりよいものへと変えていくことができる

そのために、今、私ができることは、
彼らのような暮らしをしている人々がいることを

忘れないこと。
そして、伝え続けること。

マくんの写真で、一人でも多くのひとに
【何か】を伝えることができれば‥と思います。


すみません(+_+)

2013-10-29 14:57:40 | weblog

無料サービスが終わるのは、
ココのブログのサービスではなく、
メール機能だけだった‥のですね??
お騒がせした皆さま、すみませんでした


最近ではすっかり、Fecebookのほうばかりで
近況を綴っていますので、
すっかりここから足が遠のいてしまい、すみません


日々思ったりすることをこちらに綴っていましたが、
こちらはブログですので、Fecebookと連動させていますと、
気付いたら50超えの「いいね!」が入っていることなんかがあり


公開にしているということは、誰かの「いいね!」により、
こうやってどんどん、私の記事が広がってしまうのだな、と、
記事を書くことを恐れるようになってしまいました


でも。
「広く皆さまに知ってほしい!」と思うことを書きとめるには、
非常に便利な場所ですので


そういうネタがあったら、また、書きに来ようと思います


ガーン( TДT)

2013-09-06 11:16:50 | weblog

なんと、ココの無料サービスが、
来年の3月10日で終了、とのこと


確かに、このごろすっかり足が遠のきがちだったんですが、
止めてしまう気はなかったので


なんだか残念だし、ショックです
ショックのあまり、書きこんでみましたが


どうしようかな~。
引越し、しようかなぁ??


ちょっと、考えてみたいと思います


感想文

2013-08-21 14:39:44 | こども

すっかりご無沙汰しております

最近、ほんとに、PCを開く機会が減ってしまい、
気が付いたら、2か月放置!?


我ながらびっくり


久しぶりなので、急ぎ足で夏休みを振り返ってみたりなど‥



日吉大社で水遊びをするのは、毎年のこと
今年だけでも、3~4回行ったかな!?

教会学校のキャンプは、
ずっと葛川でするのが恒例になっていましたが、
今年は、もっとずっと以前に恒例だった
懐かしい場所で開催されました

スイカ割りとかもして、楽しく過ごしましたよ


もちろん、ビワコにも何回か行きましたよ
ダッチオーブンでつくるパエリアは、もう、楽ちんなので、
完全に定番になってきているかも


それから、去年に行ってたいそう気に入った
あまごの里にも行ってきました


今年は、流しそうめんもして、
イトコちゃんたちも含め、もう、みんな大喜びでしたよ~

 

‥ま
そんなこんな、いつも通りのような夏を過ごしていますが。

今日書きたかったのは、そんな話じゃなくて

 

今年も、去年に引き続き、タくんが
広島平和巡礼に参加してきました

書け、書け!!とやいやい言っていても、
なかなか手をつけていなかった、教会の冊子に載せる感想文、
今朝、ようやく座りもせずに中腰のまま、
ええかげんに書きあげました

8月6日に広島に居ることは、居るだけで意味があると思う。
そして、被爆者証言も、これからどんどん話をする方が
減ってしまうだろうから、とても貴重な体験だ。
被爆者証言ほど当時の状況を伝えてくれるものは少ないし、
資料館の資料もまた、原爆の恐ろしさを教えてくれる。

原子力発電所が爆発したものが原爆と考えると
第三の原爆被害地」が出来てしまう可能性さえ否定できない。
おそらく、実際に起きてしまった場合、
広島や長崎より多くの被害が出る。
なぜなら原発の多くは海岸にあり、爆発した場合、
その周辺には入ることもできないし、漁もできなくなる。

以上のことから、兵器をなくすより先に、
原発を先になくす方がよいと思う。

 ‥まぁ
upするほどの内容じゃないんだけど

座りもせずに、走り書きでこんなのが書けるんだな~という点に
少々成長を感じたので、upしてみることにしました

ほんと、大した感想文じゃありませんね


三歳の誕生日ケーキ

2013-06-18 12:20:33 | 想い

昨日、BOOK OFFで手に入れたこの本。

【トミーが三歳になった日】

〜ユダヤ人収容所の壁に隠された
   ベジュリフ・フリッタのスケッチブックから〜



時は、第二次世界大戦中。

アウシュビッツへ送られるまでの中継点として造られた
テレジンのユダヤ人強制収容所には、
10万を超える人々が詰め込まれていた。

この絵を描いた人物は、絵を描くことができたので、
ドイツ兵から製図の仕事を任され、
家族で暮すことができるという、
他の人たちよりも、恵まれた環境で暮していた。



とはいえ、充分な食料や、
また衛生状態を保つための水なども与えられず。

生き延びた「トミー」は当時のことを振り返り、こう書いている。

なぜ、母が死んでしまったのか、
なぜ、いつもひもじいのか、
なぜ、便器の水をのまなければならないのか、
なぜ、寒さにこごえなければならないのか
なぜ、ベッドがないのか。
わたしには、わからないことばかりでした。


そんな、生きる希望をも失いそうな日々の中で、
父親は、いつか戦争が終わったなら‥と。

深夜、ドイツ兵に見つからないように、
のちの日のために、かわいい息子のために、
描きつづける。

くだものだらけの、くだものやさん。
これはおとぎ話?
これは、ほんもの‥ぜーんぶ、ほんものさ。

ねる前に話してくれた、おとぎの国?
いやいや‥これは、おまえが住んでいる、世界だよ。

父親はきっと、描き続けたのでしょう。

「すててしまおうか。燃してしまおうか。
 いや、だめだ‥‥もしも、ここの人たちが、
 誰ひとり生き延びられなくても、
 みんなに知ってもらわなければならない。
 覚えておいてもらわなければならない。
 こんなことが、けっして、二度とふたたび、
 おこらないように。」


結局、父親は、
絵を描いているところをドイツ兵に見つかり、
政治犯として「帰還無用」の列車に乗せられ
アウシュビッツで亡くなった。

しかし。
このスケッチブックは、収容所仲間の手によって守られ
壁の奥に封じ込められ、残されていた‥。

         

トミーは、壁の向こうから生きて戻ってきた、
数少ない子どものの一人だったそうですが。

私たちの想像を絶する環境で暮した数年間は、
彼の心にも、また、彼を引き取った、父親の友だち夫婦にも
深い深い傷を残しました。

トミーは長い間、食べ物も受け付けず、
犬の鳴き声や鍵のガチャガチャいう音を、体中が痙攣するほど恐れ、
また、心の傷を負った養母からは虐待を受ける‥。

戦争が終わっても、苦くて苦しい人生を送ったトミー。

トミー本人筆の「思い出」は、
結婚後、4人の子どもに恵まれた幸せな人生を送っていることで
締めくくられていますが。


ほんわか幸せな気持ちになって読み終えることは、
できない本でした。

         

これらの絵は、
現在プラハのユダヤ美術館に所蔵されている、とのこと。

この本では、これらの絵をもとにして、
説明文としてのお話が、綴られています。

その一節から。


三歳の誕生日は、ひとつおおきくなるということがどんなことか
生まれて初めて、はっきりとわかるときです。

ほしいものや、おいしいものを、はっきりいえるようになりました。
三歳の誕生日は、一日中、きれいなものや、おいしいもの
だいすきな人たちの笑顔、すばらしいことばにみちあふれています。

そんな三歳の誕生日。
トミーがもらえたのは、紙のケーキ。


これから先ずっと、ずっと。

世界中の子どもたち、誰もが
幸せな三歳の誕生日を迎えることができますように‥。


おしゃもじ戦士

2013-06-10 12:29:12 | 想い

先日、友だちからメールで相談というか愚痴というか
‥が、飛んできました

詳しくは書けないし、書く気もないんだけど

要は、日々の不満や不安で押し潰されそう‥なんだろうな。

いろいろと、それらの気持ちのタネが書いてあったんだけど


正直、それらは、

「あ~。それ。私にもある

ってことばかりだったんです


でも
私は、毎日を、楽しく幸せに過ごせている‥と思う


そのことを、彼女は知ってるんだろうな

だから「accoちゃんにきいてほしいな、と思って‥」って
思ったんじゃないかと思う


私が彼女にした返信は、
5年前にここに書いた記事、ほとんどそのまま

自分が何度でも確認し直すために
ここに、その内容を、再upしておこうと思います

世の中の負の感情、物事は、
残念ながら、決して、なくならないもの。

↑コレと戦うには、正面からぶつかっても、ダメなのよ、きっと。
憎しみや怒りをもって、コレにぶつかると、
きっと、もの○け姫にでてくる『祟り神』みたいに、
かえってヤツは、でっかく成長してしまうのよ、きっと。

ヤツらをやっつけるには、
『善い力を強くする』しかないんだと、思います。
絶対に消せない暗闇、ってのが、きっと世の中にはあって。
それ自体を消すことは、きっとできない。

でも。
『闇』は、どうしたって、『光』には弱いもの


私は、この自分の場所で。
『善いもの』『暖かいもの』『明るいもの』の発信者で
常に、あり続けたいっ

そして。

私がそう↑心がけていることを感じてくれた人も、
『善い力』の発信者に‥なってくれたらいいな~


つまりは
アタシは、包丁としゃもじを握りしめ、
宇宙の平和を守る為、日々戦う戦士なのだ~
!!


なんてねっ

でも、半ば本気で、そう思ってますっ


余談ですけど
↑こーいう、とんでもない考え(!?)ってさぁ。
洗濯物を干しているときとか、運転中に、
よく浮かんでくるの

と、同時に。
あぁ、誰かに聞いてほしいなぁ伝えたいなぁ
って、すごく思っていたんだけど。

こういう場所を持つ前は、
そういうアタシ的にステキな思いつきたちも、
どんどん、どこかへ流れていっちゃってたな~

今は、こういう場所があって、
思いつきを書き留めておけるし、
誰かに読んでもらえるかもしれないから、
とっても、とっても、シアワセ


っというわけで

アナタも『宇宙の平和を守る・おしゃもじ戦士』登録を
しませんかぁ~??




この私の、最強の武器は、おしゃもじ
今日も、かっぽう着の戦闘服に身を包み


宇宙の平和を守るため、
闇の力と楽しく闘うぞう~


お母さんは太陽♪

2013-05-27 14:33:09 | 想い

昨日のミサでは、オルガン当番だったんですけどね

入祭の曲を弾き終っても、ユの姿がお御堂にないんですよ

神父さんがちょっとお話をしておられる隙に、急ぎ足で和室へ

すると
一応、移動はしようとしているものの、
幼稚園児さんと未就園児さんたちと戯れるユ

 

思わず、大きな声で怒鳴ってしまいました

アナタがそこで遊んでいたら、
小さいひとたちは、
同じようにしていてもいいと思うでしょっ


ユは

べつにおかーさんに言われたから来たわけじゃないし。
 言われなくても、行くところだったし

と、不満げでしたが

 

そーじゃないの

別に、あなたは、あの幼児さんたちの保護者じゃない。
あなたがお御堂に連れていかなければならないワケじゃない。

あなたがその場所から、率先して動こうとしないかぎり、
幼児さんたちには、「もう移動しなければならない」
なんてこと、わかるわけがない。

幼児さんたちの保護者たちも、
あなたがそこでゆっくりしていたら、
我が子に声をかけ辛いじゃないの!?


一曲歌を歌い終わっても、まだそこにいた、ということは、
さっさと行動しなかったってことじゃない!?


‥そこは、ミサ中にくどくどと説明できませんでしたが

もう、なんだか、情けないと言うか何と言いましょうか



何度も何度も何度も何度も言い続けてきたことが、
全く通じていない、わかっていない、この無力感、脱力感

 

ええ、もちろん、それもこれも【いつものこと】でしかないんですが
オルガンに向かうも、なんだか、涙がこみ上げてきてですね


‥そこへ飛び込んできた、その日の聖書朗読の言葉。

(わたしたちは)神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。
そればかりでなく、苦難をも誇りとします。

私たちは知っているのです。
苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達をは希望を生むということを。

【練達‥試練によって高められた信仰の状態を意味する。
      フランシスコ会訳では「試練にみがかれた徳」】



こんな、ユちゃんとの日々の闘いなんかを苦難なんて呼ぶのは
厚かましいし、おこがましい話なんやけど


でも、涙が出そうなくらい、惨めな気持ちは、
これで、充分慰められました


苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達を希望を生む

ですかぁ


こんなん、苦難のうちにも入らないね


おかーさんは、もっともっと、
強く、明るく、大きく、優しく、暖かくあらねば!

子どもたちは、まっすぐ育っていけないね

今日も、明日も、引き続き、楽しく頑張るでぇ~


母の日のご褒美

2013-05-11 23:17:02 | こども

今日、タがいきなり、こんなことを言いだしました

ほんま、今さらな話やと思うけどさぁ。
 ぼく、同じことを二度も三度も注意されんように、するわ。

 

!?

どうした風の吹き回しですか!?

 

そんなこと、今まで一万回‥は、
たぶん言ってないことに、先日、気付いたワケだけど

 

それでも、うんざりするのには十分なくらいの数は
言ってきたはず

何を、いきなり!?

 

訊けば、2年生になったので、部活に
後輩と呼ばれる人たちが入ってきたわけで

つまり。
タも、それなりに、いろいろな指導にあたっているようなのですが。

1年生さぁ、今、言ったとこやろ!?と思うのに、
 全然わかってないねん。直さへんねん。

なんだと

それにさ。いろいろ直さなアカンところを
 こっちが一生懸命話してるのに、

 話をきく態度が、聞こうという態度やないねん。

そこへすかさず、ユちゃんが口を挟むことには。

それ、アンタが言うことちゃうんとちゃう?
(いつも、話をきく姿勢、態度について、私たちから注意されまくりのタ)


‥ま、私も、全然ひとのこと言えへんのやけどな。
(もちろん、同じことをさらに高い頻度で注意されまくるユ)


思わず、吹き出しました

あんたたち、おとーさんとおかーさんにウンザリさせるくらい
とことん同じことばかり何度も何度も注意させてくれるけど。
案外、いろんなこと、よくわかってるんやん~


っと言って笑うと。


そやで。ちゃんとわかってんねんで。


もう、あんたたち、面白すぎ~!!

‥こんなふうに

もう、涙が出そうなくらい
何度もなんども何度もなんども、言わされてきた同じことが、
私たちの知らない間に起こった、何かの出来事によって、

あぁ。今まで言われてきたのは、こういうことだったのか

と、本当の意味で理解してもらえる機会が‥。

とりあえず一つ、あったみたいです



これから先、他にもいろいろと、
そんな機会がやってくることを、願いつつ。

私は、♪何度でも何度でも♪ 同じことを
言わせていただこうかと、そんなふうに思います


‥この本人の気づきが、ハハの日の前日の今日、
何よりのご褒美であり、プレゼントだったと、そんな気がしています


何度でも

2013-05-01 12:07:10 | 想い

お久しぶりです

新学期、幼稚園の時ほどじゃないですけど、
小学校も新年度早々に総会があるので、
それなりに、バタバタしています


今回は庶務なので、パソコン作業が多いです
(ま、去年までもやってたけどね

すごく久しぶりに、♪ドリカムなんかをききながらやってました

DREAMS COME TRUE ◇ 何度でも

思いもよらない歌詞が響いてくるのね

♪この先も躓いて傷ついて傷つけて
 終わりのないやり場のない怒りさえ
 もどかしく抱きながら
 
 どうしてわからないんだ?
 伝わらないんだ?
 喘ぎ嘆きながら
 自分と闘ってみるよ

 10000回だめで へとへとになっても
 10001回目は 何か 変わるかもしれない♪


‥思春期の子どもを持つ、親の歌だったんですか

思わず、計算してみました
タが生まれてから、たった5000日経ったか経たないか
きっとまだ、10000回も言ってないんだね


毎日まいにち毎日まいにち
同じことばかりを言い続けなければならなくて
イィ~~~っっとなるのにも、
たいがいウンザリしてるんだけど

でも。
まだ、結果なんて全然見えなくてもいいのかも

 

先日のことですが、
来月のガールの集会で行くハイキングの下見に行ってきました


足がすくむような高さの岩から、
自分の住む街を見下ろしてみると、
いつもぐちゃぐちゃと考えていることなんて、

はんっ小っさい~

と、笑い飛ばせる気がします

 

いつもの自分の立ち位置から、ちょっと離れて

ちょっと高めの視点から眺め直してみるのって、
とても有効で、大切なことかもしれないですね