まいにちはなたば

キレイな花、枯れた花、トゲだらけの花。
毎日いろんなことがあるけど、遠くから見れば、やっぱりきれいな花束だと思うよ?

他人事

2010-03-26 16:19:16 | 日記
今日は、突然降ったり晴れたり風がふいたり
なんだか、ややこしい天気でした
そして、また、なんだか寒いです

ほころびかけた桜の花も、このまま足ぶみしそうですね


生協の配達のお兄ちゃんに、
「今日はややこしい天気ですね~
 でも、桜の花が咲くのが遅れそうだから、これはこれでよかったのかも~
 やっぱり、入学式に桜の花がすっかり終わっていたら、残念ですからね~?」
なぁんて、喋っていたんですけど



先週から、担当さんが変わらはったところなので、
その、新しい担当さんから、
「お子さん、何人いはるんですか?」と訊かれたときに、
はっ」と、気づきましたよ

新一年生がいるおウチの方にとっては、
この寒さはありがたいだろうな~となんて、真剣に思っていたけど
ウチも『入園』のヒトがいるんだったっけ


この、エくんの入園に対する『スポットライト全然当たってない感
どうですか??

しっかりしろよ~~自分っ!!

切り替えスイッチ

2010-03-25 21:46:21 | こども
「そんなことしたら、こうなるの、ちょっと考えたらわかるやろ!?
  もうちょっと、頭使ったらどうなん?」

っと、いつも怒鳴らせてくれるタくん
後先考えずに動いちゃうところ、投げやりでええげんにコトを済ますところ、
丁寧に物事に取り組まないところ‥

同じコトを、私からもオトウチャンからも、
毎日のように何度も何度も、注意されてはるのですが

そんなタくん、通知表の3学期の所見欄によると
『冷静にものごとを見つめ、建設的な意見を言うところや
 物知りで考え深いところが、タさんのよさ』

なんだそうで
すみません、先生。誰かと間違ってはりません


「アンタは、ほんまに自分のことばっかり考えてるやろ。
  もうちょっと、周りの人のことも考えられるようにならな、アカン!!」

‥と、毎日怒鳴らせてくれるユちゃんのほうは‥
『学級ボランティアや掃除など、人のために役立つことも、
 進んで気持ちよくすることができ、温かい心を感じることがよくありました』

はぁ!?一体、誰のことですか??


まぁ‥
他の人と間違えて所見を書くなんて、いくらなんでも考えにくいし
実際、先生に家での様子を話すと、
毎年、びっくりされますし

たぶん、ほんまに学校では
家とは全然、別人のように振舞ってはるんでしょうけど


はぁ
あのヒトたち、いつ、どこらへんで、
そのへんの切り替えスイッチの操作をしてはるんでしょか


大らかな気持ちで気長に考えようと思えば、
この所見欄の記述と、家での姿との、ものすごいギャップは、
取り立ててどうこう言うことではないんやろうけど


春休み初日、まる1日一緒に過ごしていて、
カッチーンとくることがあったりすると、
このギャップは、私をものすごく落ち込ませてくれたりして


‥アカン、アカン
こんなことでは、あと2週間、楽しく過ごしていくことができません

学校でいい子に過ごせるのは、本当はいい子だからっ

‥呪文のように唱えながら、明日からのキビしい日々(!?)を
乗り切っていきたいと思います
(たった1日で、そこまで疲れて、どないするつもりやねんっ!?自分っ

いわたくんちのおばあちゃん

2010-03-24 11:18:08 | 日記
来年度、高学年の読み聞かせに是非使いたいな、と思う本を、
先日、BOOk ●FF(←伏せてないし)で、300円で見つけました

前に『おはなしのくに』か、『テレビ絵本』で、見た本なのですが
すごく印象に残っていたので、
できれば手に入れたいな、と思っていました

題名は【いわたくんちのおばあちゃん】です。


いわたくんは、「ぼく」と同じ小学校。
年は二つ上だけど、いつも休み時間にはサッカーを教えてくれる。


いわたくんのおばあちゃんは、カメラを向けられると、
にっこり笑顔で「ピース」ではなく、
いつも「いやーよ」と言ってことわる。

それが、なぜか、ぼくは知っとるんよ。

この間の平和学習の日、いわたくんのお母さんとおばあちゃんは、
学校の体育館で、ぼくたちにお話をしてくれた。
といっても、おばあちゃんは
静かに車椅子にすわっとるだけだったけど。

******************************
 このおばあさんは、ちづこさん、といいます。
 私の、お母さんです。
 
 この古い写真を見てください。
 お父さんとお母さんと、仲の良い4人の姉妹が写っています。
 右はじが、ちづこさん、このころは16歳の高校生でした。
 一番下のきみちゃんは、このとき、まだ3歳でした。

 このころ、日本は戦争をしていて、
 そろそろ広島の町にも、空襲が来るだろうといわれていたので、 
 ちづこさんの家族は、いなかの親戚の家に疎開しようと準備中でした。
  「いつか広島にもどってこよう、
  でも、そのときにこのおうちは焼けてしまっているかもしれない」
 そこで、荷物を運び出してがらんとなったおうちに、 
 写真館の人を呼んで、家族の写真を撮ったのです。
 8月の初めのことでした。

 8月6日の朝、
 いつものように、ちづこさんと、すぐ下の妹かよちゃんは、
 学徒動員の作業に出かけました。暑い朝でした。
 ちづこさんは、兵隊さんが食べるかんづめを作る工場へつくと、
 作業が始まるまで、いつものように、友だちとおしゃべりをしていました。

 そのときです。

 目がくらむような光。
 その瞬間、大きな音とともに工場がくずれ落ちました。
 ちづこさんは、がれきの下敷きになり、
 何が起こったのかわかりませんでした。

 ちづこさんは、がれきの下から這い出し、 
 家に帰ろうとしました。
 しかし、原爆が落とされたのは、ちづこさんの家の近く。

 「家には帰れん。どこに逃げたら、ええん?」
 やがてちづこさんは、何かあったらここに集まろう、と
 家族や親戚の間で決めていた、
 山の方にある親戚の家のことを思い出しました。 

 歩いて 歩いて 歩いて 歩いて
 倒れこむようにその家にたどり着きましたが、
 そこには、誰もいません。
 待っても 待っても、誰も来ません。
 日が暮れる頃、ようやくたった一人あらわれたおじさんも、
 「お父さんは?お母さんは?妹たちは?」との問いに
 「わからん」と首をふるだけでした。

 次の日、ちづこさんは家族を探しに、広島の町にもどりました。

 「‥わたしの家はどこ?」
 丸いドームの鉄わくを残し、くずれかけたコンクリートの建物、
 市内の流れる川を目印に、家があった場所を探します。

 「ここらへんかもしれん。」 
 すべてが真っ黒で、炭のようです。
 手でそこらじゅうを掘りました。
 やがて、あらわれたのは、こげた体が二体。
 「この大きいのは、お父さん?
  そばの小さいのは‥ひろちゃん?」

 見覚えのあるタイルが、わずかに焼け残っていました。
 「まちがいない。ここは、うちの台所。」
 そこに、うずくまるようにしてなくなっていたのは、
 お母さんと、末っ子のきみちゃんでした。

 あの瞬間、
 お母さんは、とっさに小さなわが子を
 その胸にかばったのでしょう。
 
 強く強く、抱きしめたのでしょう。

 二人の胸が合わさったところだけ、ほんの少しだけ、
 洋服の布が、焼け残っていたのです。

 「これは、お母さんが着ていたブラウス。
  これは、きみちゃんが着ていたワンピースの花もよう。」

 ちづこさんは二枚の布のきれはしをにぎりしめ、
 ずっとずっと、泣き続けました。

 あの朝、かよちゃんと一緒に作業をしていた女子中学生は
 七百人ほどいたと言われていますが、誰一人として、
 生き残ることができませんでした。



 家族みんなで写真を撮った、あの日。

 でも、写真を見ることができたのは、
 ちづこさん、ただ一人だったのです。
*****************************




新しく本を買ってきたら、いつも黙って本棚に入れておきます。
だいたいその日か次の日には、タが目ざとく見つけて読んでいます
読んでおいて欲しい本は『棚に入れとく』に限ります

「どやった?なんか、考えさせられる本やろ?
 ホンマにあったお話なんやで。」と、言うと、
「‥うん。」と言ってました。

それを聞いたユが、
「あたし、ホンマにあった話って大好き~!!」
と、手にとって読み始めたので。
読み終わった頃、
「どや?いつも『えぇ~っ!?』って文句ばかり言ってるのが
 恥ずかしくなるような本やろ?」と訊くと、
「‥恥ずかしなった。」
言うてましたよ


だからといって
ユちゃんの態度が一新するか!?といえば‥
そんなことがあるはずはなく
今日もいつもどおりのユちゃんですが

こういう本を読んで、こんな話をすることが、
彼女の心に、何かの種を蒔いていることになっているんだと??
‥信じたいです

お休みのお出かけ♪

2010-03-23 17:12:13 | 日記
といっても、昨日のことだけですけど

お天気がよかったので
エくんは前かごに乗せて、タとユを連れて自転車で出かけました

とにかく、ウチは山なんでね
最初は、下りばっかりで、調子よく出かけるんですよ
でも、帰りはどうしても登りばかり

‥なので!!

昨日は
『一旦坂を下ってから、ウチより高いところまで上がり、
 最後は気持ちよく下って帰る』っというコースを選択してみました

まずは、降りたところにある公園で遊びます




近くの割にはなかなか行かない、でもわりとしっかりした、
楽しい遊具のある公園です

‥そこから、登りましたよ~
もちろん、自転車なんか押して上がるしかない、すごい坂道です
ユなんかもう、ぶぅぶぅ文句言うてます

「でも、おかーさんは、エくんも積んでるんやでっ」とか、怒りつつ(!?)
到達した最高地点の標高は約185メートル
公園があった辺りの標高は約120メートル
(国土地理院の地図閲覧サービスで調べました
つまりは、高低差55メートルの坂を自転車を押して上がらせたわけ!?
かなり、スパルタなおかーさんかしら

でも、景色はすごくよいのですよ

ちょっと曇ってきちゃったから、残念でしたけど
びわ湖を見下ろしている感じが、わかるかしら


サイクリングから帰ってから
オトウチャンが、お礼のプレゼントにしたいから、と、
『食べる辣油(ラー油)』を買いに、京都のホテルオークラへ

これねぇ、絶対にお薦め!!
テレビでも紹介されてたらしいんだけど、

 2009年5月の発売以来、テレビ・新聞・雑誌に取り上げられるなど、
 大きな反響を呼び、地元のお客様のみならず、
 各界著名人にもご愛用いただいております。

 通常のラー油とは異なり、エシャロット・干にんにく・干エビ・唐辛子など
 旨みのもとになる厳選具材がたっぷり。
 野菜炒めやチャーハンの具入り調味料として、ラーメンや冷奴のトッピングとして
 様々なお料理によく合います。

 一度食べたらやみつきになる驚きの美味しさを、ぜひお試しください!


‥との、この辣油
通販でも扱っているようなので、まだ知らない方がおられたら、
是非おためしあれ~~!!



さてさて
明日は、小学校の修了式です
いよいよ、春休みか~

‥なぁんて言ってんとっ
楽しく過ごす努力をしようっと~!!

『読み聞かせ』終了♪

2010-03-19 09:41:26 | 日記
ちょっと前の話で、月曜日のことですが

今年度最後の小学校の『読み聞かせ』に、
タのいる4年生の教室へ行ってきました

読んだ本は、ココでチラっと触れた、
4年生の教科書にある『せかいいちうつくしいぼくの村』の続編
(図書館で見つけました
『せかいいちうつくしい村へかえる』です


教科書に載っていたお話とは‥

ヤモという少年の目から見た『世界一うつくしい』ぼくの村での、
戦火が迫りつつある頃の、当たり前の幸せな暮らしを描いたお話で。

 ヤモが暮らしているのは、とても美しい村。
 春には、すももやあんずの花が咲きみだれ、
 夏、その木にたわわに実った実をもぎとるのは、
 一年中で一番楽しいときです。
 そうして収穫した、すももやさくらんぼなどを、
 初めて町に売りに行くヤモ。
 なんと、もうかったお金で、ヤモのうちでは初めて、
 子羊を一頭買うことができました。
 春は、まだまだ先ですが、
 子羊には「バハール(春)」という名前をつけることにしました。

そんな、ヤモの目から見た普通の幸せな日常が描いてあり、
次のぺージをめくると。

 その年の冬、村は戦争ではかいされ、今はもうありません。

という一文のみで、その教科書のお話は締めくくられています。


戦争の悲惨さ、残酷さをそのまま表現したわけではないのに、
人々が笑顔で幸せに暮らしていたあの美しい村が、
もう「ない」ということが、胸につきささります。


‥このお話の2作目は、私が持っていったこの本ではなく、
『ぼくの村にサーカスがきた』という作品で。
こちらは、ヤモの友だちのミラドーという少年が主人公で。
お父さんの遺した笛を手に、
サーカスに入団しあちこちを旅してまわります。


そして、そのミラドーが『せかいいちうつくしい村へかえる』話です

 ひとりぼっちで、れっしゃからバスに乗り継ぎ、
 しんせつなおじさんの馬車に乗せてもらい。
 それでも、そこからさき、自分の村に帰るには、
 もう、歩くしかありません。
 森や村をぬけ、ひとりで歩いているうちに、日も暮れてしまい、
 おなかもペコペコで、とてもこころぼそくなりました。
 山の中で、野宿をしている人を見つけ、
 「こわい人たちだったらどうしよう‥」と心配しますが、
 とても親切なひとたちでした。
 そうして、ようやくたどり着いた村は、すっかり破壊されていて
 誰もいません。
 ミラドーを待っていたのは、ちいさなつぼみがついた、
 すももの木だけでした。

 「町へいけば、きっとヤモに会える!」と
 町へ向かったミラドーは、町のとおりで、笛を吹きはじめます。
 その笛の音を聞きに集まってきたひとたちのなかに、
 ヤモがいたのです!

 二人は、かばんにいっぱいの種を持って、無人の村に戻ります。
  
 春にはきっと、村は、緑でいっぱいになるでしょう。

 せかいいちうつくしい村は、今も、
 みんなの帰りを待っています。



今日は、小学校でも卒業式
4月から、タたちは5年生です
小さい小学校なのでね
6年生だけではできないことは、5、6年生でやるんですよ

つまり
昨日の『卒業式の準備』から、『準最高学年』が始まったわけで
これから、入学式の準備や、運動会の組体操など、
新5,6年生でやることが増えてきます

こんなお話をじっくり聞き、ゆっくり考えをめぐらせることができるような、
そんな年齢になってきた訳で

来年度は、『高学年』の彼らにどんなお話を選ぼうか
私も、なんだか、楽しみになってきます
(ま、たいした時間をもらってるわけじゃないんですけどね~


何冊か、既に読むのを楽しみにしている本もあるんですけど
また、いい本を知っている方がいれば、教えてください~

社会の縮図

2010-03-18 10:11:43 | こども
昨日、エくんが「おべんと、たべたよ!」と
おねーちゃんに報告しようと待ちかまえているのに

下校してきたユの目からは大粒の涙がボロボロボロボロ
「おにーちゃん、ひどい!!」
と、かなりお怒りのご様子です

訊けば

「わたし、おにーちゃんに、なわとびを下駄箱のところに持ってきてって、
 たのんだのに、おにーちゃん、持ってこないし。
 なんで?って聞こうとしたのに、目をあわせただけで逃げていくし。
 やぐぞぐ、じだのに、おにーぢゃん‥」

そういや、その前の日、
ユが、今使っているなわとびは使いにくいと言うので、
タの体操服入れには同じようななわとびが2つ入っているから、1つもらったら?
って話をしたような‥

「だがら、がっごうにいぐどぎに、朝やすみにもっでぎでっでいっだのに、
 朝やすみににも、長やすみにも、じらんふりじて、にげるんやもん~」


それはそれは
タがえらい酷いことしてるように聞こえますけど
タは、そんな約束破って、知らん振りして逃げるような子じゃないし

「その、目をあわせただけで、知らん振りして行ってしまうって、
 普段いつも、学校では、タはそうしてるんと違うの?」

「そうやげど。」

「たぶん、タは約束してるなんて、全然思ってなかったんだと思うな?
 ユちゃんに頼まれたってことが、わかってなかっただけだと思うけどな~?」

「ぞんなごどないっっ!!ぜっだいに、ゆったのっっ!!!」


少し遅れて下校してきたタに話をきくと、案の定、
「へ!?なんのこと!?」
と、全然わかっていない

「だから、ユちゃん、ちゃんとお願いできてなかったんだよ~?
 タ、何のことでそんなに怒られてるか、全然わからないってよ?」

でも、ぜったいに、ゆったんだもんっ!!


‥もうこうなると、テコでも動きませんからね~

「おかーさん、それで思い出したことがあるんやけどさ。
 ここのおうちのじいじじゃない、じいじ、な(私の父)。
 ばあばによく、『お茶!!』とか叫んではってな。
 もちろん、聞こえたら、
 ばあばは、ちゃんとお茶をじいじのところへ運ぶんやけど。
 時々、聞こえてないことがあってな。
 そうしたらもう、『お茶やって言うたやろっ!』って、
 ものすごい勢いで怒ってはるねん。
 ばあばが『いや、聞こえなかったから‥』って言っても、
 『言い訳するなっ!!言うたといったら、言うたんやっ!!』って、
 とにかく怒ってはるねん。
 ‥なんか、それ、思い出したわ。
 
 ひとに何かをたのむときには、ちゃんと何をたのむか、 
 はっきりしっかり言わなアカンし、それをわかってくれたかどうかを
 ちゃんと確かめとかな、アカンと思うわ。
 返事なかったら、こちらが言ったことがちゃんと聞こえてるかどうか、
 わからへんやん?
 だからいつも、おとーさんもおかーさんも、
 『聞こえてるんやったら、返事しなさいっ』って、言うてるんやで?」

(このあと、タがこっそりと
 「さっきの話で、ぼく、返事せなあかんな、っていう気になったわ。」
 と言いに来たのは、今日は余談にしときましょう。
 ‥かといって、今日から劇的に元気に返事をするようになるかといえば。
 そんなことは、あるはずがないのでございます

‥それでも、ユのほうは
「でも、タは!!」
と、自分の非を認めようとしない

「いや。だからね。 
 タが悪くないって言ってるわけやないんよ? 
 確かに、タも、ユの言っていることをよく確かめて、
 ちゃんと聞かなきゃいけなかったのに、ええかげんに聞いてたんやと思う。
 でも。ユちゃんもはっきり『朝休み』とか『下駄箱のところ』とか、
 『私、待ってるから』とか、言わないと。
 『なわとび、1つちょうだい。』は、ちゃんと言ったんやろうけど、
 いつ、どこで渡して欲しいか、それ、ちゃんと言ってないんやろ?
 そしたらな。
 どっちかが『悪い』じゃないやろ?どっちも『足りなかった』んやって。」


それでも
自分もちょっと悪かったこともわかるけど、
いくらタに謝ってもらったところで、やっぱり治まらないらしく

「もうひとつ、思い出した話があるわ。
 おかーさんが子どもの頃に教会に居はったシスターから聞いたんやけどな。
 もうすっかりおばあさんのシスターやったけど、
 修道院に入りたての、若い、若い頃にな?
 院長さんって、一番偉いシスターが大事にしている花瓶を
 割ってしまったんやって。
 もう、『どうしよう‥』って、ものっすごく怖くて申し訳ない
 気持ちでいっぱいになって、院長さんのところへ謝りに行ったんやて。
 入学したばかりの1年生が、校長先生お気に入りの花瓶を割るようなもんやん?
 わかるやろ??
 そしたらな、院長さん
 『‥あぁ。もう、その顔を見れば、何も言わなくても、それで充分です。』
 って許してくれはったんやて。
 
 おかーさん、この話を思い出すたびに、
 すごい院長さんやな~、偉いな~、と思うし、
 この話をしてくれたシスターも、
 院長さんが一目見てわかるくらい『ごめんなさい!!』っていう気持ちで
 いっぱいの顔をしてはったってことやん?
 すごいな~って思うんよ?どう?」

って話をしたらタもユも
「そう思う。」
って言ってました。

「‥けどな。ユちゃん、あなたには
 『でっでも、そんなところに花瓶があるなんて知らんかったし!』とか
 『そんなところに、置く方が悪いんやんかっ!』とか、
 そういうことを、言うところがあるやろ?」
 
(ここでタが、思わずぷっと吹き出したので、
 また、ひとしきりユに怒られてはったのも、
 余談にしときます。)

「‥うん。」

「そんなん言うの、カッコ悪いの、わかるやろ?」

「‥うん。」



その渦中には、
「絶対に、お父さんが帰ってきたら、この話、しといてっ!」
と、タの非を責めたくて仕方なかった様子のユちゃんでしたが

寝る前、まだオトウチャンは帰ってきていなかったので、
「あの話、お父さんに、する?」と尋ねると、
「‥もういい。」と、恥ずかしそうに答えていました。



本当に
タとユの、このテの下らない揉め事は。
人と人とのトラブルの原型、縮図やと、つくづく思います

揉めに揉めていることって、
どちらかが一方的に悪いことなどは、ほとんどなく
たいがいは、どちらにも少しずつ非があるもの
でも
お互いに自分の害された感情にばかり目がいき、
自分にもあったはずの非にはフタをしてしまって直視しようとしないから

いつまでも平行線のままになってしまったりするのだと思います


タとユなんか、まだまだこんな経験は、経験してなんぼ。
いちいちつきあってやるのは、心底、しんきくさいんですけど
この兄妹ゲンカにつきあってやれるのは、アタシしか居ないんやし

辛抱強く、この、重要な社会勉強につきあっていきたいと思います



※しんきくさい【辛気臭い】
 〔おもに関西地方で〕思うようにならなくて、じれったい。
 気がめいってしまうさまである。

弁当日!?

2010-03-17 14:04:12 | こども
どういうわけか知りませんけど

今日は朝からエくんが、何度も何度も
「ちっち、おべんとう、たべたい~!!」と言っていて

1月には「幼稚園でお弁当を食べましょう」という体験入園があったし、
先日の健診の日も、
仕事が終わってスグ健診に行くことになっていたので、
お弁当を持って行ってたし

何か、思い出したんでしょうね

なので、お昼ごはんは、お弁当箱につめてやりました

‥ありあわせですけど
しかし、日々の幼稚園児のお弁当なんて、こんなもんです

ちゃんとお弁当バンドでとめて、
幼稚園で使うランチョンマットと一緒にお弁当袋に入れて
(年少さんの最初のころは、お弁当は包みません
 ‥そのための『ランチョンマット』なんでしょね~

はいと渡すと、
自分でちゃんとお弁当箱をとり出して
(ランチョンマットを敷くことは、教えてやりましたが)
いただきますをして、私が手助けを一切せずとも、完食しました~

気づいたら、お茶のポットから自分のコップにお茶までいれていて
(こぼされなくて、よかったよ~~

最近、ボードゲームや、カードゲーム類、オセロなど、
勝手に出してきてはそれらしく並べ
「おかーさん!!あそぼうよう~!!」と誘ってくれます
(もちろん、遊んでるフリだけですけど

今に始まったことじゃないけど、
ものっっすごく、兄ちゃん姉ちゃんのしてることを
激しい憧れを持って見てるんでしょね

さすが3番目
一切何も教えたつもりはないけど、たくましいね~


もうあと、1ヶ月足らずで、いよいよエくんも入園です
寂しい気持ち2割、めっちゃワクワクする気持ち8割、
‥といったところでしょうか

明後日は小学校も卒業式。明日で給食も終わりです
エくんと二人きりのお昼ご飯も、もう終わりってことよね(←!?)
(って言っても。
 幼稚園のお弁当開始は、5月の連休明けではあるんですが

‥に相応しい、いいランチタイムを、今日は、過ごせた気がしています

春ですねぇ


因みに
この春から、3年間のエくんのお弁当作りが始まるわけですが
エくんの在園中に、タが中学生になるので、
このまま延々、エくんの高校卒業までの15年間、
お弁当を作り続けることに‥なるんですか???

あはははははははは~!!
はぁ

流行りの風邪

2010-03-16 15:23:31 | 日記
今日は、また別の病院ネタ~

流行ってますよ~胃腸の風邪

一応、インフルエンザ騒ぎの時の名残(!?)で、
『発熱されている方は、お申し出ください。別室にてお待ちいただきます。』
という張り紙が貼りっぱなしなので

今朝も38,5℃の熱のある、新患さんを奥のお部屋にお通ししたのですが
初診の問診表(既往歴や、住所、電話番号などを書いて頂きます)を運び、
その記入済みの問診表を、私が取りに行き。
カルテが出来上がると、先生がその奥の部屋へ診察に行かれるのですが

まだ、たま~に、インフルエンザの検査をする人は居てはりますのでね、
どうかな~??と思っていたら。

案の定、返って来たカルテにある、お薬の処方と病名を見ると、
あぁ、やっぱり、オナカに来る風邪だ

今、流行っている胃腸風邪は、高熱も一緒に出す方が
わりと多いみたいなんですよ

お薬を用意して計算が終わると、奥のお部屋でお待ちの方には、
お薬や保険証、診察券を、私がお部屋まで持って行きます
(せっかく隔離してるんだから、できるだけ最後まで、
 隔離したままのほうが、いいでしょう?)


お薬の飲み方などの説明をし終わると。
「これってインフルエンザじゃないんですか?」と訊かれましてね

 いや、検査していないので、それはわからないし、
 検査してもわからないこともあるんですけど。
 今、同じ症状を訴えて受診される方が、非常に多くおられますので、
 先生は、仰った症状から、胃腸の風邪だと判断されたんだと思いますが。
 インフルエンザの検査、ご希望ですか?

と訊くと‥。要は、奥さんが妊娠中なので、
伝染ったらマズいかどうか、気になるらしい
仕事に行ってもいいかどうかなども訊かれてしまいました

 あ~。感染力は強いようですね。
 お仕事に行けるかどうかは、職場によりますので、
 お仕事先に尋ねてみてください。
 それで診断書がご入用なら、用意できますが?

っとお答えすると、診断書まではいらないです~、と
帰っていかれました

 ツワリ中の奥さんとかだったら、
 この胃腸風邪はもらいたくないだろうな~

‥などと余計な心配をしていたら
その新患さんと同じ病の重病人を連れたHっとこが来院してくるし
いつも、はちきれんばかりの笑顔で、絶えず動き回っているヒトが、
グッタリして目に涙なんか浮かべているのを見るのは、
もう、こちらまで、辛くなってくるのよ~~
(他の家族には伝染さずに)早く治って、ちゃんと卒園式に行くのだよ~


また全然別の、4歳になる男の子も、
嘔吐が止まらず、熱も下がらないのですがどうしましょうと、
妊婦さんであるお母さんから電話が入るし‥


‥めっちゃ、流行ってます


でもね
必ずとは言い切れないけど、案外皆さん、
あっさり回復していくケースが多いように思います



一番強烈だったケースは
ある日の夕方に、グッタリした様子で現れた20歳前後の女の子。
ちょうど、仕事を辞めたところで無保険なので、全額自費で支払います
と仰るので

通常なら、お薬は4~5日分、解熱鎮痛剤も10~15回分、
出されることが多いのですが。
先生は、その方には3日分の薬と、解熱鎮痛剤も5回分だけの処方にされて。
結局、全額自己負担でも、3000円台で収まったので、
ホッとしておられた様子が印象に残っていたのですが

次の日の夜、家族で焼肉屋さんに行きますと
隣りのテーブルに、その親子が来られましてね
あの、昨日の夜の重病人が、
楽しそうにメニュー表を眺めているのには、驚愕しました


‥最短では、それくらいで治るようですよ
どうぞ皆様、突然の嘔吐に襲われたとしても、
落ち着いて行動してくださいね

液体窒素

2010-03-15 22:18:47 | 日記
またまた、いきなりな話題ですが

今年の初めから、タとユは、皮膚科に通っています
そのために、ココで財布も買ってやった訳で

もうここしばらくは何回も、
私が仕事に行っている間に、実家近くのその皮膚科医院へ、
二人で通っていたのですが
今日は、久しぶりについて行ってやりました
もう、治療も8回目になるそうです
‥なかなか治らないんだな~これが

一体ナニをやっているかと言いますと
尋常性疣贅の治療です

尋常性疣贅とは‥??
一般的に手足や顔にできるイボのことで。
ヒトパピローマウイルス2型・27型・57型の感染で生じるんだそうです。
自分で削ったりいじったりすることでもどんどん増殖し、
放っておいてもどんどん増えることがある‥んだそうで

ユは足裏に出来たのが、もう直径7ミリくらいにデカくなっていて
当たると痛みがあるというので

また、タの足指にあるのは、そんなに大きくなかったんですけど、
手の指にも手のひらにも、出来てきてしまいまして

っという私もですね
20代の時にこの尋常性疣贅を経験してまして
たぶん、放っておいても治るもんだろうけど、
(2~3年放置しておいたら、自然に治ったことがあります。)
自然にとれるのには、数年かかることもあるというし、
イボの先が割れて痛む痛みは、私がよぉくよぉく知っているので
(もちろん、治療の痛みも知っていたけど
二人とも、この際、ちゃんと治しておこうと思って、
皮膚科通いを始めたわけです


さて
この、イボの治療とは、どんな『治療』かといいますとね
液体窒素でジュッとイボの先っぽを凍らすんですよ
これが、痛いんですよ
治療の後、しばらくジンジン痛んだりもするんですよ

タもユも、よく頑張ってると思います


で、結局ナニが言いたいかといいますと
やっぱり、治療が遅くなり、イボが成長してしまうと、
この痛い治療を重ねる期間も長くなりやすい、とのこと
ユちゃんのデカいイボ、初診の時、先生は
「これはね~。20回くらいは通わないととれないと思っておいてね。」
と言われました

まだ、折り返し地点にも到達していないわけで
気長に、がんばってもらおうっと


‥つまりは
もし、イボらしきものを発見した場合は、
治療は、皆さん、お早めにね~~~!!!

幸せの調理法

2010-03-11 10:48:34 | 想い
私は大学生のとき、家政学部というところに居まして

今、思い返せば、単位だけは余るくらいとったけれど、
大して真面目に勉強もしなかったし、悔やむことばかりです
故に、あまり思い出したくない記憶がどっさりの4年間なんですが
中でも一番悔やまれるのは、教員免許をとろうと思えばとれたのに
途中でやめてしまったこと

真面目に授業に出なかったばっかりに、
忘れもしない、『教育原理』という科目の単位がとれなくて
次年度にその単位ををとるのは、もう、面倒だと思ってしまい、

「ま、家庭科の先生になんか、絶対になりたくないし~
 文部省のカリキュラムに沿ったことを教えるなんて、つまらない。
 ガールの集会でなら、自分が伝えたいと思ったことを、スグ、
 自分のやりたい方法で、集会に取り入れることができるんだし?」

‥なんて、自分に言い訳して、
教育原理の単位をとろうともしなかったことを、今でも悔やんでます


ま、だから代わりに‥と言っちゃあ何ですけど
自分で試験を受けて、保母免許だけはとったんですけどね



そんなこんなで
いきなりなんで、こんな話をしてるかといいますと
2回生までは、一応教職をめざしていたので、
教職の必須科目だった『調理実習』という科目もとっていたんですよ

餃子の皮や、アップルパイ、シュークリーム、鶏の丸焼き、肉まんなど、
いろいろな料理を作った、今、思い出しても楽しい授業でした
(この授業のあと、急いで大津まで帰って、ガールの集会をやってたの
 調理自習の思い出と当時のブラウニー達の顔を、セットで思い出したりします


その授業の最後の日に、先生が配ってくれたプリントが、
いろいろなレシピ満載なので今でも大事にしているCampusノートの
最初のページに貼ってあります

その、先生が自分のワープロで打ったらしい、
どこからの出典なのか、調べようとしたけどやっぱりわからないレシピとは‥



【家庭の幸せの調理法】
 
◆材料
 コップ4杯の愛情
 2ふりの誠実さ
 スプーン3杯の忍耐
 スプーン1杯の好感
 スプーン3杯の希望
 8ふりの良心
 たくさんの(充分な量の)ほほえみ
 ごく少量の叱咤(なくても良いよ)
◆作り方
 これらの材料を、たくさんの良心を込めてまぜること。
 (絶対に出し惜しみしないこと。)
 それをゆっくりとした心の火で調理(煮る)する。
 それは、思いやりと相手を許す気持ちを絶えず込めながら、絶対に冷まさないこと。
 これは熱い間にしか食べられない(熱い間に食べること)。
 
 ただこれは、愛情をもって、全部一ぺんに食べずに
 熱く保ちながら少しずつ食べること。
 一秒一秒、ひとときひととき、毎日毎日
 ずぅーっと家庭のテーブルにこれがのっていること。
 それを家族全員が食べること。

 大切なのは、この調理法を信じてつくること。
 そうすると、これは絶対に期待を裏切らず、とてもおいしいものである。


‥なにかの直訳っぽいし
当時はあまり、私の心に響いてくることもなかったのだけど


あと数日で、結婚して12年。
二人分の食事を作り始め、だんだん私の作る食事を摂る人数が増え
今は、7人分の食事を作ることも多々ある生活になってみて

この調理法のことをふと思い出して、眺めてみました

今は、このレシピの素晴らしさが、とてもよくわかります


もう、とうの昔に与えられていたものなのに
それが一体何なのか、随分長い間わからなくて。
ある日突然「そうか」と『わかる』ことって、
実は、私たちの身の回りに、たくさんあるんだろうな~、
なんてっそんな気もしました


きっと他にも、まだ芽を出していない『種』を、
私は、今でもいっぱい、持ったままなんだろうな


そして
子どもたちにとって私は、今、
「たくさんの『種』を撒いてくれたんだな~
と、後々、思ってもらえる親でいられてるんだろうか


大いなる反省を込めつつ
ちょっとした【幸せのレシピ】のご紹介でした