まいにちはなたば

キレイな花、枯れた花、トゲだらけの花。
毎日いろんなことがあるけど、遠くから見れば、やっぱりきれいな花束だと思うよ?

お母さんは太陽♪

2013-05-27 14:33:09 | 想い

昨日のミサでは、オルガン当番だったんですけどね

入祭の曲を弾き終っても、ユの姿がお御堂にないんですよ

神父さんがちょっとお話をしておられる隙に、急ぎ足で和室へ

すると
一応、移動はしようとしているものの、
幼稚園児さんと未就園児さんたちと戯れるユ

 

思わず、大きな声で怒鳴ってしまいました

アナタがそこで遊んでいたら、
小さいひとたちは、
同じようにしていてもいいと思うでしょっ


ユは

べつにおかーさんに言われたから来たわけじゃないし。
 言われなくても、行くところだったし

と、不満げでしたが

 

そーじゃないの

別に、あなたは、あの幼児さんたちの保護者じゃない。
あなたがお御堂に連れていかなければならないワケじゃない。

あなたがその場所から、率先して動こうとしないかぎり、
幼児さんたちには、「もう移動しなければならない」
なんてこと、わかるわけがない。

幼児さんたちの保護者たちも、
あなたがそこでゆっくりしていたら、
我が子に声をかけ辛いじゃないの!?


一曲歌を歌い終わっても、まだそこにいた、ということは、
さっさと行動しなかったってことじゃない!?


‥そこは、ミサ中にくどくどと説明できませんでしたが

もう、なんだか、情けないと言うか何と言いましょうか



何度も何度も何度も何度も言い続けてきたことが、
全く通じていない、わかっていない、この無力感、脱力感

 

ええ、もちろん、それもこれも【いつものこと】でしかないんですが
オルガンに向かうも、なんだか、涙がこみ上げてきてですね


‥そこへ飛び込んできた、その日の聖書朗読の言葉。

(わたしたちは)神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。
そればかりでなく、苦難をも誇りとします。

私たちは知っているのです。
苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達をは希望を生むということを。

【練達‥試練によって高められた信仰の状態を意味する。
      フランシスコ会訳では「試練にみがかれた徳」】



こんな、ユちゃんとの日々の闘いなんかを苦難なんて呼ぶのは
厚かましいし、おこがましい話なんやけど


でも、涙が出そうなくらい、惨めな気持ちは、
これで、充分慰められました


苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達を希望を生む

ですかぁ


こんなん、苦難のうちにも入らないね


おかーさんは、もっともっと、
強く、明るく、大きく、優しく、暖かくあらねば!

子どもたちは、まっすぐ育っていけないね

今日も、明日も、引き続き、楽しく頑張るでぇ~


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