まいにちはなたば

キレイな花、枯れた花、トゲだらけの花。
毎日いろんなことがあるけど、遠くから見れば、やっぱりきれいな花束だと思うよ?

半径3メートル ~語るでぇ 4~

2007-09-28 09:19:48 | 想い
シリーズ番外編とでも言いましょうか!?
引き続き、語っちゃいます

先日、ダルクという団体の方のお話を聞く機会がありました。
ダルク(DARC)とは、
D(ドラッグ)A(アデイクション--嗜癖)R(リハビリテーション)C(センター)の略で、
薬物依存症という病気から回復したい仲間の集まるところです。

いやぁ。
身近にそういう経験のある人はいないんだけどね。
何でもそうなんだろうけど、
「誰しも堕ちていく可能性はあるんやろうな」
というのが、真っ先に出てくる感想です
そういった「闇の世界」に触れることなく
毎日を過ごせているけど、
その場所へと容易く堕ちていく穴は、
私たちの生活のすぐそばに、
無数にあるんじゃないか??
そんな気がしました


その方は、「ごく普通」の家庭に育った方でした。
自分と同等レベルの大学へ行くようにと、
父親からの、かなりのプレッシャーがあったとのことです。
反抗心から付き合いだした仲間の中で
シンナーに始まり、その後、覚醒剤と出会ってしまい。
「これは自分の意志で打っている。だから、いつでもやめられるはず」と、
気付けば、毎日常用するように。

クスリの取引に関わっているうちに、
どんどん闇の世界へ
半殺しの目にも遭ったそうです。
死にかけたというのに、
お見舞いに来てくれた人は、
「よかったな。これで、クスリやめられるぞ。」と‥。
確かに、そこでやめることができたはずなのに、
また、注射器を手にしてしまったそうです

お話の中で印象的だった言葉は、
「クスリをやめる千回の辛さから逃れたいのだったら、
 最初の一回さえ、止めておけばいい」
‥との言葉と、
「とにかく、自分を大切にすることができなかった、
 だから、周りの人のことも、全く大切にすることができなかった」
‥との言葉。


とにかく、手を出しちゃ、絶対にダメ!!ってこと。
それから、自分のことはまず、自分が大事にしなきゃならない、
大事だ、愛しいと思える自分になるように
自らを変えていこうとしなきゃならないってこと‥よね??
それを、きちんと子どもたちに伝えていかないとっ
‥と思いました。

ドラッグの問題は、最近どんどん若年化してるそうで
中高生の兄や姉をもつ、背伸びをしたい小学生なんかは
恰好のターゲットに‥なったりするのかもしれません
実際そんなハナシを聞いたことありますから


ちょいとハナシは変わりますけど
「夜回り先生」として有名な水谷修先生をご存知でしょうか?
テレビでですが、深夜にやっていた先生の講演に
引き込まれるように、聴き入ってしまいました。
そのときも、同じ感想を持ちました

先生が、
「人にイイことしてみな?
 ありがとうって言われるようなこと、してみな?」
「生きてるっていいな、人を喜ばせるっていいな、
 自分がここにいて、人に喜んでもらえてよかった、と
 思えるようなこと、まずしてみな??」
と呼びかけておられたのが、印象的でした

それから、こんなことも仰ってました。
「こどもはそこに居るだけで、いい。
 笑ってくれていれば、なお、いい。」
‥とても印象的でした



家族からも、社会からも見放されたと感じ、
どこへ行っても疎外感を感じ、
自分の居場所がない人たち、
私たちは、その人たちのために、何ができるんだろう。
‥そんなことを思うけど、即効性の効き目がありそうな
答えってなかなかナイ


結局
自分のすぐ身の回り3メートルを
良いもので満たしていこう、
ココで、良いものを感じてくれたひとが、
そのひとの居場所の回り3メートルを良いもので満たそう!と
思ってもらえるくらいに、
「すごく良いモノ」でいっぱいにしよう‥。
そのための、努力をしつづけないと!!
っというところへ、またまた、行きつくわけです




長くなりついでに

ブログペット友だちのジュリアさんちに貼ってあった記事です。
子育てなんかしてると、ついつい、
自分ちのことばかりに目がいくけど、
あぁ、こんな人たちもいるんだよな、そうだよな、と
思いました。
何事も「知る」ことから。まずは、始めないとねっ!?

△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼
ムコ多糖症について
 
 この病気は、人間の中でも小さい子達に見られる病気です。
 しかし、この《ムコ多糖症》という病気は、
 あまり世間で知られていない(日本では、300人位発病)
 つまり社会的認知度が低い為に、
 今厚生省やその他製薬会社が様々な理由を付けて、
 もっとも安全な投薬治療をする為の許可を出してくれません。
 ムコ多糖症は日々病気が悪くなる病気で、
 発症すると殆どの人が10~15歳で亡くなります。

 8月7日「SCHOOL OF LOCK」というラジオ番組で
 湘南乃風の若旦那が語ってから、私達に出来ることを考えました。
 それで思いついたのが、このバトンという方法です。

 5~6歳の子供達が厚生省にスーツ姿で出向いて
 自分達が生きる為に必死に頭を下げたりしています。
 この子達を救う為に私達が出来ることは、
 この病気を多くの社会人に知ってもらって、
 早く薬が許可されるよう努力することだと思います。
 みなさん、ご協力お願いします。
(追記:10月に認証されることが決定したそうです。)

[ムコ多糖症]ムコ多糖を分解する酵素が先天的に欠損している為、
   体内に蓄積することで様々な異常が引き起こされる病気。
   多くの場合、身体や精神の発達遅滞、骨の変形、水頭症なども伴う。
   重症の場合は成人前に死亡する。
   今のところ有効な治療法が無いので、
   骨髄移植や遺伝子治療の臨床成果が待たれる病気の一つである。


     この本文を日記に張り付けて頂けないでしょうか。
     ブログでのバトンが話題になり
     日テレの徳光さんの番組で取り上げてたそうです。
     (2007.9.19追記)

△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼

たとえ、どんなに少数派の意見でも‥
ちゃんと声を出せば、聞く人がいる、答える人がいる。
‥そんな世の中に少しでも近づいていければ?
なんて、思います


長編シリーズ(!?)、これにて完です
ここまで読んでくれた方、
本当にありがとうございました



ほんとの「援助」 ~語るでぇ 3~

2007-09-27 12:38:45 | 想い
Hっとこから、フィリピンという国について
「とても治安の悪い怖い地であるというイメージが
我が家では根強い」とのご指摘を受け‥

そらそうだ

政情不安は、紛れもない事実です。
マニラの闇の世界なんて、日本の闇の世界よりも
きっと恐ろしい

けど。
それについては現地で暮らしている大多数の善良な人々も、
私たちと同じ思いをもっているはず。
「手段を選ばずに生きる道を選んだ人たち」ってのが
どこにでもいる。
確かに、あちらのほうが、日本よりも
恐ろしいことが起こるかもしれないけど

私たちが行った先は、カトリックの教えに基づいた
社会活動をしているコミュニティであり、
親しく交わった人たちは皆、自分の国をよりよくしようと
日々働いている人たちと、その人たちを支える人たち、
‥な訳です。
私たちも、首からカメラをぶら下げ、ブランドバッグをぶら下げて
世界中を巡っている日本人とは、違った趣で出かけてます。
「日本企業のヒト」として接するのも、
また違った趣があるんやろうな、とも思います。

っていう私の兄も、つい最近までマニラに単身赴任やったんよ。
専属の運転手つきという待遇。
たまに帰ってくると「ゴルフ焼け」と、裸足なのに
くつしたを履いてるような足。
私よりよっぽど長くフィリピンにいたわけだけど、
私が行ってきたところとは、
全然違った世界に住んでたんやと思います

私の「もうひとつの家族」たちは、
一生ゴルフ場に足を踏み入れることなどあるわけない、
そんな貧しいひとたちやったからね

国民の1割が『rich』、9割が『poor』
という異常な社会がどんなものなのかは‥。
ちょっと日本では想像できないと思います。
『poor』に生まれてしまったら、
「努力は必ず報われる」なんてことが‥あるわけない。
その人たちに、
「手段を選ばずに生きる道を選ぶ」ことはいけないこと
だなんて‥。
私のクチからはよう言いません
家族が飢えるのを救うために自分ができることは
身を売ることしかない‥
そんな状況に立たされたことのない私は、
そうやって生きている人たちを
簡単に非難することは、できひんのよ
あの、圧倒的に貧しい人たちと実際に接して話をきいたらね。



そんなこんな、
自分のチカラなんかでは
どーにもこーにもどーしよーもない~
モンダイの深刻さ大きさが、一回目のフィリピンで
身にしみてわかった訳です。
だから、二回目のとき、あのオバチャンに
あんな返事をしたんやろな、
もしかしたら、あの時初めて、思いが言葉になったんかな?
とか思います。


大事なのは、
彼らを忘れないこと
たとえ小さなことでも自分に出来ることから、
休まず続けること
‥かな?



そんなこんなで、
こんなとこに、こんなこと書いたりしとるわけです


折りしも
先日の日曜のミサの、聖書朗読部分の
神父さんの「解説」が、まさにアタシが今、
この記事を書こうとするにあたり、
思ってたことと、ぴったんこ

すいませんが、引用します

△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼

日本は今や富める国の仲間入りをしていますが、
以前は違いました。欧米の国々に追いつくために
国をあげて、富国強兵策を行いました。
今、アジアの国々は日本に習えとばかりに
富国強兵策を行っています。

確かに、これらの国々の国民生産はどんどん
伸びてきています。
しかし、その裏には多くの人びとの犠牲があります。
日本の富国強兵政策を支えたのは、女工哀史で
知られるているように、若い女性労働者を使って
利益を上げた製糸産業でした。

今や同じ事をアジアの各国政府が行っています。
日本がかつて歩んだと同じ道を走り続けています。
しかも、この国の政策を後ろから支えているのは
日本の政府と企業です。日本の企業は安い労働力を
求めて海外へ進出しています。日本の企業の工場で
上げられた利益の大半は日本の企業と各国政府の
手に入り、悪い労働条件のもとで働かされている
労働者の手元には、わずかの分配があるだけです。

富める国は、貧しい国に援助の名の下に資金を
融資していますが、もともとこれらの国々から
奪った利益を返しているにすぎません。
これらの国々は、富める国から融資を受けた金で
高い製品を買わされてしまうので、結局は
富める国に金が流れていくだけです。

こうして見ると、本当の援助のためには、
人々が自分たちの力で国を作っていけるように
技術的な面での援助が必要なのです。ただ単に
トラックターなどを援助の名のもとに送っても、
結局は修理できないで無駄になってしまいます。

富の不均衡をなくすためには、まず正当な価格で
資源や労働力を買うことから始めなければ
なりません。今までのように不当に安い価格
で買い続けているかぎり、援助という名のもとで
何をしてもごまかしにすぎません。

富をごく一部の人たちだけで所有するのでなく、
公平に分配してこそ、一人一人の人間の価値が
認められることになるのです。富の使い方によっては
金で買えないものを得ることができるはずです。

主日のみことばより

△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼


っとまぁ、そんなこんなで、
また、よつばさんで、
People Treeさんからのお買い物をしました

‥今日の配達でくるかと思ったら、
翌週配達品だったわ


ともかく
大きなことはできないけど、
小さなことを実践するのを、忘れたり止めたりしたら
アカンからねっ

しかし
まっだまだ、「出来ること」は
他にも山ほどあるはずやからな‥
明日も楽しく、がんばろ~



おとうと ~語るでぇ 2~

2007-09-26 09:53:38 | 想い
昨日は、運動会の代休だったので、
タを本屋さんに連れて行ってやったら
エくんが、どえらく気に入った様子だったので
久々に「衝動買い」をしちゃいました~

ティラポンくんです。
よろしくねん



昨日からつづいちゃったりして‥

その村(集落)で唯一の日本人として過ごす5日間
まさしく、テレビの「ウルルン」です。
でも、通訳もカメラもいない。
自分の力だけで、コミュニケーションをとる


その家は、
台風が来たらバラバラになってしまいそうな
屋根も壁も床もスカスカの家。
材料は、あきらかにそのへんに生えている
ヤシ、竹など。
たぶん、壊れるたびに作り直してるんでしょう

洗濯は、自動で地中深いところからくみ上げ続けている
水量豊かなく共同の井戸まで行くけど、
普段使う水は、各家にある手こぎポンプで濁った水をくみ上げて
シャワー(水浴び)をし、もちろん、それを飲み水にします
たぶん間違いなく、そのまま飲んだら私はオナカをこわすので、
毎日私のためだけに「boiled water」をつくってくれていました
ヤシの葉ぶきのトイレには、腰の高さまでの壁しかなく、
高床の家の軒下から、トイレに至るまで、
とにかく鶏が歩きまわってます
もちろん、大事な食料たちです。
食べこぼしを片付けてくれる存在でもあります

電気は通っているので、夜になると薄暗い明かりが灯ります。
お客さんが来てるってんで、朝から夜寝る直前まで、
とにかくガヤガヤと、私を見に、人が集まってきます。
裸電球の下で、毎晩、大人も子どもも、歌、ダンス、ゲーム
特に足繁く通ってきてくれるのは、たいがい子どもたち。
とにもかくにも、うじゃうじゃいます
屈託のない笑顔と、お互い片言の英語で、すぐに仲良く
なれます

みんなで、ヤシの林や田んぼを抜けて、
川へ泳ぎにも行きました。
横では、農作業用に飼われている水牛も水浴び中。
ヤシの葉で簡単な日よけを作り、服のままザブ~ン。
帰り道で、服は乾いちゃいます。
日本に運ばれてきたヤシの実を割って飲む
ヤシの実ジュースは、あんまり美味しくないけど‥
目の前でスルスルっと木に登って採ってくれたヤシの実を
これまた目の前でパッツーンと割ってもらってスグに飲む
ヤシの実ジュースは、美味しいの
川で捕った、小さなエビやカニ
ここらへんの日吉大社にいるようなヤツも、茹でて食べた。
みんなが食べてるものは、何でも一緒に食べた。
みんながやってることは、何でも一緒にした。
大自然を呼吸しながら、自分も自然の中で生かされている、
全ての動植物、みんなみんなが「一緒に」生きている、
自分もこの大自然の一部なんだ‥そんな思いでいっぱいになった
とても、とても、気持ちよかった楽しかった

でも実は、
「豊かな国日本から、こんなところへナニしに来たんだ!?」
という厳しい顔のオバチャンにも出会いました。
たどたどしい英語で確か、こんなふうに答えました。
「確かに、経済的物質的な面からだけ見ると、
 日本はリッチで、ここで暮らしているあなたたたちは
 貧しいかもしれない。
 国と国の間に、これだけの差があるのは、
 世の中のどこかが間違っている。
 でも、心の中のことを考えると、日本人のほうが貧しく
 あなたたちの方が豊かで、愛に満ちていると思える。
 だから、あなたたちと過ごして、自分が変わるための「何か」を
 感じたいのです。
 まず、自分が変わることによって、まわりを変えていきたい。
 そうやって、たとえ少しずつでも、
 間違っている今のこの世界を変えていきたい。」
オバチャンは、大きく頷いて、それからは私に気さくな
やさしいオバチャンへと変わったのでした

‥あのオバチャンに、そのとき必死で答えたあの言葉。
今でも忘れたらアカン!!と、強く、強く思っています。
いろんなことを考えたり、判断したりするときの、
一番大事な根幹の位置に、あの時の記憶があるような‥気がします。


そのホームステイした家にいた「アタシの弟」、当時18歳。
彼は、とびきりの笑顔で自信をもって私に言いました。
「僕たちは、確かにとても貧しい。
 でも、毎日がとてもハッピーだよ。」
家族とその周りの人たち皆を愛し、そして愛されている。
その素晴らしさをよく知り、大自然の中でその恵みに与りながら
全てを神さまに感謝し、毎日を生き生きと過ごしている。
そこで、カネ・モノは、あまり重要なものじゃない。
‥と語る目のキラキラは、今でも忘れることはできません。


さて
日本の若者「18歳」で、同じように「自分が幸せだ」と
言い切れる人が、一体どれだけ、いるんだろう??
‥なぁんてことを、思ったりします


ううむ
明日も、語っていい??




帰る場所 ~語るでぇ 1~

2007-09-25 09:09:56 | 想い
今朝から、ハハは、
教会の皆さんと神父さんと、フィリピンへと旅立ちました

私自身はフィリピンへは、2回行きました
一回目は大学生の時に3週間。
二回目は、26の時に2週間。

あちらの人たちは、とにかく明るく
のんびりしていて、あたたかい
仕事についていなくても、誰かが助けてくれて当たり前。
逆に、困っている人がいれば、助けるのが当たり前。
だからみんな、あっけらか~んと陽気に生きている

一回目に行ったとき、聖書の
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。
 休ませてあげよう。
 私は柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。
 そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。
 わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである《マタイ11.28-30》」
という箇所の歌をお別れに歌ってもらい、
ああ、ここは、ほんとうに休ませてもらった場所だった
と思ったことが、
私を二回目のフィリピンへと向かわせたのでした

あの、明るさとあたたかさ
そこにどっぷりと浸かるというあの経験は、
とにかく「行かなきゃわからない」
いくら説明しても、たぶん、伝わらない
でもでもっ
どうしても、「語りたい」のっ


3週間と2週間、わりと長めの滞在でした。
いろ~んなことしましたよ。
観光もしたし、巨大なショッピングモールに
買い物にも行ったし、泳ぎにも行った
小船に1時間以上揺られて、巡礼地である、
天国みたいな島にも行った
修道院で黙想会もしたし、
現地の青年のコミュニティとの交流の中で、
そのコミュニティの活動である有機農業支援の体験って訳で、
農作業もした
学校の見学にも行って、学生達と交流もした。
その他にも、いちいち思い出せないくらい、
いろいろな施設を見に行った。
貧困層の人々の暮らしを知る、ということで、
当時はまだあった「スモーキーマウンテン」にも
行きました。

どれにもこれにも、
語りだしたら止まらないくらいの思いが、
今でも詰まっているんだけど

そんなこんなイロイロな経験の中で
とにかく私の価値観の根底を揺るがすような経験となり、
今の私はあの時の経験なしには考えられない!!
っていうのは、ホームステイ
2度のフィリピン行きで、3回のホームステイをしたのだけど、
一番印象に残っている、3回目のホームステイのお話を。

って
なんぼ長い前置きやねん

という訳で、つづきはまた明日~




雛と母鳥

2007-09-23 19:04:33 | 行事
ユちゃんのお誕生日プレゼントにと、
こんなものも用意されていました

タの作品です

なかなかよくできました~~
キモチがいっぱいこもってるよ



そんなこんなタくんは、
昨日のド晴天の中、
運動会~

いやはや、とにもかくにも、暑かったですよ

でも、どう?どう??
「山の中の小学校」みたいでしょ~
ええとこにあるんですわ


ハナシはぶっ飛びますが。
先生方、皆さんおそろいのポロシャツをおめしになって
いらっしゃいました。
茶色いポロシャツに鮮やかな黄色で
背中には「卒啄の機」と書いてあります。
なかなか、シブいね~いいね~
校長先生であるT先生は、アタシも自分が小学生のときに
お世話になった先生。
なんて書いてあるのか、つかまえてきいてみました。

「そつたくのき」と読むそう
そんな言葉、初めてききました。
孵化寸前の雛鳥が卵の内側から殻をつつくと、
気づいた母鳥がそっと殻に穴を開ける。
「そつ」は雛鳥が、「たく(啄)」は母鳥がつつくことを意味し、
広辞苑によれば「機を得て両者が相応ずること」とある。
それは、早すぎでも遅すぎてもいけないんよね。
禅宗に由来する言葉なんだそうですよ


なるほどね~
先生たち、なかなかエエ言葉を
「座右の銘」にしてる(んかどうかは知らんけど!?)んやん
親である私たちも、しっかり心に刻んでおきたいと‥
思いましたよ

T-る先生、エエこと教えてくれて、ありがとう

No.14

2007-09-21 10:05:10 | きねんび
はい。14個目のケーキです
幼稚園で、お誕生日当日にかぶせてもらえる
「かんむり」と一緒に撮りました。
‥もうこのかんむりも、最後ね

今年は「フルーツのケーキ」、
晩ごはんには「手巻き寿司」と「あさりのみそ汁」をご所望。
プレゼントはコチラ

「しろたんエアーホッケー」

「ラブ&ベ○ーのDS!!」とか言ってたこともあるので、
まぁ、ええもんに変更してくれてよかったぁ
1週間ほど前に、段ボール箱はとどいていたのだけど、
開封はもちろん昨日
毎日、ナニが入ってるかわかっている箱を
二人で眺めていたわけです

先日、またまたしょーもない口ゲンカ
「じゃあ、このエアーホッケー、ユちゃんだけのものってわけ!?」
タ、ユのお誕生日プレゼントやで、
当たり前やろ??
「でも、ユちゃん、タにも使わせてあげられるよね?」と
言うと、ケンカしてた割にはやけにあっさり「いいよ~
おや??
最近の反抗心のカタマリみたいなユにしては珍しい??

「だって、ひとりじゃあそべないもん

なるほど

そんなこんなで、昨日は
二人でエアーホッケー、大盛り上がり

アンタたち、いいねぇ
お互い、いい相棒がいて

その日のこと~その2~

2007-09-20 09:54:23 | きねんび
ウチの生協の配達は水曜日
予定日3週間前に出す注文書、
ついついいつもの<餃子の皮>を注文してしまった
届くのは予定日2週間前。
ま、大丈夫‥かな‥??
生まれちゃったらしばらく餃子なんかできないだろうからと、
届いたその日に52個の餃子を作った‥その晩。

晩ご飯の後片づけも終わった頃、ん!?の感触。
トイレに行って確かめると、これは破水に違いない
という訳で、
オトウチャンはまだ帰っていなかったので、
じいじに車で病院まで運んでもらいました。

診察の結果、やはり破水で間違いないので入院。
タはじいじに連れられて帰って行きました。
生まれて初めて離れて過ごす夜。
どうしてるんだろうと気にしながら、NSTをつけて横になる。
仕事から帰ってきたオトウチャンもきてくれて、
強い陣痛が来るのを待ちました。

って
助産師さんが「コレ、ほんまに痛くないのん!?」
というレベルの波はガンガンきてるんだけど、
「はい、ぜーんぜん痛くないんです
というやりとりが次の日の朝まで

子宮口8cmまで開いてるのに
「‥これじゃあ生まれませんよね?」
っということでセンセイは促進剤の使用を決めはりました。

午前の外来の診察が終わる頃に、促進剤の点滴を始める、とのこと。
ご主人、どうされる?と訊かれたので、
さぁ、どうされるんでしょう?と、
その場の成り行きにまかせて放っておいたら、
分娩台に乗り、はーい、そしたら点滴の針入れるね~?の頃に、
オトウチャンはエプロンやマスクなどの<装備>をして現れました。
顔には「ふっ‥不本意なんやけど」と書いてある。
立ち会い推進派のスタッフたちに
かなり強引に連れて来られた模様

いよいよ、点滴のパックに、促進剤が注射されます。
センセイが、慎重に速度を監視。

「点滴したらね~、30分から1時間で生まれるからね~」
という話だったのに。
確かに収縮は強くなったけど、痛くない。
経産婦だもんね、
「‥これじゃぁ、生まれませんよねぇ?」
と、何だか呑気な会話。

あまりにも進まないので、
助産師さんが手で刺激してくれるとのこと。

‥‥‥
破水した場所が、高位だったらしく、
赤ちゃんの頭に羊膜がひっかかっていたらしい。
それを、手でどけてくれた‥ら!!

キマシタ~~~!!!
こッ、こうぢゃないトっ!!生まれまシェえぇんッ!!

オトウチャンがどうにか力になろうと
必死になってくれているのがわかる。

けど‥。

あ、ありがと、そこに居てくれてるのは心強いけドっ
頼りになるのは、
呼吸をリードしてくれる助産師さんなのォ~

‥‥
そうして、ユちゃんは生まれてきたのでした。



ほんとは、あなたは
もっとオナカの中でゆっくりしてるつもりだったのかもね。
まだ「出よう」と決めてなかったのに、
無理やり「出しちゃった」‥のかもね、ごめんね


タのお産ってのも、軽いお産で。
でも、あんなに痛いの、もうコリゴリですぅ
と思った覚えがあったんだけど。
ユを産んだ日の夕方には、
もう、どんな痛みか思い出せなくてびっくりした
‥のを鮮明に覚えてます。

その日、ユちゃんに会えたのはもちろん嬉しかったのだけど。
今でも、強く印象に残ってるのは‥
実は、タとの再会のほう。
生まれて初めて離れて過ごした夜、
泣き喚いたりすることはないものの、
夜中何度も目を覚まし、ようやく出てきた二語文で
「ちゃーちゃん‥ナイ‥」と言っていたそう
2歳前に兄ちゃんになったタ。
1昼夜ぶりに会って、号泣したのはアタシ
つられて、なんだかわからんくせにタも
泣いてるし‥


ユちゃんのことより(ごめんよ)
「ウチには〈2人の赤ちゃん〉がいる」と、
タのことを優先に過ごした日々の始まりでした。
そのお陰か!?
タは、退院して家についたとき、
<え!?その病院にいたヤツ、ボクのおうちまで何で来るの!?>
という顔をしばらくしていただけで、
いわゆる赤ちゃんがえりというものはなく。
(っつうか、もともと〈赤ちゃん〉と思っていたのではあるけど?)
その日の昼ごはんを食べたら、
もう紛れちゃったみたいね
所詮1歳児~
ともかく。
あのときからずっと、二人は仲良し兄妹です



そんなこんなで生まれてきたユちゃん。
今日で6歳です

膨らみ方が尋常じゃなく
「ひょーじゅん」の幅からどんどんはみ出して行った割には、
今はすっかりスリムになりました
「可憐」「華奢」「愛らしい」「ふわふわ
といった形容詞とは対極の、
「頑丈」「丈夫」「強そう」「むちむち」なんて言葉たちが
ぴったりな乳幼児から‥
もうすっかり、お姉さん(←ちょい大げさ)になったね。

このまま、
強く正しく美しい(!?)オネエサンに成長していってよね
最近、口答えのほうにに磨きがかかってますけど
ハイ、
それも、喜ばせていただきますぅ~

新しい皮

2007-09-19 14:06:26 | 日記
リビングで使ってたノーパソが、
使えなくなったんでしゅぅ
ふる~い機種なので、できないことがいっぱいあったから、
オトウチャンが改善を図ろうとXPを入れてくれたら、
ネットに繋がらなくなったんでしゅぅ

もともとなかったものなのに、
使えないと、なんだか不便
‥ダメね
便利に慣れてしまうと、なかなか後戻りができない。
CO2削減も、上手く進まない‥訳は、
こんなところに理由があるのね、きっと

聖書の中に、
古い皮袋に新しい皮で接ぎをあてる人はいない、
という箇所がありますが。
やっちまったようですね
古い機種にはXPは荷が重かったのね。

自分も、身の丈にあったものを身につけないかんっ
っつうことやなぁ‥と。
ちょいと、勉強になったのでした

さっ。
お迎えに行こうっと


残暑の行楽

2007-09-18 12:21:01 | お出かけ
昨日も青柳浜へ「野外料理」しにいってきました
Rちゃんと一緒だったので、ダッチオーブン2つ

メニューは‥
即席ベーコン

ベーコン入りのチャーハン
(もちろんごはんは、飯ごうで炊くのよ

野菜タップリ煮込みラーメン

完成図はコチラ

おまけのエくん用ごはん
(もちろん、飯ごうでつくったのよ)


うふっ
昨日も楽しんできたわ~

Rちゃんと一緒だと、
作業中はお互いに最小限のコミュニケーションでも
サクサクと料理が出来ていくので
一番楽しめるのです


ただ‥
タユには申し訳ないことに
ちょーっと風邪気味でもあることだし、
もう9月だしと、水着の用意をしていかなかったもので‥

足だけは水に浸かっていたけど、
ハハは「ごめんね~」と
何度も謝りました
(前回みたいな記事書いたとこだし

いいよ~ぜんぜん~
言ってくれたから、ハハは救われました


ううんと‥。
他にもイロイロ書きたいことがあるんだけど、
諸事情により、今日はここまで
お返事も、また今度~
「ごめんちゃい