もともと。
千と千尋の神隠しは「10歳の女の子のために。そして、
これから10歳になるひと、かつで10歳だったひとたちのために」
作られた、とのこと
突然、不思議な世界へと迷い込み、
両親はブタへと姿を変えられてしまい
頼る人は誰も居なくなり、
全て自分の力で解決するしか道はない、
しかもその方法もよくわからない‥といった状況の中で、
もともと自分が持っていた、「生きる力」が呼び醒まされていく
‥という物語
湯婆婆に名前を奪われ、
「千」となった千尋が、自分の持っていた力に気づき
自らの力を取り戻していく、その過程で、
カオナシってバケモノと出会う訳なんですけど
この、それ自身では声もコトバも持たない、
頼りなげで自信なげな存在であるカオナシが、
どうやって、あんな巨大で強欲なバケモノになっていったのか?
を考えると‥
自分のもつエサ(金)に、
欲をもって食いついてきた(欲しがった)者を呑み込み、
コトバを得、言葉巧みにさらにエサをばら撒き、
欲を吸い寄せ、膨らみ続けた‥訳よね
何故、千を呑み込むことができなかったのか?というと、
千は「それ、そんなにたくさん要らない。1つでいいの」
と、拒絶した‥から?
→必要以上の欲を持たなかったから。 ‥かなぁ
「もっとくれっ」と
欲しがったカエルは、あっという間に呑みこまれたもんね
カオナシは、人間、誰の中にも存在するモノ、と
宮崎監督は仰っていた、とのこと。
その「モト」は、頼りなげで存在感のないような
ヤツなのにもかかわらず‥。
欲を出せば、さらに大きな欲の『虜』となってしまう。
大事なのは、「そんなにたくさん要らない」と、
『足るを知る』ことなんじゃないのかな?と
そんなことを思いました
「10歳の女の子」に、一体、ナニを言いたかったのか??
なんだかずっと、よくわかっていなかったんですけど
例えば、↑こんなことだったりする気がします
他にも‥。
・大事なことは、ナニなのか、
惑わしてくるものはたくさんあっても忘れないようにする
・キチンと礼儀正しく、ありがとうのコトバを使う
・約束ごとは、キチンと守る
‥などが、10歳のヒトたちに伝えたかったこと‥じゃないのかな?
なぁんてねっ
最近、思うようになりました
他の作品についても、
もっと掘り下げて、考えてみたいかも~
観る人によって、または同じひとでもそのときの状況によって、
印象深く感じるところはそれぞれ違うし、
受けるメッセージも、きっと、それぞれなんだと思います
他の人が受けとったメッセージも聞いてみたいな~?
‥これってさぁ。
すこぅし、あの不朽の大ベストセラー『聖書』に似てるよね
どこかだけ取り出してしまうと、ダメなのよ。
こっちのこの箇所は、あっちのこの箇所と矛盾する、
ってことがありますから。
全体を見渡さないとねっ?
(ええ、そんなこと言えるほど、
読んでないんですけどね)
そして、読む人によって、または同じ人でも、読む度ごとに
受け取るメッセージは、違っている‥ようです
到底理解できないような内容が詰め込まれているからこそ、
出会うたびに発見がある、そういう書物‥
みたいですよ??
(はい、ほとんど読んではいませんけど)
あぁ
カオナシ考が、
収拾のつかないところまで、来てしまいました
でも。
こうやって、思いついたことを書き留めておくと、
後で、何か、自分のためになるんじゃないかな~?
なんて思って、書きとめてみました
‥なんだか、読みづらかったでしょ
ごめんね~
千と千尋の神隠しは「10歳の女の子のために。そして、
これから10歳になるひと、かつで10歳だったひとたちのために」
作られた、とのこと
突然、不思議な世界へと迷い込み、
両親はブタへと姿を変えられてしまい
頼る人は誰も居なくなり、
全て自分の力で解決するしか道はない、
しかもその方法もよくわからない‥といった状況の中で、
もともと自分が持っていた、「生きる力」が呼び醒まされていく
‥という物語
湯婆婆に名前を奪われ、
「千」となった千尋が、自分の持っていた力に気づき
自らの力を取り戻していく、その過程で、
カオナシってバケモノと出会う訳なんですけど
この、それ自身では声もコトバも持たない、
頼りなげで自信なげな存在であるカオナシが、
どうやって、あんな巨大で強欲なバケモノになっていったのか?
を考えると‥
自分のもつエサ(金)に、
欲をもって食いついてきた(欲しがった)者を呑み込み、
コトバを得、言葉巧みにさらにエサをばら撒き、
欲を吸い寄せ、膨らみ続けた‥訳よね
何故、千を呑み込むことができなかったのか?というと、
千は「それ、そんなにたくさん要らない。1つでいいの」
と、拒絶した‥から?
→必要以上の欲を持たなかったから。 ‥かなぁ
「もっとくれっ」と
欲しがったカエルは、あっという間に呑みこまれたもんね
カオナシは、人間、誰の中にも存在するモノ、と
宮崎監督は仰っていた、とのこと。
その「モト」は、頼りなげで存在感のないような
ヤツなのにもかかわらず‥。
欲を出せば、さらに大きな欲の『虜』となってしまう。
大事なのは、「そんなにたくさん要らない」と、
『足るを知る』ことなんじゃないのかな?と
そんなことを思いました
「10歳の女の子」に、一体、ナニを言いたかったのか??
なんだかずっと、よくわかっていなかったんですけど
例えば、↑こんなことだったりする気がします
他にも‥。
・大事なことは、ナニなのか、
惑わしてくるものはたくさんあっても忘れないようにする
・キチンと礼儀正しく、ありがとうのコトバを使う
・約束ごとは、キチンと守る
‥などが、10歳のヒトたちに伝えたかったこと‥じゃないのかな?
なぁんてねっ
最近、思うようになりました
他の作品についても、
もっと掘り下げて、考えてみたいかも~
観る人によって、または同じひとでもそのときの状況によって、
印象深く感じるところはそれぞれ違うし、
受けるメッセージも、きっと、それぞれなんだと思います
他の人が受けとったメッセージも聞いてみたいな~?
‥これってさぁ。
すこぅし、あの不朽の大ベストセラー『聖書』に似てるよね
どこかだけ取り出してしまうと、ダメなのよ。
こっちのこの箇所は、あっちのこの箇所と矛盾する、
ってことがありますから。
全体を見渡さないとねっ?
(ええ、そんなこと言えるほど、
読んでないんですけどね)
そして、読む人によって、または同じ人でも、読む度ごとに
受け取るメッセージは、違っている‥ようです
到底理解できないような内容が詰め込まれているからこそ、
出会うたびに発見がある、そういう書物‥
みたいですよ??
(はい、ほとんど読んではいませんけど)
あぁ
カオナシ考が、
収拾のつかないところまで、来てしまいました
でも。
こうやって、思いついたことを書き留めておくと、
後で、何か、自分のためになるんじゃないかな~?
なんて思って、書きとめてみました
‥なんだか、読みづらかったでしょ
ごめんね~