しばらく前になりますが、
『愛と癒しの366日』という本を買いました
覚え書きという記事で書いた、
『今日幸せになる171の言葉』という本の元(!?)とも言えるような本で
もちろん、シスター鈴木秀子という方が書かれています
171コより、366コ載ってる本のほうを、手元に置きたいじゃないですか
??
さらに
日々、手に取りやすいよう、布カバーをつけてみたりして
このPCのすぐ傍にいつも置いてあるんですけどね
その中から‥
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ある高校生のお話です。
「夏休みに、ボランティア活動で老人ホームへ行きました。
お年寄りの世話は大変でしたが、皆が喜んでくれたので、
とてもやりがいがありました。お正月休みにも同じ施設へ行きました。
ところが、夏に世話をしたお年寄りの何人かが
すでに亡くなっていることを知りました。
また会えるのを楽しみにしていたので、
とても悲しく寂しい気持ちになりました。」
このような短い出会いでも、
亡くなる人は何か思い出を残していくものです。
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ちょうど今頃、Sちゃんの告別式が行われていると思います
Sちゃんとの出会いは、この高校生とお年寄りとの出会いよりも、
私にとっては大きな出会いだったとは思います
かつては、お母さんから「Sの好きな先生」と
呼ばれたこともありましたから
けれど
天真爛漫な子どものご多分に洩れず、
Sちゃんの「好きな先生」は、時々刻々と変化していたようで
ここ数年は、Sちゃんと会うこともなく、Sちゃんにしてみたら、
私は、「あぁ。ずっと前、あんな先生もいたっけなぁ~」程度の
存在だったと思います
ここ最近の私とSちゃんくらいの間柄なら、
葬儀のお知らせを聞いても、
「でももう、最近全然付き合ってきてなかったひとだし‥
」と、
参列するのを遠慮するひとも居るでしょう。
‥それくらい、もう、距離をおいてしまっていた間柄だったと思います
それでもやっぱり
亡くなったという知らせを聞いて、私は葬儀に行きたい!
と思ったので、行きました
自分の父親の葬儀の時につくづく思ったことなのですが
いったい何年ぶり!?という人の顔を、山ほど見かけました。
それは全て「参列しよう。」と思ってくださったから、
そこに来てくださった方たちの顔だった訳で。
葬儀の席ではありますが、大勢の人が来てくださったことは、
遺族である私たちにとって、とても嬉しく、心強いものでした
昨晩、
悲しみを押し殺した改まった表情で
返礼の品を参列者へ手渡ししておられるお母さんは、私の顔を見て
「あぁ。先生‥。」と笑顔で声をかけてくださり、
私は、やっぱり来てよかった、と思いました
その笑顔に、私は、自分自身のあのときの気持ちを思い出しました。
すごく疎遠になっていた誰かが亡くなった知らせを聞いたとして。
最後のお別れの席に行くかどうかをためらうことが、もしあるならば
私は迷うことなく「行く」ことを勧めたいと思います
また、逆に
どうしても行けない何かの事情があるならば。
行けなかったことをあれこれ悔やむ必要もないのだと思います
大事なのは。
故人や、遺された人たちを想う『気持ち』であり、祈りだと思うから
『死』は、軽々しく語るべきでない、暗い話、重い話だと、
タブー視されるものであってはならない
!!
と、私は強く思います。
時々、このような出来事に出会うと、
誰にでも当たり前にやってくる『そのとき』のことに
想いをめぐらす、いい機会となります
今は、Sちゃんが与えてくれたこの機会に、
いろいろと想いをめぐらせてみようと、思います
私にとってのその想いは、
既に先にあちらに行っている、
Tさんとか、Eくん、Mちゃん、Kちゃん、Tちゃん、Hちゃん、
そしてSくんたちに再び出会えることを、
期待して待つという『希望』に溢れています
‥こんなふうに考えられるのは、
本当に有り難いことだと思います