まいにちはなたば

キレイな花、枯れた花、トゲだらけの花。
毎日いろんなことがあるけど、遠くから見れば、やっぱりきれいな花束だと思うよ?

よくがんばったで賞

2009-12-31 23:07:51 | 日記
今年は、気がついたらもう、大晦日でした
自分がギリギリまで仕事行ってたのもあって、
毎日何か出かける用事があり、一日家にいられたのは、
今日が初めて

結局、あっちをこちょこちょ、こっちをこちょこちょ掃除したくらいで、
大晦日も終わろうとしています
‥ま、別にどうでもいいや

さて
今日は、ようやく額を買ってきて飾ってやることができました

そうなんです
タくん、この2学期は、夏休みの自由研究と、それから、
図工の作品が学校の代表に選ばれ、入選したらしく。
終業式中に、全校児童の前で2枚の賞状をもらったらしいんです

教室でもらうのと違って、やっぱり
全校児童がそろっているときに貰えると、嬉しいよね~
っと言うわけで、ちゃんと飾ってやることにしました

タは本当は玄関に飾ってほしかったらしいのですが
さすがにそれは、ヘンでしょう??



2学期のタくんだけでなく
ユちゃんも、エくんも、オトウチャンもそしてこのアタシも
この一年、よくがんばりましたっ

明日から、新しい年が始まります
今年以上に、実り多く豊かな一年にするための努力を怠らず、
楽しく過ごしていくことができますように

怠惰に反するもの

2009-12-29 23:09:11 | 日記

今日は、ようやく最後のお仕事でした

こんな年末まで、よくがんばったゾっ!!あたしっ
相変わらず、掃除も片付けも何もできてませんが
ようやく、年賀状はすべて投かんすることができました

毎日毎日、何か出かける用事があって、
でも。
皆が家にいるから、もちろん、いつもどおりの家事も、
普段以上になんだかいっぱいあって
何だか知らないけど、ものすごく忙しい冬休みなのだわよっ



夕方、ようやく書き終えた年賀状を投かんするのに
ポストまで歩いていくと。
藍色の空には雲ひとつなく
従って、めちゃめちゃ冷えこんできてまして

‥でも、そこを敢えて「ううっさぶっ」と体を縮こめず、
胸いっぱいに冷たい空気を吸いこみながら、歩いてみました

そしたらね
「一人で歩く」この数分が、なんだかものすごく貴重な時間に思えてきて

それって、それって‥。
いつもいつも、誰かと一緒にいるからこその想いなのであって。

‥そう思うと、
『今年も一年、とにもかくにも、ありがとう
という想いでいっぱいになって帰ってきたのでありました

さらに
先日書いた『愛と癒しの366日』という本(コチラ)に、
このような、興味深い記述を見つけました。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
西欧の中世の世界では、「怠惰」は今とは全く違った意味を
持っていました。つまり「ひまなし」が怠惰であり、
「閑暇を楽しむ能力に欠けること」こそ怠惰を意味しました。
怠惰とは、「仕事のための仕事」に、すべての時間をついやすことを
内容としたのです。
「仕事のための仕事」にすべてをまかせる「怠惰」は、
人をせかせかさせ、内的せわしさにかきたて、
人から、あらゆるゆとりを奪います。
その結果、人を絶望に導くのです。
「怠惰」に対立するのは、「労働」ではありません。
「人間が生気にあふれ、愛に満ちて、
 自己の本質や世界全体や神を肯定して、
 自分のあるがままの姿を受容する」
ことこそ、
「怠惰」に対立するものです。
怠惰は、「神のうちにおける精神のやすらぎ」に反するものなのです。

◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

これは、私にとっては目からウロコなお話でした

このことに気づかせてもらうために、
今日は月の写真が撮りたくなったのかも

‥にしても
私が見た月は、もっともっと綺麗だったのに、
撮ってしまうと、どうってことない写真になってしまったのが
ものすごく残念です


生きてるだけで‥嬉しい

2009-12-27 22:41:00 | 日記
先日から何度も、ここで記事にしている
がんばれ!タちゃん!がんばった!タちゃん!など)
タちゃんから、先日、
『先週、退院してきました~』との
メールをもらいました

もちろんまだ、本調子ではないらしく、
リハビリにも通っているそうですが、
とにかく、無事に退院できて本当によかった!!

そして、私にとってとても嬉しかったのは、そのメール中で
お見舞いの時に持っていった本(いつか、晴れる日)について、

『いただいた本は大切な宝物です。』

と書いてきてくれたこと



冬休みに入り、
掃除も片づけも何にも手をつけていないくせに
何故か毎日、怒濤の渦で目が回るような思いをしているんですが

タちゃんからのメールを見て、改めてこの本を手にしてみると‥。

 自分の痛みで胸がいっぱいのとき
 生きていることは苦しい

 大切な人のことを考えたとき
 その人が生きていることが、なによりもうれしい

‥そうよね??

毎日、忙しい、忙しいと、
気ばかり焦ってイライラしてるけど、
こんなのをまるで『痛み』みたいに思ってたら、
アカンやんっ自分っ

つまらんことでイライラしてんとっ
努めて、ゆったりした気持ちでいきましょう~??

掃除も片づけも年賀状もせんでも、
ちゃんと新年は明けてくれるって~
(でも、年賀状くらいは出せよっ!自分っ
 ‥言うても、オトウチャンがまだデザインを完成させていないので、
 書きたくても書けないんですが
 あぁ、やっぱり、気ばかり焦る~

サンタさんからのプレゼント

2009-12-26 22:57:20 | 日記
今年も、サンタさんからのプレゼントが届きました

タくんには、ジャストスマイル3「家庭学習用」
ユちゃんは、アイスクリームタワーが届きました

ジャストスマイル3とは、
『全国の小学校で一番使われているソフト』らしく。
ワープロ、表計算、地図・カレンダー・名前シール作成、電卓(分数電卓!)
などなどの機能が1つになった統合ソフト‥です

すっかり、ユちゃんも夢中になって、
年賀状作成や、キーボード練習なんかをやってますよ


そしてユちゃんのアイスクリームタワーは、
美味しそうな、なかなかいい出来でね

タはもちろんのこと、私もオトウチャンも、
一緒にに楽しめるゲームになってます


どうも、仲間はずれ感があるのは、この人のぶん

もう、これ以上幼児向けのオモチャ類を増やすだなんてとんでもないし
それでも、エくん自身が喜ぶもの、と考えると
サンタさんも、これくらいしか置いていけないでしょう??



この『わにわに』シリーズ、
とってもシュールな絵と内容が、アタシ的にはたまらない絵本です

残念ながら、このシュールな楽しさは、
小学生の読み聞かせ向きではない気がするんですが
また、内容は、改めて紹介させていただきましょうか

おひさしぶり‥ですか?

2009-12-23 22:33:37 | 日記
何日ぶりですか
(ひとに聞いてどうするよ

ここ数日、ナニしてたかって‥??
止まらなかったんです

『ハリーポッター』最終章以来です
こんなに夢中になって読んだのは

って、まだ読み終わってないんですけど
このまま読み急いだら、読み終えてしまうのが寂しく思えて‥
4冊目の残り半分ほどを残したまま、PC開いてみました

でもたぶん、今日中に残り全部読んじゃうんだろうな~


寸暇を惜しんで本を読んでいた、ここ数日間、
書きたいな~と思うことは、いろいろ、あったんです

車と電車が併走する、全国的にもたぶん珍しい道路があるんですが、
信号待ちのときにふと横を見ると、
エくんの大好きな電車が止まっていたり


エくんが来春入園する幼稚園にサンタが来るというので、
プレゼントもらいに行ってきたり

この写真では、わかりにくいけど
年がら年中、サンタにしか見えない神父さん(もと園長)です
タやユが入園する前からずっと、毎年、
このためだけに、園にやってきてくれているのです
‥神父さん、自分でも、コレが大好きなんやろね~


ユが、学校の農園から立派な大根を持ってかえってきたり

もちろん、この日の晩ご飯のメインは『大根』
うす味でほっくり炊いて、
ショウガをきかせた味噌だれ(鶏肉入り)で、いただき
葉っぱのほうは、豚肉のしょうが焼き味炒めに全部入れてしまい
大根一本、あっという間に食べちゃいましたよ
端から端まで、とても美味しい大根でした

よつばさんから行儀の悪いにんじんが届いたり


‥それなりに、いろいろあった、数日間でした



更新してなかった言い訳もしたし
続き、読んじゃおうっと

懇談会

2009-12-17 22:22:19 | 日記
今日は小学校の個別懇談会でした

いつものことながら
あ~やっぱりぃ~!?というお話ばかりでした


ユちゃんは、学校では毎日、意欲的に学習に取り組み、
お友だちと楽しく過ごしているようで
「家では、こ~~~~んな感じなんですけどね~」と、
私がいつもイライラさせられまくっている様子を言いつけ(!?)ると、
毎年、どの先生方もびっくりされます

アナタ、家ではどんだけ寛いでるのん??
↑ま、悪いことじゃないと思ってるのも、本当なんですけどね


タくんもやはり、非常に意欲的に学習に取り組んでいると
わからない言葉は、ささっと辞書で確かめ、
まっすぐ挙げた手をぐるぐる回し、先生にアピールするほど、
自分の意見を発表したがっている‥らしい

ものっすごい目に浮かぶな~

好きなことに入り込み過ぎ!?ってくらい集中することは
ようよう知ってますけど。
あの。ちゃんと、周りのお友だちと上手くやってます??
ってところが、一番の気がかりで

今年の先生にもそのあたりを聞いてみたんですけど、
やはり、状況を読めていない
(いわゆるKYっスね)面は見受けられるけれども。
かといって、友だちと協力しながらの作業をする時など、
協調性を持って、ちゃんと上手くやっているし、
問題を感じるようなことではない、とのこと

‥それならまぁ、よかったかな


っとまぁ
ほとんどが、特記するほどでもない『想定内』のお話ばかりだったんですけど
一つだけ、びっくりするようなお話を伺いました。

タの通知表の所見欄に、こう書いてあります

 クラスのみんなに認められた、気持ちのこもった、
 また読み方や声を工夫した「世界一美しいぼくの村」の音読が
 印象に残っています。

とのこと

この「世界一美しいぼくの村」とは、国語の教科書にあるお話なのですが、
戦火にのみこまれてしまう前の、美しいアフガニスタンの村の暮らしを
少年の視点から描いたお話で。
その美しい村の物語の最後は
『その年の冬、村は戦争ではかいされ、今はもうありません。』
という一文のみで締めくくられています。


「元気な声はっきりと」音読するのには相応しくない作品。
読む速さや、声の調子、声の大きさなど、とても気持ちがこもっていて
非常に印象深い音読だったと、先生は仰っていました。

そういえば
この話を習い始めた頃、タが私に尋ねたことがあります。
「‥これって、本当の話なん?」

厳密に言えば、『実話』ではないでしょう。
でも。
戦争という醜い、悲惨な現実を、はっきり表現しているという点から考え、
私は「そうやで。本当の話やで。」と答えました。
「‥そうなんや」と、タは言っていました。

いつも音読の宿題は、3階や別の部屋で隠れてやることにしているタなので
残念ながら私は、その『クラスのみんなに認められた、気持ちのこもった、
また読み方や声を工夫した音読』とやらを聞いたことはないんですけど

要は、彼の『好きなものにはすっかり入り込んでしまう』
癖が出たんでしょう
言ってみれば、
ただのお話にとどまらない物語なんだと、しっかり理解して読んだ、
ただ、その結果なのだと思います

それが、なんだかとっても嬉しく思えた、
今日の懇談会でのお話でした

想いめぐらす

2009-12-16 13:19:51 | 想い
しばらく前になりますが、
『愛と癒しの366日』という本を買いました
覚え書きという記事で書いた、
『今日幸せになる171の言葉』という本の元(!?)とも言えるような本で
もちろん、シスター鈴木秀子という方が書かれています

171コより、366コ載ってる本のほうを、手元に置きたいじゃないですか??
さらに
日々、手に取りやすいよう、布カバーをつけてみたりして

このPCのすぐ傍にいつも置いてあるんですけどね


その中から‥
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
 ある高校生のお話です。
 「夏休みに、ボランティア活動で老人ホームへ行きました。
  お年寄りの世話は大変でしたが、皆が喜んでくれたので、
  とてもやりがいがありました。お正月休みにも同じ施設へ行きました。
  ところが、夏に世話をしたお年寄りの何人かが
  すでに亡くなっていることを知りました。
  また会えるのを楽しみにしていたので、
  とても悲しく寂しい気持ちになりました。」
 このような短い出会いでも、
 亡くなる人は何か思い出を残していくものです。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

ちょうど今頃、Sちゃんの告別式が行われていると思います
Sちゃんとの出会いは、この高校生とお年寄りとの出会いよりも、
私にとっては大きな出会いだったとは思います
かつては、お母さんから「Sの好きな先生」と
呼ばれたこともありましたから

けれど
天真爛漫な子どものご多分に洩れず、
Sちゃんの「好きな先生」は、時々刻々と変化していたようで
ここ数年は、Sちゃんと会うこともなく、Sちゃんにしてみたら、
私は、「あぁ。ずっと前、あんな先生もいたっけなぁ~」程度の
存在だったと思います

ここ最近の私とSちゃんくらいの間柄なら、
葬儀のお知らせを聞いても、
「でももう、最近全然付き合ってきてなかったひとだし‥」と、
参列するのを遠慮するひとも居るでしょう。
‥それくらい、もう、距離をおいてしまっていた間柄だったと思います

それでもやっぱり
亡くなったという知らせを聞いて、私は葬儀に行きたい!
と思ったので、行きました


自分の父親の葬儀の時につくづく思ったことなのですが
いったい何年ぶり!?という人の顔を、山ほど見かけました。
それは全て「参列しよう。」と思ってくださったから、
そこに来てくださった方たちの顔だった訳で。
葬儀の席ではありますが、大勢の人が来てくださったことは、
遺族である私たちにとって、とても嬉しく、心強いものでした


昨晩、
悲しみを押し殺した改まった表情で
返礼の品を参列者へ手渡ししておられるお母さんは、私の顔を見て
「あぁ。先生‥。」と笑顔で声をかけてくださり、
私は、やっぱり来てよかった、と思いました
その笑顔に、私は、自分自身のあのときの気持ちを思い出しました。



すごく疎遠になっていた誰かが亡くなった知らせを聞いたとして。
最後のお別れの席に行くかどうかをためらうことが、もしあるならば
私は迷うことなく「行く」ことを勧めたいと思います

また、逆に
どうしても行けない何かの事情があるならば。
行けなかったことをあれこれ悔やむ必要もないのだと思います


大事なのは。
故人や、遺された人たちを想う『気持ち』であり、祈りだと思うから


『死』は、軽々しく語るべきでない、暗い話、重い話だと、
タブー視されるものであってはならない!!
と、私は強く思います。


時々、このような出来事に出会うと、
誰にでも当たり前にやってくる『そのとき』のことに
想いをめぐらす、いい機会となります
今は、Sちゃんが与えてくれたこの機会に、
いろいろと想いをめぐらせてみようと、思います

私にとってのその想いは、
既に先にあちらに行っている、
Tさんとか、Eくん、Mちゃん、Kちゃん、Tちゃん、Hちゃん、
そしてSくんたちに再び出会えることを、
期待して待つという『希望』に溢れています

‥こんなふうに考えられるのは、
本当に有り難いことだと思います

よくがんばったね。Sちゃん。

2009-12-15 23:17:13 | 想い
今日は、Sちゃんのお通夜に行ってきました。

Sちゃんは、先日から何回か書いているタちゃんより2つ下で、
タちゃんと同じ、進行性の病気でした。
そして。
タちゃん兄弟と同じように、Sちゃん兄弟も、同じ病気でした。

Sちゃんは、夏にインフルエンザに罹ったとき、一度呼吸が止まった、
でも、少しずつ元気になってきている、と、聞いていました。
が。
もう、かなり弱っていたSちゃんの心臓は
昨日で『限界』だったのではないか?とのお話でした。

そのお話をされたのは、
司式をしていた牧師さん(とお呼びするのが正しいかどうかは知りませんが)
でもあり、Sちゃんの祖父でもある、という方でした。
大変貴重で、珍しいお式に参列できたと、思っています。


もちろん、別れはいつでも、辛く寂しいし、
誰かが居なくなったあとの穴は、とてつもなく大きなもの。

でも
その司式者の方(‥なんとお呼びするのが相応しいか、わかりません。)は、
きっと、今、Sちゃんは、神さまのもとに居て、
こちらのくには、素晴らしいところだよ!!と、
皆に喜びを伝えまわりたい気持ちでいるはずだ、と仰っていました


私も、そのとおりだと思いました


生まれてこのかたずっと、一度も歩いたことはなく、
かろうじて動く指先で、電動車椅子を実に器用に操り、
くるくると走り回っていたSちゃん
とにかく、天真爛漫明るくて面白くて
うるさいくらいのおしゃべりで
誰でも、一度会ったらSちゃんのことを好きにならずにはいられない
‥そんな子でした。

夏以降は、気管切開されていたので、話をすることもできず、
もちろん、大好きな電動車椅子を乗り回すことももうできず
目もあまり見えないような状態だったそうなので

きっと、今頃は
「『安らかに眠れ』なんて、無理やっちゅうねん~~!!と、
あちらの世界で、べらべら喋りまくりながら、
飛び回っているか、走り回っているか
‥だとしか思えません


Sちゃんは、実は、かつてニュースステーションにも登場したこともある、
ちょっとした有名人(!?)でして
ご両親は、本も出版しておられます

その本の中で、お父さんが語っておられるのは。

 立てないとか、歩けないというのは、明らかな障害だが、
 逆に明らかな健常というのはあるのだろうか?
 世の中にその性格まで含めて完璧なひとはいない。
 であれば、全ての人間はある意味では障害者ではないのだろうか?

私も同じようなことを書いたことありますけど、
Sちゃん兄弟を育てているお父さんの言葉だと思うと、
とても重みがあります


今日の司式者の方の言葉を借りれば、
多くの艱難を受け入れ、勇敢に立ち向かって、
それでも毎日を笑顔で、幸せに歩んでいるSちゃんファミリー。
そして、その重荷をしっかり担ぎ終えたSちゃんに、
惜しみない賞賛を送りたいと思います


そして。
私もできるだけ、Sちゃんに倣って
これから先の自分の道を、楽しく笑顔で
しっかりと歩いていきたいと思います

バッテリー

2009-12-11 14:27:29 | 日記
最初は、11月中旬に予定されていた文化祭
その前日、5年生で欠席者が多かったため、
『文化祭当日、5年生の欠席者がさらに増え
 学級(学年)閉鎖になった場合、文化祭は延期します。』
と予告されていました

そして、その当日、朝から一斉メール配信があり
『5年生のクラスが学級閉鎖になったので、
 文化祭は一週間後に延期します』と

ところが、週明けには、また一斉メール配信があり、
『全校児童半数近くが欠席なので、学校閉鎖にします』と
もちろん、文化祭はまたしても延期です

その次の週明けに、学校は再開されるはずだったのに、
タのいる4年生のクラスと1年生のクラスは、
新たな感染者が多数居たため、閉鎖を延長


‥そんなこんなで、なかなか開催されなかった文化祭が、
今日ようやく、開催されました!!


何でも
タもユも、本人たち曰く「しょうもない役」だったらしく

二人とも、
「やっと、文化祭だ~!!」
‥っていうテンションでは、全然なかったんですけど

親としては、ちゃんと記録しといてやらんとな~と、
昨晩からビデオの用意をしていたのです

‥してたのよ!!
ちゃんと、緑ランプが点滅から点灯に変わるまで、
バッテリーを充電したのよ!?

なのに、なぜ、
5分も撮らないうちに、バッテリー切れになるのよ~~~

ビデオカメラも10年も使うと、バッテリーの寿命がきてるんでしょか


アタシ的には、ファインダー越しでなく、
しっかり自分の目で発表を見られたのは、本当によかったんだけど

オトウチャン、じいじ、ばあばがどれだけガッカリするか!?
を思うと‥

ごめんなさい
今日はこれ以上、何も語れません
あぁああ~~~~!!!!

世界に一つだけの花

2009-12-10 16:10:54 | 想い
先日から、なんどもタちゃんのことを書いてきましたので。

先日、当たり前?の記事中で、チラッと書いた、
それぞれに、それぞれの「弱点」や「障害」などを持っている、
Tくんとか、Cちゃんとか、Sちゃんとか、Mちゃんとか‥と、
先日、盛り上がった話題について、
ちょっと書いてみたいと思います

実は9月に『宴会』と称して
小規模な同窓会をしたんです
そこで盛り上がってた話なんですけどね

そのような集まりがあると、集まってくるのは、
だいたい「いつものメンバー」

その晩の参加者は、Tくん兄弟(そして、Tくんのヘルパーさん)、
Cちゃん、Mちゃん‥あとは、もと教職員だったんですけど


私たち、職員の間では、
(どこの職場でも同じだとは思いますが
「ホンマ、常識疑うわっ!!」
「全く。話ってもんが全然通じひんのやからっ!!」と、
腹立たしい思いをいっぱいさせてくれる職員ってのが、居てはりまして

私ら、しょっちゅう愚痴言うてた訳なんですけどね
(そういう先生は、往々にして、子どもたちからも敬遠されがち


今、あの現場から遠ざかってみて思うのは、
『イロイロあったけど。それでもやっぱり、みんなエエひとやったわぁ
ってこと

養護学校というちょっと特殊な社会から、
世間一般という広すぎる社会にそれぞれが出てみると‥。
ホンマ、世の中には、
イロイロな意味で、いろんな人がいすぎ
一体、ナニが違ったんやろうなぁ
‥っという話をしていたんですけどね


思うに
職員も、保護者も、そして子どもたち自身も。
『ひとと比べることがいかに無意味か』ということが、
よぉくよぉくわかってるんですよね

だから。
『それぞれが、それぞれの持てる力を発揮して頑張ること』
だけが大切なことなのであって、
『ナニをがんばったか?』は全然重要じゃない訳です

だって。
タちゃんと同じことをMちゃんには絶対に要求できないし、
Mちゃんができることは、タちゃんには出来なかったりするわけです
それが『当たり前』

しかし
本来、誰にでも当てはまるべきである
「『それぞれが、それぞれの持てる力を発揮して頑張ること』
 それが一番大切なことある」ということが、
悲しいかな、いわゆる世間一般では、
机上の空論みたいになってるじゃないですか

個人個人の持っている力は多種多様で、
ある一面からの見た目だけで比べたり判断したりするのは、
全然意味のないことなのに


生まれて間もない頃は、身長や体重など細かく計られ、
動き出せるようになると、標準的な時期までに首がすわるか、
歩き出せるか、言葉が出てくるか‥などを気にされ。
集団生活に入っていく頃には、
「大多数」と一緒に行動できるかどうかが問題にされ、
学校へ行けば、テストの点を気にされる‥

その中のどこかで「標準」の枠を外れると、
それは「異常」であるかのように、捉えられがち
‥じゃないですか??


違うのに~~!!


♪みんなちがって、みんないい♪

♪ナンバーワンになれなくてもいい もともと特別なオンリーワン
 
 そうさ僕らは 世界に一つだけの花 ひとり一人違う種をもつ
 その花を咲かせることだけに 一生懸命になればいい♪

大事なことは、皆ちゃんと知っているはずなのに
普段の生活の中では、どうしてあんなに

 ひとが見たらどう思う
 こんなん、ヘンじゃない
 これって、アタシだけ!?  と

どうでもいいことを気にしがちなんでしょう

もっともっと、
それぞれがそれぞれのありのままの自分に自信を持ち、
自分がそうであるのと同じように、
大切な存在である周りにいる人たちのことも大切にする‥

それが養護学校では『当たり前』だったように、
世間一般でも『当たり前』になっていくと‥いいのになぁ